社保審で転換型老健の論議が行われた。
秋田から実家の最寄駅まで、奥羽本線で40分の道程である。今は軽快な701系電車が走っているが、私が小学生の頃は蒸気機関車が客車をけん引していた。旅客用のC61型がメインだったが、ときおり貨物用のD51の牽く列車もあった。当時の国鉄は「無煙化」を進めており、ディーゼル機関車のDF50型、のちにはDD51型の独壇場となったが、相変わらずディーゼルエンジンの紫煙をあげていた。
蒸気であれ、ディーゼルであれ、秋田までは1時間かかっていた。1971年に秋田~青森間が交流電化され、ピカピカのED75型(700番台)電気機関車を見たときには眩しく感じたものだ。
当時私は小学校5年生で、学校で電化開業記念の下敷きが配られた。「かせん(架線)には、つよいでんきがながれています」、「せんろのちかくでは、たこあげをしないこと」とかなんとか書かれていたように思う。
未だに新幹線の駅のホームに、「胴上げ禁止」「クラッカー禁止」と書かれているところがある。大人になっても「たこあげは・・」のメンタリティの国なのだなあとつくづく思うのである。
そういえば当時は、秋田から上京するなど大旅行であった。クラスの同級生の中で東京に行ったことがある子は、ほんの数人という状況だった。飛行機に乗ったことがある子もいなかった。小学校4年のバス遠足が秋田市で、海っぺりにあった旧秋田空港で生まれてはじめてYS-11を見たときは本当に興奮した。
小学校で「遠足の思い出」という絵を描かされたが、私はYS-11を書いたように記憶している(これでも絵は県の作品展で入賞したことがあるのだ)。その頃は飛行機などという高価で怖い乗り物など、乗ることは一生ないだろうと思っていた(それが既に1,200回も乗っているなんて!!)。
そんな感慨にふけりながら実家に向かったのである。
東京駅8:56発の「こまち9号」で秋田に向かう。秋田まではちょうど4時間の所要時間で、東海道だと東京から広島までの所要時間にほぼ等しい。
今日は出張ではないので気も軽い。秋田着が13時近くになるのでお弁当とお酒を買って乗ることにした。昼からをお酒を飲んでいいなんて、普段のビジネストリップではあり得ないことだ。
東京駅に停車中に、前の列に座っていたおばさんに、あとから乗って来たおじさんが「ここは私の席ですが・・」と話しかけた。2人とも今日の11号車4番D席の切符を持っていたのである。結論を言うと、あとから乗ってきたおじさんはホーム向い側の山形行き「つばさ」の乗客だった。おじさんは慌てて降りていった。
こまちのグリーン車には、使い捨てのスリッパ、飲み物のサービスがある。ホットコーヒーをもらう。
仙台が近づくと曇り空になり、雪がちらついた。盛岡を出る頃、お昼にした。今日のランチは東京駅の「Dexee deli」のロコモコ弁当。
飲み物は赤ワイン。ワインは東京駅で買ったので、ちょうどいい温度になっていた。ワインだとスクリューキャップなので飲み残しても大丈夫と思ったが、それは杞憂であった。
盛岡を出ると、雪晴れのとてもきれいな車窓となり、いい雪見酒になる。
雪は音を消し、そしても色も消す。
雪が積もっている時、電車が近づいてもまったく音がしないので気をつけなければならない。そして雪原は、緑の木々と青い空、白い雪のわずか3色だけの世界となる。
「こまち」は田沢湖線を走る。在来線だが新幹線と同じ線路幅に拡幅されているため、直通運転ができるのだ。
田沢湖線は、並走する国道46号線と綾を織るように何度も交差しながら秋田県境の峠を上っていく。
「こまち」の運転士をしている幼馴染に「今日は仕事か?」とメールしたら、「もうすぐ仕事が終わる」という返信が来た(ということは、まだ運転中?)。以前、私が乗っていた「こまち」に偶然彼が乗務しており、駅でばったりあって驚いたことがあった。
秋田で青森行き普通列車に乗り換え、実家へと向かう。秋田から青森行きの電車のホームに降りたら、声をかけられた。さっきメールした幼馴染がわざわざ会いに来てくれたのである。発車までの10数分、停車中の電車の中で超ミニ同窓会をした。
(先ほどのメール返信は運転中ではなかったと本人が言っていた)
実家周辺のあいさつ回りを済ませ、秋田市に父と一緒に戻り、夕食をとる。実家滞在は2時間半程度だった。
今夜は父もいっしょに秋田駅近くのホテルに泊まる。
午前は某企業で打ち合わせ。
午後からはセミナー。手稲渓仁会病院副院長の樫村先生をゲストにお招きし、DPCと感染対策をテーマに開催。
終わって、銀座の伊東屋に行く。新しい手帳を買う。「L'AGENDA」というフランス製の手帳のリフィル(替え紙)である。カバーは別ブランドを使用している。
有楽町の駅の近くで「占い1,000円」の看板が目に付いた。よく見ると「1問1,000円」と書いてある。
「1問につき、1,000円で答えてくれるのですか?」と聞くだけで1,000円とられそうだ(?)。
明日は休暇をとり、秋田に向かう。秋田で父が独居しており、ご近所の方にいろいろとお世話になっているので、様子見がてらご近所へのフォローをしに行く。今年は厳冬であり、北日本特に日本海側は航空便にも遅れや欠航が生じている。
新幹線も強風で遅れたり、雪害による停電で立ち往生することもあって、どっちもどっちなのだが、まあ地道に目的地に向かって進む新幹線で行くことに。定刻に着くかどうかはまったくわからない。それこそ運を天に任せるという状況だ。
