2022.5.9現在

 

本日は、ロシア(旧ソビエト連邦)の第二次世界大戦の戦勝記念日らしいです。

ニュースで取り上げていました。

 

その中で、印象に残った言葉がありました。

 

ロシア国民の一言です。

 

「この日は、おじいちゃんおばあちゃんたちが、戦争を終わらせてくれた日。だから記念日なんです。」

 

戦争を終わらせることは、始めることよりも大変だと聞きました。

 

命を懸けて、何人もの人たちが動いて終わらせるものです。

 

時には、「犠牲」になる人もいるでしょう。

 

そんな人たちが達成した戦争終結。

 

日本でいえば、敗戦日になるのでしょうね。

敗戦の方が、より困難でしょう。

「日本で一番長い日」という映画でも、その困難さを描いています。

 

ロシアの軍事パレードを見ていると、どこかで「私たちが正しかった。戦争によって得たものが大きかった。だからこそ今日の繁栄がある」という気持ちが無意識にあるように思います。

自分たちの正当化をしてしまいますよね。

 

一方、敗戦した日本は、「反省」の70年でしたね。

 

自分が正しいと思ってしまうと、自分を顧みることがなくなります。

 

自分に気づくことがなくなります。

 

いわば、成長はありません。

 

過ちや苦しみがあるからこそ、人は立ち止まって考えます。

 

心理の視点もそこにあります。

 

自分が間違っていない。と思ってしまうと、なかなか自己成長はありませんね。

国も同じだと思います。

 

同じ過ちを犯さないためには気づかなければなりません。

 

第二次世界大戦で、本当の戦勝国はどこなのでしょう。

 

それは「その事」をより深く考えた国なのかもしれませんね。

 

今、自分のまわりに起こっている事象を目の前のことだけにとらわれてすぐに結果を求めるのではなく、自分が死ぬときにこそ、その事の本当の意味が評価されるのかもしれません。

 

「急がば回れ」という諺ではないけれど、

 

数十年後にどうなっているかの方が大事な気がします。

 

算命学でも、目先の幸運を追い求めるような鑑定結果だけではなく、

この人の人生全体を考えたときに、今は必要な時期と判断できることが多くあります。

そのことを忘れずに「占い」というものを活用できたらよいかと思います。

ここに、ただ当てものだけの占いとは一線を画した「帝王学」と言われる所以なのだと思います。

算命学は古代中国の王家に伝わる一子相伝の学問(軍略)です。

その知恵を十分ご自身の人生に活用なさってみてください。

「人を支援したい」という思いが強い人

 

支援を学ぶために、「支援される側」を経験することもあると思います。

 

そのために、今世においては「発達障害」に生まれることもあると思います。

 

生まれ変わりなんか無いとおっしゃる方もいると思います。

 

それはそれでよいと思います。

 

ただ、生まれ変わりひとつとってみても、人を見る価値判断に広がりが出ます。

 

今回の生だけの視点だと、「差別や偏見」が生まれる可能性も多いです。

 

人は「魂」を豊かにするために、さまざまな経験をするために生まれてきていると私は考えます。

 

だとすると、お金持ちが偉いとか地位や名誉が素晴らしい。

人の上に立っている人が人格者である。

 

などどいった見方がなくなります。

 

算命学からもその視点を学べます。

 

例えば、大運天中殺の陽転現象だと、実力以上の幸運が舞い込みます。

 

算命学を知っていると、それを自分の力のみで行ったのだと、勘違いしないようになります。

今回は、人の上に立つことを学びにこの運勢を選んで生まれてきた。

と考えるようになれます。

 

すると、ホームレスさんも、今回は家のない苦しみを味わう必要が魂の課題としてあったのかもしません。

(他にも課題はあると思いますが、例えばです)

 

このような事を知って、価値観を広げていければ、数年前に相模原で起きた「知的障害者殺傷事件」などは

起きなかったかもしれません。

 

神様を信じる、信仰心を持つ。不思議な事を信じる。

 

それは何もしないで「幸運」を期待する心ではなく、

視野を広げるためのものだと思います。

 

発達障害(大人になるまで気づかず苦しんでいる方もいます)で自己肯定感を削がれてしまっている方も

多くいます。

自分が障碍者だと受け入れられない人もいます。

 

でも、ちょっと視点を変えてこの世の中のことを見るだけで、受け入れやすくもなります。

 

不思議なことは体験しないとなかなか信じられませんけどね。

 

もちろん、今回の生では、現実優先の人もいます。

算命学でいると現実の星を多くもっている人ほど、その傾向はあります。

現実運で運をつかむ人は余計そうでしょう。

 

その人は、今世では「不思議な世界」は必要ないのだと思います。

 

ただ、もし余裕があるのなら知識として持っていてもよろしいかと思います。

 

人それぞれ生き方があります。

 

算命学や不思議な世界を知ることで、人を責める気持ちが少なくなることもあります。

何かのきっかけで「知って」みてもよいと思います。

今も変わらず戦争は続いていますね。

悲しいことです。

 

本日は、eスポーツと戦争の関係について、個人的な意見を述べてみようと思います。

 

eスポーツとは、簡単にいうとゲームで競い合いですね。昨今、急速に発展してきたように思います。世界大会も各地で開かれ、優勝賞金も多額です。

それを目当てに、プロゲーマーになる人も多くなっております。

 

この現象自体はとても素晴らしいことだと思います。

 

多様な生き方があり、人それぞれに得意なことも違います。

観客も熱狂できて、winwinな関係です。

 

私が注目したのは、昨今の戦争は人工知能や自動操縦による「魂なき兵器」が活躍し始めているということです。

 

近年、将棋や囲碁もAIには勝てなくなってきましたね。

 

