【初日】


2011/11も終わりの頃。私たち夫婦はマイナスの気温に近くなった住処(すみか)を離れて早朝、ツアー会社のバスに乗り込み一路羽田空港へ。


仕事をしていた頃には、特殊な職場でしたので年に一回連休が取れるだけで、その貴重な休みも両方の両親をかわるがわる家族旅行に連れて行くのが、わが家のお約束でしたので、関東近郊はほぼ制覇していましたが、沖縄は未体験でした。

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14:25.念願の沖縄空港着。「めんそ~れおきなわ」の看板を観て「ああ、50歳を過ぎてようやく沖縄に辿り着いた…」と、妙な感慨が。



しかし、なんという暖かさでしょう。当地と沖縄の気温差は約20℃。極寒地獄から天国に来たキブンです。


ツアーの最初は首里城のある首里公園。有名な「守礼の門」が建っている場所です↓


首里城は、琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城(グスク)。


1945年(昭和20年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊。


1992年(平成4年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元されたらしいです。へぇ、意外にも近年復元されたんですね…


画像が、その首里城でも一番有名な「守礼の門」。実は、この名前はそこに掲げられた扁額の「守禮之邦」からきている俗称で、本来は「上の綾門(ウィーヌアイジョウ)」というらしいです。


これも沖縄戦争で焼失したものを1958年に再建したらしいです。


愚かしい戦争の影が、この有名な門にも色濃く残っているのですね…

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↓カラフルな民族衣装を身にまとった女性もおられました。なんか「沖縄に来た!」っていう感じで、うれぴ♪


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首里城の中は、たくさんの展示館や沖縄の街並みが一望できる絶景スポットがあり、けっこう見どころがあります。逆に、けっこう歩きます。90分くらいすぐ過ぎてしまいます。


↑かなりピンボケですが、展示館に飾られていた宝物。冠でしょうか。右に移っているのは心霊写真ではありません。多分私の影です、わはは。

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こうして、たっぷりと首里城を見学して「沖縄3日間ツアー」の初日の見学はオシマイ。17:00に今日の宿である「ホテル日光」へ。


↓夕食はこんな感じ。いやあ、昔に比べたらホントにツアーの食事って進化しました。ちゃんとチャンプルーなんかもあって、沖縄らしさも出したお膳料理です。


↓しかも、オネーサンによる舞台での民族舞踊も。えーぞえーぞ (-^□^-)

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最近のツアーはバイキング料理が増えましたけど、こういうお膳の料理ってのも、なかなかヨイものです。よおしっ!今日は飲むぞ!おねーさん!お銚子もう2本追加して!


…と、文字通り調子に乗ってグビクビやっていたら、添乗員さんからのお知らせ。


「皆さま。これからご希望の方は、国際通りへお連れします。買い物や商店街のブラリ旅をお楽しみください」


ヨメ「どうする?」


私「行かん行かん。もう酔っ払っちゃったし、そもそも夜になってるのに、何が悲しゅーてもう一回外出せにゃならんのよ。これから風呂入って寝る。寝る前に、もう一杯飲む」


ヨメ「まだ飲むの!この酔っぱらい!」


私「わははは~(汗)」

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などと、ビタビタ飲んでいる間に、他のツアーの方は一人二人と食事を終え、気がついたらこの広間にいるのは私たちだけ…


ヨメ「もー」


後で聞きましたら、私たち以外全員が国際通りに出かけたそうです。(-_-;)


…いいもんね。ボクら若いからもう一回来た時に、ゆっくり国際通りを堪能するもんね!(完全な負け惜しみw)

『Twitter発の書籍「アホ男子かるた」発売無期延期 投稿者に無断で企画、出版社が謝罪』というニュースが掲載されていました。

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別に、大上段から構えて大声でしゃべるつもりはありませんが、私にはこのニュースの勘所(かんどころ)がわかりません。


そもそも「Twitterの『つぶやき』を、投稿者に無断で書籍にするのはけしからん」という論理が、かなりおかしな感覚だと思うからです。

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Twitterとは「匿名性を保証された上で、ネット上で『つぶやく』自由を保障されたコンテンツ」なのではないのでしょうか?いわば、庶民がホンネを吐ける場所として発達したのでは?…それを「どう二次利用しよう」と「どう解釈されよう」と、著作権などというモノが存在しないから、TwitterはTwitterたる価値があるのではないかと、私は考えていました。

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そこには「言い捨て御免」の自由がある代わりに「どう料理されようがそれはあなたたちに任せます」という、一種の「お約束」があるから、「好きなことを好きなようにつぶやく」ということが、保証されるのではないでしょうか?

