行く先々でトラブルを起こす厳貢生。広州から高要へ移動で雇った船の船賃を踏み倒す。弟の厳監生が亡くなり、次いで子供を天然痘で亡くし、悲嘆に暮れる趙氏に対し、親族が推薦する自分の五男ではなく、ちょうど周学堂(周進)の娘と結婚して家庭を持った、自分の次男を後嗣にしようとし、怒った趙氏は、高要県の湯知県に訴えを起こす。さてその結果はどうなるのでしょうか。『儒林外史』第六回の始まりです。
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郷紳(厳貢生)は病いを發し船家(船員たち)を鬧(さわが)す
寡婦(未亡人の趙氏)は冤(うらみ)を含み大伯(大叔父)を控(うったえ)る
さて厳監生は死を迎え、二本の指を突き出しながら、まだ息絶えるを善しとしなかった。何人かの甥っ子や召使たちがやって来てがやがやとかまびすく尋ね、ある者はふたりの人だと言い、ある者はふたつの事だと言い、ある者は二ヶ所の田地だと言い、様々に意見が入り乱れた。ただそのどれもが正しくなく、厳監生は首を振った。趙氏が人々を押し分け、進み出て言った。「旦那様、わたしだけがあなたが心の中で思っておられることが分かりますわ。あなたはあの(火屋がついていない)ランプが、二本の燈心に火が点いているから、油を浪費しているのじゃないかと、心配されているんでしょう。わたしが今、燈心の片方を外しておきますよ。」そう言うと、急いでランプの傍に行き、燈心を一本外した。周りの人々が厳監生の方を見ると、彼は何度か頷くと、手を下に垂れ、間もなく息を引き取った。一家の者は皆大声で泣き出し、遺体を棺桶に入れる準備をし、柩は母屋の真ん中の広間に安置された。
夜が明けると何人かの召使や小者たちが街中に行き、厳監生が亡くなった連絡をした。一族の長の厳振先が一族の中の数人の人を引き連れ弔問に訪れ、皆引き留められて酒食を摂ると、孝布(柩に掛ける白い布)を受け取って帰って行った。趙氏には兄弟がいて、弟の趙老二は米屋で商売をしており、甥の趙老漢は彫銀の職人の店で銀を溶かす竈のふいごを吹いていたが、彼らもお供えを準備して弔問に訪れた。僧侶や道士が長方形の旗を掲げ、お経を詠み追悼供養をした。趙氏は幼い息子を連れ、朝晩柩の前で哀悼を行った。男の執事、召使、小間使いの女、女の召使たちは、皆喪服を身に着けた。屋敷の門の周りは一面白くされた。
見る間に最初の七日が過ぎ、王徳、王仁が科挙の試験から戻って来て、揃って弔問にやって来て、屋敷に留まり一日を過ごした。また三四日して、厳大老官(厳貢生のこと)も省城(省の中心都市。ここでは広州を指す)で科挙の試験を受けて戻って来た。何人かの子供たちは皆こちらの広間にいた。大老爹(大旦那。厳貢生のこと)は荷物を下ろすと、細君と一緒に座り、水を持って来させて顔を洗っていると、早くも弟の家族のひとりの乳母が、ひとりの小者を連れ、両手でお盆に載せた毛氈の包みを捧げ持ち、歩いて来て言った。「奥様より旦那様にご挨拶申し上げます。旦那様がお越しになられたと伺いましたが、最愛の夫を亡くしたばかりで、こちらに罷り出てご挨拶する訳にまいりません。この二組の衣服と銀子は、ご主人様が臨終の折に言いつけられたのですが、旦那様にお贈りして記念としてほしいとのことです。どうか旦那様お収めください。」
厳貢生が包みを開いて見ると、真新しい二組の緞子の衣服と、きれいに並べられた二百両の銀子であったので、心から嬉しく思い、すぐさま妻に手伝わせて八分の銀子を入れた紅包を作り、乳母に手渡すと、こう言った。「奥様にご返答ください。誠にありがとうございました。わたしはすぐ参りますので。」乳母と小者を遣わすと、衣裳と銀子を仕舞い、また細君に細かく尋ねたところ、子供たちも皆奥様から餞別をいただいたが、この衣服と銀子は自分にだけ贈られたものであると知った。尋ね終わると、孝巾(葬儀の時に親族が被る白い頭巾)を被り、一本の白い布の腰絰を締め、祭壇の方にやって来た。柩の前で「弟よ」と叫ぶと、大声で泣き声を上げ、跪いて二度頭を下げた。趙氏は最も重い喪服を身に着け、出て来て頭を下げお礼を言った。また息子に跪いて叔父に向け頭を下げさせ、泣きながら言った。「わたしたちは辛い運命にあります。この子の父親は人生半ばで世を去り、全て旦那様におすがりし、わたしたちに代わって中心になっていただかないといけません。」厳貢生が言った。「奥さん、人生はそれぞれ生まれつき決められた寿命があります。弟は既に天に召されてしまい、あなたは今はこの良い息子さんを頼りに、ゆっくり息子さんと共に暮らしていってください。何をそう焦られるのですか?」趙氏はまた謝意を述べ、書斎に、食事を並べてふたりの叔父にお相伴をしていただいた。
