中国語学習者、Congziのブログ

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京都で中国語の通訳案内士をしている、Congziです。このブログでは、これまで集めた中国語書籍の翻訳を投稿しています。中国史や中国文学が中心ですが、タイトルを見ておもしろそうだった本もあり、内容は雑多。ご自由に立ち読みしていってください。

 行く先々でトラブルを起こす厳貢生。広州から高要へ移動で雇った船の船賃を踏み倒す。弟の厳監生が亡くなり、次いで子供を天然痘で亡くし、悲嘆に暮れる趙氏に対し、親族が推薦する自分の五男ではなく、ちょうど周学堂(周進)の娘と結婚して家庭を持った、自分の次男を後嗣にしようとし、怒った趙氏は、高要県の湯知県に訴えを起こす。さてその結果はどうなるのでしょうか。『儒林外史』第六回の始まりです。

 

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郷紳(厳貢生)は病いを發し船家(船員たち)を鬧(さわが)す

寡婦(未亡人の趙氏)は冤(うらみ)を含み大伯(大叔父)を控(うったえ)る

 

 さて厳監生は死を迎え、二本の指を突き出しながら、まだ息絶えるを善しとしなかった。何人かの甥っ子や召使たちがやって来てがやがやとかまびすく尋ね、ある者はふたりの人だと言い、ある者はふたつの事だと言い、ある者は二ヶ所の田地だと言い、様々に意見が入り乱れた。ただそのどれもが正しくなく、厳監生は首を振った。趙氏が人々を押し分け、進み出て言った。「旦那様、わたしだけがあなたが心の中で思っておられることが分かりますわ。あなたはあの(火屋がついていない)ランプが、二本の燈心に火が点いているから、油を浪費しているのじゃないかと、心配されているんでしょう。わたしが今、燈心の片方を外しておきますよ。」そう言うと、急いでランプの傍に行き、燈心を一本外した。周りの人々が厳監生の方を見ると、彼は何度か頷くと、手を下に垂れ、間もなく息を引き取った。一家の者は皆大声で泣き出し、遺体を棺桶に入れる準備をし、柩は母屋の真ん中の広間に安置された。

 

 夜が明けると何人かの召使や小者たちが街中に行き、厳監生が亡くなった連絡をした。一族の長の厳振先が一族の中の数人の人を引き連れ弔問に訪れ、皆引き留められて酒食を摂ると、孝布(柩に掛ける白い布)を受け取って帰って行った。趙氏には兄弟がいて、弟の趙老二は米屋で商売をしており、甥の趙老漢は彫銀の職人の店で銀を溶かす竈のふいごを吹いていたが、彼らもお供えを準備して弔問に訪れた。僧侶や道士が長方形の旗を掲げ、お経を詠み追悼供養をした。趙氏は幼い息子を連れ、朝晩柩の前で哀悼を行った。男の執事、召使、小間使いの女、女の召使たちは、皆喪服を身に着けた。屋敷の門の周りは一面白くされた。

 

 見る間に最初の七日が過ぎ、王徳、王仁が科挙の試験から戻って来て、揃って弔問にやって来て、屋敷に留まり一日を過ごした。また三四日して、厳大老官(厳貢生のこと)も省城(省の中心都市。ここでは広州を指す)で科挙の試験を受けて戻って来た。何人かの子供たちは皆こちらの広間にいた。大老爹(大旦那。厳貢生のこと)は荷物を下ろすと、細君と一緒に座り、水を持って来させて顔を洗っていると、早くも弟の家族のひとりの乳母が、ひとりの小者を連れ、両手でお盆に載せた毛氈の包みを捧げ持ち、歩いて来て言った。「奥様より旦那様にご挨拶申し上げます。旦那様がお越しになられたと伺いましたが、最愛の夫を亡くしたばかりで、こちらに罷り出てご挨拶する訳にまいりません。この二組の衣服と銀子は、ご主人様が臨終の折に言いつけられたのですが、旦那様にお贈りして記念としてほしいとのことです。どうか旦那様お収めください。」

 

 厳貢生が包みを開いて見ると、真新しい二組の緞子の衣服と、きれいに並べられた二百両の銀子であったので、心から嬉しく思い、すぐさま妻に手伝わせて八分の銀子を入れた紅包を作り、乳母に手渡すと、こう言った。「奥様にご返答ください。誠にありがとうございました。わたしはすぐ参りますので。」乳母と小者を遣わすと、衣裳と銀子を仕舞い、また細君に細かく尋ねたところ、子供たちも皆奥様から餞別をいただいたが、この衣服と銀子は自分にだけ贈られたものであると知った。尋ね終わると、孝巾(葬儀の時に親族が被る白い頭巾)を被り、一本の白い布の腰絰を締め、祭壇の方にやって来た。柩の前で「弟よ」と叫ぶと、大声で泣き声を上げ、跪いて二度頭を下げた。趙氏は最も重い喪服を身に着け、出て来て頭を下げお礼を言った。また息子に跪いて叔父に向け頭を下げさせ、泣きながら言った。「わたしたちは辛い運命にあります。この子の父親は人生半ばで世を去り、全て旦那様におすがりし、わたしたちに代わって中心になっていただかないといけません。」厳貢生が言った。「奥さん、人生はそれぞれ生まれつき決められた寿命があります。弟は既に天に召されてしまい、あなたは今はこの良い息子さんを頼りに、ゆっくり息子さんと共に暮らしていってください。何をそう焦られるのですか?」趙氏はまた謝意を述べ、書斎に、食事を並べてふたりの叔父にお相伴をしていただいた。

 

 しばらくして、叔父たちが来て、両手をこまぬき腰をかがめる礼をして、席に着いた。王徳が言った。「弟は平素は身体が丈夫でありましたのに、どうしたことか突然病いにかかり寝たきりになり、わたしたち近親の者も、会ってお別れを告げることができず、とても心が痛むことでした。」厳貢生が言った。「おふたりのご親族だけでなく、わたしたち兄弟も、臨終の際に顔を見ることができませんでした。けれど昔から「公のため私を忘れ、国事のため家事を忘れる」と申します。科挙の試験は朝廷(国家)が人材を選抜する重大な儀式であり、わたしたちが朝廷のために仕事をする時は、私情をさしはさまず、またやましい心を持たないようにしなければなりません。」王徳が言った。「大先生は省城では、半年近くおられたのですか?」厳貢生が言った。「正に。前任の学政の周先生(周進)がわたしを推挙いただき、貢生に合格させていただきました。周先生のご親族がこの省城にお住まいで、応天府(今の南京)管轄下の巣県の担当となりましたので、省城(広州)に行き先生にお会いしました。思いがけず、お目にかかるや古い友人に会ったようで、そこに留まり数ヶ月暮らしておりましたが、わたしの家族と婚姻関係を結びたいと言われ、再三あちらの下のご令嬢をわたしの下の息子に嫁入りさせたいと要望されました。」王仁が言った。「省城ではあちら様のお宅にお住まいだったのですか?」厳貢生が言った。「張静斎の家に住んでおりました。彼も県令をしていたことがあり、湯知県様とはお父君の代から交際のある友人です。湯知県様がお役所にお勤めの時に宴席に同席して知り合い、交際が始まりました。周先生のご親族は皆、静斎先生が仲人を務められたのです。」王仁が言った。「けれどもあの時は範という姓の孝廉(科挙に合格した挙人の呼称のひとつ)とご一緒でしたね。」厳貢生が言った。「正にその通りです。」王仁は目配せして兄の王徳に言った。「兄さん、しかし確かあの時は回教徒たちの騒動が起こったんでしたね。」王徳は「ははっ」と冷ややかに笑い声を上げた。

 

 しばらくして酒が並べられ、飲みながらの談笑となった。王徳が言った。「今年は湯知県様は試験官をされたのですか?」王仁が言った。「兄さん、あなたはご存じなかったのですか?湯知県様が前回試験官をされた時、「時代遅れの古臭い」(陳猫古老鼠)文章を採って合格させたので、今回は試験官に選ばれませんでした。今回の十数人の試験官は、皆若い進士で、専ら才気ある文章を採用するようにしています。」厳貢生が言った。「それはしかし間違っています。才気にも決まりがあるべきで、もし問題の題目の要求に従わず、むやみに見かけの賑わいや派手さを追求するのでは、まさかそれを才気があると見做すって訳じゃないでしょう?そこへいくとわたしが知る周先生は、極めて深い洞察眼を持たれていて、試験でトップの成績を点けるのは、試験の題目や文章の決まりに則った、経験を積んだ受験生に対してであり、今回の科挙の試験でも、やはりこうした当地でもよく知られた才子の中から合格者が出ました。」厳貢生がこんな話をしたのも、この王兄弟ふたりが、周宗師(周進)が試験官を務めた科挙の試験では、二等の成績しか取ることができなかったからである。ふたりはこの話を聞いて、心の中ではなるほどと納得し、もうこれ以上あれこれ議論しなかった。酒席がお開きになろうという時に、また先日の訴訟の話になった。「湯知県様はたいへんお怒りになったのですが、幸い弟の監生様が周旋してくださり、事を収めていただきました。」厳貢生が言った。「これは亡き弟が良くない。もしわたしが家にいたら、湯知県様に申し上げて、王小二や黄夢統といった輩(やから)なんて、脚をへし折ってやっていた。いっぱしの郷紳の家の者として、平民如きのこのような無礼は、赦すわけにはいかない。」王仁が言った。「凡そ何事も、温厚にしているのが宜しいですぞ。」厳貢生は顔を真っ赤にし、また互いに勧め合って何杯か酒を飲んだ。乳母が子供を抱いて出て来て言った。「奥様が旦那様に聞いてきてくれと言われているのですが、弟君はいつ葬儀を行われるのでしょうか?また今年はどちらの山の方向が吉なのか分からないのです。先祖代々の墓地(祖塋zǔ yíng)であれば埋葬できますが、それとも別に土地を捜さないといけないのでしょうか?旦那様にたいへんご心配をおかけして申し訳ありませんが、おふたりの叔父様とご相談ください。」厳貢生が言った。「奥様に申し上げてください。わたしは家にあまり長く居ることができないのです。下の相公(科挙に合格し秀才になった人への尊称。厳貢生の二番目の息子)と一緒に省城に行き、周先生のお屋敷であちら様と婚約の儀を結ばないといけません。お宅の旦那様のことはこちらのふたりの叔父様に託されるのが宜しいでしょう。先祖代々の墓地に埋葬できず、別に土地を捜す必要があるなら、わたしが帰って来てからご相談しましょう。」そう言うと、暇乞いをし、立ち上がって出て行った。ふたりの叔父も帰って行った。

 

 何日かして、大旦那は果たして下の息子を連れて省城(広州)へ行った。趙氏は家の中のことを切り盛りし、真に富の蓄積が莫大(銭過北斗qián guò běi dǒu)で、食べきれずに腐った米で倉が一杯になり(米爛成倉mǐ làn chéng cāng)、家の中では召使が群れを成し、牛馬が行列を作り、幸福な生活を送っていた。思いがけず天の神様は人間社会の苦しみを理解されず、善人を援けてくださらなかった。かの男の子は天然痘を発症し、ある日発熱し、医者が来て診たが、病状は危険な状態だと言い、薬には犀の角、黄連(オウレン)、人の歯を焼いて粉末にしたものを用いたが、汗で熱を下げることができず、趙氏は慌てて至る処で神頼みをしたが、何れも効果が無かった。七日目には、白くぽっちゃりしていた男の子は、あの世に逝ってしまった。趙氏のこの時の悲しみといったら、前の奥様の王氏や亡くなったご主人の厳監生と時とは比べられない程甚だしく、ずっと泣き続けて涙も出なくなってしまった。丸々三日三晩泣いた後、子供の亡骸は送り出された。家人がふたりの叔父に来てもらって相談し、本家の五番目の甥っ子を後嗣に立てることにしたが、ふたりの叔父は躊躇して言った。「この件については、わたしたしは決めることができません。ましてや大先生がご不在で、甥御さんはあの方のお子さんですから、奥様ご自身がお願いすべきことです。わたしたちがどうして決めることができましょう。」趙氏が言った。「お兄様、あなたの妹さんのご主人が残された数両の銀子の値打ちのあるりっぱな家具ですが、今は正当な持ち主がお亡くなりになり、これらの召使や小者たちは皆頼るところが無く、この後嗣を立てることは一刻も猶予が無いのです。あちらの叔父様がいつ戻って来られるかご存じありませんか?お隣の五番目の甥御さんはやっと十一二歳になられたばかりで、後嗣に立たれても、ひょっとしてわたしがあの方を好きになれず、ちゃんとご指導できないかもしれません。あの方の実のお母さまがもしこのことを知ったら、もろ手を挙げて送り出せないことを恨めしく思われるでしょう。たとえあちらの叔父様が戻って来られても、そんなこと申し上げられません。あなたがた叔父に当る方が、どうしてお決めになることができないのですか?」王徳が言った。「それもそうだね。わたしたちが行って、奥様の代わりに説得してみよう。」王仁が言った。「兄さん、なんてことを言うんだ。後嗣を決めるような大事なことを、わたしたち一族以外の者が、どうして勝手に決められるというんだ。今奥様がたいへん急いておられるなら、我々兄弟ふたりが一筆書いて、こちらの誰か召使を、夜に昼継いで省城に行かせ、大先生にお願いして帰って来ていただき、相談するしかないね。」王徳が言った。「それが一番いい。おそらく大先生が帰って来られても、どうなるか分からないが。」王仁は首を振り、笑って言った。「兄さん、そのことはまた考えないといけないけど、でもそうするしかないよ。」趙氏はこの話を聞いて、ちんぷんかんぷんでどうしてよいか分からなかったが、その言葉に従わざるを得ず、手紙を一通書くと、召使の来富を遣わし、夜に昼継いで省城に大旦那様を迎えに行った。

 

 来富は省城(広州)に着くと、大旦那様が逗留されている高底街(実際は高第街。 厳貢生 の息子の結婚相手の周進の屋敷)を尋ねた。逗留処の門のところに着くと、四人の赤と黒の帽子を被った男たちが、手に鞭を持ち、門のあたりに立っていたので、来富はびっくりして、中に入って行くことができなかった。しばらく立っていると、大旦那と一緒にいる召使の四斗子が出て来たので、それでようやく彼に言って一緒に建物の中に入った。広々とした広間が見え、その真ん中に一台の装飾を施した駕籠(彩轎)が置かれ、駕籠の傍らには日除けの傘が立ててあり、日傘の上には「即補県正堂」(「候補知県」の意味で、官職の空きが出て知事の任命を待つ官吏のこと)の文字が貼られていた。四斗子が中に入って大旦那様にお出ましを乞うと、頭に紗帽を被り、丸い襟に前後に官位を表わす「補子」を縫い付けた官服を身に着け、足元にはピンク色の靴底の皂靴(礼装用の長靴)を履いていて、来富は前に進み出て跪いて頭を地面に付ける礼をし、信書を手渡した。大旦那は信書を受取り中を読むと、言った。「了解した。我が家の下の息子が慶び事の最中である。おまえはしばしここで待て。」来富はそこを下がり、厨房へ行くと、厨房に席が設えてあった。新郎の部屋は階上にあり、仲人の張静斎の部屋には色鮮やかな婚礼の飾りが為されていたが、来富はそれを見に行く勇気が無かった。そのまま陽が西に傾くまで、ひとりのお祝いの楽隊の楽器吹きもやって来なかった。婿殿である厳家の坊ちゃんは、真新しい方巾を被り、赤い上着を羽織り、頭には花を挿していたが、前に後ろに往き来しながら落ち着かない様子で、楽器の吹き手がどうして来ないのか尋ねた。大旦那は広間で大声を張り上げ、四斗子に早く楽隊に伝えるよう言った。四斗子が言った。「今日は良い日柄で、ひとつの楽隊に八銭では、楽器吹きも来てくれないのに、旦那様は楽器吹きに二銭四分の質の悪い銀(銀の含有量の少ない質の悪い銀)しかお出しにならないうえに、おまけにそこから二分の(計量の)誤差を差っ引いた上、張様のお屋敷の人に催促に行ってもらうんだから。旦那様は今日承諾してくれた楽隊がいくつあるかご存じ無い。彼らがこんな時にどうして来るもんですか。」大旦那は怒って言った。「この糞ったれ。早く行って呼んで来い。来るのが遅れたら、おまえも一緒にぶっ叩くぞ。」四斗子は口をとがらせながら、道々ずっと不満たらたら言いながら出て行き、言った。「朝からこの時間まで、一杯の飯さえくれずに、こともあろうにこんな面倒事を押し付けてくるんだから。」そう言うと、出て行った。

 

 そうして灯点し頃となり、四斗子も帰って来ていなかったが、新婦を運ぶ駕籠かきや赤と黒の帽子を被った男たちがまた酷く催促するものだから、広間の客たちが言った。「もう楽器の吹き手を待たなくていい。良い頃合いになったから、ひとまず新婦をお迎えしよう。」掌扇(儀仗用の長い柄の付いた扇)が担ぎ上げられ、四人の赤と黒の帽子を被った男たちが先導し、来富は駕籠の後ろに従い、真っ直ぐ周家にやって来た。かの周家は広間が甚だ大きく、いくつものランプが点されていたが、天井の方は薄暗かった。ここには楽器を奏でる楽隊がおらず、四人の赤と黒の帽子を被った男たちだけが、代わる代わる号令をかけ、真っ暗な天井の下で大声を上げ、止むことがなかった。来富はそれを見て、申し訳なく思い、彼らがもう叫ばなくていいと思った。家の中では、こう言いつける者がいた。「厳旦那様に申し上げます。楽隊の演奏が始まれば、新婦をお迎えする駕籠を出発させます。演奏が無ければ駕籠は出しません。」ちょうどすったもんだ騒いでいると、四斗子がふたりの楽器奏者を連れて戻って来た。ひとりは簫吹き、ひとりは太鼓叩きで、広間でブーブーダンダンと音を出したが、一向にちゃんとしたメロディーにならなかった。両側で聞いていた人たちの笑い声が止まらなかった。周家の人々はしばらくあれこれガヤガヤと騒いでいたが、どうしようもなく、新婦を乗せた駕籠を出発させざるを得なかった。新婦が嫁入りしたが、詳細は言うまでもない。

 

 十日目の朝を迎え、来富と四斗子に二艘の高要行きの船の契約をさせた。かの船主(船家)は高要県の人で、二艘の大船は銀十二両、高要に着いたら金を払うという契約だった。一艘には新郎新婦が乗り、一艘には厳貢生が自ら乗った。吉日を選び、肉親にお別れを言い、「巣県正堂」(「巣県」は今の安徽巢湖市一帯。正堂は役所のこと。厳貢生は巣県の知県に任命された)の金文字の扁額を借り、「粛静」(静かに)、「回避」(道を譲れ)の白い看板を掲げ、四本の門槍(儀仗用の槍)を船に挿し、また一隊の楽器奏者を呼び、銅鑼を鳴らし儀仗用の傘を掲げ、楽器を奏でながら船に乗り込んだ。船主はたいへん怖れて、注意深くお世話をしたが、旅の過程では特に言うこともない。

 

 

 その日、やがて高要県に着こうとし、あと二三十里の道のりであった。厳貢生は船上に座っていて、ふと眠気がさしてきて、両眼がぼんやりし、口の中がむかむかし、何度も透明な痰を吐き出した。来富と四斗子が両側から腕を支えていたが、今にも倒れそうになった。厳貢生は、口では「もうだめだ、だめだ。」と言うばかりで、四斗子に言って急いで厳貢生を横にならせ、直ちにやかんに一杯お湯を沸かして来させた。四斗子が厳貢生を横にならせると、何度も繰り返しうめき声を上げた。四斗子は慌てて船員とお湯を沸かすと、客室に持って入って来た。厳貢生は鍵で箱を開けると、雲片糕(もち米粉、砂糖、油を煉った、ねっとり柔らかいお菓子で、薄く切って食べる)を一塊(かたまり)取り出した。一枚一枚薄く切られていて、何枚か剥がして食べ、お腹の中でもまれて、二発も大きな屁が出ると、たちまち良くなった。残った何片かの 雲片糕は、後鵞口板(船尾の舵手の位置を遮る板)の上に置いておいたが、しばらくはそのまま確認にも来なかった。かの操舵長はたいへん食いしん坊であったので、左手で舵を支えながら、右手で雲片糕をつまんでは、一枚一枚口の中に入れた。厳貢生はただ見ていないふりをするしかなかった。

 

 しばらくして、船は船着き場に停泊した。厳貢生は来富に言って速やかに二台の駕籠を呼んで来させ、人員を配置し、次男と新婦を先に家に送った。また船着き場の人夫に荷物を岸に揚げさせ、自分の荷物も岸に揚げた。船員や水夫たちが皆やって来て、祝儀の銭を催促した。厳貢生が身体の向きを変えて船倉に入ると、そわそわ落ち着かない様子で、部屋の四方を見回すと、四斗子に尋ねて言った。「わたしの薬をどこへやったんだ?」四斗子が言った。「何の薬があったんですか?」厳貢生が言った。「さっきわたしが食べたのは、薬じゃないのか?確かに甲板の上に置いておいたんだ。」かの操舵手が言った。「おそらくさっき甲板の上に置かれた数枚の雲片糕のことでしょう。あれは旦那様が残されて、もう要らないと思ったので、拙者が畏れながら食べてしまいました。」厳貢生が言った。「こんな安物の雲片糕を食べたのか。おまえはその中にどんなものが入っていたか分かるか?」操舵手が言った。「雲片糕は瓜仁(ヒマワリの種の中身)、胡桃、砂糖、小麦粉で作ったものに過ぎないのに、何が入っているんですか?」厳貢生が腹を立てて言った。「何をばかなことを言っているんだ。わたしは平素立ち眩(くら)みがあるので、数百両の銀子を費やして、これらの薬を合わせたんだ。省で張旦那様が上党で役人をしていた時に持って帰って来た人参、周旦那様が四川で役人をしていた時に持って帰って来た黄連(オウレン)。おまえという奴は、「猪八戒が人参果を食べる。全く味が分からない(味音痴)」(猪八戒喫人参果zhū bā jiè chī rén shēn guǒ。歇后語(掛け言葉、なぞなぞ)で、その解は「全不知滋味」)だ。言うは易しだ。雲片糕だと。さっきあった何枚かで、何十両の銀子の値打ちがあるかは言わないが、「夜中に拳銃の先が無くなった。コソ泥の腹に突き刺さった」(半夜里不見了鎗頭子qiāng tóu zi。 これも歇后語で、解は「nǎng到賊肚里」 )だ。わたしがこれからまた立ち眩みが起きたら、どんな薬を持って来て治せばいいんだ?おまえという奴は、わたしを随分ひどい目に遭わせてくれるんだな。」四斗子を呼んで拜匣(役人が外出時に持って行く、事務用品などが入った木の箱)を開けさせ、帖子(書き付け)にこう書いた。「この男を湯旦那様のお役所に連れて行き、先ずこの男を数十回板子(刑罰の時に叩く棒)で叩き、その上で詮議。」操舵手はびっくりして、お追従笑いを浮かべて言った。「拙者が先ほど食べた甘いものが、薬とは知りませんでした。ただの雲片糕だと思ったのです。」厳貢生が言った。「まだ雲片糕だと言うのか。また雲片糕と言ったら、先におまえの口を何発か殴ってやるぞ。」

 

 そう言うと、書き終えた帖子(書き付け)を、四斗子に手渡した。四斗子は急いで岸に上がると、そこにいた荷物運びの人々が船員たちのためにそれを引き留め、二艘の船の船員たちは皆慌てふためき、一斉に言った。「厳旦那様、今回はあいつが間違っていた。間違って厳旦那様のお薬を食べてはならなかったんです。けれどもやつは貧乏人で、たとえ船まで売り払っても、旦那様の数十両の銀子を償うことなんてできません。もしやつを県のお役所に送ったところで、どうしてその刑罰に耐えることができましょう?今はただ厳旦那様が恩義をお与えになり、融通を利かせ、あいつを許してくださるようお願いします。」厳貢生は怒りを発すればするほど、益々雷が落ちるように猛烈に怒り出した。荷物運びの人夫が何人か船まで走り寄って来て言った。「これは元々あなたがた船員の皆さんが間違っていた。先ほどもし急いで厳旦那に祝儀や酒代をせびっていたら、厳旦那はそんなことならばと、今頃とっくに駕籠に乗って出発していたでしょう。――あなたがたが厳旦那を引き留めたものだから、それでこの薬を捜すことになったんだ。あなたがたは今、自分が間違っていたことが分かったのだから、厳旦那様のところへ行き、その前に跪いて頭を地面に付け、許しを乞えばいいだけじゃないですか。まさかあなたがたは厳旦那の薬を弁償しないで、厳旦那はまだあなたがたにお手当をくださらないといけないと思っているんじゃないのかね?」人々は一斉に操舵手を押さえつけ、何回も頭を地面に付けさせると、厳貢生はこちらへ振り向いて言った。「あなたがた皆さんがそう言われるし、わたしもお祝い事でばたばたしていますから、しばしこの野郎のことは置いておき、折を見てやつとはゆっくり精算することにしよう。こいつが空に飛んで行ってしまう訳じゃないし。」怒りを収めると、ゆっくりと駕籠に乗り込み、荷物と小者が後に従い、あっという間にいなくなってしまった。船員たちはポカンと彼らが行くのを見送った。

 

 

 厳貢生は……ゆっくりと駕籠に乗り込み、荷物と小者が後に従い、あっという間にいなくなってしまった。船員たちはポカンと彼らが行くのを見送った。

 

 

 厳貢生は家に帰ると、急いで息子と嫁を連れて家族の先祖の位牌を拝み、また急いで自分の継母に出てきてもらい、息子と嫁の儀礼を受けてもらった。彼の妻はちょうど家の中で荷物の引っ越しにてんてこ舞いで、バタバタしていた。厳貢生が歩いて来て言った。「おまえ何をバタバタしているんだ?」彼の妻が言った。「あなたはまさか我が家の部屋が狭っ苦しくてどうしようもないのを知らないんじゃないでしょうね?まともな部屋はこの一間しか無いのに、しかも新しく輿入れされたお嫁さんは、大家のお嬢さんだときたら、あなたは一番いい部屋を空けて、あの子たちに住まさないの?」厳貢生が言った。「フン、俺はとっくに心づもりが出来ているさ、むやみに騒ぎなさんな。弟の家はりっぱな御殿だから、住みやすいんじゃないか?」彼の妻が言った。「弟さんのご家族は自分の家に、どうしてあなたの息子と一緒に住むの?」厳貢生が言った。「弟は子供が無いから、後嗣を立てないといけないだろう?」妻が言った。「それはだめよ。あちらはうちの五男に継がせたいのよ。」厳貢生が言った。「それはあいつらがそう言ったのか?やつらの考えなんて知ったこっちゃない。俺が弟の代わりに後嗣を立ててやるんだ、あいつらにどんな文句があるというんだ?」彼の妻はこの話を聞いて、ちょうど何のことか分からずにいると、趙氏から遣わされた人が来て言った。「奥様が大旦那様がお帰りになったと聞きましたので、大旦那様にお話しをしたいとのことで、こちらのふたりの叔父様がたも、あちらでお待ちでございます。」厳貢生がそれで弟の家にやって来ると、王徳、王仁がいたので、しばらく「なりけりべけんや」と訳の分からぬことを言った後、何人かの家事を管理する召使を呼んで言いつけた。「母屋の掃除をしてくれ。明日から次男(二相公)とその嫁が来て住むから。」趙氏はそれが聞こえ、厳貢生が彼の次男にここを継がせるつもりだと分かったので、叔父にお願いし、こう言った。「兄さん、旦那様はさっきどう言われたの?お嫁さんが来られたなら、当然裏のお部屋でしょう。わたしが変わらず前の母屋にいることで、朝晩の(亡夫への)お世話もできるんですわ。どうしてわたしがあちらに引っ越さないといけないの。嫁が母屋に住み、母が厢房(母屋の両脇の建屋)に住むなんて、この世の中、世間でそんな理屈は聞いたことがないわ。」王仁が言った。「おまえ、そう慌てないで。あの人の言われることを伺ってみよう、当然話し合って解決する方法があるはずだ。」そう言うと、出て行った。互いにいろいろ話をし、また茶を一杯飲んだ。王家の小者がやって来て言った。「ご学友、お友達が文章の勉強会にお越しになり、お待ちです。」ふたりはそこを辞して帰って行った。

