算命学プチ講座

 

皆さんはこれからご紹介する10個の星のどれかに当てはまります。

1人につき5か所でます。同じ星が複数出ることもあれば、バラバラな人もいます。

中心に出るとより傾向が強くなります。

 

第一回目「貫索星」です。

 

算命学は生年月日から、星を出します。

 

貫索星

 

独立独歩・マイペース・頑固・守備本能

 

「自分は自分、他人は他人」ときっちり線引きする星。自分の領土にずかずか入ってくる人には、猛然と攻撃します。

 

人の意見を聴いたり、協調しようという気持ちは薄いです。自分の好きなペースで、独自の道を自力で切り開いていくタイプです。

 

 

 

マイペースで頑固なため、規律の厳しい職場は苦手です。たとえ上司や取引先が相手でも、筋の通らない指示や命令には梃子でも動きません。ですので、組織で仕事をするよりも独立したり自営業を始める方が多くなります。

 

 

 

ひとつの事をじっくり取り組むタイプで決してスピードはありませんが、着実にこなしていくことが良い星です。なにかを同時に処理することよりも一つ一つ物事をすすめていくタイプ。

 

 

 

強い意志を持ち、人に迎合することなく、着々と自分のペースを守りながら人生を歩みます。

 

貫索星が本領を発揮するのは、ある程度のキャリアを積んだり、それなりの地位を得てからでしょう。

 

長い年月こそが、この人の運の味方となるでしょう。

 

 

 

面倒なことは自分から話すことがないため、沈黙の星とも言われております。

 

内面が弱いゆえに外側を強くし、自分の思い通りにならない環境ほど頑固さ強まるので、どのような環境で育ってきたかが星を輝かす上でのポイントとなります。

 

つまり、人生思い通りにならないことがポイント⇒苦難・苦渋が人生の栄養素となるのです。

 

 

 

開運法としては、中心星の場合は、兄弟がいることや友人が多いことが良いとされております。

算命学プチ講座

 

皆さん10個の星のうち、どれかに当てはまりますので、

当ててみてください。

※1人につき星は5個出ます。同じ星が複数出ることもあれば、バラバラの人もいます。

中心に出るとより傾向が強くなります。

 

第二回目 「石門星」です。

 

キーワードは、協調、和合、集団、社交性、説得力です。

 

単独行動よりも、集団行動を得意とするため、友人知人を多く作ることが得意です。

そのため、社交性の星とも言われております。

 

守備本能の星でもあるのですが、一人で何かを守る貫索星とは違い

「集団」で何かを守っていく星となります。

 

兄弟でも年下の兄弟を示すため、この星の人に弟や妹がいると

なんとなく守ってあげたくなるような気持ちになりやすいです。

また、そのような行動が開運につながって参ります。

 

説得力やリーダーシップの星でもあり、組織の長としての器もあります。

清濁併せのんだ集団を形成することが得意です。そのため、政治家の星、実業家の星とも

言われます。

 

人付き合いの多い星であるために、家庭を顧みない方が多くいらっしゃいます。

家庭だけにおさまっていられないので、仕事を持ったり、人付き合いの広さを保ちながらエネルギーを

縦横無尽に発揮していくタイプです。

 

あまり上下関係にとらわれない星のため、目下からは好かれますが、目上からは非常識なやつだと

良く思われないこともあります。

 

この星は責任を分散して、リスク回避する傾向もあります。

 

 

 

 

 

心の勉強をしていると、

 

「こころをオープンに開きなさい」

 

というメッセージを受けることがあると思います。

 

オープン?とはどういうことをすればいいの?

 

感じやすくリラックスしていることかな?

 

フィーリングに敏感になること?

 

ゆったりしてたら「言葉」がおりてくるとか? 

 

などなど、いろいろ試行錯誤してしまいます。

 

本日も、その言葉を受け取りました。

 

その時、思ったんです。

 

「条件付けないこと」

 

あ、そいういうことか。と気づきました。

 

心をオープンにしていると、いろんなチャンスがやってきます。

 

その時に、自分の中で「条件付け」していると、

 

これはダメ、あれはダメ

 

と、せっかくのチャンスを逃してしまいます。

 

「こころをオープンに」という間接的な表現にとどめて、

自分で気づかせる。

 

これが、本当の意味での気づきのレッスンなのだと思います。

 

自分でやるからこそ、自身の向上につながります。

 