しばらくして、叔父たちが来て、両手をこまぬき腰をかがめる礼をして、席に着いた。王徳が言った。「弟は平素は身体が丈夫でありましたのに、どうしたことか突然病いにかかり寝たきりになり、わたしたち近親の者も、会ってお別れを告げることができず、とても心が痛むことでした。」厳貢生が言った。「おふたりのご親族だけでなく、わたしたち兄弟も、臨終の際に顔を見ることができませんでした。けれど昔から「公のため私を忘れ、国事のため家事を忘れる」と申します。科挙の試験は朝廷(国家)が人材を選抜する重大な儀式であり、わたしたちが朝廷のために仕事をする時は、私情をさしはさまず、またやましい心を持たないようにしなければなりません。」王徳が言った。「大先生は省城では、半年近くおられたのですか?」厳貢生が言った。「正に。前任の学政の周先生(周進)がわたしを推挙いただき、貢生に合格させていただきました。周先生のご親族がこの省城にお住まいで、応天府(今の南京)管轄下の巣県の担当となりましたので、省城(広州)に行き先生にお会いしました。思いがけず、お目にかかるや古い友人に会ったようで、そこに留まり数ヶ月暮らしておりましたが、わたしの家族と婚姻関係を結びたいと言われ、再三あちらの下のご令嬢をわたしの下の息子に嫁入りさせたいと要望されました。」王仁が言った。「省城ではあちら様のお宅にお住まいだったのですか?」厳貢生が言った。「張静斎の家に住んでおりました。彼も県令をしていたことがあり、湯知県様とはお父君の代から交際のある友人です。湯知県様がお役所にお勤めの時に宴席に同席して知り合い、交際が始まりました。周先生のご親族は皆、静斎先生が仲人を務められたのです。」王仁が言った。「けれどもあの時は範という姓の孝廉(科挙に合格した挙人の呼称のひとつ)とご一緒でしたね。」厳貢生が言った。「正にその通りです。」王仁は目配せして兄の王徳に言った。「兄さん、しかし確かあの時は回教徒たちの騒動が起こったんでしたね。」王徳は「ははっ」と冷ややかに笑い声を上げた。
しばらくして酒が並べられ、飲みながらの談笑となった。王徳が言った。「今年は湯知県様は試験官をされたのですか?」王仁が言った。「兄さん、あなたはご存じなかったのですか?湯知県様が前回試験官をされた時、「時代遅れの古臭い」(陳猫古老鼠)文章を採って合格させたので、今回は試験官に選ばれませんでした。今回の十数人の試験官は、皆若い進士で、専ら才気ある文章を採用するようにしています。」厳貢生が言った。「それはしかし間違っています。才気にも決まりがあるべきで、もし問題の題目の要求に従わず、むやみに見かけの賑わいや派手さを追求するのでは、まさかそれを才気があると見做すって訳じゃないでしょう?そこへいくとわたしが知る周先生は、極めて深い洞察眼を持たれていて、試験でトップの成績を点けるのは、試験の題目や文章の決まりに則った、経験を積んだ受験生に対してであり、今回の科挙の試験でも、やはりこうした当地でもよく知られた才子の中から合格者が出ました。」厳貢生がこんな話をしたのも、この王兄弟ふたりが、周宗師(周進)が試験官を務めた科挙の試験では、二等の成績しか取ることができなかったからである。ふたりはこの話を聞いて、心の中ではなるほどと納得し、もうこれ以上あれこれ議論しなかった。酒席がお開きになろうという時に、また先日の訴訟の話になった。「湯知県様はたいへんお怒りになったのですが、幸い弟の監生様が周旋してくださり、事を収めていただきました。」厳貢生が言った。「これは亡き弟が良くない。もしわたしが家にいたら、湯知県様に申し上げて、王小二や黄夢統といった輩(やから)なんて、脚をへし折ってやっていた。いっぱしの郷紳の家の者として、平民如きのこのような無礼は、赦すわけにはいかない。」