 

 厳貢生はふたりが帰るのを見送ると、椅子を引いて座り、十数人の家事を管理する召使たちを皆呼んで来て、こう言いつけた。「我が家の次男(二相公)が、明日やって来てこちらの後を継ぐ。つまりおまえたちの新しい主人だ。慎重にお仕えするように。趙さん(趙新娘。お妾なので「太太」や「奶奶」とは呼ばない)には子供がおらず、次男から見ると、あの人はお妾に過ぎない。あの人はもう母屋を使うことができないから、家の中の女性の召使たちに言いつけて、母屋以外の二間を掃除して、あの人の代わりに荷物を運んでやってくれ。母屋が空いたら、次男が来て暮らすことができるから。お互いに誤解が無いようにしないといけない。次男が自分の嫁を呼ぶ時、次男のことは「若旦那」(二相公)その嫁は「若奥様」(二奶奶)だ。何日かしたら、若奥様(二奶奶)がやって来る。趙さんが先にやって来て挨拶をし、その後で若旦那様が来てちゃんとした挨拶(作揖zuò yī。両手を組んで腰を少し屈める挨拶)をする。わたしたち郷紳の家は、こうした礼儀作法は、ちょっとした間違いも許されないのだ。おまえたちそれぞれが管理している田畑や家屋、利息の帳簿は、徹夜で人をかき集めて作業して精算を終わらせたら、先にわたしに届けて逐一細かく見る。そうすれば若様にお渡しして確認してもらうのに都合が良い。弟(二老爹)が生きていた時とは比べようがない。あの頃は妾が家のことを取り仕切り、おまえたち召使たちが訳も分からず不正をしていたんだ。今後はもしちょっとでもごまかしや隠ぺいがあったら、わたしはおまえたちに、ひとり三十発の棒叩きの罰を与え、おまけに湯旦那様のお役所に送って、給料や食事を返してもらうからな。」召使たちは承諾して下がり、大旦那はあちらに行ってしまった。

 

 これらの召使や小間使いの女たちは大旦那の言ったことを聞くと、趙氏に引っ越しの催促にやって来たが、趙氏に一度ひどく罵られると、もう引っ越しのことは言わなくなった。ふだんは趙氏がわざと尊大に振舞い、権力を濫用するのを嫌っていたが、この時はどうしても一組の召使たちを連れ、部屋に来てこう言わざるを得なかった。「大旦那様が言いつけられたことを、わたしたちがどうして敢えて従わないことなどできましょうか?あの方が結局正当なご主人様なのです。あの方がもし真剣に腹を立てられたら、わたしたちはどうして無事で済まされるでしょうか。」趙氏は大声をあげて泣き出し、泣いてまた罵り、罵ってまた泣き、そのまま一晩中騒ぎ立てた。翌日、(趙氏を乗せた)一台の駕籠が県の役所の入口まで担いで来られた。ちょうど湯知県が朝の政務に就いたところだったので、趙氏は厳貢生 の不当な扱いを訴え出た。知県は補足して訴状を作らせ、翌日、「一族の親族に依頼し対処させる」との命令を発した。

 

 

 趙氏は何席か酒席を準備し、族長に家に来ていただいた。族長の厳振先は、すなわち城中の十二都(区域の名称)の郷約(役所が任命した地域の役職)で、平素最も怖いのは厳大老官(厳貢生)であったので、今は同じ席に同席しているので、こう言うしかなかった。「わたしは族長ではあるが、今回のことはご家族が中心に決められるべきで、この家の旦那様がお決めください。わたしもただこちらで決められたことを知県様にご報告するしかありません。」かのふたりの叔父の王徳、王仁は、土でできた人形か木彫りの像のように黙って座っているばかりで、「はい」とも「いいえ」とも言わなかった。かの米屋をやっている趙氏の弟の趙老二や、銀を溶かす竈のふいごを引いている甥の趙老漢は、本来はこの場に出て来る資格が無かったが、ようやく口を開いて何か言おうとしていると、 厳貢生に眼を剥いて一喝され、またことばを発する勇気が無くなってしまった。ふたりは自ら心の中でそろばんを弾いて言った。「叔母さんはふだんは王家の兄さんふたりばかり頼りにし、わたしたちは相手にもしてくれない。今日は叔母さんのために厳旦那様を怒らせてしまった。「虎の頭の上でハエを叩いて」(老虎頭上撲蒼蠅lǎo hǔ tóu shàng pū cāng ying)しまって、どうしたらいいだろう?なんとか先生方にうまく決着してもらわないと。」趙氏は屏風の後ろに隠れてはいたが、状況は熱した鍋の中の蟻のように、不安で居ても立ってもいられなかった。周りの人々が皆何も言わないので、自分は屏風を隔てて旦那様方に解決をお願いしたのだが、そのいくつかは以前のもう済んだことであった。指折り数えてはまた泣き、泣いてはまた指折り数え、胸をたたいて地団太を踏んで悔しがり、ひとしきり大声で泣き腫らした。 厳貢生はそれを聞きながら、我慢できずに言った。「全くこの性悪の女ときたら、本当につまらない家の生まれだな。我々郷紳の家柄の者には、こんなやり方なんてあり得ない。わたしの気持ちを逆撫でしないでくれ。髪の毛をひっつかんで一発殴ってやって、それからすぐさま仲人を呼んで来て連れて行かせ、どこかに嫁にくれてやる!」趙氏はそれを聞いて益々大声で泣き叫び出し、叫び声は大空の雲にまで聞こえたので、走って行って彼女を捕まえ、着ているものを引き裂いてしまおうとしたが、何人かの召使や小間使いたちが諫めて止めさせた。周りの人々は見ていてこれは何事も無しでは済まされないと思い、厳貢生を押し留め、家に帰らせた。すぐさま各人は各々帰って行った。

 

 翌日、知県への回答を相談したが、王徳、王仁が言った。「わたしたちは府学、県学の学生である生員の身分であり(身在黌宮hóng gōng)、訴訟の争い事には参与できません(片紙不入公門)。」そう言って、名を連ねるのを善しとしなかった。厳振先はただあいまいに回答するしかなく、こう言った。「趙氏は元々妾が正妻を継いだのであるが、これも法に敵ったことである。厳貢生によれば、それは法律や判例に叛くもので、自分の息子に、趙氏を母親と認めさせることはできないと言うが、それも道理である。総じて大旦那様(湯知県)の天断を待つものである。」かの湯知県も妾腹の息子であり、この回答を見て言った。「「律は大法を設け、理は人情に順(したが)う」とか。この貢生めも余計なことにちょっかいを出し過ぎるわ!」そして極めて長い裁決文を批准し、こう言った。「趙氏は既に正妻を継いだのであるから、これをただの妾と見做してはならない。もし厳貢生が息子に後を継がせたいと願わないなら、趙氏が自分で後嗣を選ぶのに任せ、有能な者、自分が愛する者を立てても構わない。」厳貢生はこの裁決文を見るや、頭の上から火がまっすぐ十数丈も燃え上がり、直ちに上申書を書いて府の役所に上告したところ、府尊(府の知事)にも妾がおり、この上申書を見て余計なことを言って来たと思い、「高要県の審査を仰ぐ」とした。知県はこの案件を審査し「既決の案件の通り処置する」と批准した。厳貢生は慌てて、省(広東省)の按察司に訴状を出したが、按察司は「細かい事案ゆえ府県での審理とする」と批准した。厳貢生はもう打つ手が無くなったので、こう思った。「周学堂(周進)様は親戚筋に当るから、都に行って、周学堂に朝廷の中央で訴状を報告してもらえば、きっと自分の息子が後嗣と認められるだろう。」この行為がまた一連の結果を引き起こした。長年名望のある文人が活躍してきたが、今回の科挙の試験でまた新たな合格者が出た。英俊な若者たちが、一挙に科挙に合格して進士になった。さて厳貢生の訴状は批准されるのでありましょうか、次回に解説いたします。

 厳貢生が近隣の人などに不当な仕打ちを行ったため二件の訴訟を起こされ、省城へ逃げて行ってしまったため、弟の厳監生は妻のふたりの兄にお願いし、ふたりは相手と和解して訴訟を取り下げさせることに成功します。厳監生は正妻の王氏が病いでもう余命が長くなく、世継ぎを生んでいなかったので、王氏のふたりの兄により、男の子を生んだ妾の趙氏を正妻に立てることで、親類縁者の同意を取り付けます。ところが、厳監生も病いに侵され、最期の時が近づきます。『儒林外史』第五回をお読みください。

 

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王秀才は偏房(妾)を(正妻に)立てるを議し

厳監生は(やまい)で正寝(母屋)にて(一生を)終える

 

 さて、回教徒たちは湯知県(知事)が彼らの代表に首枷(くびかせ)を嵌め殺してしまったので、騒ぎを起こしそうになり、県の役所を水も漏らさぬ程に取り囲み、人々は口々に、張静斎を引っ張り出して叩き殺しさえすればいいと主張した。知県(知事)は大いに驚き、細かく役所の中で問い質すと、ようやく役所内の人間から外に情報が漏れ伝わったことが分かった。 知県は言った。「わたしがこれ以上だめな人間だとしても、つまるところこの県の主として、彼らはわたしをどうしようと言うのだ?もし憤(いきどお)った群衆が役所に押し入り、張兄さんの姿を見つければ、事態は収まりがつかなくなる。今はなんとかして先ず張兄さんを逃がし、ここから離れさせることが肝要だ。」急いで何人か腹心の役人たちを呼んで来て相談した。幸い、役所の後方は北側の城壁にすぐ接していたので、何人かの役人を、先にこっそり城外に行かせ、縄で張、範の二名を繋(つな)いで行き、藍染の衣服、藁で編んだ帽子や草履に着替えさせ、街道を避け細い裏道を尋ねながら進み、びっくりしてあちこち動き回り(忙忙如葬家之狗)、網から逃げる魚のようにバタバタし、夜通し道を捜しながら省城まで帰って行った。

 

 ここ高要県(広東省‌肇慶市の一部)では学師(県の儒学学校の教師)、典史(下級の文官)らが総出で人々を慰撫し、あれこれ楽観的な話をしたので、集まった回教徒たちは次第に帰って行った。湯知県はこうした状況を細かく報告書に記し、報告は按察司(司法や役人の規律を調べる機関)の知るところとなった。按察司は文書を書いて知県に檄を飛ばした。湯知県は按察司にお目にかかり、紗帽をもぎ取ると、ひたすら跪いて額(ぬか)ずいた。按察司は言った。「理屈から言えば、今回の件はそなた、湯旦那様もいささか軽率であらせましたぞ。しかし首枷(くびかせ)を付け責めるのはまあよろしい。どうしてわざわざ牛肉を枷(かせ)の上に積まなければならなかったのですかな。これがどんな刑法になるのですかな。けれどもこうした狡猾な訴訟ざたも長くは続かんでしょう。こちらでは何人かの頭目に対して、できるだけ法律の通りに処分せざるを得ません。あなたはしかし役所に戻って手続きをされる際は、凡そなんでももう少しよく考慮され、気ままな対応はやめてくだされ。」湯知県はまた跪いて言った。「今回のことは、わたしが間違っていたのです。大殿様が守ってくださったおかげで、真に天地父母のご恩に浴することができ、今後は過ちを必ず改めるべきと知りました。けれども大殿様の裁決が明白であったので、これら何人かを頭目とする連中は、更に大殿様に当県についても処分するよう求めるでしょうから、それがしの面子も保たれることになりましょう。」按察司もこの申し入れを承諾した。知県は叩頭して感謝を表し出てくると、高要に帰って行った。しばらく経って、果たして五人を頭目とする回教徒たちを、役所の審判の結果、被告らが官府を脅迫したと見做され、法律に基づき首枷の責めを負い、当県にて処分するよう発令された。知県は判決文を見て、高札に掲げて貼り出した。翌日の早朝、横柄な様子で役所を出ると、回教徒たちを処分した。

 

 ちょうど役所から退こうとしていると、ふたりの人が「お待ちくだされ。」と叫びながら入って来るのが見え、知県(湯知事)はお付きの者に問い質させた。ひとりは王小二といい、貢生の厳大位のすぐ隣に住んでいた。昨年三月のうちに、厳貢生家から一匹の生まれたばかりの子豚が隣家に逃げて行き、王家では慌てて子豚を厳家に送り返した。厳家の言い分は、豚がよその家に行って、また連れ戻されて来るのは、最も幸先が良くない、というものだった。無理やり八銭の銀子を出させて、子豚を王家に売った。この一匹の豚は、王家で飼われて百斤余りにまで太ったが、思いがけず間違って厳家に迷い込んで来たので、厳家は豚を閉じ込めた。小二の兄の王大が厳家に行って豚を返すよう求めると、厳貢生は、この豚は元々厳家のものなので、「お宅で豚が要るなら、今の値段に沿って見積もり、数両の銀子を持って来て、豚を受け取りなさい」と言った。王大は家が貧しく、そんな銀子など持っておらず、厳家と二言三言言い争ったが、厳貢生の何人かの息子たちに、門を閉める閂(かんぬき)や、煉った小麦粉を延ばす棍棒を手に持ち、こっぴどく殴られ、脚の骨は折れ、動けなくなって家で横になっているしかなかった。それで小二が来て怨みを訴えたのだった。

 

 

知県は一方で驚くと、ひとりを連れて来て尋ねた。「おまえは何という名前なのだ?」その人物は五六十歳の老人で、知県にこう申し上げた。「拙者は黄夢統といい、郷下(田舎)に住んでおります。昨年九月に県城に登り銭糧(年貢)を納めに来たのですが、当初足らなかったもので、厳郷紳にお願いして二十両の銀子をお借りすることにし、毎月三分の銭の利息ということで、借用証を書き、厳のお屋敷(厳府)にお届けしたのですが、拙者はまだ厳様から銀子を受け取っていません。歩いて街まで来ますと、郷里の親戚に出逢い、この者が数両の銀子を拙者に貸してくれると言い、数分の銭を渡し、残りは郷に戻って何とか工面し、拙者に厳家の銀子は借りるなと勧めたのです。拙者は銭糧を納め終わると、親戚と一緒に村に帰りました。それから今でもう半年余りが過ぎ、このことを思い出したので、厳のお屋敷に借用証を返してほしいと尋ねると、厳郷紳は拙者にこの数ヶ月の利息の銭が要ると要求して来られたのです。拙者は申し上げました。「別に元手もお借りしていないのに、どうして利息が発生するのですか?」厳郷紳は拙者がこの時借用証を引き揚げていれば、ちょうどあちら様がこの銀子を他人に貸して利息を得ることができた。ところが借用証を取りに来なかったために、あちらは二十両の銀子も動かすことができず、半年余りの利息の銭を儲け損なったので、拙者がそれを出さないといけないと言われるのです。拙者は自分が間違ったことは分かっているので、間に入ってくれた人に言って、豚の蹄と酒を買って、自ら厳貢生のお宅に伺って謝り、借用証を持ち帰りたいとお願いしたのです。厳郷紳は頑なに同意せず、拙者のロバと米、荷物を入れる麻袋を、人に言って無理やり留め、家に持ち帰り、しかも紙の書き付けも発行されませんでした。このような不当な仕打ちに対して、どうかお殿様がご自身の裁量で解決してください。」知県はそう聞いて、言った。「ひとりの貢生(科挙の試験に合格して国の最高学府である国子監の学生である生員となった人)として、その階層に列していながら、郷里で良い行いをすることもせず、ただこのように人を騙すばかりとは、実に憎むべきである!」そう言ってこれら二件の起訴状は皆批准され、原告は外で控えて待機した。早くもこの話を厳貢生に報告して知らせた者がいた。厳貢生は慌てて、心の中で思った。「このふたつの案件は皆事実であり、もし審判が下ると、体面上みっともないに違いない。「三十六計、逃げるが上策だ。」」荷物をまとめると、さっさと逃げて省城へ行ってしまった。

 

 知県は起訴状を批准し、担当する司法部門に引き継がれて担当者が派遣され、厳家に来ると、厳貢生は既に家にはおらず、厳二老官(厳貢生の下の弟)に会うしかなかった。二老官は厳大育といい、字は致和、彼の兄の字は致中で、ふたりは母を同じとする兄弟であったが、別々に暮らしていた。この厳致和は監生(国の最高学府である国子監の生員)で、家には十数万の銀子があった。厳致和は県から派遣されて来た男がこの案件を説明するのを見て、彼は臆病で金持ちで、兄も不在であったので、傲慢な態度を取る勇気もなく、すぐさま派遣されて来た人を留めて酒飯の接待をし、二千銭を持って来て使いに与えると、急いで召使に言いつけてふたりの叔父(妻の兄弟)を呼んで来て対策を話し合った。

 

 彼のふたりの叔父は姓が王で、ひとりが王徳といい、府学の廪膳lǐn shàn生員(秀才に合格した内で最も優秀な学生。「廪膳」は官府から学費や生活費の支援を受けること。「生員」は府学の学生)、ひとりは王仁といい、県学の廪膳生員であった。ふたりともたいへん有名な私塾の教師で、名前が広く知れ渡っていた。妹のご主人の要請と聞き、揃ってやって来た。厳致和はこの案件を最初からひと通り説明すると、「今発行された派遣要請書はここにありますが、どのように処理すればよいですか?」王仁は笑って言った。「おまえの兄さんは平素からいつも自分は湯公と顔なじみだと言っていたのに、どうしてこんな些細なことで驚くんだ?」厳致和が言った。「このことは言ってもキリがない。ただ兄貴は今は逃げて影も形も無く、派遣されてきた男はここであれこれ騒ぎ立て、わたしに責任を取らせようとしている。わたしはどうして家のことをほったらかしにして、外へ兄を捜しに行けるだろうか?兄貴も帰って来るのに同意しないだろう。」王仁が言った。「それぞれのお宅は、各々独立しているから、このことはあんたとは無関係だ。」王徳が言った。「あんたは知らないことだ。役所から遣わされた男は、妹の旦那は安定した暮らし向きだと思ったんだよ。あいつらのやり口は、専ら手がかりになりそうなところを掴んでくるんだよ。もし関係ないと言ってやったら、あいつはもっと厳しく要求してくるだろう。今道理に合うのは、「釡の底の薪を抜き去る(釡底抽薪)」やり方だ。コネを使って訴訟を起こした相手を慰撫し、有力者に頼んで和解を勧めれば、事は収まるよ。」王仁が言った。「また人に頼みに行く必要はない。わたしたち兄弟ふたりが王小二、黄夢統を尋ねて、彼らの家で代わってきっちり説明してやるさ。豚も王家に返してやり、必要な銀子を出してやって、折れた脚の養生ができるようにしてやる。黄家のあの借用証は、調べて彼に返してやる。一日で解決する仕事だよ。」厳致和が言った。「叔父さん、あなたの言われる通りです。ただ、我が家の嫂(あによめ)もぼんくらだし、何人かいる甥っ子たちは狼のように貪欲で、決して忠告に耳を貸さないでしょう。彼らがどうして豚や借用証を差し出すでしょう?」王徳が言った。「おまえ(妹丈。妹の夫、厳致和のこと)、こんなこと口に出すもんじゃないよ。もしおまえの嫂(あによめ)や甥っ子が言うことを聞かなかったら、おまえはついてないと思うだろう。だからまた何両か銀子を出して、豚の値段をまけてやって、王の奴にくれてやる。黄家の借用証の件は、わたしたち間に入った人間が証文を書いてやり、証文でその借用証はもう無効だと言ってやる。そうすればこれらの揉め事は解決し、もう何の雑音も聞こえてこないよ。」

 

 相談がまとまると、すべて適切に処置され、 厳二老官は役所で使った費用も含め、全部で十数両の銀子で、訴訟は収まった。何日かして、酒席を一席設け、ふたりの叔父を招待して謝意を示そうとした。ふたりの秀才はもったいぶって、同じ屋敷の中なのに来ようとしなかった。厳致和は召使にこう伝えさせた。「奥様はここのところ気分がすぐれない。今日は一にお酒を召しあがっていただき、二に奥様が叔父様方とお話しされたいのだ。」ふたりはこの話を聞くと、ようやくやって来た。厳致和はそれでふたりを迎えて広間に入らせ、茶を飲んでから、召使を奥に行かせて伝えさせた。侍女が出て来てふたりに中に入るよう言った。部屋の中に入り、頭を上げると、彼らの妹の王氏の姿が見えた。顔色が悪くやせ衰え、身体も衰弱して、まともに歩けなかったが、それでも部屋の中では自分で瓜子(ヒマワリやスイカの種)の殻を割り、栗を剥き、それらを小皿に取っていた。兄たちが入って来るのが見えたので、それらを放置して近づき、挨拶の礼をした。乳母が妾が生んだ乳児を抱いていて、歳はようやく三歳、銀の首飾りを付け、赤い服を着ていて、「叔父様」と呼んだ。ふたりが茶を飲むと、ひとりの侍女が来て、「お妾の趙氏(趙新娘)がこちらに来て叔父様にご挨拶されます。」ふたりは急いで言った。「それには及びません。」座って多少の世間話をし、また妹の病気について尋ね、「総じて身体が弱っているから、栄養剤(補薬)をもっと摂らないといけない」と言った。話が終わると、前の広間に酒席を並べ、部屋から出て席に就かせた。

 

 閑話休題、また厳致中(厳致和の兄の厳貢生のこと)の話が持ち出された。王仁は笑いながら王徳に尋ねて言った。「兄さん、わたしはそれにしてもよく分からないのだが、あちらの家(他家。厳家のこと)の旦那(大老。厳貢生のこと)は昔の功名のお陰で(那宗筆下)、どうして官府から生活費の補助を受けれる(補起廪来)ようになったのですか?」王徳が言った。「このことは三十年前に遡る。当時、宗師(科挙の試験を主管する学政官員)は御史(監察御史)から転任したり兼務していたんだが、元々は役所の事務員から出世して、科挙に合格した進士ではないから、学問の素養はたいしたことがないんだ。」王仁が言った。「旦那様(厳貢生)は今では益々常軌を逸して、最も近しい親戚として、一年のうちにも何回も酒の席にお招きするんだけれど、あちらさんが一杯奢ってくださったためしが無い。想い起こせば先年、厳貢生が試験に合格して貢生になり、お屋敷の前に旗を立てた時、あちらの家で一席設ける、設けないの話がありましたな。」王徳は眉をしかめて言った。「あの時はわたしは行かなかったよ。厳貢生は試験に合格して貢生になったので、親戚やご近所にお祝いをするよう強要し、総甲(官府の徴税担当の役人)や地保(地方の行政責任者)といった連中を手下に使い、県の使い走りの犬どもは言うに及ばず、一二百吊の銭を集めて来たんだが、まだ宴席を手配してもらった金や、屠殺夫の労賃が不足し、今に至るもまだ返してもらっていない。家では二ヶ月毎に喧嘩になるし、さあこれからどうなることやら。」厳致和が言った。「ですからわたしも言いづらいのです。おふたりの叔父様には正直に申し上げますが、我が家のように数畝の地味薄い畑しかなく、日々夫婦四人家族で生活し、豚肉も一斤買うのがもったいなく、いつも子供らに食事をさせる時は、熟切店(煮炊きして調理した肉を量り売りする店)で銭四枚分買って、なんとか子供らをなだめているんです。兄はちょっとばかりの土地も無く、人口も多く、生活は三日と持ちません。ひとたび肉を買う時は五斤も買って、しかもくたくたになるまで煮込むんです。食事が終わったと思ったら、もう屋敷の門のところで行商人からつけで魚を買っているんです。分家したばかりの頃は、同じように田畑があったのですが、無駄に食い詰めてしまいました。そして今では家の中のカリンの木の椅子を、こっそり裏口から持ち出しては、中に肉の餡の入った饅頭(包子)に換えているんです。こんなことをして、いったいどうすればいいんでしょう?」ふたりは「ハハッ」と大笑いしたが、笑い終わると言った。「こんなつまらんことばかり話していて、わたしたち肝心の酒を飲む方を忘れてましたな。早くサイコロと鉢を持って来なさいよ。」サイコロを手に取るや、それを兄の方に渡した。「わたしたち状元令の遊びをやりましょう。」ふたりの叔父は、それぞれが状元の命令を出し、一度状元に当ると、大きな杯で酒を飲み干した。ふたりは何回か状元に当り、何十杯も酒を飲んだ。けれども不思議なことに、かのサイコロはまるで人事を知っているかのように、厳監生は一度も状元に当らなかった。ふたりは手を叩いて大笑いした。四更(夜中の一時から三時)の太鼓の音が止むまで酒を飲み、べろんべろんによろめき、手すりにもたれながら帰って行った。

 

 これ以降、王氏の病気は、益々重くなった。毎日四五人の医者が薬を用い、それらは皆人参、付子(トリカブトの根の周辺についている小さな塊状のもの)であったが、別段効果が見られなかった。見ていると床に伏して起き上がれず、息子を生んだ妾が傍らで煎じ薬の世話をし、極めて慇懃であった。王氏の病状が良くないのを見て、夜には子供を抱いてベッドの足元に座って泣き、そして何度も泣いた。その晩はこう言った。「わたしは今、菩薩様がわたしをあちらに連れて行かれても構わない、どうか奥様が良くなられますように。」王氏が言った。「あなたはまたばかなことを言うのね。それぞれの人の寿命は決まっているの。どうして人に代わってもらうことができて?」趙氏が言った。「そんなことを言ったのではありません。わたしが死んでも何の値打ちも無いです。奥様にもしものことがあったら、旦那様はまた後添いを娶られないといけません。旦那様は四十過ぎになって、ようやくこのお世継ぎがお生まれになりました。また新しい奥様を娶られたら、各々がご自分の生んだお子さんしか可愛がられませんわ。昔からこう言います、「継母(ままはは)は気持ちが陰険でやり口があくどい(晚娘的拳頭、雲里的日頭)」と。この子はおそらく、このまま成長することはできないでしょう。わたしもこの先長くないから、早く後添いを娶ってもらって、この子の命だけでも保たせていただきたいですわ。」王氏はそう聞いて、何も答えなかった。趙氏は目に涙を浮かべ、一日また一日と薬を煎じ粥を煮て、一歩たりともそこを離れなかった。ある日の晩、趙氏はしばらく出て行き、入って来るのを見かけなかった。王氏が小間使いの女に尋ねた。「(お妾の)趙さんはどちらに行かれたの?」小間使いが言った。「お嬢様(趙氏)は毎晩お線香を焚並べられ、採光の穴から泣きながら天に向け、相変わらず奥様の身代わりになりたい、奥様がご無事でありますようにと祈られています。今晩は奥様のご病気が重いので、早く出かけて祈られています。」王氏はそう聞いて、半信半疑であった。翌日の夜、趙氏はまた泣きながら同じ話をした。王氏が言った。「どうして旦那様に言わないの、明日わたしがもし死んだら、あなたを正妻に引き上げてくださいって?」趙氏は急いで主人に入って来てもらい、奥様(王氏)の言った話を伝えた。 厳致和はこうした話を聞いていられず、慌てて言った。「かくなる上は、明日の朝一番にふたりの叔父にお願いしてこのことを取り決めれば、証拠になるだろう。」王氏は手を振って言った。「それはあなたがたがどう処理するかにお任せしますわ。」

 

