自分の気持ちにひたすら素直に生きようと決めた日があります。それは琉夏が亡くなって以降でした。
それでも社会や個人的な事情ではいとも簡単に可能にできることとそうでないことがあります。
私は自分の人生をこれまでよりもずっと好きになりたくてそう望むようになりました。
自分の心が軽くなること喜ぶこと自分を好きでい続ける生き方は居心地がよくてがんばることがあまり必要ない世界が広がります。
ある人が琉夏の生前にこう言いました。
「琉夏ちゃんは、もうひとりのあなた」
琉夏が健やかで生き生きしているときの姿は自分そのものです。私は彼と暮らしのなかで怒りや憎しみの痛みを捨てて心が解放されていきました。
だからこそでした。これからも解放された心を守るために起こした行動でした。
素直に生きるためには可能な人間へ素直に言葉にすること心を開くことでした。
私は人間より動物が好きです。それでも人間で生きている以上は嫌いでは生きられないし避けられません。
人間が好きかと聞かれたらまだ苦手で大好きまではいきません。開くためには分厚い自分の殻を破らなければなりませんでした。
相手を嫌いになるかもしれないし断絶の縁になるかもしれないし大きな勇気が伴う時間でした。誰に心を許せばいいか開いたらいいのかはよくわかっていてもできない・・。
人間不信の塊は親から虐待を受けた人の大きな特徴のひとつに挙げられます。信じようとすると認めたくはないけど心が疼いてパニックに似た苛立ちが襲うことを繰り返しました。
まるでまっ暗闇の恐怖のトンネルに落とされるようにドツボにハマってしまうのです。
過去に経験した痛みは相手が悪いのではないのです。すべて自分の思考や感情によつて起こる内面的な問題でした。すると、面倒くさくなるので心を開くとかしないまま無難な生き方を選んでしまうものです。
それでもでした。
もう一度もう一回の挑戦をし始めました。
私は可能な相手へ心を開きました。
素直にそのままの自分で語りました。
過去のこと心の傷を打ち明けるようになりました。
相手はちゃんと待っていてくれるのです。
自分のことを心から大切に想う人たちはちゃんと受け止めてくれます。心の分厚い壁を壊して踏み出したあとに見た景色には色がありました。
温かな血液が通う赤くて薄いピンク色みたいなんです。
心をずっと頑なに抱きしめたままの孤独でいると時折見る夢があります。
トイレの中で吐いているのです。
吐いているのに何にも出てこないのです。意味は心のストレスです。心が満タンでどうしようもないほど寂しさや目詰まりを起こしているときに見るのです。
今はそういう夢を見なくなりました。意地を張る生き方やツッパった生き方はしんどいです。
素のままで向き合える人がそばに存在することへ感謝でした。長いこと待っていてくれたことにも感謝でした。
あなたがふりをやめて自分らしく生きようとするとき、自分自身の受け入れなければならなくなります。それでも新しい変化が生まれて始まります。あなたがこれまで見たこともないワクワクする扉を喜びといっしょに開くことになります。
価値ある決断をしたら私は人生が楽しいです。