王仁が言った。「凡そ何事も、温厚にしているのが宜しいですぞ。」厳貢生は顔を真っ赤にし、また互いに勧め合って何杯か酒を飲んだ。乳母が子供を抱いて出て来て言った。「奥様が旦那様に聞いてきてくれと言われているのですが、弟君はいつ葬儀を行われるのでしょうか?また今年はどちらの山の方向が吉なのか分からないのです。先祖代々の墓地(祖塋zǔ yíng)であれば埋葬できますが、それとも別に土地を捜さないといけないのでしょうか?旦那様にたいへんご心配をおかけして申し訳ありませんが、おふたりの叔父様とご相談ください。」厳貢生が言った。「奥様に申し上げてください。わたしは家にあまり長く居ることができないのです。下の相公(科挙に合格し秀才になった人への尊称。厳貢生の二番目の息子)と一緒に省城に行き、周先生のお屋敷であちら様と婚約の儀を結ばないといけません。お宅の旦那様のことはこちらのふたりの叔父様に託されるのが宜しいでしょう。先祖代々の墓地に埋葬できず、別に土地を捜す必要があるなら、わたしが帰って来てからご相談しましょう。」そう言うと、暇乞いをし、立ち上がって出て行った。ふたりの叔父も帰って行った。
何日かして、大旦那は果たして下の息子を連れて省城(広州)へ行った。趙氏は家の中のことを切り盛りし、真に富の蓄積が莫大(銭過北斗qián guò běi dǒu)で、食べきれずに腐った米で倉が一杯になり(米爛成倉mǐ làn chéng cāng)、家の中では召使が群れを成し、牛馬が行列を作り、幸福な生活を送っていた。思いがけず天の神様は人間社会の苦しみを理解されず、善人を援けてくださらなかった。かの男の子は天然痘を発症し、ある日発熱し、医者が来て診たが、病状は危険な状態だと言い、薬には犀の角、黄連(オウレン)、人の歯を焼いて粉末にしたものを用いたが、汗で熱を下げることができず、趙氏は慌てて至る処で神頼みをしたが、何れも効果が無かった。七日目には、白くぽっちゃりしていた男の子は、あの世に逝ってしまった。趙氏のこの時の悲しみといったら、前の奥様の王氏や亡くなったご主人の厳監生と時とは比べられない程甚だしく、ずっと泣き続けて涙も出なくなってしまった。丸々三日三晩泣いた後、子供の亡骸は送り出された。家人がふたりの叔父に来てもらって相談し、本家の五番目の甥っ子を後嗣に立てることにしたが、ふたりの叔父は躊躇して言った。「この件については、わたしたしは決めることができません。ましてや大先生がご不在で、甥御さんはあの方のお子さんですから、奥様ご自身がお願いすべきことです。わたしたちがどうして決めることができましょう。」趙氏が言った。「お兄様、あなたの妹さんのご主人が残された数両の銀子の値打ちのあるりっぱな家具ですが、今は正当な持ち主がお亡くなりになり、これらの召使や小者たちは皆頼るところが無く、この後嗣を立てることは一刻も猶予が無いのです。あちらの叔父様がいつ戻って来られるかご存じありませんか?お隣の五番目の甥御さんはやっと十一二歳になられたばかりで、後嗣に立たれても、ひょっとしてわたしがあの方を好きになれず、ちゃんとご指導できないかもしれません。あの方の実のお母さまがもしこのことを知ったら、もろ手を挙げて送り出せないことを恨めしく思われるでしょう。たとえあちらの叔父様が戻って来られても、そんなこと申し上げられません。あなたがた叔父に当る方が、どうしてお決めになることができないのですか?」王徳が言った。「それもそうだね。わたしたちが行って、奥様の代わりに説得してみよう。」王仁が言った。「兄さん、なんてことを言うんだ。後嗣を決めるような大事なことを、わたしたち一族以外の者が、どうして勝手に決められるというんだ。今奥様がたいへん急いておられるなら、我々兄弟ふたりが一筆書いて、こちらの誰か召使を、夜に昼継いで省城に行かせ、大先生にお願いして帰って来ていただき、相談するしかないね。」王徳が言った。「それが一番いい。おそらく大先生が帰って来られても、どうなるか分からないが。」王仁は首を振り、笑って言った。「兄さん、そのことはまた考えないといけないけど、でもそうするしかないよ。」趙氏はこの話を聞いて、ちんぷんかんぷんでどうしてよいか分からなかったが、その言葉に従わざるを得ず、手紙を一通書くと、召使の来富を遣わし、夜に昼継いで省城に大旦那様を迎えに行った。