 厳致和(厳監生)は人にできるだけ早く叔父に来てもらうよう言いつけ、薬の処方を見て、再び名医に来てもらうよう相談した。話が終わると、部屋の中に入って腰を下ろし、厳致和は、王氏がかくかくしかじかと言った内容を伝え、また言った。「叔父様方、ご自身で妹さんにお尋ねください。」ふたりが寝台の前まで歩いて行くと、王氏はもう言葉を発することができず、手で子供を指差し、首を動かし頷いた。ふたりの叔父はそれを見て、顔を曇らせ、一言も発することができなかった。しばらくして、彼らは書斎に行って食事をしたが、互いにこの話を持ち出すことはなかった。食事が終わると、また一部屋の密室に場所を移した。厳致和は、王氏の病気が重いことから話し始め、涙を流しながら言った。「あなたがたの妹さんはこちらに嫁いで来て二十年、真にわたしにとって内助の功がありました。今わたしは彼女を失ったら、どうやって生きていけば良いのでしょう?先日またわたしに、実家の父母のお墓も修理しなければならないと言いました。彼女は自分が蓄えてきた少しばかりのものを、おふたりの叔父様にお渡しして、記念にしてほしいとのことです。」そう言って、召使を呼んで来て、戸棚を開けさせ、二包みの銀子を取り出して来た。ひとりに百両ずつで、ふたりの叔父に手渡した。「簡単なもので申し訳ありません。」ふたりは両手で丁重にこれを受け取った。厳致和はまた言った。「あまり気を回さないでください。今後、祭壇を準備したり、いろいろお金がかかるでしょうが、皆うちで準備しますので、どうか叔父様がたは祭礼にお越しいください。明日はまた駕籠を出しておふたりの叔父様の奥様方にお越しいただき、彼女は首飾りの類も持っていますので、お渡しして記念にしていただこうと思っています。」渡し終わると、相変わらず出て来て座った。外で人が来て待っていたので、厳致和が客の相手をしに行った。帰って来て見ると、ふたりの叔父は泣いて眼を赤く腫らしていた。王仁が言った。「先ほど兄とここで話をしていたのですが、うちの妹は真に女性ではあるが男子の気概を持ち、王家は幸せだと思います。先ほどの話ですが、おそらく妹のご主人も胸中でこのような道理を理解されておらず、ぼんやりして、はっきりとされないから、ちゃんとした男子の資格があるとは言えないです。」王徳が言った。「あなたはご存じないが、こちらのご側室の存在が、こちらのご家族三代に亘る皆さんの運命と安寧に重要な影響を与えています。うちの妹が没して、あなたがもし他から後添いを娶られたら、わたしの甥を痛めつけて死に至らしめ、叔父叔母は毎日心配でたまらず、亡き父母も安心できないでしょう。」王仁はテーブルを叩いて言った。「わたしたち読書人は、全身全霊で三綱五常の倫理を守るべく努めなければなりません。つまり文章を書き、孔子様の代わりに話をするのも、この理(ことわり)のためなのです。あなたがもしそれに従わないなら、わたしたちはお暇するしかないでしょう。」厳致和が言った。「おそらく家族の中にも反対する者がおりましょう。」ふたりは言った。「わたしたちふたりが決めることになっています。けれどもこの問題は厳粛に処理する必要があります。おまえさん(妹丈。妹の夫、 厳監生 )、あなたはもう何両か銀子を出してください。明日はわたしたちふたりだけが出て、十数席を準備して、三党(父方、母方、妻の実家それぞれの一族)の親戚を皆お呼びし、妹の目の前で、あなたがたふたり(厳監生と趙氏)が天地と祖先を礼拝し、(趙氏を)正室に立てれば、誰も敢えて異を唱える者はいないですよ。」厳致和はまた五十両の銀子を取り出して彼らに渡すと、ふたりは義憤を顔に顕して出て行った。

 

 三日経ち、王徳、王仁は、果たして厳家のお屋敷に来て数十枚の帳子(招待状)を書き、無理やりあらゆる親類縁者(諸親六眷zhū qīn liù juàn)に出席をお願いし、吉日を選んだのだが、親類縁者は皆出席したが、隣の大旦那の一家の五人の親族は、ひとりもやって来なかった。人々は朝食を食べると、先ず王氏の寝台の前で、王氏の遺言書を起草し、確定した。ふたりの叔父の王于据(王徳)と王于依(王仁)は遺言書に署名した。厳監生(厳致和)は方巾を被り、青い一重の上着を着て、赤い繻子を羽織っていた。趙氏は真っ赤な上着を身に着け、純金の冠を被っていた。ふたりは両手を上にあげて天地を拝み、また祖先を拝んだ。王于依は幅広い学識があったので、彼らの代わりに祖先に告知する文を作り、甚だ誠意がこもっていた。祖先への報告が終わり、戻って来ると、ふたりの叔父は侍女を呼んで部屋の中からふたりの各々の妻に出て来させ、それぞれの夫婦計四人が、揃って妹の夫の 厳監生、妹の王氏に上手に移ってもらい、頭を地面に付けるお辞儀をし、それにより姉妹の間の礼を行った。親類縁者たちも皆上手下手に分かれた。つまり屋敷内の事務を管轄する執事、家人(召使)、家人の妻、侍女、女中など、数十人の人間が、皆主人、主人の妻に向け頭を地面に付けるお辞儀をした。趙氏はそれとは別にひとりだけ部屋に入り、王氏を姐として礼拝した。この時王氏はもう昏睡状態であった。礼拝が終わると、大広間、広間、書斎、母屋には、男性の賓客、女性の賓客それぞれに、全部で二十余りの宴席が設けられた。三更(夜中の二十三時から一時)時分まで飲み食いをし、 厳監生がちょうど大広間で客をもてなしていると、乳母が慌てて入って来て言った。「奥様がお亡くなりになりました。」 厳監生が泣きながら部屋に入って行くと、趙氏が寝台の縁につかまり、頭を打ちつけながら、泣きじゃくっていた。人々が趙氏を助け起こしながら、沸かしたお湯を口に注ぎ込み、歯をこじ開け、お湯を口の中に流し込、趙氏が我に返ると、彼女は髪の毛を振り乱しながら、あたりをのたうち回り、天地も真っ暗に変わるほどの酷い泣き方をし、 厳監生も手の施しようが無かった。執事たちは皆大広間におり、賓客たちは皆母屋で納棺を待っていたのだが、ふたりの叔父の妻たちだけが部屋に残り、人がバタバタしている隙に乗じ、衣服、金の数珠、ネックレスを、きれいさっぱり皆奪い取ってしまった。趙氏が今しがた被っていた純金の冠まで地面に転がし、拾い上げて懐にしまってしまった。厳監生は慌てて乳母に言って息子を抱いて来させ、麻の布を取って赤ん坊に着せてやった。この時、王氏の死に装束、掛け布団、棺桶は、皆出来合いのものだった。亡骸が柩に入れられると、外はようやく夜が明けた。柩は母屋の中央の部屋に留められ、人々は部屋に入って来て柩に見(まみ)え、各自帰って行った。翌日は孝布(棺桶に掛ける白い布)が配られ、各家族に二枚渡された。三日目に喪服を身に着けるのだが、趙氏は本来は妾として麻布で作った服を羽織り、孝順を表わさねばならないのだが、ふたりの叔父はそれを断じて肯(がえん)ぜず、言った。「「名が正しからざれば言も順ならず」と言います。あなたは今では故人とは姉妹になられたのですから、妹は姉に代わり一年孝順を守り、白い綿布で作った上着を身に着け、白い布で作った孝箍(頭巾)を被られるべきです。」葬儀の進め方が決まったので、対外的に葬儀の知らせが発せられた。これより、僧侶にお願いして斎戒を行い(修斎)、七日毎に祭祀を行い(理七)、外部に葬儀の連絡をし(開葬)、出棺をする(出殯)のに、四五千両の銀子を用い、半年に亘りあれこれ儀礼が行われたが、一々細かく言うまでもない。趙氏はふたりの叔父が微に入り細に入り対応してくれたことに感激し、収穫した新米を各家に二石(一石は一斗の10倍、一升の100倍。100リットル)、冬菜の漬物を各家に二石、ハムを各家に四本贈ることにしたが、鶏、アヒル、小菜は数に加えなかった。

 

 知らず知らずのうちに大晦日になり、 厳監生は天地や祖先を拝み、家族の宴席を準備し、 厳監生は趙氏と向かい合って座り、乳母が息子を連れて下座に座った。何杯か酒を飲むと、厳監生は涙を流しながら、ひとつの戸棚を指差し、趙氏に言った。「昨日質屋が三百両の利息を持って来たが、これはおまえの姉さんの王氏が実家から持参した質屋の株だ。毎年十二月二十七八日に持って来るので、わたしが彼女に渡し、わたしも彼女がこれを何に使おうと関与しなかった。今年もこの銀子が届けられたが、生憎これを受け取る者がいなくなってしまった。」趙氏が言った。「あなたも叔母様(大娘)の銀子が使い道が無いなんてもう言わないで。わたしは見たことがあるの。想い起こせば一年中、何かの節句に当る度に、庵の尼さんが精進料理や点心の入った進物の箱を持って来るし、花売りの婆さんは頭に挿す真珠や翡翠の飾りを買い取ってもらいに、三絃の琵琶を弾く盲目(めくら)の女がしょっちゅう家に入って来るしで、彼らが来ると、誰一人叔母様の施しを受けない者はいなかったわ。ましてやあの方は慈悲の心に溢れておられたから、親戚で貧しい者がいたら、自分は食べるものが無くても、人には食べれるようにしてあげたし、自分は着るものが無くても、人には着れるようにしてあげたわ。こうした銀子で、何ができると言うの?もう少しあっても十分じゃないわ。どのみちふたりの叔父様はこれまであの方のなさったことを少しも助けてあげたことはないでしょうけど。わたしの考えでは、この銀子も無駄に使ってしまうのではなく、年が明けたら叔母様の代わりに大いにいくつか善い行いをして、残る銀子はおそらくあまり無いだろうけど、来年は科挙が行われる年だから、ふたりの叔父様が省城に行かれる旅費に使ってもらうのも、当然じゃないかしら。」厳監生は趙氏が言うのをじっと聞いていた。テーブルの下では一匹の猫が彼の足の上に上がって来たので、厳監生は履いていた靴で蹴っ飛ばした。猫はびっくりして奥の部屋の中まで走って行き、寝台の台の上に駆け上がったと思ったら、ガチャンと大きな音が響いて、台の上からものが落ちて来て、床の上の酒の壺が割れて粉々になった。蝋燭を持って見に行くと、実はその疫病神の猫が寝台のてっぺんの板から飛び降りた拍子に、上にあった細く割いた竹で編んだ大きな籠が下に落ちて来たのだった。近づいて見ると、一面に黒棗(ナツメ)が酒に漬けて保存されているのが見えた。ふたりが引き出して見ると、ナツメの下から、桑皮紙(桑の樹皮で作った丈夫な紙)でひとつひとつ包まれたものが出て来た。包みを開いて見てみると、全部で五百両の銀子であった。厳監生は驚いて言った。「なあ、あいつが銀子をどうして使い切るもんか。おそらくこれは長い年月貯めてきたものだろう。たぶんわたしが急に要り用になったら、持ち出して使えるようにしてくれていたんだ。それなのに今あいつはどこに行ってしまったんだ。」ひとしきり泣きながら、人を呼んで床の上を掃除させ、その干したナツメを大きな鉢に入れ、趙氏と一緒に柩の前のテーブルの上に置き、柩の上に顔を伏せ、またひとしきり泣いた。このため、新年は年始の挨拶に出かけるということがなく、家でむせび泣きをし、しばしばしくしく泣いては、気持ちが動転し、ぼうっとして気持ちが安らかでなかった。元肖節を過ぎると、胸元に痛みを感じるようになり、最初のうちは持ち堪(こた)えることができ、毎晩帳簿を点け、三更(深夜の23時から翌1時)の太鼓が鳴るまで計算をしていたが、その後次第に飲食が進まなくなり、痩せ細って身体が枯れ枝のようになってしまったが、また銀子がもったいなくて人参を食べることもできなかった。趙氏が厳監生に勧めて言った。「あなた、気持ちが晴れないんだったら、こんな家事は捨てて置きなさいよ。」厳監生が言った。「わたしの息子はまだ小さいのに、おまえはわたしが誰に託せばいいと言うんだ?わたしは一日だって、その日の差配をせずに済ませる訳にいかないんだ。」思いがけず、春の陽気が次第に深まるにつれ、癇癪(かんしゃく)が酷くなって脾臓の働きが侵され(肝木克了脾土。漢方の用語)、毎日お碗に二杯の重湯しか喉を通らず、ベッドに寝たきりになり起き上がることができなくなった。気候が暖かくなったので、無理をして食べ物を摂ろうとし、なんとか起き上がって家の周囲を散歩した。長い夏を乗り越えたものの、立秋を過ぎてから病がまた重くなり、寝たきりになった。田んぼへ行って早生の稲を収穫しなければと考え、荘園を管理する召使を田舎に遣った。それでも安心できず、気持ちがただ焦るばかりだった。

 

 その日、朝薬を飲んでから、サラサラと落ちる木の葉が窓を打つ音が聞こえ、自分でも気持ちが怖気(おじけ)ずき、ため息をつくと、ベッドに顔を埋(うず)めて眠りに落ちた。趙氏は部屋の外で、ふたりの叔父と一緒に入って来て病状を尋ね、叔父たちは省城へ郷試を受けに行くためお別れを言った。厳監生は侍女を呼んで来て助け起こさせ、無理に座った。王徳、王仁は言った。「もう何日もあなた(妹丈)に会わなかったら、また痩せてしまわれた――ただ喜ばしいのは、気はまだしっかりしておられる。」厳監生は叔父たちに座ってもらうと、この度の郷試受験を祝福し、部屋に留まり点心を食べてもらい、大晦日の夜のことを話し、趙氏に何包みかの銀子を持って来させ、趙氏を指差しながら言った。「これはそいつの気持ちなのだが、お姉さん(前妻の王氏)が残された少しばかりのものを、おふたりの叔父様にお渡しして、この度の慶び事(科挙の受験)の旅費にしていただきたいのです。わたしの病は酷くなっていて、おふたりがお戻りになる頃には、お会いできないかもしれません。わたしが死んだら、おふたりの叔父様は外甥(妹の息子)が大きくなるまで面倒を見て、あの子に勉強をさせ、無事県学に進めるよう支えてやり、わたしの一生のように、日がな一日家族のことであれこれ苦労して終わることの無いようにしてやってください。」ふたりは銀子を受け取り、それぞれ懐に銀子をふた包みずつ入れると、何度もお礼を言い、またあれこれ慰めの言葉を言い、別れて行った。

 

 

 これより、厳監生の病は一日また一日と重くなり、再び起き上がることはなかった。親類縁者が皆訪ねて来て挨拶をした。厳監生の五人の甥っ子たちが代わる代わるやって来ては、医者を助けて薬を準備した。中秋節を過ぎて以降は、医者はもう薬の処方をしなかった。荘園を管理している召使たちが皆田舎から呼び戻されて来た。病が重くなって三日続けてものが言えなくなった。夜はひとつの部屋に人々が集まり、テーブルの上にランプの火が点された。厳監生の喉に絡まった痰が出たり入ったりする音がし、ゴホッ、ゴホッと途切れなかったが、まだ息が止まる様子は無く、更に手を掛け布団の中から出して、二本の指を突き出した。一番上の甥っ子が前に進み出て尋ねた。「叔父様、まだおふたりの親しい方にお会いになっていないと言われているんですか?」厳監生は首を二三度振った。二番目の甥っ子が前に進み出て尋ねた。「叔父様、こちらにまだ幾ばくかの銀子があり、どうするかまだはっきり言いつけていないことを言われているんですか?」厳監生は両目を大きく見開き、首をまた何度か忌々(いまいま)しそうに振ると、益々力を込めて何かを指差した。乳母が赤ん坊を抱きながら、口を挟んだ。「旦那様はおふたりの叔父様が目の前にいらっしゃらないので、そのことを気にかけていらっしゃるのね。」厳監生はそれを聞いて、眼をつぶって首を振り、手は指差すだけで動かさなかった。

 

 

  夜はひとつの部屋に人々が集まり、テーブルの上にランプの火が点された。厳監生の喉に絡まった痰が出たり入ったりする音がし、ゴホッ、ゴホッと途切れなかったが、まだ息が止まる様子は無く、更に手を掛け布団の中から出して、二本の指で何かを指差した。

 

 

趙氏が慌てて涙を拭いながら近寄って来て言った。「旦那様、他の人たちがあれこれ言われることを気になさらないで。わたしはあなたの言われんとすることが分かっていますよ。」この一言により、今後様々なことが引き起こされる。田地や財産の奪い合いで、肉親の間で争いが起こる。家の相続と祖廟の継承で、一族が次々役所に訴訟を起こす。さて趙氏はどんなことを言い出すのでしょうか、次回に解説いたします。

 範進は幸い正気に返りましたが、母親は前後不覚になり、そのまま息を引き取ってしまいます。このため、母親は新たな挙人(郷試の合格者の称号)の肉親として盛大な葬儀が行われ、範進は会試を欠席し、喪に服します。そこに訪ねて来たのが 郷紳の張静斎。範進に今後挙人として様々な儀礼を主宰するには、外に出て権勢を持った役人や富豪と交わり、金品を出してもらう必要があると勧め、一緒に繁華な高要県にやって来ます。そこで湯知県(知事)を待つ間にやって来たのが、厳致中(厳貢生)。張、厳ふたりが、この後様々なトラブルや争いごとを引き起こします。『儒林外史』第四回をご覧ください。

 

 

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薦亡(死者の霊が早く昇天するようる)の斎(ものいみ)で和尚は官司(訴訟沙汰)を喫し

 金品をせびった(打秋風)郷紳(田舎の名士)は横事(凶事)に遭う

 

 

 さて、母親はこれらの家具や何やらが皆自分のものだと聞き、思わず嬉しくてたまらず、痰がからんで一時前後不覚に陥り(痰迷心窍tán mí xīn qiào)、気絶して床に倒れた。家人、嫁、女中、妻は皆慌てて、一刻も早く旦那様に入って来てもらった。範挙人は急いで大股で歩いて(三歩作一歩sānbù zuò yíbù)来て見たが、母親に呼びかけても応答が無く、急いで母親を持ち上げてベッドに寝かせ、医者に来てもらった。医者は言った。「大奥様のご病気は卒中にかかられたもので、治すことはできません。」他に何人かの医者にも来てもらったが、皆同じように言ったので、範挙人は益々慌てた。夫妻二人は、泣き叫びながら、もう一面では後事の準備をした。そのままぐずぐずしてたそがれ時になり、母親はもはや虫の息になり(淹淹一息yān yān yī xī)、天に召されて行った。家族中が慌ただしい一夜を過ごした。

 

 

 翌日、陰陽師(陰陽生。喪家に替わって納棺、葬儀の日取りを占い、また婚家に替わって式の日取りを決める職業)の徐先生に来ていただき、七単(人が死んで49日以内に、7日毎に祭祀を行い、これを「理七」と言った。最後の7日を「尽七」と言う。「七単」は死者の納棺の日取り、忌避や禁止行為、49日の日取りを示した書きつけ)を書いてもらった。母親は亡くなってから三回目の七日に入ったので、期日になれば坊さんに頼んで供養(追薦zhuī jiàn)してもらった。門の上に白い布で作った球を吊るし、新たに貼った対聯は白い紙を糊付けしたものだった。街中(合城)の紳士(紳衿shēn jīn「紳」は官吏になったことのある人。「衿」は秀才以上の士人。)が皆弔問(吊唁diào yàn)に来た。秀才の同期生(同案)の魏好古にお願いして、葬儀の衣服を着、手ぬぐいを腰に掛けて、入口の間で客の相手をしてもらった。胡老爹は公の場に出ることができないので、厨房や娘の部屋に居て、白布や肉の重さを測ったり、あちこち動き回るしかなかった。

 

 二回目の七日が過ぎたので、範挙人は旧交を忘れず(念旧)、何両かの銀子を取り、屠殺屋の胡(胡屠戸) に渡すと、彼に以前と同じように市場の庵で平素付き合っていた和尚にお願いして頭目(攬頭lǎn tóu)になってもらい、大寺の八衆の坊さんにお願いして来てもらってお経を唱え、「梁皇懺」liáng huáng chàn(坊さんを招いてお経を唱え、死者を済度(経を読み、その功徳で死者を苦界から救う。超度)する規模の比較的大きな儀式(懺悔(ざんげ))を「拝懺」bài chànと言う。南北朝時代から伝わった「梁皇懺」は懺法chàn fǎの一種。「梁皇」は南朝梁の武帝蕭衍xiāo yǎnを指す、施餓鬼(せがき)の法会(ほうえ)をし(放焔口fàng yàn kǒu)、母親の昇天を供養してもらうよう頼んだ。胡屠戸は銀子を手に取り、まっすぐ市場の庵のténg和尚の家に行くと、ちょうど大寺の僧官(寺院、僧尼事務の管理を行う官吏で、僧侶が担当)の慧敏もそこに座っていた。僧官は田畑が付近にあったので、いつもこの庵で起居していた。滕和尚は胡屠戸を座らせると、こう言った。「先日、新たに合格された範旦那様がこの庵で病にかかられましたが、生憎その日は拙僧は不在にしておりまして、お世話することができませんでした。幸い、戸口で薬売りの陳さんが茶を沸かしておりましたので、私に替わり対応いただきました。」胡屠戸は言った。「本当に。私もあの方の膏薬に感謝しています。今日はここにおられませんか。」滕和尚は言った。「今日は来られていません。」また尋ねた。「範旦那様のご病気はすぐに良くなりましたが、思いがけず、今度は大奥様の事が起こりました。胡のお父様はここ何十日もずっとあちらがお忙しかったのでございましょう。市場でお商売をするのをお見かけしませんでした。」胡屠戸は言った。「そりゃあそうでしょう。実の母が不幸にも世を去ってから、街中の郷紳で、家に来ない者はひとりもありませんでした。私のお得意様の張旦那、周旦那が家でお客のお世話をしていただき(司賓)、日がな一日、座って暇を持て余し、ただ私を引っ張って雑談をし、陪席して飲み食いしていました。お客が来ると、またぺこぺこお辞儀をし(打躬作揖dǎ gōng zuò yī)、それをずっと繰り返していました。私は暇でのんびりしているのに慣れてしまっていて、こんなことをするのは面倒に思い、身を隠していたいと思ったのですが、ひょっとすると婿殿が変わっているので、郷紳の旦那様方に誤解されるのではないかと心配していましたが、こう言われました。「実の親御さんはどうされたいのですか。」と。」言い終わると、またこのようにお坊さんにお願いして法要(做斋 zuò zhāi)の話をした。和尚は話を聞くと、肝をつぶす程驚いて(屁滚尿流pì gǔn niào liú)、慌ててお茶を沸かし、麺を準備した。そして胡のお父様の面前で更に僧官に頼み、何人かの坊さんを雇い、また線香や蝋燭、紙の馬、写疏xiě shū(僧が読教の時に燃やす、祝詞を書いた紙で、法要する主人の家の姓や法要の内容が書かれている)の準備などを依頼した。胡屠戸は麺を食べると帰って行った。

 

 僧官は銀子を受け取ってから、町に行くつもりだったが、一里あまりの道も行かないうちに、後ろからひとりの人が呼びかけるのが聞こえた。「慧旦那様、どうしてこの頃荘園にお越しにならないのですか。」僧官が急いで振り返って見てみると、佃戸diàn hù小作人)の何美之であった。「あなた様はこの大層お金を儲けて忙しくされてますね。何があってお越しにならないのですか。僧官は言った。「そんなことない。私も行きたいと思っていたのだが、町の張さんのお屋敷でうちの裏の畑が欲しいと言われたが、値段を出すのは承知せず、私は何回もお断りした。もし荘園に来ると、あそこの小作人がやって来てぶつぶつ言い何やかやとつきまとって来るだろう。私が寺にいると、あの人のところから私を尋ねて来たんで、その人が帰るのを待って出かけて来たんだ。」何美之は言った。「それもごもっともです。あちらがどう思おうと、決めるのはあなた様です。今日ご予定が無ければ、荘園にいらしてご滞在ください。それに、旦那様が先日煮た豚肉の燻製が半分、竈の上に吊るしてあり、もう油が抜けています。作った酒も、飲み頃になっていますのであの方にお答えしてあげてください。今日は荘園でお休みになっては如何ですか。和尚は彼の言葉を聞いてよだれが出てきて、足が思わず彼に附いて荘園に向かって行った。何美之は妻に言いつけて母鶏を一羽煮て、ハムを切って、酒を汲んで温めさせた。和尚は歓迎を受け、中庭に座り、上着を脱ぐと、胸をはだけ、腹を突き出しながら、黒光りする頭と顔のてかてかだけが外に出た。

 

 しばらくして、場が整うと、何美之は大きな皿を捧げ持ち、細君(渾家hún jiā)が酒を提げて(līn着酒)来て、テーブルの上に並べた。和尚は上座に座り、細君は下座で陪席し、何美之は横に座り、酒を注いだ(把酒来zhēn)。食べながら、十五日のうちに範のお屋敷に行って、母上様のために斎戒をすると言った。何美之の細君は言った。「範家のおばあ様は、私たちが小さい時からお会いしていましたが、とてもおやさしい方でした。ただ旦那様のお嫁さんは、荘園の南の方の屠殺屋の胡(胡屠戸)の娘で、両眼の縁が赤く充血し、髪の毛が茶色くなってしまっていて、その日暮らしの生活で、靴も満足に持っておらず、夏はガマで編んだ綿入れ靴をつっかけ、足が変形して爛れていました。今はツーピースになった喪服(屍皮子shī pí zi)を着られて、聞くところによると貴人のご夫人になられたそうだけど、本当にみっともないですわ。見苦しいったらありゃしない。」正に食事がたけなわとなった時、外で門を乱暴に叩く音が聞こえた。何美之は言った。「誰だろう。」和尚は言った。「美之、おまえ、ちょっと見に行ってくれるかね。」何美之が門を開けるや、七八人の男が一斉に押し入って来ると、女と和尚がひとつのテーブルに座っていたので、一斉に言った。「お楽しみだね。和尚さんとご婦人がお天道様の下でいちゃついて。僧官の旦那。法を犯すとどうなるかご存じか。」何美之が喝破した。「ばかを言うな。この方は我が荘園のご主人様だぞ。」人々は罵って言った。「荘園主だと。おまえの母ちゃんまで面倒見るのか。」弁解も聞かずに(不由分説bù yóu fēn shuō)、藁縄を持ってくると、和尚を素っ裸にして(精赤条条jīng chì tiáo tiáo)、婦人と一緒に一本の縄で縛り、太い棒を真ん中に通して持ち上げ、何美之も一緒に連れて行った。南海県の前の関帝廟まで来ると、その前の舞台の下に、和尚と婦人を一緒に繋ぎ、知県(知事)が役所から出て来て命令を出されるのを待った。人々が何美之を引っ張って来たので、和尚はそっと彼を呼び、範挙人の屋敷に知らせに行かせた。

 

