<保育園->自宅->病院>
いつものような朝だった。
夜中にオシッコだと騒ぎ、少しお寝坊さんだった。
登園で、あれ~という顔をしたが、喜んでいた。
保育園のアスベスト除去工事が終わったので、
元の建物に向ったのが分かったようだった。
夕方、お迎えに行くといつものように笑顔で出迎えた。
先生にちゃんと“さようなら(軽いお辞儀)”でご挨拶した。 (*゚ー゚) <(_ _)>
昨夜は帰宅が遅く、ベッドに寝たのが遅かったのにも関わらず、
保育園であまりお昼寝が出来なかったようで、眠さからぐずった。
あまりも機嫌が悪く泣くので、夕方に昼寝をさせることにした。
なかなか寝付かないので、添い寝をしてあげる事にした。
翔は添い寝が大好き、安心して目をつぶる。
いつものように「眠くなんかないよ!」とぐずっていたが、
顔は眠さで一杯だった。 (@ ̄ρ ̄@)zzzz
北海道から夜遅くに帰って、疲れが溜まっていたので、
川地も添い寝をしている内に、ウトウトしてしまった。 (((ΘoΘ) ,z,z,z
今にして思えば、あれがそうだったのかも?
こうしていれば・・・、などといろいろ思い当たる所は有るが、
日常的な様々な出来事の中から、
それを異常を知らせる“シグナル”であると気付くことが出来るだろうか?
そして、それは起こった。
翔の体に添えた手から、翔がモゾモゾ動くのが感じ取れた。
あれ?もう目覚めたのか?10分、いや5分も経っていないぞ?
翔を見ると少し目を開けていた。
寝ぼけているのか?少し覗き込む?
何だかトロ~ンとした目をしている
ピアノの音が聞こえていた。
ご近所さんのレッスンがはじまったので、目が覚めたのだろう。
反対向きに横寝をさせて、もう一度眠らせようとした。
何だかいつもと様子が違う? 呼吸も力がない!
「あれっ、どうしたんだ、ショウ?」
殆ど、目蓋を動かさないぞ?
今度は体を起こし、呼びかけたが反応がない!?
異常に気付きアタフタしていると、口から透明な鼻水のような物を吐き出した。
これが喉に詰まっていたのか?
しかし、相変わらず翔の様子がおかしい?
何が起こっている? 落ち着け!落ち着け!状況を良く判断しろっ!
(°Д°;≡°Д°;)
呼吸がおかしい事は確かだ!
酸欠(チアノーゼ)になりかかっている。
口の中に内容物が無いことを確認して、気道を確保した。
本当に正しいかどうか分からない?
息はしているが意識が戻らない。
このままでは、ジリ貧だ。落ち着け!落ち着け!
次の手は、救急車を呼ぶか? 掛かり付けの病院へ行くか?
病院の方が近い。
酸素マスクと吸引装置は有るはず。
先生もいるので、応急措置もしてくれるはずだ。
いつもならこの時間はマンションの前から大渋滞なのだが、
幸いにも道は空いていた。5分とかからなかったと思う。
その道中、しまじろうのビデオを流したが、全く反応がなかった。
意識が朦朧(もうろう)とした感じが続いている。
診療時間は過ぎてしまったが、クリニックは開いていた。
先生は翔を見るなり、ここの医療設備ではしっかりとした処置は不可能と、
即判断して、救急車を呼んだ。
その間にも血中酸素濃度を測定する装置でモニターしながら、
酸素マスクや吸引などをしてくれた。
その合間に方々へ電話をして、翔を引き受けてくれる所を探してくれた。
先生はいつも行っている総合病院に真っ先に電話したが断られた。
呼吸困難な幼児は手に負えないという理由だ。
まあ、こんなものだろうと分かってはいたが・・・。 (-_-;)
次に大きな大学病院が二つ候補に挙がった。
家からの距離、それから、療育施設のクラスメイトのお母さんが
手術をした話していた事を思い出して、K大学病院を希望した。
受け入れOKが出て、そこに搬送してもらえる事になった。
クリニックから大学病院までは、翔の唇の色も良くなり、
容態も安定して、一時期よりは楽そうになった。
しかし、意識は依然として戻らなかった。
手が少し動いた時、「ショウ、分かるか?頑張れ!」と声をかけて、
救急隊員に止められてしまった。
実は脳が発作を起こした時は、刺激を与えてはいけない。
脳がパニックを起こした状態が“発作”なので、
親の声掛けは、更なるパニックを引き起こしてしまうのだ。
つまり、ただ沈黙して沈静化するのを見守るしかないのだ。
病院に着くと直ぐに翔は処置がされた。
その手際良さは川地を安心させてくれた。
救急車で移動している最中にメールを送っておいたので、
ワイフも直ぐに駆けつけた。
会社関係の人のお通夜に行っていて、
直ぐ近くだったので、送ってもらえたのだ。
主任医師が説明に現れて、状況説明をしてくれた。
その話ぶりから、かなりできる先生であると感じた。
どうやらいつも定期的に通っている東京の大学病院の
翔の担当医とは知り合いで、その道の専門医で有るらしい。
翔はかなり危険な状態だったが、それは乗り越えたらしい。
が、酸欠状態が長かったので後遺症が残らないように、
最善を尽くす必要があるとのことだった。
ここで大きな選択を迫られた。
いつもの東京の大学病院に搬送するか?
ここの病院で長期的に治療をするか?である。
確かに、いつも見て頂いている先生の方が安心だし、信頼関係が有る。
しかし、峠は越えたとはいえ、まだ危険な状態には変わりなく、
危険を冒してまで搬送するのは如何なものだろうか?
この大学病院には、これまでの翔のデータベースはないが、
そもそも今回のような事が起こったのは初めてなので、
どちらも同じではないのか?
今後、同じ事が起こり得る事を考えると、
その度に東京に搬送していては、危険度が高い。
翔のこれまでのデータは後ほど、東京の大学病院から送ってもらえば良い。
ワイフと相談した結果、こちらの病院で治療に専念する事にした。
治療が終わり、面会した時には23時を回っていた。
薬が効いているのかグッタリとして薄目を開けて翔は眠っていた。
その状況は、まるで4年前に酷似していた。
翔がこの世に生を受けて、川地の喜びも束の間、
翔は泣くこともできず、薬で眠らされ、
仰々しい装置に囲まれてベッドに横たわっていた。
家に帰った時には0時を回っていた。
疲労はピークを迎えているのに、眠くはなかった。
いや、眠るのが怖かった。
翔が発作を起こした時、うたた寝をしていなければ、
もっと早く異変に気付いたに違いない。
添い寝をして、あんなに側にいたのにどうしてもっと早く気付かなかったのか?
翔は必死でシグナルを出していたに違いない。
そう自責の念に駆られると、変な夢を見そうだった。
しかし、今後の事を考えると体力を温存しなければならない。
布団に入り、体を休めることにした。