来富は省城(広州)に着くと、大旦那様が逗留されている高底街(実際は高第街。 厳貢生 の息子の結婚相手の周進の屋敷)を尋ねた。逗留処の門のところに着くと、四人の赤と黒の帽子を被った男たちが、手に鞭を持ち、門のあたりに立っていたので、来富はびっくりして、中に入って行くことができなかった。しばらく立っていると、大旦那と一緒にいる召使の四斗子が出て来たので、それでようやく彼に言って一緒に建物の中に入った。広々とした広間が見え、その真ん中に一台の装飾を施した駕籠(彩轎)が置かれ、駕籠の傍らには日除けの傘が立ててあり、日傘の上には「即補県正堂」(「候補知県」の意味で、官職の空きが出て知事の任命を待つ官吏のこと)の文字が貼られていた。四斗子が中に入って大旦那様にお出ましを乞うと、頭に紗帽を被り、丸い襟に前後に官位を表わす「補子」を縫い付けた官服を身に着け、足元にはピンク色の靴底の皂靴(礼装用の長靴)を履いていて、来富は前に進み出て跪いて頭を地面に付ける礼をし、信書を手渡した。大旦那は信書を受取り中を読むと、言った。「了解した。我が家の下の息子が慶び事の最中である。おまえはしばしここで待て。」来富はそこを下がり、厨房へ行くと、厨房に席が設えてあった。新郎の部屋は階上にあり、仲人の張静斎の部屋には色鮮やかな婚礼の飾りが為されていたが、来富はそれを見に行く勇気が無かった。そのまま陽が西に傾くまで、ひとりのお祝いの楽隊の楽器吹きもやって来なかった。婿殿である厳家の坊ちゃんは、真新しい方巾を被り、赤い上着を羽織り、頭には花を挿していたが、前に後ろに往き来しながら落ち着かない様子で、楽器の吹き手がどうして来ないのか尋ねた。大旦那は広間で大声を張り上げ、四斗子に早く楽隊に伝えるよう言った。四斗子が言った。「今日は良い日柄で、ひとつの楽隊に八銭では、楽器吹きも来てくれないのに、旦那様は楽器吹きに二銭四分の質の悪い銀(銀の含有量の少ない質の悪い銀)しかお出しにならないうえに、おまけにそこから二分の(計量の)誤差を差っ引いた上、張様のお屋敷の人に催促に行ってもらうんだから。旦那様は今日承諾してくれた楽隊がいくつあるかご存じ無い。彼らがこんな時にどうして来るもんですか。」大旦那は怒って言った。「この糞ったれ。早く行って呼んで来い。来るのが遅れたら、おまえも一緒にぶっ叩くぞ。」四斗子は口をとがらせながら、道々ずっと不満たらたら言いながら出て行き、言った。「朝からこの時間まで、一杯の飯さえくれずに、こともあろうにこんな面倒事を押し付けてくるんだから。」そう言うと、出て行った。
そうして灯点し頃となり、四斗子も帰って来ていなかったが、新婦を運ぶ駕籠かきや赤と黒の帽子を被った男たちがまた酷く催促するものだから、広間の客たちが言った。「もう楽器の吹き手を待たなくていい。良い頃合いになったから、ひとまず新婦をお迎えしよう。」掌扇(儀仗用の長い柄の付いた扇)が担ぎ上げられ、四人の赤と黒の帽子を被った男たちが先導し、来富は駕籠の後ろに従い、真っ直ぐ周家にやって来た。かの周家は広間が甚だ大きく、いくつものランプが点されていたが、天井の方は薄暗かった。ここには楽器を奏でる楽隊がおらず、四人の赤と黒の帽子を被った男たちだけが、代わる代わる号令をかけ、真っ暗な天井の下で大声を上げ、止むことがなかった。来富はそれを見て、申し訳なく思い、彼らがもう叫ばなくていいと思った。家の中では、こう言いつける者がいた。「厳旦那様に申し上げます。楽隊の演奏が始まれば、新婦をお迎えする駕籠を出発させます。演奏が無ければ駕籠は出しません。」ちょうどすったもんだ騒いでいると、四斗子がふたりの楽器奏者を連れて戻って来た。ひとりは簫吹き、ひとりは太鼓叩きで、広間でブーブーダンダンと音を出したが、一向にちゃんとしたメロディーにならなかった。両側で聞いていた人たちの笑い声が止まらなかった。周家の人々はしばらくあれこれガヤガヤと騒いでいたが、どうしようもなく、新婦を乗せた駕籠を出発させざるを得なかった。新婦が嫁入りしたが、詳細は言うまでもない。