 範挙人は母親の法事があるのに、和尚が逮捕されてしまったので、じっとしている訳にもゆかず、すぐに紹介状 (帖子tiě zǐを持って、知事(知県)に次第を説明した。知県は責任者 (班頭bān tóuを差し向け、和尚を解放させ、婦人は美之に引き渡し、家に連れ帰らせた。一群のごろつきが連れて来られ、翌日の早朝に判決が下されることになった。人々は慌てて、張郷紳に帖子を書いてもらい、知県に事情を説明するよう求めた。知県はそれを許し、早朝の執務に一緒に入らせ、二言三言罵ると、とりとめのない話をし、そのまま出て行かせた。和尚はそれでも人々に役所の玄関で何十両かの銀子を手渡した。僧官は先ず範挙人の屋敷に行って謝り、翌日何人かの僧侶を連れて来て、祭壇を設け、仏像の絵を掛け、両側には十殿閻君を掲げた。開経麺(お経を唱える前に食べる麺)を食べ、náo(銅でできた円盤状の打楽器)、 (銅製のシンバルのような打楽器で、中央が半円球に盛り上がっている)、叮噹dīng dāng(仏教の法器で、銅鑼のような形状で、木の撥で叩く)を打ち、お経を一巻唱え、朝の斎戒を終えた。八衆の僧侶は、お世話係(司賓)の魏相公を含め全部で9人で、二つの席に座った。それからようやく食事をしていると、長班(官員の身辺に付き従いお世話をする召使)が報告した。「お客様が到着されました。」魏相公はお碗を置くと出て行って、客を迎えて入って来た。すなわち張、周二人の郷紳で、烏紗帽(黒色の官吏の帽子)、明るい色の員領(丸い襟のシャツ。一種の官服)、白色の靴底の皂靴zào xuē(厚底の靴)を身に着けていた。魏相公は随行してずっと両手を組む礼をして霊前まで行った。そのうちの一人が和尚と僧官に言った。「今しがた入って来られたのは、張のご当主(大房)の静斎旦那様です。あの方とあなた様は畑でお隣同士ですから、あなた様もあちらへ一声ご挨拶しに行かないといけないですよ。」僧官は言った。「もうたくさんですよ。張のお家の方々はなにかと面白い人たちですね。そういえば、一昨日いざこざがありましたが、あちらの連中はごろつきか何かですよ。というのも、あそこの小作人たちは相談がまとまると、陰でこそこそ動いて(做鬼做神zuò guǐ zuò shén)私をどうかしてしまおうと企んだんです。私に何両かの銀子をちらつかせ(簸掉bò diào)て、なんとかして家の裏のあの畑をあちらに売らせようとしました。様々な計略を用いて私に危害を加えようとして、結局かえって自分自身を傷つけてしまった(使心用心,反害自身)んです。遅れた県では、旦那様がたが自分の荘園の者を罰しなければならず、普通はうろたえるものですが、面の皮を厚くして(腆着脸tiǎn zhe liǎn)、帖子(紹介状)を持って説明に行ったので、県主(県知事)の不興を買ったわけです。」また言った。「あそこはまともでないことが多すぎます例えば家の三男の家内は、巣県(現在の安徽省巣湖市)で官職に就いていた家の長女だったのですが、張のご当主の姉(或いは妹)の娘に当たります。彼女が以前私に仲人を頼んで来たので、私が代わりに西郷の素封家の家に話に行きましたが、たいへんなお金持ちでした。ところが張のご当主は頑なに先ほどからここにいる、すかんぴんの魏相公に嫁がせると言って聞かないのです。それというのも彼が学堂に通っているからで、また彼は詩や何やらを作れると言うのです。先日は、こちら(範家)の代わりに薦亡(死者の霊が早く昇天するようる)の疏(上奏文)を作られたので私が持ち出して人に見せると、中の三文字が不適切だと言われました。このように罪作りなことをされたんですよ。奥さんの妹さんも人に嫁がせなければならないのが分かっているのに、まだこれからどんなに人を愚弄することになるか分かったもんじゃありません。話していると、こつこつと靴の音が聞こえたので、坊さんたちが目くばせをし、僧官はもう何も言わなかった。二人の郷紳が出て来て、和尚に拱手の礼をし、魏相公がお見送りした。坊さんたちは精進料理を食べ終わると、顔と手を洗い、楽器を鳴らして懺悔し、線香をあげ灯をともし、食物の施しをし散華し、五体投地し、丸々三日三晩祈祷し、その後帰って行った。

 

 瞬く間に月日が流れ、七回目の七日も過ぎて、範挙人は外出して孝を謝した。ある日、張静斎が来て挨拶をし、また話をした。範挙人は霊前の小さな書斎に招いて座ってもらい、喪服(衰絰cuī dié)を身に着け、出て来てお目にかかり、先ずは葬儀の際に諸般助けていただいたことのお礼を言った。張静斎は言った。「おば様の大事では、私たちは息子やおいが当然やるべきこととして奉仕させていただきました。おば様が天寿を全うされ天に帰られたと思うと、まあよかろうと思います。ただあなた様(世先生。自分より出生が早く、年齢の上の人)は今回の会試だけは参加できませんでした。お墓(祖茔zǔ yíng)への埋葬はどうされるおつもりですか。日取りは決めておられますか。」範挙人は言った。「今年は風水が良くなく、次の秋に行うしかありません。ただ費用がまだ足りないのです。」張静斎が指を折って計算してみた。「銘旌míng jīng(死者の官位姓名を記入し、ひつぎの前に立てる旗)は周学台(国子監の校長。周進が学台になっている)に引き受けて(xián)いただかないといけません。墓誌はご学友の魏さんに書いていただくとして、どなたのお名前を使われますか。その他、葬儀(bìn)、式のテーブルや座席、儀仗(執事)、楽隊(吹打)、更に雑用、食事、墓穴掘りの人夫(破土)、風水師(謝風水)の類で、三百両余りの銀子が必要です。」計算している最中に、飯が運ばれて来たので、食した。張静斎はまた言った。「三載(年)の服喪期間を庵(粗末な家)で暮らされて、自ずと正しい道理が身につかれたでしょう。けれども、あなた様が今後各種の儀礼を執り行うためにも、外に出て権勢を持った役人や富豪と交わり、様々な名目で金品をいただく必要があり、そうすればこれまでのようにこせこせする必要がなくなるでしょう。今、科挙の試験に合格(高発gāo fā)された後、まだあなた様の先生のところにご挨拶に行かれていません。高要(広東省‌肇慶市の一部)は物資が豊富で、金品をいただけるお相手がいくつもあるでしょう(或可秋風一二)。私も父親の友人に挨拶に行きたいと思っていたので、ご一緒させていただけませんか。途中の舟や車の費用は、私がなんとかするので、あなた様が心配なさらずとも大丈夫です。」範挙人は言った。「先生のご厚意をお受けしたいと思いますが、ただ葬儀が無事済ませられるか心配です。」張静斎は言った。「礼には守るべき常識と例外として認められる融通があります(礼有経、亦有権)。何でもできない事など無いと思います。」範挙人はまたお礼を言った。

 

 張静斎は日時を約束して、人夫や馬を雇い、随行者を連れ、高要県に向け出発した。途中で相談して言った。「この度は、一に先生に会わねばならない。二に、お母さまの墓誌に、湯公の役所での肩書とお名前を借りなければならない。」やがて、高要城に入った。その日は知県(県知事)は田舎に調査に出向いていたので、役所に入ることができず、とある関帝廟の中で腰を下した。その廟はちょうど本殿の修理中で、県の工房(官職名)が中で監督していたが、工房は県主の知人が到着されたと聞き、慌てて中で客を出迎え座ってもらい、茶器を並べる盆を九つ並べた。工房が下座に座り、壺を持って茶を注いだ。

 

 茶を一服飲んだところで、外からひとりの男が入って来た。方巾を被りゆったりした服を着、白い底の黒靴を履き、ミツバチのような凶悪そうな眼をし、鼻梁が高く、鬢まで続くもじゃもじゃ髭をしていた。その男が門を入ってくるや、茶の盆を片付けさせ、その後ふたりと礼を交わして座ると、どちらが張先生で、どちらが範先生かと尋ねた。ふたりは各々姓名を述べた。その男は言った。「私は姓を厳と言い、私の家はすぐ近くにあります。昨年、先生の臨席の下試験をされ、幸い国子監入学の推薦をいただきました。私とこの湯公ご夫妻とは極めて良い関係にあります。おふたりは同期で科挙に合格された旧知の間柄ですか。」ふたりが各々同期合格の学生であると言うと、厳貢生(科挙で予備試験の合格者の中から選抜され、首都の国子監に入学した者)は心から敬服した。工房はお別れを言い、向こうへ行った。

 

 

 厳家の召使が食べ物の入った蓋付の箱を両手で持って来ると、また酒を一瓶提げて来て、テーブルに置くと、箱の蓋を開けた。中には九つの盆が入っていて、それぞれ鶏、鴨、酒粕漬けの魚、塩漬けの豚肉の類であった。厳貢生はふたりを上座に座ら、酒を注いでもてなし、こう言った。「本来はおふたりには私の家に来ていただくべきですが、先ず家が狭苦しくておふたりの尊厳を貶める(亵尊xiè zūn)ことになりますし、次に役所にお入りいただくと、おそらく機密漏洩防止の妨げになりますから、簡単な食事を準備し、ここで歓談し、休息いただきたく存じます。」ふたりは酒の接待を受けて言った。「まだ県知事に謁見しておりませんが、先にご馳走になります。」厳貢生は言った。「恐れ入ります。」立ち上がって一杯飲み干すのを待つと、ふたりは顔が赤くなるのを恐れ、あまり多くは飲まず、半分だけ飲んで杯を置いた。厳貢生は言った。「湯公ご夫妻は人となりが清廉で慈愛に富み、本当に県民は幸せです。」張静斎は言った。「そうですか。知事殿は他にどんな善政をされたのですか。」厳貢生は言った。「先生、人生はすべて縁でつながっていて、無理をしてもだめなのです。湯公ご夫妻の着任日、ここに県の全ての郷紳が集まり、小屋掛けがされ、十里先まで立札が掛けられ、お出迎えしました。私は小屋掛けの入口に立っていました。しばらくして、銅鑼や旗、傘、扇、楽隊、夜役(差役の一種)が一隊一隊通り過ぎて行きました。駕籠が近づき、遠くからご夫妻を望むことができました。両方の高い眉毛、大きな鼻梁、横は大きな耳をされていました。私は心からこの方は穏やかで親しみやすい人(豈弟君子kǎi tì jūn zǐだと分かりました。けれどもまた奇妙なことも起こりました。数十人が一緒に出迎えたのですが、ご夫妻は駕籠の中から私ひとりだけが見えたのです。その時、ひとりの友人が私と一緒に立っていたのですが、彼はご夫妻を望み、私の方を見て、そっと聞きました。「以前あの方々に会われたことがあるのか?」私は正直に言いました。「お会いしたことはなありません。」彼はご夫妻のことを一途に思い、ご夫妻が彼のことを見ていたとだけ言うと、急いで数歩歩み寄りました。それというのも、ご夫妻に何か伺いたいことがあるようでした。ご夫妻が駕籠を降りられる前に、他の人々と共に身体を曲げてお辞儀をしましたが、眼は別の所を見ていて、そうしてようやく、以前見られていたのは自分ではないと分かり、恥ずかしくてたまらなくなりました。翌日、私は役所へ行って謁見しましたが、ご夫妻は県学の孔子廟にお参りに行かれ、県学で講義をして帰って来られたばかりで、諸事慌ただしく対応されていましたが、それらを放っておいて、私を中に入れ、二度茶を代えさせ、まるで数十年来の付き合いのように接していただきました。」張郷紳は言った。「総じてあなた様が人となりに人品と声望があったので、県知事様も敬意を表されたのでしょう。これからも何分よろしくご教示ください。」厳貢生は言った。「その後は却ってあまりお目にかかっていません。実は隠しているわけではありませんが、私は性格が率直で、この地方では少しばかり(寸絲半粟cùn sī bàn sù)もうまい汁を吸うことも存じませんが、これまでお仕えした知事様にも可愛がっていただきました。湯知事は気さくな方で、客に会われるのはあまりお好きではないですが、何事もよく心配りをされます。例えば先月の県の試験では、近習のご子息が十位になったので、その子を呼び、彼がこれまで従った先生が誰で、彼が縁談を決められたかなど細かく質問され、本当に気遣いをされる方なのです。」範挙人は言った。「私が先生を見るに、文章は法眼(鋭敏で深い洞察力がある)、ご令息として評価されているのですから、きっとそのご英才は賀するべきレベルにおありでしょう。」厳貢生は言った。「恐れ入ります。」また言った。「我が高要は、広東の有名な県で、一年のうち、銭糧(年貢の米、銭)、耗羨(年貢以外の収入)や、花、布、牛、驢馬、漁船、畑や家屋からの税が、万金を下りません。」また自ら手でテーブルの上で図を描き、声を落として言った。「湯知事のようなやり方では、八千金にしかなりません。前任の潘知事が担当された時期は、確かに万金がありました。その時は他にも収入があり、また私たち何人か欠かせない人もおりました。」そう言いながら、他人に聞かれるのを恐れ、更に首を回して門の外を覗いた。ひとりのぼさぼさ頭で裸足の小間使いが入って来て、彼を見て言った。「旦那様、家の方であなた様にお帰りくださいと言われています。」厳貢生は言った。「帰って何をするんだ?」召使は言った。「朝閉じ込めた豚を、あの男が返せと言って来て、家の中で騒いでいます。」厳貢生は言った。「あいつが豚が要るなら、金を持って来ればよかろう。」召使は言った。「あの男は、豚は自分のものだと言っています。」厳貢生は言った。「分かった。おまえは先に帰れ。すぐ行くから。」その召使はそれでも帰ろうとしなかった。張、範の二人は言った。「お宅で用事がおありなのですから、先生、お帰りください。」厳貢生は言った。「おふたりはご存じないが、この豚は元々私の家で飼っていたもので……」そこまで言った時、銅鑼の音が聞こえたので、一斉に立ち上がって言った。「知事がお帰りになりました。」

 

 二人は衣服、帽子を整え、執事を呼んで帖子を持ち、厳貢生にお世話になったお礼を言い、そのまま知事宅の家の門の入口に帖子を投げ入れた。湯知事は帖子を受け取った。一つには「世姪張師陸」、一つには「門生範進」と書かれていた。知事は心の中で思案(沉吟chén yín)した。「張さん(世兄。同じ世代の人に対する称)は何度も金品をたかりに来て、とても煩わしい。しかし今回は新たに試験に合格した門下生を連れて来ているので、帰すわけにはいかない。」すぐにお通しするよう言いつけた。二人は入って来て、先ず張静斎がお目にかかり、範進は入って来て教師と学生の間の礼を述べた。湯知事は何度も遠慮した上で、座って茶を飲み、張静斎と長い間別れていた話をした。また範進の文章を褒めた上で、質問した。「どうして会試に行かれなかったのですか。」範進はそとでようやく説明した。「母が亡くなり(見背)、守制(父母が亡くなると、その子は二十七ヶ月間家に閉じこもり身を慎み、官職にある者は必ず一時職を退く)に基づき喪に服して(遵制丁憂)おりました。」湯知事は大いに驚き、急いで範進を吉服(祭祀の時に着る服)に着替えさせた。拱手の礼をして後堂に入り、酒宴を並べた。席にはツバメの巣、鶏、鴨が並べられ、その他広東で獲れたイカ、苦瓜の料理も二碗並べられた。県知事が席を設けて座り、用いた食器は銀を嵌め込んだ盃や箸であった。範進は躊躇する様子(退前縮后)で、箸を取ろうとしなかった。知事はその理由が分からなかった。張静斎は笑って言った。「範進は喪中なので、このような盃や箸は使えないのです。」知事は急いで取り換えさせ、磁器の盃と象牙の箸を持って来させたが、範進はこれも使おうとしなかった。張静斎は言った。「この箸も使えません。」ただちに白色の竹の箸に交換させると、ようやく手に取った。知事は彼が喪に服するのにこのように礼を尽くすので、酒や生臭物は食べられないのではないかと思い、準備しなかった。後になって、彼がツバメの巣の碗の中からエビの団子を選んで口に運んでいるのを見て、ようやく安心し、それで言った。「お客様を怒らせやしないか心配しました。私のところの宗教では、酒席で何も食べるものが無く、ただこうした数種類の簡単な料理だけなので、とりあえず軽食をお取りください。回教では牛や羊しか食べませんが、おそらくあなたのところの宗教では、皆さん方はこれらの肉を食べられないでしょうから、お出ししませんでした。現在は朝廷から役牛の屠殺を禁じる命令が出ていて、上から緊急で命令書が下されたので、役所でも食べることができないのです。」燭台を手に、命令書を持って来て見せた。ひとりの傍仕えの召使が知事の耳元でそっと二言三言話すと、知事は立ち上がり二人に言った。「外で文書管理の者が話があるようなので、私はちょっと行って来ます。」

 

 知事が出て行ってしばらくして、こう言いつけるのが聞こえた。「とりあえずそこに置いておきなさい。」知事が帰って来てまた席に着き、席を立ったことを詫びた。張静斎に言った。「張さん、あなたは官職を勤めたことのある方だから、この件はちょうどあなたに相談するべきことだと思います。それは牛肉を食べるのをやめる話です。先ほど、何人かの同じ宗教の知り合いが来て、全部で五十斤の牛肉を準備して来たのですが、その中でひとり、回教徒の代表をしている男が進み出て、私に、牛肉を食べるのを禁じられると、食べるものが無くなるので、私に禁令を少し緩くして、「上をごまかして下々にはごまかさないで」ほしいと言い、五十斤の牛肉をここに持って来て私にくれると言うのです。受け取ってよいものでしょうか。」張静斎は言った。「旦那様、こんな話は決して口にされてはなりません。私たち官職にある人間は、皇上のことだけ考えるべきで、同じ宗教のお知り合いのことなど考えるべきではないのです。思えば、洪武年間(明の太祖、朱元璋の時代)、劉老先生(劉基。劉伯温)は……」湯知事は言った。「どちらの劉老先生ですか。」張静斎は言った。「忌み名が基の方です。彼は洪武三年の最初の科挙の進士で、「天下有道」三句中の第五位でした。」範進が口をはさんで言った。「第三位だと思っていました。」張静斎は言った。「第五位です。その時の答案用紙の墨筆を私は見たことがあります。その後、翰林院に入られました。洪武時代、プライベートで劉基の家に行き、雪夜に宋の太祖が趙普の家に行ったように、彼の様子を調べに行きました。ちょうど江南の張王(呉王の張子誠)が劉基につぼに入った小菜を送ってきたので、直につぼを開けて見てみると、中には瓜の形の金塊が入っていました。洪武聖上は悩んで、こう言いました。「劉基は、天下の事は皆自分たち読書人が担っていると思っているんだ。」翌日、劉基は青田県知県に左遷され、また毒薬をあおいで死んでしまいました。これはなんとすごいことではありませんか。」知事は彼の説明が立て板に水で、また本朝に確かに典拠があるので、信じられず、質問した。「今回のことはどのように処置すれば良いかですか。」張静斎は言った。「私の愚見によれば、旦那様は今回のことで名を高めることができるでしょう。今晩、彼を待機させ、明日の朝議で、この男を連れて来させ、責め具で何十発か殴らせ、大きな首枷を持ってきて、牛肉を首枷の上に置き、その横に告示板を立て、この男の大胆な行いを明らかにするのです。上司の方が訪ねて来られてそうと知られたら、旦那様が職務に少しもいいかげんなところがないことが分かり、ご出世は間近でございましょう。」知事は頷いて言った。「頗る道理である。」すぐに席を立ち、ふたりを書斎に留めた。

 

 翌日の朝議で、最初に入って来たのは鶏を盗んだ常習の盗人で、知事は怒って言った。「おまえという盗人は、我が手の中で何回も罪を犯し、未だに改めようとしない。打たれることも怖れない者を、今日はどうしてくれようか。」それで朱筆を取ると、顔に「偷鶏賊」の三文字を書き、首枷を持って来させると、男が盗んだ鶏を頭を後ろに、尾を前にして、男の頭に括りつけ、首枷をはめて出て行かせた。県城の門を出るや、その鶏の尻からガラガラ(𠵯喇guā lǎ)と音がして、薄い糞を排出し、額から鼻の上にぽたぽた滴り落ち、ひげがぐっしょり濡れて、首枷の上に滴り落ちた。両方を見た人はげらげら笑った。二人目に高要県の回教徒の代表をしている男に入って来させ、一度大いに罵った。「大胆な犬畜生め!」。厳しく責め具で三十発の罰を負わせ、大きな首枷を取ると、あの五十斤の牛肉を皆首枷の上に積み上げ、顔と首をしっかりたがで締め付け、ただ両眼だけを残し、県城の前で群衆への見せしめとした。天気も暑く、首枷をして二日目には、牛肉に蛆がわき、三日目にはお陀仏となった。

 

 

 回教徒の人々は納得ができず、一時数百人の人々が集まり、銅鑼を鳴らしストライキをし、県城の前まで来て気勢を上げ、こう主張した。「おれたちは牛肉を持ってくるべきではなかったが、死罪にすることでもないだろう。今回のことは南海県のならず者、張師陸の差し金だ。おれたちは役所までデモ行進して、奴を引っ張り出し、殴り殺してやる。張本人を摘まみだして、命でつぐなってもらうぞ!」この騒ぎのせいではないが、いくつか展開があった。厳貢生は訴訟を起こされ(貢生興訟)たので、こっそり行方をくらまし(潜踪qián zōng)省城にやって来て、地方の名士と誼(よしみ)を結び(郷紳結親)、権勢を持つ役人に取り入るため長旅も厭わず京城にまでやって来た(謁貴竟遊京國)。回教徒の人々が騒ぎを起こしましたが、いったいどうなったのでしょうか、次回に解説いたします。

 

 

 周進は科挙の試験に合格し、官職を得、科挙の試験官に任命され、広東に赴任します。そして広東で試験を実施したところ、そこで出会ったのが範進という50過ぎの男。彼も曾ての周進のようにずっと試験に落ち続け、貧乏暮らしをしていたのですが、周進が彼の答案を読んだところ、実はすばらしい名文であると気がつき、彼を合格させます。ひとたび科挙に合格するや、周りの人々の彼に対する扱いが180度変わるという、人間社会の可笑しさが描かれています。『儒林外史』第三回、『範進中挙』(範進が科挙に合格し挙人になる)という題名で、よく知られたお話です。

 

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周学道は士を校(くら)べ真才を(見)抜(ぬ)き

胡屠戸(屠殺屋の胡)は凶を行い捷報(合格の速報)に閙(さわ)ぐ

 

 さて、周進が省都で貢院を見たいと言い、金有余は周進が真剣であるのが分かったので、いくらか小銭を使って、彼と一緒に見に行かざるを得なくなった。思いがけず、天の字の番号の部屋まで来て、周進はぶつかって地面に倒れた。人々はあわてて、病気の発作かと思った。雑貨商の主人は言った。「おそらく、この貢院の中に長い間人が入って来なかったので、陰気が重くなり、このため周さんは邪気に中られたのでしょう(中了悪)。」金有余は言った。「ご主人、私が彼を助け起こしますから、あなたは作業者がいるところに行って、水をもらってきてください。彼に水を飲ませてみようと思います。」主人は承諾し、水を取って来た。一緒に来た客三四人で一斉に彼を助け起こすと、水を注ぎ込んだ。喉の中でゴロゴロと音がして、濃いよだれを吐き出した。人々は言った。「良かった。」彼を抱きかかえて立たせた。周進は号板(貢院の小部屋の中に置かれた木の板)を見ると、また頭からぶつかって行った。今度は気を失うことはなく、声を出して泣き出し、人々はなだめたが効果が無かった。金有余は言った。「ご覧、気でも狂ったのかね?どうしても貢院に来て中に入ってみたいと言い、なんとか死なずに済んだのに、どうしてこんなに「大声で泣き叫ぶ」(号咷(啕)痛háo táo tòng)んだろう。」周進はそのことばも耳に入らず、ひたすら号板に伏せて泣き続けた。ひとしきり泣いたかと思うと、また何度か泣き続けた。地面を転げまわり、泣き続け、あまりに酷く泣くので、周りの人々も辛くなった。金有余はたいした事では無いと思ったが、雑貨店の主人が左右から彼の両肩を支えてくれた。彼はそこで我に還ったが、またひとしきり泣いて、終いには口から鮮血を吐き出した。周りの人々は寄ってたかって彼を担ぎ上げ、貢院の前の茶店の中に座らせて、彼に茶を一杯飲むよう勧めた。それでもなお鼻水をすすり、涙をぬぐい、悲しみが止まなかった。

 

 

同行したひとりの客人が言った。「周さんにはどんなお悩みがあるのですか。どうしてここに来て、こんなに激しく泣かれたのでしょう。それにしてもひどく泣かれたものですね。」金有余は言った。「ここにいらっしゃる皆さんはご存じ無いことですが、この私の叔父(舎舅)は、元々商売人ではありませんでした。彼は何十年も苦学をしてきたのですが、秀才になることもできず、今日貢院を見て、思わず悔し涙にくれたのです。」この一言が周進の本当の悩み事を言い当てていたので、周りの人のことも構わず、また大声で泣き出した。また別の客人が言った。「そういうことなら、金さんもおかしいのではないですか。周さん(周相公)は学問をされてきたのに、どうして連れ出して、このようなことをされているのですか。」金有余は言った。「たいへん貧しく、教える場所もなく、仕方なくこうしているのです。」また別の客人が言った。「叔父様のご様子を見るに、結局のところ才能も学問もすばらしいのに、誰もそれを分かってさしあげないから、これほど苦しんでおられるのだと思います。」金有余は言った。「彼は才能も学問も有るが、如何せん時運が良くなかったのです。」その客人は言った。「監生(明、清の最高学府、国子監(太学ともいう)に在席する学生のこと。生員)も科挙の試験を受けることができます。周相公は才能も学問もおありだから、彼にお金を寄付して監生として科挙の試験を受けてもらいましょう。合格したら、今日心配されたことも無駄にならないでしょう。」金有余が言った。「私もそうしたいと思っていましたが、ただそれには銀子を注ぎ込まないといけないのですよ。」

 

 

 周りの人々は寄ってたかって彼を担ぎ上げ、貢院の前の茶店の中に座らせた、……その客人は言った。「それは難しいことではありません。今、私の兄弟が何人かここにいます。めいめいが数十両の銀子を出して周相公にお貸しし、国子監に納めて受験させれば……」

 

 

この時、周進は泣くのをやめた。その客人は言った。「それは難しいことではありません。今、私の兄弟が何人かここにいます。めいめいが数十両の銀子を出して周相公にお貸しし、国子監に納めて受験して、もし合格して役人になられたら、それは私たちのお貸しした少しばかりの銀子によるものです。たとえ周相公がお金を返してくれなくても、私たちは諸国を商いをして歩いておりますから、どうせどこへ行っても何かの事情で多少の銀子を使うことになるのです。ましてやこれは良い行いです。皆さん、どう思われますか。」周りの人々は皆一斉に言った。「「君子成人之美」(君子は人の善行を助けて成就させる)と言います。またこうも言います。「見義不為、是為無勇」(義を見て為さざるは、勇無きと為す)と。私たちがどうして反対しましょうか。ただ、周相公が承諾されますかどうか。」周進は言った。「もしそうしていただけるなら、皆さん方は命の恩人(重生父母)です。私、周進は、ロバや馬に生まれ変わっても、恩に報いるため努力します。」地面を這いつくばり、何度か額を地面につけてお礼をし、周りの人々も礼を返した。金有余も周りの人々に謝意を述べた。また何杯か茶を飲み、周進ももう泣くことなく、人々と談笑し、雑貨店に戻った。

 

 翌日、四人の客人は果たして二百両の銀子を準備し、金有余に手渡した。一切の金の使い道は、すべて金有余が差配した。周進はまたこれらの人々と金有余に感謝した。雑貨商の主人は周進のために酒席を設け、皆を招いた。金有余は銀子を持って、藩庫(藩台衙門(衙門は役所のこと)といい、布政使(地方の最高の行政機関)衙門の中で銀や銭を収受する庫房(倉庫))に行き、庫収(政府が金を受領した時に発行する臨時の領収書)をもらって来た。ちょうど宗師(清代、提学官(一省の学校と科挙の事務を行う官吏))が本省に来られ、郷試の省都での追試(録遺)を行うタイミングに当たっていて、周進は「貢監首巻」(国子監の学生の首席)として登録された。

 

 

八月八日が試験の初日で、彼は貢院の中で自分が泣き崩れた場所を見て、思わず喜びがこみ上げて来た。昔からこう言う。「人逢喜事精神爽」(人は喜び事に出逢うと、気分が爽快になる)と。この七文字は、色とりどりの錦が寄り集まったかのようである。貢院を出ると、相変わらず雑貨商の店に泊まった。金有余や客人たちはまだ商品の買い付けが終わっていなかった。そして合格発表の日になり、彼は堂々と合格した。人々はそれぞれ喜び、一緒に汶上県に帰った。県では県令、教諭にお目にかかり、典史(知事の補佐官)が名刺を手に、家まで祝賀に来た。親族でなくても親族だと言ってやって来るし、付き合いの無い者も、付き合いがあると言ってやって来た。そうして忙しい状態がひと月続いた。申詳甫がこのことを聞き付け、薛家集で関係する人々を集め、鶏を四羽、卵を五十個、煎り米、歓団( 歓喜団。蒸したもち米 と砂糖を捏ねて丸くまとめた団子)の類を買いそろえ、自ら県にやって来て、お祝いを言った。周進は彼を引き留め、酒や食事を食べてもらった。荀旦那がお祝いに来たことは、言うまでもない。それから、上京して会試に参加するため、旅費や衣服は金有余が彼に代わって準備した。都に行って会試を受け、進士に合格し、更に殿試では上位三人に入り、官職を授けられた。三年が過ぎ、御史(監察御史)に上り、皇帝から直々に広東学道に任命された。

 

