私の著書の中にあるのは…
入学式の洗礼の続き文章です。
産み落としたとは書ききれなかったことがあります。トイレで産み落として汚物入れに捨てて逃げてしまったこと。地元の新聞を読んで警察へ迎えに行ったこと。
いまは良かったと振り返ることができます。けれどその気持ちにたどり着くまでは、何度も何度も娘を抱きしめることができなくて迎えに行ったことも育てていることも、悔やむことばかりの時間な暗闇の繰り返しでした。
娘を抱きしめると嫌悪と憎しみが湧いて苦しみました。娘の顔の輪郭は実父の面影が映っていて吐き気がしました。そんな自分が好きになれなかったのです。
その娘のことを自分の心の解放と感情を手放して済んで何年も経過しました。
娘な元気な優しい女性に成長しました。
そして娘も母親になりました。
しかしある時でした…
娘が孫を連れて来たときでした。
孫の泣き声でキチガイにさせるほどの感情をかき乱されで豹変しそうなほどのパニックに陥ったのです。孫の手を握ることさえ、一時的に困難な時期が続きました。
赤ちゃんの泣き声がトイレで産み落としたあの日をリンクさせたのです。
琉夏はわたしの尋常ではない感情をすぐさま察知しました。彼も部屋中を旋回を長い間つづけてわたしのそばに止まるまで待っていました。
近寄れる様子ではなかったからです。
少し前までの私は赤ちゃんの泣き声を聞くたびにそうでした。
先日のニュースで聞いた赤ちゃんを出産して自宅で亡くなられたお母さんの気持ちを思うと痛みが身体中に広がりました。大丈夫かな…って気になります。