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江戸時代の戯作者(現代で言えば作家さん)に、山東京伝という方がいます。この方、職業として戯作活動を行い、原稿料が支払われるようになったのは彼が最初だとも言われていますが、時には黄表紙(いわゆる俗っぽい読み物)作家として脚光をあびますが,洒落(しゃれ)本が風俗をみだしたとして手鎖(てぐさり)50日の刑をうけたりもしています。手鎖とは、今でいえば手錠のような拘束具のこと。

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現代のように「言論の自由」が認知されていなかった時代ですから、それも仕方のない事だったのかもしれませんが、しかしTwitterの『つぶやき』を引用することが「著作権の侵害」となるのならば、それはそれで「現代の手鎖」と言えるのではないでしょうか。

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本来ならばTwitterというツールを使って「自由な発言」をして良いはずのものが、なぜ「表現の自由」に「手鎖」を「つぶやく本人たち」が自らかけてしまうのか…自由であるべきツールの「不自由さ」を、皮肉にも今回のニュースで感じています。

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「名もなき声」から湧き上がる叫びは、私の心を打ちますが、「名もなき声の権利の主張」は、何も心を打ちません。


一体、「つぶやく人たち」は、自分に手鎖をかけて、なにを求めているのでしょうか。どうもTwitterだけでなく、、自由であるはずのネット周辺がヘンテコな方向にベクトルを少しずつずらしているような気がして、釈然としない毎日です。

-10℃とか多くなっている今日この頃です。冬が来れば思い出す話です。

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私たちは今から25年前に家を建てました。そして、すぐやったことは「犬を飼うこと」。それまではアパート暮らしでしたので飼えなかったため、雑種のオス犬を貰い受け「外犬」として買い始めました。ビーグルの血が入ったガニマタの、鼻の周りが黒い子犬は、「スナック菓子のカールおじさんみたい」ということで「カール」と名付けられました。

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今から10年以上前。今のような寒い冬のある日。


仕事をしていた私にヨメから一本の電話。


「カールが…死んじゃった」


滅多に感情をあらわにしないヨメが、電話口で号泣していたのを覚えています。

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ちょうどお昼頃でしたので、私は半休をもらい家に戻りました。粉雪がちらほら舞う凍てついた土の上で、カールはこと切れていました。


私も、滅多に人前では涙を流さない齢になっていましたが、それでも冷たい地面に横たわるカールを見ていると、自然に、可笑しいくらい自然に涙があふれて止まりません。

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「どうしまし…あっ!」


犬好きのお隣の奥様が通りかかり、降りしきる雪の中で落涙している夫婦と横たわるカールを見て、これまた号泣。大の大人が3人で大泣き…

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カールの亡骸(なきがら)は、火葬してもらい、お骨として今でも部屋に安置してあります。



もう齢をとって鼻の周辺も黒くはなくなっていましたが、相変わらずガニマタです。

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80歳のお袋は昔の人なので、「動物のお骨を家に置いておくもんじゃないよ」といいます。

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でもね。-10℃にもなるこの地方の外犬として暮らしていたカール。


…せめて、もう少し暖かい時期に逝かせてあげられなかったのかという後悔の念が、今でも頭を離れません。

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冬が来れば思い出す。冬が来るたびに、胸がチクチク痛む、愛犬との思い出。

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「ごめんね。暖かく送ってあげられなくて」


死はどんな生き物にも平等に訪れます。それはわかっていますし、昨日も書いたように、お墓などというものにあまり意味を感じない私たち夫婦ですが…

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…でも、「せめてお骨だけでも暖かい場所に」という想いが消せないのも事実です。


冬が来れば思い出す、かけがえのない友との別離の話でした。

今朝の「あさイチ」で「夫婦で1つの墓に入るか」という特集をやっていました。ニンゲンも50歳を過ぎると「死」というものが少し身近に感じられてきます。少し興味のある話題でしたので観てみましたところ…

