中国語学習者、Congziのブログ

中国語学習者、Congziのブログ

京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 『聊斎志異』三作品目です。『青鳳』は狐、『侠女』は任侠に生きる女がヒロインでしたが、今回の『連瑣』のヒロインは幽霊です。 連瑣がそのヒロインの女の名前。彼女は今から二十年前、十七歳の時に急病で死んでしまい、幽霊として書生の楊于畏の前に現れます。この連瑣に出会った 楊于畏が、冥界で嫌な男に妾になるよう迫られた連瑣を助けてやり……。『聊斎志異』巻六『連瑣』をご覧ください。

 

 

連瑣

 

 

 杨于畏,移居泗水sì shuǐ之滨bīn。斋zhāi临旷野kuàng yě,墙外多古墓,夜闻白杨萧萧xiāo xiāo ,声如涛涌tāo yǒng。夜阑yè lán秉烛bǐng zhú,方复凄断qī duàn。忽墙外有人吟曰:“玄夜凄风却倒吹,流萤yíng惹草复沾zhānwéi。”反复吟诵yín sòng,其声哀楚āi chǔ。听之,细婉xì wǎn似女子。疑之。明日,视墙外,并无人迹。惟有紫带一条遗荆棘jīng jí中,拾归,置诸窗上。向夜二更许,又吟如昨。杨移杌登望,吟顿辍chuò。悟其为鬼,然心向慕之。次夜,伏伺fú sì墙头。一更向尽,有女子珊珊shān shān自草中出,手扶小树,低首哀吟。杨微嗽sòu,女忽入荒草而没。杨由是伺诸墙下,听其吟毕,乃隔壁而续之曰:“幽情yōu qíng苦绪kǔ xù何人见?翠袖cuì xiù单寒dān hán月上时。”久之,寂然jì rán

 

 楊于畏(よううい)は泗水(しすい。山東省泗水県を源流に流れる河川)の川辺(濱bīn。水辺、みぎわ)に引っ越して来た。書斎は広々とした原野に面し、屋敷の外壁の外には古い墓が多く、夜にはモウハクヨウ(毛白楊。ポプラの一種)が風に吹かれてサラサラという音が聞こえ、その音はまるで波濤が逆巻くようであった。夜更けに灯りを点すと、また気持ちが物悲しく感じられた。ふと壁の外から誰かが詩を吟じるのが聞こえた。「漆黒の夜に骨身に染みる冷風が繰り返し吹きすさぶ、空を舞う螢は草むらをかすめてまた帷(とばり)に近づく。」繰り返し朗誦するその声は物悲しかった。聞こえてくるその声は、細やかで柔らかく女のようであった。彼は心中不思議に思った。翌日、壁の外を見ると、全く人の歩いた跡は無く、ただ紫色の帯が一本荊(いばら)の中に残っていて、それを拾って帰ると、それ(「諸」は「之于」)を窓の上に置いた。夜になって二更(21時から23時)頃、また昨日と同様詩を吟じるのが聞こえた。楊は腰かけを持って来てそれに登って見渡すと、詩を詠む声が突然止まった。楊はそれが亡霊の仕業だと悟ったが、それでも内心その声に心惹かれた。翌日の夜、壁の端に隠れてそちらを覗き見た。一更(19時から21時)の終わり頃、ひとりの女がゆっくりと草むらの中から姿を現した。手で小さな樹につかまり、頭を下げて悲し気に詩を吟じた。楊が軽く咳払いをすると、女は俄(にわ)かに草むらに入ると姿を消した。楊はこのため壁の下で待っていたが、女が詩を吟じ終えると、壁を隔ててそれに続けてこう言った。「深き思い、つらい気持ちを、誰が分かってくれるだろう。翠(みどり)の袖の単衣(ひとえ)を纏い、寒々とした月の上(のぼ)る時。」しばらく時が経ったが、壁の外は静まり返ったままだった。

 

 

 杨乃入室。方坐,忽见丽者自外来,敛衽liǎn rèn曰:“君子固风雅‌fēng yǎ‌士,妾qiè乃多所畏避wèi bì。”杨喜,拉坐。瘦怯shòu qiè凝寒,若不胜shēng 衣。问:“何居里,久寄此间?”答曰:“妾陇西‌lǒng xī‌人,随父流寓。十七暴疾殂谢cú xiè‌,今二十余年矣。九泉荒野,孤寂如鹜。所吟,乃妾自作以寄幽恨者。思久不属zhǔ;蒙君代续,欢生泉壤quán rǎng。”杨欲与欢。然曰:“夜台朽骨,不比生人,如有幽欢,促人寿数。妾不忍祸君子也。”杨乃止。戏以手探胸,则鸡头之肉,依然处子chǔ zǐ。又欲视其裙下双钩。女俯首笑曰:“狂生太罗唣luó zào矣!”杨把玩之,则见月色锦袜,约彩线一缕。更视其一,则紫带系之。问:“何不俱带?”曰:“昨宵畏君而避,不知遗落何所。”杨曰:“为卿qīng‌易之。”遂即窗上取以授女。女惊问何来,因以实告。女乃去线束带。既翻案上书,忽见《连昌宫词》,慨然kǎi rán曰:“妾生时最爱读此。今视之,殆dài‌如梦寐mèng mèi!”与谈诗文,慧黠huì xiá可爱。剪烛西窗,如得良友。

 

 楊于畏はそれで書斎に戻った。座るやいなや、ふと美しい女性が外から入って来るのが見えた。女は服の前おくみを揃える礼をすると、言った。「あなたは本当に教養があって上品な方だから、わたしは畏れ多いと思って避けていました。」楊は喜び、女を引っ張って来て座らせた。身体は瘦せこけ、怯(おび)えているような表情で身体を震わせ、服の重みにも耐えがたいかのようだった。楊は女に尋ねた。「あなたはどちらのご出身ですか、こちらに来てどれくらいになるんですか?」女は答えて言った。「わたしは隴西(甘粛省隴西県。甘粛省東南部)の人間で、父に随いこの地に流れて来ました。十七歳の時急病でこの世を去り、もう二十年余りになります。九泉(よみの国。あの世)の荒野では群れからはぐれた野鴨のように、頼る者も無く、ひとり寂しくしていました。吟じておりましたのは、わたし自ら作った、心の奥に潜めた恨みに寄せる詩なのですが、思索が続かずにいました。あなたがわたしに代わって続きを詠んでいただいたので、わたしはあの世からでも嬉しく思います。」楊は女を抱きしめて男女の営みをしようとした。女は眉を顰めて言った。「わたしの身体は死んで墓場の中に埋められ、身体は朽ちて骸骨になっています。この世で生きている方とは違い、もし密かに男女の営みをしますと、相手の方の寿命を縮めることになります。わたしはこのことであなたに禍(わざわい)が及ぶに忍びません。」楊はそれで行為を止めた。戯れに手で女の胸をまさぐると、乳首は新鮮な慈姑(くわい)の実のようで、女はまだ処女であった。また女のスカートの下の両足を見たいと思った。女は俯(うつむ)いて笑って言った。「この度助べえ、なにそんな大騒ぎをして!」楊がこれをじっくり眺めると、月のように白く輝く錦の靴下が見え、色のついた一本の絹糸で結ばれていた。更にもう一方を見ると、紫の帯で結ばれていた。楊が尋ねた。「どうして帯で結ばないの?」女が言った。「昨晩あなたが怖くて身を隠した時に、どこかで落としてしまったんです。」楊が言った。「おまえのためにそれと交換してあげよう。」それで窓の上に置いてあった帯を取って女に渡した。女は驚いてどこにあったか尋ねたので、楊は正直に答えた。女はそれで絹糸を外して、帯を結んだ。女はテーブルの上の本をめくっていたが、ふと『連昌宮詞』(唐代の元稹作の七言の長篇叙事詩)を見つけたので、感慨深げに言った。「わたしが生きていた時、これらの詞を読むのが最も好きだったの。今これが読めるなんて、まるで夢のようだわ。」女と詩文を論じていると、彼女の聡明で博学なのが分かり、また彼女のことが好きになった。楊は女と共に西側の窓の下で蝋燭の芯を切りながら読書し(李商隠『夜雨寄北』の一節「何當共剪西窗燭、卻話巴山夜雨時」が下敷きにある)、良き友を得たかのようであった。

 

 

 自此每夜但闻微吟,少顷即至。辄zhézhǔ曰:“君秘勿宣。妾少shào胆怯dǎn qiè,恐有恶客wù kè见侵jiàn qīn。”杨诺之。两人欢同鱼水,虽不至乱,而闺阁guī gé之中,诚有甚于画眉者。女每于灯下为杨写书,字态端媚duān mèi。又自选宫词百首,录诵lù sòng之。使杨治棋枰qí píng,购琵琶pí pa。每夜教杨手谈shǒu tán,不则挑弄tiǎo nòng弦索xián suǒ。作“蕉窗零雨”之曲,酸人胸臆xiōng yì;杨不忍卒听,则为“晓xiǎoyuànyīng声”之调,顿觉心怀畅适chàng shì。挑灯tiǎo dēng作剧zuò jù,乐辄忘晓。视窗上有曙shǔ色,则张皇zhāng huángdùn去。

 

 それからというもの、毎晩微かに詩を吟じるのが聞こえると、しばらくして女がやって来た。女はいつも楊于畏にこう言い含めた。「このことは秘密にして、他の人には決して言ってはだめよ。わたしは小さい時から臆病で、悪い客にいじめられるのが怖かったの。」楊は承諾した。ふたりは水を得た魚のように楽しみ、身体を重ねることはなかったが、閨房の中では、真に妻のために眉を描いてやるよりもっと親密(漢書の『張敞伝』の話が下敷きにある)であった。女はいつもランプの下で楊のために書籍から詩文を書き写してやったが、その字体は端正で優美であった。また自分で宮詞百首を選定し、それらを書き出し、朗読した。楊に囲碁の碁盤を用意させ、琵琶を買って来させた。毎晩楊に囲碁の対局(手談shǒu tán)か、そうでなければ琵琶をつま弾くのを教えた。女は『蕉窓零雨』(窓を隔てて庭の芭蕉の葉に降る雨の音が聞こえるという境地を著した曲)の曲を作ったが、それは聞く者の胸のを締め付け、悲しみを誘い、楊は最後まで聞くことができなかった。それで女は今度は『暁苑鶯声』(早朝の庭園に鶯の鳴き声が響き渡るという境地を著した曲)を弾いて調べを変えると、にわかに楊の気持ちは心地よく愉快になった。ふたりは灯火の下で冗談を言い合い、楽しさの余り夜が明けるのも忘れた。窓から黎明の陽の光が射すのが見えると、女は慌ててこそこそ逃げ帰った。

 

 

 一日,薛生造访,值杨昼寝。视其室,琵琶、棋局俱在,知非所善。又翻书得宫词,见字迹端好,益疑之。杨醒,薛问:“戏具何来?”答:“欲学之。”又问诗卷,托以假诸友人。薛反复检玩,见最后一叶细字一行云:“某月日连琐书。”笑曰:“此是女郎小字,何相欺之甚?”杨大窘jiǒng,不能置词。薛诘jié之益苦,杨不以告。薛卷juǎnxié之,杨益窘,遂告之。薛求一见。杨因述所嘱。薛仰慕yǎng mù殷切yīn qiè;杨不得已,诺之。夜分,女至,为致意焉。女怒曰:“所言伊何?乃已喋喋dié dié向人!”杨以实情自白。女曰:“与君缘尽矣!”杨百词慰解,终不欢,起而别去,曰:“妾暂避之。”

 

 ある日、薛生(薛という名の生員。県試の合格者)がやって来ると、ちょうど楊于畏は昼寝をしていた。部屋の中を見ると、琵琶や囲碁の道具が並んでいたが、薛は楊がこういうものが得意ではないことを知っていた。また本をめくってみると宮詞を書いた紙を見つけた。見ると字の筆跡が端正で綺麗で、益々不思議に思った。楊が目覚めると、薛が尋ねた。「これらの遊び道具(琵琶や碁盤)はどうしたんだい?」楊が答えた。「ちょっと学ぼうと思ってね。」薛はまた詩集はどうしたのか尋ねると、楊は友人から借りたと答えた。薛は何度もページをひっくり返して細かく内容を見ていたが、最後の1ページに細かい字でこう書かれているのを見つけた。「某月某日連瑣が記(しる)す。」それで薛は笑って言った。「これは女性の幼名じゃないか。どうしてこんな嘘を言って騙すんだい。」楊はたいへん困って、言葉が出なかった。薛は益々強く詰問したが、楊は本当のことを言うことができなかった。薛が詩集の巻物を巻いて持って行こうをしたので、楊は益々困り果て、遂に本当のことを彼に話した。薛はその女に一目会いたいと言った。楊はそれで彼女に言いつけられたことを話した。薛は心の底からなんとか会わせてくれと懇願した。楊はそれでやむを得ず、承諾した。夜になって、女がやって来ると、楊はこのことを伝えた。女は怒って言った。「あなたにどう言いましたっけ?それなのに、他人にベラベラ話してしまうなんて!」楊はその時の実際の状況を説明した。女が言った。「あなたとのご縁ももう尽きました!」楊はあれこれ様々に理由を説明して女の怒りを解こうとしたが、結局女の機嫌を直すことができず、女は立ち上がるとお別れの言葉を口にした。「わたしはしばらく身を隠すことにしますわ。」

 

 

 明日,薛来,杨代致其不可。薛疑支托zhī tuō,暮与窗友二人来,淹留yānliú不去,故挠náo之:恒终héng zhōng夜哗huá,大为杨生白眼,而无如何。众见数夜杳然yǎo rán,浸有去志,喧嚣xuān xiāo渐息。忽闻吟声,共听之,凄婉qī wǎn欲绝。薛方倾耳神注,内一武生王某,掇duō‌ 石投之,大呼曰:“作态不见客,甚得好句,呜呜恻恻wū wū cè cè‌,使人闷损mèn sǔn!”吟顿止。众甚怨之。杨恚愤huì fèn见于词色。次日,始共引去。杨独宿空斋kōng zhāi,冀女复来,而殊shū无影迹yǐng jì

 

 翌日、薛生が来たので、楊于畏は代わりに女が会いたくないと言ったことを告げた。薛は楊がわざといい加減に口実を設けていると疑い、夕方、県学で同じ生員の友人とふたりでやって来て、そのまま居座って帰らず、わざと楊の邪魔をし、一晩中大騒ぎをし、大いに楊生を怒らせ白い目で見させたが、どうしようも無かった。友人たちは幾晩も続けて女が姿を現さなかったので、次第に関心も失せ、騒ぎも次第に収まった。ふと詩を吟じる声が聞こえ、皆でこれを聞くと、この上なく物悲しかった。薛方は耳をそばだて傾聴していたが、友人たちの中で武生(武科挙の県試を合格した生員)の王某が、巨石を持ち上げてそれを投げつけ、大声で叫んで言った。「わざともったいぶって客に会わず、こんな佳い句を吟じたとて、エンエンむせび泣いて、気が滅入るだけだ!」詩を吟じる声はたちまち止まってしまった。皆は王生をたいへん恨んだ。楊于畏は怒気が顔色に顕れた。翌朝、ようやく皆はそこを引き揚げた。楊于畏はひとり書斎に残り、連瑣がまた会いに来てほしいと望んだが、全く彼女の影も形も見ることができなかった。

 

 

 逾二日,女忽至,泣曰:“君致恶宾,几吓煞妾!”杨谢过不遑huáng。女遽jù‌出,曰:“妾固谓缘分尽也,从此别矣。”挽wǎn之已渺miǎo。由是月余更不复至。杨思之,形销xiāo 骨立,莫可追挽wǎn

 

 また二日経って、女が突然やって来て、泣きながら言った。「あなたが悪い客を連れて来られるから、わたしは死ぬほどびっくりしました。」楊于畏は慌てて謝った。女はそそくさと外に出ると、言った。「わたしはもうとっくにあなたとのご縁は尽きたと申し上げました。これより永久にお別れします。」楊は彼女を引き留めようと思ったが、もう影も形もなかった。これよりひと月余り経ち、女はもう再びやって来なかった。楊は連瑣のことを思う余り、身体がゲッソリ痩せて骨と皮だけになってしまったが、もはや彼女を追いかけ連れ戻すことはできなかった。

 

 

 一夕,方独酌zhuó,忽女子搴帏qiān wéi‌入。杨喜极,曰:“卿qīng见宥yòu?”女涕垂膺chuí yīng,默不一言。亟问之,欲言复忍,曰:“负气去,又急而求人,难免愧恧kuì nǜ。”杨再三研诘yán jié,乃曰:“不知何处来一龌龊wò chuò,逼充媵yìng妾。顾念清白裔,岂屈身qū shēn舆台yú tái之鬼?然一线弱质,乌能抗拒?君如齿妾chǐ qiè在琴瑟qín sè之数,必不听自为生活。”杨大怒,愤将致死;但虑人鬼殊途,不能为力。女曰:“来夜早眠,妾邀君梦中耳。”于是复共倾谈qīng tán,坐以达曙dá shǔ。女临去,嘱勿昼眠,留待夜约。杨诺之。

 

 ある晩、楊于畏がちょうどひとり座って酒を飲もうとしていると、突然女が帷(とばり)をまくり上げて入って来た。楊はたいへん喜び、言った。「あなた、わたしを赦してくださらない?」女は涙の雫が胸元に垂れていたが、黙って一言も語らなかった。楊は何度も連瑣に尋ねたが、彼女は何度か口を開くのだが、恥ずかしくて言うに忍びなく、こう言った。「わたしが意固地になって出て行きましたのに、また急な事情でなすすべも無くなり、あなたにおすがりするのは、お恥ずかしい限りです。」楊が何度も繰り返し問い質すと、連瑣はようやく言った。「どこから来た品の無い下劣な(齷齪wò chuò)小役人()か存じませんが、わたしに妾(めかけ)になれと迫るのです。わたしは代々品行方正な家柄の子孫(清白裔)でありますのに、どうしてわざわざ卑賎な奴婢如きの亡霊に身をやつさないといけないのでしょう?けれどもか弱い女の身、どうしてそれに抗(あらが)うことができましょう。あなたがもしわたしを夫婦だと認めてくださるなら、きっと知らぬ顔はなさらないでしょう。」楊は大いに腹を立て、相手を殺してしまわんばかりに憤慨した。けれどこの世とあの世では世界が違うので、力になれないのではないかと心配した。女が言った。「夜になったら、あなたは早く休んでください。わたしは夢の中であなたにお願いに上がります。」そしてふたりはまた仲睦まじく語り合い、そのまま夜明けまで座っていた。女はそこを去るに当り、昼間は眠らず、夜の約束まで待っているよう言いつけた。楊はこれを承諾した。

 

 

 因于午后薄饮,乘醺xūn登榻,蒙衣méng yī偃卧yǎn wò。忽见女来,授以佩刀pèi dāo,引手去。至一院宇yuàn yǔ,方阖门hé mén语,闻有人掿nuò石挝zhuā门。女惊曰:“仇人至矣!”杨启户qǐ hù骤出zhòu chū,见一人赤帽青衣,猬毛wèi máo绕喙rào huì。怒咄duō之。隶横目相仇,言词凶谩。杨大怒,奔之。隶捉石以投,骤如急雨,中杨腕,不能握刃。方危急所,遥见一人,腰矢野射。审视之,王生也。大号乞救。王生张弓急至,射之,中股;再射之,殪。杨喜感谢。王问故,具告之。王自喜前罪可赎shú,遂与共入女室。女战惕zhàn tì羞缩xiū suō,遥立不作一语。案上有小刀,长仅尺余,而装以金玉,出诸匣,光芒guāng máng鉴影jiàn yǐng。王叹赞不释手。与杨略话,见女惭惧cán jù可怜,乃出,分手去。杨亦自归,越墙而仆,于是惊寤jīng wù,听村鸡已乱鸣矣。觉腕中痛甚,晓而视之,则皮肉赤肿。

 

 翌日の午後、楊于畏は少しばかり酒を引っかけ、酔った勢いで床に入り、服を着たままで眠りについた。ふと女が来るのが見え、楊に腰に挿す刀を授けると、手を引いて出かけた。とある屋敷に着き、ふたりがちょうど門を閉めて話をしていると、ふと誰かが石を持って門を叩くのが聞こえた。女は驚いて言った。「仇が来ました。」楊が扉を開け急いで出てくると、ひとりの赤い帽子に青い上着の役人の装束の男の姿が見えた。男は口の周りにハリネズミのような堅い髭を生やしていた。楊は怒ってこの男を叱りつけた。その小役人の男は楊を仇のように睨みつけ、酷く傲慢な口をきいた。楊は大いに怒り、男の方に向かって行った。小役人は石を掴むとそれを投げつけ、それがまるでにわか雨のように急に次々投げられて来たので、それが楊の腕に当り、刀を握ることができなくなった。ちょうど危急な状況であったところ、遠くでひとりの男の姿が見え、腰には弓矢を提げていた。この男をよく見ると、武生の王であった。それで大声で助けてくれと叫んだ。王生は弓を引いて急いで近づき、小役人に向け弓を射ると、その太ももに当った。再度弓を射ると、小役人は死んだ。楊は喜んで王生に礼を言った。王がどうしたのか尋ねたので、楊はつぶさに事情を説明した。王はこの前女を怒らせた罪は赦してもらえると知り喜び、遂に王は楊と一緒に女の部屋に入った。女は恐怖でブルブル震え、恥ずかしくてたじろき、遠くに突っ立って一言も言葉を発しなかった。テーブルの上には小刀が置かれていたが、その刃渡りは一尺余り(30センチ強)に過ぎなかったが、金や玉で装飾されていた。箱から取り出してその刀を見ると、刃先はキラキラ輝き、人の姿を映し出した。王はこの小刀がとても気に入り、手放すことができなかった。王が楊と二言三言話をしていると、女は恥ずかしがり、また可哀そうなほど怖がって、そこを出て行ったので、ふたりはそこで別れた。楊もまたひとりで帰り、壁を越えたところで前に転んでしまい、それで驚いて夢から目覚めた。村の雄鶏がもう朝を告げて盛んに鳴いているのが聞こえた。腕がとても痛むので、明るくなってからそこを見てみると、腕の皮膚が赤く腫れていた。

 

 

 亭午,王生来,便言夜梦之奇。杨曰:“未梦射否?”王怪其先知。杨出手示之,且告以故。王忆梦中颜色,恨不真见;自幸有功于女,复请先容。夜间,女来称谢。杨归功王生,遂达诚恳。女曰:“将伯之助qiāng bó zhī zhù,义不敢忘。然彼赳赳jiū jiū,妾实畏之。”既而曰:“彼爱妾佩刀。刀实妾父出使粤中,百金购之。妾爱而有之,缠chán以金丝,瓣bàn以明珠。大人怜lián妾夭亡yǎo wáng,用以殉葬xùn zàng。今愿割爱gē ài相赠zèng,见刀如见妾也。”次日,杨致此意。王大悦。至夜,女果携刀来,曰:“嘱伊珍重,此非中华物也。”由是往来如初。

 

 お昼になり、王生がやって来て、昨晩奇妙な夢を見たと話し出した。楊于畏が言った。「夢の中で弓矢を射らなかったかい?」王はどうして楊が先にそれを知っているのか不思議に思った。楊は腕を出して王に見せると、いきさつを説明した。王は夢の中でのその女の容貌を思い出したが、実物に会えないのを残念に思った。王は自分が女を助ける功績があったことを幸いに思い、また楊に、女にこのことで自分を紹介するよう要求した。夜になって、女がやって来てお礼を言った。楊は仇を打った功績は王生にあると言い、彼が女に一目会いたいとの心からの気持ちを伝えた。女が言った。「他の方がわたしを助けてくださったことを、わたしは決して忘れません。けれどもあの方の猛々しい様子は、わたしは本当に怖いと思いました。」そう言ってから更に言った。「あの方はわたしの佩刀を気に入っておられました。あの小刀は、実はわたしの父が粤中(今の広東、広西)に遣いで派遣された際に、百両の銀子で購入したものです。わたしはこの刀が好きで手元に置き、金糸を巻き付け、真珠の象嵌を施しました。大人たちはわたしが十七の時急病で死んだことを哀れに思い、この刀を一緒に埋葬してくれました。今はこの愛する刀を手放し、あの方に差し上げたいと思います。この刀を見たら、わたしに会ったと思ってください。」翌日、楊は王に女の気持ちを伝えた。王はたいへん喜んだ。夜になり、女が刀を携えて来て、言った。「あの方に、この刀を大事にするよう言ってください。この刀は中華(中国の中原地方)の物ではありませんから。」これからというもの、楊と女の往き来はまた最初の頃のようになった。

 

 

 积数月,忽于灯下笑而向杨,似有所语,面红而止者三。生抱问之。答曰:“久蒙眷爱juàn ài,妾受生人气,日食烟火,白骨顿有生意。但须生人精血,可以复活。”杨笑曰:“卿qīng自不肯,岂我故惜之?”女云:“交接后,君必有廿余日大病,然药之可愈。”遂与为欢。既而着衣起,又曰:“尚须生血一点,能拚pàn痛以相爱乎?”杨取利刃rèn刺臂cì bì出血;女卧榻上,使滴中。乃起曰:“妾不来矣。君记取百日之期,视妾坟前,有青鸟鸣于树巅diān,即速发冢。”杨谨受教。出门,又嘱曰:“慎记勿忘,迟速皆不可!”乃去。

 

 何ヶ月か過ぎ、ある時ふと女が灯下で笑いながら楊于畏の方を見て、何か言いたそうにしていたが、顔を真っ赤にして、言いよどむこと三度に及んだ。楊は女の肩を抱いて、どうしたのか尋ねた。女は答えて言った。「これまで長い間あなたに可愛がっていただいて、わたしは生きた人間の息吹を受け、毎日人間の煙や火を食べたので、白骨がにわかに生気を帯てきたのです。ただあと生きた人間の精液や血液をもらいさえすれば、また生き返ることができるのです。」楊は笑って言った。「おまえ自身が望まないのでなければ、どうしてわたしが故意にそれを惜しむことなどあろうか?」女が言った。「わたしたち、身体を交えて後、あなたは必ず二十日余りすると大病を患いますが、薬を飲めば直ります。」遂に女と身体を合わせ、快楽を味わった。事が終わり、女は着物を着ると、また言った。「まだ新鮮な血液が少し必要です。痛くてもいいなら、今ここでわたしと愛し合っていただけますか?」楊は鋭利な刃物を取り出し、腕を刺して血を出し、女はベッドに横になり、血をへその中に滴(したた)り落とした。女はそれで起き上がって言った。「わたしはもうここへは参りません。あなた、よく憶えておいてくださいね。これから百日が経ちましたら、わたしの墓の前を見て、青鳥(西王母の使者と伝えられ、その形が鸞luán(鳳凰に似た伝説上の鳥)に似ている)が木のてっぺんで鳴いたら、すぐに塚を掘ってください。」楊は謹んで女の教えを受けた。女は門を出る時、またこう言い含めた。「慎んで記憶し、忘れないでください。遅くても早くてもだめですよ。」そう言うと、行ってしまった。

 

 

 越十余日,杨果病,腹胀欲死。医师投药,下恶物如泥,浃辰 jiā chén而愈。计至百日,使家人荷chā以待。日既夕,果见青鸟双鸣。杨喜曰:“可矣。”乃斩zhǎn‌jīng发圹kuàng。见棺木已朽,而女貌如生。摩之微温。蒙衣méng yī归,置暖处,气咻咻xiū xiū然,细于属zhǔ丝。渐进汤酏,半夜而苏。每谓杨曰:“二十余年如一梦耳。”

 

 また十数日経ち、楊は果たして病気になり、腹が張って死にそうになった。医師が投薬すると、汚いものが泥のように排泄され、十二日(干支が一巡する日数)すると治癒した。日にちを計って百日経つと、家人に土を掘る鍬を担がせ、墓場の前で待機させた。日が既に西に傾くと、果たして青鳥が二羽鳴くのが見えた。楊は喜んで言った。「大丈夫だ。」それで荊(いばら)を刈り取って墓穴を掘った。見ると柩の木は既に朽ちていたが、女の容貌はまるで生きているかのようであった。手でさすってみると微かに温かかった。服を着せて担いで帰り、暖かいところに置くと、ハーハーと荒い息をはじめ、弱い息遣いが続いた。ゆっくり薄いお粥を食べさせ、夜半になると女は目覚めた。それからというもの、女は常々楊に言った。「死んでからの二十年余りは、まるで夢をみていたかのようだわ。」

 「侠」とは、おとこだて、義理人情に厚く、弱い者の味方をする気概のある人物のことです。それでは侠女とはどんな女のことでしょうか?この物語の主人公、顧生は、貧乏書生で、貧しく嫁取りもできず、書を書いたり絵を描いて暮らしていたのですが、向かいに老婆と美しい少女のふたりが引っ越してきて、このふたりと関わるうちに、この「侠女」たる少女のことが次第に分かってきて……、という話です。

 

侠女

 

 顾生,金陵人,博于材艺,而家綦贫。又以母老不忍离膝lí xī惟日为人书画,受贽zhì以自给。行年二十有五,伉俪kàng lì犹虚。对户旧有空第,一老妪及少女税居shuì jū其中。以其家无男子,故未问其谁何。一日偶自外入,见女郎自母房中出,年约十八九,秀曼xiù màn都雅dū yǎ,世罕其匹shì hǎn qí pǐ见生不甚避,而意凛如lǐn rú也。生入问母母曰:“是对户女郎,就吾刀尺适言其家亦止一母。此女不似贫家产。问其何为不字,则以母老为辞。明日当往拜其母,便风以意倘所望不奢shē,儿可代养其老。”

 

 生員(科挙の第一段階の県試に合格し、県学の学生の資格を得た者)の顧は金陵(今の南京)の人で、博識で才知に富んでいたが、家はたいへん貧しかった。また母が年老いて身辺を離れるに忍びず、日々人のために書を書いたり絵を描き、その謝礼をもらって生活をしていた(受贄zhì以自給)。年齢は二十五になるが、まだ妻帯していなかった(伉儷kàng lì猶虚)。向かいの家は元々空き家であったが、ひとりの老婆と少女がそこを賃借した。その一家には男手がいなかったので、誰もその一家の来歴を尋ねる者はいなかった。ある日たまたま外から戻ると、女性が母屋から出て来るのが見えた。歳の頃は十八九、綺麗で優しく(秀曼xiù màn)、しとやかで(都雅dū yǎ)あること、他に比べようもなかった(世罕其匹shì hǎn qí pǐ)。女は顧生を見ても避けようとせず、気持ちは厳然として、人に媚びるような様子も無かった。顧生は家に入ると母親に何の用事だったのか尋ねると、母親が言った。「あの子は向かいの家の娘さんで、わたしにハサミと物差しを借りに来られたの。さっきあの娘は家にお母さんひとりしかいないと言ってたわ。この娘はでも貧しい家の生まれではないようだった。どうしてまだ嫁に行かないのと聞く(問其何為不字)と、母が老いて面倒を見る必要があると言っていた。明日は母親に会ってみて、ついでにどうするつもりか聞いてみよう(便風以意。「便風」は「順便」)。もし高望みしないなら、おまえが代わりにあの娘の母親の面倒を見ておやり。」

 

 

 明日造其室,其母一聋媪lóng ǎo耳。视其室并无隔宿粮问所业则仰女十指。徐以同食之谋试之,媪意似纳而转商其女女默然,意殊不乐。母乃归。详其状而疑之曰:“女子得非嫌吾贫乎?为人不言亦不笑,艳如桃李而冷如霜雪,奇人也!”母子猜叹而罢。

 

 翌日その家に行ってみると、母親は耳の聞こえない老婆であった。家の中を見ると、翌日の食糧の蓄えも無い(無隔宿糧。隔は隔夜のこと)ようであった。何をして暮らしているのか尋ねると、娘の手仕事に頼って暮らしている(仰女十指)とのことだった。顧の母親がおもむろに一緒に暮らさないかと聞いてみると、老婆は満更でも無さそうで、娘に相談した。女は黙って聞いていたが、内心とても不満そうだった。母親はそれで家に帰った。息子にその詳細を報告すると、不思議そうに言った。「あの娘は我が家が貧しいのを嫌っているのかしらね?話もしないし笑いもしないんだ。顔はスモモのように綺麗だけど、態度は氷のように冷たいの。変わった娘だね。」母と子は思い出してはため息をつき、諦(あきら)めるしかなかった。

 

 

 一日生坐斋头,有少年来求画姿容甚美意颇儇佻xuān tiāo。诘jié所自,以邻村对。嗣‌后三两日zhé一至。稍稍shāo shāo稔熟rěn shú,渐以嘲谑cháo xuè,生狎抱xiá bào之亦不甚拒,遂私焉。由此往来昵甚。会女郎过,少年目送之,问为谁对以邻女。少年曰:“艳丽如此,神情何可畏?”

 

 ある日顧生が書斎に座っていると、ひとりの少年が彼に絵を買い求めに来た。その少年は容姿は綺麗だが、性格は頗る軽薄なところがあった。少年にどこから来たか尋ねると、隣村から来たと答えた。それから二三日すると、またやって来た。次第に親しくなると、だんだん冗談を言う間柄になり、顧生がなれなれしく抱きついても別段拒むことなく、遂に肉体の関係を持つようになった。これより少年がやって来て関係を持つことが頻繁になった。向かいの娘がやって来るのに出逢うと、少年はそれを眺めて、あの娘は誰かと尋ねた。それで、隣の家の娘だと答えた。少年が言った。「顔はあんなに綺麗なのに、どうしてあんなに怖い表情をしているんだろう?」

 

 

 少间生入内母曰:“适女子来乞米,云不举火者经日矣。此女至孝,贫极可悯mǐn,宜少周恤zhōu xù之。”生从母言,负斗粟,款门达母意。女受之,亦不申谢。日至生家,见母作衣履,便代缝纫出入堂中,操作如妇。生益德之。每获馈饵kuì ěr,必分给其母,女亦略不置齿颊chǐ jiá。母适疽生隐处,宵旦xiāo‌ dàn‌号啕háo táo。女时就榻省视xǐng shì,为之洗创敷药日三四作母意甚不自安,而女不厌其秽huì。母曰:“唉!安得新妇如儿而奉老身以死也!”言讫yán qì悲哽bēi gěng女慰之曰:“郎子大孝,胜我寡母孤女”母曰:“床头蹀躞dié xiè之役,岂孝子所能为者?且身已向暮,旦夕犯雾露fàn wù lù,深以祧tiāo为忧耳。”言间生入,母泣曰:“亏娘子良多,汝无忘报德。”生伏拜之。女曰:“君敬我母,我勿谢也,君何谢焉?”于是益敬爱之。然其举止生硬,毫不可干。

 

 しばらくして、顧生が家の中に入った。母親が言った。「ちょうど向かいの娘が米が欲しい、もう何日も米を炊いていないと言ってきた。この娘は大層孝行者で、とても貧しく気の毒なので、少しばかり援けてやってもいいんじゃないかい。」顧生は母の意見に従い、一斗の米を背負い、向かいの家の門を叩いて母親の意向を伝えた。女はこれを受け入れたが、特にお礼も言わなかった。娘は日ごろから顧生の家に行き、母親に会い、衣服や履物を作るのに、母に代わって縫物をしてやった。自由に家の中を出入りし、まるでその家の嫁のように家事仕事を行った。顧生は益々この娘の行いに感謝した。菓子の頂き物がある度、必ず娘の母にお裾分けしたが、女はそれにも少しもお礼を言わなかった。母親がちょうど陰部に腫れ物ができ、昼も夜も痛みで泣き叫んだ。女は度々ベッドに近づき病人の具合を診ると、母のため傷口を洗い薬を塗ってやった。毎日三四回もそうしてくれたので、母親はたいへん申し訳なさそうにしたが、女は傷口の汚れを厭わなかった。母親が言った。「ああ!わたしはどうしておまえのような息子の嫁を得て、わたしが年老いて死ぬまで世話をしてもらえないのかね!」 そう言うと、悲しみで声を詰まらせた。女は母親を慰めて言った。「あなたはこのような孝行息子をお持ちだから、うちのような寄る辺の無い母ひとり娘ひとりの家よりずっとましですわ。」母が言った。「病人の枕もとであれこれ世話をするのが、どうして孝行息子がするべきことかね。しかもわたしはもう老い先短く、遅かれ早かれ病死する身、最も憂うのはなんとか宗廟を絶やさぬことだけです。」そう言っていると、顧生が入って来たので、母は泣いて言った。「我が家はこの方にたくさんお世話になりました。おまえ、この方の恩に報いることを忘れてはなりませんよ。」顧生は伏して女に拝礼した。女が言った。「あなたがわたしの母を敬ってくれても、わたしはお礼を言っていないのに、あなたはどうしてわたしに礼をされるんですか。」それで顧生は益々この娘を敬愛した。しかし女の態度は堅苦しく、ちっとも気楽に接することができなかった。 

 

 

 一日女出门,生目注之。女忽回首,嫣然yān rán而笑。生喜出意外,趋而从诸其家,挑tiāo之亦不拒,欣然xīn rán交欢jiāo huān。已,戒生曰:“事可一而不可再。”生不应而归。明日又约之,女厉色不顾而去。日频来,时相遇,并不假以词色jiǎ yǐ cí sè。少游戏之,则冷语冰人lěng yǔ bīng rén。忽于空处问生:“日来少年谁也?”生告之。女曰:“彼举止态状,无礼于妾频矣。以君之狎昵xiá nì,故置之。请更寄语:再复尔,是不欲生也已!”生至夕,以告少年,且曰:“子必慎之,是不可犯!”少年曰:“既不可犯,君何犯之?”生白其无。曰:“如其无则猥亵wěi xiè之语,何以达君听哉?”生不能答。少年曰:“亦烦寄语,假惺惺jiǎ xīng xīng勿作态不然,我将遍播扬bō yáng。”生甚怒之,情见于色,少年乃去。

 

 ある日女が家の門を出た時、顧生がじっとそれを見つめた。女は突然振り向くと、嫣然(えんぜん)と笑った。顧生は(思いもかけないことが起こったので)望外に喜び、急いで女に付いて彼女の家に行き、誘惑しても拒まれなかったので、喜んで男女の営みをした。事が終わり、女は顧生を戒めて言った。「このことは今日一度だけで、もう二度としませんからね。」顧生はそれには構わず家に帰った。翌日顧生はまた女と約束をしようとしたが、女は怖い顔をして相手にせず、行ってしまった。その後女は毎日何度も顧生の家に来て、しばしば互いに顔を合わせたが、女は決して顧生にやさしい言葉をかけたり嬉しそうな顔をしたりしなかった。顧生が少しでも女をからかおうものなら、冷酷な言葉をピシャリと返した。ある時ふと誰もいない所で、女が顧生に尋ねた。「毎日訪ねて来る少年は誰なの?」顧生は彼女に答えた。女が言った。「あの子はわたしに何度も無礼な振舞いや態度をしたわ。あなたがあの子と親密にされているから、捨て置いているのよ。あなたからあの子に伝えてちょうだい。またこのようなことをしたら、それは自分が生きていたくないということよ!」顧生は夜になって、少年にこのことを告げ、またこう言った。「おまえ、必ず慎むんだぞ。あの人にはちょっかいを出してはだめだ。」少年が言った。「ちょっかいを出すなと言っておいて、あんたはどうしてあの女といいことをしているんですか?」顧生はあの女とは何にも無いと言った。少年が言った。「もし何も関係が無いなら、みだらな言葉が、どうしてあんたから発せられたのが聞こえてきたんですかね?」顧生は答えることができなかった。少年が言った。「あの女に伝えてください。わざと善良そうなふりをして。もうそんなわざとらしいふりはやめろとね。さもないと、わたしがあちこちで言いふらしてますよ。」顧生はこのことでひどく腹を立て、その気持ちが顔にも表れたので、少年は出て行った。

 

 

 一夕方独坐,女忽至,笑曰:“我与君情缘未断,宁非天数。”生狂喜而抱于怀,欻闻履声籍籍jí jí ,两人惊起,则少年推扉入矣。生惊问:“子胡为者?”笑曰:“我来观贞洁zhēn jié人耳。”顾女曰:“今日不怪人耶?”女眉竖shùjiá‌红,默不一语,急翻上衣,露一革囊gé náng,应手而出,而尺许晶莹匕首bǐ shǒu也。少年见之,骇hài而却走。追出户外,四顾渺然miǎo rán。女以匕首望空抛掷pāo zhì,戛然jiá rán有声,灿càn若长虹,俄é一物堕duò地作响。生急烛zhú之,则一白狐身首异处矣。大骇。女曰:“此君之娈童luán tóng也。我固恕shù之,奈nài定不欲生何!”收刃rèn入囊。生曳令入,曰:“适妖物yāo wù败意,请俟sì‌来宵xiāo。”出门径jìng去。