では、AIを発展させるには、何が必要か。

元のデータは人間が行ったデータが必要だと思います。

 

そのデータもできればうまい人や強い人がどのようなパターンで勝利しているのかをAIに学習させる必要が最初はあると思います。

それをした後には、AI同志の対戦を数千、数万、それ以上にやらせてAIの技術を磨きます。

 

ここで、例えばドローン兵器があるとします。

ドローンを操縦する技術は最初AIにありません。

すると、世界各地のうまい方に集まってもらって、そのデータを収集しようと軍は考えると思います。

どのようにしてうまい人を集めるのか。

 

世界大会が一番手っ取り早いですよね。

 

より発展させるために、賞金を釣り上げてデータの数を増やそうと計画してもおかしくないですね。

 

昨今のeスポーツは楽しくてよいのですが。。。

 

世界の富は約6%の人たちが80%を占めていると聞いたことがあります。

(うる覚えのため、正確な数字ではありませんが、そのくらい少ないのは確かです)

 

その人たちが考えることは自らの利権のみです。

裏で何がなされているのかを考えることも必要だと思います。

 

今回の戦争に関しても、みなプーチンだけが悪いという印象が大多数かもしれませんが、本当にそうなのでしょうか。

プーチンがあの行動をするように仕向けた西側諸国の人たちの行動もあるのではないでしょうか。

日本では西側諸国に有利なニュースしか報道されません。

 

この戦争に「正義」はいるのでしょうか。

 

結局、この戦争で儲かっているのは何業界でしょうか。

 

今、世界で何が起こっているのでしょうか。

 

個人的にはバイデン大統領も発言は気になります。むしろ戦争をしかけているようにすら感じます。

 

だからと言って、プーチン大統領の行為は容認できるものではありませんが。

 

いつも犠牲は一番弱い立場の人たちです。

 

 

ものを多角的に観察する力は気づきの世界では大切な能力です。

是非、視野を広げる訓練をしてみてください。

算命学は、本来古代中国の軍略です。

(春秋戦国時代に栄えました)

 

その算命学の見地から動乱期の国家が

どのようなものか伝えられています。

それをお伝えしようと思います。

 

算命学から学ぶと

「国家は民を見捨てます。国家は国を保つことに全力を注ぎます。」

確かに、戦時中でも今のような動乱期でも国の対応は、そんな感じですよね。

では、算命学では民は誰が救うのか。

「民は地域社会が救う」とされています。

つまり、その土地の繋がりが人々を救うとされています。

 

今でいうと、大きくは首長さんであったり、または、市区町村、もっと

いえば、自治会などかもしれません。

 

国は何もしていません。宣言だけだして終わりです。

今は首長さんが集まって独自に支援しています。

医療を守ろうと大阪モデルというものも自治体レベルで工夫されています

 

昨日、安部さんが会見しましたが、みな期待したと思います。

でも、その期待は裏切られたと思います。

 

今、自分たちが期待して、力を入れて応援するのは、自治体です。

地域社会、隣近所の人たちの連携がとても大切になってきます。

ここに焦点を当てて、生き抜くことを考えたほうが良いと思います

 

国が何とかしてくれる・・・と踏ん張っても裏切られるだけです。

今こそ地域の連携が試されているときだと思います。

 

苦労してきた経験はありますか?と問われたら、みなさん何かしら思い当って「はい」とお答えするかもしれませんね。

人によって苦労って違うと思いますし、感じ方も様々ですので一概に比べるのは難しいですが、ひとつ思うことは、

 

一人で乗り越えられる苦労はそれほど大きなものではない気がします。

 

魂を向上させる程の試練(苦労)とは、人が何をしようと、どんなに努力しようと、手段を選ばずになりふり構わず行動してもどうしようもないものだと思います。

 

うつ病にならない俺は強い!なった人は弱いからだ。

仕事が軌道に乗っているのは俺が努力した結果だ。アルバイトで生計を立てるなんて努力してないからだ。もしくは、能力がないからだ。

お金=人の価値だ。俺は才能と努力でここまで来た。

金メダルと取った。

・・・・などなど。

 

人生の成功は運命学から見れば、運の支配下にあるんです。人には努力と才能と運が必要なんです。

そして、成功するには犠牲となる人が必要なんです。

その存在を無視して、自分一人だけの力だと考えるのは、ただの傲慢な考え方となります。

 

人生、生きているのは皆地上だし、同じ条件で生きているから、あとは人の能力や努力の仕方が結果を左右する。

と考えるのはしょうがないことだと思います。

 

でも、運命学を知ることで、自分は他人(または動物などあらゆる生命)の犠牲の上に立っているとわかります。

 

いくら才能があっても努力しても結果が伴わないということはどうしてもあるんです。

 

算命学は自然・大宇宙の理から生まれています。

人も木・火・土・金・水に分けられます。

 

例えば、草花(木)の人がいたとします。

この草花はどこに咲いているかです。

自然豊かな大きな山のふもとに一面に広がる花畑の一輪なのか、もしくは、都会の大通りのアスファルトの片隅に咲く一輪なのか。

 

山のふもとに咲く花は、厳しい冬が来ても、ベースがしっかりしているので耐えられます。

しかし、排気ガスにまみれた日陰に咲く花は、そこで必死に生きていくだけでも大変な上に、そこに真冬の厳しさがプラスされたら、それだけで生きていくのも困難です。

 

算命学の宿命(星)は、どこで咲いているかを表してくれます。

人生は平等ではないのです。

どの環境でその人が生きているのかがわかります。

 

重りをつけて100m走って15秒の人と車に乗って5秒の人を見分けることができます。

そして、巡りくる運勢によって、結果が良い方向にでる時なのか、悪い方向に出る時なのかもわかります。

 