 この周学道は、何人か文章を見る相公を招へいしたが、心の中ではこう思った。「私は長い間苦労してきたが、今は官吏となり、下から上がってくる文書は子細に見て判断する必要があり、幕客(私的に招聘した幕客)の意見を無条件に聞いて、才能ある人材を埋没させてはならない。」考えが定まると、広州に行き任に着いた。翌日、文廟(孔子廟)へ行き線香を上げ、科挙の試験の告知を掲げた。先ず、二ヶ所の生員の選考を行った。三ヶ所目は南海、番禺の両県の童生であった。周学道は堂上に座り、童生たちが次々入って来るのを見た。童生の中には幼い者も、年かさのいった者もいた。容姿のきちんとした者、醜くずるい顔つきをした者、身なりのきちんとした者、衣服がぼろぼろの者がいた。やや遅れてひとりの童生が入って来た。顔色が悪くやせ細り、ひげはところどころ白いものが混じり、頭には破れたフェルトの帽子をかぶっていた。広東は温暖の地だが、この時はもう十二月上旬であるのに、その童生はまだ麻の道服を着ていて、凍えてぶるぶる震え、答案用紙を受け取ると、元の席に戻った。周学道は心の中で観察し、門を閉ざして中に入った。部屋より出て最初の答案を出す時分に、前に座ると、あの麻の道服を着た童生が進み出て答案を提出するのが見えた。着ている服は朽ち果て、席にも破れた布の破片が落ちていた。周学道が自分の体を見てみると、緋色の長衣に金色の帯が、きらきら輝いていた。名簿をめくって、その童生に尋ねた。「君が範進かね。」範進はひざまずいて答えた。「私がそうです。」学道は尋ねた。「君は今年いくつになるのかね。」範進は答えて言った。「私は名簿には三十歳と書いていますが、実際は五十四歳です。」学道は尋ねた。「君は何回試験を受けたのかね。」範進は言った。「私は二十歳で受験し、今まで二十数回受験しました。」学道は尋ねた。「どうしていつも合格できないのかね。」範進は答えた。「いつも童生は文字の間違いが多いので、先生方はこれまで評価いただけなかったのです。」周学道は言った。「それは必ずしもそうとは言えないと思う。君が退出したら、答案を私が詳しく見てみよう。」範進はぬかずいて出て行った。

 

 その時、まだ時間が早く、また答案を提出する童生がいなかった。周学道は範進の答案を注意深く一通り目を通したが、不愉快な気持ちになった。「このような文章は、とりたてて言うような内容ではない。道理で合格できないはずだ。」傍らに押しやって、見ようと思わなかった。しばらくして座りなおし、まだ誰も答案を出しに来ないので、心の中でまた考えた。「範進の答案をもう一度見てみようではないか。もしも一筋の光明でもあるようなら、彼の努力が気の毒ではないか。」

 

 

最初から終わりまで、もう一度目を通し、幾分か面白いと感じた。それでいざもう一度見てみようと思った時、一人の童生が答案を出しに来た。その童生はひざまずいて言った。「先生、どうか面接をお願いします。」学道はにこやかに言った。「君の文章はもうこの答案の中に書かれているのに、どうしてまだ面接が要るのかね。」その童生は言った。「童生は詩詞歌賦何れもできますので、是非先生に問題を出題して面接していただきたいのです。」学道は顔色を変えて言った。「「当今、天子は文章を重んじるに、足下何ぞ須らく漢唐を講うや。」君のように童生である者は、ただ注意を払って文章を作るべきであり、そういった雑学は、それを学んでどうしようと言うのかね。ましてや私はここで書かれた文章を評価するのを旨としているのに、どうしてここで君と雑学の話をしないといけないのか。思うにこのように名ばかり重んじ実を努めないようでは、正しい務めは自ずと疎かになる。これは軽薄で浮ついた考えであり、あってはならないことだ。左右の者、すぐに追い出してくれたまえ。」一声言いつけると、両側から何人かの狼や虎のような公人が進み出て、その童生の肩を押さえつけると、そのままもんどり打って大門の外まで押さえつけて行った。

 

 周学道はその童生を追い出しはしたが、その答案を手に取り、見てみた。その童生は名を魏好古といい、書かれた文章も筋が通っていた。学道は言った。「あの者は低い点で合格としよう。」筆を取ると、答案の末尾に点をひとつ記し、それと分かるようにした。再び範進の答案を手に取り見た。見終わると、思わずため息をついて言った。「このような文章は、私が一二度見ても理解できないが、三度目になってようやく、これが世紀の至文であることが分かった。本当に文字一つが一粒の真珠のようだ。このことからも、世の中のぼんくらの試験官が、どれだけの英才を理由もなく抹殺して来たかが分かる。」急いで筆を取ると、細かく丸や点を付け、答案の表紙に三重丸を付け、第一位と記した。また魏好古の答案を手に取り、第二十位と記した。各自の答案を全部集め終わると(彙huì =匯)、それらを持って中に入った。結果発表で、範進は首席となった。合格者謁見の日、一度心から称賛した。二十名まで名前を呼ぶと、魏好古が登壇し、また皆を激励し、「用心挙業、休学雑覧」(気持ちを集中して学業に励み、雑学は控えよ)と話し、楽人たちが太鼓を鳴らしチャルメラを吹いて送り出した。

 

 翌日、周学道は出発し、範進はひとり三十里の外まで送り、駕籠の前でひざまずいた。周学道は彼を傍らまで呼んで、言った。「大器晩成(龍頭属老成)と言う。私は君の文章は、十分修練されていると思う。科挙のこの科目は、必ず発展する。私は復命をして後、都で待っていますよ。」範進はぬかづいてお礼を言うと、立ち上がった。学道の駕籠は、担ぎ上げられ、走り去った。範進は立ったまま、旗竿の影が前山を曲がって見えなくなるまで見送り、それから宿に戻り、宿の主人に礼を言った。彼の家は都城から四十五里の道のりがあり、その夜すぐ帰ると、母親にお目にかかった。住まいは一間の草ぶきの家で、庇(ひさし)が一ヶ所掛かっており、門の外は茅で葺いた掛け小屋だった。母屋には母親が住み、妻は掛け小屋に住んでいた。彼の妻は集落で家畜の屠殺をしている胡家の娘だった。

 

 範進が合格して戻ると、母親、妻は皆それぞれ喜んだ。ちょうど鍋を火にかけ夕飯を作っていると、彼の舅の胡屠戸(屠殺屋の胡)が、手に腸詰一本と酒一瓶をぶら下げてやって来た。範進は彼に挨拶をし、座った。屠殺屋の胡は言った。「おれは運が無い。娘をおまえさんのように羞じ晒しの貧乏神(現世宝窮鬼)に嫁がせてしまい、これまで長い間、おれにどれだけ面倒が降りかかったことか。今日はおれがどんな徳を積んだせいか知らぬが、おかげで(帯挈dài qiè)おまえが相公に合格したと聞いたので、酒を持っておまえさんのお祝いに来たのさ。」範進は、「はいはい」と続けざまに言うと、細君に腸詰を茹で、酒を温めさせ、茅葺の掛け小屋に座った。母親は嫁と一緒に台所で食事の支度をした。屠殺屋の胡はまた娘婿に指図して言った。「おまえは今度相公に合格したので、万事が体裁が取れるようになった。例えばおれの仕事の中では、相手は正しく体面のある人で、おまえの目上の親戚でもあるのに、おまえはどうしておれたちのそばでお高くとまっていられるんだ。おまえが家の入口で畑仕事をして、糞尿をかき回して肥しを作っているなら、普通の庶民に過ぎない訳だが、おまえがもしあいつらと拱手の礼をして、対等にふるまう(平起平坐)ようなら、それは学校の規則を破ることになり、おれの面子も立たないのさ。おまえはくそ正直で使い道の無い男だから、こういうことはおれがおまえに教えてやらないと、人様の笑いものになるからな。」範進は言った。「お義父さんのご教示分かりました。」屠殺屋の胡はまた言った。「実の母親もここに座って飯を食べておられる。母上が毎日漬物と飯だけというのは、考えただけで気の毒だ。我が娘も一緒にいただいているが、おまえの家に嫁に来て十数年、豚の油を食べたことも二三度あったかどうかだ。可哀そうに、可哀そうに。」言い終わると、母と嫁の二人がやって来て飯を食った。酒を飲んで太陽が西に沈もうとする時分に、屠殺屋の胡は酒に酔って酩酊した。ここで母と子の二人は何度も礼を言った。屠殺屋の胡は服を適当に羽織り、腹を突き出して帰って行った。

 

 翌日、範進は同郷の人に挨拶しなければならなかった。魏好古はまた何人かの同期で合格した友達と約束をし、お互いに逢いに出かけた。この年は郷試が行われる年だったので、何回か秀才仲間と勉強会が開かれた。瞬く間に6か月が過ぎ、これらの同期合格の人々は範進と、郷試を受けに行く約束をした。範進は旅費が無いので、妻の父親に相談に行ったのだが、屠殺屋の胡に顔につばを吐きかけられ、口汚く罵しられ、こう言われた。「ばかな妄想もいい加減にしろ。おまえさん自身は、自分が相公に合格したことばかり考えているが、「癩蛤蟆想喫天鵝肉」(ライ病のカエルが白鳥の肉を食いたがる)ようなもので、身の程知らずだ。わたしが聞いた話では、相公に合格したのは、おまえの文章がすばらしかったのではなく、採点の先生がおまえが年老いているのを見て、気の毒に思い、おまえに施しを与えてくださったのだ。今はいちずに科挙に合格して役人になりたいと思っているのだろうが、ああいう役人に合格されるお方は、天上の「文曲星」(北斗七星の第四星)だったのだ。おまえは都で張家のお屋敷のああした旦那様方を見たことはないか。皆、万貫の財産をお持ちで、おひとりおひとり四角いお顔に大きな福耳をしておられる。おまえのように口はとがり、頬は猿のようにこけた醜い顔は、自分の顔にしょんべんでも振りかけて見てみることだ。ろくでもない、白鳥の屁でも食いたいのか!一刻も早くそんな考えは忘れて、来年はおれたちの稼業で、おまえに店を探してやろう。毎年何枚かの銀子を求めて、おまえのところの死に損ないの娘とおっ母を養うのが正道というものよ。おまえはおれに旅費を借りに来たが、おれは毎日一匹 の豚を殺しても、銭一束の銀子にもならないのに、みんなおまえが水の中に捨ててしまって、わしら一家はいつも食うものにも困る有様だ。」ひとしきり、とりとめのない話をし、罵られた範進は何を言っているのか理解できなかった。舅の家を辞して帰ってきたが、心の中で思った。「試験官の先生(宗師)は私に機が熟したとおっしゃった。昔から、場外に挙人無しと言う。試験場に行って試験を受けてみないことには、どうして納得できるだろうか。」それで何人かの同期の生員と相談し、舅をごまかして、都城に行って郷試を受験した。試験場を出ると、すぐに帰ってきた。家では食べるものがなく、二三日ひもじい思いをしていた。そのことが屠殺屋の胡の知るところとなり、またひとしきり罵られることとなった。

 

 

 合格者の掲示が出る当日、家には朝飯の米も無く、母親は範進に言いつけて言った。「うちには卵を生む雌鶏が一羽いるから、おまえ早くそれを持って村の市に行って売って、何升か米を買ってきておくれ。それで粥を煮て食べよう。私は腹が減って、両眼も見えなくなったわ。」範進はあわてて鶏を抱いて、門を出て行った。出かけてようやく二つ時(二個時辰。 一個時辰が約2時間なので、約4時間 )が過ぎた頃、銅鑼の音が響き、三匹の馬が突進してきた。三人の人が馬を降り、馬を茅葺の掛け小屋につなぎ、大声で叫んで言った。「早くどうか範旦那様出てきてくだされ。おめでとうございます、合格されましたぞ。」母親は何事か分からず、びっくりして部屋の中に隠れた。合格したと聞き、ようやく頭を出してこう言った。「みなさん、どうぞお座りください。息子は今しがた出かけたところです。」これら合格の報告人たちは言った。「どなたかと思えばご母堂様でございますか。」村人たちが皆集まり取り巻いて、祝儀をねだった。ちょうどがやがや騒いでいると、また何匹か馬が来て、第二報、大三報がやって来た。一部屋に集まった人々は、茅葺の掛け小屋の地面一杯に座った。隣家の人々もやって来て、集まって見物した。母親はどうしようもなく、ひとりの隣人に頼んで息子を探しに行ってもらうしかなかった。

 

 その隣人は市場に走って行ったが、どこにも見つからなかった。そのまま市場の東端まで行くと、範進が鶏を抱いて、手に値札を挿して、一歩一歩ゆっくり歩き、きょろきょろあたりを見まわし、買い手を探していた。隣人は言った。「範相公、早く家にお帰りなさい。おめでとうございます。あなたは挙人に合格されましたぞ。合格を報告に来られた方がお宅にお集まりです。」

 

 

範進はだまされていると思い、聞こえないふりをして、頭を低くし、前に進んだ。隣人は彼が相手にしてくれないと分かると、歩み寄って、彼の手から鶏を奪った。範進は言った。「あなたは私の鶏を奪ってどうされるのですか。あなたも買ってくれるんじゃないでしょう。」隣人は言った。「あなたは挙人に合格されたのです。あなたの家に、合格の通知が発せられました。」範進は言った。「お隣の方、あなたはご存じか、我が家には今日、米が無いのです。この鶏を売って命をつながないといけない。どうしてそんな話で私をごまかすのですか。私もあなたのように頑固ではない。あなたは勝手に帰ってください。私が鶏を売るのを邪魔しないでください。」隣人は彼が信用してくれないと分かると、素早く鶏を奪い取り、地面に放ると、腕を掴んで引っ張って帰った。合格の報告人は彼を見ると言った。「良かった、新しい旦那様が帰って来られた。」正に彼を抱きかかえて話をしようとした。範進は二三歩部屋に入ると、部屋の真ん中に吉報が既に高く掲げられているのが見えた。それにはこう書かれていた。「捷報貴府老爺範諱進高中広東郷試第七名亜元(速報、貴府の範旦那様は広東郷試で第七名に合格された)。京報連登黄甲(正式にご報告する)。」

 

 範進は見なければ何でもなかったが、一度見て、また一度読んで、自分で両手を叩き、笑い声を上げて言った。「え、やった、おれは合格したぞ。」そう言うと、後ろに転んで倒れた。口を閉じて歯をきつく噛みしめ、人事不省に陥った。彼の妻はあわてて、急いで何口か水を注ぎ込んだ。彼は起き上がると、また手を叩き、大笑いして言った。「え、やった、おれは合格したぞ。」笑いながら、訳の分からないことをつぶやくと、門の外へ飛び出して行ったので、合格報告人や隣人は皆びっくりした。門を出てあまり行かないうちに、片方の足を池の中に踏み入れてしまい、池から抜け出すと、頭髪はばらばらに垂れ下がり、両手は泥だらけで、体中が水でびしょ濡れになり、人々は彼を引き留めることができず、手を叩き笑いながら、まっすぐ市場のほうに歩いて行った。人々はびっくりして、お互いに顔を見合わせ、一斉に言った。「なんと、新たに合格されたお方は喜びのあまり、気が振れてしまったのか。」妻は泣いて言った。「どうしてこのような悲しい運命に逢うことになったのか。科挙に合格したお方が、このような不治の病にかかるとは。このように気が振れてしまったら、いつになったら良くなるのだろう。」妻の胡氏は言った。「朝は元気に出かけて行ったのに、どうしてこのような病気にかかったの。それにしても、どうしたら良くなるの。」何人もの隣人が励まして言った。「奥様、慌てないで。私たちはたった今、二人の人に範旦那様を追いかけてもらっています。ここには皆の家から持って来た鶏や卵、酒、米があるので、しばし合格の報告を持って来られた旦那様方をおもてなしし、それからもう一度相談しましょう。」

 

 すぐさま燐家の人々は鶏や卵を持ってくる者、白酒を持ってくる者、また一斗の米を背負ってくる者や二羽の鶏を捕らえて来る者もあった。妻は泣きながら、台所で整理が終わると、草ぶきのあばら家に持って来た。隣人はまたテーブルと腰掛を運んで来て、合格報告人に座ってもらい、酒を飲んでもらい、相談した。「彼はあのように気が狂ったが、どうしたら良いだろうか。」合格報告人の一人が言った。「拙者に考えがあります。やってうまくいくかどうか、分かりませんが。」人々は尋ねた。「どのようなお考えで。」その人は言った。「範旦那様には平素最も恐れている方がおられましょう。あの方はあまりの喜びに、痰が湧き上がって心眼(心竅xīnqiào )が戸惑ってしまったのです。今、あの方が恐れているその方が来て、あの方の頬を打ち、「あの合格報告人の話はおまえをからかっただけで、おまえは合格していない」と言ってやるだけで良いのです。あの方はそう聞いてびっくりして、痰を吐き出せば、意識がはっきりするでしょう。隣人たちは皆手を叩いて言った。「このお考えはとても良い。すばらしい。範旦那様が恐れているのは、屠殺屋の胡の旦那を置いて他にない。よし、早く胡の旦那を探して連れて来い。おそらく奴さんはまだ知らずに、市場で肉を売っているだろう。」ひとりの男が言った。「市場で肉を売っていたら、もう知っているさ。奴さんは五更(午前4時から6時まで)の太鼓から、市場の東端に豚を追って行って、まだ帰って来ていない。早く迎えに行って胡の旦那を探してきな。」

 

 一人の男が飛び出して迎えに行き、途中まで歩いて行くと、屠殺屋の胡がやって来るのに出会った。彼の後ろからはスープ作りの人夫が二人ついてきて、七八斤の肉と、四五千の銭を提げて、ちょうどお祝いにやって来た。門を入って範進の妻に会うと、妻は泣きながら事の次第を一通り説明した。屠殺屋の胡は、いぶかって言った。「まさかこのようにして幸せがやって来ないのではないだろうか。」外にいた男が大声で胡老人に話をさせてほしいと声をかけた。屠殺屋の胡は肉と銭を娘に与え、家の外へ出てきた。人々はかくかくしかじかと、彼と相談した。屠殺屋の胡は当惑して言った。「私の娘婿とはいえ、今は旦那様となり、天上の星座におなりになった。天上の星座は殴ることなんてできない。私は坊さん方が言われるのを聞いたことがある。天上の星座を殴ったら、閻魔大王に取っつかまって鉄の棒で百回打たれ、十八層の地獄に送られ、永遠に寝返りも打てなくなると。私はそんな大それたことをする勇気はないよ。」隣人たちの中の、とげとげしい物の言い方をする男がこう言った。「もういいよ、胡旦那。あんたは毎日豚を殺して生計を立て、白いナイフを持って入って、それを真っ赤にして出てくる。閻魔大王も判官が帳簿上におまえが何千本の鉄のこん棒と付けさせたか覚えていないし、それに百回付け加えられたところで、どうということもないだろう。ただ恐らく打たれ終わったところで、この帳簿上の数には入らないだろう。或いは、おまえさんがもし娘婿の病気を直したら、閻魔大王がその功績を評価して、地獄の十七層に引き上げてくれるかもしれないじゃないか。」合格の報告人が言った。「冗談ばかり言いなさんな。胡旦那、このことはなるようにしかならないですよ。おまえさんにはどうしようもない。ちょっと臨機応変にしたらどうですか。」屠殺屋は人々に押さえつけられたが、仕方なく続けざまに酒を二碗注いで飲み干し、腹を据えると、今しがたの不安げな様子を納め、ふだんの凶悪な様子を出して、油でてかてかに光った服の裾をまくり上げ、市場に歩いて行った。隣人が五六人、後について行った。妻が急いで出て来て、大声で言った。「お父さん、あの人を脅すだけにしてください。殴ってケガをさせちゃあだめだよ。」隣人は言った。「それは当然のことだ。そんなこと今更言いなさんな。」そう言うと、そのまま行ってしまった。

 

 市場に来ると、範進がちょうど廟の門のところに立っていた。頭髪は髷がほどけてざんばら髪で、顔中泥で汚れて、靴は片足が脱げて無くなり、相変わらず手を叩きながら、口ではこう叫んだ。「合格した、合格した。」屠殺屋の胡は、凶悪な鬼のように、その前に歩み寄ると、言った。「死に損ないの畜生め。おまえ、何に合格したって。」そう言って、片方のほっぺたを殴った。

 

 

 範進はちょうど廟の門のところに立っていたが、頭髪は髷がほどけてざんばら髪で、顔中泥で汚れて、靴は片足が脱げて無くなっており、…… 屠殺屋の胡は、凶悪な鬼のように、その前に歩み寄ると、……片方のほっぺたを殴った。

 

 

 隣人たちはこの様子を見て、我慢できず笑った。屠殺屋の胡は肝を据えていたが、殴りたいとは思わなかった。心の中ではやはり恐れていた。その手はとっくにぶるぶる震えてきて、もう二発目を殴る勇気はなかった。範進はこの一発で、ぼうっとなって、地面の上に昏倒した。隣人たちは一斉に進み出て、彼に代わってみぞおちを撫で、チョッキをこぶしで叩き、しばらくいじり回していたが、次第に息が落ち着いてきて、眼はきらきら輝き、もう正気に戻っていた。人々は助け起こし、廟の門口を借りている外科医の「跳駝子」(嘘つきの意味)に借りた腰掛の上に座らせた。屠殺屋の胡は片側に立っていたが、思わず知らず、殴った方の手がかすかに痛みを感じた。見てみたが、手のひらを上に向けていると、もう曲げられなくなった。心の中で、思い悩みながら言った。「やっぱり天上の「文曲星」は叩くことができないのだ。今は菩薩さまがあれこれ勘定されているんだ。」考えていると、一層痛くなってきたので、急いで郎中に聞いて膏薬を求めて貼り付けた。

 

 範進は人々を見て、言った。「私はどうしてここに座っているんですか。」また言った。「私はこの半日、頭がぼうっとして、夢を見ているようでした。」隣人たちが言った。「旦那様、合格おめでとうございます。今しがた、喜びのあまり、痰が上がってきたのですが、さっき痰を吐き出したので、良くなりました。早く家に帰って、合格の報告に来た方のお相手をしてください。」範進は言った。「そうだ、確か七番目で合格したんだと記憶しています。」範進は一方で自分の髪の毛を髷に結び、一方でその医者に頼んで洗面器に水を借りて顔を洗った。隣人の一人が早くも靴の一方を捜してきて、彼に履かせた。岳父が目の前にいるのを見て、恐らくまた怒られると思ったが、屠殺屋の胡は前に進み出て言った。「婿殿、さっきは俺が腹を据えてかかったのではなく、お前の母親の言いつけで、俺に頼んでおまえに忠告するためなのだ。」隣人のうちの一人が言った。「胡旦那は今しがたこの頬を叩いてくれたおかげです。範旦那様、顔を洗ってください。あと盥半分のラードを持ってくるので、きれいにください。」また一人が言った。「旦那、おまえさんのこの手で明日豚を殺せないだろう。」屠殺屋の胡は言った。「うちじゃあまだ豚を殺しているが、この婿殿がおられるから、後半生に当てにするものが無いと心配してどうするんだ。おれはいつも言っているんだが、おれのこの婿殿は、才能も学問も優れているし、気品もあるし容姿も良くて、都のあの張府、周府の旦那方でも、我が婿殿ほど立派な姿かたちの方はおられない。おまえたちは知らないだろうし、気を悪くさせるかもしれないが、おれは人を見る眼があるんだ。思い返すと、うちの娘が家で三十過ぎになって、たくさんの金持ちが結婚したいと言ってきたが、おれは娘は運を持っているように思えたんだ。それで結局、この婿殿に嫁がせたんだが、今日、果たして間違ってなかっただろう。」そう言うと、ハハハと大笑いした。人々も笑って、範進が顔を洗うのを見ていた。医者はまた茶を持ってきて飲ませ、一同は家に戻った。範挙人は先に行き、屠殺屋と隣人がその後に従った。屠殺屋は娘婿の衣服の後ろ身ごろが皺くちゃになっているのが見えたので、道々頭を下げて彼のために何十回と服を引っ張り整えた。家の門に着くと、屠殺屋は声高に叫んだ。「旦那様のお帰りだ。」母親が出迎えに出て来て、息子が正気に戻ったのを見て、喜びが天から降ってきたかのようだった。人々は合格報告人に挨拶し、もう家で屠殺屋が持ってきた数千の銭を彼らに渡して帰らせた。範進は母親にお辞儀し、妻の父親に謝意を表した。屠殺屋の胡はしきりに落ち着きなさげに言った。「多少なりと銭が無いと、お前様が人に褒められるに十分ではないだろう。」範進はまた隣人に礼を言った。ちょうど座ろうとしていると、ひとりのりっぱな身なりの執事がやって来るのが見えた。手には大きな赤い紙の名刺を持ち、大急ぎで家に入って来た。「張旦那様が新たに合格された範旦那様にご挨拶に来られました。」言い終わるや、駕籠がもう家の門口に到着していた。屠殺屋の胡は急いで娘の部屋に隠れ、敢えて出てこようとはしなかった。隣人たちもそれぞれ帰って行った。

 

 範進が出迎えに出ると、かの張郷紳が駕籠を降りて来た。頭には紗の帽子を被り、灰色がかった黄色の礼服を身に纏い、金色の帯をし、黒い靴を履いていた。彼は挙人の出身で、知県を任官したことがあり、号を静斎といい、範進に遠慮しながら入って来て、広間に着くと部屋の中で平伏すると、賓客と主人に分かれて座った。張郷紳が先に範進に取り入るように話し出した。「あなた様とは代々同郷の間柄でありますが、長い間親しい交わりを失しておりました。」範進は言った。「若輩は久しく先生をお慕いしておりましたが、縁無く、ご挨拶できておりませんでした。」張郷紳は言った。「今しがた題名録を拝見しますと、貴家の師は高要県の湯公で、我が先祖の門下であり、私とあなた様は先祖代々交際のある親しい間柄であります。」範進は言った。「若輩は思いがけない幸いに浴し、実に恥ずかしく思っております。けれども幸いにも老先生の門下に加えていただき、うれしく存じます。」張郷紳は部屋の四方を眺めると、言った。「先生は果たして貧しい暮らしをされていますな。」後ろに控えた召使いが手に持つ銀子一封を受け取ると、言った。「拙者、失礼かとは存じますが、謹んでお祝い金五十両を持参しましたので、ひとまずお納めください。このお住まいでは、実際お暮しにはなれますまい。今後、官吏の者が仕事で行き来するにも、都合が悪いでしょう。拙者は東門大街に空き家をひとつ所有し、中庭は三重で母屋は三間の大きさで、あまり広くありませんが、きれいに保ってありますので、先生にお渡しします。そちらへ引っ越して住まわれ、早晩ご教示くだされ。」範進が何度も辞退すると、張郷紳は怒りだし、言った。「あなたと私は何世代にもわたり、誼を通じてきて、親戚のように親しい間柄でありますのに、このようによそよそしくされますとは。」範進はようやく銀子を受け取ると、お辞儀をして感謝した。また少し言葉を交わし、お辞儀をしてお別れを言った。屠殺屋の胡は、張郷紳が駕籠に乗るまでずっと待っていたが、それからようやく部屋から出て来て、広間にやって来た。

 

 範進は受け取った銀子を妻に渡し、包みを開いて見てみると、一封一封が真っ白の細い糸で結ばれた銀貨で、二枚ずつ結ばれていた。屠殺屋の胡を部屋に入れ、銀貨を彼に渡して言った。「先ほどはお義父様のお心添えで、銭を五千いただきました。この六両余りの銀子は、お義父様がお持ち帰りください。」屠殺屋は銀子を手できつく握りしめると、握った拳を伸ばしてきて、言った。「これは、やはりおまえがお収めなさい。私は元々おまえのお祝いに来たのに、どうしてこれを持って帰れようか。」範進は言った。「うちにはまだこの二両の銀子があるから、使い終わったら、またお前様に頼んでなんとかしてもらいます。」屠殺屋は急いで握った拳の腕を縮めて、懐にしまうと、口ではこう言った。「まあよかろう。おまえは今しがた張旦那とお付き合いを始めたのだから、銀子が無いことは心配するに及ばない。張旦那の家の銀子は、言ってみれば皇帝閣下の家よりもっと多いのだから。あのお宅はうちが肉を売るお得意先で、一年何も無くても、肉は四五千斤必要だ。銀子のことは別に不思議でも何でもない。」そしてまた振り返って、娘の方を見て言った。「おれは今朝銭を持って来たが、おまえのあの死に損ないの伝染病をまき散らしている弟がまだ承知しないので、おれはこう言った。「婿殿は今は昔とは違う。誰かが銀子を家まで届けて使わせてくれるに違いない。ただ心配なのは、婿殿がまだ値打ちがあると思わないことだ。」今日は果たして思った通りになった。今は銀子を持って、家でこの首をはねられて死んだ短命の下僕を罵ってやるさ。」そうしばらく話すと、範進に心からの謝意を示し、頭を下げると、にこにこと上機嫌で帰って行った。