 

 ある日の夜、ちょうど顧生がひとりで座っていると、女が突然やって来て、笑って言った。「わたしとあなたの男女の情縁がまだ断たれていないのは、まさか神様が定められたんじゃないわね。」顧生は狂喜し、彼女を胸に抱いたところ、突然履物のガタガタという音が聞こえ、ふたりが驚いて起き上がると、少年が扉を開けて入って来た。顧生が驚いて聞いた。「おまえ、何しに来たんだ?」少年が笑って言った。「わたしは貞操の堅い女を見に来ただけですよ。」女を顧(かえり)みて言った。「今日はわたしを咎めないのかい?」女は怒って眉毛を吊り上げ、頬を真っ赤にし、黙って一言も発せず、急いで上着をひっくり返すと、中から革(かわ)の袋が現れ、その手で取り出したのは、一尺(30センチ)ほどの長さの透明でキラキラ輝く匕首(あいくち)であった。少年はこれを見て、びっくりして逃げた。女は門の外まで追いかけたが、四方を見ても影も形も無かった。女が匕首を空に向け投げると、甲高い叫び声が響き、目に眩しい光が雲間に輝き、燦爛とした虹のようであったが、しばらくするとドスンと物が落ちる音が響いた。顧生が急いで蝋燭の灯りでそれを照らして見ると、一匹の白い狐で、身体と首が既に分断されていた。顧生は大いに驚いた。女が言った。「これがあなたのお稚児さん(娈童luán tóng。男色の相手をする子供)よ。わたしは元々許してあげていたのに、どうしてこの子は生きていたくなかったのかしら。」匕首をしまって革袋の中に入れた。顧生が女の手を引き部屋の中に入ると、女は言った。「さっきの化け物のお陰で気分が害されたわ。明日の晩までお待ちになって。」門を出るとそのまま帰って行った。

 

 

 次夕女果至,遂共绸缪chóu móu。诘jié其术,女曰:“此非君所知。宜须慎秘,泄恐不为君福”又订以嫁娶jià qǔ,曰:“枕席焉zhěn xí yān,提汲焉tí jí yān,非妇伊何也?业夫妇矣,何必复言嫁娶乎?”生曰:“将jiāngzēng贫耶?”曰:“君固贫,妾富耶?今宵xiāo之聚,正以怜lián君贫耳。”临别嘱曰:“苟且gǒu qiě之行xíng,不可以屡。当来我自来,不当来相强无益。”后相值,每欲引与私语,女辄zhé走避。然衣绽zhàn炊薪chuī xīn,悉为纪理jì lǐ ,不啻chì妇也。

 

 翌日の夜、女は果たしてやって来て、遂に共に身体を絡み合わせた(綢繆chóu móu)。顧生が狐の化け物を殺した術を尋ねると、女が言った。「これはあなたの知ったことでは無いわ。慎重に、秘密にしておく方がいいですわ。秘密が漏れると、恐らくあなたにとって良いことにはならないわ。」顧生はまた彼女に嫁に娶る相談をしたが、女は言った。「あなたと枕を共にしていますし、家事もやっておりますのに、これが妻でなければ何なのですか?もう夫婦として暮らしていますのに、どうしてまた嫁に娶るなどとおっしゃるの?」顧生が言った。「わたしが貧乏だから嫌がっているのではないですか?」すると女が言った。「あなたは固より貧しいけど、わたしは金持ちですか?今宵あなたとご一緒したのは、正にあなたの貧しさを憐れんでのことですわ。」別れる時、女はまた顧生に言い含めて言った。「かりそめの行為は、度々やってはいけないことです。こちらに来るべき時は、わたしが自分で来ますから、来るべきでない時に、あなたが無理強いしても良いことはないですわ。」それ以降彼女に会う度に、彼女を引っ張って自分の思いを伝えようとしたが、女はいつも向こうへ行ってしまってそれを避けた。けれども着物の綻(ほころ)びを繕ったり飯を炊くことは、全てちゃんと行い、その振舞いは妻に他ならなかった。

 

 

 积数月,其母死,生竭力jié lìzàng之。女由是独居。生意孤寝gū qǐn可乱,逾垣yú yuán入,隔窗频呼,迄不应。视其门,则空室扃jiōng焉。窃疑qiè yí女有他约。夜复往,亦如之。遂留佩玉pèi yù于窗间而去之。越日yuè rì,相遇于母所。既出,而女尾wěi‌其后曰:“君疑妾耶?人各有心,不可以告人。今欲使君无疑,乌得可?然一事烦急为谋。”问之,曰:“妾体孕yùn已八月矣,恐旦晚dàn wǎn临盆lín pén。‘妾身未分明’,能为君生之,不能为君育之。可密告母觅乳媪rǔ ǎo,伪为讨螟蛉míng líng者,勿言妾也。”生诺,以告母。母笑曰:“异哉此女!聘之不可,而顾私于我儿。”喜从其谋以待之。 

 

 何ヶ月か経って、女の母が亡くなり、顧生はできるだけのことをして(竭力jié lì)その母親を葬ってやった。女はこれより独り身になった。顧生は女がひとりで寝ているので、この機にいかがわしいことができるのではないかと思い、垣根を乗り越え、窓越しに何度も呼びかけたが、終始応答が無かった。家の入口の門を見ると、部屋には誰もおらず、門には閂(かんぬき)がかかっていた。ひそかに女が他所で逢引きしているのではないかと疑った。夜になってもう一度行ってみたが、また同じく留守であった。遂にいつも身に着けている玉の飾りを窓の敷居のところに置いて帰った。翌日、母親の部屋で女に会った。部屋を出ると、女が背後から言った。「あなたはわたしを疑っていらっしゃるの?人は皆それぞれ心に思っていることがあっても、他人には言えないものよ。今あなたの疑いを解こうと思っても、そんなことできないわ。でもひとつ急いでご相談することがあるの。」顧生が何のことか尋ねると、女は言った。「わたしはもう身ごもって八ヶ月になるの。おそらく間もなく臨月を迎えるわ。「わたしはあなたの家に嫁入りしていない」(妾身未分明)ので、あなたのために子を生むことはできても、あなたのために子を育てることはできません。こっそりお母さんに乳母を捜して来てもらって、わざと外から養子(螟蛉míng líng。アオムシのことだが、ジガバチが青虫を養い育てて自分の子とするという故事から、養子の意味で使われる)を見つけて来たと嘘を言って、決してこの子を生んだのはわたしだとは言わないでください。」顧生はそれを承諾し、母親にその旨を告げた。母は笑って言った。「この娘は変わっているね。嫁入りはできないと言っておいて、密かにうちの息子と誼を遂げるんだから。」喜んで女の申し出に従うと、子供が生まれるのを待った。

 

 

 又月余,女数日不至,母疑之,往探其门,萧萧xiāo xiāo闭寂bì jì。叩kòu良久,女始蓬头péng

tóu垢面gòu miàn自内出。启而入之,则复阖之。入其室,则呱呱gūgū者在床上矣。母惊问:“诞几时矣?”答云:“三日。”捉zhuō绷席bēng xí而视之,则男也,且丰颐fēng yí而广额。喜曰:“儿已为老身育孙子,伶仃líng dīng一身,将焉所托jiāng yān suǒ tuō?”女曰:“区区qū qū隐衷yǐn zhōng,不敢掬示jū shì老母。俟夜无人,可即抱儿去。”母归与子言,窃qiè共异之。夜往抱子归。

 

 またひと月余り経ち、女が何日もやって来なかった。母親は疑問に思い、女の家に行って入口の門を見ると、閉め切られてひっそりとしていた。門をしばらく叩き続けると、女がようやくぼさぼさの髪、垢だらけの顔で中から出て来た。門を開けて中に入ると、女がまた門を閉めた。部屋の中に入ると、寝台の上で赤ん坊がオギャアオギャアと泣いていた。母親は驚いて尋ねた。「いつ生まれたの?」女は答えて言った。「三日前です。」おくるみを掴んでこれを見ると、男の子で、下あごがしっかり張り、おでこが広かった。母親は喜んで言った。「おまえはもうわたしのために孫を生んでくれたそれなのにおまえはやせ細ってひとりぼっちで、これから誰に頼って生きるつもりだい?女が言った。「いささか秘密にしていることがあり、敢えてお母さまにも打ち明けることができません。夜まで待って人がいなくなったら、その子を抱いて行ってください。」母親は家に帰って息子にそのことを伝えると、密かにふたりとも不思議に思った。夜になって女の家に行き、子供を抱いて帰った。

 

 

 更数夕,夜将半,女忽款门kuǎn mén入,手提革囊gé náng,笑曰:“我大事已了,请从此别。”急询其故,曰:“养母之德,刻刻不去诸怀。向云‘可一而不可再’者,以相报不在床笫chuáng zǐ也。为君贫不能婚,将为君延一线之续。本期一索而得,不意信水复来,遂至破戒而再。今君德既酬,妾志亦遂,无憾矣。”问:“囊中何物?”曰:“仇人chóu rén头耳。”检而窥之,须发交而血模糊。骇绝,复致研诘yán jié。曰:“向不与君言者,以机事不密,惧有宣泄xuān xiè 。今事已成,不妨相告:妾浙人。父官司马,陷于仇,彼籍 家。妾负老母出,隐姓名,埋头项,已三年矣。所以不即报者,徒以有母在;母去,又一块肉累lěi‌腹中,因而迟之又久。曩nǎng夜出非他,道路门户未稔rěn,恐有讹误é wù‌耳。”言已出门,又嘱曰:“所生儿,善视之。君福薄无寿,此儿可光门闾mén lǘ。夜深不得惊老母,我去矣!”方凄然qī rán欲询所之,女一闪如电,瞥piē尔间遂不复见。生叹惋wǎn木立,若丧sàng魂魄。明以告母,相为叹异tàn yì而已。

 

 また数夜が過ぎ、ある日の夜半、女が突然門を叩いて入って来た。手には革袋を提げ、笑って言った。「我が大事は既に成就しました。これにてお暇(いとま)いたします。」顧生が急いでその故を尋ねると、女が言った。「あなたが母の面倒を見ていただいた恩は、いつもわたしの心から消し去ることができません。「一度はやり得ても、再びはできない」(可一而不可再)と申します。わたしの行った報いは、男女の睦(むつみ)ごとではないのです。あなたは貧しくて妻を娶ることができないので、あなたのために血脈が続くようにいたしました(為君延一綫之續)。元々一回で懐妊できると思っていました(本期一索而得)のに、思いがけず月経が来て懐妊できませんでした(不意信水復来)。それで誓いを破って、もう一度睦ごとを行ったのです。今あなたの恩にはもう報いましたし、わたしの志(こころざし)も遂げましたので、思い残すことはありません。」顧生が尋ねた。「袋の中は何だい?」女が言った。「仇の首です。」袋を確かめ、中を覗くと、髭や髪の毛が纏わりつき、血でべっとり染まっていた。びっくり仰天し、また子細を尋ねた。女は言った。「これまであなたに何も申し上げなかったのは、事が機密を要し、秘密が漏れることを怖れたからです。今は事が成就しましたので、あなたにお話ししても大丈夫です。わたしは浙江の人間です。父は役人で司馬の職に就いておりましたが、仇に陥れられ、家財を没収されました。わたしは老母を背に背負って家を出、姓名を隠し、行方を隠して(埋頭項。「埋没行踪」のこと)、もう三年になります。すぐに復讐をしなかったのは、他でもなく母親が生きていたからです。母が亡くなると、今度はお腹に子供ができたおかげで、また事を行うのが随分遅れました。昨晩外出したのは他でもなく、周囲の道や家の中をよく知らないので、間違いをしてしまうのを恐れたからだけです。」そう言って家の門を出ると、またこと付けて言った。「生まれた子供は、よく面倒をみてくださいね。あなたは福が薄く長生きできませんが、この子は一族の名誉を高めることができるでしょう。もう夜も遅く、年老いたお母さんを驚かせてはいけないので、わたしは行きますわ。」顧生がちょうど悲し気にどこへ行くのか聞こうとしていると、女は電光石火、瞬(まばた)きする間もなく姿が見えなくなった。顧生はため息をつき、ボオッと立ちつくし、魂が抜け落ちたようになった。翌日母親にこのことを告げると、母子互いにため息をつき、不思議なこともあるものだと思った。

 

 

 后三年生果卒。子十八举进士,犹奉祖母以终老云。

 

 その後三年して、果たして顧生は世を去った。子供は十八にして科挙の進士に合格し、その後祖母のお世話を、ずっと祖母が亡くなるまで続けたということだ。

 

 

 异史氏曰:“人必室有侠女,而后可以畜娈童luán tóng也。不然,尔ěr爱其艾豭ài jiā,彼爱尔娄猪‌lóu zhū矣!”

 

 異史氏曰く(作者の蒲松齢が、『史記』の「太史公曰く」を真似て、本文の論評をしている)、「男は家に必ず品行方正な侠女がいないといけない。それならお稚児さん(男色の相手をする子供)を囲っても構わない。さもないと、あなたが他人のブタ(浮気相手)を引き込めば、相手もあなたのメスブタ(浮気性妻のこと)誘惑するかもしれない。」

 

 

 王阮亭云: “神龙见首不见尾。此侠女其犹龙乎!”

 

 王阮亭(王士禛(1634–1711)、字は子真、阮亭と号す。別号は漁洋山人。山東新城(今の山東桓台)の人。清初の文壇の盟主)は言う。「神龍は首が見えるが尾は見えない(侠女が最後、忽然と姿を消したことを言っている)。この侠女はまるで龍のようだ。」      

 

 

 今回より、『聊斎志異』を読んでいこうと思います。『聊斎志異』は、清初、蒲松齢(16401715)により書かれた短編小説集で、約500篇の小説が収められていますが、その内容は、神仙、幽霊、妖狐等にまつわる怪異譚です。大部の小説集ゆえ、どこから手を付けようかと思っていたところ、陳舜臣さんの『聊斎志異考ー中国の妖怪談義』(19978月中公文庫)に取り上げられた12篇の物語の原文を読んでみようかと思い立った次第です。本の紹介に、「男と女の、はかなく不思議な交情が織りなす中国的妖美の世界」とあり、その内容がお伝えできればと思います。

 

 

 陳舜臣さんが使われたテキストは鋳雪斎抄本十二巻本なのに対し、わたしが持っているのは、二十四巻本なので、各篇、原文は何という話か探す必要がありました。最初のお話、『美しき狐』ですが、巻三の最初の話、『青鳳』が原文であることが分かりました。 青鳳とは、この物語のヒロインの名で、主人公の耿去病が、叔父の耿氏の屋敷に住みついた狐の一家と知り合い、狐一家の娘の青鳳に恋焦がれ、遂には思いを成し遂げる話です。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

青鳳

(美しき狐)

 

 太原耿gěng氏,故大家,第宅弘阔。后凌夷líng yí,楼舍连亘lián gèn,半旷废kuàng fèi之。因生怪异,堂门辄zhé自开掩yǎn,家人恒héng中夜骇哗hài huá。耿患之,移居别墅,留老翁门焉。由此荒落益甚。或闻笑语歌吹声。

 

 太原(今の山西省太原市)の耿gěng(コウ)氏は、元々名門の家であったので、屋敷は広大であった。後に家運が衰え(凌夷líng yí)、屋敷の建物は連なり尽きることが無かった(楼舍連亘lián gèn)が、その半ば以上が荒廃(曠廃kuàng fèi)していた。奇怪なことが起こり、屋敷の門はいつも勝手に開いては勝手に閉じた(堂門輒zhé自開掩yǎn)ので、家族の者はいつも(héng)夜中にたいへん驚き、大騒ぎになった(駭譁hài huá)。耿氏の主はこのことをたいへん気に病み、別荘に引っ越すことにし、ひとりの老人を門番に残した。このため、屋敷は一層荒廃し、時に中から笑い声や歌を歌い楽器を奏でる音が聞こえた。

 

 

 耿有从子cóng zǐ‌去病,狂放不羁kuáng fàng bù jī,嘱翁有所 闻见,奔告之。至夜,见楼上灯光明灭,走报生。生欲入觇chān其异。止之,不听。门户素所习识,竟拨蒿蓬,曲折而入。登楼,殊无少异。穿楼而过,闻人语切切。潜窥之,见巨烛双烧,其明如昼。一叟sǒu儒冠南面坐,一媪ǎo相对,俱年四十余。东向一少年,可二十许;右一女郎,裁及笄jí jī耳。酒胾满案,团坐笑语。

 

 耿家の主(あるじ)の甥(従子cóng zǐ‌)の去病と言い、勝手気ままで束縛を嫌った(狂放不羈kuáng fàng bù jī)が、門番の老人に何か変わったことがあったら、すぐに報告するよう言いつけた。夜になって、二階で灯りが点滅するのが見えたので、去病に伝えに行った。彼は中に入って何が起こっているのか覗いて見たいと思った(生欲入覘chān其異)が、老人に止められた。しかし去病は聞かなかった。屋敷の入口や通路は固よりよく知っているので、遂に雑草をかき分け、中に入って行った。二階に上がったが、何も異常が無かった。建物を横切って進んで行くと、人がひそひそ話をするのが聞こえた。こっそり覗き見ると、大きな蝋燭が二本燃やされ、昼間のような明るさだった。ひとりの老人(一叟sǒu)が儒者の冠を被り南面して座り、その向かいにひとりの老婆(一媪ǎo)が座り、共に歳は四十過ぎであった。東側にひとりの若い男が座っており、歳は二十歳くらいであった。右にはひとりの若い女が座ったが、彼女は十五歳になりやっと髪を束ねて簪(かんざし)を挿した(及笄jí jī)ばかりであった。酒や肉がテーブル一杯に並べられ(酒胾満案)、四人はテーブルを囲んで談笑していた。

 

 

 生突入,笑呼曰:“有不速之客一人来!”群惊奔匿。独叟sǒu出,叱chì‌问:“谁何入人闺闼guī tà?”生曰:“此我家闺闼,君占之。旨酒自饮,不一邀主人,毋乃太吝?”叟审睇,曰:“非主人也。”生曰:“我狂生耿去病,主人之从子耳。”叟致敬曰:“久仰山斗jiǔ yǎng shān dǒu!”乃揖生入,便呼家人易馔。生止之。叟乃酌zhuó客。生曰:“吾辈通家,座客无庸见避,还祈招饮。”叟呼:“孝儿!”俄少年自外入。叟曰:“此豚儿tún ér也。”揖而坐,略审门阀。叟自言:“义君姓胡。”生素豪,谈议风生tán yì fēng shēng,孝儿亦倜傥tì tǎng;倾吐间, 雅相爱悦。生二十一,长孝儿二岁,因弟之。叟曰:“闻君祖纂涂山外传, 知之乎?”答:“知之。”叟曰:“我涂山氏之苗裔也。唐以后,谱系犹能忆之;五代而上无传焉。幸公子一垂教也。”生略述涂山女佐禹之功,粉饰多词,妙绪泉涌。叟大喜,谓子曰:“今幸得闻所未闻。公子亦非他人,可请阿母及青凤来,共听之,亦令知我祖德也。”孝儿入帏中。

 

 耿生(耿去病 は科挙の一次の県試に合格して県学の学生である生員の資格を持っている)はいきなり部屋に入ると、笑いながら大声で言った。「招かれざる客(不速之客)が来ましたよ!」部屋の中の人々は大いに驚き慌てて、走って逃げて隠れてしまった。ひとり老人が出て来て、叱りつけて尋ねた。「誰が人様の家の部屋(閨闥guī tà)の中に勝手に入って来たんだ?」 耿生が言った。「ここは我が家の部屋なのに、あんたが勝手に占拠したんだ。美味い酒を勝手に飲んで、主人を招待しないとは、あまりにけちん坊じゃないか。」老人は彼を子細に眺めると、言った。「おまえはご主人様ではないだろう。」耿生が言った。「わたしは勝手気まま、誰の束縛も受けない耿去病だ。主人の甥に過ぎないよ。」老人は恭しく言った。「かねてよりあなた様をお慕い申し上げておりました(久仰山斗jiǔ yǎng shān dǒu)。」そう言って拱手の礼をし、 耿生を迎え入れ、家人を呼んで料理を取り換えさせようとしたが、耿生がそれを止めさせた。老人はそれで客に酒のお酌をした。 耿生が言った。「わたしたち両家は代々交流があり、お宅の客人も遠慮して避けられる必要はありません。どうかお招きして一緒に酒を飲みましょう。」老人は「孝兒」と呼んだ。しばらくして若い男が外から入って来た。老人が言った。「これはわたしの息子です。」拱手の礼をして座り、少しばかり一族の家柄のことを尋ねた。老人が自ら言った。「わたしは義君と言い、姓は胡です。」 耿生は性格がさっぱりして話し上手(談議風生tán yì fēng shēng)で、 孝兒も洒脱(倜儻tì tǎng)であったので、杯を傾け歓談している間に、互いに気持ちが通じ合った。 耿生は二十一歳、孝兒より二歳年上であったので、彼を弟分として遇した。老人が言った。「あなたのお爺様は『塗山外伝』を編纂されたと伺いましたが、ご存じですか?」耿生が答えた。「知っています。」老人が言った。「わたしたちは塗山氏の子孫なのです。陶唐氏(中国五帝の一人、尭(ぎょう)の称。初め唐侯に封ぜられ、のち、天子となって陶を都としたところからいう。唐尭)以降の一族の家系図ははっきり憶えておりますが、五代(唐虞夏商周の五つの王朝)以前(つまり唐尭帝以前)については伝わっていないのです。できましたらあなた様よりご教示いただけないでしょうか。」耿生は塗山氏の娘が大禹を援けた功績のあらましを述べたが、言葉を様々に誇張、装飾(粉飾多詞)し、まるで泉から水が湧き出すように滔々と話をした(妙緒泉涌)。老人は大いに喜び、孝兒に言った。「今日は幸いにも聞いたことの無い話を聞くことができた。去病 殿は身内のようなものだ。母さんや青鳳を呼んで来て、一緒にこの話を聞かせたら、我が祖先の功績を知らしめることができるというものだ。」孝兒はそれで閨房の帳(とばり)の中に入って行った。

 

 

 少时,媪ǎoxié女郎出。审顾之,弱态生娇,秋波流慧,人间无其丽也。叟指妇云:“此为老荆。”又指女郎:“此青凤,鄙人之犹女也。颇惠,所闻见辄记不忘,故唤令听之。”生谈竟而饮,瞻zhān顾女郎,停睇不转‌zhuàn。女觉jué之,辄zhé其首。生隐蹑niè莲钩lián gōu,女急敛足liǎn zú,亦无愠怒yùn nù,生神志飞扬,不能自主,拍案曰:“得妇如此,南面王不易也!”媪见生渐醉,益狂,与女俱起,遽 ‌搴‌qiān‌帏去。生失望,乃辞叟出。而心萦萦yíng yíng,不能忘情于青凤也。

 

 しばらくして、老婆が娘と一緒に出て来た。子細に眺めると、娘は身体がなよなよとして艶めかしく、眼差しは秋の小川のように清らかな流れの中に聡明さが感じられ、世の中にこれ以上美しい女性はいないと思われた。老人は婦人を指差し言った。「これがわたしの老妻です。」また娘を指差し、「これが青鳳と言い、わたしの姪で、とても聡明で、見聞きしたことは必ず心に刻んで忘れません。それゆえこの娘を呼んで来て、彼女に先ほどの話を聞かせたいのです。」耿生は話し終えると杯を挙げて酒を飲んだが、視線はじっとこの娘の上に留め、瞬きもせず見つめていた。娘は去病の視線を感じ、すぐに俯(うつむ)いた。 耿生がそっと娘の纏足をした足(蓮鉤lián gōu)を軽く踏んでみると、娘は慌てて足を引っ込めたが、別に怒った様子も無かったので、耿生は気持ちが高ぶり、気持ちの抑えが効かなくなり、テーブルを叩いて言った。「このような女性を妻にすることができるなら、たとえ南面して王を称えることができようとも代わりはしない。」老婆は耿生が次第に酔っぱらって、益々気が猛ってきたのを見て、娘と共に立ち上がり、急いで帷(とばり)をまくり上げて行ってしまった。耿生は失望し、老人に別れを告げて帰って行った。しかし心ではずっと青鳳のことが気にかかり、彼女のことが忘れられなかった。

 

 

 至夜,复往,则兰麝lán shè犹芳,而凝待终宵,寂无声咳。归与妻谋,欲携家而居之,冀得一遇。妻不从,生乃自往,读于楼下。

 

 夜になって、再びそこへ行ってみると、蘭奢待の香りがまだ残っており、一晩中息をひそめて待っていたが、咳払いひとつ聞こえてこなかった。家に帰って妻と相談し、家を引っ越してこの屋敷で暮らせば、また青鳳に会えるのではないかと思った。しかし妻は同意しないので、耿生はひとり屋敷に行き、階下の部屋で読書をした。

 

 

 夜方凭几,一鬼披发入,面黑如漆,张目视生。生笑,染指研墨自涂,灼灼zhuó zhuó然相与对视。鬼惭而去。次夜,更既深,灭烛欲寝,闻楼后发扃jiōng,辟之閛pēng然。急起窥觇kuī chān,则扉半启。俄é闻履声lǚ shēng细碎,有烛光自房中出。视之,则青凤也。骤zhòu见生,骇hài而却退,遽双扉。生长跽cháng jì而致词zhì cí曰:“小生不避险恶,实以卿故。幸无他人,得一握手为笑,死不憾耳。”女遥语曰:“惓惓quán quán深情,妾qiè岂不知?但叔闺训guī xùn严,不敢奉命。”生固哀之,云:“亦不敢望肌肤之亲,但一见颜色足矣。”

 

 夜に机に向かっていると、一匹の鬼が髪の毛を振り乱して入って来た。顔は漆のように真っ黒で、見開いた目が耿生を見つめていた。耿生は笑って、指を磨った墨に点けて自分の顔に塗ると、眼をギラギラさせて相手を睨みつけた。鬼は恥じ入って去って行ってしまった。翌日の夜、更に遅い時間に、耿生が蝋燭を吹き消して寝ようとしていると、建物の裏から閂(かんぬき)を開け、門をパタンと開ける音が聞こえてきた。急いで立ち上がって覗いて見ると、扉が半分開いていた。しばらくしてカタカタと急ぎ足で歩いて来る音が聞こえ、蝋燭の灯りが部屋から出て来た。見ると、それは青鳳であった。突然耿生の姿が見えたので、青鳳はびっくりして後ろへ退き、直ちに両方の扉を閉めてしまった。耿生は身体をまっすぐ伸ばしたまま跪くと、哀願して言った。わたし如きが危険や劣悪な環境も顧みず、ここに来ましたのは実にあなたにお会いするためなのです。幸いにここには他に誰もおりません。あなたと手を握り談笑することができれば、たとえ死んでも悔いはございません。」女は部屋の入口から遠く離れた所から言った。「あなたの深い思いを、わたしがどうして存じ上げぬことなどございましょう。ただ叔父の躾(しつ)け(閨訓guī xùn)が厳しく、あなた様のお申し入れをお受けする勇気がございません。」耿生はそれでもただひたすら哀願して言った。「決して肌を合わせてむつみ合うことまで望んではおりません(不敢望肌肤之親)。ただ一目お顔を見れればそれで良いのです。」

 

 

 女似肯可,启关出,捉之臂而曳之。生狂喜,相将xiāng jiāng入楼下,拥而加诸膝。女曰:“幸有夙分sù fèn;过此一夕,即相思无用矣。”问:“何故?”曰:“阿叔畏君狂,故化厉鬼以相吓,而君不动也。今已卜居bǔ jū他所,一家皆移什物赴新居,而妾留守,明日即发矣。”言已,欲去,云:“恐叔归。”生强止之,欲与为欢。方持论间,叟掩入。女羞惧无以自容,俯首倚床,拈带niān dài不语。叟怒曰:“贱辈辱吾门户!不速去,鞭挞biān tàqiě从其后!”女低头急去,叟亦出。尾而听之,诃诟hē gòu万端。闻青凤嘤嘤啜泣‌yīng yīng chuò qì‌,生心意如割,大声曰:“罪在小生,于青凤何与?倘tǎngyòu‌凤也,刀锯鈇钺dāo jù fǔ yuè,小生愿身受之!”良久寂然,生乃归寝。

 

 女はそれを受け入れたかのように扉を開けて出て来たので、耿生は青鳳の腕を抱きかかえ、彼女を自分の胸に引き寄せた(捉之臂而曳之)。耿生は望外に喜び、ふたりは手に手を取って階下に下り、ふたりは抱き合うと、青鳳を自分の膝の上に乗せた(擁而加諸膝)。女は言った。「幸い前世からのご縁(夙分sù fèn)があったようです。でも今宵のことが終わった後は、もうわたしのことは忘れてくださいね。」耿生が尋ねた。「なぜだい?」青鳳が言った。「叔父はあなたの一途さを恐れ、それで恐ろしい鬼に化けてあなたを脅しに来たのに、あなたは動揺だにされませんでした。今は他所に引っ越すことを決め、家中の者が荷物を新居に移しており、わたしが留守番をしておりますが、明日には出発いたします。」そう言うと、そこを離れようとして、言った。「叔父が帰って来るといけませんから。」耿生は無理やり青鳳を押し留め、彼女と男女の喜びを迎えよう(欲与為歓)とした。ちょうどそんな議論をしていると、老人がいきなり部屋に入って来た。女は恥ずかしさと怖さで身の置き場が無く、俯(うつむ)いてベッドに寄りかかると、もじもじと無意識に着物の帯を弄(もてあそ)び、何も話さなかった。老人は怒って言った。「おまえという下劣な奴め、我が一族の名を辱(はずかし)めおって!早くここを出て行かぬと、後で鞭で叩くからな。」女はうなだれて急いで出て行き、老人も出て行った。後ろに付いて行って聞いてみると、様々に叱り罵る声が聞こえた。青鳳がしくしくすすり泣く声が聞こえ、耿生は身も張り裂けんばかりに感じ、大声で言った。「悪いのは僕なのに、どうして青鳳に罰を与えるんだ。もし青鳳を許してくれるなら、刀でも斧でも(刀鋸鈇(斧)dāo jù fǔ yuè古代の四種の刑具)、わたしが自ら進んで受けよう。」それから長い時間、物音ひとつ聞こえなくなったので、耿生は家に帰って休んだ。

 

 

 自此第内绝不复声息矣。生叔闻而奇之,愿售以居,不较直。生喜,携家口而迁焉。居逾年,甚适,而未尝须臾忘凤也。

 

 これ以降、屋敷内で再び奇怪な物音が聞こえることはなくなった。耿生の叔父は話を聞いて大変奇妙なことだと思い、この屋敷を耿生の住居用に売り払いたいと思い、値段がいくらでも気にしなかった。耿生は喜んで、家族と一緒にここに引っ越してきた。一年余り暮らして、たいへん快適であったが、彼は青鳳のことをひと時も忘れたことがなかった。

 

 

 会清明上墓归,见小狐二,为犬逼逐,其一投荒tóu huāng窜去cuàn qù,一则皇急huáng jí‌道上。望见生,依依哀啼yī yī āi tí‌,𦶑耳辑首jí shǒu,似乞其援。生怜之,启裳衿qǐ cháng jīn,提抱以归。闭门,置床上,则青凤也。大喜,慰问。女曰:“适与婢子bì zǐ戏,遘gòu此大厄è。 脱非郎君,必葬zàngquǎn腹。望无以非类见憎zēng。”生曰:“日切怀思,系于魂梦。见卿如获异宝,何憎之云!”女曰:“此天数也,不因颠覆diān fù,何得相从?然幸矣,婢子必以妾为已死,可与君坚永约耳。”生喜,另舍舍之。

 

 ある時清明節で墓参りから帰って来ると、耿生は二匹の子狐が、犬に追いかけられ逃げているのに出逢った。うち一匹は荒れ野に逃げて行ってしまったが、一匹は慌てて、誤って道路に出て来てしまった。狐は耿生を見ると、恋々と悲し気に泣き叫び、耳を垂れてうなだれ、援けを乞うている様子であった。耿生は気の毒に思い、着物の前おくみを開き(啓裳衿qǐ cháng jīn)、狐を胸に抱きかかえて帰った。門を閉ざして、ベッドの上に置くと、それは青鳳であった。耿生は大いに喜び、彼女を慰めた。女が言った。「先ほどはちょうど召使の女(婢子bì zǐ)とふざけておりましたら、思いがけずこのような災難に遭いました。もしあなたに助けていただけなかったら、きっと犬に食われていたでしょう。どうかわたしが人間でない(非類)からと嫌がらないでくださいね。」耿生が言った。「毎日切々とあなたのことを思っていて、夢にまで出て来る程です。あなたにお会いできて、まるで世にふたつとない宝を得たようで、どうしてこれを嫌がるなんて申しましょう。」女が言った。「これは神様の思し召しです。もしこのような災難が無かったら、どうしてあなたと一緒になることができたでしょうか。幸い、召使の女はわたしがもう死んだと思っていますから、あなたと終生添い遂げる(与君堅永約)ことができましょう。」耿生は喜んで、別の部屋を用意し彼女を住まわせた。

 

 

 积二年余,生方夜读,孝儿忽入。生辍读chuò dú,讶诘yà jié所来。孝儿伏地,怆然chuàng rán曰:“家君有横难héng nàn,非君莫拯zhěng。将自诣恳yì kěn,恐不见纳,故以某来。”问:“何事?”曰:“公子识莫三郎否?”曰:“此吾年家子也。”孝儿曰:“明日将过,倘携有猎狐,望君之留之也。”生曰:“楼下之羞,耿耿‌gěng gěng在念,他事不敢预闻。必欲仆效绵薄mián bó,非青凤来不可!”孝儿零涕曰:“凤妹已野死三年矣!”生拂衣fú yī曰:“既尔,则恨滋深耳!”执卷高吟,殊不顾瞻。孝儿起,哭失声,掩面而去。生如青凤所,告以故。女失色曰:“果救之否?”曰:“救则救之;适不之诺者,亦聊以报前横耳。”女乃喜曰:“妾少孤,依叔成立。昔虽获罪,乃家范应尔。”生曰:“诚然,但使人不能无介介jiè jiè‌耳。卿果死,定不相援。”女笑曰:“忍哉!”

 

 合わせて二年余りが経ち、耿生がちょうど夜読書をしていると、孝兒が突然部屋に入って来た。耿生は読書を止め、訝(いぶか)し気にどうしてここに来たのか尋ねた。孝兒は地面に跪き、悲しそうな様子で言った。「父上が思いがけず災難に遭い、助けるにはあなたにお願いするしかない(非君莫拯zhěng)のです。わたし自らお願いに上がらないと、恐らく受入れていただけないと思い、それで罷り越しました。」耿生が尋ねた。「どういうことですか?」孝兒が言った。「若様(公子)は莫三郎をご存じでしょう?」耿生が言った。「あの方はわたしと科挙で同期合格の学友の息子さん(年家子)です。」孝兒が言った。「あの方が明日このお屋敷の前を通られるので、もし狩りの獲物の狐を持っておられたら、あなたがそれをもらい受けていただきたいのです。」耿生が言った。「あの時階下で受けた辱めが、今も心の中で絶えず思い出されますのに、あの人のことはもう敢えて関りたくありません。もしどうしてもわたしに微力を尽くすようおっしゃるなら(必欲僕效綿薄mián bó)、青鳳に来て頼んでもらわないとだめですよ。」孝兒は涙を流して言った。「青鳳は荒野で死んでもう三年になります。」耿生は不満げに上着の袖を払い除け(拂衣fú yī)て言った。「このようになり、恨みは益々深まってしまいました。」巻物の書物を手に声高く詩文を吟じ、相手の方は一瞥(べつ)だにしなかった。孝兒が立ち上がると、悲しみの余り声を失い、上着の袖で顔を覆って去って行った。耿生は青鳳のところに行くと、事の次第を話した。女は色を失い言った。「それで助けてあげるのですか?」耿生が言った。「助けることは助けてやるさ。さっき承諾しなかったのは、奴(胡義君)の以前の横暴な態度に報いただけさ。」女は喜んで言った。「わたしが子供の狐だった時に、(父母を亡くしていたので)叔父さんのお陰で大きくなることができました。昔わたしは罪を受けましたが、それは我が家の家法で、従わざるを得なかったのです。」耿生が言った。「確かにそうかもしれないが、それでもこのことをわたしは無かったことにはできない(使人不能無介介)。おまえがあの時死んでしまっていたら、わたしはおまえを助けることができなかっただろう。」青鳳は笑って言った。「あなたは冷たい人ね。」

 

 

 次日,莫三郎果至,镂膺虎韔chàng,仆从甚赫。生门逆之。见获禽甚多,中一黑狐,血殷yān毛革;抚之,皮肉犹温。便托裘敝qiú bì,乞得缀补zhuì bǔ。莫慨然kǎi rán解赠 ‌jiě zèng。生即付青凤,乃与客饮。客既去,女抱狐于怀,三日而苏,展转复化为叟。举目见凤,疑非人间。女历言其情。叟乃下拜,惭谢cán xiè前愆qián qiān。喜顾女曰:“我固谓汝不死,令果然矣。”女谓生曰:“君如念妾,还乞以楼宅相假,使妾得以申返哺fǎn bǔ之私。”生诺之。叟赧然nǎn rán谢别而去。

 

 翌日、莫三郎は果たしてやって来た。馬の胸当ては金で彫刻され、弓の袋には虎の刺繍が施されていた。随員の隊列は人数も多くりっぱであった。耿生は屋敷の門の外でこの隊列を出迎えた。見ると狩りで仕留めた獲物はたいへん多く、中に一匹の黒い狐がいた。傷口の血が赤黒くなって皮革に染み出ていた(血殷毛革。「殷」yānは黒みがかった赤色。血が固まり赤黒くなって、毛や皮の部分に染み出ている)が、触ってみると、その身体はまだ温かかった。それで皮衣が破れた(裘敝qiú bì)ので、それを繕う(綴補zhuì bǔ)のにこの狐の毛皮を所望した。莫三郎は気前よく(慨然kǎi rán)袋を開けて譲って(解贈jiě zèng解嚢贈送の意味)くれた。耿生はすぐこれを青鳳に渡すと、客と酒を飲んだ。客人が去り、女は狐を胸に抱き、三日すると息を吹き返し、また老人(胡義君)に姿を変えた。眼を開けると青鳳が見えたので、老人はここが人間世界ではないのではないかと疑った。青鳳が事の経緯(いきさつ)を説明した。老人はそれで跪いて礼をし、恥ずかしそうにこれまでの過失(前愆qián qiān)を謝罪した。嬉しそうに青鳳を見て言った。「わたしは元々おまえが死んでいないと思っていたが、確かにこの通り生きておられた。」女が耿生に言った。「もしあなたがわたしのことを気にかけておられるなら、どうかこれまで通り住居をわたしにお貸しください。そうすればわたしはひな鳥が成長して後餌を銜えて親鳥を養うように、親の恩に報いる(返哺fǎn bǔ之私)ことができるでしょう。」耿生はそれに同意した。老人は気まずそうに(赧然nǎn rán)お礼を言って去って行った。

 

 

 入夜,果举家来。由此如家人父子,无复猜忌矣。生斋居,孝儿时共谈讌yàn。生嫡出dí chū子渐长,遂使傅之;盖循循善教,有师范焉。

 

 夜になって、果たして老人(胡義君)の一家がやって来た。これより両家は同じ家族の父子のように親密になり、再び互いに猜疑するようなことはなくなった。耿生はひとり書斎で読書し、孝兒はいつもやって来ては共に歓談した(談讌(=宴)tán yàn)。耿生の正妻の生んだ息子(嫡出dí chū)が次第に大きくなり、遂に孝兒がこの息子の先生になり、おおかた彼は順を追って上手に指導したので、教師の模範と言われるようになった。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

 このお話で、耿去病は青鳳に恋する思いを伝えるのですが、青鳳の叔父に強く拒絶され、相手にしてもらえません。それでも、「不敢望肌肤之親」( 決して肌を合わせてむつみ合うことまで望んでいない )、「一見顔色足」(一目顔を見れればそれで良い)と返事をします。そう言いながら、女がピシャリと閉じた部屋の扉を開けてくれると、「捉之臂而曳之」(青鳳の腕を抱きかかえ、彼女を自分の胸に引き寄せ)るに到り、「擁而加諸膝」(ふたりは抱き合うと、青鳳を自分の膝の上に乗せ)るまでになります。そして「欲与為歓」(彼女と男女の喜びを迎えよう)とするに到ります。短い文章の中に、濃密なやりとりが書かれており、なかなか興味深いお話です。

 