例え、才能があって成功者といわれる人でも、悪い時期では結果が出ません。

宿命では人生のベースは整っているので、基本は成功ですが、たまに失敗しているねと見られる程度です。

でも、宿命から厳しく、しかも巡りくる運も悪い時期だとどうにもならないのです。

そこを調整するのが鑑定士でもあるのですが。

 

苦労の話ですよね。

 

どうにもならないことってあるんです。でもそれがその人の価値そのものではないのです。

 

それを理解できたら、もっと人は人に優しく接することもできるし、犠牲となっている人にも親切に接することができると思うんです。

 

各省庁による障害者雇用の水増しが行われることも少なくなるでしょう。

むしろ、大変な思いをされている方に感謝すると思います。

その方々がいるから、自分たちが豊かになれるのですから。

その人たちの犠牲の上に自分たちは立っているし、生活できているのです。

 

昔、人柱というものがありました。

洪水がおこると、神が怒っているといって、人身御供といって犠牲になる人を一人決めて死んでもらって災害を止めるのです。

これで、渋川村だったかな?助かっている記録もあります。TVで調査していました。

 

今、日本が豊かなのは、東南アジアやアフリカなど貧しい国があるからなのです。

これが理解できれば分け与えることはそんなに難しことではない気がします。

もっともっと人類が一つになれると思います。

 

人の犠牲は身近な人となります。基本的には親や兄弟、子ども、祖父母くらいの範囲が一番強いです。

 

ただ、スピリチュアルな観点から言うと、犠牲になる人も、それが自分の魂の向上につながるため、あえて犠牲になるところを選んで生まれて来てもいます。

だから、そのままでいいじゃないかではなく、修行中の魂は自分で乗り越えることは大事ですが、周囲はそれを必要な分はサポートする、それを見ているだけで、自分の学びにもなります。寄り添うだけでもいいと思います。

マラソンランナーを応援するような光景が、いろいろな場所でみることができたら世の中はもっと人のぬくもりであふれると思います。

 

自分でも何が言いたいかわからなくなってしまいましたが、とりあえず思うことをつらつらと書いてみました。

最後まで読んで下さりましてありがとうございます。

 

 

昨今、慰安婦像があちこちに出来ていますね。

韓国のNPO団体が中心になって活動しているんですかね?

よくわかりませんが、アメリカにも作ったようで。

 

私は、実際に強制連行された事実があるのかはわかりません。

 

日本は、韓国に対して、賠償金を支払ったそうですね。

こうこれですべて水に流そうという意味で。

 

でも、数年後この表な形で再燃しています。

 

別にお金を払ったのに・・というつもりはありません。

 

何が言いたいかというと、

 

日本という国が女性問題に対して、あまりに低い途上国であることが指摘の要因のように思いました。

 

やっと、昨年あたりに児童ポルノ所持で逮捕される法律が成立したり、強姦と準強姦だったかな?とにかくその線引きも曖昧だったか何かでこの法律が出来たのが明治です。それ以来、改定されずに来ています。明治時代はまだ女性差別が多かった時代だと思います。

強姦被害にいった女性は、裁判では被疑者を前にしなければならない状況や、それ程の思いをして勝訴しても200万くらいの損害賠償で済まされてしまう現状。今ではAVに出演する女性も、騙されたり、人身売買された子どもであったり。

出版業界はAV産業3000億円と言われています。そんなおいしい商売を潰されたくないと、出版業界に献金を貰っている政治家を通して、女性の性被害に対する法律の立法を阻止しようとしています。地元の議員さんに聞いた話では、法律にする前に、意見書みたいなものを提出するらしいのですが、それすら通らない現状。つまり、議論にすらならないらしいです。

 

このような日本の現状があるんです。

 

よく、スピリチュアルでは自分の問題は他人を通して映し出されたりします。キーワードとして、出てくることもあります。

敏感な人なら、相手とコンタクトをとるとその人のキーワードが出てきます。思わず口にしたり、行動でその人に示したり。(無意識にですが)

たとえば、盗みを働いている人がコンビニでバイトをしているとします。すると、敏感な人がお客としてくると、思わずレジでお金を渡すのを忘れて(ポイントカードやら携帯が鳴るとかで)立ち去ろうとする場面が表れます。

その人のテーマだからです。

 

これは、国でも同じ事だと思います。

 

確かに、慰安婦の問題は複雑で事実があったのか、どうやって解決するのか。もう、解決しているのか。などはわかりません。

 

お金を払ったじゃないかとか、銅像をあちこちに作るのはいかがなものか。姉妹都市を解消します。など

様々な意見がでて議論も飽和状態です。

 

 

でも、少し視点をずらして、なぜ、日本はここまで慰安婦問題を突きつけられるのか?と考えてみることが(自己を見つめる)必要だと思います。

 

そして、日本の遅れ切った女性への差別に気づいて、根本から正せるのであれば、次第に慰安婦問題も解消されるような気がします。

 

自分が理不尽な指摘をよく受けるというのであれば、それをテーマとした自分の本当の問題を見つけることが出来ると思います。

 

 

今日のブログは、一言で言ってしまうと

「感情とは自分の内側にあるものという事」です。(霊能者除く)

 

自分のものであり、一つ一つの大きさ(恐怖とか悲しいとか愛らしいとか・)も人それぞれとなります。

 

なせ、そんな事を思ったかというと、映画のCMを見ている時でした。

エイリアンだったと思います。

 

パニック映画なので、怖さをアピールするには・・・

と、CMプランナーの視点で観ていました。

 

エイリアンの姿はハッキリ映さない方が恐怖心が増すなぁと思いました。一応、映画製作サイドはエイリアンの全体像を作り上げていると思います。

ただ、それをそのままフィギアかなんかで見ても恐らく怖くないでしょう。

どんな姿か分からないから、想像が膨らみ、恐怖が増す。

 

