海馬鹿という言葉がぴったり私のこれまでの人生には当てはまります。
オーストラリア大陸の地図の右側の右上の方にケアンズという街があります。
野生のインコたちが空を見上げると木々の上で木の実をついばんだり休息をとったりしています。
街の中でさえみかけます。
私の住んでいた家の庭にはロリキートが朝も夕暮れにも何羽も止まっていました。ワラビーが庭に現れるのですから、オーストラリア大陸の誇る命の多様性は暮らすことで日本とは別世界の日常がそこにありました。
それなのにわたしはロリキートだけでした。
お目にかかる機会はなかったのです。
朝の陽が昇るのと共に船に乗り込んで海へ向かって下船をするのは陽が落ち始めるころでした。
それだけではなく海ほどに心に火を点ける存在ではなかったから見なかったのです。
見ようとしなかった。
人間は見よう見たいと思えない物は視界へ入りません。見たとしてもスルーして終わってしまいます。
魂へ刻まれないからです。
記憶から削除されるか片隅に追いやられてしまうからです。
大きなショッピングセンターに入っている本屋さんで私はよく魚の図鑑や雑誌を立ち読みをしていました。
動物の分類に入る海洋生物の棚のそばには「鳥」の棚がありました。
日本で見かける「鳥」の専門書より断然に数も量も多いことに驚いたことがありました。
ただ驚いただけでした。
空を見上げることはほとんどないまま時は過ぎていきました。
そして数年前でした。
野生のインコをオーストラリア大陸の砂漠や森や高山や南部の岩場で見ることができることを知りました。
映像でみたとき自分に唖然としたのを忘れもしません。
大陸を2回もラウンドをして見ていない衝撃は自分で世界を海だけに塞いでしまったことでした。そのとき呆然としたのを覚えています。
そのときに知ったのが写真家の岡本勇太さんでした。
彼がDVDを出してすぐに購入しました。
琉夏の姿を重ねてしまうから痛くて見れなかったのですが、それくらい野生のオカメインコの映像が愛らしいです。
忙しく食べる姿や
床をぺたぺた走る姿を赤い土の上で野生のインコが同じようにしています。
いまは、その映像を見ることへしんどさは消えて再び大丈夫になりました。
時は待ってはくれません。どんな人間にも平等にそしてあっという間に過ぎ去ります。瞬間瞬間を自分の望むものへ傾け費やせるようにあなたの時間の用い方を大事にしてくださいね。