もし、「ほんとうは」=本音をはくことができたなら。
「ほんとうは…」って、こころがおれてしまうと気づくことさえなくなってしまう。
季節がいくつもながれて、ほんとうのきもちに、ふれる瞬間がやってきます。
すでに、傷がふかくまるでおできのように、根をはってしまっていた。
嫌だった!
哀しかった!
つらかった!
傷ついた!
ショックだった!
がまんしたくなんてなかった!
がまんしたくなんてなかった!
ついほんのちょっとまえのわたし。
13さいがすべてのはじまり。
復讐を人生のすべてとして、生きていました。
拳を握りしめて、開くこともなく。
開くとしたら、海の中。
琉夏のまえで。
それ以外は、握りしめた拳はシップをはるほど、痛みをかかえていました。
愛とか。
いのちとか、書いているのに根っこと生き様は、ずっとその執着を手放せなずに生きてました。
そして、
わたしへ、「吐き出す」じかんとひとが与えられました。
はじめてじぶんと向き合って、じぶんのきもちをことばにしました。
いつのまにか、じぶんをとりもどしていました。
手放していたのです。
すると、
食べることがいっそうおいしく。
力むきもちに、ふりまわされることもなく。
生きることが、らくになっていました。
ひとりでは、手放せないからたよるのもいいんだよ。
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