全体像を見た瞬間、そこで頭打ちです。それ以上はないんです。

 

だから、製作者サイドで考えるなら、できるだけしっぽのクネクネとか、大きな口とか、しかも一瞬しか映らない。そうやって部分で出すことによって、人は勝手に恐怖の方向に想像(創造)して、自分の中の恐怖を喚起させていきます。

 

恐怖という感情は外から来るものではなく、内側から湧いてくるものだと思いました。だから、いくら製作者サイドが、こうやって飛び出したら怖いだろう・・・この口がこんなに大きかったら気持ち悪くて、後ずさりするだろう・・・とかいろいろな状況や実態を「恐怖」のために作り上げていきます。しかし、実際外側から恐怖を感じることは全くありません。全て内側からです。いきなり飛び出してくる得体のしれないものがいるという「(自分の)知識」があるから、恐怖がわきます。何も知らずに家に帰っても、そんな考えすらないため、普段は恐怖がわきません。しかし、一度、帰宅したら泥棒に出会わせたという経験があると帰宅は恐怖になります。

外側はあくまで「きっかけ」いすぎません。

自分が今まで経験してきたことや考えられることとその状況を結び付けて恐怖を感じています。

 

ミロのビーナスは腕がなくて、人々が想像するからこそ名作ですね。

 

また、人は未知なものに恐怖を覚えます。

 

話は変わりますが、心理学でアンダーマイニング効果というものがあります。

 

以下はどこかのHPに載ってあったものの引用です。

 

>アンダーマイニング効果という現象があります。人が自発的に進んでやっていること(専門的には、内発的動機づけに基づく行動といいます)に金銭的報酬が与えられると、一時的に行動は増えますが、その報酬がなくなると行動(やる気)は減少してしまうという現象です。自発的な行動とは、例えばスマホのゲームや、お年寄りに席をゆずるなど、進んで行っている行動と考えてください。もともとは何の報酬もなく行っていた行動に対して、1回すればいくらもらえるという金銭的報酬が与えられると、その報酬がなくなれば、自発的な行動は減少してしまう可能性があるということです。大学生が行うパズルゲームで発見された現象なので、全ての自発的な行動にあてはまるのかどうかはわかりません。とはいっても、興味深い現象です。人が自分の意志で誇りをもって取り組んでいること(子どもなら純粋に楽しんで行っていること)を金銭的報酬で操作することは難しい、時には逆効果になってしまうことさえある、ということを示唆するものです。

 

金銭でなくても良いのですが、何か「自分の行為」に対する「見合った報酬(返礼)」というキーワードがあります。

 

これ、私が考えるに、自分の行為とイコールもしくはそれ以上貰っていると、その行為が減少するという事に意訳します。

 

もし、自分の行為以下の報酬、返礼を頂いた場合、例えば、5歳の子どもがお部屋の掃除をしてくれた。毎週誰にも言われずに自ら行っていて、お母さんとしては嬉しくて、お礼のつもりで何かしてあげようと思いました。

 

そこで、

A:レストランに連れていき、大好きなものを食べさせることにしました。

 

B:大好きなチョコレートを一つだけ買ってあげました。

 

ここで、Aのプレゼントをもらった子どもは、そのうち掃除が嫌になるでしょう。(個人的価値観のため、詳細は省きますが、例え話です)

 

Bのチョコを貰った子どもは、正直対価が少ないとします。

すると、そのチョコに「自ら意味」を付け出します。自分で想像して掃除という行為に匹敵する報酬に認知を変化させる作業を無意識に行おうとするのではないのかなと思います。

こんなにありがたいチョコは他にはない。いつも食べているチョコとは一味違う気がする。母親の愛情が詰まっている。大いに感じる。と色々と自ら意味を付け加えていきます。

 

一方、Aのレストランは付け加える必要がありません。

十分にレストランを味わおうとせず、そのままただ喜べるからです。

 

そして、人の欲は無限です。

 

すると、どうなるでしょう。

 

この前、掃除したのだから、また、今度レストランへ・・・この前もしたのに・・・あれ?全然連れて行ってくれない・・・・

 

この考え方は、マイナス要素が入っています。それを感じてしまいます。すると、掃除することが、マイナスの感情を味わう事になり、嫌になります。

 

言葉にするとこんなような事ですが、もっと複雑でしょう。

でも、皆さんも同じような経験もされていると思いますので何となく分かると思います。

 

Bのチョコに思いを馳せて、幸せを感じようとする。

 

結局、幸せを感じているのは、自分の内側からのものを喚起しているからだと思うんです。

 

とにかく、エイリアンのCMを見て、感情は外には全くなく、自分の内側に全てあるのだなと感じました。

 

人は成長すると経験もあるので、認知が関わってきます。これも考慮に入れて説明もできますが、またの機会にします。

 

 

感情が全て自分の内側のものだとすれば、これは自分でコントロールが可能であると思います。

 

南アフリカ元大統領のマンデラ大統領はご存知でしょうか?

