私は、なんのために生きているのだろう
ふと頭によぎりました。
毎日毎日「今日はこれをして、明日はあの人に出会って、来週はここに行って・・・」
忙しい日々がいつしか、ただ作業をこなすだけになっている時にふと思ったのです。
効率的に時間を使うことにどれだけの価値があるのか。
その分、うしなわれているものがあるのではないか。
「いつの間にか」忙しくなっている。
心を亡くした「忙しい」という文字
明日の不安のために生きていないか
安心を求めて、日々を疲れながら生きていないか
安全が確保できたとき、ひと段落して落ち着くけど
忙しさに慣れてしまった心は、いつのまにか
ゆったりと時間を過ごすことができない体質に変化しているかもしれない。
そうなってしまったら、例え安心が確保できても、
落ち着かない日々を送るでしょう。
それが当たり前になってしまっている。
死なないために生きる
安心のために生きる
それで本当の自分を生きているのだろうか。
偏りすぎてはいないのか
昨日、世界的登山家のK2登頂への挑戦を記録したTVを拝見しました。
最終的に痛ましい事故で終わってしまいますが、
では、挑戦しない人生は彼ら登山家にとって本当に「自分らしく生きている人生なのか」
最後に「死」があるから、好きな登山をしない
まったく別の人生を安全に生きる。
これで、彼らは本当に幸せと言えるのか。
死んだように生きるのか
生きた結果として「死」を一部として、受け入れる生き方なのか
自分は何のために日々を生きているのか。
私は「世界を十分に経験するために」生きているのではないか。
いいことも悪いことも経験して、味わって、魂が成長する
その結果、肉体を持った「今回の人生」を十分に生きれた
と死んだときに思えたなら、それは「生きている」のではないかと思いました。
家族を残して、とても未練だ。申し訳ない
という、気持ちも味わうために「肉体をもって生きた」からこそ味わえた体験
死ぬことが「悪・失敗」ととらえたら、もう縮こまっているように感じます。
「死」は生の一部として受け入れながら、
死ぬ恐怖があるからこそ、真剣になれたり、心が躍る経験ができたり、尊敬されることだってある
すべてを人生のパーツととらえてみると
失敗も悪も何もなく、
ただ、自分らしくそのパーツ(要因)を人生にどう活かして、どう生きていくかで
人生の味わい方が変わってくるように思います。
改めて、何のために生きているのか。
言い換えるなら、
どうやって時間を使うことが自分らしいか
どうやって心を使うことが自分らしく生きることなのか
そんなことを自問自答しながら
自分らしい人生を見つけられたらと思いました。