十日目の朝を迎え、来富と四斗子に二艘の高要行きの船の契約をさせた。かの船主(船家)は高要県の人で、二艘の大船は銀十二両、高要に着いたら金を払うという契約だった。一艘には新郎新婦が乗り、一艘には厳貢生が自ら乗った。吉日を選び、肉親にお別れを言い、「巣県正堂」(「巣県」は今の安徽巢湖市一帯。正堂は役所のこと。厳貢生は巣県の知県に任命された)の金文字の扁額を借り、「粛静」(静かに)、「回避」(道を譲れ)の白い看板を掲げ、四本の門槍(儀仗用の槍)を船に挿し、また一隊の楽器奏者を呼び、銅鑼を鳴らし儀仗用の傘を掲げ、楽器を奏でながら船に乗り込んだ。船主はたいへん怖れて、注意深くお世話をしたが、旅の過程では特に言うこともない。
その日、やがて高要県に着こうとし、あと二三十里の道のりであった。厳貢生は船上に座っていて、ふと眠気がさしてきて、両眼がぼんやりし、口の中がむかむかし、何度も透明な痰を吐き出した。来富と四斗子が両側から腕を支えていたが、今にも倒れそうになった。厳貢生は、口では「もうだめだ、だめだ。」と言うばかりで、四斗子に言って急いで厳貢生を横にならせ、直ちにやかんに一杯お湯を沸かして来させた。四斗子が厳貢生を横にならせると、何度も繰り返しうめき声を上げた。四斗子は慌てて船員とお湯を沸かすと、客室に持って入って来た。厳貢生は鍵で箱を開けると、雲片糕(もち米粉、砂糖、油を煉った、ねっとり柔らかいお菓子で、薄く切って食べる)を一塊(かたまり)取り出した。一枚一枚薄く切られていて、何枚か剥がして食べ、お腹の中でもまれて、二発も大きな屁が出ると、たちまち良くなった。残った何片かの 雲片糕は、後鵞口板(船尾の舵手の位置を遮る板)の上に置いておいたが、しばらくはそのまま確認にも来なかった。かの操舵長はたいへん食いしん坊であったので、左手で舵を支えながら、右手で雲片糕をつまんでは、一枚一枚口の中に入れた。厳貢生はただ見ていないふりをするしかなかった。
しばらくして、船は船着き場に停泊した。厳貢生は来富に言って速やかに二台の駕籠を呼んで来させ、人員を配置し、次男と新婦を先に家に送った。また船着き場の人夫に荷物を岸に揚げさせ、自分の荷物も岸に揚げた。船員や水夫たちが皆やって来て、祝儀の銭を催促した。厳貢生が身体の向きを変えて船倉に入ると、そわそわ落ち着かない様子で、部屋の四方を見回すと、四斗子に尋ねて言った。「わたしの薬をどこへやったんだ?」四斗子が言った。「何の薬があったんですか?」厳貢生が言った。「さっきわたしが食べたのは、薬じゃないのか?確かに甲板の上に置いておいたんだ。」かの操舵手が言った。「おそらくさっき甲板の上に置かれた数枚の雲片糕のことでしょう。あれは旦那様が残されて、もう要らないと思ったので、拙者が畏れながら食べてしまいました。」厳貢生が言った。「こんな安物の雲片糕を食べたのか。おまえはその中にどんなものが入っていたか分かるか?」操舵手が言った。「雲片糕は瓜仁(ヒマワリの種の中身)、胡桃、砂糖、小麦粉で作ったものに過ぎないのに、何が入っているんですか?」厳貢生が腹を立てて言った。「何をばかなことを言っているんだ。わたしは平素立ち眩(くら)みがあるので、数百両の銀子を費やして、これらの薬を合わせたんだ。省で張旦那様が上党で役人をしていた時に持って帰って来た人参、周旦那様が四川で役人をしていた時に持って帰って来た黄連(オウレン)。おまえという奴は、「猪八戒が人参果を食べる。全く味が分からない(味音痴)」(猪八戒喫人参果zhū bā jiè chī rén shēn guǒ。歇后語(掛け言葉、なぞなぞ)で、その解は「全不知滋味」)だ。言うは易しだ。雲片糕だと。さっきあった何枚かで、何十両の銀子の値打ちがあるかは言わないが、「夜中に拳銃の先が無くなった。コソ泥の腹に突き刺さった」(半夜里不見了鎗頭子qiāng tóu zi。 これも歇后語で、解は「攮nǎng到賊肚里」 )だ。わたしがこれからまた立ち眩みが起きたら、どんな薬を持って来て治せばいいんだ?おまえという奴は、わたしを随分ひどい目に遭わせてくれるんだな。」四斗子を呼んで拜匣(役人が外出時に持って行く、事務用品などが入った木の箱)を開けさせ、帖子(書き付け)にこう書いた。「この男を湯旦那様のお役所に連れて行き、先ずこの男を数十回板子(刑罰の時に叩く棒)で叩き、その上で詮議。」操舵手はびっくりして、お追従笑いを浮かべて言った。「拙者が先ほど食べた甘いものが、薬とは知りませんでした。ただの雲片糕だと思ったのです。」厳貢生が言った。「まだ雲片糕だと言うのか。また雲片糕と言ったら、先におまえの口を何発か殴ってやるぞ。」