「黒人と白人を平等に」というアパルトヘイトの撤廃を訴えてきた人です。

当時は、大統領ではなく、政治犯として逮捕監禁されていた時代もあります。

その中でとても辛い経験をされていたそうです。

看守からの暴言、辱め、いじめなど様々あったと思います。

自尊心(人が生き上でのおおきなエネルギーですね)を根こそぎ奪うために、看守たち?が行わせた作業は、石を砕いて砂を作るという業務でした。これは一見単純そうですが、自分たちの自己効力感、役に立っているという感覚、自分の存在意義をなくさせるとても精神的に辛くなる作業になります。

(昔、拷問方法のひとつで、水滴を額に一粒づつ垂らすという方法があったそうです。一見なんでもないようですが、長く続けていると人は発狂するそうです。)

 

このような辛い状況の中で、マンデラ元大統領は気づいたそうです。

「彼ら(看守)がどんなに暴言を吐こうと、私を辱めようとしても、私の心の中で思う事は変えられない!私の心の中だけは、侵食することのできない唯一の領域である。だから、私が思い、その世界を創り出すことは私にのみできることであり、彼らが支配できる領域ではない」

と、いう事に気づいたそうです。(記憶により書いているため、多少言葉は違いますが、言っている意味はこのような事です)

 

これも、自分の内側にあるものと共通した考え方のように思います。

 

自分が感じること、自分が思う事は全て自分が決めているという前提がありつつ、その中でも、環境によって、幼少期に築き上げたものや親によって形成されたものなどが複雑に絡み合って、今が出来上がっていると思います。

しかし、元を正せば、自分が作り上げることが出来るものである。ならば、変えることもできると考えます。

これが認知行動療法であったりするかもしれませんね。

 

 

ブルーハーツさんの「終わらない歌」

 

私は、最初「歌が終わらない」という解釈をしていました。(基本、音楽は感覚で聞いているのでそんなに意味は考えていないという言い訳をしておいてあせる

 

「終わらない歌と言っても無限に歌う事は出来ないよなぁ」くらいの感覚で聞いていました。

 

でも、これ歌が永遠に続くという意味ではもちろんないですよね。

お気づきの方の方が圧倒的に多いと思いますがあせる

 

ブルーハーツさんの曲の話が最近よく出ますが、私は決して熱狂的なファンというわけではありません。いろいろと気づかせてくれる事があり、また、勇気を貰える曲でもあり、昔からちょくちょく聞いていたアーティストの一人ではありますが。

 

https://www.youtube.com/watch?v=laRZR6AUvaU&list=RDlaRZR6AUvaU

 

先日、9/4の夕方のニュースに自死された方の事を報道していました。

いずれも学生さんです。

ニュースでは3人の学生さんの事をお伝えしていました。その中の一人は私の地元の方でした。(全国版のニュースでしたので、日本各地の方の情報の中でという意味です)

夏休みが終わり2学期が始まるこの時期は、やはり思い悩む方が多いです。

ちなみに、先日8/21のお盆明けの最初の月曜日の早朝にも、地元の電車が人身事故で遅れていたそうです。それは、ニュースにはなりませんでしたが、私はたまたまスポーツクラブの受付で並んでいる時、後ろの中年男性がもう一人の方とお話しているのが耳に入ってきて知りました。

 

私は、ここで自死がいいとか、悪いとか言うつもりはありません。

 

自死は、一般論では語ることはできないと思っています。

1対1で話すことが大前提です。

その人その人で、事情や状況など様々です。

それを一般論にして「自死・自殺者(未遂者)」と名前を付けて語ることは結局対象者がおぼろげになってしまうように思います。

 

政府や支援機関が防止のために活動を行うことで議論するには、そういった一般論にしなければ、話が進まないこともあると思います。

それはそれで、いいと思います。

基本といいますか、ベースみたいなものが必要な事もありますし、それはそれで役に立つことも多いと思います。

 

ただ、そこから派生して「自死はダメ」とか言うのはやっぱりちょっと違うと思うんです。

 

悩んでいらっしゃる方が、目の前にいて「自死はダメです」とはなかなかすんなりとは言えません。

その方にとって「安らぎの道」「(視野が狭くなり)唯一の希望の方法」を根こそぎ他人が奪い取ることはあまりにも残酷のような気がします。

 

 

私は、自分の判断がわからなくなった時、いつも守護霊様ならどうなさっているのかをよく考えます。

 

それを考えたからと言ってすぐに答えが出るものではありません。

ただ、何かの指針になる事はあります。

 

江原さんも、昔、自身の守護霊様にどうしたらよいか尋ねたことがあるそうです。すると

「ここで答えては、ぬし(主)の人生ではなくなる」との返答だったそうです。

 

ただ、間接的な「気づき」のサポートはして頂いているように思います。

ただただ見ていることは(その人の状況に寄りけりですが)あまりないような気がします。

 

しかし、そのような切迫した状況になるとご本人のアンテナの感度も相当落ちているため、気づきにくくなってはいると思いますが。

 

少し話が逸れますが、TV番組のオーラの泉で、千原Jrさんがゲストで来た時の話です。

Jrさんはよく、大きなけがなどをなさることが多かったそうです。

ちなみに、Jrさんは、過去世で自死なさっているそうです。

 

そこで江原さんが言うには、

「過去生のその年代(今生で大けがした年齢)で自死なさっているからです。大けがをして、命の大切さを学ぶ(思い出し、二度と自死なさらないように怪我をしている)為」とのことでした。

 

これに付随して、私自身が思う事が、今生において自分が歓迎される土地と行きたくてもいけない土地(地域)はあるなぁと感じていました。

 

私の場合は、北陸にはどうしても縁がありません。バイクツーリングなどで日本全国周ったり、その他旅行なども好きでよく行きます。

 

北陸はバイクツーリングで行こうとしましたが、台風が来ました。それでも途中まで行ったのですが、段々体が冷えて、休憩しても体温が戻らず、しかも、道の駅に寄ったのですが、台風のため人もいなく、売店も締まっていました。それでも、向かったのですが、とうとう心折れた瞬間があります。

山道で、細い道路で前にはダンプカーが走っています。こちらはがちがちの体で視界も悪く、カーブでは滑らないようにと気を使いながら走っていました。すると、トンネルを抜けたカーブで、前をいくダンプカーが対向車と衝突してしまったのです。

ゆっくり走っていたおかげで、私たちは止まることが出来ましたが、ゾッとしました。

それで、友人と話して、やっと「諦めよう」ということになり、帰り路を走っていると、雨も止んで、少し暖かくなってきました。

「う~~でも、もうここまで戻ってきてしまったし・・・」と後髪魅かれながらも、さっきの事故もあるし・・・とそのまま帰路につきました。

 

北陸はそれ以来行く機会が全くありません。

(そういえば、長野に旅行に行ったとき、戸隠に行くため急きょホテルをとったのがたまたま新潟でしたが、そのホテルは・・・・重かったですあせる)あまり快適とは言えず、しかも戸隠を回っている間もあまりいい事はなく、ずっと冷たい雨が降っていました。

 

過去生では、戦かなんかでここで亡くなったんですかね?

