SNS等でたまに「盗難される」という表現を見ることがある。初めて見たのは、数年前のInstagramだったと思う。フランスかどこかに行った時にバッグを盗まれたみたいな投稿の中に「盗難された」という表現があり、違和感を覚えた。数日前にもX(Twitter)でも見かけた。試しにX(Twitter)で「盗難された」で検索してみたらかなりの数が出てきた。アカウント名に使っている人もいる。

 

 

「盗難」を手持ちの辞書で調べると、「金品を盗まれる災難」とある。つまり、「盗まれる」のが「盗難」であり、「盗難」という言葉自体に受身の意味が含まれているので、「盗難される」と形も受身にすると意味が重なってしまうと思う。辞書で例文を調べると「盗難にあう」「盗難の被害にあう」等が載っていて、これが正しいと思うけど、「盗難 例文」で検索すると、AIが「車が盗難された」と答えてしまう。現実には結構使われているということなんだろう。

 

 

動詞の活用で迷った時などは、同じルールで変化する他の動詞をいくつかあげてみると理解がしやすいという話を以前書いた。上記のようにケースは動詞の活用とは違うけど、似た手法が使えるかなと試してみた。でも、「盗難」に似た言葉ってあまりないんだな…。

 

 

「盗~」という単語は、「盗撮」「盗聴」「盗用」などがあって、これは「盗撮される」「盗聴される」「盗用される」のように受身で使うことができる。でも、この3語の「盗~」は、「密かに他人の何かを~する」という意味であり、「盗難」は「密かに難する」という意味ではないので、語の構成が違うと思う。だから文の作り方も違うはずで、参考にならない。

 

 

じゃあ「~難」という単語は他に何があるかなと辞書で調べてみた。「難」の意味としては、「1難しい」と、「2苦しみ、わざわい、うまくゆかない悩み」その他がある。1の例は「困難」「至難」「無難」等、2は「災難」「遭難」「水難」「苦難」「多難」「避難」「女難」「就職難」等があるとのこと。「盗難」は2だと思われるんだけど、使い方が似ている単語がないんだな…。意味的には「災難」が近い気がするけど、「災難する/災難される」という使い方はないと思う。「水難」も構造的には似てると思うけど、「水難する/水難される」というのは聞いたことがない。というわけで、「似た例を捜してきてスッキリする」手法は使えないな…と思ったんだけど…ここでふと思った。そもそも「盗難」も「盗難する/盗難される」という言い方自体がなくないか??てことは、意味的に正しいかどうかとか、場面に合ってるかどうかという話ではなくなってくる。

 

 

ということで、X(Twitter)で「盗難する」「盗難した」で検索してみたけど、ざっと見た限りでは出てこなかった。これ、「盗難される」という言い方が、場面や文脈的に不自然てことじゃなくて、そもそも「盗難」に「する」や「される」をつけて動詞にすること自体が間違ってるってことなんじゃないか?二字の漢語に「する」をつけて動詞にするというのはよくある(勉強する、結婚する、読書する等)けど、「盗難」は違う気がする。まぁ、受身の形で使いたくなる気持ちはわからなくはないし、「盗撮」「盗聴」に引っ張られたのかなという感じはするけど、やっぱり違和感のある使い方だと思う。

 

 

 

 

もう一つ似た感じでモヤモヤしてる表現に「左遷させられる」がある。これもX(Twitter)で検索するとたくさん出てくるんだけど、使い方が間違ってる気がするんだよね…。

 

 

「左遷」を手持ちの辞書で調べると、「それまでの官職・地位から低い官職・地位におとすこと」と書いてある。ネット上の辞書を見ても概ね同じような内容。この場合、「左遷」は「地位を落とす」ということなんだから、「AがBを左遷する」のように使い、「Aが命令してBを低い役職に異動させる」「Aが命令してBを社内の地位が低い支社に転勤させる」「Aが命令してBを暇な部署に行かせる」というような意味になると思う。つまり、「左遷」の中に使役的な意味が含まれているのだと思う。だから、「左遷させる」と形も使役にした場合、使役の意味が重なってしまうと思う。「盗難される」は受身が重なっているけど、それと似たようなケースではないか?

 

 

もし「AがBを左遷する」ではなく、「AがBを左遷させる」のように動詞を使役の形にした場合、「AがCに命令してBを左遷させる」みたいになってしまわないか?「AがBを左遷する」と言った場合、Aの動作は「左遷する、地位を落とす」で、Bの動作は「地位を落とされる、低い地位へ行く」ことであって、この「する」を「させる」にすると意味が変わってしまうと思う。

 

 

「左遷させられる」というのは、「左遷する」を「左遷させる」という使役の形にした上、さらに「~られる」と受身の形を加えたもので、「使役受身」になると思う。「使役受身」というのは、「私は親に野菜を食べさせられる」とか、「私は上司に残業させられる」みたいなやつ。使役と受身の両方の意味が入るので一見複雑に見えるけど、実際の動作だけを見ると、「私は野菜を食べさせられる」は「私は野菜を食べる」ということだし、「私は残業させられる」は「私は残業する」ということなので意外とシンプル。違うのは「他の誰かの命令や強制があるかどうか」や「私の心情」等であって、動作自体は同じ。ということは、「私は左遷させられる」と言った場合、「私は左遷する」と動作は同じということになる。だから、「私は左遷させられる」は、「私は自分以外の誰かの地位を下に落とす」という意味になり、下の役職や暇な部署に異動するのは「私」ではなく他の誰かということになると思うんだけど、ネット上で見かける「左遷させられる」のほとんどが、「私」が下の地位に行かされるケースのように見える。

 

 

(例)

田中社長「佐藤部長、君には今回の失敗の責任を取ってもらう。来週から君は○○課の課長だ」

 

 

この場合、「社長は佐藤を左遷した」「佐藤は左遷された(受身)」となると思う。「左遷させられた」という使役受身は使う必要がない。だけど、こういう時に佐藤本人が「私は左遷させられた」のように言ったり書いたりするケースがかなりあるように思う。文法的、意味的におかしいと思うけど、多くの場合、文の意味は通じていると思う。どんな文でも「文脈」や「場面」というものがあり、聞き手は無意識に先を推測しながら読んだり聞いたりしているから、話者の日本語が少々おかしくても脳内補完というのか、言いたいことは汲み取れてしまう。「盗難される」が、「被害を受けた」という意識のせいで受身の形になってしまっているのと同じように、「左遷させられた」も「上からの命令で異動になった」という意識のせいで使役受身の形になってしまうのではないかと思う。

 

 

 

ここまで考えてくると、「盗難される」と「左遷させられる」に感じる違和感は、似ているけど違うものなのかもしれない。「左遷させられる」は、間違って使っている人が多いと思われるけど、「左遷させられる」が正しく使われる場面もあり得る。例えば、「部下を左遷させられた。自分は反対したが、上司からの命令でやむを得なかった」みたいなケースは現実にもあると思う。でも、「盗難される」はおそらくこの形自体がおかしいので、これが正しく使われる場面というのが存在しないのではないかな。

 

 

 

日常会話とか、SNSやブログの文章というのは、正式なものではなく、親しい人、わかってくれる人だけに伝わればいいものなので、文法や意味に教科書や辞書的な正しさは求められていないけど、だったら何でもいいのか、何の意識もなくただ言いたいことを言えばいい、書きたいことを書けばいい、わかってくれる人だけわかってくれればそれで十分、わからない人は障害ないじゃん…てのも寂しいような気がする。