夜8時頃、オフィスで仕事をしていたら会長の藤田が外出先から戻ってきた。久々に会ったので、では打ち合わせがてら一献、ということになり、神田・須田町の美味しい餃子屋「天鴻餃子房」へ。
焼きソバに餃子盛り合わせ。紹興酒を呑みながら経営談義。
午後からは来客1件、打ち合わせ1件。その後外出、都内の某病院へ。偶然であるが、ある全国紙の記者による取材の場に同席することになってしまった。記者の方の質問の仕方や取材対象者とのやりとりなどは、見ていて勉強になった。
その病院での打ち合わせ後、直帰。都営浅草線に乗ったところ、たまたま京成線直通成田行きの快速が来たので、乗り換えるのも面倒になり、そのまま京成船橋まで乗り通す。
船橋でJRに乗り換え(やっと定期のルートに戻った)、津田沼へ。
パルコで本を2冊買う。
雑誌「プレジデント」は「年収2,000万円の時間術」という特集。
そして、梅田望夫さんの近著。
ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書 687)/梅田 望夫
これらとは別に、私が定期購読している雑誌がある。それは「日経ベンチャー」(以下、ベンチャー)である。
1月号は「経営目標を達成する技術」という特集。
ベンチャーは、病院経営者にとっても有益な情報がたくさん詰まっているように思う。日経ヘルスケア21だけでなく、ベンチャーも併読をお勧めしたい。
今日は、午前中歯科と内科のクリニックへ。
昨夜も別のクリニックに行っており、出張が続くと通院ができないので困る。
あちこちのクリニックにかかっているなどというと、満身創痍のように思われるかもしれないが、実はいたって元気。
SAS(睡眠時無呼吸症候群)と軽度の高血圧で、それぞれのクリニックに定期的に行ってるだけである。
行って、それぞれの先生とお話しすると、非常に現場のことがよくわかる。診察に行っているのか、雑談に行っているのか・・・というくらいだ
(今後、5分以上先生と話をすると、雑談でも外来管理加算対象になるのか??)
特定健診の面白い話 (←クリック!)も聞くことができた。
期間限定のじゃがりこ「ほんのり梅味」である。さっぱりとしていておいしかった。
もう梅の季節だなと実感。
あっという間に1月も終わりに近づいた。
今日は久々に出社。デスクワークなど。ミーティングも2件。
昼は神田名物の立ち食い蕎麦をかっ込み、夕方から外出。
武藤先生の「乃木坂セミナー」に参加。「アウトカム」に関するお話で、非常に役立った。
2月末に参加する予定のP4Pサミットに関するヒントも多くいただいた。
医療界で最初にアウトカム評価を行ったのはナイチンゲールだったということも初めて知った。
ナイチンゲールが、病棟の患者の死亡率をデータで出したのが最初ということだ。
今日は夜の「残業」があるため、懇親会は失礼させていただいた。
残念!!
以前から書こう、書こうと思って忘れていたネタをひとつ。
ある方からいただいたもので、とても気に入っている食べ物がある。
この「かいじゅうみそ」は、もろみが主原料だが、コチジャン、ちりめん、柚子の皮、にんにく、唐辛子などが配合されている調味料(味噌)である。
これは北九州のラーメン屋さん「魁龍 」(←クリック)で売っているもので、お店ではおにぎりにつけて食べるようになっているようだ。
ご飯やおにぎりのトッピングとしても美味しいし、昨夜は鍋のときの味付けに使った。
取り皿にこの味噌を入れ、野菜や豆腐、昨日は「キリタンポ」もつけて食べたところ、非常に美味しかった。
けっこう辛いので、冬場はとても暖まること請け合いだ。
似た調味料に新潟県上越地方の「かんずり 」(←クリック)がある。これは唐辛子を冬に雪ざらしと言って雪の上に3,4日さらし、その後3年かけて発酵、熟成させたもので、味噌汁に溶かしても美味しい。鍋にもいい。
「かんずり」は「寒作り」がなまったものだという。
暖かいところ、寒いところそれぞれの特性に合わせた調味料や香辛料を探すことは、国内出張の際の最近の楽しみでもある。
早起きして、8時過ぎに家を出る。
昨日と同様に長男が運転、今日の同乗者は私と妻。東関道(東関東自動車道)の側道であるR357を浦安方面へと走り、千鳥町インターから首都高速湾岸線に乗る。羽田空港を通過し、横浜方面へ。横浜のベイブリッジを渡り、高速の狩場線を経て、新保土ヶ谷バイパスへ。下川井インターで降り、中原街道を進む。行き先は神奈川県の大和市だ。
大和は、津田沼に引っ越してくる前に住んでいたところで、長男は小学校入学時、次男は幼稚園入園時に津田沼に引っ越した。その長男も大学を今年卒業するので(予定)、その前に一度昔住んでいたところに行ってみようとことになったもの。
当時の公団住宅はそのまま残っており、子供達が小さい頃遊んだ砂場や滑り台、自転車乗りの練習をしたグランドもそのままだった。
しばし感慨にふけり、そのまま藤沢方面へ。
運転は私に交代、勝手知ったる裏道を走り、戸塚の国立 横浜医療センターの前を通り、原宿交差点からR1バイパスへ。途中のレストランで早めの昼食。
戸塚からR1、狩場線を経て再び湾岸を走り、ちょうど1時間後に帰宅。
320のエンジンは快調で、現在のレブリミットである4,000回転まではスムーズに吹き上がる。
ブレーキを踏んだときの「キー」という音もしなくなった。ブレーキディスクが馴染んできたのだろう。
いまのところ、異常なしだ。