わかりませんが、とにかくあまりご縁がないなと感じます。

 

沖縄もあまり縁がありません。

 

行くには行けたのですが、飛行機は那覇空港に着陸する時に米軍の飛行機が油を滑走路い撒いてしまい、その処理に2時間?近くかかったため、ずっと空で旋回していた記憶があります。

 

当時は、飛行機に乗ることも初めてだったため、そんなに気にしませんでしたが、今考えるとあまりない事ですよね。

 

逆に、ご縁を感じるのは下関です。

 

ここではとても親切な方と出会ったりと良い思い出があります。

 

これは土地の話ですが、先ほどのJrさんの話のように、過去生で例えば20歳で肺結核で亡くなったとしたら、今生でも20歳頃に肺の病とか、呼吸器とかの病気になったりとか何かと弊害が起きやすくなるのかもしれないなあと感じました。

 

やっぱり、江原さんの話を聞くに、今生と過去生は繋がっているのだと改めて感じます。

 

だからこそ、来世を作るのも今生からだと思います。

 

罪(カルマ)について算命学の先生がおっしゃっていたことがあります。

 

罪は消えないけど、今出来ることは「徳」を積むことです。

 

例えば、今生、人を殺してしまったとします。

 

あまりに殺し過ぎると今生で病気になりますが。

この話をするとまた話が脱線しますので、また次回にでも。

 

来世では、単純にそのカルマの消費のため苦しむ人生になるとします。

その時に、「徳」を積んでいると、苦しみの中に助けがあるという事です。(自分がしたことが返ってくるだけですが)

苦しみの中で、病院にいけるのか、それとも野原にいるのかはやっぱり違います。

生まれた国によっても全く違います。

 

だから、「徳」が大事だという事だと思います。

先生はそこまでおっしゃっていません。だから、聞いている受講生は罪が徳で消えると思う人もいるかもしれません。

だから頑張ると。

希望ですからね。

でも、カルマが消えないと教えてしまうとその努力すらしない人も出てくるでしょう。

だから、敢えて触れなかったのだと思います。

 

ちなみに、自死は自分を殺すという事で、これも殺人です。

 

体は自分のものではないというのが、インドのマスターたちの考え方です。あくまで、魂の住まう神殿。神からの借り物です。

 

さて、ここで質問です。

私は何が言いたいのでしょうか・・・。

自分でもわからなくなりましたあせる

 

 

最近、自死について書くことが多いですね。

 

このブログを読まれていらっしゃる方の中で、深く悩んでいらっしゃる方がいるのかもしれません。

どのようなきっかけでここにいらして頂けたのかはわかりませんが、このブログはそれ程読者も多くなく、閲覧数も極端に低いです。

でも、だからこそここに来ていただいたのは奇跡みたいなものだと思います。ただでさえ、幾多のブログやフェイスブック、ツイッターなどSNSがある中で、しかも、ここにたどり着くのはそれだけで奇跡だと思います。

私がお伝えしていることは、100%ではありませんし、むしろ、間違っていることも多くあると思います。

事実は証明出来ませんが、ご自身がお読みになってどう感じるかがとても大切だと思います。

 

身近に信頼できる方を一人でも見つけることが出来たら、あなたの勝ちです。

 

昔ジャングルで生き残りサバイバルをした旧日本兵さんの言葉です。

 

自分が生きるのに必要なものは半径200m以内に必ずある

 

と気づいたそうです。

 

きっと、あなたの周りにもいるはずです。

 

天中殺の方がトラブルに見舞われた時の対処方法は「人を介すること」です。

 

運悪く故障してしまったPCを治すのに、天中殺の自分がやっても同じエラーの繰り返しです。しかし、助けを求めると、その人のエネルギーが介入して「あれ?なおった」となる事が多いです。経験された方もいらっしゃると思います。

 

あとは、人を見極める判断と勇気です。

 

人の見極めは算命学で、自分の運のよい時期に出会う人、出会った人を参考にするのも有効です。

 

以前、自分のやりたい事に現実的サポートが役に立った人は、相性の面で運をあげてくれる人の可能性が大です。

 

むやみやたらに助けを求めると、傷つくことも多く、心が折れてしまいます。ここは戦略を練ってください。

算命学は古代中国の戦国時代に発展してきた学問です。

 

ただの占いではなく、生きるための活用方法を示してくれます。

 

算命学に限らず、きっと何かあります。

 

ご自身のペースで無理せず動いてみてください。

運命は「動き」の中にのみ存在します。

 

天体も動いています。日付が変われば、干支も変わり星も変わります。

 

動くために休んでください。

 

小学生の頃、登山の遠足の前に校長先生からのお話で印象に残っているものがあります。

登山をしていて、「もうきつい、ここが限界」と思ったところから、1歩進むとまた違った景色が見えてきます。その景色は、その一歩がなければ見れなかった景色です。そして、その1歩は、今までの自分を一歩だけ超えたことになります。そうして、一歩、一歩進んでいるうちに、大きな景色が見えてくることになります。きつい所から、ずっと先を見ても心と体はついていきません。だから、まず今の自分にできる一歩だけを考えるんです。その一歩は今までの自分を超えた、「新しい一歩、価値ある一歩」なのだから十分に味わいなさい。と。