そう言うと、書き終えた帖子(書き付け)を、四斗子に手渡した。四斗子は急いで岸に上がると、そこにいた荷物運びの人々が船員たちのためにそれを引き留め、二艘の船の船員たちは皆慌てふためき、一斉に言った。「厳旦那様、今回はあいつが間違っていた。間違って厳旦那様のお薬を食べてはならなかったんです。けれどもやつは貧乏人で、たとえ船まで売り払っても、旦那様の数十両の銀子を償うことなんてできません。もしやつを県のお役所に送ったところで、どうしてその刑罰に耐えることができましょう?今はただ厳旦那様が恩義をお与えになり、融通を利かせ、あいつを許してくださるようお願いします。」厳貢生は怒りを発すればするほど、益々雷が落ちるように猛烈に怒り出した。荷物運びの人夫が何人か船まで走り寄って来て言った。「これは元々あなたがた船員の皆さんが間違っていた。先ほどもし急いで厳旦那に祝儀や酒代をせびっていたら、厳旦那はそんなことならばと、今頃とっくに駕籠に乗って出発していたでしょう。――あなたがたが厳旦那を引き留めたものだから、それでこの薬を捜すことになったんだ。あなたがたは今、自分が間違っていたことが分かったのだから、厳旦那様のところへ行き、その前に跪いて頭を地面に付け、許しを乞えばいいだけじゃないですか。まさかあなたがたは厳旦那の薬を弁償しないで、厳旦那はまだあなたがたにお手当をくださらないといけないと思っているんじゃないのかね?」人々は一斉に操舵手を押さえつけ、何回も頭を地面に付けさせると、厳貢生はこちらへ振り向いて言った。「あなたがた皆さんがそう言われるし、わたしもお祝い事でばたばたしていますから、しばしこの野郎のことは置いておき、折を見てやつとはゆっくり精算することにしよう。こいつが空に飛んで行ってしまう訳じゃないし。」怒りを収めると、ゆっくりと駕籠に乗り込み、荷物と小者が後に従い、あっという間にいなくなってしまった。船員たちはポカンと彼らが行くのを見送った。
厳貢生は……ゆっくりと駕籠に乗り込み、荷物と小者が後に従い、あっという間にいなくなってしまった。船員たちはポカンと彼らが行くのを見送った。
厳貢生は家に帰ると、急いで息子と嫁を連れて家族の先祖の位牌を拝み、また急いで自分の継母に出てきてもらい、息子と嫁の儀礼を受けてもらった。彼の妻はちょうど家の中で荷物の引っ越しにてんてこ舞いで、バタバタしていた。厳貢生が歩いて来て言った。「おまえ何をバタバタしているんだ?」彼の妻が言った。「あなたはまさか我が家の部屋が狭っ苦しくてどうしようもないのを知らないんじゃないでしょうね?まともな部屋はこの一間しか無いのに、しかも新しく輿入れされたお嫁さんは、大家のお嬢さんだときたら、あなたは一番いい部屋を空けて、あの子たちに住まさないの?」厳貢生が言った。「フン、俺はとっくに心づもりが出来ているさ、むやみに騒ぎなさんな。弟の家はりっぱな御殿だから、住みやすいんじゃないか?」彼の妻が言った。「弟さんのご家族は自分の家に、どうしてあなたの息子と一緒に住むの?」厳貢生が言った。「弟は子供が無いから、後嗣を立てないといけないだろう?」妻が言った。「それはだめよ。あちらはうちの五男に継がせたいのよ。」厳貢生が言った。「それはあいつらがそう言ったのか?やつらの考えなんて知ったこっちゃない。俺が弟の代わりに後嗣を立ててやるんだ、あいつらにどんな文句があるというんだ?」彼の妻はこの話を聞いて、ちょうど何のことか分からずにいると、趙氏から遣わされた人が来て言った。「奥様が大旦那様がお帰りになったと聞きましたので、大旦那様にお話しをしたいとのことで、こちらのふたりの叔父様がたも、あちらでお待ちでございます。」厳貢生がそれで弟の家にやって来ると、王徳、王仁がいたので、しばらく「なりけりべけんや」と訳の分からぬことを言った後、何人かの家事を管理する召使を呼んで言いつけた。