 荀玖の祖母の葬儀で一緒に山東に行った王惠は、都に戻るや 南昌知府へ任命するとの通達を受け取りました。それで江西省へ赴任したのですが、前任の蘧太守との引継ぎをあれこれ言って引き延ばし、人の好い蘧太守からまとまった銀子をもらい、ようやく引継ぎに同意します。王太守は着任するや、税の取り立てを厳しくし、人々に恐れられていましたが、そんな中、江西方面で寧王の反乱が勃発、朝廷は彼を南贛道の道台に抜擢します。ところが南贛は寧王軍に攻められ陥落、王惠は寧王に降順しますが、こうした経緯が、第七回で陳礼の仙乩(こっくりさん)の占いの結果と妙に一致してびっくり仰天。ところが寧王の反乱も、わずか二年で新建伯王守仁(王陽明)が平定、王惠は結局身一つで浙江に落ち延びます。そこで偶然、蘧太守の孫に出逢い、二百両の銀子を当座の費用にもらって去って行きます。南昌より故郷の嘉興に戻った蘧太守の元には、妻の実家の娄一族の三男、四男が訪ねて来ます。そこで蘧太守と娄家の三男、四男の間でいろいろやり取りがなされ……。『儒林外史』第八回をご覧ください。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

王観察は窮途(行き詰った状況)に好き世(世交。代々付き合いのある人士)に逢い

娄公子は故里(故郷)にて貧(清貧だが才能や徳のある人士)に遇う

 

 さて王員外は都に戻ってようやく休暇を終了させたのだが、早くも侍従の召使(長班)が採用の報告人(報録人)を連れて入って来て、跪き両手をついて地面に頭を近づける礼をしてお祝いを言ったので、王員外がどんな慶び事か尋ねたところ、その報告人は地面に頭を付け、通知書を差し出した。そこにはこう書かれていた。

 

 江西巡撫王大人から(皇帝陛下への)奏上文。重要な地方に才能のある人員が必要なこと。南昌知府(府知事)の人員に欠員が出た。ここは乃ち長江沿岸の要衝の地であり、学識があり有能な人員を選抜する必要がある。特にこの奏上文について皇帝陛下のご裁決を仰ぎ、朝廷中央の各部在職の職員の中から一名を選抜する。奉旨:南昌府知府の人員の欠員で、元工部員外郎の王惠を、欠員の南昌府知府の職位を引き継ぐよう任命する。欽此。

 

 王員外はこの慶び事を報告してくれた人に酒飯を賞し、その恩を謝し、旅装を整えると、江西に赴任した。数日をかけ、江西の省城に到着した。南昌府の前任の蘧(きょ)太守は、浙江嘉江府の人で、進士出身だったが、年老い病気を理由に、既に役所を離れており、公印管理の職務は副官の通判が代理で行っていた。王太守が着任し、正式に職務に就くと、部下たちが皆面会し指示を仰ぎに来た。そして蘧太守が来て挨拶をした。王惠も挨拶を返した。この度の帳簿その他の引継ぎで、互いに見解の不一致があり、王太守は引継ぎに同意しなかった。

 

 ある日、蘧太守が人を遣わして来て申し上げて言った。「旦那様(太爺)は年老いて病気がちで、耳も悪くなってはっきり聞き取りができません。引継ぎについては本来なら自ら来て王旦那様のご指導を賜らないといけないところです。しかしこのような有り様ですので、明日若旦那様(少爺)に言いつけてここに来させて直接お会いしてお願いしますので、一切のことは皆、王旦那様が代わってご担当願います。」王惠は承諾し、役所の中で酒飯の準備をし、蘧公子をお待ちした。そのまま朝食が済んで後、一基の駕籠に乗り、赤い紙に書いた名刺を携えて来られ、それには「後嗣の若輩、蘧景玉拝」と書かれていた。王太守は家の門を開き、若君に入ってもらった。王太守が見ると、かの蘧公子は動作が軽やかで容貌が美しく、所作振舞いは一般の人々と異なり、互いに礼をすると、譲り合って席に着いた。王太守が言った。「先日幸いにも貴殿のお父君にお目にかかり、お父君のお振舞や風格を拝見いたしました。して、お父君のお身体の具合は、如何なものでございましょう?」蘧公子が言った。「父は年老い、ずっと肺病を患っておりまして、煩雑な実務には耐えられず、しかも両耳が遠くなりまして。あなた様のご心配に感謝いたします。」王太守が言った。「恐れ入ります。あなた様(老世台)は今年いくつにおなりになられましたか?」蘧公子が言った。「わたしは三十七歳です。」王太守が言った。「ずっとお父君の任地について行かれておられたのですか?」蘧公子が言った。「父が県令をしておりました時は、わたしはまだ幼かったので、叔父の範老先生に従い、先生が山東で学政をされた時の行政府の中で勉強をし、また先生を助けて試験の答案を見たりしておりましたが、そのうち昇格して南昌に赴任するにおよび、署内で事務をする者がいなかったので、ここ数年はずっとここにおります。」王太守が言った。「お父君は気持ちがたいへん旺盛であられたのに、どうしてこんなに急に勇退されることになったのですか?」蘧公子が言った。「父はいつもこう言っておりました。「官界の荒波には、あまり長く未練を持つものではない」と。ましてや秀才になった頃は、元々家に何畝か薄田を所有し、米の粥を供することができておりました。祖先が残したあばら家で、雨露をしのぐことができました。他に琴や酒樽、本や筆硯を並べる机、花壇や薬草園、花を眺める高殿が何ヶ所かあり、気を晴らすことができました。それで騒々しい浮世に身を置いていると、いつも山林や原野の中に隠棲したいとの思いが湧き、今は晋の孫綽chuò(そんしゃく)の『遂初賦』suì chū fù 遂初:初志(官職を辞し隠棲したいとの願望)を遂行する、という意味。散文まじりの韻文のこと)のように、官界を退くことにしたのです。」王太守が言った。「昔から「官を休(や)めるは子に問う莫れ」(休官莫問子)と言います。あなた様(老世台)がこんなに胸襟を開いて高い志を持たれているのを見て、お父君(尊大人)は気持ちよく官を辞すことにされたんですね。」笑いながらこう言った。「近い将来、(蘧公子が)科挙の試験に優秀な成績で合格され、お父君(老先生)は正に朝廷から(息子のことで)栄誉の称号を贈られ、晩年を幸福に送ることができるでしょう。」蘧公子が言った。「老先生、ひとりの人間が賢者か愚人かは、科挙に合格したかどうかで決まるものではありません。わたし(晩生)は父君が一日も早く田園に帰られ、粗末な食事で以って父母にお仕えできることを願うばかりで、これこそ人生で最も楽しいことなのです。」王太守が言った。「そういうことなら、尚更敬うべきことです。」

 

 そう言うと、三度茶を淹れ直し、寛いでゆったりした衣服に着替え、座った。引継ぎのことに話が及ぶと、王太守は本当に難しそうな顔をした。蘧公子が言った。「老先生、あまり心配なさらなくてもいいですよ。父はここ数年質素な生活をしておりますが、相変わらず読書人として振る舞っております。これまで貯めた俸禄の残りが、およそ二千金余りもあり、こうして倉庫に蓄えた穀物、馬、その他の公用の物資で足らないものがありましたら、どれでもこの二千金の中からあなた(老先生)が自由に補填ください。父はあなた様が何度か都で官職に就かれていたのを存じ上げております。官吏の俸禄は微々たるもので、生活は苦しいですが、決して後任の方にご不便をおかけするようなことはいたしません。」王太守は彼の言葉が大らかで、気持ちが良かったので、心から喜んだ。

 

 しばらくして、酒が並べられ、席を奉じて着席した。王太守はゆっくり尋ねて言った。「この地方の人々の世情につきましては、まだ何か特徴がありますでしょうか?訴訟や揉め事が起こった時に、何か融通を利かせられるところはあるでしょうか?」蘧公子が言った。「南昌の人の気風は、純朴でやや粗野なところがありますが、正直で悪賢さが少ないです。この地方の物産について、それから訴訟のことを言えば、父の在任中は、訴訟の案件を受けることがたいへん少なかったです。三綱五常(人として守るべき道徳と、常に行うべき道義)の社会や道徳秩序に関わる大事件を除いて、それ以外の家庭や婚姻、土地、家屋に関わる問題は、皆下の県の役所で処理させ、できるだけ人々を慰撫し、民衆を休ませて生産を回復するようにしてきました。たとえ中にいくつか利益を生む場所があっても、決して無理にそれを搾り取らないようにしました。ひょっとするとそういうこともあったかもしれませんが、実際のところは分からないです。わたしのような若輩に聞かれても、「盲人(めくら)にものを尋ねる」ようなものです。」王太守が笑って言った。「そうしますと、「清廉な知府でも三年勤めれば、十万の真っ白な銀」という話は、実際はそう正しくもないですな。」この時、酒が数巡してほろ酔い加減であったが、蘧公子は王太守が尋ねることが皆幾分浅はかに過ぎることであったので、またこう話し出した。「わたしの父がこの地で任に就いて以来、とりたてて業績も上げていませんが、ただ訴訟が少なく刑罰も軽かったので、人々は安心して暮らせています。それゆえ幕僚たちも、役所の中で自由に振る舞い、詩を吟じたり楽器を演奏したりできています。そういえば、前任の司法担当の按察使が父にこう言っておりました。「あなたのところの役所では三種類の音が聞こえてくるね」と。」王太守が言った。「どんな音ですか?」蘧公子が言った。「詩を吟じる声、碁を打つ音、歌を唄う声です。」王太守が大笑いして言った。「そんな音が聞こえてくるのもたいへん面白いですな。」蘧公子が言った。「今後あなた(老先生)が政務を行われると、ひょっとするとこの三種類の音が変わるかもしれないですね。」王太守が言った。「どのように変わるんですか?」蘧公子が言った。「秤(はかり)でものを量る音、そろばんをはじく音、板子bǎn zi(刑罰用の棒)で罪人を打つ音です。」王太守はこの話が自分を皮肉っているのが分からなかったので、居住まいを正して答えて言った。「今あなたとわたしは朝廷のため公務を行っているのですから、ただ真面目に職責を果たさないといけないのです。」蘧公子はたいへんな大酒飲みで、王太守も酒が好きであったので、互いに差しつ差されつ酒を酌み交わし、そのまま日が西に沈む時分まで飲んでいたが、引継ぎのことは面と向かって話し合い、意見が一致したので、王太守が承諾の証明書を書き、別れて帰った。数日して、蘧太守が果たしてまとまった銀子を送って来たので、王太守が前任の蘧太守に代わり政府の文書を発行した(引継ぎが完了した)。蘧太守は息子一族を伴い、船一杯に書画を積んで、嘉興へ戻って行った。

 

 王太守は城外まで見送って帰って来た。果たして蘧公子の話を聞き、特大の倉庫用の秤を特注し、様々な政務を担当する小役人を皆召集し、各々が担当する業務での利益を明確にさせ、ごまかしを許さず、上前が出た分は全て役所に納めさせた。三日、或いは五日毎に納税を督促した(三日五日一比)。用いたのは特大の板子で、二本の板子を役所内に持ち込んで重さを測り、軽いものと重いものを比べ、棒(板子)の上に暗号を記した。出て来て広間に座り、棒打ちの刑に処すると言いつけ、もし下っ端の役人が軽い方の棒を取れば、そいつが金を受け取ったことが分かるので、その重い方の棒を取って、それで下っ端の役人を叩いた。こうした下っ端の連中は、皆彼に畏れおののき、為すところを知らなかった。街中の人々で、この旦那のおっかなさを知らぬ者はひとりもおらず、夢にまで出てくるほどだった。このため、上級の官吏が聞き込みで調べると、皆彼のことを江西第一のやり手だと言い、二年余りするうちに、方々で評判になった。ちょうどこの時に江西で寧王の反乱が起こり、各地で厳戒態勢となったが、朝廷は彼を南贛道(gànは江西省の別称)に遣わし、軍需物資の護送を担当させた。王太守は緊急の軍令(羽檄yǔ xí。雉の羽を挿して緊急に伝達の必要な軍令であることを示した)を受け取り、流星の如き速さで南贛に赴き着任した。着任して間もなく、門を出て驛站(街道の宿場)を調べるのに、四頭立てのりっぱな馬車が、夜もまだ明けぬうちに出立し、夜になってようやく投宿して休んだ。その日さる場所に到着すると、公館(官僚や金持ちの屋敷)に投宿した。――そのお屋敷は昔の金持ちの邸宅で――入って頭を上げて見ると、中央の広間(正庁)の上に扁額が懸かり、扁額には赤い紙が貼られ、上に「驊騮開道」huá liú kāi dào(駿馬が道を開いてくれる。驊騮は周の穆王が乗ったという伝説の名馬)の四文字が書かれていた。王道台はそれを見て、たいそう驚いた。広間に着いて席に上ると、お付きの役人や下っ端の者たちが挨拶に来たので、門を閉ざして飯を食っていると、突然一陣の強い風が吹いて、かの赤い紙を吹き飛ばして地面に落とし、中から緑の地に金字で「天府夔龍」tiān fǔ kuí lóng(朝廷の天子を輔弼する賢臣)の四文字が現れたので、王道台はびっくり仰天し、そこでようやく(こっくりさんの占いで)関聖帝君(関羽のこと)が判定した言葉の意味が分かり、今日になってようやくその予言が当った。あの時「両日黄堂」と判定したのは、つまり南昌府の「昌」の字(「両日」で日がふたつ並ぶ)のことだったのだ。そこから万事が予め決められていたことが分かった。その晩は特に何も無く、公務の巡察が終わると役所に戻った。

 

 翌年、寧王は兵を率いて南贛の官軍を破り、人々は城門を開き、慌てふためいて逃げ出し、四方にばらばらに走り去った。王道台は防ぎ止めることができず、一隻の小船を呼ぶと、夜陰に乗じて逃げ去った。大江の中にまで逃げると、寧王の百十隻の軍艦に出逢った。兜や鎧がぴかぴか輝き、船上には何千何万の松明が燃やされ、王道台の乗る小船を発見すると、「拿捕しろ!」との声が響き、数十人の兵卒が船に飛び乗り、船室に入って来ると、王道台を背中から羽交い絞めにして手を縛り、大船に連行した。

 

 

従者や船頭は、殺される者は殺され、殺されたくない者は、水の中に跳び込んで死んだ。王道台は恐れおののいてブルブル震え、ランプの灯りの中で寧王が上座に座っているのが見えると、頭を上げる勇気が無かった。寧王はこれを見ると、慌てて近づいて来て、手ずから彼のために縄を解いてやり、衣裳を持って来て着させると、こう言った。「わたし(孤家。古代、群雄から割拠した勢力の首領の自称)は太后の密詔を奉じ、兵を挙げて君王側の奸臣を誅殺せんとしています。あなたは江西の有能な官吏ですから、わたしに付き従ってくれれば、あなたにもっと高い官位を授けますよ。」王道台はブルブル震えて頭を地面に付ける礼をして言った。「どうかあなたに降順させてください。」寧王が言った。「既に降伏を願われたのだから、わたし自ら一献酒を差し上げよう。」この時、王道台は縄で縛られ気持ちがたいへん痛んでいたので、跪いて手に酒を一杯受け取ると、ひと息に飲み干したところ、心はもう痛まなかった。また頭を地面に付けて感謝した。王旦那はそれで江西按察司の職を賞せられ、これ以降は寧王の軍中に付き従った。寧王の軍中では、左右の者がこう言うのが聞こえた。寧王はその家譜の中では八番目の王子で、先ほどの関聖帝君(関羽)が判定した「琴瑟qín sè琵琶(琴、瑟、(しつ)、琵琶。何れも弦の本数の異なる弦楽器)は、頭に八つの「王」の字があり(八番目の「王」なので)、ここまで一句たりとも予言が当らぬものは無かった。

 

 寧王は二年間騒ぎを起こしたが、思いがけず新建伯王守仁(明代大儒王陽明(王守仁)が封じられた爵位。新建は地名で、今の江西省南昌市新建区)にあっという間に撃破され、両手を縛られ捕虜にされた。その配下のにせ役人は、殺される者は殺され、逃げる者は逃げた。

 

 

王道台は役所では一点たりとも財物に手を付けず、ただ枕箱を手に取った。中には何冊か読みかけの本と何両かの銀子が入っていて、それで平民の衣服と交換すると、夕闇の中を逃走した。本当に慌てて道を選ばず、何日か陸路を通ったと思えば、また船に乗って進み、意識が朦朧となり、そのままずっと浙江烏鎮地方までやって来た。

 

 その日は船で泊まり、お客は皆陸に上がって軽食(点心)を食べたので、王惠も何枚か銭を持って岸に上がった。かの点心店は席が皆埋まり、ただひとりの少年がひとりでひとつのテーブルを占めていた。王惠はその少年を見て、どこかで会ったような気がしたが、思い出せなかった。店の主人が言った。「お客さん、あなた、このお客さんと一緒に座ってください。」王惠はそれで彼の対面に座ろうとし、その少年は立ち上がって彼と一緒に席に着いた。王惠は我慢できずに尋ねた。「お客さん、あんたはどちらにお住まいかね?」その少年が言った。「嘉興です。」王惠が言った。「苗字は何と言われる?」その少年が言った。「姓を蘧と言います。」王惠が言った。「以前、蘧という年配の方がおられ、南昌太守をされていましたが、ひょっとしてあなたのご一族の方ですか?」その少年は驚いて言った。「それはわたしの祖父です。あなたはどのようなご縁でわたしにお尋ねにになるのですか?」王惠が言った。「どなたかと思えば、蘧老先生のお孫様であられましたか、失礼いたしました。」その少年が言った。「さてもまだあなたの苗字もご出身地も伺っていませんが。」王惠が言った。「ここではお話もできません。あなたの船はどちらに?」蘧公孫は言った。「岸辺に停めております。」すぐに勘定を済ませると、ふたりは手を携え船に下りて座った。王惠が言った。「当時、南昌でお会いした若様(少爺)は、お名前を景玉と言われましたが、あなたの叔父様ですか?」蘧公孫が言った。「いえ、わたしの「先君」です。」王惠は驚いて言った。「どなたかと思えばご尊父であられましたか。道理でお顔が似ておられる。けれども、どうしてそんな呼び方をされるのですか、まさかもうお亡くなりになられたのではないでしょうね?」蘧公孫が言った。「祖父はあの年南昌で官職を辞し、翌年不幸にもわたしの父(先君)が身罷ったのです。」

 

 王惠はそう聞いて、涙を流し、言った。「昔南昌で、ご尊父と親密な誼(よしみ)を交わしましたのに、今は思いがけず故人となられたとは。あなたは今年おいくつになられました?」蘧公孫が言った。「虚しく十七歳を過ごしました。ところでまだあなたの苗字とご出身地を伺っておりませんが。」王惠が言った。「あなたとご一緒の方はこちらにおられないのですか?」蘧公孫が言った。「皆岸に上がっております。」王惠は相手の耳の傍で低い声で言った。「わたしは後任の南昌知府の王惠です。」蘧公孫は大いに驚き言った。「聞くところによると、先生は既に南贛道の道員にご栄達されたそうですが、どうして平民の為りをしてひとりでこちらに来られたのですか?」王惠が言った。「他でもなく寧王の謀反のため、わたしは官を辞して逃げ落ちました。けれど城が包囲され、旅費を持ち出すこともできませんでした。」蘧公孫が言った。「これからどちらに行かれるのですか?」王惠が言った。「どうにもならない窮地に陥り漂泊し、往く当てなどありません。」そう言って、寧王に降順したことは言わなかった。蘧公孫が言った。「老先生は辺境を守ることができず、今は公(おおやけ)に出て自首するのも具合が悪いでしょう。ただこの広い大地の中で、旅費にも事欠き、どうされるおつもりですか?わたし(晩学生)はこの度は祖父の命を奉じ、杭州の親戚の家で一件銀子の取り立てをして来ました。銀子は今この船の中にありますが、今は暫時老先生の旅費としてお渡しし、どこか静かなところを捜して身を安んじていただくのが良いと思います。」

 

 そう言うと、四包みの銀子を取り出し王惠に手渡すと、全部で二百両あった。王惠は何度お礼を言っても足りないほどで、それでこう言った。「両方の船はそれぞれ先を急がれており、これ以上遅れることはできず、お別れしなければなりません。お助けいただいたご恩は、わたしが生きておりましたら、必ず厚くお返しさせていただきます。」両ひざを揃えて跪いた。蘧公孫も慌てて跪き、同様に何度か頭を下げた。王惠がまた言った。「わたしは荷物と布団のい他は、何も持っておりません。ただひとつ枕箱があり、中に読みさしの本が何冊かあります。今は外地に身を隠しておりますが、このちょっとした持ち物で、人に探し出され、ひと悶着が起きるかもしれません。今は持って来てあなたにお渡しすれば、わたしは身軽になって逃げやすくなります。」蘧公孫が同意したので、彼はすぐに船から取って来て引継ぎ、互いに涙を流して別れた。王惠が言った。「謹んでお爺様によろしくお伝えください。この世では恐らくもうお会いすることはかなわないでしょう。来世に犬や馬に生まれ変わることができましたら、必ずあなた様の恩情にお報いいたします。」別れて後、王惠は別に船を見つけて太湖に入り、これより姓名を変え、髪を剃って僧衣を身に纏った。

 

 

 蘧公孫は嘉興に帰ると、祖父に会い、道中で王太守に出会ったことを話した。蘧太守は大いに驚いて言った。「彼は寧王に降順したのだ。」公孫が言った。「そのことは言われませんでした。ただ官を辞して逃げ落ちたと。それに旅費も何もお持ちではありませんでした。」蘧太守が言った。「あの人は朝廷に対し罪を犯したが、わたしとは古い友情がある。どうしておまえは取り立てて来た銀子をあの人の旅費に渡さなかったのか?」公孫が言った。「もうあの方にお渡ししました。」蘧太守が言った。「全部でどれだけあったかね?」公孫が言った。「二百両の銀子しか受け取れませんでしたが、その尽くをあの方にお渡ししました。」蘧太守はたいへん喜んで言った。「おまえは本当にそなたの父親に似ているな。」そう言って、曾て父親が家督を引き継ぐ時に言いつけた事を、また一度話した。公孫は祖父に会うと、部屋に入って母親の劉氏に会った。母親は旅の上のことをあれこれ尋ね、その苦労を労(ねぎら)った。そして部屋に戻って休んだ。翌日、祖父の前でまた言った。「王太守の枕箱の中には、まだ何冊か本がありました。」取り出して祖父に渡すと、蘧太守はそれを見た。皆写本であった。他の本はどうということもなかったが、その中の一冊が、『高青邱集詩話』(明の高啓、字が青邱。明太祖の文字の禍で殺され、明初に禁書にされた)といい、百ページ余りの本で、青邱自ら毛筆で書き写したもので、極めて丁寧に写本し装幀されていた。蘧太守が言った。「この本は長年皇帝のお住まいに秘蔵されていたもので、数十年来、多くの才人が一目見たいと願ってもかなわず、天下に二つと無いものだ。おまえは今思いがけずこの書を得たのは、真に天の与えた幸いで、須らく収蔵し、容易く人に見られてはならない。」蘧公孫はそう聞いて、心の中で思った。「この本が天下にふたつと無いものなら、いっそのこと、これを丁重に写本して装幀し、わたしの名前を添えて、出版すれば、これで有名になることができるんじゃないだろうか。」考えが決まると、遂に版を起こして、高季迪(季迪も高啓の字)の名前を上に書き、下に「嘉興蘧来旬駪夫氏補輯」(蘧公孫の本名は来旬、字は駪shēn夫。補輯bǔ jíは補足収録の意)と書いた。版を刻み終えると、数百部印刷し、親戚や友人に遍く送った。人々はこれを読んで楽しみ、手放すことができなくなった。これより、浙江西部の各郡都では蘧太守の孫(公孫)が少年名士として敬慕された。蘧太守はそのことを知っていたが、既に起こってしまったこととて何も言わず、これ以降はしばしば孫を教え導くのに詩を作り、一二尺四方の紙に書くと、何人もの名士に贈ったり返答されたりした。

 

 ある日、門番が入って来て申し上げた。「娄のお屋敷(娄lóu府)のおふたりの若様(少老爺)がお越しになりました。」蘧太守が孫(公孫)を呼んだ。「娄の家のいとこ(表叔biǎo shū)が来たから、早く行ってお迎えして入ってもらいなさい。」 公孫は命令を受けて、急いで出て行って出迎えた。このふたりは娄中堂(大学士の尊称)のご令息(公子)であった。中堂は朝廷に二十年余り勤め、薨御(薨逝hōng shì)された後、祭葬jì zàng(死者への追悼ろ葬儀の儀式)を賜り、諡(おくりな)は文恪(ぶんかく)、湖州の人氏であった。長子は現在通政司大堂に任じられていた。三男(三公子)は諱(いみな)を瑧zhēn、字を玉亭といい、挙人(孝廉xiào lián。科挙の合格者)であった。四男(四公子)は諱を瓚zàn字を瑟亭といい、国子監で勉強していた。彼は蘧太守の妻方の甥(内侄nèi zhí)であった。公孫がふたりに従い入って来ると、蘧太守は喜び、自ら広間の外の軒の下まで出迎えに出た。ふたりは入って来ると、叔母のご主人に上座に座ってもらい、その前に跪いて礼をした。蘧太守は自ら手で助け起こし、孫に傍に来させていとこに挨拶をさせ、座ってもらい茶を奉った。ふたりの娄家の公子が言った。「叔父様とお別れしてから、指折り数えてもう十二年経ちました。わたしたちは都で、叔父様が官を辞して故郷に帰られたと伺いました。あなた様の高明なご考察に敬服しない者はひとりもおりません。今日叔父様にお目にかかることができました。髭も鬢ももう真っ白におなりで、お役目中のご苦労が偲ばれます。」蘧太守が言った。「わたしは元々役人になるつもりはありませんでした。南昌で数年お勤めしたものの、特に何の成果も上げられず、虚しく朝廷の俸禄を浪費しておりましたので、官を退いた方がよいと思いました。思いがけず、家に戻って一年して、息子が亡くなり、益々胸の中が冷たく感じられたのですが、よく考えてみますと、おそらくやはり役人をしておりました報いでありましょう。」娄家の三男が言った。「お兄様は生まれつき才知に溢れ、大らかで細かいことにこだわらない方でしたが、こんなに早く逝かれるなど誰が思いましょう。幸い甥御さんがもう成人され、叔父様の元に付き従っておられるのは、せめてもの慰めでございます。」娄家の四男が言った。「わたしたちはお兄様の訃報を聞き、子供の頃に仲良くしていただいたことを思い出しました。その後思いがけず分かれ分かれになり、臨終にお別れを言うことができず、兄と共に深い悲しみにくれ、発狂せんばかりでした。一番上の兄も思い出しては、一日中涙が止まりませんでした。」蘧太守が言った。「お兄様は、お役目を愉快になされていますか?」ふたりが言った。「通政司は暇な役所ですから、兄は役所であれこれ起こったことに、これまで何も意見を申し出たことがなく、またとりたてて言うことも無いのです。だからわたしたちも都にいても次第に無聊をかこつようになり、故郷に帰った方がいいと相談しているのです。」

 

 しばらく座っていたが、衣服を着替えると、ふたりはまた中に入り、嫂(あによめ)にお目にかかった。公孫が付き従い、書斎にお連れした。目の前は小さな花園になっており、琴、酒樽、炉、小テーブル、竹、石、小鳥、魚といったものが、物寂しくも好ましく配されていた。蘧太守も葛布で編んだ質素な服に着替え、天台山に産する紅藤の杖を付き、出て来て一緒に座った。食事が並べられ、食事が済むと、茶を淹れ清談(政治や権力にとらわれない自由な議論)をし、江西寧王の謀反の話を始めた。「幸いなことに新建伯(明代大儒王陽明(王守仁))が非凡な智慧を発揮して独自に計略を巡らし、大功を打ち建て、この度の大難を除かれました。」娄家の三男が言った。「新建伯はこの度大功を建てられたのに、褒賞を受けようとなさらず、このような態度は真に得難いことです。」四男が言った。「わたしが見るところ、寧王のこの度の挙動は、成祖(永楽帝)と余り違いがないと思います。ただ、成祖は運が良かったので、今や聖人様神様とあがめられ、寧王は運が悪かったので、叛徒と蔑まれ、捕虜に身を落とした訳で、不公平な話と見做せるのではと思います。」蘧太守が言った。「成功か失敗かで人を論じるのは、固より凡人のものの見方です(成敗論人、固是庸人之見)。けれども本朝の事件で、わたしたちが臣下として関わったことは、ものの言い方に慎重であるべきです。」四男はそれ以上ものを言う勇気がなかった。誰知ろう、これらふたりの公子は、科挙の試験がうまくいかず、若いうちに状元、榜眼、探花といった優秀な成績で合格して、翰林院に入ることができなかったので、心の中に不満が鬱積してぶつぶつ文句を言い、いつもたたこう言ってこぼしていた。「永楽帝が位を簒奪してからというもの、明朝は正しい秩序を失ってしまった。」いつも酒を飲んでほろ酔い気分になると、こうした議論をしないではいられなかった。(一番上の兄の)娄通政もこれを聞き捨てておけず、問題が起こるのを心配し、それで彼らに浙江へ帰るよう勧めたのであった。

 

 そうしてまた少し世間話をしてから、ふたりは尋ねて言った。「お孫さんの学業は、最近は成果が出ておられますか?またご婚姻を済まされたお喜びなどはございませんか?」太守が言った。「おふたりの賢明な甥に正直に申し上げると、わたしにはこのひとりの孫しかおらず、小さい時から甘やかして育ててきました。わたしはいつもこうして勉強をみてもらっている先生を見ても、彼らはたいした学問も無く、ただもっともらしい振舞いをして、ともすれば生徒を威圧して威張っているだけだと思っています。人様が先生を頼まれる時、口を開けば厳しく教えるように言われますが、わたしはあまりに気ままにさせていて、この子を今はやりの先生に習わせようと思ったことがないのです。息子が生きていた時は、自らこの子に儒家の経典や史書を教えていましたが、息子が死んでからは、わたしは心の中で一層この子が愛おしくなり、この子のために国子監の監生の身分を買ってやり、科挙の試験のことはあまり真剣に考えたことがないのです。最近わたしは田園や山林に退き、いつもあの子に何首か詩を作り、内なる心情を詠ませていますが、この子は、天意に順応し、運命に安んじて怨まないことを理解すべきで、それにはわたしの傍に付き従い、孝行を尽くし、一家団欒を迎えられれば十分です。」ふたりの公子が言った。「これは猶のこと叔父様のご高見です。俗にも申します。「元気を消耗し尽くした進士を出すぐらいなら、暗に徳を積み、経書に通じた儒者を育成した方がましだ」(与其出一个斫削zhuó xuē元气的進士,不如出一个培養陰騭yīn zhì的通儒)と。このことは急を要します。」蘧太守はそれで公孫を呼んで、平素作った詩を何首か持って来て、ふたりのいとこに見せた。ふたりはそれを見て、称賛が止まらなかった。そのままふたりを引き留めて四五日逗留いただくと、ふたりはお暇(いとま)を言って帰ろうとした。蘧太守は酒を準備して送別の宴を催し、酒の合間に公孫の婚儀の事を持ち出した。「こちらの金持ちの家にも、お願いに言いに行ったことがあります。わたしは貧しい役人なので、彼らが結納の金額を競い合うのを恐れ、それゆえなかなか話が進まないのです。いとこのおふたりは湖州におられるから、もしご親戚や姻戚関係のお家がありましたら、よろしくお願いします。多少貧しい家でも構いませんから。」ふたりは承諾した。

 

 その日の酒席は終了した。翌朝、船を呼ぶと、先に荷物を発送した。蘧太守は公孫に船の上まで見送るよう言いつけ、自ら出て来て広間でお別れをし、こう言った。「わたしは最も近しい親戚が来られたので、ここで数日ご滞在いただき、普段通りの食事でおもてなしさせていただきましたが、接待が簡単すぎたことを責めないでください。おふたりがお屋敷に戻られたら、既に亡くなられた太保公とお父上の文恪公の墓所に行き、わたしの名を出して、わたくし蘧祐は年老いて歩行も困難で、自ら再びお墓にお参りに来ることはできませんと申し上げてください。」ふたりの公子はそれを聞いて、厳かに敬慕し、叔父に別れを告げると、蘧太守は手を取って屋敷の外の門まで送った。公孫は先に船の上で、ふたりが到着するのを待っていたが、いとこにお別れを言うと、船が漕ぎ出すのを見送り、それからようやく屋敷に戻った。ふたりの公子は一艘の小船に乗り、旅装は簡単で粗末なもので、暮らし向きも清貧で簡素さを保っていたが、見ると川の両岸は桑の木が生い茂って日光を遮り、鳥の飛ぶ羽音が聞こえたが、半里余りも行かぬうちに、小さな港に出て、中から船が漕ぎ出して来て、菱やレンコンを売っていたので、ふたりの兄弟は船の中で言った。「わたしたちはここ数年というもの都の塵や土埃の中にいたので、このような幽玄で優雅な景色を見たことがあっただろうか。正に宋代の人の詞に言うように、「推し量るに田園に帰ることこそ正しい選択だ(算計只有帰来是)。」果たしてその通りだ!」

 

 見ていると空が暗くなり、とある町(鎮)に着いた。桑の木の茂みの下で、人家に灯りが点り、その灯りが川面を照らし出したので、ふたりの公子が言った。「船頭に言って船を止めて下船しよう。ここには人家があり、岸辺で酒を買って、共にこの美しい夜を過ごし、ここで一泊しよう。」船頭が同意したので、船を止め、ふたりの兄弟は船舷に寄りかかって酒を痛飲し、古今の事を語り合った。翌朝、船頭が船中で食事の用意をし、ふたりの兄弟は岸辺をぶらぶら散歩していると、ふと家並みの曲がり角をひとりの男が歩いて来るのが見え、ふたりを見ると、頭を下げて礼をし、言った。「娄家の若旦那、わたしのことを憶えておられますか?」この男に出逢ったがために、幾つかのことが起こった。公子たちは為人(ひととなり)が物惜しみせず人と交わるのを好む、非常に名望のある、学識豊かな大学者であった。高官や権勢家のお屋敷で宴席が開かれると、いつもまだ官職に就いていない読書人や隠士が集まって来た。果たしてこの人物は誰でありましょうか、次回に解説いたします。

 

 範進は無事科挙の最終の会試に合格し、山東学道となり、山東での科挙の試験を主宰します。師の周進が、曾て汶上県の私塾で教えた荀玖の、科挙合格を範進に託します。汶上県からは、年若い荀玖の他、周進と一緒に生員となった梅玖が合格しますが、梅玖の書いた文章が科挙の規定を守っていなかったため、周進から厳しく叱られます。荀玖は会試の受験で都に行き、見事合格します。その後、同期合格の 惠と知り合い、ふたりは扶乩(こっくりさん)の占いをする陳礼に、将来の栄達を占ってもらいます。ある日、荀玖の元に、お婆様が亡くなったとの知らせが届きます。官吏は朝廷に届け出て三年喪に服さねばならず、員外郎にはなったものの、朝廷の役職に就くことができなくなりました。荀玖の家は、父親が亡くなり、財政が厳しくなっていましたが、 年若い荀玖と、官界で誼を作りたい惠が同行し、葬儀の費用を立て替え、葬式の儀式も取り仕切ってやります。科挙の試験は誰でも試験を受けれるとはいうものの、実際に合格するには試験を主宰する学道との師弟関係がものを言うこと、扶乩(こっくりさん)の占いの様子など、なかなかに興味深い『儒林外史』第七回です。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

範学道(範進)は学びて師の恩 に報いるを視(み)る

王員外(王)は朝(朝廷)に立ちて友誼を敦(あつ)くす

 

 さて厳貢生は後嗣を立てる件で訴訟を起こされ、府、県では何れも敗訴し、按察司(省レベルで司法を管轄する役所)では取り扱ってもらえず、都にまで飛んで行かざるを得なかった。無理やり周学台(周進)の親戚であるとこじつけ、朝廷の中央に訴状を報告してもらおうと思った。真っ直ぐ京師まで来ると、周学堂は既に国子監司業(全国の最高学府の副校長)にまで昇格されておられた。勇気を奮って、「眷姻晩生」(婚姻関係にある若輩)の名刺を書いて、玄関のところに投げ入れた。お付きの召使(長班)が大門で受け取った名刺を主人に報告すると、周司業は心の中で「はて?」と疑いを持った。このような親戚に心当たりが無く、ちょうど心の中で思い悩んでいると、お付きの召使がまた一枚の名刺を持って来た。そこには肩書が無くただ名前だけが書かれ、呼称が無く、そこには「範進」と書かれていた。周司業は広東で合格にしてやった者だと分かった。今科挙の試験に合格し、都に会試(科挙で郷試の翌年に都で行われる試験)を受けに来たのであり、それですぐに中に入らせた。 範進は入って来ると、口頭で「恩師」と呼び、叩頭して師に感謝するのを止めようとしなかった。周司業は両手で抱き起こし、彼を椅子に座らせると、口を開いて尋ねた。「あなた(賢友 )のご同郷に、姓を厳という貢生(国子監の学生)はおられるかね?この者は先ほど婚姻関係にある家柄の名刺を携えて学生(周司業の自称)を訪ねて来て、召使(長班)がその者に尋ねると、広東人だと言うのだが、わたし(学生)にはそんな姓の親戚は聞いたことがないのじゃ。」 範進が言った。「先ほどわたし(「門人」。範進の自称)がお見受けしましたが、あの方は高要県の人で、わたしたちのところの周老先生とはご親戚だそうですが、ただ先生と同じご家族かは存じ上げません。」周司業が言った。「姓は同じだが、連絡を取ったこともない。これは見たところ、縁もゆかりも無い者だ。」それで召使に伝えて入って来させ、こう言いつけた。「おまえ、厳貢生殿にこう言ってくれ。役所では公の業務があり、お会いするのに都合が悪い。貴殿の名刺をお持ちになり、お帰りいただきますように、と。」召使は「はい」と言って下がった。

 

 周司業はその後範挙人と昔話をした。「わたしは前回の科挙の試験の時に広東で合格者の名簿が掲げられるのを見て、あなたが郷試に合格されたのを知り、その後北京に会試で来られてまた再会できると期待しておりましたのに、思いがけずどうして遅れて今回の試験でようやく北京に来られたのですか?」範進が母の葬儀に遇ったことを一通り話すと、周司業は我慢できずにため息をつかれ、こう言った。「あなたは元々学問がおできになるから、数年遅れたとしても、今回の会試ではきっと合格されるでしょう。ましてやわたしはあなたのお名前をいつも同じ役所の重鎮の方々の面前で推薦しておりますので、誰もが皆あなたが同じ門下に入られるのを願っています。あなたはただ心静かにして、学ばれた道理を繰り返し推敲し、それを着実に身に着けられればよろしいのです。もし旅費にいくらか不足が生じましたら、わたしがこちらでお援けしますから。」範進が言った。「わたしは終生必ず老師のご高配を頂いて精進いたしますので。」それからまたいろいろよもやま話をし、留まって食事をよばれると、別れて帰って行った。

 

 会試が終わり、範進は果たして合格して進士になった。官職を与えて配属するに当たり、監察御史に選抜された。数年後、皇帝から直々に山東学道に任命され、命令が下された日に、範学道はすぐに周司業にお目にかかりに来た。周司業が言った。「山東はわたしの故郷ですが、実際には何もあなたを煩わすようなことはありません。ただ心の中で憶えているのは、初めて学校に入った子供を教えていた時に、田舎に荀玖(じゅん きゅう)とうい名の生徒がいて、その時はやっと七歳になったばかりでした。その時からもう十数年も経っているので、この子ももう成人になっているでしょう。彼は農家の家の子供でしたから、読書で学問を成就することができたかどうか分かりません。もしこの子がまだ科挙の試験を受験するなら、あなた(賢契) は気を付けて見てみて、果たして一縷の希望があるなら、どうかこの子を合格させてやってほしい。これがわたしの願いです。」範進はそれを聞いて、そのことを専ら心に留め、山東に赴任した。山東各地での試験を半年間も行い、そしてようやく兖yǎn州(えんしゅう)府での試験に臨むことになった。試験に参加する生員と童生は三つの試験場に分けられたが、範進は周進に言われたことを忘れてしまっていた。そのまま二日目になると童生の合格者の名簿を発表しないといけなくなり、前の日の晩になってようやくこのことを思い出し、それでこう言った。「おい、わたしはなんていうことをしているんだ!先生がわたしに汶wèn上(ぶんじょう)県の荀玖のことを託されたのに、わたしはどうして何の対応もしていないのだろう?なんて不注意なことをしているんだ!」急いで先ず既に生員に合格して順位の付いている答案の中に名前が無いか調べたが、全く見当たらなかった。それで次に、手伝いに来ている各幕僚の部屋に行って、童生の中で落第した答案を取って来て、名前、座席番号を確認し、ひとつひとつ細かく調べた。六百余りの答案を調べたが、荀玖の答案は見つからなかった。範学道は心の中で気持ちが悶々として言った。「まさかこの子は受験していないんじゃないのだろうか?」またこう心配した。「もしこの中にあるのに、わたしが見つけられなかったら、今後どんな顔をして先生にお会いすればいいんだろう?もう一度詳しく調べないと。これでは明日は結果を出せないな。」しばらくして幕僚たちと一緒に酒を飲んだが、心の中ではこのことの決心がつかずにいた。周りの幕僚たちもどうしてかと訝(いぶか)り、理由が分からずにいた。

