「再来月です。」
「楽しみにしています」
イタリアからのメールが届いた。
今年の年末に、我が家へホームスティに来る女の子がいる。
我が家はたまに外国人のホームスティを受け入れている。
大抵は、知人や同僚や友人の知り合いが来る。
今回の女の子の家族との出会いは、昨年の
祭り……
私にとっても初めて見た祭りだった。
たまたまそこに日本へ旅行へ来ていた六人の家族。
誰かが日本語で話しかけていた。
彼らはわからない。
彼らの父ちゃんは、焼きそば食いつきながらシャッターを押している。
母ちゃんは、日本語解らず不安気。
他は子供たち。
飽きた顔。
泣いた顔。
子供たちは、母国語で母ちゃんに強い口調でしかめっ面。
しかない…私は「どうしたの?」話しかけた。
イタリア人の母ちゃんが英語の嵐を私へ吹きかけた。
嵐は、凄まじく止まらなかった……
まるでコミュニケーションの不安で旅を楽しめなかった緊張感が溶けはじめたようにだった。
そのうちに行列はあっという間に過ぎ去ってしまったのだった。
私は帰り際に何かお土産を…
私はしたかったのだ。
あちこちの見知らぬ国でそうしてもらった様に……
救われた人たちとの繋がりを絆として
活かされた人生を生きているからだ。
それでもその祭りで待ち合わせをした訳ではない……
会う予定ではない偶然の出会いだったのだから
用意などあるはずがない。
しかし私の鞄には切手と、日本のお城のポストカードが入っていた……
ペンとカードと切手は、常に持ち歩くのが私の習慣になっている。
「Thanks card」……
これらを持ち歩く癖にさせたカード。
良い癖は出会いを繋いで絆に変える始まりになった。
あれから私たちは交流を深めた。
私の妹の元へイタリアの誰かが訪ね、
私の故郷のオーストラリアへ誰かが訪ねた。
出会いを紡いで糸を千切れないように
太く紡ぐには利己的な愛は通用しない。
上っ面の愛も脆くて簡単に切れてしまう……
本気で向き合いながらゆっくり、絡まないように
愛を示すこと……
そんな積み重ねは、どんな出会いも絆へと変わる……
出会いは自分の未知の扉を開ける瞬間だ。
今の私を創ったのは、幾つもの出会いだから…