 

 これ以降、果たしてたくさんの人々がやって来て、あれこれ彼にこびへつらった。ある者は田畑を贈り、ある者は店の建物を贈った。また、没落した家の者は、夫婦で身を投じて来て、庇護を求めた。二三カ月すると、範進の家には召使や女中が揃い、銭や米のことは言うまでもなかった。張郷紳の家からは引っ越しの催促に来た。新居に引っ越し、芝居の上演、宴会、客のもてなしが三日三晩続いた。四日目に、母親が起きて軽食を食べ、屋敷の一番奥の部屋に入ると、範進の嫁の胡氏が、普段使いで銀糸のそえがみを着け、この日は十月の中旬で、なお暖かい日であったが、紺色の緞子の合わせの服を身に着け、緑色の緞子のスカートを履いて、召使や召使の妻、女中を従え、食器や箸を洗っていた。母親はそれを見て言った。「ねえさんがた、注意しておくれ。これは皆人様の家のものだから、壊すんじゃないよ。」召使の妻は言った。「奥様、これは他人のものではありません。皆、あなたのお宅のものですよ。」母親は笑って言った。「我が家にどうしてこんなものがあるの。」女中と召使の妻は一斉に言った。「どうしてですか。これらのものだけでなく、私たちやこの部屋もみんな奥様、あなたのお宅のものですよ。」母親はそれを聞くと、上質な磁器の碗や銀のはめ込まれたカップ用のお盆をひとつひとつ見ると、大声で笑って言った。「これが皆私のものなの。」大声で笑った拍子に、後ろに倒れてしまった。突然、喉から痰が湧き上がり、人事不詳になってしまった。ただこの時は、用心をしていた。会試の挙人が、金の無心をする客人になってしまうことがある。貢生の身にはいろいろなことが起こり、様々なもめ事をかかえることになる。さて、母親の命はどうなるか、次回に解き明かします。

 

 『儒林外史』第二回では、科挙受験を目指す村の子供たちに教育を受けさせるための学校を開くことになり、その先生として、万年科挙の試験に落ち続けている六十過ぎの周進という老人が招かれます。ところがこの周進、省都の科挙の試験会場の貢院に興味本位で入ってみたところ、突然何かに取りつかれたように、人事不省に陥り……。これより科挙の試験にまつわる、人々の悲喜劇の幕が開きます。

 

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王孝廉(挙人)は村学で同科(科挙の同榜の合格者)を識り

 周蒙師は暮年(晩年)に上第(科挙の状元)に登る

 

※孝廉:漢代の官吏登用制度では、賢良方正科、 孝廉科があり、前者は必ずしも地方で推挙しなかったが、後者は専ら地方で推挙し中央で任用した。後世になると、挙人は郷試で選出されるようになり、「孝廉」が挙人の別称となった。

 

※蒙師:「蒙」は蒙昧無知の意味で、小学生が初めて読書することを「開蒙」といい、県試を目指す童生に教える学堂の先生を「蒙師」と呼んだ。

 

 さて、山東の兗州府汶上県に、薛家集という名の郷村があった。この集落には百十ほどの人家があり、皆、農業を生業としていた。村の入口に観音庵があり、殿宇は三間ある他、これ以外に十数間の空き部屋があり、裏口は船着き場に面していた。この庵は各方面からの参拝がなされていたが、ひとりの和尚が住んでいるだけだった。集落に住む人々は、凡そ公用があると、この庵に集まり協議した。

 

 時は成化(明憲宗・成化帝の治政、14471487)末年のことで、ちょうど天下は大いに繁栄していた。一月八日、集落の人々があらまし集まり、庵で龍灯会(旧正月・元肖節のランタン祭り)の開催についてあれこれ議論していた。朝食の時間になり、頭(かしら)の申祥甫が七八人の人々を連れて入って来て、殿上で仏像を拝んだ。和尚が歩み出て、新年のお祝いを述べると、皆が返礼した。申祥甫が口火を切って和尚に言った。「和尚、新しい年の正月を迎え、菩薩様のご面前でより一層供養に励んでくだされ。南無阿弥陀仏。各方面からの寄進を受けたら、役に立ててもらわんとな。」また言った。「皆さん、こちらへ来てご覧なさい。この瑠璃のランプの中には、瑠璃の油を半分入れるしかないのです。」中にいるきちんとした身なりの老人を指して言った。「他の人は知らないが、この荀xún(ジュン)旦那は、三十日の夜にまた五十斤の油をあんたに届けたのに、単にあんたがおかずを炒めるのに使うだけでは、全く仏様に申し訳ない。」和尚は注意深く相手しながら、彼が言い終わるのを待って、鉛の壺を取り出し、苦丁茶(くちょうちゃ)の茶葉をひとつまみ入れると、水を一杯まで注ぎ入れ、火にかけてぐらぐら沸かしてから、皆に配って飲ませた。

 

 荀旦那が先ず口を開いて言った。「今年の龍灯のお祭りで、私たち門下の各家はどれだけの寄進をする必要がありますか。」申祥甫は言った。「ちょっと待ちなさい。私の親戚が来てから一緒に相談しましょう。」ちょうど話している時、外からひとりの男が入ってきた。両目のふちが真っ赤で、浅黒い顔をし、黄色いひげをまばらに生やし、瓦楞帽(昔の庶民の被る帽子で、てっぺんの部分が瓦楞(丸瓦で葺いた屋根瓦が畝状に縦に並ぶ様)状になっている)をまぶかに被り、着ている黒い布服は汚れてテカテカしていた。手にはロバを追う鞭を持ち、門を入ると、人々に手を組んで挨拶し、どっこらしょと上座に腰を下ろした。この男は姓を夏といい、薛家集に昨年新たに派遣されて来た総甲(明清代の地方の役職)である。夏総甲は上座に座ると、先ず和尚に言いつけた。「和尚、わしのロバを裏庭のかいば桶のところに連れて行って、鞍を下ろして、草を腹いっぱい食べさせてやってくれ。私は話し合いが終わったら、まだ県の城門の近くの黄旦那の家に行って新年の宴会の酒を飲まんといかんのでな。」和尚にそう言いつけると、足を組んで片足を上げると、拳を作って腰の上をひたすら叩いた。拳を打ちながら言った。「おれは今、おまえたち百姓ほど愉快ではない。正月だというのに、役所の中では、三班六房の役人どもが誰一人宴会の招待状を持って来ない。私がどうして正月のお祝いをしないで済まされよう。毎日このロバに跨り、県城や郷村に行き、へとへとになるまで走り回ってきた。おまけにまたこのめくらの馬鹿者が前につまずいたので、私はロバから転げ落ち、腰や股ぐらが痛くてかなわん。」申祥甫が言った。「正月の三日に、私は豆腐や飯を準備して親戚を招きましたが、用事があって来れなかったようなのです。」夏総甲は言った。「そう言うがな、新年から七八日は、ひとつとして暇なことなどあろうか。あいにく口はふたつ無いので、食事は断れんのだ。今日私を招待してくれた黄旦那と言ったら、殿様の面前ではトップの位置におられる。あの方は私を引き立ててくれていて、もし私が行かなかったら、不審に思われるだろう。」申祥甫は言った。「西班の黄旦那のことは、わたしもお噂はお聞きしている。あの方は年内から殿様より出張を命ぜられたはず。家には兄弟やご子息はおられないが、どなたがホストをされるのですか。 」夏総甲は言った。「あんたはご存じないのか。今日の酒宴は、快班の李旦那の招待で、李旦那の屋敷が狭いので、宴席を黄旦那の屋敷の広間に設えたのだ。」

 

 しばらく話していたが、やがて話が龍灯節のことになった。夏総甲は言った。「このようなことは、俺は今でも関わるのがめんどうだ。以前から毎年私が中心になって、各々がどれだけ寄進するか書いてもらったが、人を当てにして持って来ないものだから、それが積み重なって、俺がどれだけ償ったか分からない。まして今年は殿様が役所におられ、頭班、二班、西班、快班、それぞれが皆龍灯を行うので、見に行こうと思っても、それぞれのところの龍灯のめんどうを見る時間なんてあるものか。しかし、おまえたちがあれこれ言うものだから、各々が金を分担して、おまえたちのうち誰かがそのまとめ役になってくれんとな。この荀旦那のように、田畑が広く、作物も多く獲れるなら、そういう者に多く出させるべきだ。おまえたち各家がそれぞれに寄進することにしたら、ごたごたして決まらないだろう。」人々は逆らう勇気がなく、即座に荀の家に半分出させ、残りは他家も分担することに決め、全部で二三両の銀子の寄進を紙に書いた。和尚は茶と茶菓子を乗せた盆を捧げ持って来た。雲片糕(米粉に砂糖、クルミを混ぜて固めたものを薄く板状に切った茶菓子)、干しナツメ、瓜子(ひまわりや西瓜の種)、豆腐干(豆腐に甘辛い味をつけて薄く切ったもの)、栗、雑色糖(様々な色の砂糖菓子)をふたつのテーブルに並べ、夏旦那をあがめて上座に座らせ、茶をついだ。

 

 申祥甫がまた言った。「子供が大きくなり、今年はひとりの先生に来ていただかないといけない。この観音庵で学堂を開きたいのですが。」人々は言った。「おれたちの中でも多くの家の子供が学校に上がらないといけない。この申旦那のご令息は、他でもない、夏旦那の婿殿だ。夏旦那はいつも県の主(あるじ)の殿様からお墨付きをもらっているし、また人は字が読めないといけない。ただ来てもらう先生は、必ず町に行ってお願いした方がいい。」夏総甲は言った。「先生はひとりいればいいが、あなたは誰がいいと言うのかね。うちの役所の徴税官の顧老相公(老相公は年配の男子の敬称)の家がひとりの先生をお願いしていて、姓は周、官名(幼名の後で付けた正式な名前)を周進といい、年齢は六十過ぎ、前任の殿様が郷試の童試で彼を第一位で童生にしたが、その後の院試では未だに県学に合格(中過学。童生が試験に合格して秀才になると、県や府の儒学の学校の生員になること。生員になると、科挙の受験資格を得られる)していない。顧老相公は彼を家に来てもらって三年になるが、顧老相公の坊ちゃん(小舎人。小公子のこと。坊ちゃん)は去年県学の試験に受合格し、うちの鎮では梅相公の坊ちゃんの梅玖も一緒に合格した。あの日は、学校の中の老師の家から出迎えて帰って来られる時、顧老相公の坊ちゃんは頭に方巾(書生が被った帽子)を被り、体には大紅紬(真っ赤なつむぎ織りの上着)を羽織り、殿様の馬屋の馬に跨り、笛や鐘をにぎやかに打ち鳴らしながら、家の門まで帰って来られた。俺や役所の人間は皆街路を遮り宴席を設けた。その後、周先生をご招待し、顧老相公が自ら先生に酒を三杯注いで差し上げ、上座に座っていただいた。出し物の芝居を一本頼むと、それは梁灝liáng hào(りょうこう)が八十歳で状元(科挙の殿試で首席で合格すること)に合格する話だった。顧老相公はこの芝居が、心の中ではあまり好きではなく、その後、芝居の中で梁灝の生徒が十七八歳で状元に合格するところになって、顧老相公は彼の息子のために幸運が訪れることが分かり、それでようやく喜ばれた。あなたがたがもし先生が必要なら、俺が代わって周先生に来てもらうようお願いしてみよう。」人々は皆それに賛成した。茶を飲み終わると、和尚が牛肉麺を少々出したので、それを食べ終わると各自それぞれ散会した。

 

 翌日、夏総甲は果たして周先生にお願いし、毎年学堂の運営費として十二両の銀子、毎日二分の銀子を和尚の家での食事代としてお出しし、元宵節が終わったらこちらに来てもらい、正月の二十日から開校することを約束した。

 

 十六日になり、人々は各々の分担金を申祥甫の家に届けて宴席を準備し、村で新たに学堂に入る梅相公の息子の梅玖も招いて相伴させた。この梅玖は頭には新しい方巾を被り、早々と到着していた。巳の刻(午前九時から十一時の間)になって、周先生はようやくやって来た。門の外で犬が鳴くので、申祥甫が出て行って出迎えた。人々が周進を見ると、頭には古いフェルトの帽子を被り、体には黒いつむぎ織りの古いゆったりした長衣を着ていて、その右の袖とお尻のところが破れていて、両足には古い真っ赤なつむぎ織りの靴を履き、痩せて顔はどす黒く、ごま塩ひげを生やしていた。申祥甫は拱手の礼をして部屋の中に招き入れると、梅玖はそこでようやくゆっくりと立ち上がると周進と顔を合わせた。周進が尋ねた。「この若君はどなたですか。」人々は言った。「この方が私たちの村で秀才になられた(在庠xiáng。儒学の学校の生員)梅相公(相公は年の若い読書人への敬称)です。」周進はそう聞くと、遠慮して、梅玖より先に挨拶をするのを良しとしなかった。梅玖は言った。「今日は特別ですから。」周進は何度も辞退した。人々は言った。「年齢から言っても周先生が年上ですから、先生どうか言われる通りにしてください。」梅玖は振り返って人々に言った。「皆さん方は私たちの学校の習わしをご存じないでしょう。老友(県学の生員は士大夫なので)はこれまで小友(童生)のように年齢の大小で序列を決めないのです。でも今日は特別です。やはり年長の周先生が上座にお付きください。」実のところ、明朝の士大夫は、儒学(の学校。県学や府学)の生員を「朋友」と呼び、(童試に合格しただけの)童生を「小友」と呼んだ。例えば童生が県学に進むと、十幾つの年齢であっても「老友」と呼び、県学に進学できなければ、八十歳になっても、「小友」と呼んだ。ちょうど娘が嫁に行くと、嫁入りの時は「新娘」(新婦)と呼び、その後は「奶奶」、「太太」(奥さん)と呼び、「新娘」と呼ばないが、もし人の家に妾として嫁いだら、たとえ髪の毛が白くなっても、まだ「新娘」と呼ばないといけない(妾はいくつになっても「奶奶」、「太太」の身分になれない)のと同じだ。

 

 閑話休題。周進は、このように言われて、もう相手に遠慮しないでいいと決められたので、遂には僭越にも彼が拱手の挨拶をすることになったのである。他の人々も拱手の挨拶をして席に着いた。周と梅、二人の茶碗には二個の干したナツメが入っており、その他の人々には皆清茶(何も加えられていない緑茶)が注がれた。茶を飲むと、二脚のテーブルに盃、箸が並べられ、周先生には首席、梅相公には次席が用意され、他の人々も序列通りに座り、酒が注がれた。周進は酒杯を受け取ると、人々に恐縮しつつ謝意を表し、一息に飲み干した。すぐさま各テーブルに八、九碗の料理が並べられた。それらは、豚の頭の肉、雄鶏、コイ、胃袋、肺、肝臓、腸など豚の内臓の料理の類であった。「どうぞ」の一声が発せられるや、皆一斉に箸を動かし、疾風が雲を吹き払うように、瞬く間に大半が平らげられてしまった。かの周先生はと見るに、ひとつも箸をつけようとしなかった。申祥甫は、「今日、先生はどうしてご馳走を召し上がらないのですか。まさか誰かがお気に障るようなことをしてしまったのではないですね?」と言って、料理をいくつか見繕って持って来た。周進はそれを遮って、言った。

 

 

 「騙していて申し訳ありません。拙者(我学生)は長らく精進をしているのです。」周りの人々が言った。「これは我々の準備に手抜かりがありました。それにしても、先生はどうして精進をされているのですか。」周進は言った。「以前、母が病気であった時に、観音菩薩の面前で精進をお約束して以来、今まで十数年精進をしております。」梅玖は言った。「先生が精進されていると聞き、ひとつ笑い話を思い出しました。先日、町で、私と試験の同期合格の仲間の父君(案伯)の顧老相公の家で、その父君のお話を聞きました。とある先生をなさっている方の宝塔詩(詩句が一文字から七文字に文字数が順繰りに増える形式の詩。各句の最後の一字が皆韻を踏んでいる)に……」人々は皆箸を止め、彼が詩を読むのを聞いた。梅玖がその詩を読んだ。「獃dāi(呆)、秀才cái、喫長斎zhāi、胡須満腮sāi、経書掲不開kāi、紙筆自己安排pái、明年不請我自来lái。(間抜けで、秀才を目指すも、長らく精進、顔中髭面、経書を開いたことがない、勉強を教えて自ら暮らし向きを立てようとするも、来年はもう雇ってもらえないだろう。)」読み終わると。言った。「こちらの周長兄は、このように大した才人でおられ、間抜け(獃)と言っても実は間抜けではない。」口を覆って言った。「秀才になられるのも間もなくです。かの「長らく精進、顔中髭面」は、結局のところ、先生にどちらか選んでもらいましょう。」そう言うと、ワハハと大笑いした。周りの人々も一斉に笑い出した。周進はバツが悪そうにした。申祥甫は急いで酒を一杯注いで言った。「梅坊ちゃんは献杯されなければ(敬一杯)。顧老相公のお宅の家庭教師(西席)は周先生ですよ。」梅玖は言った。「私は存じ上げませんでした。私が悪いのです。けれども元々この話は周お兄様のことを言っているのではありません。これはある秀才の方の話です。けれども、こうして精進をされるのは良いことです。先年、わたしの母方の叔父が、ずっと精進を続け、その後秀才に合格されました。老師が丁祭(旧暦の二月、八月の仲春、仲秋の最初の丁の日に行われた孔子を祀る祭礼)のお供えの肉を送って来られたので、母方の祖母が、こう言いました。「丁祭にお供えされた肉を食べなかったら、聖人様の罰(ばち)が当たるよ。大は災いが降り注ぐ。小でも病に犯される。」精進を破るしかありませんでした。うちの周お兄様は、今年の秋の祭礼には、(試験に合格されて)必ずお供えの肉を送って来るので、安心して精進を破ってください。」周りの人々は、梅玖は運気が良いので、彼のことばは良い兆しをもたらすに違いないと言い、一斉に杯を挙げ、周先生にお祝いした。周先生は恥ずかしくて顔が赤くなったり青くなったりしたが、周りの人々にお礼するしかなく、酒杯を手にした。厨房から、スープと点心が運ばれて来た。大皿に山盛りの、餡の入っていないマントウと、一皿の油で焼いた「扛子火焼」(小麦粉を少ない水で煉った硬い生地を棒で捏ねて焼いた堅焼きの煎餅)であった。人々は言った。「この点心は精進ですから、先生お上がりください。」周進は、スープは不浄ではないかと恐れ、茶を飲みながら点心を食べた。

 

 中の一人が申祥甫に尋ねた。「あなたのご親戚(夏総甲)は今日はどこにおられるのですか。どうして先生と宴席を共にされないのですか。」申祥甫は言った。「あの人は快班の李旦那の家にお呼ばれに行っています。」また別のひとりが言った。「李旦那はここ数年、新任の殿様の下で着実に活躍されて、ひょっとすると一年もしないうちに大金を稼がれるかもしれません。ただ、あの方は博打が好きなので、西班の黄旦那には及ばないでしょう。黄旦那は最初は分からず屋でしたけれども、ここ数年は真っ当に仕事をされて、家のお部屋は天宮のようにりっぱに建てられ、とても熱気があります。」荀旦那が申祥甫に言った。「あなたのご親戚は家業を担われてから、時流にも乗られ、あと二年もすると、おそらく黄旦那くらいにはなられるでしょう。」申祥甫は言った。「あの人もやり手ですから。もし黄旦那くらいになりたいなら、おそらくあと数年で夢が叶うでしょう。」梅相公はちょうど点心を食べていたが、続けて言った。「夢見たことが本当になるのですね。」それで周進に尋ねた。「お兄様はここ何年も試験を受けてこられて、これまで何か夢の前兆がありませんでしたか。」周進は言った。「特にありませんね。」梅玖は言った。「試験に受かった年の正月の一日に、私はたいへん高い山の上にいる夢を見ました。天上のお日様が、少しの間違いもなく、真っ直ぐ下に落ちてきて、私の頭の上に近づいてきたので、びっくりして汗びっしょりになり、目を覚まして頭を少し撫でてみると、まだ多少熱く感じました。この時はどうしてこんな夢を見たのか分かりませんでしたが、今思い返してみると、予兆は本当に正しかったのです。」そして点心を食べ終わると、また一巡酒を注いで回った。そうして灯ともし時になると、梅相公は人々と別れ、家に帰った。申祥甫は一組の青い布の掛け布団と敷布団を出してきて、周先生を観音庵に送り、泊まってもらった。和尚と話し合い、学堂は寺の後門の二間の部屋の中にすることが決まった。

 

 そして開校の日、申祥甫は村人たちと一緒に学生を連れて来た。身長の大小様々な(七長八短)数人の子供たちが先生にお目にかかった。村人たちはそれぞれ帰って行った。周進は教壇に立って教え始めた。夜は学生の家に行き、それぞれの家でもらった土産(贄見zhì jiàn)を開いて見ると、荀家だけが一銭の銀子が入っており、他は八分の銀子でお礼に代え(代茶)、その他、三分、四分の銀子の家もあった。また十枚あまりの銭もあったが、全部合わせてもひと月の食事代にも足らなかった。周進は全部をまとめ、和尚に渡すと、和尚が受け取ってまた数えた。これらの子供たちは、うごめく牛のように、一度に管理することができず、外に抜け出しては瓦のかけらを投げたり玉蹴りをし、毎日いたずらが止まらなかった。周進はじっと我慢して、座って教えるしかなかった。

 

 知らぬ間に二か月あまりが経ち、天気は次第に暖かくなった。周進は昼食を食べてから、後門を開けて外に出て、川沿いにあたりを見渡した。田舎の村だが、川辺には何本か桃と柳の木が植えられていて、赤と緑が入り混じって美しかった。一渡り見ていると、しとしと小雨が降り出した。周進は雨が降り出したのを見て、門の内に入り、雨が川に降り注ぐのを眺めた。靄が遠くの木々にたちこめ、景色は一層すばらしくなった。雨は次第に激しくなったが、川の上流から一隻の船が雨を衝いてやって来た。その船はあまり大きくなく、また蘆の蓆で覆われていたので、雨に弱かった。川岸に近づこうとし、ふと見ると、中央の船室には一人の男が座っており、船尾には二人の従者が座っていた。船の舳先には一担ぎの弁当が置かれていた。岸辺に着こうという時に、その人物は船屋に船を泊めると連呼して、従者を連れ、岸に上がった。周進がその人物を見ると、頭に方巾を被り、鮮やかな藍色の緞子の道服を身に着け、足元には白い靴底の靴を履き、三本の口髭とあごひげを生やし、およそ三十過ぎの様子であった。寺の後門まで歩いて来ると、周進にちょっと手を挙げ、まっすぐこちらにやって来て、自ら「なんと、学堂であったか。」と独り言ちた。周進は一緒に門を入ってお辞儀をすると、その人物も軽い礼を返して言った。「あなたがここの先生ですか。」周進は言った。「その通りです。」その人の従者が言った。「和尚はどうして出て来られないのですか。」そう言っていると、和尚が急いで出てきて言った。「誰かと思えば王旦那様ではありませんか。どうぞお座りください。私は茶を煮て来ますので。」そして周進に言った。「この王旦那様は、前回の科挙の試験で新たに合格されたのです。先生はご一緒に座っていてください。私は茶を持って来ますので。」

 

 かの王挙人も遠慮せず、従者が腰掛を並べると、上座に座った。周進は下座でお相手した。王挙人は言った。「先生は姓をなんと言われるのか。」周進は彼が挙人であると知ったので、こうへりくだって言った。「私、姓は周と申します。」王挙人は言った。「去年はどちらで教えておられたのか。」周進は言った。「県の入口の顧老相公のお宅で教えておりました。」王挙人は言った。「あなたは我が白老師の配下で童生として試験を受けられ、首席になられたのではありませんか。ここ何年かは顧二哥の家で教えておられるとか。悪くないですね。」周進は言った。「私は顧老相公を主人としてお仕えしていますが、老先生も主人とお付き合いがおありですか。」王挙人は言った。「顧二哥は私の領地の一部で徴税をしてもらっていて(戸下冊書)、また義兄弟の盃を交わした間柄でもあるのです。」

 

 しばらくして、和尚が茶を献じてきて飲んだ。周進は言った。「老先生の合格答案(硃巻zhū juàn。試験に合格した人が自分の答案の文章を木版印刷して人に贈ったもの)は、私も熟読したことがあります。後に二つの文章が書かれ、たいへん巧妙です。」王挙人は言った。「あの二つの文章は、私が作ったものではありません。」周進は言った。「老先生はまた謙遜が過ぎます。それでは誰が作ったというのですか。」王挙人は言った。「私が作ったのではなく、人間が作ったものでもない。あれは最初に試験場に入った時(頭場。郷試、会試は、試験場に入って、続けて三回試験を受ける決まりで、その一回目が頭場)で、九日だった。空が暗くなりかけていたが、最初の文章がまだできておらず、自分でも腑に落ちず、思った。「私は普段は筆が大変速いのに、今日はどうしてこうも筆が進まないのだろう。」訳が分からず、思わず居眠りをしてしまい、机(試験場を貢院といい、その中はいくつも小さな部屋に区分けされていて、部屋の中にはただ二枚の木の板だけがあり、一枚は机に、一枚は座席に使うが、この板を「号板」と言った)にうつ伏せになり、うとうとしていると、五人の青い顔をした人が部屋に飛び込んできて、そのうちの一人が、手に一本大筆を持ち、私の頭の上をちょっと触ると、飛び出して行った。すぐさま一人の沙帽(文官が被った帽子)を被り、赤い長衣に金のベルトを身に着けた人が、簾をめくって入ってきて、私をたたいて言った。「王公、起きてください。」その時、私はびっくりして、体中から冷や汗が出て、目が覚め、手に筆を持つと、知らぬ間に文章が書けてしまった。確かに、貢院の中には妖怪がいるのだと思う。私もかつてこのことを担当試験官(座師。郷試で合格した挙人は、担当してくれた試験官を「座師」と呼んだ)に申し上げたことがあり、試験官は私は確かに状元になる資格があるとおっしゃった。」

 

 話がちょうどたけなわになった時、一人の小学生が習字の宿題を持ってきて、見てほしいと言ってきたが、周進はそのままほおっておいた。王挙人は言った。「お邪魔しません。習字を直してあげてあげてください。私は他にやることがありますから。」周進は仕方なく、教室に行って習字に朱を入れた。王挙人は召使に指示して言った。「空がもう暗くなり、雨も止まない。おまえたち、船の上の弁当箱を運んできて、和尚に言って米を炊いてもらってくれ。船屋に世話をさせて、明日の朝早く出発すると言ってくれ。」周進に言った。「私は先ほど墓参りをしてきたのですが、思いがけず雨に逢い、一晩泊まろうと思います。」そう言うと、急に振り返り、その小学生の習字に書いた名前が荀玖であるのを一目見て、思わずびっくり仰天した。しばらくの間舌を鳴らして唇を動かし、顔にはたくさんの妖怪の姿が現れた。周進は彼に尋ねるのは申し訳ないので、習字に朱を入れ終わると、また彼と席に着いた。彼は尋ねて言った。「先ほどの小学生は何歳ですか。」周進は言った。「あの子は七歳になったところです。」王挙人は言った。「今年ようやく読み書きを始める(開蒙)のですね。あの名前はあなたがつけたのですか。」周進は言った。「あの名前は私がつけたのではありません。読み書きを始めるに当たり、あの子の父親が村で新たに科挙に合格した、友人の梅さんに頼んでつけてもらったのです。梅さんは自分の名前が「玖」で、彼のために「王」偏の名前をつけて縁起をかついだのです。将来、自分と同じように良くなるという意味です。」

 