ただ、人から言葉をもらうだけでは、知識しか増えません。

 

気づきのメッセージは常に間接的です。

 

人生はその人のものだから、必要以上には手出ししません。

 

よく、予言の書なども、抽象的であったりします。

 

それはヒントであって、自分で気づくことが大事だからだと思います。

 

心理カウンセリングもそのような側面があります。

 

認知療法を開発したベックも、

 

研修に来た若いカウンセラーに対して、

 

「それはあなたが言うべきことではない。クライエントが気づくことだ」

とアドバイスをしていたことがあります。

 

全ては自分から。

 

ゲシュタルト療法でも

 

スタート フロム ウィズイン(自分から始める)

という言葉があります。

 

そこに気づくと、さらに視野が広がっていくことでしょう。

ある方が、こんな事をおっしゃっていました。

 

「何かやろうとしても、やる気が出ないというか・・・」

 

「これをやろう、あれをしなきゃと思うんですけど、頭で考えると、でも、こなこともあるし・・、あ~やっぱり無理だなぁなんて結論になって、結局行動に移れないんです。」

 

例えば、転職活動をしようと探してみるのですが、過去の嫌な思い出や自分の能力の低さが頭をよぎって、「どうせ、また同じことが起こるし・・」と自らの頭が未来を決めてしまって、結局、「やっても無駄」と行動しない。

 

このようなとき、何が起こっているのでしょうか。

 

心理学では、自分をメタ認知(斜め上から見る)ことが大事と言います。

 

これは文章にして伝えているので、わかりやすいと思うのですが、

 

「自分で自分の行動を制限している」

 

ということに気づくと思います。

(当の本人は本当に意味で気づいていないので、ぐるぐる同じような事を繰り返します。)

 

一見、「やる気が出ない」

と聞くと、体調が悪いのか、

または、計画を立てるのが苦手なのか、

などなど、思いつきます。

そのようなことも実際あると思います。

 

しかし、よくよく話を聞いてみると、

 

「自分に縛られているだけ」

 

のことが多いですね。

 

過去の経験により、未来を「勝手に」決めてしまっている。

要はあきらめてしまっている。

もうちょっと、深く言うと、

もう傷つきたくない

とか、

「ダメな自分に直面したくない」

とか、

「失敗をするのが怖い」

 

などが隠れていると思います。

 

「やる気が出ない」

の裏側を自分なりに探ってみることが重要です。

 

相談者は、最初はなんとなく気づいています。ただ、直視できないだけです。

しかし、年月が経過していくと、

その本心すら忘れて、本当に「やる気が出ない」

状態のみが表面に表れてきてしまい、

「どうしてだろう?」

と本気で悩みます。

 

いつの間にか、「やる気が出ない」面が大きく育ってしまったのですね。

 

そうすると、その奥にある本心にはたどりつけづらくなります。

 

これを解消するのが心理療法であり、

本音に気づくワークショップだったりします。

 

だから、「ありのままみつめる」ことがとても重要になります。

最初からありのままに自分を受け入れていれば、

「やる気が出ない」面はこんなに大きく育ちません。

 

また、育ったとしてもいったん、そこから離れて客観的に自分を見ることができれば、本心に気づけます。

一人では難しい時には他の人と自己探求をしていく方法もあります。

これが一種のカウンセリングであったりします。

 

心理カウンセリングでは、「答えは自分の中にある」

とよく言いますが、実はこのようなことですね。

 

自分を操っていたのは、実は自分だった。

 

そんなことで、本来輝ける自分の才能を押さえつけないでくださいね。

 

本来の自分を取り戻したとき、素晴らしい人生が待っていると思います。

 

是非、自己探求を!!

 

 

 

「がん」になるとショックですよね。

 

苦しいことも多いと思います。

 

そのような日々が続くと、人は現実を受け入れられなくて、

時に他罰的になったりもするでしょう。

 

「このがんさえなくなれば・・・」

「このがん細胞があるから、苦しいんだ」

と考えるのが普通ですよね。

 

ただ、ここで少しだけ視点を変えて物事を見てみることもしてもよいかもしれません。

 

がん細胞は、生まれた時から私の体に悪さをしてきたでしょうか。

 

違いますね。(ほとんどの場合)

 

がん細胞だって、最初からあなたに悪さをしようとしていたわけではないのです。

 

自分自身が「がん細胞」にしてしまったのだという意識が必要かもしません。

 