「母屋の掃除をしてくれ。明日から次男(二相公)とその嫁が来て住むから。」趙氏はそれが聞こえ、厳貢生が彼の次男にここを継がせるつもりだと分かったので、叔父にお願いし、こう言った。「兄さん、旦那様はさっきどう言われたの?お嫁さんが来られたなら、当然裏のお部屋でしょう。わたしが変わらず前の母屋にいることで、朝晩の(亡夫への)お世話もできるんですわ。どうしてわたしがあちらに引っ越さないといけないの。嫁が母屋に住み、母が厢房(母屋の両脇の建屋)に住むなんて、この世の中、世間でそんな理屈は聞いたことがないわ。」王仁が言った。「おまえ、そう慌てないで。あの人の言われることを伺ってみよう、当然話し合って解決する方法があるはずだ。」そう言うと、出て行った。互いにいろいろ話をし、また茶を一杯飲んだ。王家の小者がやって来て言った。「ご学友、お友達が文章の勉強会にお越しになり、お待ちです。」ふたりはそこを辞して帰って行った。
厳貢生はふたりが帰るのを見送ると、椅子を引いて座り、十数人の家事を管理する召使たちを皆呼んで来て、こう言いつけた。「我が家の次男(二相公)が、明日やって来てこちらの後を継ぐ。つまりおまえたちの新しい主人だ。慎重にお仕えするように。趙さん(趙新娘。お妾なので「太太」や「奶奶」とは呼ばない)には子供がおらず、次男から見ると、あの人はお妾に過ぎない。あの人はもう母屋を使うことができないから、家の中の女性の召使たちに言いつけて、母屋以外の二間を掃除して、あの人の代わりに荷物を運んでやってくれ。母屋が空いたら、次男が来て暮らすことができるから。お互いに誤解が無いようにしないといけない。次男が自分の嫁を呼ぶ時、次男のことは「若旦那」(二相公)その嫁は「若奥様」(二奶奶)だ。何日かしたら、若奥様(二奶奶)がやって来る。趙さんが先にやって来て挨拶をし、その後で若旦那様が来てちゃんとした挨拶(作揖zuò yī。両手を組んで腰を少し屈める挨拶)をする。わたしたち郷紳の家は、こうした礼儀作法は、ちょっとした間違いも許されないのだ。おまえたちそれぞれが管理している田畑や家屋、利息の帳簿は、徹夜で人をかき集めて作業して精算を終わらせたら、先にわたしに届けて逐一細かく見る。そうすれば若様にお渡しして確認してもらうのに都合が良い。弟(二老爹)が生きていた時とは比べようがない。あの頃は妾が家のことを取り仕切り、おまえたち召使たちが訳も分からず不正をしていたんだ。今後はもしちょっとでもごまかしや隠ぺいがあったら、わたしはおまえたちに、ひとり三十発の棒叩きの罰を与え、おまけに湯旦那様のお役所に送って、給料や食事を返してもらうからな。」召使たちは承諾して下がり、大旦那はあちらに行ってしまった。
これらの召使や小間使いの女たちは大旦那の言ったことを聞くと、趙氏に引っ越しの催促にやって来たが、趙氏に一度ひどく罵られると、もう引っ越しのことは言わなくなった。ふだんは趙氏がわざと尊大に振舞い、権力を濫用するのを嫌っていたが、この時はどうしても一組の召使たちを連れ、部屋に来てこう言わざるを得なかった。「大旦那様が言いつけられたことを、わたしたちがどうして敢えて従わないことなどできましょうか?あの方が結局正当なご主人様なのです。あの方がもし真剣に腹を立てられたら、わたしたちはどうして無事で済まされるでしょうか。」趙氏は大声をあげて泣き出し、泣いてまた罵り、罵ってまた泣き、そのまま一晩中騒ぎ立てた。翌日、(趙氏を乗せた)一台の駕籠が県の役所の入口まで担いで来られた。ちょうど湯知県が朝の政務に就いたところだったので、趙氏は厳貢生 の不当な扱いを訴え出た。知県は補足して訴状を作らせ、翌日、「一族の親族に依頼し対処させる」との命令を発した。