 王挙人は笑って言った。「実を言うと、これはなんと笑い話なのです。私は今年の正月一日に夢の中で会試の合格掲示板を見ました。私が合格して名前が出ているのは言う必要がありませんが、その第三名も汶上の人で、荀玖という名前でした。私は我が県には荀という姓の挙人(科挙の合格者)はいないと思っていましたが、まさかこの小学生の名前と同じであるなど思いもよりませんでした。まさかあの子が同じ合格掲示板に載るなどあり得ないことです。」そう言うと、ワハハと大笑いをして、言った。「夢の内容は正しくないことが分かります。まして功名や重大な出来事は、およそ文字に書かれたものを主とし、死者の霊魂だの天地の神霊だのは関係ありません。」周進は言った。「老先生、夢も正しいことがあります。昨日の夜、私が参りまして、宴席で梅さんが、やはり正月一日に、夢にお日様が頭の上に落ちてくるのを見たのですが、彼はこの年にとんとん拍子に出世したのです。」王挙人は言った。「それはなおさら正しくないです。例えば彼が学校に進んで、お日様が頭の上に落ちてきたら、私のように科挙に合格した者は、天まで落ちてきては困るので、自分が支えていなければならないのでしょうか。」互いに無駄話をしながら、手にランプを持つと、執事が酒や飯、魚、アヒル、肉を捧げ持ち、それらを食卓にうず高く積み上げた。王挙人は周進に譲ることなく、自ら席について食事をし、食器を片づけた。遅れて和尚が周進の食事を運んできたが、硬くなった野菜の葉の料理が一皿と、熱いお湯だけであった。周進も食事をした。休むように言って、それぞれ宿で休んだ。

 

 翌朝、空は晴天で、王挙人は起きて顔を洗い、服を着て、挨拶をすると、船に乗って出発して行った。あたりには鶏の骨、アヒルの手羽(翅膀)、魚の骨(魚刺)、ひまわりの種の殻(瓜子殻)をまき散らかしてあり、周進はぼんやりしながら、朝のうちはそれらを掃き清めた。

 

 この時の出来事の後、薛家集の村の人々は皆、荀家の子供が県の王挙人と進士の試験の同期合格となると聞いたが、これは笑い話として広まった。同級生たちは彼を荀玖とは呼ばず、皆彼を「荀進士」と呼んだ。各家庭の父兄はこの話を聞いて、皆不平に思った。あくまで荀老人のそばでは「おめでとうございます」と言い、彼のことを官位で呼ばないといけないので、荀さんに弁解もできないほど腹を立てた。申祥甫は、陰でまた人々に言った。「どうして王挙人が自分からこんなことを言われましょうか。これは、周先生が、この村では荀家だけが多少の金を持っているので、こんな作り話をこしらえて、彼におべっかをつかい、正月や節句に、彼の家から多めに贈り物をもらおうという魂胆です。私が先日聞いた話では、荀家では面筋(生麩)や豆腐干を炒めて寺に届け、またマントウや火焼を何回か届けているのは、そのためでしょう。」人々は皆不快に思い、このため周進の立場は不安定になった。夏総甲の面子もあって、辞めさせる訳にもいかず、一年は無理やりごまかしていた。その後、夏総甲も彼が愚鈍であるのを嫌い、しょっちゅう来ては謝意を受けているとは知らず、人々の意に任せて周進を辞めさせた。

 

 その年、周進は職を失い、家で日々の食事も事欠く有様だった。ある日、彼の姉の夫である金有余が尋ねて来て、彼に勧めてこう言った。「おじさん、私が言ったと恨まないでください。勉強して科挙に合格して役人になるのは、本当に難しいことです。人の世の中で、得難いのは毎日のおまんまを得ることです。ただ平々凡々として成すところがない暮らしをいつまで続けるのですか。私は今、何人かの大きな元手のある人と省都に行って商品の買い付けをしていますが、帳簿を付ける人が足らないのです。おじさん、私たちと一緒に行って働いた方がよいのではないですか。おじさんは身寄りも無いし、今のままでは、食べるのも着るのも不自由でしょう。」周進はこう聞いて、思った。「「癱tān子掉進井里、撈起也是坐(体が不自由な人が井戸に落ちたら、座ったまま引き上げられる。歇后語(中国語の掛け言葉。なぞなぞ)。「相変わらず。何も変わらない。」の意味)」と言うからな。何も義理を欠くことはあるまい(有甚虧負我)。」即座に承諾した。

 

 金有余は吉日を選び、何人ものお客さんと一緒に出発し、省都の雑貨商の店に来て、泊まった。周進はすることが無く閑なので、街の中を散歩していると、たくさんの大工を見かけたが、彼らは皆、貢院(科挙の試験場)を修理していると言った。周進は彼らと一緒に貢院の入口に到った。近寄って中に入って見たいと思ったが、門番に鞭を鳴らして追い出された。その晩、彼は金有余に貢院に入って中を見てみたいと言った。金有余は幾らか小銭を使うしかなく、数人の客人も一緒に行って見た。また雑貨商の主人に折り入って頼んで連れて行ってもらった。主人は最初の門を入り、門番に小銭を渡すと、阻まられることはなかった。龍門(貢院の中の三番目の門の名前。縁起を担いで、こう名付けられた)の下まで来ると、主人は指さして言った。「周さん、これは旦那様がた(相公們)が通る門です。」進んで行くと、両側は標識の付いた部屋の門で、主人はこれを指して言った。「これは「天」の部屋(天字号)です。ご自身で中に入って見てみてください。」周進は部屋に入ると、二枚の板(号板)がきちんと並べられていた。ふと、目の中が急に痛くなり、長いため息をついたかと思うと、頭からばったり板の上に倒れこみ、体は硬直し、人事不省に陥った。

 

 

 ただこの一死により、いくつか教訓を得ることができた。毎年失敗していたものが、突然良いめぐり合わせに逢うことができた。一年中辛い目に逢ってきたが、遂に試験を主催できるようになったのだ。それにしても、周進の運命や如何。次回の解説を聞いてください。

 

 次回、第三回では、この周進のその後の運命、そしてまた新たな科挙に振り回される登場人物が出てきます。『儒林外史』第三回乞うご期待です。

 

 『儒林外史』は、清末の18世紀、安徽省の人、呉敬梓が書いた白話小説で、その内容は、当時の官吏登用試験であった科挙制度に振り回される人々の様子を、皮肉を込めて著したものです。科挙制度については、中国で隋唐時代に始まり、中華民国になって廃止されるまで、延々と実施された制度であり、分かりにくいところもあり、概略を理解してから、本文を読まれることを、お勧めします。

 

宮崎市定著『科挙――中国の試験地獄』

(昭和592月初版発行、中公文庫)

 

 それでは、この小説の導入部、第一回を読んでいきましょう。

 

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第一回

 

楔子xiē zǐ(けっし。物語の枕)を説き大義敷陳(ふちん。並べ述べる)す。

名流(著名な人)に借り全文(くく)る

 

 「人生南北に岐路多し。将相(将軍、宰相)、神仙(神様、仙人)もまた凡そ人が做すを要す。百代の興亡朝復た暮れ、江風吹いて前朝の樹倒る。功名富貴は憑据(依拠)無く、心情を費やし尽くし、総て流光を誤つ。濁酒三杯沈酔して去り、水流花謝何れの処か知る。」

 

 この一首の詞もまた老生の常に語るところである。けれども人生の富貴功名を言うのは、自分ではなく第三者である。けれど世人は功名をひとたび見ると、必死になってそれを追い求めようとする。そしてそれを手に入れてしまった後は、その味わいはまるで蝋を噛むように味気なく感じる。古今到来、誰一人としてその定理を破った者は見られない。

 

 このように言ってはいるが、元朝の末期、ひとりの人品高潔な人が現れた。この人は姓を王、名を冕miǎn(べん)と言い、諸曁zhū jì(しょき)県(現在の浙江省紹興市諸曁市)の郷村(田舎)に住んでいた。七歳の時父親が亡くなり、母親は針仕事をして彼を村の学堂で勉学をさせた。三年経ち、王冕は十歳になった。母は彼を自分の前に呼んで言った。「息子よ。私がわざとおまえを無為に過ごさせたのではない。ただ、父親が亡くなってから、後家ひとりの家では、出ていくものばかりで、収入が無かった。暮らし向きは良くなく、薪や米も高い。これらの古着や家具は、質入れするものは質に入れ、売れるものは売り払った。ただ私が他人のために針仕事をして得た銭で、なんとかおまえに学問をさせた。今は如何ともし難く、おまえを隣家に雇ってもらい牧童をすれば、毎月そこで何銭かの銀子がもらえ、おまえも現金を得て飯が食える。明日から行っておくれ。」王冕は言った。「母さんの言う通りだ。私は学校で座っていても、心の中では悶々としていた。あちらに行って牧童をした方が、気が楽だ。もし学問をしたいと思ったら、今まで通り本を持って行って読めばいいのだから。」その晩、そう話がまとまった。

 

 翌日、母親は彼と隣の秦老人の家に行った。秦老人は彼ら二人を留めて朝飯を食べさせ、一頭の水牛を牽いてきて王冕(おうべん)に渡し、門外を指さして言った。「この門を出て二三百歩行くと、七泖湖がある。湖のほとり一帯には緑草が生え、あちこちの家の牛は皆そこで昼寝をする。また一抱えもあるしだれ柳が数十本あり、たいへん涼しい。牛は喉が渇けば、湖畔で水を飲む。兄さん、おまえはこのあたりでぶらぶらしていればよく、遠くへ行く必要は無い。うちでは毎日二度の食事の量はかなりある。毎朝、まぐさ代として銭二枚をあげるから、おまえはおやつを買ってお食べ。万事精を出して、怠けることがないようにしておくれ。」母親はお邪魔した礼を言って家に帰ろうとし、王冕は門まで送った。母親は彼の衣服を整えてやりながら、口ではこう言った。「ここではよく気を付けて、人に陰口を言われないようにしなさい。朝早く出て、夜遅く帰り、わたしに心配をかけないようにしてね。」王冕は「はい」と応えると、母親は両目に涙を浮かべて帰って行った。

 

 王冕はこれより秦家で牧童をし、毎日黄昏時になると、家に帰って母親と休んだ。たまたま秦家で塩漬けの魚や燻製の肉を煮た時には、彼はそのひと塊を蓮の葉で包んで家に持ち帰り、母親に手渡した。毎日のおやつ代の銭を、彼は買い食いをしないで一二ヶ月分貯めて、暇な時間を見つけると、村の学堂(学校)に行き、学校や家塾に出入りしている行商人を見かけると、何冊か古本を買い、毎日牛をつなぐと、柳の木陰に座って読んだ。

 

 瞬く間に三四年が過ぎた。王冕は本を読み、考え方も次第にはっきりしてきた。その日、ちょうど梅雨の季節で、鬱陶しい天気であった。王冕は牛を追うのに飽き、緑の草地の上に座っていた。一瞬、濃い雲が空を覆い、ひとしきり大雨が降ってきた。かの黒雲の端には白雲が縁取り、次第に雲が消え、日差しがさし、湖全体を赤く染めた。湖沿いの山には、青い塊、紫の塊、緑の塊があった。樹の枝の上は皆水で一度洗われたようで、とりわけ青々として可愛かった。湖の中には十数本のハスの花があり、つぼみにはきれいな水滴がいくつも付き、ハスの葉の上には水の珠がころころと動いた。王冕はひとしきり見ていたが、心の中でこう思った。「古人は「人は画図の中に在り」と言ったが、確かにその通りだ。しかし生憎ここには画家がいない。このハスの花をいくつか絵に描けば、おもしろいのに。」またこうも思った。「この世に学んでやれないことはない。私が自分でこのハスをいくつか絵に描いてはどうだろうか。」

 

 ちょうどそんなことを考えていると、遠くからひとりの力持ちの大男が、弁当箱を担いでやって来るのが見えた。手には一瓶の酒を提げ、弁当箱には一枚のもうせんの敷物が丸めて掛かっていた。柳の木の下に来ると、もうせんを下に敷いて、弁当箱を開いた。そこに三人の男がやって来た。頭には方形の頭巾を被り、一人は緑がかった藍色の紗の混じったゆったりした長衣の道服を着、二人は黒のゆったりした長衣の道服を着て、いずれも四五十歳くらいに見えた。手で白い扇をあおぎ、ゆっくりした足取りでやって来た。緑がかった藍色の道服を着たのは太っちょで、木の下に来ると、黒い道服を着た髭を生やした男を上座に座らせ、やせた男はそれに対面して座った。上座の男が主人だと思われ、下手に座って酒をついだ。酒が一巡すると、太った男が口を開いて言った。「危老先生が帰って来た。新しく住宅を買われ、都の鐘楼街の家より大きく、値は銀子二千両だった。老先生が買いたいと言うので、持ち主は数十両負けて売ってくれ、声望や体面を保とうとした。先月の十日に引っ越すと、府の知事や県の知事が自ら家に来てお祝いを言い、夜更けまで留まり酒を飲んだ。街の人で敬意を顕わさない者は一人もいなかった。」やせた男が言った。「県の知事は壬午の時の挙人で、危老先生の門下生なので、当然お祝いに来ないといけなかったのだ。」太った男が言った。「私の親戚も危老先生の門下で、今は河南で県の知事をしている。先日、婿殿が家に来て、干した鹿肉を二斤持ってあいさつに来た。この大皿のがそうだ。今日、婿殿がまたやって来て、私の親戚にお願いして手紙を書いてもらい、危老先生にお目にかかりたいと言ってきた。先生がもし田舎に来てご挨拶するのに同意してくれたら、私たち田舎の者も、ロバや豚を我々の田畑に放って作物を荒さなくて済む。」やせた男は言った。「危老先生はりっぱな学者として認められておられる。」髭の男が言った。「聞いたところでは、先日都を出発する時、皇上が自ら城外まで見送りし、手を携え十数歩歩かれ、危老先生は再三お辞儀をして辞退され、ようやく駕籠に乗って帰られたとか。この様子から見ると、先生は官職に就かれるのではないだろうか。」三人はあちらが話せばこちらも話し、いつまで経っても話が終わらなかった。

 

 王冕は空が暮れてきたので、牛を牽いて家に戻った。これより、貯めた銭で本を買うのでなく、人に頼んで町で紅や鉛粉の類を買ってきてもらい、ハスの花の絵を描くのを学んだ。最初はうまく描けなかったが、三ヶ月も描いていると、かのハスの花の趣といい色といい、一つとして似ていないものは無く、紙を一枚増やすだけで、湖の中から生えといるように見え、またたった今湖から摘んできて紙に貼り付けたかのように見えた。地元の人々は絵を見るとすばらしいと言い、銭を持って買いに来る人もいた。王冕は金を儲けたので、良い品物を買い、孝行として母親に贈り敬った。王冕の絵は、ひとりがふたりに伝え、ふたりが三人に伝え、諸曁一県の中では誰もが没骨(もっこつ。輪郭を描かず、初めから画面に形と色を同時にあらわすという技法)の花卉の名筆として、先を争って買いに来た。十七八歳になると、秦家には行かず、毎日何枚か絵を描き、古人の詩文を読み、次第に衣食に困らなくなり、母親は心中喜んだ。

 

 

 この王冕は生まれつき聡明で、歳はまだ二十歳にならないが、天文、地理、経史の大学問で、通じていないものは一つも無かった。しかし彼の気性は変わっていて、官爵を求めず、友人との交流をせず、一日中戸を閉ざして読書した。また『楚辞図』に描かれた屈原の衣冠を見て、背の高い帽子と、ゆったりした衣服を自分で作った。花が開き柳の芽が美しい時期に、牛車に母親を乗せ、彼は背の高い帽子を被り、ゆったりした衣服を着、鞭を執ると、口で歌を歌いながら、村の集落や湖のほとりなど、方々を巡っていると、村々の子供たちが三々五々集団で彼らの後を追いかけてケラケラ笑ったが、彼は気にもかけなかった。ただ隣家の秦老人だけは、農業を生業としたが、志ある人で、小さい時から彼の成長を見てきて、このように世俗に染まっていないので、彼のことを敬愛し、いつも彼と親しくして、草堂(藁葺きの小屋)に招き、彼と席を共にし、語り合った。

 

      花が開き柳の芽が美しい時期に、牛車に母親を乗せ、彼は背の高い帽子を被り、

     ゆったりした衣服を着、鞭を執ると、口で歌を歌いながら、村の集落や湖のほとりなど、

     方々を巡った。

 

 ある日、ちょうど秦老人といっしょに座っていると、外からひとりの男が訪ねて来た。その男は「瓦楞帽」(昔の庶民の被る帽子で、てっぺんの部分が瓦楞(丸瓦で葺いた屋根瓦が畝状に縦に並ぶ様)状になっている)を被り、青色の衣服を着ていた。秦老人は出迎え、挨拶して席に着いた。この人は姓を翟といい、諸曁県の役所の使い走り(頭役)で、また買弁(役所で用いる物品の調達担当者)でもあった。秦老人の息子の秦大漢は彼の配下で、彼のことを「義父さん」と呼んだので、いつも村に来ると、こうして身内の家を訪ねて来た。秦老人は急いで息子に茶を沸かし、鶏を殺し、肉を煮て、彼をもてなし、王冕に同席させた。お互いに名を名乗ると、この翟買弁は言った。「この王相公(若様)は、あの没骨(もっこつ)で花を描かれる方ですか。」秦老人は言った。「その通りです。あなた、どうしてご存じなのですか。」翟買弁は言った。「県で知らない者はいません。先日、当県の知事の旦那様が二十四幅の花卉の絵の画集を描いてわたしの上司に届けるよう、私に言いつけられました。私は王相公のお名前を伺っていたので、今回の出張でこの家を訪ねさせていただきました。今日は縁あって王相公にお会いできましたので、どうか私に免じて絵を描いてください。半月後に、受け取りに来ます。旦那様は必ず何両かの絵具代の銀子を用意し、一緒に送って来ると思います。」秦老人は横から、盛んに煽り立てた。王冕は秦老人の気持ちに逆らえず、同意するしかなかった。家に帰り、慎重に準備し、二十四幅の花卉を描き、何れも上に詩を題した。翟頭役が役目を受ける時、県の知事の時仁が二十四両の銀子を出した。翟買弁は十二両を自分の上前にはね、十二両の銀子だけを王冕に渡し、画集を受け取った。時知事はまたいくつか贈り物を準備し、危素に送り、時候の贈り物とした。

 

 危素は贈り物を受け取り、ただこの画集を何度も眺めるうち、愛着が沸いて、手放すことができなくなった。翌日、酒宴を一席準備し、時知事を家に招いてお礼を言った。挨拶を終え、酒を何巡か飲むと、危素は尋ねた。「先日、あなた様からいただいた花の画集は、昔の人が描いたものですか、現在の人が描いたものですか。」時知事は隠しておく勇気が無く、こう答えた。「これは私の治める郷村の農民で、王冕という、年齢もあまりいかない者が、才能や学問に頼んで描いてみたもので、先生のお眼鏡にはなかなかかなわないと思います。」危素は嘆いて言った。「わたくしめは一門を出て久しいですが、故郷にこのような賢士がいようとは、不覚にも知らず、恥ずかしく思います。この方は才能が優れているだけでなく、見識もお持ちで、普通の方ではなく、将来の名声はここだけに留まらないでしょう。あなた様からこの方と一度お会いできるよう取り計らってもらえませんか。」時知事は言った。「それは別に難しくありません。私から、人を遣って約束を取り付けましょう。この者は、先生とお会いできると聞いたら、望外のことと喜びましょう。」そう言うと、危素の前を辞し、役所に帰り、翟買弁を差し向け、‌「侍生帖子」(自分の身分を記した名刺、及び相手へ今後の交流を求める招待状)を持って王冕と約束を取りに行かせた。

 

 翟買弁は田舎に急いで行き、秦老人の家に着くと、王冕に都に出て来るよう要請し、委細を説明した。王冕は笑って言った。「さてもはじめにお役人様、知事のお殿様にお答え申し上げます。王冕は一介の農夫に過ぎませんので、畏れ多くてお目になどかかれません。この招請状をお受け取りすることなどできません。」翟買弁は顔色を変えて言った。「お殿様が自ら招待されているのに、誰が敢えて行かないことなどできましょうか。ましてやこのことは、実は私があなたのことをお世話してさしあげたのです。そうでなければ、お殿様がどうしてあなたが花の絵を描くのを能くされることをご存じになれましょう。お殿様にお目にかかり、その上で私によくよく感謝されて然るべきと思います。なんとかここまでやって来たというのに、茶の一杯も出さずに、再三辞退され、会いに行こうともされないというのは、どういう道理でしょう。私にどうやってお殿様に復命せよと言うのですか。まさか一県の主のお殿様では、ひとりの庶民をも動かすことができないとでもいうのですか。」王冕は言った。「お役人様、あなたはご存じない。もし私が事件を起こし、お殿様が令状を持って私を逮捕されるなら、私がどうして行かないことなどありましょう。ところが今回は招待状を持ってお招きされ、元々私に無理強いはされていません。私は行きたくないので、お殿様も許していただけると思いますが。」翟買弁は言った。「あなたはなんということをおっしゃるのですか。令状で逮捕されれば行くが、招待状でお招きするなら行かないですって。これではこちらの好意を無にされていませんか。」秦老人はこう言って諫めた。「王の若様。それも道理です。殿様が招待状を持ってあなたを招待されるのは、おのずと好意で言われているのですから、あなたはこの方と一緒に一度行かれたらどうですか。昔から、「知事を怒らすと一族皆殺しにされる」と言います。あなたはあのお方と何でそう意固地にされるのですか。」王冕は言った。「秦のお義父さん。お役人はご存じないが、あなたは私が以前に言ったことを覚えておられると思います。かの段干木(魏の賢者。仕官を好まず、仕官を勧めに訪れた魏の文侯を避けて牆(かきね)を乗り越えて逃れた。)と泄柳(魯の賢者。魯の穆公の来訪時、門を閉じて入れなかった。)の話をご存じないですか。私は行きたくないのです。」翟買弁は言った。「あなたは無理難題を私にさせようとなさる。どんなお答えをお殿様に持ち帰らせようとなさるのですか。」秦老人は言った。「これは果たして、どちらに転んでも難しい。行けと言っても、王の若様は承知しない。もし行かないとなると、お前様は申し開きができない。私は今、ひとつ方法を思いつきました。お前様は県に戻られたら、王の若様が同意されないとは言わず、ただこの方が病気で家におられ、来ることができないが、一両日して回復したら来られるとだけおっしゃい。」翟買弁は言った。「病を患ったと言うなら、隣近所の証明書を取らないといけない。」お互いに言い争っていたが、秦老人は晩飯の支度をし、翟買弁に食べさせた。またこっそり王冕に言って母親に頼んで三銭二分の銀子を用意させ、翟買弁にお遣いの駄賃として握らせ、ようやく帰ることを承知させた。翟買弁が県に帰って知事に復命すると、知事は心の中で思った。「この輩はどこでどんなやましいことがあったと言うのか。思うに翟家のこの僕(やつがれ)は、田舎に行くと虎の威を借る狐で、あの者を一度厳しく脅したのだろう。あの者はこれまで役人に会ったことが無いから、恐れて来ることができないのだろう。老師(危素)はこの者を私に託したのに、私がもしこの者を来させて老師に会わさなければ、老師は私をあざけって事を行うに軟弱無能であると思うだろう。かくなるうえは、私自ら田舎へ行ってこの者に会うしかない。会って顔を見れば、きっと自分の考えに惑わされることなく、自然と勇気を出して私に会ってくれるだろう。そうして彼を連れ帰って老師に会わせれば、お役目をしっかり果たしたことにならないか。」また考えた。「れっきとした県令が、尊厳を曲げて一介の郷民に会うなど、役所の者どものあざけりを買うだろう。」また考えた。「老師の先日の口ぶりでは、たいへんあの者を敬っていた。老師が彼を十敬うなら、私は彼を百敬うべきだ。ましてや尊厳を屈して賢者を敬えば、将来史書に必ずこれを称賛する文章が書かれるはずだ。これは長しえに朽ちることのない事柄であり、為すに何の差し障りがあろうか。」即座にそう考えを決めた。

 

 翌朝、駕籠かきを呼び集めたが、儀仗隊は使わず、八人の赤と黒の帽子を被った夜間の見張り役だけつけて、翟買弁が駕籠を支え、まっすぐ田舎に向かった。田舎の者たちは銅鑼の音を聞くと、ひとりひとり年寄りを支え赤ん坊を抱いて次々に集まって来てその様子を眺めた。駕籠が王冕の家の戸口に来ると、そこには七八間の藁ぶき屋根の家が見えるだけで、一枚の白い板の扉で固く閉ざされていた。翟買弁は急いで前に進み出ると、門を叩いた。しばらく叩いていると、中からひとりの老婆が杖をついて出て来て言った。「家にはおられないですよ。朝早く牛を牽いて水を飲ませに出て、まだ帰って来られていません。」翟買弁は言った。「殿様が自らこちらでおまえの家の息子にお話しされようと言うのだ。どうしてそう落ち着き払っているんだ。早く中に行って、取り次いでおくれ。」その老婆は言った。「本当に家にはおられないですよ。どこに行かれたか分かりません」そう言うと、門を閉じ中に入った。

 

 

 話をしているうちに、知事の駕籠が到着した。翟買弁は駕籠の前にひざまずくと、報告した。「小生が王冕へ取次ぎを頼みましたが、ご不在とのこと。どうか殿様はお駕籠で公館(臨時の休憩、宿泊場所)に行かれ、しばらくご休息ください。小生はもう一度取次ぎを頼みに行きます。」駕籠を支え、王冕の家の後ろを通った。家の後ろは縦横に七八本の狭いあぜ道があり、遠くには大きな池が広がり、池の畔は一面に楡や桑の木が植えられていた。池の畔は見渡す限り何ヘクタールもの畑で、更に山があり、あまり大きくないが、青々とした樹木が山一面に植わっていた。およそ一里あまりの道は、互いに呼べば、相手の声を聞くことができた。知事がちょうど進んでいると、遠くでひとりの牧童が水牛にまたがり、山麓の方から引き返して来た。翟買弁は急いで近づくと、尋ねた。「秦の家の小僧さん、おまえ、隣の王の旦那が牛を牽いて水を飲ませているのを見なかったか。」小僧は言った。「王の叔父さんか。あの人は二十里向こうの王の家に親戚を集めて酒を飲みに行ったよ。この牛は旦那のもので、頼まれて代わりに家に返しに来たんだよ。」翟買弁は事の次第を知事に報告した。知事は顔色を変えて言った。「かくなる上は、公館に参るに及ばぬ。すぐに役所に帰るぞ。」時知事はこの時たいへん立腹し、本来であれば直ちに人を差し向け王冕を捕まえて来させて懲罰を与えるところであるが、また危老師から彼が怒りっぽいと言われるのを恐れ、怒りを抑えて帰った。今後ゆっくり老師にこの人物は引き立てるに値しなかったと説明し、それからこの男を処罰しても遅くない。知事は去った。

 

 王冕は決して遠くまで行ってはいなかったので、時を移さず戻ってきた。秦老人がやって来て、彼に不平をこぼした。「お前様、先ほどはわがままが過ぎましたぞ。あの方は一県の主なのに、あなたはどうしてこのようにそっけなくされるのですか。」王冕は言った。「お義父さん、まあお掛けなさい。実はこういうことです。時知事は危素の権勢を頼みに、ここで小民を酷使していて、悪事の限りを尽くしています。このような人物と、私はどうしてよしみを交わす必要がありましょう。けれども彼はこのたび戻れば、必ず危素に告げましょう。危素は恥じ入り怒りに転じ、おそらく私を罰する計略を考えるでしょう。私はすぐにお義父さんにお暇を頂戴し、荷物をまとめ、どこかでしばらく隠れています。ただ、母を家に残すことだけが気がかりです。」母親は言った。「息子や、おまえが何年も詩や絵を売ってくれて、私も多少の銀子の貯えがあり、薪や米の心配も要らない。私は年寄りだが、病気にもかかっていないから、おまえは安心して家を出て、しばらく身を隠しても問題ない。おまえは罪も犯していないのだから、お上がおまえの母を捕まえに来たってだめだ。」秦老人が言った。「その通りだ。ましてやあなたがこの村で埋没していたら、才能や学問が有っても、お前様を認める者は誰もいない。今回、大国へ行けば、或いは何か出会いがあるかもしれない。お前様の家の大小のもめごとは、一切この老いぼれが、お前様に代わって引き受けましょう。」王冕は秦老人に礼を言い、秦老人は自分の家に戻り、酒や肴を取って来て王冕の送別をし、夜中まで酒を飲んで帰って行った。