がん細胞も元は私のために必要だった、普通の細胞。

それが、「がん」にならざるえなかった生活をしてきた。

 

むしろ、「がん細胞」は被害者のようなものです。

無言に、私たちの(無意識による)「悪しき習慣」によって生まれたものなのです。

 

がん細胞と呼ばれるものは、無言で何十年と闘ってきてくれた細胞です。

 

私たちのために。

 

それが力尽きて、細胞が「腐ってしまった」。

一番の被害者は「細胞」です。

 

「申し訳ない」と思うのが人の心ではないでしょうか。

 

「無茶させさせちゃって、ごめんね。」

「苦しかったよね」

「気づいてあげられなくてごめね」

 

このような言葉が浮かんでくると思います。

 

「お前が悪さをするからだめなんだ」と責める前に

もっと事情を冷静にみつめてあげることも大事かと思います。

 

そういうことに気づいていくと、世の中も同じような人間関係になっていないでしょうか。

 

算命学では、幸運の人の影には、多くの犠牲運があると説きます。

 

運が良い人の裏では、多くの犠牲を払っている人がいるからこそ、その人が幸運になっているという技法があります。

 

「あの人が、発達障がいで仕事ができなくて、もう迷惑だわ。辞めてくれればいいのに。そうすれば仕事も効率的に運ぶのにな」

 

これは現実主義・効率主義の成れの果てです。

 

その発達障がいの人がいるからこそ、その組織は成り立っているのです。

もし、仮にその発達障がいの人が辞めてしまったら、数か月後、また別の問題が、今度はその組織の別の人から出てきます。

 

自然界とはそういうものです。

 

世界をとってみても、貧困国と言われるような国があるからこそ、先進国の豊かさが維持できているのです。

この真実に気づいている「支配者層」います。

 

だからこそ、自分たちの富を維持するために、わざわざ「貧困者」を作り上げている社会的構造もあります。

 

※ちなみに貧困国とは、経済的なことであり、心の豊かさはむしろ逆ではないかと思っています。苦労している人ほど気づきます。人に配慮ができます。

 

このような事実に気づけるのは、やはり苦しんでおられる人だからこそ、「考える」のです。そこで気づきが生まれます。本当の意味での気づきです。体験しているからこそ、心の奥に「ストン」と落ちるのです。

 

がんで苦しみながら、このようなことに気づけると、「がん」を経験したことにより気づきを得られて、その後の人生において大きな意味がある経験となるでしょう。

 

何事にも意味があります。

 

ちなみに、現代の日本人は2人に1人ががんになる時代です。

原因は様々ですが、食品添加物の要因は大きいと思います。

そのような食品添加物まみれの食生活を送ってきた、悪しき習慣を見直してくださいという体からのサインかもしれません。

 

「がん」という中に、いろいろな声があります。

その声に耳を傾けてあげてください。

 

 

 算命学では、病気になりやすい年というものが、数年に一度回ってきます。

(これは人によってバラバラです。)

 

前回の天中殺の記事でも書きましたが、

 

「病気になりやすい年」が回ってくるのは、誰もが嫌な年と思ってしまいますよね。

 

ここで、心を「病気」に集中してしまうと、病気にかかりやすくなります。

神経質になって、必要以上のものを引き寄せてしまいます。

 

これでは、算命学(占い)に振り回されている人生ですよね。

これではもったいないです。

 

「病気になる」ということは、それまでの数年間で、自分が体に対してい行ってきた「悪しき習慣」などがあるからなるのです。

その年や病気の星が悪いのではありません。

 

全て身から出たサビなのです。

 

こうとらえることができると、また人生が少し変わります。

 

今までは何ともなかったけど、今年は病気が浮上しやすい(目立つ)のだな。

 

もし、この「病気になりやすい年」がなければ、そのまま隠れたままで、悪しき習慣を続けていて、しまいには取り返しのつかない大病などに見舞われることも多々あります。

 

その意味では、「病気の年」は神様からのサインの年なのだと思います。

 

例えば、肝臓が痛み出す。

調べてみたら、血液に異常が見つかった。

 

そこで、どう思うかです。

 

今までの自分の生活を見直すのか、

病気運だから、そうなったんだと運命のせいにするのか。

 

何かが「おかしい」から病気になるのです。

 

それに気づいてくださいねという年としてとらえると、

占いを「活用」した、豊かな人生が送れるようになると思います。

 