 

 その中のひとりの若い幕僚の蘧景玉(きょ けいぎょく)が言った。「老先生、今回のことは、でもちょうど以前あったある出来事とよく似ています。数年前、ひとりの老先生が四川に学政(科挙の試験を管轄する役職名)で派遣されたのですが、何景明先生の宿舎で酒を飲んでいた時、景明先生が酒に酔って大声でこう言われました。「四川で蘇軾のような文章を書いても(蘇軾が科挙の試験を受験しても)、最低の六等の成績しか取れない。」この老先生はそのことをよく憶えておられて、その後三年間、四川で学政をして戻ってくると、また何老先生と再会し、こう言われました。「わたし(学生)は四川で三年間、あちこち詳しく調査いたしました。決して蘇軾が試験を受けに来たのを見ることはありませんでしたが、思うにそれは、試験会場まで来て、辞退して帰られたのでしょう。」」そう言うと、袖口で口を覆って笑い、また言った。「果たしてこの荀玖という方について、あなたの先生はどのようにあなた(老先生)に言われたんでしょうか?」範学道は真面目な人で、彼が言っているのが冗談だとは思わず、ただ心配そうな顔をして言った。「蘇軾が書く文章が良くなくて、試験に受からないのは仕方がない。でもこの荀玖は先生が抜擢したいお方なので、試験に合格できなかったら、申し訳ないです。」ひとりの年配の幕僚の牛布衣が言った。「汶上県の方ですか?どうして既に合格して入学された方の十数巻の答案の方を調べてみないのですか?ひょっとすると文章が素晴らしく、前日にもう合格されていたのかもしれません。」範学道が言った。「それも道理だね。」急いで既に合格した十数巻の答案を取り出し、ひとつひとつ名簿と突き合わせると、最初の答案が荀玖であった。範学道はそれを見ると、思わず嬉しさに表情が明るくなり、その日一日続いた愁いも解消することができた。

 

 翌朝合格者の名簿を発表し、全ての生員、童生を集めて、試験の結果を伝えた。先ず生員が呼ばれた。成績が一等、二等、三等の者が発表された。進士の四等を伝える段になり、汶上県県学の生員の四等の最初に呼ばれたのは梅玖で、答案を読まれる間跪いていると、範学道が怒って言った。「秀才の身分にある者にとって、文章が本業である。どうしてこんなに酷いでたらめを書くのか!普段から本分を守らない者が、いろいろしでかすことは分かっていた。本来最低の成績と評価されるものであるが、とりあえずは重い処罰は実行せず、戒尺(私塾の教師が生徒を叩くために用いた木の板)を取り、いつも通りの処罰を 行うこととする。」梅玖が言った。「わたし(生員)はその日病気になったので、そのため文章に集中することができませんでした。どうか旦那様、格別のお慈悲をお与えください!」範学道が言った。「朝廷の決まりは、わたしも勝手に変えられない。左右の者、こやつを腰かけのところに連れて来い。いつも通りの処罰を行う。」そう言うと、学政の役所の中で、ひとりの雑役を担当する門斗(役所で門番、伝令、刑罰執行などを行う小役人)がもう梅玖を腰かけの上に引っ張って行った。梅玖は慌てて、こう哀願した。「旦那様、どうかわたし(生員)の先生に免じて、お慈悲をお与えください。」範学道が言った。「おまえの先生はどなただ?」梅玖が言った。「現在国子監司業に任じられている周蕢kuì軒先生で、諱(忌み名)を進と言われ、わたし(生員)の業師(私塾で教えを受けた先生)です。」範学道が言った。「おまえは実はわたしが教えを受けた周先生と同門であられたか。まあよかろう、ひとまず叩くのは免除してやる。」門斗が彼を放してやったので、梅玖が範学道の前で跪くと、学道はこう言いつけた。「おまえは周先生の門下出身であるからには、尚更心して勉強すべきである。こんな文章を書いているようでは、まさか先生の門下の名声と、今後の優秀な人材の育成を汚そうとするのではあるまいな?今後は心を入れ替え、改めるように。本官が今回科挙の試験を主管する際、もしおまえがまたこのようなことをしでかしたと聞いたら、断じて許さんぞ!」大声でこう言った。「とっととここを出て行け!」

 

 新たに童生に合格した者を呼び入れた。汶上県の番になって、最初に呼ばれたのは荀玖で、人々が集まった中から、ひとりの容貌の美しい少年が近づき答案を受け取ったので、範学道が尋ねた。「君は先ほどここにいた梅玖と同門かね?」荀玖はそう言われても訳が分からず、答えようがなかった。学道がまた言った。「君はしかし周蕢軒先生の門下生であろう?」荀玖が言った。「その方はわたし(童生)が初めて教えを受けた(開蒙)先生(師父)です。」学道が言った。「そうだろう。本官も周先生の門下である。都を出る時に、先生がおまえの答案を調べるよう言いつけられたので、思わず暗中模索したのだが、おまえは既に首席で合格されていた。年若くして才知に優れ、先生の全力での指導を無にしてはいない。今後心して学問に励めば、きっと科挙の試験に合格して進士になられるだろう。」荀玖は跪いて謝意を述べた。学道と幕僚たちが受験生の答案の採点と審査が終わるのを待って、楽隊と儀仗が厳かに答案を送り出すと、範学道は広間を退出し、門を閉ざした。

 

 荀玖が出てくると、ちょうど梅玖がまだ轅門yuán mén外(役所の外門)に立っているのに出会った。荀玖は我慢できずに尋ねた。「梅さん、あなたはいつ我々周先生の授業を受けられたのですか?」梅玖が言った。「あなたがた若い方々はご存じないと思います。考えてみると、わたしが先生の授業を受けていた頃は、あなたはまだ生まれておられませんよ。先生は当時街の中で教えておられ、教室の場所は、県の役所の門の近くの下級事務員が来客の接待に使う館でした。その後田舎に来られ、あなたがたが学校に入られた頃には、わたしは既に県学に入っていましたので、あなたはご存じ無いのです。先生はわたしのことが最もお好きで、わたしの文章には才気があるとおっしゃっていました。ただ若干決まりに合わないところがあり、先ほど学台殿(範学道)がわたしの答案を採点されたところにもそう書かれていました。ここからも、答案を採点する者は、答案中の隠れた規則と人情世故に通じていなければならず、少しも疎かにしてはならないのが分かります。あなたはご存じかもしれませんが、学台殿はどうしてこんなにわたしを困らせるんでしょうかね、わたしの成績を三等の中間と採点されたものだから、結果を宣告する時に、直接お目にかかることができませんでした。わざとわたしをこの成績(四等の第一位)にし、公開の場で発表してわたしを叱責し、周先生のことを申し上げると、明らかに恩を売って来られました。だからあなたが首席で合格されたのも、このような情実が絡んでいるのです。わたしたち文章を生業とする者は、およそ何でも人情世故に細心の注意を払い、いいかげんにしてはならないのです。」ふたりはよもやま話をしながら、宿舎に帰った。翌日、学政(宗師)をお見送りし、馬を雇うと、一緒に汶上県薛家集に帰って行った。

 

 この時、荀旦那は既に世を去り、母親だけが屋敷に残っていたので、荀玖が母親にお目にかかると、母親は喜んで言った。「あなたのお父様が亡くなってから、年回りが良くなく、家では田地も徐々に売り払い、今はあなたが県学に進まないといけないから、今後は学問を教えて生活しておくれ。」申祥甫も年老いたので、杖を突いてお祝いを言いに来たが、梅三相(梅玖)と相談し、集落で別に約束をし、荀玖に代わり学業成就のお祝いをし、二三十吊(穴あき銅銭の穴に紐を通し1000枚銅銭を連ねたものが1吊)の銭が集まり、荀家が村の人々をもてなし、この観音庵で酒宴を催した。

 

 その日の早朝、 梅玖、荀玖が先に着き、和尚が出迎えた。ふたりは先ず仏様を拝み、和尚に礼をした。和尚が言った。「荀若旦那(小相公)様、おめでとうございます。今やこのようなりっぱな頭巾を被るご身分になられ、荀旦那様一生の忠厚にも叛くこと無く、数多くの善行を行われ、広く陰功を積まれました。あの頃、あなた様がこちらで学校に通われていた時はまだお小さく、頭には小さな子供の髷が結われていました。」またふたりに指差して言った。「ここにあるのは周大旦那様の長生牌(恩人の功徳を祈念して立てられた位牌)ではありませんか。」ふたりが見ると、一卓の供卓の上に、香炉、燭台が置かれ、金文字の位牌が供えられ、それにはこう書かれていた。「進士出身、広東提学御史、今は国子監司業に昇る周大旦那様の長生の禄位を賜う。」左側に一行小さな文字が刻まれ、こう書かれていた。「公の諱(忌み名)は進、字(あざな)は蕢軒、同県()の人」。右側に一行小さな文字が刻まれ、こう書かれていた。「薛家集の人で、観音庵僧人、同じく供養する」。ふたりは先生の位牌を見て、恭しく礼をし、一緒に何度か拝んだ。また和尚と一緒に後ろの部屋に行くと、そこは周先生が当時授業を行った場所で、二枚の扉が開かれ、船着き場を臨んでいた。河原が数尺(1尺は30センチ余り)浸食され、こちらがやや川に突き出ていた。その三間の部屋は、蘆(あし)を編んだ蓆(むしろ)で隔てられ、今は学堂としては使われていなかった。左側の一間に、ひとりの江西出身の先生が住んでいて、門には「江右(江西)の陳和甫、仙乩xiān jī(こっくりさん)神数(占い)を行う」と貼られていた。かの江西の先生は不在であった。部屋の門は閉ざされ、ただ広間の真ん中の壁に、まだ周先生が書いた対聯が掲げられ、赤い紙は長い時間が経過してもう白く変色していたが、その上には十の文字が書かれ、「正身以時(正道を修身し以って時期を待ち)、守己而律物(本分を守り而して外界の人や事物を律せよ)」とあった。 梅玖はこれを指差しながら和尚に言った。「やはり周大旦那様のご親筆ですから、あなたはここに貼っておいてはいけない。水を吹きかけて剥がし、表装して、大事にしまっておくのがよろしいでしょう。」和尚は承諾し、急いで水で濡らして紙を剥がすと、その通りにした。申祥甫が村人たちを連れてやって来て、その日一日酒を飲むと、帰って行った。

 

 荀家ではこの数十束(吊)の銭で何枚かの質札を買い戻し、数dàn(1石は10斗、100升)の米を買い、残りは荀玖が郷試を受けに行く旅費に取っておいた。翌年の録科lù kē(生員が郷試を受ける前に、学政が行う予備試験で、成績優秀で推薦に値する者を名簿に記録(造録名册)し、科挙の試験場に送ったので、「録科」と言った)では、また第一位を取った。果たして英雄は少年時代から頭角を現し、省試では、見事な成績で合格した。そのまま慌ただしく布政司(布政使は省の行政、財政の責任者で、全省の租税、民政、役人の考課を主管し、挙人が都に会試を受けに行く際の派遣手続きを行った)の役所で杯、盤(杯(さかずき)と盆は儀礼用の道具)、衣帽(衣服)、旗匾(旗竿と扁額)や旅費を受け取り、慌ただしく都に行って会試を受験し、また第三名進士に合格した。明朝の体制では、挙人が進士に合格したと発表されると、直ちに仮の居所に席を設け、厳かに広間に上って席に着き、侍従の召使(長班)が広間に参じ、跪いて頭を地面に付ける礼を行った。この日、ちょうど頭を地面に付ける礼を行っていると、門番が来客を告げ、客の名刺を受け取り、言った。「同年に科挙に合格された同郷の王旦那様がお越しになりました。」荀進士は侍従の召使を呼び、儀礼に使った席を傍らに移動させ、自ら客を出迎えに出た。見ると王惠は髭も髪の毛も真っ白で、門を入って来て、強く手を引くと、言った。「同期合格のお兄様(年長兄)、わたしとあなたは「天が決めた関係」で、尋常の同年の兄弟とは比べようもありません。」ふたりは互いに地面に頭を付ける礼をし、席に着くと、先ず以前共に一緒に合格する夢を語り合ったことから話し始めた。「おそらくあなたとわたしは天の決めた名簿に名前があったのでしょう。今後はお互い敬い慎み、如何なることも互いに協力して行いましょう。」荀玖は小さい時から漠然とこうした話に聞き憶えがあったが、ただはっきり憶えていなかった。今日王惠が言うのを聞いて、ようやくはっきり理解したので、それでこう言った。「わたしはまだ若輩者ですが、幸い科挙の合格者名簿で老先生の後ろに列することができ、またあなたとは同郷ですので、今後は諸事全てあなたのご指導を仰ぎたいと思います。」王進士が言った。「この仮のお住まいは、あなたがご自分で借りられたのですか?」荀進士が言った。「如何にも。」王進士が言った。「このお宅は狭すぎて具合が悪い。ましてやここは朝政の中心から遠く離れていて、ここは住むには不便です。お兄様に率直に申し上げますと、わたしには多少の蓄えもあり、都での住まいもわたしが自分で購入しました。お兄様はやはりわたしのところに引っ越して来られ、そこから殿試を受けられれば、一切の事が都合が良いでしょう。」そう言うと、またしばらく座ってから、帰って行った。翌日、遂に人に言って荀進士の荷物を江米巷の自分の仮住まいに移させ、一緒に住んだ。殿試が行われた日、荀玖は第二等、王惠は第三等となり、共に工部主事の任を授かった。官の任期が満了し、共に員外郎に昇格した。

 

 ある日、ふたりがちょうど住まいでぼんやり座っていると、召使が赤い紙の紹介状(紅全帖)を持って入って来た。その上には「わたし(晚生)陳礼が頓首しご挨拶申し上げる」と書かれ、紹介状(全帖)の中に名刺(単帖)が挟んであり、その上には「江西南昌県陳礼、字は和甫、平素より仙乩xiān jī(こっくりさん)神数(占い)を善くし、曾て汶上県薛家集の観音庵の中でその道を行う」と書かれていた。王員外が言った。「お兄様、このお方をご存じですか?」荀員外が言った。「確かにこの方がおられた。彼に占ってもらうのが一番良いでしょう。彼を呼んで入って来てもらい、功名がどうなるか占ってもらいましょう。」急いで言った。「どうか入ってもらってくれ。」するとかの陳和甫が入って来た。頭に瓦楞帽wǎ léng mào(瓦屋根の畝状の縦の溝の入った帽子で、元々北方の遊牧民族が被っていたが、その後南方で流行し、庶民が被るようになった)を被り、絹を紡いだゆったりした長衣を身に着け、腰には絹のベルトがきつく締められていた。白髪交じりの髭を生やし、年の頃は五十過ぎと見受けられた。ふたりの姿を見ると、身を屈(かが)めて両手をこまぬき腰をかがめる礼(作揖zuò yī)をし、言った。「どうかおふたりの先生方お掛けください。この隠士めがお目にかかります。」ふたりは再三譲り合い、彼にお辞儀をすると、彼を正面に座らせた。荀員外が言った。「以前貴僧が我が郷の観音庵に居られた時、わたしは縁無く、お会いすることがありませんでした。」陳礼は身を屈めて言った。「あの日はわたしは老先生が庵に来られると存じておりましたが、その三日前に純陽老祖師(呂洞賓のこと)が降臨され、占いのお告げでは、この日の午後三刻にひとりの貴人が来られると書かれておりました。その時老先生はまだ科挙の試験に合格しておられず、天意は漏らすことができないので、わたしは予めお会いするのを避けたのです。」王員外が言った。「貴僧(道兄)が占いで神のお告げを知る方法は、どなたが伝授できるのでしょうか?専ら純陽老祖師(呂洞賓)にお願いするのですか、それともそれぞれの仙人の方にお尋ねするのでしょうか。」陳礼が言った。「それぞれの仙人に尋ねることができます。たとえ帝王、宰相、聖賢、豪傑であっても、皆尋ねることができます。正直におふたりの老先生に申し上げますが、わたしは数十年の間、一般社会で占いの仕事をしたことがなく、ずっと王宮や朝廷各部の大旦那様のお役所の中を往き来しておりました。はっきり憶えておりますのは、先帝の(明孝宗の)弘治十三年、わたしは工部尚書の劉大旦那様のお屋敷で神のお告げを聞きました。劉大旦那様は李夢陽旦那様が張国舅(皇帝の外戚の張鶴齢。張皇后の弟)を弾劾して投獄されたので、わたしにその吉凶を尋ねられたのですが、なんとお告げでは周公老祖(周公旦のこと)が降りて来られ、「七日来復」(七日に戻って来られる)の四文字が指示されました。七日になり、李旦那様は果たして皇帝の命令を受け出獄し、三ヶ月分の俸禄を罰せられただけでした。その後、李旦那様がまたわたしに神のお告げを占う約束をしましたが、その時は、乩(けい)が半日動きませんでした。その後突然大きく動き出し、詩を一首書き、その後二句のお告げが出ました。「夢に江南に到り宗廟を省(かえりみ)る、旧京人か知らずそれを見た旦那様方は皆これが誰のことか分からなかったが、李旦那様だけは詩の意味が分かり、急いでお線香を上げ、地面に伏すと、謹んでどの君主か尋ねると、そのこっくりさんは瞬く間に幾つか文字を書いて告げられました。「朕は乃(すなわ)ち建文皇帝是れ也。」皆様方は皆びっくりして跪いて地面に頭を付けて拝まれました。それゆえわたしが帝王、聖賢であれ皆お尋ねできると申し上げたのです。」王員外が言った。「貴僧がかくも高明であられるなら、果たして我々の終身の官爵についても断じることができますでしょうか?」陳礼が言った。「どうして断じられないことなどございましょう。およそ人の富貴、窮迫、貧賤、寿命、皆お告げから判断でき、これは奇験でも何でもありません。」ふたりは彼が熱心に言うものだから、それで言った。「わたしたちふたりの、昇格と転属のことをお尋ねします。」かの陳礼が言った。「旦那様、お線香を上げてください。」ふたりが言った。「しばしお待ちを。ひとまず簡単な食事を摂りましょう。」

 

 そのまま留まって飯を食い、召使を呼んで陳礼の逗留先に行かせ、沙盤(砂を敷いたお盆)、乩 筆(ケイヒツ)を取って来て並べた。陳礼が言った。「おふたりの旦那様はご自身で黙ってお祈りください。」ふたりが祈り終わると、乩筆を安置した。陳礼が再び自分で拝み、一本の降壇の符を燃やすと、ふたりの旦那様に両側から乩筆に手を添えさせ、また一度呪文を唱え、一本の啓請の符を燃やすと、かの乩(けい)が次第に動き出すのが見えた。かの陳礼は召使を呼んで一杯茶を注がせ、両手で捧げ持ちながら、跪いて献上すると、かの乩筆は先ずいくつか円を描いたが、それから動かなくなった。陳礼はまた一本符を燃やし、ここにいる人々に息を鎮めるように言った。 侍従の召使(長班)、家人は部屋の外に出た。

 

 

仙乩(扶乩。こっくりさんの占いの様子)

 

 また一度の飯の時間(4時間ほど)が過ぎ、かの手を添えている乩が動き、四つの文字を書いた。「王公聴判。」王員外は慌てて乩筆から手を離し、下に降りて何度も拝むと、尋ねた。「大仙(仙人)殿は何と言うお名前か?」尋ね終わると、また乩(けい)に手を添えた。かの乩は瞬く間に動き出し、一行の文字を書き出した。「吾乃ち伏魔大帝関聖帝君(関羽のこと)是れ也。」陳礼はびっくりして顔を下に向け頭を地面に付けることニンニクを突き潰すかのようで、こう言った。「今日おふたりの旦那様は真摯な気持ちであられたので、お願いした結果、夫子(賢者)が降壇してくださりました。これは容易く得ることのできぬことです。総じておふたりの旦那様は大いに幸福を得られましょう。須らく十分に真摯に敬う必要があります。もし少しでも怠慢があれば、わたしもお支えしきれませんぞ。」ふたりとも恐れの余り、髪の毛が皆逆立った。乩筆から手を離すと、降りて来てまた何度も拝み、また上がって乩に手を添えた。陳礼が言った。「しばしお待ちなさい。沙盤が小さく、おそらく夫子の指示される言葉が多く、書き切れないのです。しばらくしたら筆と紙を一揃い持って来て、わたしが横で記録してから、一緒に見てみましょう。」そして筆と紙を一揃い持って来て、陳礼に手渡し、横で書き写し、ふたりは相変わらず乩に手を添えていた。かの乩の筆運びは飛ぶように速く、こう書かれていた。

 

 「羨ましや爾(なんじ)功名(科挙の合格)は夏后(「夏后氏五十而貢」。夏朝の制度では人は五十歳で功名を得たり推薦を受けられたことから、王惠が五十歳で科挙に合格し進士になることを指す)。一枝高く鮮紅を折る(王惠が科挙に首席で合格することを指す)。大江の煙浪は杳(くら)く踪(あとかた)無し(王惠は出仕して活躍するが、突然姿を消してしまう)。両日にして(瞬く間に)黄堂(太守の職位)に坐り擁(いだ)く。只だ道(い)う驊騮(かりゅう。周の穆王の駿馬)がを開くと。原来(元来)は天府(朝廷)の夔kuí龍(天子を輔弼する賢臣のこと)。琴瑟qín sè琵琶(琴、瑟、(しつ)、琵琶。何れも弦の本数の異なる弦楽器)路上逢(官位が上がったり転勤したりする中で様々な才能のある人士に出会うことを指す)、一盞zhǎn(さん。杯(さかずき))醇醪chún láo(じゅんろう。馥郁とした美酒)に心痛む」

 

 書き終わり、また五つの文字が判別された。「調(しらべ)は『西江月』(韻を踏んだ詩の楽曲の一種)に」。三人は何れもその意味が理解できなかった。王員外が言った。「最初の一句目だけは意味が分かった。「功名夏后」というのは「夏后氏五十而貢」のことで、わたしがちょうど五十歳で科挙に合格して登用されたので、この句の予言が当ったんだ。その後の話は、全く理解できないよ。」陳礼が言った。「夫子(賢者)は未だ曾て間違ったことがないのです。旦那様が受け入れられれば、後日必ず霊験が現れるのです。ましてやこの詩の中で、「天府夔龍」というのは、思うに旦那様が宰相の職にまで昇格されるということでございましょう。」王員外は、陳礼により将来の昇格の見込みが明かされたので、心の中で嬉しく思った。言い終わると、荀員外が下に下りて来て拝み、夫子の判断を求めた。かの乩筆は半日動かず、回答を急かしたところ、筆の動きで、それは「服」という一文字だと判定された。陳礼は盆の上の砂を平らにならし、判定を求めたが、また「服」の一文字と判定された。続けて三回砂を平らにならしたが、三回とも「服」の一文字と判定され、もう動かなくなった。陳礼が言った。「おそらく夫子の乗る龍の牽く車はもう天に戻られ、これ以上機嫌を損ねることはできないのでしょう。」また一本、お見送りの符を燃やし、乩筆、香炉、 沙盤を取り外し、再び席に座った。ふたりの官吏は五銭の銀子を包み、また一通の推薦状を書き、ちょうど朝廷の通政司に昇格されたばかりの範大人(範進)の家に推薦した。陳山人は感謝の意を表して帰って行った。

 

 夜になり、侍従の召使が入って来て言った。「荀旦那様のお家からどなたかご到着になられました。」すると荀家の家の召使が身に喪服を纏い、飛ぶように走って入って来ると、頭を地面に付け、跪きながら申し上げて言った。「お家の大奥様が既に先月の二十一日天に帰られました。」荀員外はこの話を聞いて、その場に泣き崩れた。王員外がしばらく介抱した結果、目を覚まして起き上がった。すぐにお役所に書面を出し、父母の服喪に入る(丁憂dīng yōu)申請をしなければならなかった。王員外が言った。「同期合格のお兄様(年長兄)、このことはまた改めて相談しましょう。今は科道官(六科給事中と都察院の下の各道監察御史の総称)の選抜試験が間もなくやってきます。わたしたちの資格では、何れも望みを託することができます。もし父母の服喪で家に帰る申請をして、また三年遅れてしまうと、とんでもないことになりませんか?しばしこのことは隠して、選抜の結果を待ってから処理してはどうですか。」荀員外が言った。「あなた様にはたいへんご心配をいただいておりますが、このことは恐らく隠し切れないでしょう。」王員外が言った。「早くお家から来られた方に言いつけて、喪服に着替えてしまいなさい。このことは外の人に知られるとまずいですよ。明日の朝わたしはいつも通りにしていますから。」その晩は特に何も無かった。

 

 翌日の早朝、吏部掌案(中央官庁の役人の人事を主管)の金東崖にお願いして来てもらい、相談した。金東崖が言った。「官吏となる人は、祖父母、父母の死亡を報告せず、喪に服さないこと(匿喪nì sāng)は許されませんが、ただ能力のある官吏は、朝廷の特別な許可により、服喪期間にも引き続き職に留まることができ、このことを妨げるものではありません。けれどもこうしたことは、地位のある大官が朝廷に推薦する必要があり、わたしたちではどうしようもありません。もし上級の部署が正式に下達した議定事項であれば、言うまでもないことですが、わたしは全力で対応させていただきます。」ふたりは金東崖に「くれぐれもお願いします。」と申し入れた。夜になり、荀員外は青衣小帽(黒い木綿の平服と便帽。庶民の服装)に着替えてから、こっそりと周司業、範通政のふたりの先生にお願いに行き、上級部署に任用の推薦(保挙bǎo jǔ)をしていただきたいとお願いした。ふたりは共に「考えてみてあげよう」と言われた。

 

 また二三日が過ぎ、おふたりとも次のように回答された。「わたしでは官位が低すぎ、朝廷に官吏の服喪期間に敢えて起用させる(奪情duó qíng)ような資格や条件に符合しません。必ず宰相や九卿といった中央の高級官僚でなければなりません。いっそ辺境の戦略拠点に駐在する地方官でもいいかもしれません。工部員外郎の如きは職権の軽い閑職ですので、任用の推薦をし、服喪期間に起用をお願いするのは具合が悪いです。」荀員外は母の服喪に入る申請をするしかなかった。王員外が言った。「お兄様、この度の葬儀に金が要るのに、あなたは貧しい読書人(寒士hán shì)で、どうやって持ちこたえられるんですか?ましてやお見受けしたところ、あなたはこうした煩雑できついことを処理するのはお好きではない。どうするおつもりですか?今ならどうにかなります。わたしもお休みを頂いて、あなたと一緒に帰りましょう。葬儀費用の数百金は、我が家で立て替えれば、なんとかなりますよ。」荀員外が言った。「わたしは仕方がないが、どうしてわたしのためにお兄様の選抜試験を遅らすことなどできるでしょうか?」王員外が言った。「選抜試験は来年のことです。あなたは服喪明けを待つ必要があるので、間に合いません。わたしは今回お休みをいただくにしても、長くて半年、短ければ三ヶ月だけなので、まだ間に合います。」

 

 とっさに荀員外はそれに逆らえず、王員外がお休みを申請するのを聞いているしかなく、一緒に家に来ると、お婆様のために葬儀を司(つかさど)った。続けて七日間お弔(とむら)いを行い、司(布政使司‌与と按察使司‌の長官)、道(道員)、府(知府)、県(知県)からそれぞれ皆弔問に来られた。この時は薛家集が来訪者で騒がしくなり、百十里の道の向こうから来られた人々が皆、荀旦那様の家の葬儀に参加された。集落では申祥甫が既に亡くなり、彼の息子の申文卿が、妻の父の夏総甲が欠けた後を継いで、名刺を持って来て跪き、地面に頭を付ける挨拶をしたが、変わらず一族の名望を保っていた。丸々二ヶ月あれこれ行事を行い、葬儀は終了した。王員外は全部で千両以上の銀子を借りて荀家に与え、ここを辞して都に帰った。荀員外は村はずれまで見送り、王員外に何度感謝しても止むことが無かった。王員外は一路都に戻ったが、その間特に言うことも無かった。都に戻ってようやく休みを終えたが、早速侍従の召使(長班)が役所の任官を知らせる使いを連れて入って来て、頭を地に付けてお喜びを申し上げた。この知らせ以外にも、いくつか動きがあった。忠節で正直な良臣が、突然正道に叛く人間となってしまった。地方長官となった者が、突然罪人となり逃亡した。王員外への知らせはどんな慶び事であったのでしょうか。次回に解説いたします。

 

 行く先々でトラブルを起こす厳貢生。広州から高要へ移動で雇った船の船賃を踏み倒す。弟の厳監生が亡くなり、次いで子供を天然痘で亡くし、悲嘆に暮れる趙氏に対し、親族が推薦する自分の五男ではなく、ちょうど周学堂(周進)の娘と結婚して家庭を持った、自分の次男を後嗣にしようとし、怒った趙氏は、高要県の湯知県に訴えを起こす。さてその結果はどうなるのでしょうか。『儒林外史』第六回の始まりです。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

郷紳(厳貢生)は病いを發し船家(船員たち)を鬧(さわが)す

寡婦(未亡人の趙氏)は冤(うらみ)を含み大伯(大叔父)を控(うったえ)る

 

 さて厳監生は死を迎え、二本の指を突き出しながら、まだ息絶えるを善しとしなかった。何人かの甥っ子や召使たちがやって来てがやがやとかまびすく尋ね、ある者はふたりの人だと言い、ある者はふたつの事だと言い、ある者は二ヶ所の田地だと言い、様々に意見が入り乱れた。ただそのどれもが正しくなく、厳監生は首を振った。趙氏が人々を押し分け、進み出て言った。「旦那様、わたしだけがあなたが心の中で思っておられることが分かりますわ。あなたはあの(火屋がついていない)ランプが、二本の燈心に火が点いているから、油を浪費しているのじゃないかと、心配されているんでしょう。わたしが今、燈心の片方を外しておきますよ。」そう言うと、急いでランプの傍に行き、燈心を一本外した。周りの人々が厳監生の方を見ると、彼は何度か頷くと、手を下に垂れ、間もなく息を引き取った。一家の者は皆大声で泣き出し、遺体を棺桶に入れる準備をし、柩は母屋の真ん中の広間に安置された。

 

 夜が明けると何人かの召使や小者たちが街中に行き、厳監生が亡くなった連絡をした。一族の長の厳振先が一族の中の数人の人を引き連れ弔問に訪れ、皆引き留められて酒食を摂ると、孝布(柩に掛ける白い布)を受け取って帰って行った。趙氏には兄弟がいて、弟の趙老二は米屋で商売をしており、甥の趙老漢は彫銀の職人の店で銀を溶かす竈のふいごを吹いていたが、彼らもお供えを準備して弔問に訪れた。僧侶や道士が長方形の旗を掲げ、お経を詠み追悼供養をした。趙氏は幼い息子を連れ、朝晩柩の前で哀悼を行った。男の執事、召使、小間使いの女、女の召使たちは、皆喪服を身に着けた。屋敷の門の周りは一面白くされた。

 

 見る間に最初の七日が過ぎ、王徳、王仁が科挙の試験から戻って来て、揃って弔問にやって来て、屋敷に留まり一日を過ごした。また三四日して、厳大老官(厳貢生のこと)も省城(省の中心都市。ここでは広州を指す)で科挙の試験を受けて戻って来た。何人かの子供たちは皆こちらの広間にいた。大老爹(大旦那。厳貢生のこと)は荷物を下ろすと、細君と一緒に座り、水を持って来させて顔を洗っていると、早くも弟の家族のひとりの乳母が、ひとりの小者を連れ、両手でお盆に載せた毛氈の包みを捧げ持ち、歩いて来て言った。「奥様より旦那様にご挨拶申し上げます。旦那様がお越しになられたと伺いましたが、最愛の夫を亡くしたばかりで、こちらに罷り出てご挨拶する訳にまいりません。この二組の衣服と銀子は、ご主人様が臨終の折に言いつけられたのですが、旦那様にお贈りして記念としてほしいとのことです。どうか旦那様お収めください。」

 

 厳貢生が包みを開いて見ると、真新しい二組の緞子の衣服と、きれいに並べられた二百両の銀子であったので、心から嬉しく思い、すぐさま妻に手伝わせて八分の銀子を入れた紅包を作り、乳母に手渡すと、こう言った。「奥様にご返答ください。誠にありがとうございました。わたしはすぐ参りますので。」乳母と小者を遣わすと、衣裳と銀子を仕舞い、また細君に細かく尋ねたところ、子供たちも皆奥様から餞別をいただいたが、この衣服と銀子は自分にだけ贈られたものであると知った。尋ね終わると、孝巾(葬儀の時に親族が被る白い頭巾)を被り、一本の白い布の腰絰を締め、祭壇の方にやって来た。柩の前で「弟よ」と叫ぶと、大声で泣き声を上げ、跪いて二度頭を下げた。趙氏は最も重い喪服を身に着け、出て来て頭を下げお礼を言った。また息子に跪いて叔父に向け頭を下げさせ、泣きながら言った。「わたしたちは辛い運命にあります。この子の父親は人生半ばで世を去り、全て旦那様におすがりし、わたしたちに代わって中心になっていただかないといけません。」厳貢生が言った。「奥さん、人生はそれぞれ生まれつき決められた寿命があります。弟は既に天に召されてしまい、あなたは今はこの良い息子さんを頼りに、ゆっくり息子さんと共に暮らしていってください。何をそう焦られるのですか?」趙氏はまた謝意を述べ、書斎に、食事を並べてふたりの叔父にお相伴をしていただいた。

 

 しばらくして、叔父たちが来て、両手をこまぬき腰をかがめる礼をして、席に着いた。王徳が言った。「弟は平素は身体が丈夫でありましたのに、どうしたことか突然病いにかかり寝たきりになり、わたしたち近親の者も、会ってお別れを告げることができず、とても心が痛むことでした。」厳貢生が言った。「おふたりのご親族だけでなく、わたしたち兄弟も、臨終の際に顔を見ることができませんでした。けれど昔から「公のため私を忘れ、国事のため家事を忘れる」と申します。科挙の試験は朝廷(国家)が人材を選抜する重大な儀式であり、わたしたちが朝廷のために仕事をする時は、私情をさしはさまず、またやましい心を持たないようにしなければなりません。」王徳が言った。「大先生は省城では、半年近くおられたのですか?」厳貢生が言った。「正に。前任の学政の周先生(周進)がわたしを推挙いただき、貢生に合格させていただきました。周先生のご親族がこの省城にお住まいで、応天府(今の南京)管轄下の巣県の担当となりましたので、省城(広州)に行き先生にお会いしました。思いがけず、お目にかかるや古い友人に会ったようで、そこに留まり数ヶ月暮らしておりましたが、わたしの家族と婚姻関係を結びたいと言われ、再三あちらの下のご令嬢をわたしの下の息子に嫁入りさせたいと要望されました。」王仁が言った。「省城ではあちら様のお宅にお住まいだったのですか?」厳貢生が言った。「張静斎の家に住んでおりました。彼も県令をしていたことがあり、湯知県様とはお父君の代から交際のある友人です。湯知県様がお役所にお勤めの時に宴席に同席して知り合い、交際が始まりました。周先生のご親族は皆、静斎先生が仲人を務められたのです。」王仁が言った。「けれどもあの時は範という姓の孝廉(科挙に合格した挙人の呼称のひとつ)とご一緒でしたね。」厳貢生が言った。「正にその通りです。」王仁は目配せして兄の王徳に言った。「兄さん、しかし確かあの時は回教徒たちの騒動が起こったんでしたね。」王徳は「ははっ」と冷ややかに笑い声を上げた。

 

 しばらくして酒が並べられ、飲みながらの談笑となった。王徳が言った。「今年は湯知県様は試験官をされたのですか?」王仁が言った。「兄さん、あなたはご存じなかったのですか?湯知県様が前回試験官をされた時、「時代遅れの古臭い」(陳猫古老鼠)文章を採って合格させたので、今回は試験官に選ばれませんでした。今回の十数人の試験官は、皆若い進士で、専ら才気ある文章を採用するようにしています。」厳貢生が言った。「それはしかし間違っています。才気にも決まりがあるべきで、もし問題の題目の要求に従わず、むやみに見かけの賑わいや派手さを追求するのでは、まさかそれを才気があると見做すって訳じゃないでしょう?そこへいくとわたしが知る周先生は、極めて深い洞察眼を持たれていて、試験でトップの成績を点けるのは、試験の題目や文章の決まりに則った、経験を積んだ受験生に対してであり、今回の科挙の試験でも、やはりこうした当地でもよく知られた才子の中から合格者が出ました。」厳貢生がこんな話をしたのも、この王兄弟ふたりが、周宗師(周進)が試験官を務めた科挙の試験では、二等の成績しか取ることができなかったからである。ふたりはこの話を聞いて、心の中ではなるほどと納得し、もうこれ以上あれこれ議論しなかった。酒席がお開きになろうという時に、また先日の訴訟の話になった。「湯知県様はたいへんお怒りになったのですが、幸い弟の監生様が周旋してくださり、事を収めていただきました。」厳貢生が言った。「これは亡き弟が良くない。もしわたしが家にいたら、湯知県様に申し上げて、王小二や黄夢統といった輩(やから)なんて、脚をへし折ってやっていた。いっぱしの郷紳の家の者として、平民如きのこのような無礼は、赦すわけにはいかない。」王仁が言った。「凡そ何事も、温厚にしているのが宜しいですぞ。」厳貢生は顔を真っ赤にし、また互いに勧め合って何杯か酒を飲んだ。乳母が子供を抱いて出て来て言った。「奥様が旦那様に聞いてきてくれと言われているのですが、弟君はいつ葬儀を行われるのでしょうか?また今年はどちらの山の方向が吉なのか分からないのです。先祖代々の墓地(祖塋zǔ yíng)であれば埋葬できますが、それとも別に土地を捜さないといけないのでしょうか?旦那様にたいへんご心配をおかけして申し訳ありませんが、おふたりの叔父様とご相談ください。」厳貢生が言った。「奥様に申し上げてください。わたしは家にあまり長く居ることができないのです。下の相公(科挙に合格し秀才になった人への尊称。厳貢生の二番目の息子)と一緒に省城に行き、周先生のお屋敷であちら様と婚約の儀を結ばないといけません。お宅の旦那様のことはこちらのふたりの叔父様に託されるのが宜しいでしょう。先祖代々の墓地に埋葬できず、別に土地を捜す必要があるなら、わたしが帰って来てからご相談しましょう。」そう言うと、暇乞いをし、立ち上がって出て行った。ふたりの叔父も帰って行った。

 

