小野田線クモハ42と休車カマ | 伊勢守の鉄道博物館

伊勢守の鉄道博物館

一応、鉄道博物館を名乗ってはいますが、偏りがあります(汗)
2018年11月4日より現役(?)に復活することにしました。

1985年3月撮影


低気圧が接近していた西日本に寒気まで下りてきて、3月としては珍しく積雪を観測したときにクモハ42の撮影に行ってました。







雪の雀田駅

前日から現地に入っていましたが、前日は冷たい雨から霙に。夕方から本格的な雪になり、夜のうちに積雪が始まりました。

この時代は夜の22時台まで列車が設定されていて、夕食が終わって一服した後にクモハ42に乗っていました。吊り掛け駆動が聞けるのもそんなに機会はありませんでした。

最終宇部新川行は途中の浜河内付近で、沿線に生えた細い竹に雪が積もって垂れ下がっていた箇所を最徐行で通過。運転士の目の前のガラスにバサっと当たる音が聞こえてきました。

「こえぇぇよぉ~」

若い茶髪のアンちゃん運転士がビビッて車掌に声をかけます。

宇部新川ではポイントが凍結して20分くらい待たされるハプニングも。雪ならではカンテラに火が灯った光景をじっと見ていました。

夜は撮影が出来ないと思いカメラを置いて乗っていたのが残念です。









クモハ42001 後位(パンタグラフと反対側)運転室。

片隅式運転室に貫通ドア、隙間風対策にガムテープという姿。このころは隙間風対策にガムテープが使われていました。そんな路線を他でもいくつか見ています。








長門本山駅


ここも雪化粧。でもこれはこれで画になります。

貫通幌が膨らみ省線電車全盛時を今に伝えていました。








後位側

また雪が降り始めてきました。結局この日の夕方近くまで降っていたと思いました。




クモハ42001



前位側

こちらは幌が付いてなく少々残念な感じではありますが、雪で化粧をされた姿は貴重なのでコレはコレで良しとします。

この当時はまだパンタグラフはPS13を搭載していましたが、民営化後に新性能電車が使用しているPS16に取り替えられています。同時期に前面の黄色の警戒色も消されています。

この姿を見た最後となりました。


余談ですが、このフィルムの現像と焼きを注文に出した店の女性が、仕上がったこの一枚を見て「チョコレートケーキみたい」と言ったのが印象的でした。
なるほど、屋根にかかった雪を粉砂糖、前面の黄色の警戒色をマロンに見立てればチョコレートケーキに見えなくもありません。女性の発想は我々とは幾分違うのだな・・・と思わされた出来事でありました。





小郡駅

DE10形の休車群。

軽く見渡しても10両以上が留置されています。




EF62形の休車群。

帰りは宇部線経由で小郡に出ました。今でこそ新山口と名前を変えていますが、その名前にははっきり申し上げて馴染めないものがあります。


60年3月のダイヤ改正で運用から外れた機関車がここに疎開していました。前年2月のダイヤ改正で貨物大合理化の余波もあるのでしょうが、この改正で荷物列車も削減されEF58を置き換えたEF62まで余剰車が出ていました。







小郡に到着した415系と分散型クーラーを搭載したクハ115の出会いです。
こんな冷房改造をしたクハ115がいたのは話には聞いてはいましたが、実際に見たのはこの時が初めてでした。