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『夫と同じ墓に入りたくない』という奥様が、なんと60%以上 (ノ゚⊿゚)ノびっくり!!へぇ、そうなんだとヨメに「お前はどうだ?」とたずねたら…


「どっちでもいい」

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うーむ…どうもわが家は夫婦で、ソコんトコはドライでありまして「死んじまったら墓が一緒でも別でも関係ない」という考え方です。人は生まれて、生きて、やがて土に帰るだけ。それ以上でも、それ以下でもなし。

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まあ、ウチの場合は子供なしの家ありの資産なしですし、私もヨメも兄弟姉妹の2番手ですから、さほど「墓を継ぐ」という事に心を砕かなくても良い環境にあります。ただし、冒頭に書いたように、では、たとえば私がお先に昇天した場合など、ヨメが「お墓は作らないって夫がいってましたから…」と、私の親戚に説明して納得してもらえるのかと考えると、それも難しい気がします。

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世の中は、私たちの思惑通りには動かないでしょうし、反対されるくらいなら一応体裁を整えた方がラクという発想もできます。ただ、どうしても私たちの考え方の中心にあるのは「死んだら人はすべて土に帰り無になる」という考え方。

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魂の存在を肯定し、ご先祖様のありがたみに感謝するのも一つの生き方ですが、そう考えると江戸時代に貧しい農村などで年寄りが動けなくなった場合「姥捨て山伝説」があったのは、少し矛盾しているような気もします。もっとも、あの伝説は一説には「土葬の習慣がなく、山に自然安置していた」という話もありますが…

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私個人としては、「死んだらそれでおしまい」と考えていますので、できるだけお墓などというものにお金をかけたくはありませんが、残されたヨメの立場というものを考えると、新潟あたりの宗派に関係なく、共同で入れる合同墓(費用10万円以下)を用意しておくのも手かもしれないなと考え直しています。


親戚が「うーん…墓参りに行くには遠いな」と思えるくらいの距離にあるお墓がベストかな。

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それにしても、人々の結婚形態が多様化している現代。シングルマザーだったり、事実婚だったり、ゲイカップルだったりと、いろいろな愛の形がありますから、やはりお墓というものに対しても、もう少し多様で柔軟な形があってもいいのではないかな、などと思っています。

今はおっさんの私でも、子供の頃がありました(あたりまえかw)

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最近記憶に自信がなくなってきましたが、確か小学生のころに手塚治虫先生のアニメ「悟空の大冒険」というアニメが放送されていました。

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スポンサーは明治製菓でして、お菓子の包装紙を集めて応募すると、ものすごーく運のいい子には「きんそう棒」という景品が当たるのでした。これはいわゆる「如意棒」と同じもので、孫悟空が持っている、意思で伸び縮みできる武器みたいなものですが、景品の「きんそう棒」は中に子供がドキドキしそうなおもちゃなんかがたくさん仕込まれていました。

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あまり物欲はない子供ではありましたが、新聞の全面広告にこの「きんそう棒」の図解が載っていた時にはマジで欲しい!と思ったのを覚えています。でも、結局そんなにラッキーなことは起きずに、月日は流れ、ん10年。

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最近、ふとそのことを思い出して、せめて「きんそう棒」に隠されていた、憧れのおもちゃの数々の詳細を知りたいと思い立ち「如意棒 景品」でいろいろ検索してみましたが、なかなかヒットしません。「きんそう棒」という名前を忘れていたからでした。

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そして、ようやく探し当てたのが「悟空のきんそう棒解明プロジェクト」 というサイト。興味や記憶のある方はぜひご覧になってください。チョコボールの「おもちゃの缶詰」も素晴らしく夢のある景品(こちらは、毎日食べまくって何個かもらいました)ですが、この「悟空のきんそう棒」の解説を拝見すると、昔のメーカーはとてつもなく職人的な景品を作っていたんだなぁ…感心します。

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綺麗ごとを書きますが、今のデジタライズされ過ぎた景品よりも、こんな夢の詰まったアナログ景品に、おっさんになってからも胸がときめくのは、あのころの記憶だから?それとも、、馬齢を重ねた身だから?


…あ、カップヌードルの「踊るロボタイマー」はすげー欲しかったです。応募しなかったけどw