 何日かして、大旦那は果たして下の息子を連れて省城(広州)へ行った。趙氏は家の中のことを切り盛りし、真に富の蓄積が莫大(銭過北斗qián guò běi dǒu)で、食べきれずに腐った米で倉が一杯になり(米爛成倉mǐ làn chéng cāng)、家の中では召使が群れを成し、牛馬が行列を作り、幸福な生活を送っていた。思いがけず天の神様は人間社会の苦しみを理解されず、善人を援けてくださらなかった。かの男の子は天然痘を発症し、ある日発熱し、医者が来て診たが、病状は危険な状態だと言い、薬には犀の角、黄連(オウレン)、人の歯を焼いて粉末にしたものを用いたが、汗で熱を下げることができず、趙氏は慌てて至る処で神頼みをしたが、何れも効果が無かった。七日目には、白くぽっちゃりしていた男の子は、あの世に逝ってしまった。趙氏のこの時の悲しみといったら、前の奥様の王氏や亡くなったご主人の厳監生と時とは比べられない程甚だしく、ずっと泣き続けて涙も出なくなってしまった。丸々三日三晩泣いた後、子供の亡骸は送り出された。家人がふたりの叔父に来てもらって相談し、本家の五番目の甥っ子を後嗣に立てることにしたが、ふたりの叔父は躊躇して言った。「この件については、わたしたしは決めることができません。ましてや大先生がご不在で、甥御さんはあの方のお子さんですから、奥様ご自身がお願いすべきことです。わたしたちがどうして決めることができましょう。」趙氏が言った。「お兄様、あなたの妹さんのご主人が残された数両の銀子の値打ちのあるりっぱな家具ですが、今は正当な持ち主がお亡くなりになり、これらの召使や小者たちは皆頼るところが無く、この後嗣を立てることは一刻も猶予が無いのです。あちらの叔父様がいつ戻って来られるかご存じありませんか?お隣の五番目の甥御さんはやっと十一二歳になられたばかりで、後嗣に立たれても、ひょっとしてわたしがあの方を好きになれず、ちゃんとご指導できないかもしれません。あの方の実のお母さまがもしこのことを知ったら、もろ手を挙げて送り出せないことを恨めしく思われるでしょう。たとえあちらの叔父様が戻って来られても、そんなこと申し上げられません。あなたがた叔父に当る方が、どうしてお決めになることができないのですか?」王徳が言った。「それもそうだね。わたしたちが行って、奥様の代わりに説得してみよう。」王仁が言った。「兄さん、なんてことを言うんだ。後嗣を決めるような大事なことを、わたしたち一族以外の者が、どうして勝手に決められるというんだ。今奥様がたいへん急いておられるなら、我々兄弟ふたりが一筆書いて、こちらの誰か召使を、夜に昼継いで省城に行かせ、大先生にお願いして帰って来ていただき、相談するしかないね。」王徳が言った。「それが一番いい。おそらく大先生が帰って来られても、どうなるか分からないが。」王仁は首を振り、笑って言った。「兄さん、そのことはまた考えないといけないけど、でもそうするしかないよ。」趙氏はこの話を聞いて、ちんぷんかんぷんでどうしてよいか分からなかったが、その言葉に従わざるを得ず、手紙を一通書くと、召使の来富を遣わし、夜に昼継いで省城に大旦那様を迎えに行った。

 

 来富は省城(広州)に着くと、大旦那様が逗留されている高底街(実際は高第街。 厳貢生 の息子の結婚相手の周進の屋敷)を尋ねた。逗留処の門のところに着くと、四人の赤と黒の帽子を被った男たちが、手に鞭を持ち、門のあたりに立っていたので、来富はびっくりして、中に入って行くことができなかった。しばらく立っていると、大旦那と一緒にいる召使の四斗子が出て来たので、それでようやく彼に言って一緒に建物の中に入った。広々とした広間が見え、その真ん中に一台の装飾を施した駕籠(彩轎)が置かれ、駕籠の傍らには日除けの傘が立ててあり、日傘の上には「即補県正堂」(「候補知県」の意味で、官職の空きが出て知事の任命を待つ官吏のこと)の文字が貼られていた。四斗子が中に入って大旦那様にお出ましを乞うと、頭に紗帽を被り、丸い襟に前後に官位を表わす「補子」を縫い付けた官服を身に着け、足元にはピンク色の靴底の皂靴(礼装用の長靴)を履いていて、来富は前に進み出て跪いて頭を地面に付ける礼をし、信書を手渡した。大旦那は信書を受取り中を読むと、言った。「了解した。我が家の下の息子が慶び事の最中である。おまえはしばしここで待て。」来富はそこを下がり、厨房へ行くと、厨房に席が設えてあった。新郎の部屋は階上にあり、仲人の張静斎の部屋には色鮮やかな婚礼の飾りが為されていたが、来富はそれを見に行く勇気が無かった。そのまま陽が西に傾くまで、ひとりのお祝いの楽隊の楽器吹きもやって来なかった。婿殿である厳家の坊ちゃんは、真新しい方巾を被り、赤い上着を羽織り、頭には花を挿していたが、前に後ろに往き来しながら落ち着かない様子で、楽器の吹き手がどうして来ないのか尋ねた。大旦那は広間で大声を張り上げ、四斗子に早く楽隊に伝えるよう言った。四斗子が言った。「今日は良い日柄で、ひとつの楽隊に八銭では、楽器吹きも来てくれないのに、旦那様は楽器吹きに二銭四分の質の悪い銀(銀の含有量の少ない質の悪い銀)しかお出しにならないうえに、おまけにそこから二分の(計量の)誤差を差っ引いた上、張様のお屋敷の人に催促に行ってもらうんだから。旦那様は今日承諾してくれた楽隊がいくつあるかご存じ無い。彼らがこんな時にどうして来るもんですか。」大旦那は怒って言った。「この糞ったれ。早く行って呼んで来い。来るのが遅れたら、おまえも一緒にぶっ叩くぞ。」四斗子は口をとがらせながら、道々ずっと不満たらたら言いながら出て行き、言った。「朝からこの時間まで、一杯の飯さえくれずに、こともあろうにこんな面倒事を押し付けてくるんだから。」そう言うと、出て行った。

 

 そうして灯点し頃となり、四斗子も帰って来ていなかったが、新婦を運ぶ駕籠かきや赤と黒の帽子を被った男たちがまた酷く催促するものだから、広間の客たちが言った。「もう楽器の吹き手を待たなくていい。良い頃合いになったから、ひとまず新婦をお迎えしよう。」掌扇(儀仗用の長い柄の付いた扇)が担ぎ上げられ、四人の赤と黒の帽子を被った男たちが先導し、来富は駕籠の後ろに従い、真っ直ぐ周家にやって来た。かの周家は広間が甚だ大きく、いくつものランプが点されていたが、天井の方は薄暗かった。ここには楽器を奏でる楽隊がおらず、四人の赤と黒の帽子を被った男たちだけが、代わる代わる号令をかけ、真っ暗な天井の下で大声を上げ、止むことがなかった。来富はそれを見て、申し訳なく思い、彼らがもう叫ばなくていいと思った。家の中では、こう言いつける者がいた。「厳旦那様に申し上げます。楽隊の演奏が始まれば、新婦をお迎えする駕籠を出発させます。演奏が無ければ駕籠は出しません。」ちょうどすったもんだ騒いでいると、四斗子がふたりの楽器奏者を連れて戻って来た。ひとりは簫吹き、ひとりは太鼓叩きで、広間でブーブーダンダンと音を出したが、一向にちゃんとしたメロディーにならなかった。両側で聞いていた人たちの笑い声が止まらなかった。周家の人々はしばらくあれこれガヤガヤと騒いでいたが、どうしようもなく、新婦を乗せた駕籠を出発させざるを得なかった。新婦が嫁入りしたが、詳細は言うまでもない。

 

 十日目の朝を迎え、来富と四斗子に二艘の高要行きの船の契約をさせた。かの船主(船家)は高要県の人で、二艘の大船は銀十二両、高要に着いたら金を払うという契約だった。一艘には新郎新婦が乗り、一艘には厳貢生が自ら乗った。吉日を選び、肉親にお別れを言い、「巣県正堂」(「巣県」は今の安徽巢湖市一帯。正堂は役所のこと。厳貢生は巣県の知県に任命された)の金文字の扁額を借り、「粛静」(静かに)、「回避」(道を譲れ)の白い看板を掲げ、四本の門槍(儀仗用の槍)を船に挿し、また一隊の楽器奏者を呼び、銅鑼を鳴らし儀仗用の傘を掲げ、楽器を奏でながら船に乗り込んだ。船主はたいへん怖れて、注意深くお世話をしたが、旅の過程では特に言うこともない。

 

 

 その日、やがて高要県に着こうとし、あと二三十里の道のりであった。厳貢生は船上に座っていて、ふと眠気がさしてきて、両眼がぼんやりし、口の中がむかむかし、何度も透明な痰を吐き出した。来富と四斗子が両側から腕を支えていたが、今にも倒れそうになった。厳貢生は、口では「もうだめだ、だめだ。」と言うばかりで、四斗子に言って急いで厳貢生を横にならせ、直ちにやかんに一杯お湯を沸かして来させた。四斗子が厳貢生を横にならせると、何度も繰り返しうめき声を上げた。四斗子は慌てて船員とお湯を沸かすと、客室に持って入って来た。厳貢生は鍵で箱を開けると、雲片糕(もち米粉、砂糖、油を煉った、ねっとり柔らかいお菓子で、薄く切って食べる)を一塊(かたまり)取り出した。一枚一枚薄く切られていて、何枚か剥がして食べ、お腹の中でもまれて、二発も大きな屁が出ると、たちまち良くなった。残った何片かの 雲片糕は、後鵞口板(船尾の舵手の位置を遮る板)の上に置いておいたが、しばらくはそのまま確認にも来なかった。かの操舵長はたいへん食いしん坊であったので、左手で舵を支えながら、右手で雲片糕をつまんでは、一枚一枚口の中に入れた。厳貢生はただ見ていないふりをするしかなかった。

 

 しばらくして、船は船着き場に停泊した。厳貢生は来富に言って速やかに二台の駕籠を呼んで来させ、人員を配置し、次男と新婦を先に家に送った。また船着き場の人夫に荷物を岸に揚げさせ、自分の荷物も岸に揚げた。船員や水夫たちが皆やって来て、祝儀の銭を催促した。厳貢生が身体の向きを変えて船倉に入ると、そわそわ落ち着かない様子で、部屋の四方を見回すと、四斗子に尋ねて言った。「わたしの薬をどこへやったんだ?」四斗子が言った。「何の薬があったんですか?」厳貢生が言った。「さっきわたしが食べたのは、薬じゃないのか?確かに甲板の上に置いておいたんだ。」かの操舵手が言った。「おそらくさっき甲板の上に置かれた数枚の雲片糕のことでしょう。あれは旦那様が残されて、もう要らないと思ったので、拙者が畏れながら食べてしまいました。」厳貢生が言った。「こんな安物の雲片糕を食べたのか。おまえはその中にどんなものが入っていたか分かるか?」操舵手が言った。「雲片糕は瓜仁(ヒマワリの種の中身)、胡桃、砂糖、小麦粉で作ったものに過ぎないのに、何が入っているんですか?」厳貢生が腹を立てて言った。「何をばかなことを言っているんだ。わたしは平素立ち眩(くら)みがあるので、数百両の銀子を費やして、これらの薬を合わせたんだ。省で張旦那様が上党で役人をしていた時に持って帰って来た人参、周旦那様が四川で役人をしていた時に持って帰って来た黄連(オウレン)。おまえという奴は、「猪八戒が人参果を食べる。全く味が分からない(味音痴)」(猪八戒喫人参果zhū bā jiè chī rén shēn guǒ。歇后語(掛け言葉、なぞなぞ)で、その解は「全不知滋味」)だ。言うは易しだ。雲片糕だと。さっきあった何枚かで、何十両の銀子の値打ちがあるかは言わないが、「夜中に拳銃の先が無くなった。コソ泥の腹に突き刺さった」(半夜里不見了鎗頭子qiāng tóu zi。 これも歇后語で、解は「nǎng到賊肚里」 )だ。わたしがこれからまた立ち眩みが起きたら、どんな薬を持って来て治せばいいんだ?おまえという奴は、わたしを随分ひどい目に遭わせてくれるんだな。」四斗子を呼んで拜匣(役人が外出時に持って行く、事務用品などが入った木の箱)を開けさせ、帖子(書き付け)にこう書いた。「この男を湯旦那様のお役所に連れて行き、先ずこの男を数十回板子(刑罰の時に叩く棒)で叩き、その上で詮議。」操舵手はびっくりして、お追従笑いを浮かべて言った。「拙者が先ほど食べた甘いものが、薬とは知りませんでした。ただの雲片糕だと思ったのです。」厳貢生が言った。「まだ雲片糕だと言うのか。また雲片糕と言ったら、先におまえの口を何発か殴ってやるぞ。」

 

 そう言うと、書き終えた帖子(書き付け)を、四斗子に手渡した。四斗子は急いで岸に上がると、そこにいた荷物運びの人々が船員たちのためにそれを引き留め、二艘の船の船員たちは皆慌てふためき、一斉に言った。「厳旦那様、今回はあいつが間違っていた。間違って厳旦那様のお薬を食べてはならなかったんです。けれどもやつは貧乏人で、たとえ船まで売り払っても、旦那様の数十両の銀子を償うことなんてできません。もしやつを県のお役所に送ったところで、どうしてその刑罰に耐えることができましょう?今はただ厳旦那様が恩義をお与えになり、融通を利かせ、あいつを許してくださるようお願いします。」厳貢生は怒りを発すればするほど、益々雷が落ちるように猛烈に怒り出した。荷物運びの人夫が何人か船まで走り寄って来て言った。「これは元々あなたがた船員の皆さんが間違っていた。先ほどもし急いで厳旦那に祝儀や酒代をせびっていたら、厳旦那はそんなことならばと、今頃とっくに駕籠に乗って出発していたでしょう。――あなたがたが厳旦那を引き留めたものだから、それでこの薬を捜すことになったんだ。あなたがたは今、自分が間違っていたことが分かったのだから、厳旦那様のところへ行き、その前に跪いて頭を地面に付け、許しを乞えばいいだけじゃないですか。まさかあなたがたは厳旦那の薬を弁償しないで、厳旦那はまだあなたがたにお手当をくださらないといけないと思っているんじゃないのかね?」人々は一斉に操舵手を押さえつけ、何回も頭を地面に付けさせると、厳貢生はこちらへ振り向いて言った。「あなたがた皆さんがそう言われるし、わたしもお祝い事でばたばたしていますから、しばしこの野郎のことは置いておき、折を見てやつとはゆっくり精算することにしよう。こいつが空に飛んで行ってしまう訳じゃないし。」怒りを収めると、ゆっくりと駕籠に乗り込み、荷物と小者が後に従い、あっという間にいなくなってしまった。船員たちはポカンと彼らが行くのを見送った。

 

 

 厳貢生は……ゆっくりと駕籠に乗り込み、荷物と小者が後に従い、あっという間にいなくなってしまった。船員たちはポカンと彼らが行くのを見送った。

 

 

 厳貢生は家に帰ると、急いで息子と嫁を連れて家族の先祖の位牌を拝み、また急いで自分の継母に出てきてもらい、息子と嫁の儀礼を受けてもらった。彼の妻はちょうど家の中で荷物の引っ越しにてんてこ舞いで、バタバタしていた。厳貢生が歩いて来て言った。「おまえ何をバタバタしているんだ?」彼の妻が言った。「あなたはまさか我が家の部屋が狭っ苦しくてどうしようもないのを知らないんじゃないでしょうね?まともな部屋はこの一間しか無いのに、しかも新しく輿入れされたお嫁さんは、大家のお嬢さんだときたら、あなたは一番いい部屋を空けて、あの子たちに住まさないの?」厳貢生が言った。「フン、俺はとっくに心づもりが出来ているさ、むやみに騒ぎなさんな。弟の家はりっぱな御殿だから、住みやすいんじゃないか?」彼の妻が言った。「弟さんのご家族は自分の家に、どうしてあなたの息子と一緒に住むの?」厳貢生が言った。「弟は子供が無いから、後嗣を立てないといけないだろう?」妻が言った。「それはだめよ。あちらはうちの五男に継がせたいのよ。」厳貢生が言った。「それはあいつらがそう言ったのか?やつらの考えなんて知ったこっちゃない。俺が弟の代わりに後嗣を立ててやるんだ、あいつらにどんな文句があるというんだ?」彼の妻はこの話を聞いて、ちょうど何のことか分からずにいると、趙氏から遣わされた人が来て言った。「奥様が大旦那様がお帰りになったと聞きましたので、大旦那様にお話しをしたいとのことで、こちらのふたりの叔父様がたも、あちらでお待ちでございます。」厳貢生がそれで弟の家にやって来ると、王徳、王仁がいたので、しばらく「なりけりべけんや」と訳の分からぬことを言った後、何人かの家事を管理する召使を呼んで言いつけた。「母屋の掃除をしてくれ。明日から次男(二相公)とその嫁が来て住むから。」趙氏はそれが聞こえ、厳貢生が彼の次男にここを継がせるつもりだと分かったので、叔父にお願いし、こう言った。「兄さん、旦那様はさっきどう言われたの?お嫁さんが来られたなら、当然裏のお部屋でしょう。わたしが変わらず前の母屋にいることで、朝晩の(亡夫への)お世話もできるんですわ。どうしてわたしがあちらに引っ越さないといけないの。嫁が母屋に住み、母が厢房(母屋の両脇の建屋)に住むなんて、この世の中、世間でそんな理屈は聞いたことがないわ。」王仁が言った。「おまえ、そう慌てないで。あの人の言われることを伺ってみよう、当然話し合って解決する方法があるはずだ。」そう言うと、出て行った。互いにいろいろ話をし、また茶を一杯飲んだ。王家の小者がやって来て言った。「ご学友、お友達が文章の勉強会にお越しになり、お待ちです。」ふたりはそこを辞して帰って行った。

 

 厳貢生はふたりが帰るのを見送ると、椅子を引いて座り、十数人の家事を管理する召使たちを皆呼んで来て、こう言いつけた。「我が家の次男(二相公)が、明日やって来てこちらの後を継ぐ。つまりおまえたちの新しい主人だ。慎重にお仕えするように。趙さん(趙新娘。お妾なので「太太」や「奶奶」とは呼ばない)には子供がおらず、次男から見ると、あの人はお妾に過ぎない。あの人はもう母屋を使うことができないから、家の中の女性の召使たちに言いつけて、母屋以外の二間を掃除して、あの人の代わりに荷物を運んでやってくれ。母屋が空いたら、次男が来て暮らすことができるから。お互いに誤解が無いようにしないといけない。次男が自分の嫁を呼ぶ時、次男のことは「若旦那」(二相公)その嫁は「若奥様」(二奶奶)だ。何日かしたら、若奥様(二奶奶)がやって来る。趙さんが先にやって来て挨拶をし、その後で若旦那様が来てちゃんとした挨拶(作揖zuò yī。両手を組んで腰を少し屈める挨拶)をする。わたしたち郷紳の家は、こうした礼儀作法は、ちょっとした間違いも許されないのだ。おまえたちそれぞれが管理している田畑や家屋、利息の帳簿は、徹夜で人をかき集めて作業して精算を終わらせたら、先にわたしに届けて逐一細かく見る。そうすれば若様にお渡しして確認してもらうのに都合が良い。弟(二老爹)が生きていた時とは比べようがない。あの頃は妾が家のことを取り仕切り、おまえたち召使たちが訳も分からず不正をしていたんだ。今後はもしちょっとでもごまかしや隠ぺいがあったら、わたしはおまえたちに、ひとり三十発の棒叩きの罰を与え、おまけに湯旦那様のお役所に送って、給料や食事を返してもらうからな。」召使たちは承諾して下がり、大旦那はあちらに行ってしまった。

 

 これらの召使や小間使いの女たちは大旦那の言ったことを聞くと、趙氏に引っ越しの催促にやって来たが、趙氏に一度ひどく罵られると、もう引っ越しのことは言わなくなった。ふだんは趙氏がわざと尊大に振舞い、権力を濫用するのを嫌っていたが、この時はどうしても一組の召使たちを連れ、部屋に来てこう言わざるを得なかった。「大旦那様が言いつけられたことを、わたしたちがどうして敢えて従わないことなどできましょうか?あの方が結局正当なご主人様なのです。あの方がもし真剣に腹を立てられたら、わたしたちはどうして無事で済まされるでしょうか。」趙氏は大声をあげて泣き出し、泣いてまた罵り、罵ってまた泣き、そのまま一晩中騒ぎ立てた。翌日、(趙氏を乗せた)一台の駕籠が県の役所の入口まで担いで来られた。ちょうど湯知県が朝の政務に就いたところだったので、趙氏は厳貢生 の不当な扱いを訴え出た。知県は補足して訴状を作らせ、翌日、「一族の親族に依頼し対処させる」との命令を発した。

 

 

 趙氏は何席か酒席を準備し、族長に家に来ていただいた。族長の厳振先は、すなわち城中の十二都(区域の名称)の郷約(役所が任命した地域の役職)で、平素最も怖いのは厳大老官(厳貢生)であったので、今は同じ席に同席しているので、こう言うしかなかった。「わたしは族長ではあるが、今回のことはご家族が中心に決められるべきで、この家の旦那様がお決めください。わたしもただこちらで決められたことを知県様にご報告するしかありません。」かのふたりの叔父の王徳、王仁は、土でできた人形か木彫りの像のように黙って座っているばかりで、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。かの米屋をやっている趙氏の弟の趙老二や、銀を溶かす竈のふいごを引いている甥の趙老漢は、本来はこの場に出て来る資格が無かったが、ようやく口を開いて何か言おうとしていると、 厳貢生に眼を剥いて一喝され、またことばを発する勇気が無くなってしまった。ふたりは自ら心の中でそろばんを弾いて言った。「叔母さんはふだんは王家の兄さんふたりばかり頼りにし、わたしたちは相手にもしてくれない。今日は叔母さんのために厳旦那様を怒らせてしまった。「虎の頭の上でハエを叩いて」(老虎頭上撲蒼蠅lǎo hǔ tóu shàng pū cāng ying)しまって、どうしたらいいだろう?なんとか先生方にうまく決着してもらわないと。」趙氏は屏風の後ろに隠れてはいたが、状況は熱した鍋の中の蟻のように、不安で居ても立ってもいられなかった。周りの人々が皆何も言わないので、自分は屏風を隔てて旦那様方に解決をお願いしたのだが、そのいくつかは以前のもう済んだことであった。指折り数えてはまた泣き、泣いてはまた指折り数え、胸をたたいて地団太を踏んで悔しがり、ひとしきり大声で泣き腫らした。 厳貢生はそれを聞きながら、我慢できずに言った。「全くこの性悪の女ときたら、本当につまらない家の生まれだな。我々郷紳の家柄の者には、こんなやり方なんてあり得ない。わたしの気持ちを逆撫でしないでくれ。髪の毛をひっつかんで一発殴ってやって、それからすぐさま仲人を呼んで来て連れて行かせ、どこかに嫁にくれてやる!」趙氏はそれを聞いて益々大声で泣き叫び出し、叫び声は大空の雲にまで聞こえたので、走って行って彼女を捕まえ、着ているものを引き裂いてしまおうとしたが、何人かの召使や小間使いたちが諫めて止めさせた。周りの人々は見ていてこれは何事も無しでは済まされないと思い、厳貢生を押し留め、家に帰らせた。すぐさま各人は各々帰って行った。

 

 翌日、知県への回答を相談したが、王徳、王仁が言った。「わたしたちは府学、県学の学生である生員の身分であり(身在黌宮hóng gōng)、訴訟の争い事には参与できません(片紙不入公門)。」そう言って、名を連ねるのを善しとしなかった。厳振先はただあいまいに回答するしかなく、こう言った。「趙氏は元々妾が正妻を継いだのであるが、これも法に敵ったことである。厳貢生によれば、それは法律や判例に叛くもので、自分の息子に、趙氏を母親と認めさせることはできないと言うが、それも道理である。総じて大旦那様(湯知県)の天断を待つものである。」かの湯知県も妾腹の息子であり、この回答を見て言った。「「律は大法を設け、理は人情に順(したが)う」とか。この貢生めも余計なことにちょっかいを出し過ぎるわ!」そして極めて長い裁決文を批准し、こう言った。「趙氏は既に正妻を継いだのであるから、これをただの妾と見做してはならない。もし厳貢生が息子に後を継がせたいと願わないなら、趙氏が自分で後嗣を選ぶのに任せ、有能な者、自分が愛する者を立てても構わない。」厳貢生はこの裁決文を見るや、頭の上から火がまっすぐ十数丈も燃え上がり、直ちに上申書を書いて府の役所に上告したところ、府尊(府の知事)にも妾がおり、この上申書を見て余計なことを言って来たと思い、「高要県の審査を仰ぐ」とした。知県はこの案件を審査し「既決の案件の通り処置する」と批准した。厳貢生は慌てて、省(広東省)の按察司に訴状を出したが、按察司は「細かい事案ゆえ府県での審理とする」と批准した。厳貢生はもう打つ手が無くなったので、こう思った。「周学堂(周進)様は親戚筋に当るから、都に行って、周学堂に朝廷の中央で訴状を報告してもらえば、きっと自分の息子が後嗣と認められるだろう。」この行為がまた一連の結果を引き起こした。長年名望のある文人が活躍してきたが、今回の科挙の試験でまた新たな合格者が出た。英俊な若者たちが、一挙に科挙に合格して進士になった。さて厳貢生の訴状は批准されるのでありましょうか、次回に解説いたします。

 厳貢生が近隣の人などに不当な仕打ちを行ったため二件の訴訟を起こされ、省城へ逃げて行ってしまったため、弟の厳監生は妻のふたりの兄にお願いし、ふたりは相手と和解して訴訟を取り下げさせることに成功します。厳監生は正妻の王氏が病いでもう余命が長くなく、世継ぎを生んでいなかったので、王氏のふたりの兄により、男の子を生んだ妾の趙氏を正妻に立てることで、親類縁者の同意を取り付けます。ところが、厳監生も病いに侵され、最期の時が近づきます。『儒林外史』第五回をお読みください。

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

王秀才は偏房(妾)を(正妻に)立てるを議し

厳監生は(やまい)で正寝(母屋)にて(一生を)終える

 

 さて、回教徒たちは湯知県(知事)が彼らの代表に首枷(くびかせ)を嵌め殺してしまったので、騒ぎを起こしそうになり、県の役所を水も漏らさぬ程に取り囲み、人々は口々に、張静斎を引っ張り出して叩き殺しさえすればいいと主張した。知県(知事)は大いに驚き、細かく役所の中で問い質すと、ようやく役所内の人間から外に情報が漏れ伝わったことが分かった。 知県は言った。「わたしがこれ以上だめな人間だとしても、つまるところこの県の主として、彼らはわたしをどうしようと言うのだ?もし憤(いきどお)った群衆が役所に押し入り、張兄さんの姿を見つければ、事態は収まりがつかなくなる。今はなんとかして先ず張兄さんを逃がし、ここから離れさせることが肝要だ。」急いで何人か腹心の役人たちを呼んで来て相談した。幸い、役所の後方は北側の城壁にすぐ接していたので、何人かの役人を、先にこっそり城外に行かせ、縄で張、範の二名を繋(つな)いで行き、藍染の衣服、藁で編んだ帽子や草履に着替えさせ、街道を避け細い裏道を尋ねながら進み、びっくりしてあちこち動き回り(忙忙如葬家之狗)、網から逃げる魚のようにバタバタし、夜通し道を捜しながら省城まで帰って行った。

 

 ここ高要県(広東省‌肇慶市の一部)では学師(県の儒学学校の教師)、典史(下級の文官)らが総出で人々を慰撫し、あれこれ楽観的な話をしたので、集まった回教徒たちは次第に帰って行った。湯知県はこうした状況を細かく報告書に記し、報告は按察司(司法や役人の規律を調べる機関)の知るところとなった。按察司は文書を書いて知県に檄を飛ばした。湯知県は按察司にお目にかかり、紗帽をもぎ取ると、ひたすら跪いて額(ぬか)ずいた。按察司は言った。「理屈から言えば、今回の件はそなた、湯旦那様もいささか軽率であらせましたぞ。しかし首枷(くびかせ)を付け責めるのはまあよろしい。どうしてわざわざ牛肉を枷(かせ)の上に積まなければならなかったのですかな。これがどんな刑法になるのですかな。けれどもこうした狡猾な訴訟ざたも長くは続かんでしょう。こちらでは何人かの頭目に対して、できるだけ法律の通りに処分せざるを得ません。あなたはしかし役所に戻って手続きをされる際は、凡そなんでももう少しよく考慮され、気ままな対応はやめてくだされ。」湯知県はまた跪いて言った。「今回のことは、わたしが間違っていたのです。大殿様が守ってくださったおかげで、真に天地父母のご恩に浴することができ、今後は過ちを必ず改めるべきと知りました。けれども大殿様の裁決が明白であったので、これら何人かを頭目とする連中は、更に大殿様に当県についても処分するよう求めるでしょうから、それがしの面子も保たれることになりましょう。」按察司もこの申し入れを承諾した。知県は叩頭して感謝を表し出てくると、高要に帰って行った。しばらく経って、果たして五人を頭目とする回教徒たちを、役所の審判の結果、被告らが官府を脅迫したと見做され、法律に基づき首枷の責めを負い、当県にて処分するよう発令された。知県は判決文を見て、高札に掲げて貼り出した。翌日の早朝、横柄な様子で役所を出ると、回教徒たちを処分した。

 

 ちょうど役所から退こうとしていると、ふたりの人が「お待ちくだされ。」と叫びながら入って来るのが見え、知県(湯知事)はお付きの者に問い質させた。ひとりは王小二といい、貢生の厳大位のすぐ隣に住んでいた。昨年三月のうちに、厳貢生家から一匹の生まれたばかりの子豚が隣家に逃げて行き、王家では慌てて子豚を厳家に送り返した。厳家の言い分は、豚がよその家に行って、また連れ戻されて来るのは、最も幸先が良くない、というものだった。無理やり八銭の銀子を出させて、子豚を王家に売った。この一匹の豚は、王家で飼われて百斤余りにまで太ったが、思いがけず間違って厳家に迷い込んで来たので、厳家は豚を閉じ込めた。小二の兄の王大が厳家に行って豚を返すよう求めると、厳貢生は、この豚は元々厳家のものなので、「お宅で豚が要るなら、今の値段に沿って見積もり、数両の銀子を持って来て、豚を受け取りなさい」と言った。王大は家が貧しく、そんな銀子など持っておらず、厳家と二言三言言い争ったが、厳貢生の何人かの息子たちに、門を閉める閂(かんぬき)や、煉った小麦粉を延ばす棍棒を手に持ち、こっぴどく殴られ、脚の骨は折れ、動けなくなって家で横になっているしかなかった。それで小二が来て怨みを訴えたのだった。

 

 

知県は一方で驚くと、ひとりを連れて来て尋ねた。「おまえは何という名前なのだ?」その人物は五六十歳の老人で、知県にこう申し上げた。「拙者は黄夢統といい、郷下(田舎)に住んでおります。昨年九月に県城に登り銭糧(年貢)を納めに来たのですが、当初足らなかったもので、厳郷紳にお願いして二十両の銀子をお借りすることにし、毎月三分の銭の利息ということで、借用証を書き、厳のお屋敷(厳府)にお届けしたのですが、拙者はまだ厳様から銀子を受け取っていません。歩いて街まで来ますと、郷里の親戚に出逢い、この者が数両の銀子を拙者に貸してくれると言い、数分の銭を渡し、残りは郷に戻って何とか工面し、拙者に厳家の銀子は借りるなと勧めたのです。拙者は銭糧を納め終わると、親戚と一緒に村に帰りました。それから今でもう半年余りが過ぎ、このことを思い出したので、厳のお屋敷に借用証を返してほしいと尋ねると、厳郷紳は拙者にこの数ヶ月の利息の銭が要ると要求して来られたのです。拙者は申し上げました。「別に元手もお借りしていないのに、どうして利息が発生するのですか?」厳郷紳は拙者がこの時借用証を引き揚げていれば、ちょうどあちら様がこの銀子を他人に貸して利息を得ることができた。ところが借用証を取りに来なかったために、あちらは二十両の銀子も動かすことができず、半年余りの利息の銭を儲け損なったので、拙者がそれを出さないといけないと言われるのです。拙者は自分が間違ったことは分かっているので、間に入ってくれた人に言って、豚の蹄と酒を買って、自ら厳貢生のお宅に伺って謝り、借用証を持ち帰りたいとお願いしたのです。厳郷紳は頑なに同意せず、拙者のロバと米、荷物を入れる麻袋を、人に言って無理やり留め、家に持ち帰り、しかも紙の書き付けも発行されませんでした。このような不当な仕打ちに対して、どうかお殿様がご自身の裁量で解決してください。」知県はそう聞いて、言った。「ひとりの貢生(科挙の試験に合格して国の最高学府である国子監の学生である生員となった人)として、その階層に列していながら、郷里で良い行いをすることもせず、ただこのように人を騙すばかりとは、実に憎むべきである!」そう言ってこれら二件の起訴状は皆批准され、原告は外で控えて待機した。早くもこの話を厳貢生に報告して知らせた者がいた。厳貢生は慌てて、心の中で思った。「このふたつの案件は皆事実であり、もし審判が下ると、体面上みっともないに違いない。「三十六計、逃げるが上策だ。」」荷物をまとめると、さっさと逃げて省城へ行ってしまった。

 

 知県は起訴状を批准し、担当する司法部門に引き継がれて担当者が派遣され、厳家に来ると、厳貢生は既に家にはおらず、厳二老官(厳貢生の下の弟)に会うしかなかった。二老官は厳大育といい、字は致和、彼の兄の字は致中で、ふたりは母を同じとする兄弟であったが、別々に暮らしていた。この厳致和は監生(国の最高学府である国子監の生員)で、家には十数万の銀子があった。厳致和は県から派遣されて来た男がこの案件を説明するのを見て、彼は臆病で金持ちで、兄も不在であったので、傲慢な態度を取る勇気もなく、すぐさま派遣されて来た人を留めて酒飯の接待をし、二千銭を持って来て使いに与えると、急いで召使に言いつけてふたりの叔父(妻の兄弟)を呼んで来て対策を話し合った。

 

 彼のふたりの叔父は姓が王で、ひとりが王徳といい、府学の廪膳lǐn shàn生員(秀才に合格した内で最も優秀な学生。「廪膳」は官府から学費や生活費の支援を受けること。「生員」は府学の学生)、ひとりは王仁といい、県学の廪膳生員であった。ふたりともたいへん有名な私塾の教師で、名前が広く知れ渡っていた。妹のご主人の要請と聞き、揃ってやって来た。厳致和はこの案件を最初からひと通り説明すると、「今発行された派遣要請書はここにありますが、どのように処理すればよいですか?」王仁は笑って言った。「おまえの兄さんは平素からいつも自分は湯公と顔なじみだと言っていたのに、どうしてこんな些細なことで驚くんだ?」厳致和が言った。「このことは言ってもキリがない。ただ兄貴は今は逃げて影も形も無く、派遣されてきた男はここであれこれ騒ぎ立て、わたしに責任を取らせようとしている。わたしはどうして家のことをほったらかしにして、外へ兄を捜しに行けるだろうか?兄貴も帰って来るのに同意しないだろう。」王仁が言った。「それぞれのお宅は、各々独立しているから、このことはあんたとは無関係だ。」王徳が言った。「あんたは知らないことだ。役所から遣わされた男は、妹の旦那は安定した暮らし向きだと思ったんだよ。あいつらのやり口は、専ら手がかりになりそうなところを掴んでくるんだよ。もし関係ないと言ってやったら、あいつはもっと厳しく要求してくるだろう。今道理に合うのは、「釡の底の薪を抜き去る(釡底抽薪)」やり方だ。コネを使って訴訟を起こした相手を慰撫し、有力者に頼んで和解を勧めれば、事は収まるよ。」王仁が言った。「また人に頼みに行く必要はない。わたしたち兄弟ふたりが王小二、黄夢統を尋ねて、彼らの家で代わってきっちり説明してやるさ。豚も王家に返してやり、必要な銀子を出してやって、折れた脚の養生ができるようにしてやる。黄家のあの借用証は、調べて彼に返してやる。一日で解決する仕事だよ。」厳致和が言った。「叔父さん、あなたの言われる通りです。ただ、我が家の嫂(あによめ)もぼんくらだし、何人かいる甥っ子たちは狼のように貪欲で、決して忠告に耳を貸さないでしょう。彼らがどうして豚や借用証を差し出すでしょう?」王徳が言った。「おまえ(妹丈。妹の夫、厳致和のこと)、こんなこと口に出すもんじゃないよ。もしおまえの嫂(あによめ)や甥っ子が言うことを聞かなかったら、おまえはついてないと思うだろう。だからまた何両か銀子を出して、豚の値段をまけてやって、王の奴にくれてやる。黄家の借用証の件は、わたしたち間に入った人間が証文を書いてやり、証文でその借用証はもう無効だと言ってやる。そうすればこれらの揉め事は解決し、もう何の雑音も聞こえてこないよ。」

 

 相談がまとまると、すべて適切に処置され、 厳二老官は役所で使った費用も含め、全部で十数両の銀子で、訴訟は収まった。何日かして、酒席を一席設け、ふたりの叔父を招待して謝意を示そうとした。ふたりの秀才はもったいぶって、同じ屋敷の中なのに来ようとしなかった。厳致和は召使にこう伝えさせた。「奥様はここのところ気分がすぐれない。今日は一にお酒を召しあがっていただき、二に奥様が叔父様方とお話しされたいのだ。」ふたりはこの話を聞くと、ようやくやって来た。厳致和はそれでふたりを迎えて広間に入らせ、茶を飲んでから、召使を奥に行かせて伝えさせた。侍女が出て来てふたりに中に入るよう言った。部屋の中に入り、頭を上げると、彼らの妹の王氏の姿が見えた。顔色が悪くやせ衰え、身体も衰弱して、まともに歩けなかったが、それでも部屋の中では自分で瓜子(ヒマワリやスイカの種)の殻を割り、栗を剥き、それらを小皿に取っていた。兄たちが入って来るのが見えたので、それらを放置して近づき、挨拶の礼をした。乳母が妾が生んだ乳児を抱いていて、歳はようやく三歳、銀の首飾りを付け、赤い服を着ていて、「叔父様」と呼んだ。ふたりが茶を飲むと、ひとりの侍女が来て、「お妾の趙氏(趙新娘)がこちらに来て叔父様にご挨拶されます。」ふたりは急いで言った。「それには及びません。」座って多少の世間話をし、また妹の病気について尋ね、「総じて身体が弱っているから、栄養剤(補薬)をもっと摂らないといけない」と言った。話が終わると、前の広間に酒席を並べ、部屋から出て席に就かせた。

 

 閑話休題、また厳致中(厳致和の兄の厳貢生のこと)の話が持ち出された。王仁は笑いながら王徳に尋ねて言った。「兄さん、わたしはそれにしてもよく分からないのだが、あちらの家(他家。厳家のこと)の旦那(大老。厳貢生のこと)は昔の功名のお陰で(那宗筆下)、どうして官府から生活費の補助を受けれる(補起廪来)ようになったのですか?」王徳が言った。「このことは三十年前に遡る。当時、宗師(科挙の試験を主管する学政官員)は御史(監察御史)から転任したり兼務していたんだが、元々は役所の事務員から出世して、科挙に合格した進士ではないから、学問の素養はたいしたことがないんだ。」王仁が言った。「旦那様(厳貢生)は今では益々常軌を逸して、最も近しい親戚として、一年のうちにも何回も酒の席にお招きするんだけれど、あちらさんが一杯奢ってくださったためしが無い。想い起こせば先年、厳貢生が試験に合格して貢生になり、お屋敷の前に旗を立てた時、あちらの家で一席設ける、設けないの話がありましたな。」王徳は眉をしかめて言った。「あの時はわたしは行かなかったよ。厳貢生は試験に合格して貢生になったので、親戚やご近所にお祝いをするよう強要し、総甲(官府の徴税担当の役人)や地保(地方の行政責任者)といった連中を手下に使い、県の使い走りの犬どもは言うに及ばず、一二百吊の銭を集めて来たんだが、まだ宴席を手配してもらった金や、屠殺夫の労賃が不足し、今に至るもまだ返してもらっていない。家では二ヶ月毎に喧嘩になるし、さあこれからどうなることやら。」厳致和が言った。「ですからわたしも言いづらいのです。おふたりの叔父様には正直に申し上げますが、我が家のように数畝の地味薄い畑しかなく、日々夫婦四人家族で生活し、豚肉も一斤買うのがもったいなく、いつも子供らに食事をさせる時は、熟切店(煮炊きして調理した肉を量り売りする店)で銭四枚分買って、なんとか子供らをなだめているんです。兄はちょっとばかりの土地も無く、人口も多く、生活は三日と持ちません。ひとたび肉を買う時は五斤も買って、しかもくたくたになるまで煮込むんです。食事が終わったと思ったら、もう屋敷の門のところで行商人からつけで魚を買っているんです。分家したばかりの頃は、同じように田畑があったのですが、無駄に食い詰めてしまいました。そして今では家の中のカリンの木の椅子を、こっそり裏口から持ち出しては、中に肉の餡の入った饅頭(包子)に換えているんです。こんなことをして、いったいどうすればいいんでしょう?」ふたりは「ハハッ」と大笑いしたが、笑い終わると言った。「こんなつまらんことばかり話していて、わたしたち肝心の酒を飲む方を忘れてましたな。早くサイコロと鉢を持って来なさいよ。」サイコロを手に取るや、それを兄の方に渡した。「わたしたち状元令の遊びをやりましょう。」ふたりの叔父は、それぞれが状元の命令を出し、一度状元に当ると、大きな杯で酒を飲み干した。ふたりは何回か状元に当り、何十杯も酒を飲んだ。けれども不思議なことに、かのサイコロはまるで人事を知っているかのように、厳監生は一度も状元に当らなかった。ふたりは手を叩いて大笑いした。四更(夜中の一時から三時)の太鼓の音が止むまで酒を飲み、べろんべろんによろめき、手すりにもたれながら帰って行った。

