こんにちは。KAIです。
桜がやっと咲いてくれました。
先月まで僕は東京都世田谷区民でした。琉夏と一緒に暮らしたマンションの荷物がきっちり江東区豊洲のタワマンへ移して江東区民になりました。
引っ越しの前に琉夏の生前は桜の木の下で男同士のデートをよくしました。琉夏を小さなキャリーゲージへ入れて彼のカゴの中には好きな食べ物だけをゲージの上から下げてあげました。
例えば小松菜とかイチゴやキャベツの葉と穂。
僕はいなり寿司やサンドイッチやコーヒーを持って行きました。そして2人でお花見をしました。
だから引っ越し前にもう一度だけ見たいなと南原公園の桜を見に行きました。
僕たちは2人でうるさいと周りからクレームがやってくるくらい賑やかな花見をしていました。
なみなみならぬインコで人間インコだから鳥類と人間だけで過ごしてつまらないとか寂しいという感情を一度も感じたことがないのが琉夏でした。
例えば、彼のご機嫌中は僕の名前をちゃん付けで呼びました。ご機嫌斜めのときには、名前を呼び捨てにしていました。
そんな相棒との花見というのは、最高に盛り上がりました。公園の遊具や遊びに来ている人たちも何でもがエンジョイアイテムになってくれました。
なのに…残念!
咲いてへんかった!
桜満開の時には☟こんなに美しかったのに。見ることができませんでした。
そんな南原公園の桜が満開に咲いたと、先週の土曜日に友達からLINEで写真を送ってくれました。
心地よく幸せな時間や経験は、琉夏と一緒の時間でした。
一番、怖かった瞬間も
一番、心地よかった瞬間も
いつも一諸でした。
琉夏は時折でした。僕の過去の傷を痛みという感情で衝突させました。
「不愛想に見えて実はいい人だね」
「いい人だってことをわざと隠しているみたい。目を背けているみたい」
インコだから細かなおしゃべりはできないけど、琉夏が、そんな風に僕を刺激しました。それでもそんなおしゃべりをしたように大きな瞳でまつすぐに見つめられたときに、混乱したのが飼い主です。
僕は人と深く関わるりを持つのも嫌だし、見て見ぬふりをして生きるのが楽でした。
このままでいいと思っていたのに…
琉夏のせいで心が揺れました。
彼は外から僕を強く強く呼びました。
「心の分厚い壁を壊せ」と。
琉夏と暮らした間に「意識の改革」を始めたから今の僕が仕上がりました。
殺意が籠るほどの復讐心を自分の中心に置いて、長いこと生きていたはずなのに。その生き方も憎しみもいつの間にか手放してしまいました。気づいたら忘れていました。
命で頑丈なんだけど
命って脆い…。
亡くなってからもどれだけしてあげても、いっぱい愛していてもまだまだやってあげたらよかったと思ってしまう。
想っても
神様にお願いしても
命だけは戻らない。
時だけは思い通りにはいきません。「時」は過ぎ去れば二度と戻りません。
だから…
今その瞬間瞬間を命ある隣にいる大切な人やあなたが懸命になっている出来事へ大事に大事にしてくださいね。
僕は、奴と桜の木の下で琉夏と思い切り笑って食べて遊んだから、これからも桜を眺める瞬間や見上げる瞬間に、桜の花びらの甘い香りとインコ臭が混ざった記憶が飛び出すのだろうと思います。
それはとっても幸運なことだと今になって思う。
インコと花見なんて聞いたこともないし、人間インコだったから実現したイベントだったんだ。
今年は嫁の親世と東京に桜開花発表が出される前に小田原で見られました。デートをして楽しみました。
明日以降、2024年これまでのインコずくしを
書いてみます!