趙氏は何席か酒席を準備し、族長に家に来ていただいた。族長の厳振先は、すなわち城中の十二都(区域の名称)の郷約(役所が任命した地域の役職)で、平素最も怖いのは厳大老官(厳貢生)であったので、今は同じ席に同席しているので、こう言うしかなかった。「わたしは族長ではあるが、今回のことはご家族が中心に決められるべきで、この家の旦那様がお決めください。わたしもただこちらで決められたことを知県様にご報告するしかありません。」かのふたりの叔父の王徳、王仁は、土でできた人形か木彫りの像のように黙って座っているばかりで、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。かの米屋をやっている趙氏の弟の趙老二や、銀を溶かす竈のふいごを引いている甥の趙老漢は、本来はこの場に出て来る資格が無かったが、ようやく口を開いて何か言おうとしていると、 厳貢生に眼を剥いて一喝され、またことばを発する勇気が無くなってしまった。ふたりは自ら心の中でそろばんを弾いて言った。「叔母さんはふだんは王家の兄さんふたりばかり頼りにし、わたしたちは相手にもしてくれない。今日は叔母さんのために厳旦那様を怒らせてしまった。「虎の頭の上でハエを叩いて」(老虎頭上撲蒼蠅lǎo hǔ tóu shàng pū cāng ying)しまって、どうしたらいいだろう?なんとか先生方にうまく決着してもらわないと。」趙氏は屏風の後ろに隠れてはいたが、状況は熱した鍋の中の蟻のように、不安で居ても立ってもいられなかった。周りの人々が皆何も言わないので、自分は屏風を隔てて旦那様方に解決をお願いしたのだが、そのいくつかは以前のもう済んだことであった。指折り数えてはまた泣き、泣いてはまた指折り数え、胸をたたいて地団太を踏んで悔しがり、ひとしきり大声で泣き腫らした。 厳貢生はそれを聞きながら、我慢できずに言った。「全くこの性悪の女ときたら、本当につまらない家の生まれだな。我々郷紳の家柄の者には、こんなやり方なんてあり得ない。わたしの気持ちを逆撫でしないでくれ。髪の毛をひっつかんで一発殴ってやって、それからすぐさま仲人を呼んで来て連れて行かせ、どこかに嫁にくれてやる!」趙氏はそれを聞いて益々大声で泣き叫び出し、叫び声は大空の雲にまで聞こえたので、走って行って彼女を捕まえ、着ているものを引き裂いてしまおうとしたが、何人かの召使や小間使いたちが諫めて止めさせた。周りの人々は見ていてこれは何事も無しでは済まされないと思い、厳貢生を押し留め、家に帰らせた。すぐさま各人は各々帰って行った。
翌日、知県への回答を相談したが、王徳、王仁が言った。「わたしたちは府学、県学の学生である生員の身分であり(身在黌宮hóng gōng)、訴訟の争い事には参与できません(片紙不入公門)。」そう言って、名を連ねるのを善しとしなかった。厳振先はただあいまいに回答するしかなく、こう言った。「趙氏は元々妾が正妻を継いだのであるが、これも法に敵ったことである。厳貢生によれば、それは法律や判例に叛くもので、自分の息子に、趙氏を母親と認めさせることはできないと言うが、それも道理である。総じて大旦那様(湯知県)の天断を待つものである。」かの湯知県も妾腹の息子であり、この回答を見て言った。「「律は大法を設け、理は人情に順(したが)う」とか。この貢生めも余計なことにちょっかいを出し過ぎるわ!」そして極めて長い裁決文を批准し、こう言った。「趙氏は既に正妻を継いだのであるから、これをただの妾と見做してはならない。もし厳貢生が息子に後を継がせたいと願わないなら、趙氏が自分で後嗣を選ぶのに任せ、有能な者、自分が愛する者を立てても構わない。」厳貢生はこの裁決文を見るや、頭の上から火がまっすぐ十数丈も燃え上がり、直ちに上申書を書いて府の役所に上告したところ、府尊(府の知事)にも妾がおり、この上申書を見て余計なことを言って来たと思い、「高要県の審査を仰ぐ」とした。知県はこの案件を審査し「既決の案件の通り処置する」と批准した。厳貢生は慌てて、省(広東省)の按察司に訴状を出したが、按察司は「細かい事案ゆえ府県での審理とする」と批准した。厳貢生はもう打つ手が無くなったので、こう思った。「周学堂(周進)様は親戚筋に当るから、都に行って、周学堂に朝廷の中央で訴状を報告してもらえば、きっと自分の息子が後嗣と認められるだろう。」この行為がまた一連の結果を引き起こした。長年名望のある文人が活躍してきたが、今回の科挙の試験でまた新たな合格者が出た。英俊な若者たちが、一挙に科挙に合格して進士になった。さて厳貢生の訴状は批准されるのでありましょうか、次回に解説いたします。






