 

どうせなら、今生で進めるだけ進んでおいてもいいかもしれませんね。

 

少しリラックスしてみると視野も広がるかもしれませんね。

 

最後にもう1曲

 Bon Jovi - Someday I'll Be Saturday Night

https://www.youtube.com/watch?v=8ZtPZueayXc

 

 

昔、ファミコンの時代(30年以上前の話ですね)に、スーパーマリオブラザーズというソフト(当時はカセットと呼んでいましたが)が大流行しました。今でもシリーズで出ているのでご存じの方が多いと思いますが、改めて簡単にゲームの内容をお伝えすると

 

1面から8面まであって、1-1~8-4という感じで、1面1面づつクリアしていくゲームです。最終面ではクッパが最後に出来てき、それを倒してピーチ姫を助ける物語?ですね。

 

最初は「3き」(命の数え方ですが、漢字がわかりませんあせる要は、3回チャレンジして、途中で死んでしまったら、そこでゲームオーバーというルールです。)

ゲームの途中には「緑きのこ」があって、「なんき(命)」も増やすことが出来たりもします。(1UPと呼んでいました。CMでもそう呼んでいたものがありましたね。)

 

このゲームって人生みたいだなあと感じたことがあります。人は課題を持って生まれてくると思いますが、それがゲームの1-1面であったり、2-3面等といった感じです。

 

ゲームで遊ばれた方は分かると思うのですが、最初は慣れていなくてすぐに死んでしまいます。そして、リセットしてもう一度…もう一度・・・やったー面クリア!!次・・・また、死にます・・・の繰り返しをしながら徐々に徐々に進んでいきます。

 

人生もあの世の魂の時代から、地球に生れ落ちて、失敗してまた生まれ変わって、同じ課題に取り組んで・・・ここまでいったけど、最後までいかなかった・・・・、でも次は、ちょっと進んでここまできた・・・というように、何度も何度もチャレンジしているような気がします。

 

1回やった人生では、途中までいくのは簡単になっていきます。「ここから先は初めての領域だ」となると、難しくなってきます。それを繰り返して少しづつ進んで、魂が成長しているような気がします。

 

大ヒットをするゲームや漫画というのは、「世の中の原理」が表れているように思います。神様は皆さんにお伝えしたいのですかね。

 

せっかく、奇跡のような可能性で産まれて生きているのだから、無駄にしないで十分「生きている時間」を有効活用できるようにというご配慮なのでしょうかね。それとも、製作者サイドが無意識に覚えているものを出しているだけなのか・・・それは、どちらでもよいのですが。

 

大ヒット漫画にドラゴンボールというのもありますね。その中に、「精神と時の部屋」というものがあります。神様の神殿に。

よく、悟空やベジータが入って修行をしています。

この部屋に入ると1日が1年になるとか(正確な数字は忘れましたが)で、いっぱい修行が出来るという事で、敵が3日後に攻めてくるとしたら、その3日を3年修行出来るようにしてパワーアップする形で使っています。

これも、その部屋がまるで地球のようだなと思いました。

 

あちらの世界にいては、修行もできなくはないけど、地球に生まれて修行する方が、はるかに短期間でパワーアップする、成長するように思います。

よく、「この世は修行の場」とも言われますしね。

 

ドラゴンボールはちょっと余談なのですが、スーパーマリオブラザーズを頭の隅に戻しながら話を進めると

 

例えば、今生で苦しい思いをしてもうダメ・・と思う事があると思います。

実は、そこがスタートラインではないかと思うんです。

 

それまでは、何度か生まれ変わっていて、そこまでは来ていた。しかし、ここからは未到達な領域で、この課題をクリアするために生まれてきた。と考えます。

 

もし、その「スタートライン」で死んでしまったとします。すると、またその面の最初からスタートとなります。

 

今生において、ここまで来るだけでも結構な苦労があった事と思います。でも、それは、今までの生まれ変わりの人生でもやってきた。だから、何とかここまでは来れる。しかし、この先がきつい・・・。以前もここで死んでしまった・・・・。

 

死んだら楽になると思うかもしれませんが、すると、来世は最初からやり直しです。ここまで来た苦労は水の泡です。

4-3面の途中まで来たのに4-3面の最初に戻ります。

 

ここまで来るのも、今生で苦労したのに、ここで亡くなると本当にもったいないなぁと思いました。

 

だって、また、苦労してここまでは来なければならないのだから。それも新たな課題ではないので、それ程進歩成長もない。

 

やっとここまで来たのに、死ぬのって勿体なくないですか?

 

4-3面の苦手な、あの攻撃を今回はやっと通り抜けてきたのに、ここで死んだら勿体ない・・・とゲームをしていて思う事もあったと思います。

 

苦しい。。。もうダメ・・・・と思ったところがスタートラインです。

 

生まれて、やっとここまで生きてきたんです。

これからです。

でないと、また、繰り返しの人生が待っているだけです。

 

苦しいのが嫌なら、もう、今生のこの1回で終わりにしたいですね。

 

自殺が推奨されないのはこういう一面もあるような気がします。

 

 

PS

そう言えば、大ヒットした「踊ってみた動画」の走りに、

「ルカルカ★ナイトフィーバー」というのがあります。

これは、作詞(作曲もかな?)した方が、インタビューで答えていたのですが、

ものの30分(1時間かな?正確な時間は忘れましたが、とにかく短く)で、すらすらと書き上げてしまったとの事です。

頭に浮かんできたものをどんどん書いていったらしいです。

おそらく「上の方(神様でも何でも呼び方はいいですが)」から使ってもらわれたのでしょうね。

 