当たる、外れるから「活用」に意識を向けれる人が増えたらいいですね。

算命学には天中殺という技法があります。

人は全員6種類の天中殺のどれかに属しています。

 

天中殺とは、簡単に言うと運の低迷期です。

 

ですので、天中殺を知っておられる方は、

「今は天中殺だから運悪いのよね」とか、

「来年から天中殺だ、いやだなぁ」といったような気持ちになりがちです。

 

話は少し変わって、本日NHKの番組で「玉鋼(たまはがね)に挑む」というものを見ました。

玉鋼は刀を作る元となる鉄のことです。

 

鉄を熱して、叩いて、冷やして、また熱して・・・を繰り返して

刀は作られます。

 

しかし、ただの鉄を熱して叩くと、すぐに割れてしまうのです。

そこで、「玉鋼」という鉄のかたまりを3日3番作り続けるのです。

 

ここで、勉強になったことがありました。

 

鉄に不純部がなければ、すぐに割れてしまうそうです。

鉄を熱しても、粘り気があり、柔軟なものにするには、この不純物がどうしても

必要なのだそうです。これはなぜなのかはわかっていないそうです。

 

人が何か作り出そうとして人工物になると、「きれいなもの」「整ったもの」を

求めてしまいます。

しかし大自然の理は違うのですね。

 

一見、不要なものが実はとても重要な意味を持っているということです。

 

「不純物」という言葉自体、人間が名付けたものですよね。

 

自然界には不必要なものは何一つないということが、この古来の伝統的な

玉鋼作りからもうかがえます。

 

算命学も大自然を大切にします。

 

天中殺も一見、人にとってもは嫌なもの、避けたいものです。

なんとかしようと、浅はかな人間は考えます。

しかし、人をより成長させるためには、とても重要な時期なのだと思います。

いいことばかりの人生では、すぐに割れてしまいます。

天中殺という厳しい時期を経て、人はひとまわり大きく成長するのだと思います。

あまり「いやだいやだ」と思って迎えるのではなく、「ありのまま」受け入れる、

そして、それを真正面から受け入れて、四苦八苦しながらも天中殺を終えたときにはきっと人間的成長があるのだと思います。

 

これを悪い時期だから・・・と考えていると、天中殺に振り回されて、結局傷ついただけの時間になってしまうでしょう。

この心の持ち方が、占いを活用する大事な要素になると思います。

算命学(占い)に振り回されるのではなく、算命学(占い)を活用する。

そんな心の持ち方ができると良いですよね。

 


「正しい行いは、きっと周囲が理解する、受け入れてくれる、わかってくれる」

 

という、信念を持ってはいないでしょうか。

 

私たちの教育は、「正義は勝つ」と信じて教え込まれてきました。

 

漫画の世界は特にそうかもしれませんね。

特に一世代前のドラゴンボールや、現代ならワンピースなど・・

 

これも一種の教育ですよね。

 

「私は正しいことをしているのに・・・」

悪いことをしている人がのうのうと生きている。笑って生きている・・・

 

この信念が心の奥にある時、怒りが湧いてきます。悲しみが湧いてきます。

虚しさが湧いてきます。

 

この感情に気づくことがまずは大事です。ここが土台です。

自分が何を今感じているのかを見つめて気づくのです。

 

その次に

 

心理学や心理療法を学んだ人なら一度は聞いたことのある言葉

 

「ありのまま」

「今ここにいる」

 

これを言い換えるならば、

 

「判断しない」

ということです。

 

何かをしたとき、「正しいことをしたから、周囲は受け入れるべき」

「正しいことをしたから、悪は反省すべき」

「正しいことをしたから、周囲はわかってくれるべき」

「正しいことをしたから・・・・」

 

現実は、「ただありのままに存在するだけ」です。

 

正しいとか間違っているとかは「自分だけの判断」です。

 

自分に感情があるのは分かった。

それは自分のもの

 

それとは別に

 

他人がどう思おうが、感じようが、考えようが、それは自由

 

自分と他人がいて、何かが起こって、何かを感じた。

 

ただそれだけのこと

 

「期待」は裏切られます。

 

「期待」はコントロールです。

 

「期待」は「自分だけの判断」です。

 

正しいとか、間違ているとか「判断」しないことが大切だということです。

 

そして、感情は全て自分のものです。

 

他人が陰口を言ったから、傷ついた。

 

傷を持っているのは自分(の過去)です。

それに反応しただけで、浮かび上がってきただけのことです。

 