 

 これ以降、王氏の病気は、益々重くなった。毎日四五人の医者が薬を用い、それらは皆人参、付子(トリカブトの根の周辺についている小さな塊状のもの)であったが、別段効果が見られなかった。見ていると床に伏して起き上がれず、息子を生んだ妾が傍らで煎じ薬の世話をし、極めて慇懃であった。王氏の病状が良くないのを見て、夜には子供を抱いてベッドの足元に座って泣き、そして何度も泣いた。その晩はこう言った。「わたしは今、菩薩様がわたしをあちらに連れて行かれても構わない、どうか奥様が良くなられますように。」王氏が言った。「あなたはまたばかなことを言うのね。それぞれの人の寿命は決まっているの。どうして人に代わってもらうことができて?」趙氏が言った。「そんなことを言ったのではありません。わたしが死んでも何の値打ちも無いです。奥様にもしものことがあったら、旦那様はまた後添いを娶られないといけません。旦那様は四十過ぎになって、ようやくこのお世継ぎがお生まれになりました。また新しい奥様を娶られたら、各々がご自分の生んだお子さんしか可愛がられませんわ。昔からこう言います、「継母(ままはは)は気持ちが陰険でやり口があくどい(晚娘的拳頭、雲里的日頭)」と。この子はおそらく、このまま成長することはできないでしょう。わたしもこの先長くないから、早く後添いを娶ってもらって、この子の命だけでも保たせていただきたいですわ。」王氏はそう聞いて、何も答えなかった。趙氏は目に涙を浮かべ、一日また一日と薬を煎じ粥を煮て、一歩たりともそこを離れなかった。ある日の晩、趙氏はしばらく出て行き、入って来るのを見かけなかった。王氏が小間使いの女に尋ねた。「(お妾の)趙さんはどちらに行かれたの?」小間使いが言った。「お嬢様(趙氏)は毎晩お線香を焚並べられ、採光の穴から泣きながら天に向け、相変わらず奥様の身代わりになりたい、奥様がご無事でありますようにと祈られています。今晩は奥様のご病気が重いので、早く出かけて祈られています。」王氏はそう聞いて、半信半疑であった。翌日の夜、趙氏はまた泣きながら同じ話をした。王氏が言った。「どうして旦那様に言わないの、明日わたしがもし死んだら、あなたを正妻に引き上げてくださいって?」趙氏は急いで主人に入って来てもらい、奥様(王氏)の言った話を伝えた。 厳致和はこうした話を聞いていられず、慌てて言った。「かくなる上は、明日の朝一番にふたりの叔父にお願いしてこのことを取り決めれば、証拠になるだろう。」王氏は手を振って言った。「それはあなたがたがどう処理するかにお任せしますわ。」

 

 厳致和(厳監生)は人にできるだけ早く叔父に来てもらうよう言いつけ、薬の処方を見て、再び名医に来てもらうよう相談した。話が終わると、部屋の中に入って腰を下ろし、厳致和は、王氏がかくかくしかじかと言った内容を伝え、また言った。「叔父様方、ご自身で妹さんにお尋ねください。」ふたりが寝台の前まで歩いて行くと、王氏はもう言葉を発することができず、手で子供を指差し、首を動かし頷いた。ふたりの叔父はそれを見て、顔を曇らせ、一言も発することができなかった。しばらくして、彼らは書斎に行って食事をしたが、互いにこの話を持ち出すことはなかった。食事が終わると、また一部屋の密室に場所を移した。厳致和は、王氏の病気が重いことから話し始め、涙を流しながら言った。「あなたがたの妹さんはこちらに嫁いで来て二十年、真にわたしにとって内助の功がありました。今わたしは彼女を失ったら、どうやって生きていけば良いのでしょう?先日またわたしに、実家の父母のお墓も修理しなければならないと言いました。彼女は自分が蓄えてきた少しばかりのものを、おふたりの叔父様にお渡しして、記念にしてほしいとのことです。」そう言って、召使を呼んで来て、戸棚を開けさせ、二包みの銀子を取り出して来た。ひとりに百両ずつで、ふたりの叔父に手渡した。「簡単なもので申し訳ありません。」ふたりは両手で丁重にこれを受け取った。厳致和はまた言った。「あまり気を回さないでください。今後、祭壇を準備したり、いろいろお金がかかるでしょうが、皆うちで準備しますので、どうか叔父様がたは祭礼にお越しいください。明日はまた駕籠を出しておふたりの叔父様の奥様方にお越しいただき、彼女は首飾りの類も持っていますので、お渡しして記念にしていただこうと思っています。」渡し終わると、相変わらず出て来て座った。外で人が来て待っていたので、厳致和が客の相手をしに行った。帰って来て見ると、ふたりの叔父は泣いて眼を赤く腫らしていた。王仁が言った。「先ほど兄とここで話をしていたのですが、うちの妹は真に女性ではあるが男子の気概を持ち、王家は幸せだと思います。先ほどの話ですが、おそらく妹のご主人も胸中でこのような道理を理解されておらず、ぼんやりして、はっきりとされないから、ちゃんとした男子の資格があるとは言えないです。」王徳が言った。「あなたはご存じないが、こちらのご側室の存在が、こちらのご家族三代に亘る皆さんの運命と安寧に重要な影響を与えています。うちの妹が没して、あなたがもし他から後添いを娶られたら、わたしの甥を痛めつけて死に至らしめ、叔父叔母は毎日心配でたまらず、亡き父母も安心できないでしょう。」王仁はテーブルを叩いて言った。「わたしたち読書人は、全身全霊で三綱五常の倫理を守るべく努めなければなりません。つまり文章を書き、孔子様の代わりに話をするのも、この理(ことわり)のためなのです。あなたがもしそれに従わないなら、わたしたちはお暇するしかないでしょう。」厳致和が言った。「おそらく家族の中にも反対する者がおりましょう。」ふたりは言った。「わたしたちふたりが決めることになっています。けれどもこの問題は厳粛に処理する必要があります。おまえさん(妹丈。妹の夫、 厳監生 )、あなたはもう何両か銀子を出してください。明日はわたしたちふたりだけが出て、十数席を準備して、三党(父方、母方、妻の実家それぞれの一族)の親戚を皆お呼びし、妹の目の前で、あなたがたふたり(厳監生と趙氏)が天地と祖先を礼拝し、(趙氏を)正室に立てれば、誰も敢えて異を唱える者はいないですよ。」厳致和はまた五十両の銀子を取り出して彼らに渡すと、ふたりは義憤を顔に顕して出て行った。

 

 三日経ち、王徳、王仁は、果たして厳家のお屋敷に来て数十枚の帳子(招待状)を書き、無理やりあらゆる親類縁者(諸親六眷zhū qīn liù juàn)に出席をお願いし、吉日を選んだのだが、親類縁者は皆出席したが、隣の大旦那の一家の五人の親族は、ひとりもやって来なかった。人々は朝食を食べると、先ず王氏の寝台の前で、王氏の遺言書を起草し、確定した。ふたりの叔父の王于据(王徳)と王于依(王仁)は遺言書に署名した。厳監生(厳致和)は方巾を被り、青い一重の上着を着て、赤い繻子を羽織っていた。趙氏は真っ赤な上着を身に着け、純金の冠を被っていた。ふたりは両手を上にあげて天地を拝み、また祖先を拝んだ。王于依は幅広い学識があったので、彼らの代わりに祖先に告知する文を作り、甚だ誠意がこもっていた。祖先への報告が終わり、戻って来ると、ふたりの叔父は侍女を呼んで部屋の中からふたりの各々の妻に出て来させ、それぞれの夫婦計四人が、揃って妹の夫の 厳監生、妹の王氏に上手に移ってもらい、頭を地面に付けるお辞儀をし、それにより姉妹の間の礼を行った。親類縁者たちも皆上手下手に分かれた。つまり屋敷内の事務を管轄する執事、家人(召使)、家人の妻、侍女、女中など、数十人の人間が、皆主人、主人の妻に向け頭を地面に付けるお辞儀をした。趙氏はそれとは別にひとりだけ部屋に入り、王氏を姐として礼拝した。この時王氏はもう昏睡状態であった。礼拝が終わると、大広間、広間、書斎、母屋には、男性の賓客、女性の賓客それぞれに、全部で二十余りの宴席が設けられた。三更(夜中の二十三時から一時)時分まで飲み食いをし、 厳監生がちょうど大広間で客をもてなしていると、乳母が慌てて入って来て言った。「奥様がお亡くなりになりました。」 厳監生が泣きながら部屋に入って行くと、趙氏が寝台の縁につかまり、頭を打ちつけながら、泣きじゃくっていた。人々が趙氏を助け起こしながら、沸かしたお湯を口に注ぎ込み、歯をこじ開け、お湯を口の中に流し込、趙氏が我に返ると、彼女は髪の毛を振り乱しながら、あたりをのたうち回り、天地も真っ暗に変わるほどの酷い泣き方をし、 厳監生も手の施しようが無かった。執事たちは皆大広間におり、賓客たちは皆母屋で納棺を待っていたのだが、ふたりの叔父の妻たちだけが部屋に残り、人がバタバタしている隙に乗じ、衣服、金の数珠、ネックレスを、きれいさっぱり皆奪い取ってしまった。趙氏が今しがた被っていた純金の冠まで地面に転がし、拾い上げて懐にしまってしまった。厳監生は慌てて乳母に言って息子を抱いて来させ、麻の布を取って赤ん坊に着せてやった。この時、王氏の死に装束、掛け布団、棺桶は、皆出来合いのものだった。亡骸が柩に入れられると、外はようやく夜が明けた。柩は母屋の中央の部屋に留められ、人々は部屋に入って来て柩に見(まみ)え、各自帰って行った。翌日は孝布(棺桶に掛ける白い布)が配られ、各家族に二枚渡された。三日目に喪服を身に着けるのだが、趙氏は本来は妾として麻布で作った服を羽織り、孝順を表わさねばならないのだが、ふたりの叔父はそれを断じて肯(がえん)ぜず、言った。「「名が正しからざれば言も順ならず」と言います。あなたは今では故人とは姉妹になられたのですから、妹は姉に代わり一年孝順を守り、白い綿布で作った上着を身に着け、白い布で作った孝箍(頭巾)を被られるべきです。」葬儀の進め方が決まったので、対外的に葬儀の知らせが発せられた。これより、僧侶にお願いして斎戒を行い(修斎)、七日毎に祭祀を行い(理七)、外部に葬儀の連絡をし(開葬)、出棺をする(出殯)のに、四五千両の銀子を用い、半年に亘りあれこれ儀礼が行われたが、一々細かく言うまでもない。趙氏はふたりの叔父が微に入り細に入り対応してくれたことに感激し、収穫した新米を各家に二石(一石は一斗の10倍、一升の100倍。100リットル)、冬菜の漬物を各家に二石、ハムを各家に四本贈ることにしたが、鶏、アヒル、小菜は数に加えなかった。

 

 知らず知らずのうちに大晦日になり、 厳監生は天地や祖先を拝み、家族の宴席を準備し、 厳監生は趙氏と向かい合って座り、乳母が息子を連れて下座に座った。何杯か酒を飲むと、厳監生は涙を流しながら、ひとつの戸棚を指差し、趙氏に言った。「昨日質屋が三百両の利息を持って来たが、これはおまえの姉さんの王氏が実家から持参した質屋の株だ。毎年十二月二十七八日に持って来るので、わたしが彼女に渡し、わたしも彼女がこれを何に使おうと関与しなかった。今年もこの銀子が届けられたが、生憎これを受け取る者がいなくなってしまった。」趙氏が言った。「あなたも叔母様(大娘)の銀子が使い道が無いなんてもう言わないで。わたしは見たことがあるの。想い起こせば一年中、何かの節句に当る度に、庵の尼さんが精進料理や点心の入った進物の箱を持って来るし、花売りの婆さんは頭に挿す真珠や翡翠の飾りを買い取ってもらいに、三絃の琵琶を弾く盲目(めくら)の女がしょっちゅう家に入って来るしで、彼らが来ると、誰一人叔母様の施しを受けない者はいなかったわ。ましてやあの方は慈悲の心に溢れておられたから、親戚で貧しい者がいたら、自分は食べるものが無くても、人には食べれるようにしてあげたし、自分は着るものが無くても、人には着れるようにしてあげたわ。こうした銀子で、何ができると言うの?もう少しあっても十分じゃないわ。どのみちふたりの叔父様はこれまであの方のなさったことを少しも助けてあげたことはないでしょうけど。わたしの考えでは、この銀子も無駄に使ってしまうのではなく、年が明けたら叔母様の代わりに大いにいくつか善い行いをして、残る銀子はおそらくあまり無いだろうけど、来年は科挙が行われる年だから、ふたりの叔父様が省城に行かれる旅費に使ってもらうのも、当然じゃないかしら。」厳監生は趙氏が言うのをじっと聞いていた。テーブルの下では一匹の猫が彼の足の上に上がって来たので、厳監生は履いていた靴で蹴っ飛ばした。猫はびっくりして奥の部屋の中まで走って行き、寝台の台の上に駆け上がったと思ったら、ガチャンと大きな音が響いて、台の上からものが落ちて来て、床の上の酒の壺が割れて粉々になった。蝋燭を持って見に行くと、実はその疫病神の猫が寝台のてっぺんの板から飛び降りた拍子に、上にあった細く割いた竹で編んだ大きな籠が下に落ちて来たのだった。近づいて見ると、一面に黒棗(ナツメ)が酒に漬けて保存されているのが見えた。ふたりが引き出して見ると、ナツメの下から、桑皮紙(桑の樹皮で作った丈夫な紙)でひとつひとつ包まれたものが出て来た。包みを開いて見てみると、全部で五百両の銀子であった。厳監生は驚いて言った。「なあ、あいつが銀子をどうして使い切るもんか。おそらくこれは長い年月貯めてきたものだろう。たぶんわたしが急に要り用になったら、持ち出して使えるようにしてくれていたんだ。それなのに今あいつはどこに行ってしまったんだ。」ひとしきり泣きながら、人を呼んで床の上を掃除させ、その干したナツメを大きな鉢に入れ、趙氏と一緒に柩の前のテーブルの上に置き、柩の上に顔を伏せ、またひとしきり泣いた。このため、新年は年始の挨拶に出かけるということがなく、家でむせび泣きをし、しばしばしくしく泣いては、気持ちが動転し、ぼうっとして気持ちが安らかでなかった。元肖節を過ぎると、胸元に痛みを感じるようになり、最初のうちは持ち堪(こた)えることができ、毎晩帳簿を点け、三更(深夜の23時から翌1時)の太鼓が鳴るまで計算をしていたが、その後次第に飲食が進まなくなり、痩せ細って身体が枯れ枝のようになってしまったが、また銀子がもったいなくて人参を食べることもできなかった。趙氏が厳監生に勧めて言った。「あなた、気持ちが晴れないんだったら、こんな家事は捨てて置きなさいよ。」厳監生が言った。「わたしの息子はまだ小さいのに、おまえはわたしが誰に託せばいいと言うんだ?わたしは一日だって、その日の差配をせずに済ませる訳にいかないんだ。」思いがけず、春の陽気が次第に深まるにつれ、癇癪(かんしゃく)が酷くなって脾臓の働きが侵され(肝木克了脾土。漢方の用語)、毎日お碗に二杯の重湯しか喉を通らず、ベッドに寝たきりになり起き上がることができなくなった。気候が暖かくなったので、無理をして食べ物を摂ろうとし、なんとか起き上がって家の周囲を散歩した。長い夏を乗り越えたものの、立秋を過ぎてから病がまた重くなり、寝たきりになった。田んぼへ行って早生の稲を収穫しなければと考え、荘園を管理する召使を田舎に遣った。それでも安心できず、気持ちがただ焦るばかりだった。

 

 その日、朝薬を飲んでから、サラサラと落ちる木の葉が窓を打つ音が聞こえ、自分でも気持ちが怖気(おじけ)ずき、ため息をつくと、ベッドに顔を埋(うず)めて眠りに落ちた。趙氏は部屋の外で、ふたりの叔父と一緒に入って来て病状を尋ね、叔父たちは省城へ郷試を受けに行くためお別れを言った。厳監生は侍女を呼んで来て助け起こさせ、無理に座った。王徳、王仁は言った。「もう何日もあなた(妹丈)に会わなかったら、また痩せてしまわれた――ただ喜ばしいのは、気はまだしっかりしておられる。」厳監生は叔父たちに座ってもらうと、この度の郷試受験を祝福し、部屋に留まり点心を食べてもらい、大晦日の夜のことを話し、趙氏に何包みかの銀子を持って来させ、趙氏を指差しながら言った。「これはそいつの気持ちなのだが、お姉さん(前妻の王氏)が残された少しばかりのものを、おふたりの叔父様にお渡しして、この度の慶び事(科挙の受験)の旅費にしていただきたいのです。わたしの病は酷くなっていて、おふたりがお戻りになる頃には、お会いできないかもしれません。わたしが死んだら、おふたりの叔父様は外甥(妹の息子)が大きくなるまで面倒を見て、あの子に勉強をさせ、無事県学に進めるよう支えてやり、わたしの一生のように、日がな一日家族のことであれこれ苦労して終わることの無いようにしてやってください。」ふたりは銀子を受け取り、それぞれ懐に銀子をふた包みずつ入れると、何度もお礼を言い、またあれこれ慰めの言葉を言い、別れて行った。

 

 

 これより、厳監生の病は一日また一日と重くなり、再び起き上がることはなかった。親類縁者が皆訪ねて来て挨拶をした。厳監生の五人の甥っ子たちが代わる代わるやって来ては、医者を助けて薬を準備した。中秋節を過ぎて以降は、医者はもう薬の処方をしなかった。荘園を管理している召使たちが皆田舎から呼び戻されて来た。病が重くなって三日続けてものが言えなくなった。夜はひとつの部屋に人々が集まり、テーブルの上にランプの火が点された。厳監生の喉に絡まった痰が出たり入ったりする音がし、ゴホッ、ゴホッと途切れなかったが、まだ息が止まる様子は無く、更に手を掛け布団の中から出して、二本の指を突き出した。一番上の甥っ子が前に進み出て尋ねた。「叔父様、まだおふたりの親しい方にお会いになっていないと言われているんですか?」厳監生は首を二三度振った。二番目の甥っ子が前に進み出て尋ねた。「叔父様、こちらにまだ幾ばくかの銀子があり、どうするかまだはっきり言いつけていないことを言われているんですか?」厳監生は両目を大きく見開き、首をまた何度か忌々(いまいま)しそうに振ると、益々力を込めて何かを指差した。乳母が赤ん坊を抱きながら、口を挟んだ。「旦那様はおふたりの叔父様が目の前にいらっしゃらないので、そのことを気にかけていらっしゃるのね。」厳監生はそれを聞いて、眼をつぶって首を振り、手は指差すだけで動かさなかった。

 

 

  夜はひとつの部屋に人々が集まり、テーブルの上にランプの火が点された。厳監生の喉に絡まった痰が出たり入ったりする音がし、ゴホッ、ゴホッと途切れなかったが、まだ息が止まる様子は無く、更に手を掛け布団の中から出して、二本の指で何かを指差した。

 

 

趙氏が慌てて涙を拭いながら近寄って来て言った。「旦那様、他の人たちがあれこれ言われることを気になさらないで。わたしはあなたの言われんとすることが分かっていますよ。」この一言により、今後様々なことが引き起こされる。田地や財産の奪い合いで、肉親の間で争いが起こる。家の相続と祖廟の継承で、一族が次々役所に訴訟を起こす。さて趙氏はどんなことを言い出すのでしょうか、次回に解説いたします。

 範進は幸い正気に返りましたが、母親は前後不覚になり、そのまま息を引き取ってしまいます。このため、母親は新たな挙人(郷試の合格者の称号)の肉親として盛大な葬儀が行われ、範進は会試を欠席し、喪に服します。そこに訪ねて来たのが 郷紳の張静斎。範進に今後挙人として様々な儀礼を主宰するには、外に出て権勢を持った役人や富豪と交わり、金品を出してもらう必要があると勧め、一緒に繁華な高要県にやって来ます。そこで湯知県(知事)を待つ間にやって来たのが、厳致中(厳貢生)。張、厳ふたりが、この後様々なトラブルや争いごとを引き起こします。『儒林外史』第四回をご覧ください。

 

 

・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

薦亡(死者の霊が早く昇天するようる)の斎(ものいみ)で和尚は官司(訴訟沙汰)を喫し

 金品をせびった(打秋風)郷紳(田舎の名士)は横事(凶事)に遭う

 

 

 さて、母親はこれらの家具や何やらが皆自分のものだと聞き、思わず嬉しくてたまらず、痰がからんで一時前後不覚に陥り(痰迷心窍tán mí xīn qiào)、気絶して床に倒れた。家人、嫁、女中、妻は皆慌てて、一刻も早く旦那様に入って来てもらった。範挙人は急いで大股で歩いて(三歩作一歩sānbù zuò yíbù)来て見たが、母親に呼びかけても応答が無く、急いで母親を持ち上げてベッドに寝かせ、医者に来てもらった。医者は言った。「大奥様のご病気は卒中にかかられたもので、治すことはできません。」他に何人かの医者にも来てもらったが、皆同じように言ったので、範挙人は益々慌てた。夫妻二人は、泣き叫びながら、もう一面では後事の準備をした。そのままぐずぐずしてたそがれ時になり、母親はもはや虫の息になり(淹淹一息yān yān yī xī)、天に召されて行った。家族中が慌ただしい一夜を過ごした。

 

 

 翌日、陰陽師(陰陽生。喪家に替わって納棺、葬儀の日取りを占い、また婚家に替わって式の日取りを決める職業)の徐先生に来ていただき、七単(人が死んで49日以内に、7日毎に祭祀を行い、これを「理七」と言った。最後の7日を「尽七」と言う。「七単」は死者の納棺の日取り、忌避や禁止行為、49日の日取りを示した書きつけ)を書いてもらった。母親は亡くなってから三回目の七日に入ったので、期日になれば坊さんに頼んで供養(追薦zhuī jiàn)してもらった。門の上に白い布で作った球を吊るし、新たに貼った対聯は白い紙を糊付けしたものだった。街中(合城)の紳士(紳衿shēn jīn「紳」は官吏になったことのある人。「衿」は秀才以上の士人。)が皆弔問(吊唁diào yàn)に来た。秀才の同期生(同案)の魏好古にお願いして、葬儀の衣服を着、手ぬぐいを腰に掛けて、入口の間で客の相手をしてもらった。胡老爹は公の場に出ることができないので、厨房や娘の部屋に居て、白布や肉の重さを測ったり、あちこち動き回るしかなかった。

 

 二回目の七日が過ぎたので、範挙人は旧交を忘れず(念旧)、何両かの銀子を取り、屠殺屋の胡(胡屠戸) に渡すと、彼に以前と同じように市場の庵で平素付き合っていた和尚にお願いして頭目(攬頭lǎn tóu)になってもらい、大寺の八衆の坊さんにお願いして来てもらってお経を唱え、「梁皇懺」liáng huáng chàn(坊さんを招いてお経を唱え、死者を済度(経を読み、その功徳で死者を苦界から救う。超度)する規模の比較的大きな儀式(懺悔(ざんげ))を「拝懺」bài chànと言う。南北朝時代から伝わった「梁皇懺」は懺法chàn fǎの一種。「梁皇」は南朝梁の武帝蕭衍xiāo yǎnを指す、施餓鬼(せがき)の法会(ほうえ)をし(放焔口fàng yàn kǒu)、母親の昇天を供養してもらうよう頼んだ。胡屠戸は銀子を手に取り、まっすぐ市場の庵のténg和尚の家に行くと、ちょうど大寺の僧官(寺院、僧尼事務の管理を行う官吏で、僧侶が担当)の慧敏もそこに座っていた。僧官は田畑が付近にあったので、いつもこの庵で起居していた。滕和尚は胡屠戸を座らせると、こう言った。「先日、新たに合格された範旦那様がこの庵で病にかかられましたが、生憎その日は拙僧は不在にしておりまして、お世話することができませんでした。幸い、戸口で薬売りの陳さんが茶を沸かしておりましたので、私に替わり対応いただきました。」胡屠戸は言った。「本当に。私もあの方の膏薬に感謝しています。今日はここにおられませんか。」滕和尚は言った。「今日は来られていません。」また尋ねた。「範旦那様のご病気はすぐに良くなりましたが、思いがけず、今度は大奥様の事が起こりました。胡のお父様はここ何十日もずっとあちらがお忙しかったのでございましょう。市場でお商売をするのをお見かけしませんでした。」胡屠戸は言った。「そりゃあそうでしょう。実の母が不幸にも世を去ってから、街中の郷紳で、家に来ない者はひとりもありませんでした。私のお得意様の張旦那、周旦那が家でお客のお世話をしていただき(司賓)、日がな一日、座って暇を持て余し、ただ私を引っ張って雑談をし、陪席して飲み食いしていました。お客が来ると、またぺこぺこお辞儀をし(打躬作揖dǎ gōng zuò yī)、それをずっと繰り返していました。私は暇でのんびりしているのに慣れてしまっていて、こんなことをするのは面倒に思い、身を隠していたいと思ったのですが、ひょっとすると婿殿が変わっているので、郷紳の旦那様方に誤解されるのではないかと心配していましたが、こう言われました。「実の親御さんはどうされたいのですか。」と。」言い終わると、またこのようにお坊さんにお願いして法要(做斋 zuò zhāi)の話をした。和尚は話を聞くと、肝をつぶす程驚いて(屁滚尿流pì gǔn niào liú)、慌ててお茶を沸かし、麺を準備した。そして胡のお父様の面前で更に僧官に頼み、何人かの坊さんを雇い、また線香や蝋燭、紙の馬、写疏xiě shū(僧が読教の時に燃やす、祝詞を書いた紙で、法要する主人の家の姓や法要の内容が書かれている)の準備などを依頼した。胡屠戸は麺を食べると帰って行った。

 

 僧官は銀子を受け取ってから、町に行くつもりだったが、一里あまりの道も行かないうちに、後ろからひとりの人が呼びかけるのが聞こえた。「慧旦那様、どうしてこの頃荘園にお越しにならないのですか。」僧官が急いで振り返って見てみると、佃戸diàn hù小作人)の何美之であった。「あなた様はこの大層お金を儲けて忙しくされてますね。何があってお越しにならないのですか。僧官は言った。「そんなことない。私も行きたいと思っていたのだが、町の張さんのお屋敷でうちの裏の畑が欲しいと言われたが、値段を出すのは承知せず、私は何回もお断りした。もし荘園に来ると、あそこの小作人がやって来てぶつぶつ言い何やかやとつきまとって来るだろう。私が寺にいると、あの人のところから私を尋ねて来たんで、その人が帰るのを待って出かけて来たんだ。」何美之は言った。「それもごもっともです。あちらがどう思おうと、決めるのはあなた様です。今日ご予定が無ければ、荘園にいらしてご滞在ください。それに、旦那様が先日煮た豚肉の燻製が半分、竈の上に吊るしてあり、もう油が抜けています。作った酒も、飲み頃になっていますのであの方にお答えしてあげてください。今日は荘園でお休みになっては如何ですか。和尚は彼の言葉を聞いてよだれが出てきて、足が思わず彼に附いて荘園に向かって行った。何美之は妻に言いつけて母鶏を一羽煮て、ハムを切って、酒を汲んで温めさせた。和尚は歓迎を受け、中庭に座り、上着を脱ぐと、胸をはだけ、腹を突き出しながら、黒光りする頭と顔のてかてかだけが外に出た。

 

 しばらくして、場が整うと、何美之は大きな皿を捧げ持ち、細君(渾家hún jiā)が酒を提げて(līn着酒)来て、テーブルの上に並べた。和尚は上座に座り、細君は下座で陪席し、何美之は横に座り、酒を注いだ(把酒来zhēn)。食べながら、十五日のうちに範のお屋敷に行って、母上様のために斎戒をすると言った。何美之の細君は言った。「範家のおばあ様は、私たちが小さい時からお会いしていましたが、とてもおやさしい方でした。ただ旦那様のお嫁さんは、荘園の南の方の屠殺屋の胡(胡屠戸)の娘で、両眼の縁が赤く充血し、髪の毛が茶色くなってしまっていて、その日暮らしの生活で、靴も満足に持っておらず、夏はガマで編んだ綿入れ靴をつっかけ、足が変形して爛れていました。今はツーピースになった喪服(屍皮子shī pí zi)を着られて、聞くところによると貴人のご夫人になられたそうだけど、本当にみっともないですわ。見苦しいったらありゃしない。」正に食事がたけなわとなった時、外で門を乱暴に叩く音が聞こえた。何美之は言った。「誰だろう。」和尚は言った。「美之、おまえ、ちょっと見に行ってくれるかね。」何美之が門を開けるや、七八人の男が一斉に押し入って来ると、女と和尚がひとつのテーブルに座っていたので、一斉に言った。「お楽しみだね。和尚さんとご婦人がお天道様の下でいちゃついて。僧官の旦那。法を犯すとどうなるかご存じか。」何美之が喝破した。「ばかを言うな。この方は我が荘園のご主人様だぞ。」人々は罵って言った。「荘園主だと。おまえの母ちゃんまで面倒見るのか。」弁解も聞かずに(不由分説bù yóu fēn shuō)、藁縄を持ってくると、和尚を素っ裸にして(精赤条条jīng chì tiáo tiáo)、婦人と一緒に一本の縄で縛り、太い棒を真ん中に通して持ち上げ、何美之も一緒に連れて行った。南海県の前の関帝廟まで来ると、その前の舞台の下に、和尚と婦人を一緒に繋ぎ、知県(知事)が役所から出て来て命令を出されるのを待った。人々が何美之を引っ張って来たので、和尚はそっと彼を呼び、範挙人の屋敷に知らせに行かせた。

 

 範挙人は母親の法事があるのに、和尚が逮捕されてしまったので、じっとしている訳にもゆかず、すぐに紹介状 (帖子tiě zǐを持って、知事(知県)に次第を説明した。知県は責任者 (班頭bān tóuを差し向け、和尚を解放させ、婦人は美之に引き渡し、家に連れ帰らせた。一群のごろつきが連れて来られ、翌日の早朝に判決が下されることになった。人々は慌てて、張郷紳に帖子を書いてもらい、知県に事情を説明するよう求めた。知県はそれを許し、早朝の執務に一緒に入らせ、二言三言罵ると、とりとめのない話をし、そのまま出て行かせた。和尚はそれでも人々に役所の玄関で何十両かの銀子を手渡した。僧官は先ず範挙人の屋敷に行って謝り、翌日何人かの僧侶を連れて来て、祭壇を設け、仏像の絵を掛け、両側には十殿閻君を掲げた。開経麺(お経を唱える前に食べる麺)を食べ、náo(銅でできた円盤状の打楽器)、 (銅製のシンバルのような打楽器で、中央が半円球に盛り上がっている)、叮噹dīng dāng(仏教の法器で、銅鑼のような形状で、木の撥で叩く)を打ち、お経を一巻唱え、朝の斎戒を終えた。八衆の僧侶は、お世話係(司賓)の魏相公を含め全部で9人で、二つの席に座った。それからようやく食事をしていると、長班(官員の身辺に付き従いお世話をする召使)が報告した。「お客様が到着されました。」魏相公はお碗を置くと出て行って、客を迎えて入って来た。すなわち張、周二人の郷紳で、烏紗帽(黒色の官吏の帽子)、明るい色の員領(丸い襟のシャツ。一種の官服)、白色の靴底の皂靴zào xuē(厚底の靴)を身に着けていた。魏相公は随行してずっと両手を組む礼をして霊前まで行った。そのうちの一人が和尚と僧官に言った。「今しがた入って来られたのは、張のご当主(大房)の静斎旦那様です。あの方とあなた様は畑でお隣同士ですから、あなた様もあちらへ一声ご挨拶しに行かないといけないですよ。」僧官は言った。「もうたくさんですよ。張のお家の方々はなにかと面白い人たちですね。そういえば、一昨日いざこざがありましたが、あちらの連中はごろつきか何かですよ。というのも、あそこの小作人たちは相談がまとまると、陰でこそこそ動いて(做鬼做神zuò guǐ zuò shén)私をどうかしてしまおうと企んだんです。私に何両かの銀子をちらつかせ(簸掉bò diào)て、なんとかして家の裏のあの畑をあちらに売らせようとしました。様々な計略を用いて私に危害を加えようとして、結局かえって自分自身を傷つけてしまった(使心用心,反害自身)んです。遅れた県では、旦那様がたが自分の荘園の者を罰しなければならず、普通はうろたえるものですが、面の皮を厚くして(腆着脸tiǎn zhe liǎn)、帖子(紹介状)を持って説明に行ったので、県主(県知事)の不興を買ったわけです。」また言った。「あそこはまともでないことが多すぎます例えば家の三男の家内は、巣県(現在の安徽省巣湖市)で官職に就いていた家の長女だったのですが、張のご当主の姉(或いは妹)の娘に当たります。彼女が以前私に仲人を頼んで来たので、私が代わりに西郷の素封家の家に話に行きましたが、たいへんなお金持ちでした。ところが張のご当主は頑なに先ほどからここにいる、すかんぴんの魏相公に嫁がせると言って聞かないのです。それというのも彼が学堂に通っているからで、また彼は詩や何やらを作れると言うのです。先日は、こちら(範家)の代わりに薦亡(死者の霊が早く昇天するようる)の疏(上奏文)を作られたので私が持ち出して人に見せると、中の三文字が不適切だと言われました。このように罪作りなことをされたんですよ。奥さんの妹さんも人に嫁がせなければならないのが分かっているのに、まだこれからどんなに人を愚弄することになるか分かったもんじゃありません。話していると、こつこつと靴の音が聞こえたので、坊さんたちが目くばせをし、僧官はもう何も言わなかった。二人の郷紳が出て来て、和尚に拱手の礼をし、魏相公がお見送りした。坊さんたちは精進料理を食べ終わると、顔と手を洗い、楽器を鳴らして懺悔し、線香をあげ灯をともし、食物の施しをし散華し、五体投地し、丸々三日三晩祈祷し、その後帰って行った。

 

 瞬く間に月日が流れ、七回目の七日も過ぎて、範挙人は外出して孝を謝した。ある日、張静斎が来て挨拶をし、また話をした。範挙人は霊前の小さな書斎に招いて座ってもらい、喪服(衰絰cuī dié)を身に着け、出て来てお目にかかり、先ずは葬儀の際に諸般助けていただいたことのお礼を言った。張静斎は言った。「おば様の大事では、私たちは息子やおいが当然やるべきこととして奉仕させていただきました。おば様が天寿を全うされ天に帰られたと思うと、まあよかろうと思います。ただあなた様(世先生。自分より出生が早く、年齢の上の人)は今回の会試だけは参加できませんでした。お墓(祖茔zǔ yíng)への埋葬はどうされるおつもりですか。日取りは決めておられますか。」範挙人は言った。「今年は風水が良くなく、次の秋に行うしかありません。ただ費用がまだ足りないのです。」張静斎が指を折って計算してみた。「銘旌míng jīng(死者の官位姓名を記入し、ひつぎの前に立てる旗)は周学台(国子監の校長。周進が学台になっている)に引き受けて(xián)いただかないといけません。墓誌はご学友の魏さんに書いていただくとして、どなたのお名前を使われますか。その他、葬儀(bìn)、式のテーブルや座席、儀仗(執事)、楽隊(吹打)、更に雑用、食事、墓穴掘りの人夫(破土)、風水師(謝風水)の類で、三百両余りの銀子が必要です。」計算している最中に、飯が運ばれて来たので、食した。張静斎はまた言った。「三載(年)の服喪期間を庵(粗末な家)で暮らされて、自ずと正しい道理が身につかれたでしょう。けれども、あなた様が今後各種の儀礼を執り行うためにも、外に出て権勢を持った役人や富豪と交わり、様々な名目で金品をいただく必要があり、そうすればこれまでのようにこせこせする必要がなくなるでしょう。今、科挙の試験に合格(高発gāo fā)された後、まだあなた様の先生のところにご挨拶に行かれていません。高要(広東省‌肇慶市の一部)は物資が豊富で、金品をいただけるお相手がいくつもあるでしょう(或可秋風一二)。私も父親の友人に挨拶に行きたいと思っていたので、ご一緒させていただけませんか。途中の舟や車の費用は、私がなんとかするので、あなた様が心配なさらずとも大丈夫です。」範挙人は言った。「先生のご厚意をお受けしたいと思いますが、ただ葬儀が無事済ませられるか心配です。」張静斎は言った。「礼には守るべき常識と例外として認められる融通があります(礼有経、亦有権)。何でもできない事など無いと思います。」範挙人はまたお礼を言った。

 

 張静斎は日時を約束して、人夫や馬を雇い、随行者を連れ、高要県に向け出発した。途中で相談して言った。「この度は、一に先生に会わねばならない。二に、お母さまの墓誌に、湯公の役所での肩書とお名前を借りなければならない。」やがて、高要城に入った。その日は知県(県知事)は田舎に調査に出向いていたので、役所に入ることができず、とある関帝廟の中で腰を下した。その廟はちょうど本殿の修理中で、県の工房(官職名)が中で監督していたが、工房は県主の知人が到着されたと聞き、慌てて中で客を出迎え座ってもらい、茶器を並べる盆を九つ並べた。工房が下座に座り、壺を持って茶を注いだ。

 

 茶を一服飲んだところで、外からひとりの男が入って来た。方巾を被りゆったりした服を着、白い底の黒靴を履き、ミツバチのような凶悪そうな眼をし、鼻梁が高く、鬢まで続くもじゃもじゃ髭をしていた。その男が門を入ってくるや、茶の盆を片付けさせ、その後ふたりと礼を交わして座ると、どちらが張先生で、どちらが範先生かと尋ねた。ふたりは各々姓名を述べた。その男は言った。「私は姓を厳と言い、私の家はすぐ近くにあります。昨年、先生の臨席の下試験をされ、幸い国子監入学の推薦をいただきました。私とこの湯公ご夫妻とは極めて良い関係にあります。おふたりは同期で科挙に合格された旧知の間柄ですか。」ふたりが各々同期合格の学生であると言うと、厳貢生(科挙で予備試験の合格者の中から選抜され、首都の国子監に入学した者)は心から敬服した。工房はお別れを言い、向こうへ行った。

 

 