しかも、これにダンスを付けたのが、動画で踊っている当時素人の女の子でした。(これをきっかけにアイドルになっています。あまりに再生回数が多かったため、事務所が注目しました。そして、恐らくですが、踊ってみたシリーズの先駆けのような気がします。これは推測ですが。)

 

「上の方」からしたら、音楽だけでなく、ダンスを付けた方がみんなに広がると思ったのかもしれませんね。まぁ、この女の子の人生もここで転換するように決められていたりとか、色々あったのでしょうが・・・。

 

とにかく、この歌詞がとても面白いです。

上の方がお伝えしたいんだなぁというのが良く分かる歌詞です。

 

キーワードは「守護霊様(神様、ご先祖様でもいいですが)」ですかね。

 

因みに、江原さんは寝ている人は普通の霊能者レベルに達するとも言っています。また、夢はあの世、高次元(別次元)への入り口、繋がるもの(これは江原さんは言ってません)。そして、寝ることはあの世との作戦タイムであるともおっしゃっています。

 

ここら辺の知識を先に入れながら、

ルカルカ★ナイトフィーバーを聞いてみてくださいビックリマーク

 

ただ、1点。

あくまで、この曲は「上の方」からのメッセージとして作ろうとしていたわけではありません。あくまでも、私個人的な解釈です。

なので、先ほどの先入観をもって聞くと、別に何ともない普通に本屋で売っているスピリチュアルな本の一つの考え方を歌にしたんだなぁくらいの感覚しか残らなくなります。

 

あくまで、曲と言いますか、音楽を楽しむ事が最優先の曲です。

 

これを書いていて、改めて聞いてみたのですが、神様はいつも間接的にお伝えします。なぜなら、ご自身で気づくことが何より大切だからです。

だから、この女の子にダンスをさせて「目くらまし」をさせたのかもしれないなぁと思いました。

私は、最初は何となくリズムがいいなぁとか、なんか引き付けられるダンスだなぁという感じで、何となく見てました。(ちなみに、この子は調舒星の極かなんかで、しかも4方向くらいから来ているため相当才能がある方です。前世でも踊ってたのでしょうね。とても引き付けられます。)

そんな感じで、何となく聞いて見て下さい。

 

https://www.youtube.com/watch?v=IpoR_xlslLI

 

 

「普通に生きてるけど、たまに疲れる・・・」

 

こんなこと思う時ってないですか?

 

真面目に生きてるんだけど、やっぱり人から謂れのない誹謗中傷を受けたり、当たり屋のように、自分のイライラを人に当てる人に出会ったり・・

 

1回2回なら、愚痴でも言って忘れることもできるけど、そればっかになってくるとさすがに大変ですよね。

 

それでも、自分を保つ方法を持っていれば、乗り越えることもできるでしょうが・・・。

 

あの人に会えば・・・。週末、イベントが待ってる・・・。受験さえ乗り切れば・・・・

 

人それぞれに生きるための「力」を発揮できるものが多少はあると思います。(ちょっとした希望と言ってもいいかもしれませんね。)

 

それが見つからない方は、ずっと心が沈んだ形になります。

 

すると、一番初めに書いたような言葉も、ふと思ってしまう事もあるかもしれません。

 

あんな言葉が駅のポスターにあったら。

 

ポスターだから、企業主がいて・・・何かを売ろうとして・・

宣伝しようとして、共感めいた言葉が書かれていることはあります。

 

でも、純粋に、疲れた人を「そっと支えてあげたい」「応援したい」という思いから、「言葉」を置くことはあんまり見かけませんね。

 

そんな温かな「気持ち」をそっと表現してくれる駅があったら、素敵だろうななんて思いました。

 

満員電車で、朝早くから出勤なさる方々は本当に頭が下がります。

 

いろんな方が駅を使います。

 

毎日使います。

 

1~2か所でいいので、そのようなスペースがひっそりあったら、それだけで救われる人がいるかもしれませんね。

 

昔、夜回り先生の話を聞きました。

 

ある家出の女の子が行く当てもなく、渋谷の駅をフラフラしていました。

帰れる家もなく、居場所もない。

 

そんな時に、夜回り先生に出会ったそうです。

正確に言うと、見かけたそうです。

 

その先生の目が、とても悲しそうで、心配そうな目だったと思ったそうです。

 

そのまま先生は行かれてしまったのか、見えなくなってしまったのかわかりませんが、その後は接触していません。

 

その女の子は「先生の目」に

 

「もしかして、私の事を心配してくれてるの?赤の他人の私のために?」と思った瞬間、気持ちがいっぱいになったそうです。

 

こんな私でも心配してくれる人がいる。

 

誰かに支えられる。思われている。ということは、人にとても大きな力を与えます。

 

「駅」の誰かはわからないけど、心配してくれている人がいる。わかってくれる人がいる。気にかけてくれている人がいる。と思えることは、その方にとってとても大きなものだと思います。

 

月曜日は、駅で亡くなられる方が多い様に思います。

 

また、一週間がはじまる・・・・。

 

同じことが繰り返される・・・。

 

不特定多数の人々が行き来するなかで、匿名の誰かが応援してくれている。と押し付けがましくない「支え」が必要な時があると思うんです。

 

「ウチこんないいことしてますよ。」「オリンピックがくるから何かアピールしたい」とかそんな動機ではあまりやってほしくないのですが、こんなことを実現してくれる立場の方がいらっしゃったら嬉しいなと思います。

 

それは言葉なのか、なんなのかはわかりませんが。

 

駅じゃなくてもいいと思うんです。

 

いろんな方の知恵がここに加わってくると、もっと良いものができるような気がします。

 

今日はお盆明けの最初の月曜日ですね。

 

無事に帰ってこれることは、とても大切なような気がします。