他人がいるからいらいらする。のではなくて、自分の中にあるものが浮かび上がってきただけです。

 

このような事実に気づくと、他人に左右されない自分を確立できます。

行きやすくなれます。

周囲に影響されずに済みます。

 

例え、影響を受けたとしても、それが悪ではありません。

ただ、影響を受ける自分がいるんだな。

と気づけばいいのです。

そして、その奥にある自分の課題に焦点を当てるのが心理療法です。

 

現実の世界を判断したとき、苦しみが増します。

 

現実をコントロールしようとしたとき、苦しみが深くなります。そこにゴールはありません。あるのは自分の内側にだけです。

 

感情は自分を豊かにしてくれます。魂を磨いてくれます。

感情を拒否しないでください。

苦しくて鈍麻させてしまう方もいらっしゃいます。

できれば、自分が感じていることをそのまま認めてあげてください。

そして、ポジティブもネガティブも全て受け止めて、それをそのまま背負ってまた歩き出せばいいだけです。

 

どうせ歩くのなら楽しい気持ちで歩きましょう。

 

心は自分の「意志」で変えられます。

 

心は道具にすぎません。

 

体も、生きるための道具です。

 

この世で生きて、経験して、魂を磨くための道具です。

 

道具に振り回されないでください。

 

私たちは「意志」があるのです。

 

感情も道具です。

 

意志が私です。

(いしとは医師とも書きます。自分を治すのは自分の中にあるのですね。日本語はおもしろい。神様はこうやってヒントをくれていると感じるのは私だけ?)

 

 

これを言っているのがサイコシンセシス(心理療法)です。

 

是非、人生の羅針盤として活用なさってみてくださいね。

大都会の雑踏の中で、多くの人が行きかう中、

「私はここに存在しない。いるけどいない」

という発見をした方がいらっしゃいました。

 

つまり、多くの人がいるにもかかわらず、誰一人「私」に注意を払おうともしない。興味もない。

通行人の一人。だけど、そこに意識はない。

 

だから、「私がいない」

という感覚になったのだと思います。

 

おもしろいですね。

心理療法の視点センスは抜群です。

 

次に、そこからもう少し深ぼってみると更に面白いことに気づきます。

 

さっきのセリフ「私がいない」は、

言い換えると、他人に意識されていない。ということですよね。

つまり、その人の「私」は他人軸なんですね。

 

もし主体的に生きている人であれば、他人に意識されようがされまいが、

「私はここにいるし、あそこにいく」

我のみの世界の考え方です。

 

つまり、前者は、常に他人の評価や判断に重きを置いて人生を渡っていることが多いといえると思います。

自分で気づくなら、「他人を意識しすぎている」「もっと自分らしく生きる」方がよい・・・と。

 

そうすると、自分で自分の心の癖に気づきます。

 

※では、余裕がある方は、その次です。

「私らしい生き方」「私はわたし」の意識だけが全てではありません。

「他人」に意識される自分と私が意識する自分が交互になってこそ、

「私らしさ」に気づけると思うんです。

 

算命学でも陰陽の考え方を大切にします

2個一です。

 

ただ、先述の方は、他人を意識し過ぎた人生だったので、バランスをとるために気づく必要があるのです。

 

なんでも片方だけではだめですね。

 

お月見だって、満月だけみたら「片見月」となってしまいます。

 

バランスは算命学では守護神。

考え方を応用すれば気づきに更に近づいていきます。

 

気づきには教養と知識も必要です。

頭は使わないとよく言われますが、必要です。

要は、使い方です。

そこを間違わなければどんどん使ってよいと思います。

 

だって、あるんだもん。あたま。

 

不必要なものは人間の身体にひとつもないでしょう。

だって、神様がつくったものだから。

前回と似ているお話です。

 

仕事で、よい成果を上げたと思っても、会社の評価は全くないことも多くあります。

 

「成果を上げたら、評価される」という思い込みですね。

 

ここで、「思い込み」と思えることが大事なんです。

 

自分を顧みるとはこういうことです。

 

時に自分の弱い面を見ることになるので、挫折する方もいらっしゃいます。

 

コツは

「ただあるがままにみる」ことです。

 

なので、よわいとか、いいとか、悪いなど判断しないことができるかどうかが第一関門ですね。

 

話を戻します。

 

ですので、他人の評価を期待して努力するのは、裏切られます。イライラします。

(イライラするのも勉強ですが)