 厳家の召使が食べ物の入った蓋付の箱を両手で持って来ると、また酒を一瓶提げて来て、テーブルに置くと、箱の蓋を開けた。中には九つの盆が入っていて、それぞれ鶏、鴨、酒粕漬けの魚、塩漬けの豚肉の類であった。厳貢生はふたりを上座に座ら、酒を注いでもてなし、こう言った。「本来はおふたりには私の家に来ていただくべきですが、先ず家が狭苦しくておふたりの尊厳を貶める(亵尊xiè zūn)ことになりますし、次に役所にお入りいただくと、おそらく機密漏洩防止の妨げになりますから、簡単な食事を準備し、ここで歓談し、休息いただきたく存じます。」ふたりは酒の接待を受けて言った。「まだ県知事に謁見しておりませんが、先にご馳走になります。」厳貢生は言った。「恐れ入ります。」立ち上がって一杯飲み干すのを待つと、ふたりは顔が赤くなるのを恐れ、あまり多くは飲まず、半分だけ飲んで杯を置いた。厳貢生は言った。「湯公ご夫妻は人となりが清廉で慈愛に富み、本当に県民は幸せです。」張静斎は言った。「そうですか。知事殿は他にどんな善政をされたのですか。」厳貢生は言った。「先生、人生はすべて縁でつながっていて、無理をしてもだめなのです。湯公ご夫妻の着任日、ここに県の全ての郷紳が集まり、小屋掛けがされ、十里先まで立札が掛けられ、お出迎えしました。私は小屋掛けの入口に立っていました。しばらくして、銅鑼や旗、傘、扇、楽隊、夜役(差役の一種)が一隊一隊通り過ぎて行きました。駕籠が近づき、遠くからご夫妻を望むことができました。両方の高い眉毛、大きな鼻梁、横は大きな耳をされていました。私は心からこの方は穏やかで親しみやすい人(豈弟君子kǎi tì jūn zǐだと分かりました。けれどもまた奇妙なことも起こりました。数十人が一緒に出迎えたのですが、ご夫妻は駕籠の中から私ひとりだけが見えたのです。その時、ひとりの友人が私と一緒に立っていたのですが、彼はご夫妻を望み、私の方を見て、そっと聞きました。「以前あの方々に会われたことがあるのか?」私は正直に言いました。「お会いしたことはなありません。」彼はご夫妻のことを一途に思い、ご夫妻が彼のことを見ていたとだけ言うと、急いで数歩歩み寄りました。それというのも、ご夫妻に何か伺いたいことがあるようでした。ご夫妻が駕籠を降りられる前に、他の人々と共に身体を曲げてお辞儀をしましたが、眼は別の所を見ていて、そうしてようやく、以前見られていたのは自分ではないと分かり、恥ずかしくてたまらなくなりました。翌日、私は役所へ行って謁見しましたが、ご夫妻は県学の孔子廟にお参りに行かれ、県学で講義をして帰って来られたばかりで、諸事慌ただしく対応されていましたが、それらを放っておいて、私を中に入れ、二度茶を代えさせ、まるで数十年来の付き合いのように接していただきました。」張郷紳は言った。「総じてあなた様が人となりに人品と声望があったので、県知事様も敬意を表されたのでしょう。これからも何分よろしくご教示ください。」厳貢生は言った。「その後は却ってあまりお目にかかっていません。実は隠しているわけではありませんが、私は性格が率直で、この地方では少しばかり(寸絲半粟cùn sī bàn sù)もうまい汁を吸うことも存じませんが、これまでお仕えした知事様にも可愛がっていただきました。湯知事は気さくな方で、客に会われるのはあまりお好きではないですが、何事もよく心配りをされます。例えば先月の県の試験では、近習のご子息が十位になったので、その子を呼び、彼がこれまで従った先生が誰で、彼が縁談を決められたかなど細かく質問され、本当に気遣いをされる方なのです。」範挙人は言った。「私が先生を見るに、文章は法眼(鋭敏で深い洞察力がある)、ご令息として評価されているのですから、きっとそのご英才は賀するべきレベルにおありでしょう。」厳貢生は言った。「恐れ入ります。」また言った。「我が高要は、広東の有名な県で、一年のうち、銭糧(年貢の米、銭)、耗羨(年貢以外の収入)や、花、布、牛、驢馬、漁船、畑や家屋からの税が、万金を下りません。」また自ら手でテーブルの上で図を描き、声を落として言った。「湯知事のようなやり方では、八千金にしかなりません。前任の潘知事が担当された時期は、確かに万金がありました。その時は他にも収入があり、また私たち何人か欠かせない人もおりました。」そう言いながら、他人に聞かれるのを恐れ、更に首を回して門の外を覗いた。ひとりのぼさぼさ頭で裸足の小間使いが入って来て、彼を見て言った。「旦那様、家の方であなた様にお帰りくださいと言われています。」厳貢生は言った。「帰って何をするんだ?」召使は言った。「朝閉じ込めた豚を、あの男が返せと言って来て、家の中で騒いでいます。」厳貢生は言った。「あいつが豚が要るなら、金を持って来ればよかろう。」召使は言った。「あの男は、豚は自分のものだと言っています。」厳貢生は言った。「分かった。おまえは先に帰れ。すぐ行くから。」その召使はそれでも帰ろうとしなかった。張、範の二人は言った。「お宅で用事がおありなのですから、先生、お帰りください。」厳貢生は言った。「おふたりはご存じないが、この豚は元々私の家で飼っていたもので……」そこまで言った時、銅鑼の音が聞こえたので、一斉に立ち上がって言った。「知事がお帰りになりました。」

 

 二人は衣服、帽子を整え、執事を呼んで帖子を持ち、厳貢生にお世話になったお礼を言い、そのまま知事宅の家の門の入口に帖子を投げ入れた。湯知事は帖子を受け取った。一つには「世姪張師陸」、一つには「門生範進」と書かれていた。知事は心の中で思案(沉吟chén yín)した。「張さん(世兄。同じ世代の人に対する称)は何度も金品をたかりに来て、とても煩わしい。しかし今回は新たに試験に合格した門下生を連れて来ているので、帰すわけにはいかない。」すぐにお通しするよう言いつけた。二人は入って来て、先ず張静斎がお目にかかり、範進は入って来て教師と学生の間の礼を述べた。湯知事は何度も遠慮した上で、座って茶を飲み、張静斎と長い間別れていた話をした。また範進の文章を褒めた上で、質問した。「どうして会試に行かれなかったのですか。」範進はそとでようやく説明した。「母が亡くなり(見背)、守制(父母が亡くなると、その子は二十七ヶ月間家に閉じこもり身を慎み、官職にある者は必ず一時職を退く)に基づき喪に服して(遵制丁憂)おりました。」湯知事は大いに驚き、急いで範進を吉服(祭祀の時に着る服)に着替えさせた。拱手の礼をして後堂に入り、酒宴を並べた。席にはツバメの巣、鶏、鴨が並べられ、その他広東で獲れたイカ、苦瓜の料理も二碗並べられた。県知事が席を設けて座り、用いた食器は銀を嵌め込んだ盃や箸であった。範進は躊躇する様子(退前縮后)で、箸を取ろうとしなかった。知事はその理由が分からなかった。張静斎は笑って言った。「範進は喪中なので、このような盃や箸は使えないのです。」知事は急いで取り換えさせ、磁器の盃と象牙の箸を持って来させたが、範進はこれも使おうとしなかった。張静斎は言った。「この箸も使えません。」ただちに白色の竹の箸に交換させると、ようやく手に取った。知事は彼が喪に服するのにこのように礼を尽くすので、酒や生臭物は食べられないのではないかと思い、準備しなかった。後になって、彼がツバメの巣の碗の中からエビの団子を選んで口に運んでいるのを見て、ようやく安心し、それで言った。「お客様を怒らせやしないか心配しました。私のところの宗教では、酒席で何も食べるものが無く、ただこうした数種類の簡単な料理だけなので、とりあえず軽食をお取りください。回教では牛や羊しか食べませんが、おそらくあなたのところの宗教では、皆さん方はこれらの肉を食べられないでしょうから、お出ししませんでした。現在は朝廷から役牛の屠殺を禁じる命令が出ていて、上から緊急で命令書が下されたので、役所でも食べることができないのです。」燭台を手に、命令書を持って来て見せた。ひとりの傍仕えの召使が知事の耳元でそっと二言三言話すと、知事は立ち上がり二人に言った。「外で文書管理の者が話があるようなので、私はちょっと行って来ます。」

 

 知事が出て行ってしばらくして、こう言いつけるのが聞こえた。「とりあえずそこに置いておきなさい。」知事が帰って来てまた席に着き、席を立ったことを詫びた。張静斎に言った。「張さん、あなたは官職を勤めたことのある方だから、この件はちょうどあなたに相談するべきことだと思います。それは牛肉を食べるのをやめる話です。先ほど、何人かの同じ宗教の知り合いが来て、全部で五十斤の牛肉を準備して来たのですが、その中でひとり、回教徒の代表をしている男が進み出て、私に、牛肉を食べるのを禁じられると、食べるものが無くなるので、私に禁令を少し緩くして、「上をごまかして下々にはごまかさないで」ほしいと言い、五十斤の牛肉をここに持って来て私にくれると言うのです。受け取ってよいものでしょうか。」張静斎は言った。「旦那様、こんな話は決して口にされてはなりません。私たち官職にある人間は、皇上のことだけ考えるべきで、同じ宗教のお知り合いのことなど考えるべきではないのです。思えば、洪武年間(明の太祖、朱元璋の時代)、劉老先生(劉基。劉伯温)は……」湯知事は言った。「どちらの劉老先生ですか。」張静斎は言った。「忌み名が基の方です。彼は洪武三年の最初の科挙の進士で、「天下有道」三句中の第五位でした。」範進が口をはさんで言った。「第三位だと思っていました。」張静斎は言った。「第五位です。その時の答案用紙の墨筆を私は見たことがあります。その後、翰林院に入られました。洪武時代、プライベートで劉基の家に行き、雪夜に宋の太祖が趙普の家に行ったように、彼の様子を調べに行きました。ちょうど江南の張王(呉王の張子誠)が劉基につぼに入った小菜を送ってきたので、直につぼを開けて見てみると、中には瓜の形の金塊が入っていました。洪武聖上は悩んで、こう言いました。「劉基は、天下の事は皆自分たち読書人が担っていると思っているんだ。」翌日、劉基は青田県知県に左遷され、また毒薬をあおいで死んでしまいました。これはなんとすごいことではありませんか。」知事は彼の説明が立て板に水で、また本朝に確かに典拠があるので、信じられず、質問した。「今回のことはどのように処置すれば良いかですか。」張静斎は言った。「私の愚見によれば、旦那様は今回のことで名を高めることができるでしょう。今晩、彼を待機させ、明日の朝議で、この男を連れて来させ、責め具で何十発か殴らせ、大きな首枷を持ってきて、牛肉を首枷の上に置き、その横に告示板を立て、この男の大胆な行いを明らかにするのです。上司の方が訪ねて来られてそうと知られたら、旦那様が職務に少しもいいかげんなところがないことが分かり、ご出世は間近でございましょう。」知事は頷いて言った。「頗る道理である。」すぐに席を立ち、ふたりを書斎に留めた。

 

 翌日の朝議で、最初に入って来たのは鶏を盗んだ常習の盗人で、知事は怒って言った。「おまえという盗人は、我が手の中で何回も罪を犯し、未だに改めようとしない。打たれることも怖れない者を、今日はどうしてくれようか。」それで朱筆を取ると、顔に「偷鶏賊」の三文字を書き、首枷を持って来させると、男が盗んだ鶏を頭を後ろに、尾を前にして、男の頭に括りつけ、首枷をはめて出て行かせた。県城の門を出るや、その鶏の尻からガラガラ(𠵯喇guā lǎ)と音がして、薄い糞を排出し、額から鼻の上にぽたぽた滴り落ち、ひげがぐっしょり濡れて、首枷の上に滴り落ちた。両方を見た人はげらげら笑った。二人目に高要県の回教徒の代表をしている男に入って来させ、一度大いに罵った。「大胆な犬畜生め!」。厳しく責め具で三十発の罰を負わせ、大きな首枷を取ると、あの五十斤の牛肉を皆首枷の上に積み上げ、顔と首をしっかりたがで締め付け、ただ両眼だけを残し、県城の前で群衆への見せしめとした。天気も暑く、首枷をして二日目には、牛肉に蛆がわき、三日目にはお陀仏となった。

 

 

 回教徒の人々は納得ができず、一時数百人の人々が集まり、銅鑼を鳴らしストライキをし、県城の前まで来て気勢を上げ、こう主張した。「おれたちは牛肉を持ってくるべきではなかったが、死罪にすることでもないだろう。今回のことは南海県のならず者、張師陸の差し金だ。おれたちは役所までデモ行進して、奴を引っ張り出し、殴り殺してやる。張本人を摘まみだして、命でつぐなってもらうぞ!」この騒ぎのせいではないが、いくつか展開があった。厳貢生は訴訟を起こされ(貢生興訟)たので、こっそり行方をくらまし(潜踪qián zōng)省城にやって来て、地方の名士と誼(よしみ)を結び(郷紳結親)、権勢を持つ役人に取り入るため長旅も厭わず京城にまでやって来た(謁貴竟遊京國)。回教徒の人々が騒ぎを起こしましたが、いったいどうなったのでしょうか、次回に解説いたします。

 

 

 周進は科挙の試験に合格し、官職を得、科挙の試験官に任命され、広東に赴任します。そして広東で試験を実施したところ、そこで出会ったのが範進という50過ぎの男。彼も曾ての周進のようにずっと試験に落ち続け、貧乏暮らしをしていたのですが、周進が彼の答案を読んだところ、実はすばらしい名文であると気がつき、彼を合格させます。ひとたび科挙に合格するや、周りの人々の彼に対する扱いが180度変わるという、人間社会の可笑しさが描かれています。『儒林外史』第三回、『範進中挙』(範進が科挙に合格し挙人になる)という題名で、よく知られたお話です。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

周学道は士を校(くら)べ真才を(見)抜(ぬ)き

胡屠戸(屠殺屋の胡)は凶を行い捷報(合格の速報)に閙(さわ)ぐ

 

 さて、周進が省都で貢院を見たいと言い、金有余は周進が真剣であるのが分かったので、いくらか小銭を使って、彼と一緒に見に行かざるを得なくなった。思いがけず、天の字の番号の部屋まで来て、周進はぶつかって地面に倒れた。人々はあわてて、病気の発作かと思った。雑貨商の主人は言った。「おそらく、この貢院の中に長い間人が入って来なかったので、陰気が重くなり、このため周さんは邪気に中られたのでしょう(中了悪)。」金有余は言った。「ご主人、私が彼を助け起こしますから、あなたは作業者がいるところに行って、水をもらってきてください。彼に水を飲ませてみようと思います。」主人は承諾し、水を取って来た。一緒に来た客三四人で一斉に彼を助け起こすと、水を注ぎ込んだ。喉の中でゴロゴロと音がして、濃いよだれを吐き出した。人々は言った。「良かった。」彼を抱きかかえて立たせた。周進は号板(貢院の小部屋の中に置かれた木の板)を見ると、また頭からぶつかって行った。今度は気を失うことはなく、声を出して泣き出し、人々はなだめたが効果が無かった。金有余は言った。「ご覧、気でも狂ったのかね?どうしても貢院に来て中に入ってみたいと言い、なんとか死なずに済んだのに、どうしてこんなに「大声で泣き叫ぶ」(号咷(啕)痛háo táo tòng)んだろう。」周進はそのことばも耳に入らず、ひたすら号板に伏せて泣き続けた。ひとしきり泣いたかと思うと、また何度か泣き続けた。地面を転げまわり、泣き続け、あまりに酷く泣くので、周りの人々も辛くなった。金有余はたいした事では無いと思ったが、雑貨店の主人が左右から彼の両肩を支えてくれた。彼はそこで我に還ったが、またひとしきり泣いて、終いには口から鮮血を吐き出した。周りの人々は寄ってたかって彼を担ぎ上げ、貢院の前の茶店の中に座らせて、彼に茶を一杯飲むよう勧めた。それでもなお鼻水をすすり、涙をぬぐい、悲しみが止まなかった。

 

 

同行したひとりの客人が言った。「周さんにはどんなお悩みがあるのですか。どうしてここに来て、こんなに激しく泣かれたのでしょう。それにしてもひどく泣かれたものですね。」金有余は言った。「ここにいらっしゃる皆さんはご存じ無いことですが、この私の叔父(舎舅)は、元々商売人ではありませんでした。彼は何十年も苦学をしてきたのですが、秀才になることもできず、今日貢院を見て、思わず悔し涙にくれたのです。」この一言が周進の本当の悩み事を言い当てていたので、周りの人のことも構わず、また大声で泣き出した。また別の客人が言った。「そういうことなら、金さんもおかしいのではないですか。周さん(周相公)は学問をされてきたのに、どうして連れ出して、このようなことをされているのですか。」金有余は言った。「たいへん貧しく、教える場所もなく、仕方なくこうしているのです。」また別の客人が言った。「叔父様のご様子を見るに、結局のところ才能も学問もすばらしいのに、誰もそれを分かってさしあげないから、これほど苦しんでおられるのだと思います。」金有余は言った。「彼は才能も学問も有るが、如何せん時運が良くなかったのです。」その客人は言った。「監生(明、清の最高学府、国子監(太学ともいう)に在席する学生のこと。生員)も科挙の試験を受けることができます。周相公は才能も学問もおありだから、彼にお金を寄付して監生として科挙の試験を受けてもらいましょう。合格したら、今日心配されたことも無駄にならないでしょう。」金有余が言った。「私もそうしたいと思っていましたが、ただそれには銀子を注ぎ込まないといけないのですよ。」

 

 

 周りの人々は寄ってたかって彼を担ぎ上げ、貢院の前の茶店の中に座らせた、……その客人は言った。「それは難しいことではありません。今、私の兄弟が何人かここにいます。めいめいが数十両の銀子を出して周相公にお貸しし、国子監に納めて受験させれば……」

 

 

この時、周進は泣くのをやめた。その客人は言った。「それは難しいことではありません。今、私の兄弟が何人かここにいます。めいめいが数十両の銀子を出して周相公にお貸しし、国子監に納めて受験して、もし合格して役人になられたら、それは私たちのお貸しした少しばかりの銀子によるものです。たとえ周相公がお金を返してくれなくても、私たちは諸国を商いをして歩いておりますから、どうせどこへ行っても何かの事情で多少の銀子を使うことになるのです。ましてやこれは良い行いです。皆さん、どう思われますか。」周りの人々は皆一斉に言った。「「君子成人之美」(君子は人の善行を助けて成就させる)と言います。またこうも言います。「見義不為、是為無勇」(義を見て為さざるは、勇無きと為す)と。私たちがどうして反対しましょうか。ただ、周相公が承諾されますかどうか。」周進は言った。「もしそうしていただけるなら、皆さん方は命の恩人(重生父母)です。私、周進は、ロバや馬に生まれ変わっても、恩に報いるため努力します。」地面を這いつくばり、何度か額を地面につけてお礼をし、周りの人々も礼を返した。金有余も周りの人々に謝意を述べた。また何杯か茶を飲み、周進ももう泣くことなく、人々と談笑し、雑貨店に戻った。

 

 翌日、四人の客人は果たして二百両の銀子を準備し、金有余に手渡した。一切の金の使い道は、すべて金有余が差配した。周進はまたこれらの人々と金有余に感謝した。雑貨商の主人は周進のために酒席を設け、皆を招いた。金有余は銀子を持って、藩庫(藩台衙門(衙門は役所のこと)といい、布政使(地方の最高の行政機関)衙門の中で銀や銭を収受する庫房(倉庫))に行き、庫収(政府が金を受領した時に発行する臨時の領収書)をもらって来た。ちょうど宗師(清代、提学官(一省の学校と科挙の事務を行う官吏))が本省に来られ、郷試の省都での追試(録遺)を行うタイミングに当たっていて、周進は「貢監首巻」(国子監の学生の首席)として登録された。

 

 

八月八日が試験の初日で、彼は貢院の中で自分が泣き崩れた場所を見て、思わず喜びがこみ上げて来た。昔からこう言う。「人逢喜事精神爽」(人は喜び事に出逢うと、気分が爽快になる)と。この七文字は、色とりどりの錦が寄り集まったかのようである。貢院を出ると、相変わらず雑貨商の店に泊まった。金有余や客人たちはまだ商品の買い付けが終わっていなかった。そして合格発表の日になり、彼は堂々と合格した。人々はそれぞれ喜び、一緒に汶上県に帰った。県では県令、教諭にお目にかかり、典史(知事の補佐官)が名刺を手に、家まで祝賀に来た。親族でなくても親族だと言ってやって来るし、付き合いの無い者も、付き合いがあると言ってやって来た。そうして忙しい状態がひと月続いた。申詳甫がこのことを聞き付け、薛家集で関係する人々を集め、鶏を四羽、卵を五十個、煎り米、歓団( 歓喜団。蒸したもち米 と砂糖を捏ねて丸くまとめた団子)の類を買いそろえ、自ら県にやって来て、お祝いを言った。周進は彼を引き留め、酒や食事を食べてもらった。荀旦那がお祝いに来たことは、言うまでもない。それから、上京して会試に参加するため、旅費や衣服は金有余が彼に代わって準備した。都に行って会試を受け、進士に合格し、更に殿試では上位三人に入り、官職を授けられた。三年が過ぎ、御史(監察御史)に上り、皇帝から直々に広東学道に任命された。

 

 この周学道は、何人か文章を見る相公を招へいしたが、心の中ではこう思った。「私は長い間苦労してきたが、今は官吏となり、下から上がってくる文書は子細に見て判断する必要があり、幕客(私的に招聘した幕客)の意見を無条件に聞いて、才能ある人材を埋没させてはならない。」考えが定まると、広州に行き任に着いた。翌日、文廟(孔子廟)へ行き線香を上げ、科挙の試験の告知を掲げた。先ず、二ヶ所の生員の選考を行った。三ヶ所目は南海、番禺の両県の童生であった。周学道は堂上に座り、童生たちが次々入って来るのを見た。童生の中には幼い者も、年かさのいった者もいた。容姿のきちんとした者、醜くずるい顔つきをした者、身なりのきちんとした者、衣服がぼろぼろの者がいた。やや遅れてひとりの童生が入って来た。顔色が悪くやせ細り、ひげはところどころ白いものが混じり、頭には破れたフェルトの帽子をかぶっていた。広東は温暖の地だが、この時はもう十二月上旬であるのに、その童生はまだ麻の道服を着ていて、凍えてぶるぶる震え、答案用紙を受け取ると、元の席に戻った。周学道は心の中で観察し、門を閉ざして中に入った。部屋より出て最初の答案を出す時分に、前に座ると、あの麻の道服を着た童生が進み出て答案を提出するのが見えた。着ている服は朽ち果て、席にも破れた布の破片が落ちていた。周学道が自分の体を見てみると、緋色の長衣に金色の帯が、きらきら輝いていた。名簿をめくって、その童生に尋ねた。「君が範進かね。」範進はひざまずいて答えた。「私がそうです。」学道は尋ねた。「君は今年いくつになるのかね。」範進は答えて言った。「私は名簿には三十歳と書いていますが、実際は五十四歳です。」学道は尋ねた。「君は何回試験を受けたのかね。」範進は言った。「私は二十歳で受験し、今まで二十数回受験しました。」学道は尋ねた。「どうしていつも合格できないのかね。」範進は答えた。「いつも童生は文字の間違いが多いので、先生方はこれまで評価いただけなかったのです。」周学道は言った。「それは必ずしもそうとは言えないと思う。君が退出したら、答案を私が詳しく見てみよう。」範進はぬかずいて出て行った。

 

 その時、まだ時間が早く、また答案を提出する童生がいなかった。周学道は範進の答案を注意深く一通り目を通したが、不愉快な気持ちになった。「このような文章は、とりたてて言うような内容ではない。道理で合格できないはずだ。」傍らに押しやって、見ようと思わなかった。しばらくして座りなおし、まだ誰も答案を出しに来ないので、心の中でまた考えた。「範進の答案をもう一度見てみようではないか。もしも一筋の光明でもあるようなら、彼の努力が気の毒ではないか。」

 

 

最初から終わりまで、もう一度目を通し、幾分か面白いと感じた。それでいざもう一度見てみようと思った時、一人の童生が答案を出しに来た。その童生はひざまずいて言った。「先生、どうか面接をお願いします。」学道はにこやかに言った。「君の文章はもうこの答案の中に書かれているのに、どうしてまだ面接が要るのかね。」その童生は言った。「童生は詩詞歌賦何れもできますので、是非先生に問題を出題して面接していただきたいのです。」学道は顔色を変えて言った。「「当今、天子は文章を重んじるに、足下何ぞ須らく漢唐を講うや。」君のように童生である者は、ただ注意を払って文章を作るべきであり、そういった雑学は、それを学んでどうしようと言うのかね。ましてや私はここで書かれた文章を評価するのを旨としているのに、どうしてここで君と雑学の話をしないといけないのか。思うにこのように名ばかり重んじ実を努めないようでは、正しい務めは自ずと疎かになる。これは軽薄で浮ついた考えであり、あってはならないことだ。左右の者、すぐに追い出してくれたまえ。」一声言いつけると、両側から何人かの狼や虎のような公人が進み出て、その童生の肩を押さえつけると、そのままもんどり打って大門の外まで押さえつけて行った。

 

 周学道はその童生を追い出しはしたが、その答案を手に取り、見てみた。その童生は名を魏好古といい、書かれた文章も筋が通っていた。学道は言った。「あの者は低い点で合格としよう。」筆を取ると、答案の末尾に点をひとつ記し、それと分かるようにした。再び範進の答案を手に取り見た。見終わると、思わずため息をついて言った。「このような文章は、私が一二度見ても理解できないが、三度目になってようやく、これが世紀の至文であることが分かった。本当に文字一つが一粒の真珠のようだ。このことからも、世の中のぼんくらの試験官が、どれだけの英才を理由もなく抹殺して来たかが分かる。」急いで筆を取ると、細かく丸や点を付け、答案の表紙に三重丸を付け、第一位と記した。また魏好古の答案を手に取り、第二十位と記した。各自の答案を全部集め終わると(彙huì =匯)、それらを持って中に入った。結果発表で、範進は首席となった。合格者謁見の日、一度心から称賛した。二十名まで名前を呼ぶと、魏好古が登壇し、また皆を激励し、「用心挙業、休学雑覧」(気持ちを集中して学業に励み、雑学は控えよ)と話し、楽人たちが太鼓を鳴らしチャルメラを吹いて送り出した。

 

 翌日、周学道は出発し、範進はひとり三十里の外まで送り、駕籠の前でひざまずいた。周学道は彼を傍らまで呼んで、言った。「大器晩成(龍頭属老成)と言う。私は君の文章は、十分修練されていると思う。科挙のこの科目は、必ず発展する。私は復命をして後、都で待っていますよ。」範進はぬかづいてお礼を言うと、立ち上がった。学道の駕籠は、担ぎ上げられ、走り去った。範進は立ったまま、旗竿の影が前山を曲がって見えなくなるまで見送り、それから宿に戻り、宿の主人に礼を言った。彼の家は都城から四十五里の道のりがあり、その夜すぐ帰ると、母親にお目にかかった。住まいは一間の草ぶきの家で、庇(ひさし)が一ヶ所掛かっており、門の外は茅で葺いた掛け小屋だった。母屋には母親が住み、妻は掛け小屋に住んでいた。彼の妻は集落で家畜の屠殺をしている胡家の娘だった。

 

 範進が合格して戻ると、母親、妻は皆それぞれ喜んだ。ちょうど鍋を火にかけ夕飯を作っていると、彼の舅の胡屠戸(屠殺屋の胡)が、手に腸詰一本と酒一瓶をぶら下げてやって来た。範進は彼に挨拶をし、座った。屠殺屋の胡は言った。「おれは運が無い。娘をおまえさんのように羞じ晒しの貧乏神(現世宝窮鬼)に嫁がせてしまい、これまで長い間、おれにどれだけ面倒が降りかかったことか。今日はおれがどんな徳を積んだせいか知らぬが、おかげで(帯挈dài qiè)おまえが相公に合格したと聞いたので、酒を持っておまえさんのお祝いに来たのさ。」範進は、「はいはい」と続けざまに言うと、細君に腸詰を茹で、酒を温めさせ、茅葺の掛け小屋に座った。母親は嫁と一緒に台所で食事の支度をした。屠殺屋の胡はまた娘婿に指図して言った。「おまえは今度相公に合格したので、万事が体裁が取れるようになった。例えばおれの仕事の中では、相手は正しく体面のある人で、おまえの目上の親戚でもあるのに、おまえはどうしておれたちのそばでお高くとまっていられるんだ。おまえが家の入口で畑仕事をして、糞尿をかき回して肥しを作っているなら、普通の庶民に過ぎない訳だが、おまえがもしあいつらと拱手の礼をして、対等にふるまう(平起平坐)ようなら、それは学校の規則を破ることになり、おれの面子も立たないのさ。おまえはくそ正直で使い道の無い男だから、こういうことはおれがおまえに教えてやらないと、人様の笑いものになるからな。」範進は言った。「お義父さんのご教示分かりました。」屠殺屋の胡はまた言った。「実の母親もここに座って飯を食べておられる。母上が毎日漬物と飯だけというのは、考えただけで気の毒だ。我が娘も一緒にいただいているが、おまえの家に嫁に来て十数年、豚の油を食べたことも二三度あったかどうかだ。可哀そうに、可哀そうに。」言い終わると、母と嫁の二人がやって来て飯を食った。酒を飲んで太陽が西に沈もうとする時分に、屠殺屋の胡は酒に酔って酩酊した。ここで母と子の二人は何度も礼を言った。屠殺屋の胡は服を適当に羽織り、腹を突き出して帰って行った。

 

 翌日、範進は同郷の人に挨拶しなければならなかった。魏好古はまた何人かの同期で合格した友達と約束をし、お互いに逢いに出かけた。この年は郷試が行われる年だったので、何回か秀才仲間と勉強会が開かれた。瞬く間に6か月が過ぎ、これらの同期合格の人々は範進と、郷試を受けに行く約束をした。範進は旅費が無いので、妻の父親に相談に行ったのだが、屠殺屋の胡に顔につばを吐きかけられ、口汚く罵しられ、こう言われた。「ばかな妄想もいい加減にしろ。おまえさん自身は、自分が相公に合格したことばかり考えているが、「癩蛤蟆想喫天鵝肉」(ライ病のカエルが白鳥の肉を食いたがる)ようなもので、身の程知らずだ。わたしが聞いた話では、相公に合格したのは、おまえの文章がすばらしかったのではなく、採点の先生がおまえが年老いているのを見て、気の毒に思い、おまえに施しを与えてくださったのだ。今はいちずに科挙に合格して役人になりたいと思っているのだろうが、ああいう役人に合格されるお方は、天上の「文曲星」(北斗七星の第四星)だったのだ。おまえは都で張家のお屋敷のああした旦那様方を見たことはないか。皆、万貫の財産をお持ちで、おひとりおひとり四角いお顔に大きな福耳をしておられる。おまえのように口はとがり、頬は猿のようにこけた醜い顔は、自分の顔にしょんべんでも振りかけて見てみることだ。ろくでもない、白鳥の屁でも食いたいのか!一刻も早くそんな考えは忘れて、来年はおれたちの稼業で、おまえに店を探してやろう。毎年何枚かの銀子を求めて、おまえのところの死に損ないの娘とおっ母を養うのが正道というものよ。おまえはおれに旅費を借りに来たが、おれは毎日一匹 の豚を殺しても、銭一束の銀子にもならないのに、みんなおまえが水の中に捨ててしまって、わしら一家はいつも食うものにも困る有様だ。」ひとしきり、とりとめのない話をし、罵られた範進は何を言っているのか理解できなかった。舅の家を辞して帰ってきたが、心の中で思った。「試験官の先生(宗師)は私に機が熟したとおっしゃった。昔から、場外に挙人無しと言う。試験場に行って試験を受けてみないことには、どうして納得できるだろうか。」それで何人かの同期の生員と相談し、舅をごまかして、都城に行って郷試を受験した。試験場を出ると、すぐに帰ってきた。家では食べるものがなく、二三日ひもじい思いをしていた。そのことが屠殺屋の胡の知るところとなり、またひとしきり罵られることとなった。

 

 

 合格者の掲示が出る当日、家には朝飯の米も無く、母親は範進に言いつけて言った。「うちには卵を生む雌鶏が一羽いるから、おまえ早くそれを持って村の市に行って売って、何升か米を買ってきておくれ。それで粥を煮て食べよう。私は腹が減って、両眼も見えなくなったわ。」範進はあわてて鶏を抱いて、門を出て行った。出かけてようやく二つ時(二個時辰。 一個時辰が約2時間なので、約4時間 )が過ぎた頃、銅鑼の音が響き、三匹の馬が突進してきた。三人の人が馬を降り、馬を茅葺の掛け小屋につなぎ、大声で叫んで言った。「早くどうか範旦那様出てきてくだされ。おめでとうございます、合格されましたぞ。」母親は何事か分からず、びっくりして部屋の中に隠れた。合格したと聞き、ようやく頭を出してこう言った。「みなさん、どうぞお座りください。息子は今しがた出かけたところです。」これら合格の報告人たちは言った。「どなたかと思えばご母堂様でございますか。」村人たちが皆集まり取り巻いて、祝儀をねだった。ちょうどがやがや騒いでいると、また何匹か馬が来て、第二報、大三報がやって来た。一部屋に集まった人々は、茅葺の掛け小屋の地面一杯に座った。隣家の人々もやって来て、集まって見物した。母親はどうしようもなく、ひとりの隣人に頼んで息子を探しに行ってもらうしかなかった。

 

 その隣人は市場に走って行ったが、どこにも見つからなかった。そのまま市場の東端まで行くと、範進が鶏を抱いて、手に値札を挿して、一歩一歩ゆっくり歩き、きょろきょろあたりを見まわし、買い手を探していた。隣人は言った。「範相公、早く家にお帰りなさい。おめでとうございます。あなたは挙人に合格されましたぞ。合格を報告に来られた方がお宅にお集まりです。」

 

 

範進はだまされていると思い、聞こえないふりをして、頭を低くし、前に進んだ。隣人は彼が相手にしてくれないと分かると、歩み寄って、彼の手から鶏を奪った。範進は言った。「あなたは私の鶏を奪ってどうされるのですか。あなたも買ってくれるんじゃないでしょう。」隣人は言った。「あなたは挙人に合格されたのです。あなたの家に、合格の通知が発せられました。」範進は言った。「お隣の方、あなたはご存じか、我が家には今日、米が無いのです。この鶏を売って命をつながないといけない。どうしてそんな話で私をごまかすのですか。私もあなたのように頑固ではない。あなたは勝手に帰ってください。私が鶏を売るのを邪魔しないでください。」隣人は彼が信用してくれないと分かると、素早く鶏を奪い取り、地面に放ると、腕を掴んで引っ張って帰った。合格の報告人は彼を見ると言った。「良かった、新しい旦那様が帰って来られた。」正に彼を抱きかかえて話をしようとした。範進は二三歩部屋に入ると、部屋の真ん中に吉報が既に高く掲げられているのが見えた。それにはこう書かれていた。「捷報貴府老爺範諱進高中広東郷試第七名亜元(速報、貴府の範旦那様は広東郷試で第七名に合格された)。京報連登黄甲(正式にご報告する)。」

 

 範進は見なければ何でもなかったが、一度見て、また一度読んで、自分で両手を叩き、笑い声を上げて言った。「え、やった、おれは合格したぞ。」そう言うと、後ろに転んで倒れた。口を閉じて歯をきつく噛みしめ、人事不省に陥った。彼の妻はあわてて、急いで何口か水を注ぎ込んだ。彼は起き上がると、また手を叩き、大笑いして言った。「え、やった、おれは合格したぞ。」笑いながら、訳の分からないことをつぶやくと、門の外へ飛び出して行ったので、合格報告人や隣人は皆びっくりした。門を出てあまり行かないうちに、片方の足を池の中に踏み入れてしまい、池から抜け出すと、頭髪はばらばらに垂れ下がり、両手は泥だらけで、体中が水でびしょ濡れになり、人々は彼を引き留めることができず、手を叩き笑いながら、まっすぐ市場のほうに歩いて行った。人々はびっくりして、お互いに顔を見合わせ、一斉に言った。「なんと、新たに合格されたお方は喜びのあまり、気が振れてしまったのか。」妻は泣いて言った。「どうしてこのような悲しい運命に逢うことになったのか。科挙に合格したお方が、このような不治の病にかかるとは。このように気が振れてしまったら、いつになったら良くなるのだろう。」妻の胡氏は言った。「朝は元気に出かけて行ったのに、どうしてこのような病気にかかったの。それにしても、どうしたら良くなるの。」何人もの隣人が励まして言った。「奥様、慌てないで。私たちはたった今、二人の人に範旦那様を追いかけてもらっています。ここには皆の家から持って来た鶏や卵、酒、米があるので、しばし合格の報告を持って来られた旦那様方をおもてなしし、それからもう一度相談しましょう。」

 

 すぐさま燐家の人々は鶏や卵を持ってくる者、白酒を持ってくる者、また一斗の米を背負ってくる者や二羽の鶏を捕らえて来る者もあった。妻は泣きながら、台所で整理が終わると、草ぶきのあばら家に持って来た。隣人はまたテーブルと腰掛を運んで来て、合格報告人に座ってもらい、酒を飲んでもらい、相談した。「彼はあのように気が狂ったが、どうしたら良いだろうか。」合格報告人の一人が言った。「拙者に考えがあります。やってうまくいくかどうか、分かりませんが。」人々は尋ねた。「どのようなお考えで。」その人は言った。「範旦那様には平素最も恐れている方がおられましょう。あの方はあまりの喜びに、痰が湧き上がって心眼(心竅xīnqiào )が戸惑ってしまったのです。今、あの方が恐れているその方が来て、あの方の頬を打ち、「あの合格報告人の話はおまえをからかっただけで、おまえは合格していない」と言ってやるだけで良いのです。あの方はそう聞いてびっくりして、痰を吐き出せば、意識がはっきりするでしょう。隣人たちは皆手を叩いて言った。「このお考えはとても良い。すばらしい。範旦那様が恐れているのは、屠殺屋の胡の旦那を置いて他にない。よし、早く胡の旦那を探して連れて来い。おそらく奴さんはまだ知らずに、市場で肉を売っているだろう。」ひとりの男が言った。「市場で肉を売っていたら、もう知っているさ。奴さんは五更(午前4時から6時まで)の太鼓から、市場の東端に豚を追って行って、まだ帰って来ていない。早く迎えに行って胡の旦那を探してきな。」

 

 一人の男が飛び出して迎えに行き、途中まで歩いて行くと、屠殺屋の胡がやって来るのに出会った。彼の後ろからはスープ作りの人夫が二人ついてきて、七八斤の肉と、四五千の銭を提げて、ちょうどお祝いにやって来た。門を入って範進の妻に会うと、妻は泣きながら事の次第を一通り説明した。屠殺屋の胡は、いぶかって言った。「まさかこのようにして幸せがやって来ないのではないだろうか。」外にいた男が大声で胡老人に話をさせてほしいと声をかけた。屠殺屋の胡は肉と銭を娘に与え、家の外へ出てきた。人々はかくかくしかじかと、彼と相談した。屠殺屋の胡は当惑して言った。「私の娘婿とはいえ、今は旦那様となり、天上の星座におなりになった。天上の星座は殴ることなんてできない。私は坊さん方が言われるのを聞いたことがある。天上の星座を殴ったら、閻魔大王に取っつかまって鉄の棒で百回打たれ、十八層の地獄に送られ、永遠に寝返りも打てなくなると。私はそんな大それたことをする勇気はないよ。」隣人たちの中の、とげとげしい物の言い方をする男がこう言った。「もういいよ、胡旦那。あんたは毎日豚を殺して生計を立て、白いナイフを持って入って、それを真っ赤にして出てくる。閻魔大王も判官が帳簿上におまえが何千本の鉄のこん棒と付けさせたか覚えていないし、それに百回付け加えられたところで、どうということもないだろう。ただ恐らく打たれ終わったところで、この帳簿上の数には入らないだろう。或いは、おまえさんがもし娘婿の病気を直したら、閻魔大王がその功績を評価して、地獄の十七層に引き上げてくれるかもしれないじゃないか。」合格の報告人が言った。「冗談ばかり言いなさんな。胡旦那、このことはなるようにしかならないですよ。おまえさんにはどうしようもない。ちょっと臨機応変にしたらどうですか。」屠殺屋は人々に押さえつけられたが、仕方なく続けざまに酒を二碗注いで飲み干し、腹を据えると、今しがたの不安げな様子を納め、ふだんの凶悪な様子を出して、油でてかてかに光った服の裾をまくり上げ、市場に歩いて行った。隣人が五六人、後について行った。妻が急いで出て来て、大声で言った。「お父さん、あの人を脅すだけにしてください。殴ってケガをさせちゃあだめだよ。」隣人は言った。「それは当然のことだ。そんなこと今更言いなさんな。」そう言うと、そのまま行ってしまった。

 

 市場に来ると、範進がちょうど廟の門のところに立っていた。頭髪は髷がほどけてざんばら髪で、顔中泥で汚れて、靴は片足が脱げて無くなり、相変わらず手を叩きながら、口ではこう叫んだ。「合格した、合格した。」屠殺屋の胡は、凶悪な鬼のように、その前に歩み寄ると、言った。「死に損ないの畜生め。おまえ、何に合格したって。」そう言って、片方のほっぺたを殴った。

 

 

 範進はちょうど廟の門のところに立っていたが、頭髪は髷がほどけてざんばら髪で、顔中泥で汚れて、靴は片足が脱げて無くなっており、…… 屠殺屋の胡は、凶悪な鬼のように、その前に歩み寄ると、……片方のほっぺたを殴った。

 

 

 隣人たちはこの様子を見て、我慢できず笑った。屠殺屋の胡は肝を据えていたが、殴りたいとは思わなかった。心の中ではやはり恐れていた。その手はとっくにぶるぶる震えてきて、もう二発目を殴る勇気はなかった。範進はこの一発で、ぼうっとなって、地面の上に昏倒した。隣人たちは一斉に進み出て、彼に代わってみぞおちを撫で、チョッキをこぶしで叩き、しばらくいじり回していたが、次第に息が落ち着いてきて、眼はきらきら輝き、もう正気に戻っていた。人々は助け起こし、廟の門口を借りている外科医の「跳駝子」(嘘つきの意味)に借りた腰掛の上に座らせた。屠殺屋の胡は片側に立っていたが、思わず知らず、殴った方の手がかすかに痛みを感じた。見てみたが、手のひらを上に向けていると、もう曲げられなくなった。心の中で、思い悩みながら言った。「やっぱり天上の「文曲星」は叩くことができないのだ。今は菩薩さまがあれこれ勘定されているんだ。」考えていると、一層痛くなってきたので、急いで郎中に聞いて膏薬を求めて貼り付けた。

 