 

では、どのようなモチベーションで仕事をしたらよいのか。

 

よく、スピリチュアルな観点では、

「全てのことは天とあなたとの間で起こっていることです」

と言われます。

 

天は神でもなんでもよいのですが、ひとつの比喩としてとらえてもよいです。

 

仕事で、他人の評価を期待してやるのではなく、

どれだけ思いを込めたか。

これが大切になってきます。

この思いは天に届くそうです。

何をどのような気持ちで行っていたか、ずっと見ているそうです。

「もの」をぼんっと置くのか、丁寧に置くのか

これも気持ち一つです。

 

本日、お坊さんのお護摩を拝見させて頂きました。

お坊さんが扇子を投げて置きました。

お坊さんにとっては毎日のことなので、「慣れて」しまったのでしょうね。

 

毎日同じことをしていると、気持ちがはいりません。いい加減になるのが、人の心です。

 

ただ、同じことを毎日していることで、気づくこともあります。

だからこそ、空海さんや仏教は、同じお護摩を毎日数回行うことを課して、そこから気づくことを促しているのだと思いました。

私たちの日常でも同じだと思います。

 

少し話が反れました。

 

他人は、他人の価値観で「私」を見ます。

それは正当な判断ではありません。

 

簡易な行為にも「意味を見出す」自分なりに考えることが気づきにつながります。

 

お釈迦様と弟子のエピソードです。

 

とても物覚えが悪い仏弟子

さて、お釈迦様に、周利槃特(しゅりはんどく)という弟子がいました。

優秀な兄の勧めでお釈迦様の弟子となった周梨槃特ですが、優秀な兄とは反対にとても物覚えが悪く、時には自分の名前も忘れてしまうほどでした。

他の弟子たちと一緒に修行に励むのですが、一生懸命に努力はするものの他の弟子たちについていけず、次第に周利槃特は周りから愚か者とバカにされるようになりました。

そんな状態が続き、ついに周利槃特は修行をやめる決意をし、お釈迦様のもとへ行きました。

修行をやめることを告げに来た周利槃特に、お釈迦様は一本のほうきを手渡し、「掃除をしながら『塵(ちり)を払い、垢を除かん』と唱えよ」と言いました。

周利槃特はそれなら自分にも出来そうだと思い、お釈迦様に言われたとおりにほうきを手に取り掃除をはじめました。

しかし、最初は『塵を払い、垢を除かん』を唱えていると思えばほうきを忘れ、掃除をしていると思えば『塵を払い、垢を除かん』と唱えるのを忘れてしまう言った具合でしたが、ただひたすらに『塵を払い、垢を除かん』と唱えながら手を動かし掃除を続けました。

そして、長年続けていくなかで周利槃特は「塵とは何か、垢とは何か」ということを考えるようになっていきました。来る日も来る日も掃除を続けた周梨槃特、ついには自分自身の心に積もった塵と垢に気付き、それらを捨てて離れることによって悟りを開きました。

誰にでもある「やっかいな癖」としての心の中の塵と垢

「心の塵、心の垢」とはこれまでの経験・体験・習慣によって自分自身の中に作り上げてしまった「偏った物事の見方や思い込み、執着の心」のことです。

周梨槃特はこれらを自覚し捨てることで、苦しみを離れて心の安らぎを手に入れることができたのです。

 

どうでしたか?

 

心の塵への気づきは人それぞれなので、答えは一つではないと思います。

 

 

また、話が脇道へ・・・

 

何が言いたいかと言いますと

仕事をはじめ、物事をするときには、自分と「天」との間でしか起こっていない。

そうであるなら、ごまかしは聞きません。そして、それ相応のものが自分に返ってきます。

他人を軸にすると、ごまかせるし、いい加減でも事が済みます。

 

どちらの道を選ぶかは自分次第です。

 

そして、「込めた」仕事は自分を成長させます。

不要な感情を湧き上がらせることもありません。

成長によりこころが穏やかになるかもしれません。

 

考え方やとらえ方ひとつで世の中の見方が変わります。

 

スピリチュアルや占い、心理の視点を十分に使って、「今までの自分を疑い。世の中をありのままにみる」ことができると自分の気持ちも整理しやすくなるでしょう。

是非チャレンジしてみてください。

 

また、スピリチュアルや占いはただの「幸運探し」だけに使うのではなく、哲学として使うことで人生が豊かになります。

是非そのように使ってみてください。