 範進は人々を見て、言った。「私はどうしてここに座っているんですか。」また言った。「私はこの半日、頭がぼうっとして、夢を見ているようでした。」隣人たちが言った。「旦那様、合格おめでとうございます。今しがた、喜びのあまり、痰が上がってきたのですが、さっき痰を吐き出したので、良くなりました。早く家に帰って、合格の報告に来た方のお相手をしてください。」範進は言った。「そうだ、確か七番目で合格したんだと記憶しています。」範進は一方で自分の髪の毛を髷に結び、一方でその医者に頼んで洗面器に水を借りて顔を洗った。隣人の一人が早くも靴の一方を捜してきて、彼に履かせた。岳父が目の前にいるのを見て、恐らくまた怒られると思ったが、屠殺屋の胡は前に進み出て言った。「婿殿、さっきは俺が腹を据えてかかったのではなく、お前の母親の言いつけで、俺に頼んでおまえに忠告するためなのだ。」隣人のうちの一人が言った。「胡旦那は今しがたこの頬を叩いてくれたおかげです。範旦那様、顔を洗ってください。あと盥半分のラードを持ってくるので、きれいにください。」また一人が言った。「旦那、おまえさんのこの手で明日豚を殺せないだろう。」屠殺屋の胡は言った。「うちじゃあまだ豚を殺しているが、この婿殿がおられるから、後半生に当てにするものが無いと心配してどうするんだ。おれはいつも言っているんだが、おれのこの婿殿は、才能も学問も優れているし、気品もあるし容姿も良くて、都のあの張府、周府の旦那方でも、我が婿殿ほど立派な姿かたちの方はおられない。おまえたちは知らないだろうし、気を悪くさせるかもしれないが、おれは人を見る眼があるんだ。思い返すと、うちの娘が家で三十過ぎになって、たくさんの金持ちが結婚したいと言ってきたが、おれは娘は運を持っているように思えたんだ。それで結局、この婿殿に嫁がせたんだが、今日、果たして間違ってなかっただろう。」そう言うと、ハハハと大笑いした。人々も笑って、範進が顔を洗うのを見ていた。医者はまた茶を持ってきて飲ませ、一同は家に戻った。範挙人は先に行き、屠殺屋と隣人がその後に従った。屠殺屋は娘婿の衣服の後ろ身ごろが皺くちゃになっているのが見えたので、道々頭を下げて彼のために何十回と服を引っ張り整えた。家の門に着くと、屠殺屋は声高に叫んだ。「旦那様のお帰りだ。」母親が出迎えに出て来て、息子が正気に戻ったのを見て、喜びが天から降ってきたかのようだった。人々は合格報告人に挨拶し、もう家で屠殺屋が持ってきた数千の銭を彼らに渡して帰らせた。範進は母親にお辞儀し、妻の父親に謝意を表した。屠殺屋の胡はしきりに落ち着きなさげに言った。「多少なりと銭が無いと、お前様が人に褒められるに十分ではないだろう。」範進はまた隣人に礼を言った。ちょうど座ろうとしていると、ひとりのりっぱな身なりの執事がやって来るのが見えた。手には大きな赤い紙の名刺を持ち、大急ぎで家に入って来た。「張旦那様が新たに合格された範旦那様にご挨拶に来られました。」言い終わるや、駕籠がもう家の門口に到着していた。屠殺屋の胡は急いで娘の部屋に隠れ、敢えて出てこようとはしなかった。隣人たちもそれぞれ帰って行った。

 

 範進が出迎えに出ると、かの張郷紳が駕籠を降りて来た。頭には紗の帽子を被り、灰色がかった黄色の礼服を身に纏い、金色の帯をし、黒い靴を履いていた。彼は挙人の出身で、知県を任官したことがあり、号を静斎といい、範進に遠慮しながら入って来て、広間に着くと部屋の中で平伏すると、賓客と主人に分かれて座った。張郷紳が先に範進に取り入るように話し出した。「あなた様とは代々同郷の間柄でありますが、長い間親しい交わりを失しておりました。」範進は言った。「若輩は久しく先生をお慕いしておりましたが、縁無く、ご挨拶できておりませんでした。」張郷紳は言った。「今しがた題名録を拝見しますと、貴家の師は高要県の湯公で、我が先祖の門下であり、私とあなた様は先祖代々交際のある親しい間柄であります。」範進は言った。「若輩は思いがけない幸いに浴し、実に恥ずかしく思っております。けれども幸いにも老先生の門下に加えていただき、うれしく存じます。」張郷紳は部屋の四方を眺めると、言った。「先生は果たして貧しい暮らしをされていますな。」後ろに控えた召使いが手に持つ銀子一封を受け取ると、言った。「拙者、失礼かとは存じますが、謹んでお祝い金五十両を持参しましたので、ひとまずお納めください。このお住まいでは、実際お暮しにはなれますまい。今後、官吏の者が仕事で行き来するにも、都合が悪いでしょう。拙者は東門大街に空き家をひとつ所有し、中庭は三重で母屋は三間の大きさで、あまり広くありませんが、きれいに保ってありますので、先生にお渡しします。そちらへ引っ越して住まわれ、早晩ご教示くだされ。」範進が何度も辞退すると、張郷紳は怒りだし、言った。「あなたと私は何世代にもわたり、誼を通じてきて、親戚のように親しい間柄でありますのに、このようによそよそしくされますとは。」範進はようやく銀子を受け取ると、お辞儀をして感謝した。また少し言葉を交わし、お辞儀をしてお別れを言った。屠殺屋の胡は、張郷紳が駕籠に乗るまでずっと待っていたが、それからようやく部屋から出て来て、広間にやって来た。

 

 範進は受け取った銀子を妻に渡し、包みを開いて見てみると、一封一封が真っ白の細い糸で結ばれた銀貨で、二枚ずつ結ばれていた。屠殺屋の胡を部屋に入れ、銀貨を彼に渡して言った。「先ほどはお義父様のお心添えで、銭を五千いただきました。この六両余りの銀子は、お義父様がお持ち帰りください。」屠殺屋は銀子を手できつく握りしめると、握った拳を伸ばしてきて、言った。「これは、やはりおまえがお収めなさい。私は元々おまえのお祝いに来たのに、どうしてこれを持って帰れようか。」範進は言った。「うちにはまだこの二両の銀子があるから、使い終わったら、またお前様に頼んでなんとかしてもらいます。」屠殺屋は急いで握った拳の腕を縮めて、懐にしまうと、口ではこう言った。「まあよかろう。おまえは今しがた張旦那とお付き合いを始めたのだから、銀子が無いことは心配するに及ばない。張旦那の家の銀子は、言ってみれば皇帝閣下の家よりもっと多いのだから。あのお宅はうちが肉を売るお得意先で、一年何も無くても、肉は四五千斤必要だ。銀子のことは別に不思議でも何でもない。」そしてまた振り返って、娘の方を見て言った。「おれは今朝銭を持って来たが、おまえのあの死に損ないの伝染病をまき散らしている弟がまだ承知しないので、おれはこう言った。「婿殿は今は昔とは違う。誰かが銀子を家まで届けて使わせてくれるに違いない。ただ心配なのは、婿殿がまだ値打ちがあると思わないことだ。」今日は果たして思った通りになった。今は銀子を持って、家でこの首をはねられて死んだ短命の下僕を罵ってやるさ。」そうしばらく話すと、範進に心からの謝意を示し、頭を下げると、にこにこと上機嫌で帰って行った。

 

 これ以降、果たしてたくさんの人々がやって来て、あれこれ彼にこびへつらった。ある者は田畑を贈り、ある者は店の建物を贈った。また、没落した家の者は、夫婦で身を投じて来て、庇護を求めた。二三カ月すると、範進の家には召使や女中が揃い、銭や米のことは言うまでもなかった。張郷紳の家からは引っ越しの催促に来た。新居に引っ越し、芝居の上演、宴会、客のもてなしが三日三晩続いた。四日目に、母親が起きて軽食を食べ、屋敷の一番奥の部屋に入ると、範進の嫁の胡氏が、普段使いで銀糸のそえがみを着け、この日は十月の中旬で、なお暖かい日であったが、紺色の緞子の合わせの服を身に着け、緑色の緞子のスカートを履いて、召使や召使の妻、女中を従え、食器や箸を洗っていた。母親はそれを見て言った。「ねえさんがた、注意しておくれ。これは皆人様の家のものだから、壊すんじゃないよ。」召使の妻は言った。「奥様、これは他人のものではありません。皆、あなたのお宅のものですよ。」母親は笑って言った。「我が家にどうしてこんなものがあるの。」女中と召使の妻は一斉に言った。「どうしてですか。これらのものだけでなく、私たちやこの部屋もみんな奥様、あなたのお宅のものですよ。」母親はそれを聞くと、上質な磁器の碗や銀のはめ込まれたカップ用のお盆をひとつひとつ見ると、大声で笑って言った。「これが皆私のものなの。」大声で笑った拍子に、後ろに倒れてしまった。突然、喉から痰が湧き上がり、人事不詳になってしまった。ただこの時は、用心をしていた。会試の挙人が、金の無心をする客人になってしまうことがある。貢生の身にはいろいろなことが起こり、様々なもめ事をかかえることになる。さて、母親の命はどうなるか、次回に解き明かします。

 

 『儒林外史』第二回では、科挙受験を目指す村の子供たちに教育を受けさせるための学校を開くことになり、その先生として、万年科挙の試験に落ち続けている六十過ぎの周進という老人が招かれます。ところがこの周進、省都の科挙の試験会場の貢院に興味本位で入ってみたところ、突然何かに取りつかれたように、人事不省に陥り……。これより科挙の試験にまつわる、人々の悲喜劇の幕が開きます。

 

-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・

 

王孝廉(挙人)は村学で同科(科挙の同榜の合格者)を識り

 周蒙師は暮年(晩年)に上第(科挙の状元)に登る

 

※孝廉:漢代の官吏登用制度では、賢良方正科、 孝廉科があり、前者は必ずしも地方で推挙しなかったが、後者は専ら地方で推挙し中央で任用した。後世になると、挙人は郷試で選出されるようになり、「孝廉」が挙人の別称となった。

 

※蒙師:「蒙」は蒙昧無知の意味で、小学生が初めて読書することを「開蒙」といい、県試を目指す童生に教える学堂の先生を「蒙師」と呼んだ。

 

 さて、山東の兗州府汶上県に、薛家集という名の郷村があった。この集落には百十ほどの人家があり、皆、農業を生業としていた。村の入口に観音庵があり、殿宇は三間ある他、これ以外に十数間の空き部屋があり、裏口は船着き場に面していた。この庵は各方面からの参拝がなされていたが、ひとりの和尚が住んでいるだけだった。集落に住む人々は、凡そ公用があると、この庵に集まり協議した。

 

 時は成化(明憲宗・成化帝の治政、14471487)末年のことで、ちょうど天下は大いに繁栄していた。一月八日、集落の人々があらまし集まり、庵で龍灯会(旧正月・元肖節のランタン祭り)の開催についてあれこれ議論していた。朝食の時間になり、頭(かしら)の申祥甫が七八人の人々を連れて入って来て、殿上で仏像を拝んだ。和尚が歩み出て、新年のお祝いを述べると、皆が返礼した。申祥甫が口火を切って和尚に言った。「和尚、新しい年の正月を迎え、菩薩様のご面前でより一層供養に励んでくだされ。南無阿弥陀仏。各方面からの寄進を受けたら、役に立ててもらわんとな。」また言った。「皆さん、こちらへ来てご覧なさい。この瑠璃のランプの中には、瑠璃の油を半分入れるしかないのです。」中にいるきちんとした身なりの老人を指して言った。「他の人は知らないが、この荀xún(ジュン)旦那は、三十日の夜にまた五十斤の油をあんたに届けたのに、単にあんたがおかずを炒めるのに使うだけでは、全く仏様に申し訳ない。」和尚は注意深く相手しながら、彼が言い終わるのを待って、鉛の壺を取り出し、苦丁茶(くちょうちゃ)の茶葉をひとつまみ入れると、水を一杯まで注ぎ入れ、火にかけてぐらぐら沸かしてから、皆に配って飲ませた。

 

 荀旦那が先ず口を開いて言った。「今年の龍灯のお祭りで、私たち門下の各家はどれだけの寄進をする必要がありますか。」申祥甫は言った。「ちょっと待ちなさい。私の親戚が来てから一緒に相談しましょう。」ちょうど話している時、外からひとりの男が入ってきた。両目のふちが真っ赤で、浅黒い顔をし、黄色いひげをまばらに生やし、瓦楞帽(昔の庶民の被る帽子で、てっぺんの部分が瓦楞(丸瓦で葺いた屋根瓦が畝状に縦に並ぶ様)状になっている)をまぶかに被り、着ている黒い布服は汚れてテカテカしていた。手にはロバを追う鞭を持ち、門を入ると、人々に手を組んで挨拶し、どっこらしょと上座に腰を下ろした。この男は姓を夏といい、薛家集に昨年新たに派遣されて来た総甲(明清代の地方の役職)である。夏総甲は上座に座ると、先ず和尚に言いつけた。「和尚、わしのロバを裏庭のかいば桶のところに連れて行って、鞍を下ろして、草を腹いっぱい食べさせてやってくれ。私は話し合いが終わったら、まだ県の城門の近くの黄旦那の家に行って新年の宴会の酒を飲まんといかんのでな。」和尚にそう言いつけると、足を組んで片足を上げると、拳を作って腰の上をひたすら叩いた。拳を打ちながら言った。「おれは今、おまえたち百姓ほど愉快ではない。正月だというのに、役所の中では、三班六房の役人どもが誰一人宴会の招待状を持って来ない。私がどうして正月のお祝いをしないで済まされよう。毎日このロバに跨り、県城や郷村に行き、へとへとになるまで走り回ってきた。おまけにまたこのめくらの馬鹿者が前につまずいたので、私はロバから転げ落ち、腰や股ぐらが痛くてかなわん。」申祥甫が言った。「正月の三日に、私は豆腐や飯を準備して親戚を招きましたが、用事があって来れなかったようなのです。」夏総甲は言った。「そう言うがな、新年から七八日は、ひとつとして暇なことなどあろうか。あいにく口はふたつ無いので、食事は断れんのだ。今日私を招待してくれた黄旦那と言ったら、殿様の面前ではトップの位置におられる。あの方は私を引き立ててくれていて、もし私が行かなかったら、不審に思われるだろう。」申祥甫は言った。「西班の黄旦那のことは、わたしもお噂はお聞きしている。あの方は年内から殿様より出張を命ぜられたはず。家には兄弟やご子息はおられないが、どなたがホストをされるのですか。 」夏総甲は言った。「あんたはご存じないのか。今日の酒宴は、快班の李旦那の招待で、李旦那の屋敷が狭いので、宴席を黄旦那の屋敷の広間に設えたのだ。」

 

 しばらく話していたが、やがて話が龍灯節のことになった。夏総甲は言った。「このようなことは、俺は今でも関わるのがめんどうだ。以前から毎年私が中心になって、各々がどれだけ寄進するか書いてもらったが、人を当てにして持って来ないものだから、それが積み重なって、俺がどれだけ償ったか分からない。まして今年は殿様が役所におられ、頭班、二班、西班、快班、それぞれが皆龍灯を行うので、見に行こうと思っても、それぞれのところの龍灯のめんどうを見る時間なんてあるものか。しかし、おまえたちがあれこれ言うものだから、各々が金を分担して、おまえたちのうち誰かがそのまとめ役になってくれんとな。この荀旦那のように、田畑が広く、作物も多く獲れるなら、そういう者に多く出させるべきだ。おまえたち各家がそれぞれに寄進することにしたら、ごたごたして決まらないだろう。」人々は逆らう勇気がなく、即座に荀の家に半分出させ、残りは他家も分担することに決め、全部で二三両の銀子の寄進を紙に書いた。和尚は茶と茶菓子を乗せた盆を捧げ持って来た。雲片糕(米粉に砂糖、クルミを混ぜて固めたものを薄く板状に切った茶菓子)、干しナツメ、瓜子(ひまわりや西瓜の種)、豆腐干(豆腐に甘辛い味をつけて薄く切ったもの)、栗、雑色糖(様々な色の砂糖菓子)をふたつのテーブルに並べ、夏旦那をあがめて上座に座らせ、茶をついだ。

 

 申祥甫がまた言った。「子供が大きくなり、今年はひとりの先生に来ていただかないといけない。この観音庵で学堂を開きたいのですが。」人々は言った。「おれたちの中でも多くの家の子供が学校に上がらないといけない。この申旦那のご令息は、他でもない、夏旦那の婿殿だ。夏旦那はいつも県の主(あるじ)の殿様からお墨付きをもらっているし、また人は字が読めないといけない。ただ来てもらう先生は、必ず町に行ってお願いした方がいい。」夏総甲は言った。「先生はひとりいればいいが、あなたは誰がいいと言うのかね。うちの役所の徴税官の顧老相公(老相公は年配の男子の敬称)の家がひとりの先生をお願いしていて、姓は周、官名(幼名の後で付けた正式な名前)を周進といい、年齢は六十過ぎ、前任の殿様が郷試の童試で彼を第一位で童生にしたが、その後の院試では未だに県学に合格(中過学。童生が試験に合格して秀才になると、県や府の儒学の学校の生員になること。生員になると、科挙の受験資格を得られる)していない。顧老相公は彼を家に来てもらって三年になるが、顧老相公の坊ちゃん(小舎人。小公子のこと。坊ちゃん)は去年県学の試験に受合格し、うちの鎮では梅相公の坊ちゃんの梅玖も一緒に合格した。あの日は、学校の中の老師の家から出迎えて帰って来られる時、顧老相公の坊ちゃんは頭に方巾(書生が被った帽子)を被り、体には大紅紬(真っ赤なつむぎ織りの上着)を羽織り、殿様の馬屋の馬に跨り、笛や鐘をにぎやかに打ち鳴らしながら、家の門まで帰って来られた。俺や役所の人間は皆街路を遮り宴席を設けた。その後、周先生をご招待し、顧老相公が自ら先生に酒を三杯注いで差し上げ、上座に座っていただいた。出し物の芝居を一本頼むと、それは梁灝liáng hào(りょうこう)が八十歳で状元(科挙の殿試で首席で合格すること)に合格する話だった。顧老相公はこの芝居が、心の中ではあまり好きではなく、その後、芝居の中で梁灝の生徒が十七八歳で状元に合格するところになって、顧老相公は彼の息子のために幸運が訪れることが分かり、それでようやく喜ばれた。あなたがたがもし先生が必要なら、俺が代わって周先生に来てもらうようお願いしてみよう。」人々は皆それに賛成した。茶を飲み終わると、和尚が牛肉麺を少々出したので、それを食べ終わると各自それぞれ散会した。

 

 翌日、夏総甲は果たして周先生にお願いし、毎年学堂の運営費として十二両の銀子、毎日二分の銀子を和尚の家での食事代としてお出しし、元宵節が終わったらこちらに来てもらい、正月の二十日から開校することを約束した。

 

 十六日になり、人々は各々の分担金を申祥甫の家に届けて宴席を準備し、村で新たに学堂に入る梅相公の息子の梅玖も招いて相伴させた。この梅玖は頭には新しい方巾を被り、早々と到着していた。巳の刻(午前九時から十一時の間)になって、周先生はようやくやって来た。門の外で犬が鳴くので、申祥甫が出て行って出迎えた。人々が周進を見ると、頭には古いフェルトの帽子を被り、体には黒いつむぎ織りの古いゆったりした長衣を着ていて、その右の袖とお尻のところが破れていて、両足には古い真っ赤なつむぎ織りの靴を履き、痩せて顔はどす黒く、ごま塩ひげを生やしていた。申祥甫は拱手の礼をして部屋の中に招き入れると、梅玖はそこでようやくゆっくりと立ち上がると周進と顔を合わせた。周進が尋ねた。「この若君はどなたですか。」人々は言った。「この方が私たちの村で秀才になられた(在庠xiáng。儒学の学校の生員)梅相公(相公は年の若い読書人への敬称)です。」周進はそう聞くと、遠慮して、梅玖より先に挨拶をするのを良しとしなかった。梅玖は言った。「今日は特別ですから。」周進は何度も辞退した。人々は言った。「年齢から言っても周先生が年上ですから、先生どうか言われる通りにしてください。」梅玖は振り返って人々に言った。「皆さん方は私たちの学校の習わしをご存じないでしょう。老友(県学の生員は士大夫なので)はこれまで小友(童生)のように年齢の大小で序列を決めないのです。でも今日は特別です。やはり年長の周先生が上座にお付きください。」実のところ、明朝の士大夫は、儒学(の学校。県学や府学)の生員を「朋友」と呼び、(童試に合格しただけの)童生を「小友」と呼んだ。例えば童生が県学に進むと、十幾つの年齢であっても「老友」と呼び、県学に進学できなければ、八十歳になっても、「小友」と呼んだ。ちょうど娘が嫁に行くと、嫁入りの時は「新娘」(新婦)と呼び、その後は「奶奶」、「太太」(奥さん)と呼び、「新娘」と呼ばないが、もし人の家に妾として嫁いだら、たとえ髪の毛が白くなっても、まだ「新娘」と呼ばないといけない(妾はいくつになっても「奶奶」、「太太」の身分になれない)のと同じだ。

 

 閑話休題。周進は、このように言われて、もう相手に遠慮しないでいいと決められたので、遂には僭越にも彼が拱手の挨拶をすることになったのである。他の人々も拱手の挨拶をして席に着いた。周と梅、二人の茶碗には二個の干したナツメが入っており、その他の人々には皆清茶(何も加えられていない緑茶)が注がれた。茶を飲むと、二脚のテーブルに盃、箸が並べられ、周先生には首席、梅相公には次席が用意され、他の人々も序列通りに座り、酒が注がれた。周進は酒杯を受け取ると、人々に恐縮しつつ謝意を表し、一息に飲み干した。すぐさま各テーブルに八、九碗の料理が並べられた。それらは、豚の頭の肉、雄鶏、コイ、胃袋、肺、肝臓、腸など豚の内臓の料理の類であった。「どうぞ」の一声が発せられるや、皆一斉に箸を動かし、疾風が雲を吹き払うように、瞬く間に大半が平らげられてしまった。かの周先生はと見るに、ひとつも箸をつけようとしなかった。申祥甫は、「今日、先生はどうしてご馳走を召し上がらないのですか。まさか誰かがお気に障るようなことをしてしまったのではないですね?」と言って、料理をいくつか見繕って持って来た。周進はそれを遮って、言った。

 

 

 「騙していて申し訳ありません。拙者(我学生)は長らく精進をしているのです。」周りの人々が言った。「これは我々の準備に手抜かりがありました。それにしても、先生はどうして精進をされているのですか。」周進は言った。「以前、母が病気であった時に、観音菩薩の面前で精進をお約束して以来、今まで十数年精進をしております。」梅玖は言った。「先生が精進されていると聞き、ひとつ笑い話を思い出しました。先日、町で、私と試験の同期合格の仲間の父君(案伯)の顧老相公の家で、その父君のお話を聞きました。とある先生をなさっている方の宝塔詩(詩句が一文字から七文字に文字数が順繰りに増える形式の詩。各句の最後の一字が皆韻を踏んでいる)に……」人々は皆箸を止め、彼が詩を読むのを聞いた。梅玖がその詩を読んだ。「獃dāi(呆)、秀才cái、喫長斎zhāi、胡須満腮sāi、経書掲不開kāi、紙筆自己安排pái、明年不請我自来lái。(間抜けで、秀才を目指すも、長らく精進、顔中髭面、経書を開いたことがない、勉強を教えて自ら暮らし向きを立てようとするも、来年はもう雇ってもらえないだろう。)」読み終わると。言った。「こちらの周長兄は、このように大した才人でおられ、間抜け(獃)と言っても実は間抜けではない。」口を覆って言った。「秀才になられるのも間もなくです。かの「長らく精進、顔中髭面」は、結局のところ、先生にどちらか選んでもらいましょう。」そう言うと、ワハハと大笑いした。周りの人々も一斉に笑い出した。周進はバツが悪そうにした。申祥甫は急いで酒を一杯注いで言った。「梅坊ちゃんは献杯されなければ(敬一杯)。顧老相公のお宅の家庭教師(西席)は周先生ですよ。」梅玖は言った。「私は存じ上げませんでした。私が悪いのです。けれども元々この話は周お兄様のことを言っているのではありません。これはある秀才の方の話です。けれども、こうして精進をされるのは良いことです。先年、わたしの母方の叔父が、ずっと精進を続け、その後秀才に合格されました。老師が丁祭(旧暦の二月、八月の仲春、仲秋の最初の丁の日に行われた孔子を祀る祭礼)のお供えの肉を送って来られたので、母方の祖母が、こう言いました。「丁祭にお供えされた肉を食べなかったら、聖人様の罰(ばち)が当たるよ。大は災いが降り注ぐ。小でも病に犯される。」精進を破るしかありませんでした。うちの周お兄様は、今年の秋の祭礼には、(試験に合格されて)必ずお供えの肉を送って来るので、安心して精進を破ってください。」周りの人々は、梅玖は運気が良いので、彼のことばは良い兆しをもたらすに違いないと言い、一斉に杯を挙げ、周先生にお祝いした。周先生は恥ずかしくて顔が赤くなったり青くなったりしたが、周りの人々にお礼するしかなく、酒杯を手にした。厨房から、スープと点心が運ばれて来た。大皿に山盛りの、餡の入っていないマントウと、一皿の油で焼いた「扛子火焼」(小麦粉を少ない水で煉った硬い生地を棒で捏ねて焼いた堅焼きの煎餅)であった。人々は言った。「この点心は精進ですから、先生お上がりください。」周進は、スープは不浄ではないかと恐れ、茶を飲みながら点心を食べた。

 

 中の一人が申祥甫に尋ねた。「あなたのご親戚(夏総甲)は今日はどこにおられるのですか。どうして先生と宴席を共にされないのですか。」申祥甫は言った。「あの人は快班の李旦那の家にお呼ばれに行っています。」また別のひとりが言った。「李旦那はここ数年、新任の殿様の下で着実に活躍されて、ひょっとすると一年もしないうちに大金を稼がれるかもしれません。ただ、あの方は博打が好きなので、西班の黄旦那には及ばないでしょう。黄旦那は最初は分からず屋でしたけれども、ここ数年は真っ当に仕事をされて、家のお部屋は天宮のようにりっぱに建てられ、とても熱気があります。」荀旦那が申祥甫に言った。「あなたのご親戚は家業を担われてから、時流にも乗られ、あと二年もすると、おそらく黄旦那くらいにはなられるでしょう。」申祥甫は言った。「あの人もやり手ですから。もし黄旦那くらいになりたいなら、おそらくあと数年で夢が叶うでしょう。」梅相公はちょうど点心を食べていたが、続けて言った。「夢見たことが本当になるのですね。」それで周進に尋ねた。「お兄様はここ何年も試験を受けてこられて、これまで何か夢の前兆がありませんでしたか。」周進は言った。「特にありませんね。」梅玖は言った。「試験に受かった年の正月の一日に、私はたいへん高い山の上にいる夢を見ました。天上のお日様が、少しの間違いもなく、真っ直ぐ下に落ちてきて、私の頭の上に近づいてきたので、びっくりして汗びっしょりになり、目を覚まして頭を少し撫でてみると、まだ多少熱く感じました。この時はどうしてこんな夢を見たのか分かりませんでしたが、今思い返してみると、予兆は本当に正しかったのです。」そして点心を食べ終わると、また一巡酒を注いで回った。そうして灯ともし時になると、梅相公は人々と別れ、家に帰った。申祥甫は一組の青い布の掛け布団と敷布団を出してきて、周先生を観音庵に送り、泊まってもらった。和尚と話し合い、学堂は寺の後門の二間の部屋の中にすることが決まった。

 

 そして開校の日、申祥甫は村人たちと一緒に学生を連れて来た。身長の大小様々な(七長八短)数人の子供たちが先生にお目にかかった。村人たちはそれぞれ帰って行った。周進は教壇に立って教え始めた。夜は学生の家に行き、それぞれの家でもらった土産(贄見zhì jiàn)を開いて見ると、荀家だけが一銭の銀子が入っており、他は八分の銀子でお礼に代え(代茶)、その他、三分、四分の銀子の家もあった。また十枚あまりの銭もあったが、全部合わせてもひと月の食事代にも足らなかった。周進は全部をまとめ、和尚に渡すと、和尚が受け取ってまた数えた。これらの子供たちは、うごめく牛のように、一度に管理することができず、外に抜け出しては瓦のかけらを投げたり玉蹴りをし、毎日いたずらが止まらなかった。周進はじっと我慢して、座って教えるしかなかった。

 

 知らぬ間に二か月あまりが経ち、天気は次第に暖かくなった。周進は昼食を食べてから、後門を開けて外に出て、川沿いにあたりを見渡した。田舎の村だが、川辺には何本か桃と柳の木が植えられていて、赤と緑が入り混じって美しかった。一渡り見ていると、しとしと小雨が降り出した。周進は雨が降り出したのを見て、門の内に入り、雨が川に降り注ぐのを眺めた。靄が遠くの木々にたちこめ、景色は一層すばらしくなった。雨は次第に激しくなったが、川の上流から一隻の船が雨を衝いてやって来た。その船はあまり大きくなく、また蘆の蓆で覆われていたので、雨に弱かった。川岸に近づこうとし、ふと見ると、中央の船室には一人の男が座っており、船尾には二人の従者が座っていた。船の舳先には一担ぎの弁当が置かれていた。岸辺に着こうという時に、その人物は船屋に船を泊めると連呼して、従者を連れ、岸に上がった。周進がその人物を見ると、頭に方巾を被り、鮮やかな藍色の緞子の道服を身に着け、足元には白い靴底の靴を履き、三本の口髭とあごひげを生やし、およそ三十過ぎの様子であった。寺の後門まで歩いて来ると、周進にちょっと手を挙げ、まっすぐこちらにやって来て、自ら「なんと、学堂であったか。」と独り言ちた。周進は一緒に門を入ってお辞儀をすると、その人物も軽い礼を返して言った。「あなたがここの先生ですか。」周進は言った。「その通りです。」その人の従者が言った。「和尚はどうして出て来られないのですか。」そう言っていると、和尚が急いで出てきて言った。「誰かと思えば王旦那様ではありませんか。どうぞお座りください。私は茶を煮て来ますので。」そして周進に言った。「この王旦那様は、前回の科挙の試験で新たに合格されたのです。先生はご一緒に座っていてください。私は茶を持って来ますので。」

 

 かの王挙人も遠慮せず、従者が腰掛を並べると、上座に座った。周進は下座でお相手した。王挙人は言った。「先生は姓をなんと言われるのか。」周進は彼が挙人であると知ったので、こうへりくだって言った。「私、姓は周と申します。」王挙人は言った。「去年はどちらで教えておられたのか。」周進は言った。「県の入口の顧老相公のお宅で教えておりました。」王挙人は言った。「あなたは我が白老師の配下で童生として試験を受けられ、首席になられたのではありませんか。ここ何年かは顧二哥の家で教えておられるとか。悪くないですね。」周進は言った。「私は顧老相公を主人としてお仕えしていますが、老先生も主人とお付き合いがおありですか。」王挙人は言った。「顧二哥は私の領地の一部で徴税をしてもらっていて(戸下冊書)、また義兄弟の盃を交わした間柄でもあるのです。」

 

 しばらくして、和尚が茶を献じてきて飲んだ。周進は言った。「老先生の合格答案(硃巻zhū juàn。試験に合格した人が自分の答案の文章を木版印刷して人に贈ったもの)は、私も熟読したことがあります。後に二つの文章が書かれ、たいへん巧妙です。」王挙人は言った。「あの二つの文章は、私が作ったものではありません。」周進は言った。「老先生はまた謙遜が過ぎます。それでは誰が作ったというのですか。」王挙人は言った。「私が作ったのではなく、人間が作ったものでもない。あれは最初に試験場に入った時(頭場。郷試、会試は、試験場に入って、続けて三回試験を受ける決まりで、その一回目が頭場)で、九日だった。空が暗くなりかけていたが、最初の文章がまだできておらず、自分でも腑に落ちず、思った。「私は普段は筆が大変速いのに、今日はどうしてこうも筆が進まないのだろう。」訳が分からず、思わず居眠りをしてしまい、机(試験場を貢院といい、その中はいくつも小さな部屋に区分けされていて、部屋の中にはただ二枚の木の板だけがあり、一枚は机に、一枚は座席に使うが、この板を「号板」と言った)にうつ伏せになり、うとうとしていると、五人の青い顔をした人が部屋に飛び込んできて、そのうちの一人が、手に一本大筆を持ち、私の頭の上をちょっと触ると、飛び出して行った。すぐさま一人の沙帽(文官が被った帽子)を被り、赤い長衣に金のベルトを身に着けた人が、簾をめくって入ってきて、私をたたいて言った。「王公、起きてください。」その時、私はびっくりして、体中から冷や汗が出て、目が覚め、手に筆を持つと、知らぬ間に文章が書けてしまった。確かに、貢院の中には妖怪がいるのだと思う。私もかつてこのことを担当試験官(座師。郷試で合格した挙人は、担当してくれた試験官を「座師」と呼んだ)に申し上げたことがあり、試験官は私は確かに状元になる資格があるとおっしゃった。」

 

 話がちょうどたけなわになった時、一人の小学生が習字の宿題を持ってきて、見てほしいと言ってきたが、周進はそのままほおっておいた。王挙人は言った。「お邪魔しません。習字を直してあげてあげてください。私は他にやることがありますから。」周進は仕方なく、教室に行って習字に朱を入れた。王挙人は召使に指示して言った。「空がもう暗くなり、雨も止まない。おまえたち、船の上の弁当箱を運んできて、和尚に言って米を炊いてもらってくれ。船屋に世話をさせて、明日の朝早く出発すると言ってくれ。」周進に言った。「私は先ほど墓参りをしてきたのですが、思いがけず雨に逢い、一晩泊まろうと思います。」そう言うと、急に振り返り、その小学生の習字に書いた名前が荀玖であるのを一目見て、思わずびっくり仰天した。しばらくの間舌を鳴らして唇を動かし、顔にはたくさんの妖怪の姿が現れた。周進は彼に尋ねるのは申し訳ないので、習字に朱を入れ終わると、また彼と席に着いた。彼は尋ねて言った。「先ほどの小学生は何歳ですか。」周進は言った。「あの子は七歳になったところです。」王挙人は言った。「今年ようやく読み書きを始める(開蒙)のですね。あの名前はあなたがつけたのですか。」周進は言った。「あの名前は私がつけたのではありません。読み書きを始めるに当たり、あの子の父親が村で新たに科挙に合格した、友人の梅さんに頼んでつけてもらったのです。梅さんは自分の名前が「玖」で、彼のために「王」偏の名前をつけて縁起をかついだのです。将来、自分と同じように良くなるという意味です。」

 

 王挙人は笑って言った。「実を言うと、これはなんと笑い話なのです。私は今年の正月一日に夢の中で会試の合格掲示板を見ました。私が合格して名前が出ているのは言う必要がありませんが、その第三名も汶上の人で、荀玖という名前でした。私は我が県には荀という姓の挙人(科挙の合格者)はいないと思っていましたが、まさかこの小学生の名前と同じであるなど思いもよりませんでした。まさかあの子が同じ合格掲示板に載るなどあり得ないことです。」そう言うと、ワハハと大笑いをして、言った。「夢の内容は正しくないことが分かります。まして功名や重大な出来事は、およそ文字に書かれたものを主とし、死者の霊魂だの天地の神霊だのは関係ありません。」周進は言った。「老先生、夢も正しいことがあります。昨日の夜、私が参りまして、宴席で梅さんが、やはり正月一日に、夢にお日様が頭の上に落ちてくるのを見たのですが、彼はこの年にとんとん拍子に出世したのです。」王挙人は言った。「それはなおさら正しくないです。例えば彼が学校に進んで、お日様が頭の上に落ちてきたら、私のように科挙に合格した者は、天まで落ちてきては困るので、自分が支えていなければならないのでしょうか。」互いに無駄話をしながら、手にランプを持つと、執事が酒や飯、魚、アヒル、肉を捧げ持ち、それらを食卓にうず高く積み上げた。王挙人は周進に譲ることなく、自ら席について食事をし、食器を片づけた。遅れて和尚が周進の食事を運んできたが、硬くなった野菜の葉の料理が一皿と、熱いお湯だけであった。周進も食事をした。休むように言って、それぞれ宿で休んだ。

 

 翌朝、空は晴天で、王挙人は起きて顔を洗い、服を着て、挨拶をすると、船に乗って出発して行った。あたりには鶏の骨、アヒルの手羽(翅膀)、魚の骨(魚刺)、ひまわりの種の殻(瓜子殻)をまき散らかしてあり、周進はぼんやりしながら、朝のうちはそれらを掃き清めた。

 

 この時の出来事の後、薛家集の村の人々は皆、荀家の子供が県の王挙人と進士の試験の同期合格となると聞いたが、これは笑い話として広まった。同級生たちは彼を荀玖とは呼ばず、皆彼を「荀進士」と呼んだ。各家庭の父兄はこの話を聞いて、皆不平に思った。あくまで荀老人のそばでは「おめでとうございます」と言い、彼のことを官位で呼ばないといけないので、荀さんに弁解もできないほど腹を立てた。申祥甫は、陰でまた人々に言った。「どうして王挙人が自分からこんなことを言われましょうか。これは、周先生が、この村では荀家だけが多少の金を持っているので、こんな作り話をこしらえて、彼におべっかをつかい、正月や節句に、彼の家から多めに贈り物をもらおうという魂胆です。私が先日聞いた話では、荀家では面筋(生麩)や豆腐干を炒めて寺に届け、またマントウや火焼を何回か届けているのは、そのためでしょう。」人々は皆不快に思い、このため周進の立場は不安定になった。夏総甲の面子もあって、辞めさせる訳にもいかず、一年は無理やりごまかしていた。その後、夏総甲も彼が愚鈍であるのを嫌い、しょっちゅう来ては謝意を受けているとは知らず、人々の意に任せて周進を辞めさせた。

 

 その年、周進は職を失い、家で日々の食事も事欠く有様だった。ある日、彼の姉の夫である金有余が尋ねて来て、彼に勧めてこう言った。「おじさん、私が言ったと恨まないでください。勉強して科挙に合格して役人になるのは、本当に難しいことです。人の世の中で、得難いのは毎日のおまんまを得ることです。ただ平々凡々として成すところがない暮らしをいつまで続けるのですか。私は今、何人かの大きな元手のある人と省都に行って商品の買い付けをしていますが、帳簿を付ける人が足らないのです。おじさん、私たちと一緒に行って働いた方がよいのではないですか。おじさんは身寄りも無いし、今のままでは、食べるのも着るのも不自由でしょう。」周進はこう聞いて、思った。「「癱tān子掉進井里、撈起也是坐(体が不自由な人が井戸に落ちたら、座ったまま引き上げられる。歇后語(中国語の掛け言葉。なぞなぞ)。「相変わらず。何も変わらない。」の意味)」と言うからな。何も義理を欠くことはあるまい(有甚虧負我)。」即座に承諾した。

 

 金有余は吉日を選び、何人ものお客さんと一緒に出発し、省都の雑貨商の店に来て、泊まった。周進はすることが無く閑なので、街の中を散歩していると、たくさんの大工を見かけたが、彼らは皆、貢院(科挙の試験場)を修理していると言った。周進は彼らと一緒に貢院の入口に到った。近寄って中に入って見たいと思ったが、門番に鞭を鳴らして追い出された。その晩、彼は金有余に貢院に入って中を見てみたいと言った。金有余は幾らか小銭を使うしかなく、数人の客人も一緒に行って見た。また雑貨商の主人に折り入って頼んで連れて行ってもらった。主人は最初の門を入り、門番に小銭を渡すと、阻まられることはなかった。龍門(貢院の中の三番目の門の名前。縁起を担いで、こう名付けられた)の下まで来ると、主人は指さして言った。「周さん、これは旦那様がた(相公們)が通る門です。」進んで行くと、両側は標識の付いた部屋の門で、主人はこれを指して言った。「これは「天」の部屋(天字号)です。ご自身で中に入って見てみてください。」周進は部屋に入ると、二枚の板(号板)がきちんと並べられていた。ふと、目の中が急に痛くなり、長いため息をついたかと思うと、頭からばったり板の上に倒れこみ、体は硬直し、人事不省に陥った。

 

 

 ただこの一死により、いくつか教訓を得ることができた。毎年失敗していたものが、突然良いめぐり合わせに逢うことができた。一年中辛い目に逢ってきたが、遂に試験を主催できるようになったのだ。それにしても、周進の運命や如何。次回の解説を聞いてください。

 

 次回、第三回では、この周進のその後の運命、そしてまた新たな科挙に振り回される登場人物が出てきます。『儒林外史』第三回乞うご期待です。