 

 翌日の五更(早朝の四時から五時)、王冕は起床し荷物をまとめると、朝食を取っていると、ちょうど秦老人もやって来た。王冕は母親にお別れを言い、秦老人に二度礼をすると、母と子は涙を流して別れた。王冕は麻の靴を履き、背中に荷物を背負った。秦老人は手に小さな提灯を下げ、村の出口まで見送り、涙を流して別れた。秦老人は手に提灯を持ち、立ち止まって彼が行くのを見送り、姿が見えなくなってから家に帰った。

 

 王冕は旅の空、風を食し露をしとねとし、九十里を大休止、七十里を小休止とし、まっすぐ山東の済南府までやって来た。山東は北方の省であるが、済南の町は人口が多く、家が密集していた。王冕がここに到着した時には、旅費を使い尽くし、小さな庵の間口の小屋を借り、占いをして生計を立てるしかなかった。また没骨の花の絵を二枚描いてそこに貼り、道行く人に売った。毎日占いをして絵を売り、着いてからも忙しくてゆっくりできなかった。

 

 瞬く間に、半年の月日が流れた。済南府には何人か俗人の財産家がいて、また王冕の絵を好み、よく買いに来た。また自分では来ないで、何人か不器量な召使を遣わし、ややもすると大声でわめきちらすので、うるさくて王冕は落ち着けなかった。王冕は我慢できなくなり、一頭の大牛の絵を描いてそこに貼り出し、またその上に詩を書いて、皮肉の意味を込めた。しかしまた、このことで陰口を聞かれるのを恐れ、別の場所に引っ越そうかと考えていた。

 

 ある日の朝、そこに座っていると、多くの男女が泣きながら街路を歩いて来るのが見えた。また、鍋を担ぐ者、籠で子供を担ぐ者もおり、皆顔が泥だらけで痩せて、着衣はぼろぼろだった。一群が行き過ぎると、また一群が現れ、街路がそうした人々で一杯に塞がれた。また、地面に座り込み物乞いをする者や、事の次第を語る者もおり、彼らは皆黄河の上流の州や県の者で、黄河が決壊し、畑や家が悉く流され水没したのだった。これら被災した人々を、役所も何も対応しないので、彼らは離散し食糧を求めるしかなかった。王冕はこの状景を見て、すまなく思い、ため息をついて言った。「黄河の水は流れを変えて北へと流れ、天下はこれより大いに乱れるだろう。それなのに私はまだこんなところに居て何をしているのだろう。」こまごまとした銀子を整理し、荷物をまとめると、元通り家に帰った。浙江の境を跨ぐと、危素は既に朝廷に戻り、時知事も栄転して去ったことが分かったので、安心して家に帰り、母親に再会した。母親は変わらず健康そうであったので、心の中で喜んだ。母親はまた彼に秦老人がいろいろ面倒を見てくれたことを話した。彼は急いで荷物を開け、平絹の織物を一匹、干し柿をひと包み取り出すと、それを持って秦老人の家に行ってお礼を言った。秦老人は酒を準備し、彼の旅の苦労をねぎらった。これより、王冕は昔通り詩を吟じ絵を描き、母親に孝養を尽くした。

 

 また六年経ち、母親は老いて病で床に臥せった。王冕は百方手を尽くして医者にかからせたが、効果が無かった。ある日、母親は王冕に言いつけた。「私の目に見えるのは役に立たないことばかりだが、ここ何年か、人々が皆私の耳元で、おまえは学問があるから、仕官するよう勧めよと言う。しかし仕官してもおそらく功を立て一族を栄達させる訳でなく、私は役人になってもろくな結末を迎えなかった者を見て来た。ましておまえは性格が高慢だから、もし災いを引き起こしたら、却って良くない。息子よ私の遺言をお聞き、将来嫁を娶って子ができたら、私の墓を守り、仕官をしてはならない。私が死んだら、耳目も閉ざしなさい。」王冕は泣きながら母の言いつけに承諾した。母親は次第に息も弱くなり、天に召されて行った。王冕は悲しみで体を投げ出し哀悼し、泣いて、隣近所の人で涙を流さぬ者はいなかった。また秦老人の手助けを得て、経帷子と棺桶を準備した。王冕は土を背負い墓を作り、三年の間喪に服したが、委細は省略する。

 

 喪が明けて、一年余りも過ぎぬうちに、天下は大いに乱れた。方国珍は浙江を拠点にし、張士誠は蘇州を拠点にし、陳友諒は湖広を拠点にし、何れも盗賊の英雄であった。ただ太祖皇帝が滁陽で挙兵し、金陵を確保し、呉王となり、すなわち正義の軍隊として、兵を進めて方国珍を破り、浙江全土の郷村や鎮市に号令し、また騒乱を鎮めた。

 

 ある日、お昼ごろに、王冕がちょうど母親の墓にお参りし、掃除をして帰って来ると、十数騎の馬がちょうど彼の村の方にやって来た。先頭のお方は、頭に武巾を被り、体に花を描いた丸い図案の武将の着る長衣を身に着け、色白の顔で、三本の口ひげを生やし、真に龍や鳳のような偉丈夫であった。その方は戸口で馬を下り、王冕に礼をして言った。「ひとつ尋ねますが、ここは王冕先生のお宅でしょうか。」王冕は言った。「拙者が王冕で、ここが私のあばら家です。」その方は喜んで言った。「これはちょうどよい。わざわざお目にかかりに来たのですから。」従者に皆馬から降りて、家の外で待つように言いつけ、馬は湖のほとりの柳の木に繋いだ。その方はひとり王冕と手を携え部屋の中に入り、客と主人に分かれて礼をして席に着いた。王冕は言った。「畏れ多いことながら、貴殿のお名前をお聞かせいただけますか。なぜこのような僻地まで来られたのですか。」その方は言った。「私は姓は朱、先に江南で挙兵し、滁陽王と号しています。今は金陵を拠点に、呉王と称しているのが私です。方国珍をここまで平らげるため、特に先生を訪ねて来たのです。」王冕は言った。「私はこの目でお目にかかったことがなかったのですが、実は王様でいらしたのですか。けれども拙者は一介の愚人ですから、どうして王様と行動を共にすることなどできましょう。」呉王は言った。「私は武骨な男で、今先生の儒者としてのご様子を見ると、思わず功利を追う思いが暫し消え去りました。私は江南にあって、先生の大名をお慕いし、今日お訪ねし、先生のご指示を頂きたいのです。浙江の人々は久しく離反していましたが、何を以てその心を服従させることができるでしょうか。」王冕は言った。「大王は高明で先を見通せる方ですから、私が多く語る必要はないでしょう。もし仁義で以て人を服従させれば、どこに服従せぬ者がおりましょう。いわんや浙江に於いてもです。もし兵力を以て服従させようとすると、浙江人は弱いですが、恐らくその正義心は辱めを受け入れないでしょう。方国珍をご覧になりませんでしたか。」呉王はため息をつき、うなずいて「すばらしい」と言った。ふたりはひざを突き合わせ日暮れまで話し込んだ。従者たちは皆、糒(ほしいい)を持っていた。王冕は自ら厨房に立ち、小麦粉で焼餅を一斤焼き、韮を一皿炒め、自ら捧げ持って来て、お相伴した。呉王は料理を食べ、王冕の教えにお礼を言い、馬に乗り去った。この日、秦老人は都に行って帰って来て、このことを尋ねた。王冕も来られたのが呉王だとは言わず、ただ軍中のひとりの将軍が、曾て山東で知り合いになったので、このたび私に会いに来られたのだと言い、それで話は終わった。

 

 何年もしないうちに、呉王は乱を平らげ、都を南京(応天府)に定め、天下は統一され、国名を大明と号し、年号を洪武とした。郷村の人々は皆安穏に暮らした。洪武四年になり、秦老人はまた都に行き、帰って来ると王冕に言った。「危の旦那は自ら罪を認め、都を発って和州に行きました。私は瓦版(邸抄。京城で発行された一種の新聞)を持ち帰って来たので、ご覧なさい。」王冕が受け取って見ると、危素は投降して後、みだりに尊大ぶって、太祖の面前で老臣と自称した。太祖は大いに怒り、和州に行き余闕将軍の墓の墓守をするよう命じた。この記事の後に、礼部が官吏を採用する方法を議定したとあった。三年に一回科挙の試験を行い、『五経』、『四書』から出題され、八股文を用いて回答するのである。王冕は指し示して秦老人に見せて、言った。「この方法に決めるのは良くない。将来、読書人はこれが栄達の道となり、文人が学問、品行、仕官、隠居への態度を軽視するようになるだろう。」話しているうちに、空は暗くなってきた。季節はちょうど初夏で、天気が暑くなりはじめた頃で、秦老人は麦打ちをする広場にテーブルを出し、二人で酒を飲んだ。しばらくして、東方に月が上り、湖面は広大なガラスのように照り輝いた。眠りについたカモメやサギたちは、しんとしてあたりは静まり返っていた。王冕は左手に盃を持ち、右手で天上の星を指し示し、秦老人に言った。「ご覧なさい。貫索(古代天文学の天牢星で、束縛、牢獄、刑罰を代表し、科挙制度の文人への精神的圧迫を象徴)が文昌(文運、科甲(科挙制度)を主管する吉星で、才華、功名を象徴)を犯しています。一代の文人に災いをもたらしましょう。」話がまだ終わらぬうちに、突然一陣の奇妙な風が巻き起こり、樹々がひゅうひゅうと鳴り、湖の水面の鳥たちは多くが驚いてバタバタと羽ばたき、王冕と秦老人はびっくりして着ていた服の袖で顔を覆った。しばらくすると、風の音は収まり、目を見開いて見ると、天上には何百という小さな星が次々と現れては、東南の角に向けて流れ落ちて行った。王冕は言った。「天は気の毒だ。こんなに夥しい星を降らせて、天帝は文運を支えようとされている。私は見るに忍びない。」その晩は道具類を片付け、各々休息した。

 

 これより以後、時折人の噂によれば、朝廷の公文が浙江布政司に下され、王冕を招聘し官職に付けるよう求めた。最初は気に掛けなかったが、その後次第にしつこく言われるようになったので、王冕は秦老人に何も告げずに、勝手に荷物をまとめると、夜を通して会稽山中に逃亡した。

 

 半年後、朝廷は果たして一人の役人を派遣し、詔書を捧げ持ち、多くの従者を従え、色鮮やかな緞子や衣服を持ち、秦老人の家の戸口に来た。秦老人はもう八十を超え、髭も鬢も真っ白で、手には杖をついていた。その役人は彼に礼をすると、秦老人は藁ぶき屋根の家の中に座らせた。役人は尋ねた。「王冕先生はこの村にいらっしゃいますか。今、皇帝陛下はこの方に参軍の職を授けられ、弊官は特に詔書を奉じて来た次第です。」秦老人は言った。「彼はこの地の人だが、長らくどこに行かれたか知りません。」秦老人は茶を献じ、その役人を案内して王冕の家に行き、門を推して中に入ったが、部屋中蜘蛛の巣だらけで、通路には雑草が生い茂り、果たして王冕はここから去って久しいことが知れた。その役人は嗚呼と一度ため息をついたが、その後は相変わらず詔書を捧げ持ち、結果を報告しに帰って行った。

 

 王冕は会稽山中に隠棲し、且つ自ら姓名を名乗ることは無かった。後に病を得て世を去り、近在に住む者が資金を集め、会稽山の麓に葬った。この年、秦老人もまた自分の家で天寿を全うした。おかしなことに、最近の文学者が王冕のことを皆王参軍と呼んでいるが、いったい王冕は曾て一日でも官職に就いたことがあっただろうか。それゆえこのように説明したのである。けれどもこれは今後の話の枕に過ぎないのであって、これから本題に移ろうと思う。

 

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 今回は、この物語の話の枕という位置づけです。次回、第二回より、いよいよ科挙の試験にまつわる悲喜劇が語られます。

 

 この回では、栄国府の主(あるじ)である賈政が、妻の王夫人の侍女の金釧が井戸に身投げし自殺、また忠順親王府お抱えの女形役者の琪官の失踪、このふたつの事件の原因が我が息子、宝玉のせいだと知り、怒り心頭、宝玉に棒叩きの折檻を加えることになります。おかげで宝玉は身体が傷つき、息も絶え絶えの状態になり、これを見た賈のお婆様はじめ、栄国府の女性たちに衝撃が走ります。『紅楼夢』第三十三回をご覧ください。

 

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手足(兄弟)は(虎視)眈眈と(宝玉を陥れようと)し(賈環は賈政に)小さく唇舌を動かす

不肖(の息子)は(放縦な)種種(の行為で)いに笞撻(ちたつ。鞭で打つこと)を

 

 さて王夫人は金釧兒の母親を呼んで、いくつか簪(かんざし)とイヤリングを持って来て、その場で下賜し、またこう言いつけた。「何人か坊さんに頼んでお経を詠んでもらい、あの子を成仏させておやり。」金釧兒の母親は跪いて頭を地面に着ける礼をし、お礼を言って出て行った。

 

 実は宝玉は雨村にお会いして戻って来ると、金釧兒が(お暇を出された)恥ずかしさの余り自ら命を絶ったと聞き、心の中では早くも身体の中の五臓が引き裂かれたような悲しみに襲われ、部屋に入るやまた王夫人からいくつか説教をされ、口答えもできなかった。宝釵が入って来るのが見え、ようやく部屋を出てくることができたが、どこに往くべきかさっぱり分からず、手を背中で組み、俯(うつむ)いて、ため息をつきながら、ゆっくりと足の向くまま広間の方に歩いて行った。ちょうど屏門(中庭と外庭を隔てる門)のところを曲がったところで、思いがけず向こうからひとりの人がやって来て、ちょうど部屋の中へ歩いて行こうとして、ちょうど真正面からぶつかってしまった。するとその人は大声で怒鳴った。「止まりなさい!」宝玉はびっくりして、頭を上げて見ると、それは他でもなく、彼の父親であった。早くも思わず驚いてハッと息を吸い込み、手を下に垂れ傍らに立っているしかなかった。

 

 賈政は言った。「何事もないのに、おまえはしょんぼりうなだれて、何をため息ついているんだ?さっきも雨村が来て、おまえに会いたいと言うのに、えらい時間が経ってからようやく出て来て!出て来たと思ったら、意気軒昂とした語気が全く感じられず、相変わらずうじうじ細かいことばかり言いおって。わたしが見るところ、おまえの顔には邪(よこしま)な欲望や煩悩の色が出ているわい。今回はまた気持ちが落ち込んでため息をついて、おまえはあれだけ好き勝手をやってもまだ足らず、まだ不自由だと思っているのか?訳もなくこんな風になるのは、どんな理由があるんだ?」宝玉は平素は口が達者なのであるが、この時はひたすら金釧兒のため悲しみに暮れ、彼女が既に亡くなってしまったのが恨めしくてならず、今父親にこうしたことを言われて、結局のところ未だ曾て聞き分けよくしたことがなく、ただポカンと突っ立っているだけだった。

 

 賈政は宝玉が怖れびくびくしているのを見て、応対がいつもと違い、元々怒ってはいなかったが、宝玉がこのような態度をとったので、三分方腹を立てた。ちょうど話をしようとしていた時、ふと門番の男が来て報告した。「忠順親王府より人が来られ、旦那様にお会いしたいとのことです。」賈政はそう聞いて、心の中で疑問に思い、ひそかに思案して言った。「平素は別に忠順府と往き来をしていないのに、どうして今日は人を寄越して来たのだろう?……」そう考えながら、一方でこう命じた。「すぐに広間で座っていただくように。」急いで中に入って服を着替えた。出て来て客人に会うと、意外にも相手は忠順府の長府官(親王府の事務を管轄する小役人)で、互いに対面の礼をすると、座席に戻り茶を献じた。まだ会話が始まる前に、その長府官は先にこう言った。「わたしがここへ来ましたのは、別に失礼を顧みずお邪魔した訳ではありません。命を奉じたので参りましたが、あることについてお尋ねしたいのです。親王様の名に於いて、敢えてあなた様の公正なご裁決を煩わしとうございます。親王様が事情をよくご存じなだけでなく、わたくしどもも感謝に絶えません。」

 

 賈政はこの話を聞いても、何のことか分からず、急いでお追従笑いを浮かべると、身を乗り出して尋ねて言った。「大人が既に親王様の命を受けて来られたとのことですが、何の件でお越しになったのでしょうか?どうか大人明らかにしてください。学生もちゃんと諭旨を遵守し承ります。」かの長府官は冷笑を浮かべて言った。「そんなお引き受けいただくまでもありません。ただあなた様の一言で片付くことでございます。うちの府(屋敷)にひとりの娘役の役者で琪官という者がおり、これまでずっとちゃんと屋敷で暮らしておりましたが、今はこともあろうにここ数日戻って来ないのです。あちこち捜したのですが、この子がどこに向かったか探ることができません。それであちこち訪問して調べますと、この城内で、十中八九の人が皆、あの子が最近玉を口にくわえて生まれたかのご子息との交際がたいへん親密だ、と言われるのです。弊官が聞くところでは、お宅様は他家と異なり、勝手にお邪魔して請求しても構わないとか。それゆえ親王様にそう申し上げたのです。親王様はまたこう言われました。「もし他の役者なら、百人だって構わない。けれどこの琪官は、臨機に対応してくれ、慎み深く老練で、正にわたしの心境にぴったり合い、断じてこの役者を欠くことはできない」と。それゆえどうかあなた様からご子息にお伝えいただき、どうか琪官を返してください。それにより、一に親王様を心を込め誠実にお慰めでき、二に弊官も苦労して探し求める手間が省けますので。」そう言い終わると、急いで身体を曲げてお辞儀した。

 

 賈政はこの話を聞いて、驚くやら腹立たしいやら、即座に宝玉を呼んでくるよう命じた。宝玉も何のせいか分からず、あたふたと駆けつけると、賈政は尋ねた。「この死に損ないの大馬鹿野郎!おまえが家で勉強もしないのはまあいい。どうしてまたこんな破廉恥な神をも怖れぬことをしでかすんだ!かの琪官は今や忠順親王様の御前でお仕えされる方で、おまえごとき取るに足らぬぼんくらが、故(ゆえ)無く誘い込む(引逗)とは、今や災いがわしにまで及んでしまった。」宝玉はそれを聞いて、びっくり仰天、急いで答えて言った。「このことは本当に知りませんでした。一体全体「琪官」の二文字が何のことやら分かりません。ましてやこれに更に「引逗」(誘い込む)の二文字が加わるとは。」そう言って泣き出した。

 

 賈政がまだ口を開かぬうちに、かの長府官が冷ややかに笑って言った。「若様も隠し立てされる必要はありません。或いはお家に隠されているか、或いは行方をご存じか、早く言っていただければ、わたしたちも受ける苦労が少なくて済みます。どうして若様の徳を想い起こしていただけないのですかな?」宝玉は何度も言った。「本当に知らないのです。おそらく誤って伝わったのでしょう。わたしはお会いしたこともありません。」かの長府官は冷ややかに笑い声を浴びせて言った。「現に証拠がございますから、きっと旦那様の前で白状せねばならなくなりますが、そうなると若様はお困りになるでしょう?――知らぬと言われるからには、琪官はあの赤い汗拭きのタオルをどうやって若様の腰から得たのでしょうか?」

 

 宝玉はこの話を聞いて、思わず魂が破壊されたかのように、呆然とし、心の中でこう思った。「このことを、この人はどうして知ったのだろう?こんな秘密のことまで知っている以上、おそらく他のことでも、この人を欺(あざむ)くことはできないだろう。それならむしろこの人を追い払ってしまった方が、また別のことを言い出すのを免れることができる。」それでこう言った。「大人は彼の細かいことまでご存じであるのに、どうして彼が家を買い入れたような大事を、却ってご存じないのでしょうか?聞くところによると、彼は今東郊の城下から二十里の紫檀堡とかいうところに、何畝(ムー。1ヘクタールの15分の一。6.6667アール)かの田地と何間かの家を買い入れたそうです。そこにいると思いますが、それも分からないです。」かの長府官はそう聞いて、笑って言った。「そう言われるなら、きっとそこにいるでしょう。わたしはひとまず一度捜しに参ります。もしいればそれで良し。もしいなければ、また来てお教えいただきます。」そう言うと、急いで暇乞いをして行ってしまった。

 

 賈政はこの時怒りの余り目を見開き口を歪めていたが、一方でかの官員を見送り、一方で戻って来て宝玉に命じた。「ここに居て動くな。戻ってきたらお前に尋ねたいことがある!」そのままかの官員を送って行った。それでようやく振り返ってみると、ふと賈環が何人か子供の召使を連れてあちこち走り回っているのが見えた。賈政が大声で怒鳴って召使に命じた。「早くそいつを殴れ!」賈環は父親を見て、びっくりしてへなへなと力が抜けてしまい、急いで首を垂れて立ちつくした。賈政はそれで尋ねた。「おまえ、何を走っているんだ!おまえが連れているあいつらは、皆おまえのことなどお構いなし、どこへ行くとも分からず、野生の馬のようだ。」大声で怒鳴った。「一緒に学校に行く者はどうした?」

 

 賈環は父親が大層腹を立てているのを見て、この期に乗じて言った。「先ほどまでは走っていなかったのですが、あちらの井戸の辺りを通り過ぎると、あちらの井戸でひとりの小間使いが溺れ死んでいたのです。わたしが見たところ、頭がこんなに大きく、身体がこんなに太く、水に浸かって本当に恐ろしかったので、それでびっくりして走って来たのです。」賈政はそう聞いて、びっくりして尋ねた。「いわれもなく、誰が井戸に跳び込んだんだ?我が家ではこれまでこんなことは無かった。ご先祖様以来、皆寛大に優しく接してきた。――だいたいわたしは近年家事の管理に疎くなっていて、自然と執事が生殺与奪の権限を持つようになり、このように生を軽く見、突然自殺してしまうという災いを引き起こすに至ったのだ。もし外部の人に知られたら、ご先祖様に会わす顔が無いわい!」大声でこう命じた。「賈璉、頼大を呼んで参れ!」

 

 召使たちは「はい」と一声答え、ちょうど呼びに行こうとしていると、賈環が急いで前に進み出て、賈政の上着の前おくみを引っ張り、膝を地面に付けて跪くと、言った。「旦那様、怒られるには及びません。このことは奥様のお部屋の人以外は、他の人たちは少しもご存じないと、わたしはうちの母が言うのを聞きました――」ここまで言うと、振り返って四方をぐるりと見たので、賈政はその意を察し、目配せしてそれと知らせると、召使たちは理解し、皆両側から後ろへ退出した。賈環はそれでこっそりと言った。「うちの母親がわたしに言われるには、「宝玉兄さんが、前日奥様のお部屋で、奥様の侍女の金釧兒を引っ張り込み、強姦しようとして未遂に終わってしまい、一発殴ったので、金釧兒が腹を立てて井戸に跳び込み死んでしまった――」」

 

 話がまだ終わらぬうち、賈政は怒りで顔から血の気が退いて真っ青になり、大声で叫んだ。「宝玉を連れて来い!」そう言いながら、一方で書斎の方に行き、大声でこう命じた。「今日また誰かがわしを押し留めに来たら、わしはこの官職も財産も、全部そいつと宝玉にくれてやろう。わしは罪人になるのを免れないこの気持ちがくさくさする髪の毛を剃ってしまい、極楽浄土に行ってこの世とおさらばすれば、墓に入る時にご先祖様を辱め、後世に親不孝な子孫を生むという罪から免れられるというものだ!」

 

 お屋敷の中の食客や召使たちは賈政のこうした有り様を見て、また宝玉のせいで騒ぎが起こったと知り、ひとりひとりが指を噛み舌を打ち鳴らして、そそくさとその場を離れて行った。賈政はハアハア息をはずませ、ピンと身体を伸ばして椅子に座り、満面に涙の痕を残し、息も継がずにこうまくし立てた。「宝玉を連れて来い!大きな棍棒と縄を持って来い!門を皆閉めろ!誰かが中にこのことを知らせたら、直ちに打ち殺せ!」子供の召使たちは、揃って「はい」と答えるしかなく、何人かが宝玉を捜しにやって来た。

 

 かの宝玉は賈政が彼に「そこから動くな」と言いつけたのを聞いて、とっくによくないことが起こりそうだと分かった。しかし賈環が多くのことを追加で言いつけたとはつゆ知らなかった。ちょうど広間でぐるぐる回りながら、どうにかして中の人にこのことを知らせようと思案したが、折悪しく誰もやって来ず、(自分の男の子供の召使の)焙茗さえもどこにいるか分からなかった。誰か来ぬかと待ち焦がれていると、ひとりの老婆がやって来るのが見えたので、宝玉は珍しい宝物を手に入れたかのように、近づいて老婆を連れて来ると、こう言った。「早く中に入って行って言ってほしい。旦那様が僕を叩こうとしているんだ。早く言いに行って。緊急(要緊yào jǐn)なんだ。」宝玉は一に慌てていたので、言っていることがよく分からなかった。二にお婆さんは折悪しく耳が遠く、何を言ったのか聞き取れず、「要緊」の二文字を「跳井」tiào jǐngだと思い、それで笑って言った。「井戸に跳び込む(跳井)んだったら、跳び込めばいいのよ。若旦那様、何を怖れてらっしゃるの?」宝玉は老婆がつんぼだと分かったので、急いで言った。「おまえ、出て行って僕の召使を呼んで来て!」その老婆は言った。「何が終わらないもんかい。とっくに終わって(亡くなって)いて、奥様がまた銀子をくだすったんだよ。どうして終わってないものかね。(金釧兒が井戸に身投げして亡くなって、金釧兒の母親が王夫人からお見舞いの銀子をもらったことを言っている。)」

 

 宝玉はどうして良いか分からず、手足をばたつかせていると、賈政の召使がやって来て、宝玉を無理やり連れて行った。賈政は宝玉を一目見ると、目を真っ赤にして、もはや宝玉が外で役者と仲良くなり、放埓(ほうらつ)なことをしていると細かく追求することもせず、大っぴらに自分の赤い汗拭きタオルを琪官に契りの印として贈り、家では儒教の経典の学習や科挙の勉強を疎かにし、いかがわしい詩詞曲賦にうつつを抜かし、母親の小間使いの金釧兒をからかって関係をせまったことに対し、大声でこう命じた。「その口を塞いで、厳しく死ぬほど叩いてやれ!」男の子供の召使たちはその命令に背く勇気がなく、宝玉を腰かけに座らせて押さえつけると、大きな板を振り上げ、十回ほど叩いた。宝玉は自分でも許しを求めることができないと分かっていたので、ただ嗚咽を鳴らして泣いた。賈政はそれでも子供の召使が叩く力が緩いと思い、板を持つ召使を足蹴にして下がらせ、自ら板を奪い取ると、力いっぱいまた十数回叩いた。

 

 

 宝玉は生まれてからこんな苦しみを味わったことがなく、最初は叩かれて我慢できないくらい痛いと感じ、やたらと大声で泣き叫んでいたが、後には次第に息が弱くなり声がかすれ、むせび泣きも出なくなった。食客たちは様子を見て不吉に思い、急いで駆け寄って来て、もうやめるよう諫めた。賈政がどうして聞く耳を持っていようか。そしてこう言った。「おまえたち、こいつがやったことを尋ねてみろ。許されることかどうか。平素は皆おまえたちはこいつに丸め込まれてしまっていたんだ。ことがこの段階に至って、まだ仲裁する余地があるだろうか。明日には父を殺し君王を殺すことになるかもしれん。おまえたちが諫めてもだめだ。」

 

 人々はこれを聞いてまずいと思い、賈政の怒りがひどいと知り、急いで適当な人を捜して母屋に入り、情報を伝えさせた。王夫人がそれを聞き、賈のお婆様に報告に行っていては間に合わないと思い、急いで服を着て出て来て、そこに他人がいるかどうかも気にせず、大急ぎでひとりの小間使いに寄りかかり、書斎の中に向かった。慌てて食客や召使たちが席をはずそうとするも間に合わなかった。賈政が正に再び叩こうとして、王夫人が入って来るのが見えたので、また火に油を注ぐことになり、その板を降り下ろすのが益々ひどく、また早くなった。宝玉を押さえつけていたふたりの男の子の召使は、慌てて手をはずして出て行ってしまったが、宝玉はもはや身体が硬直して身動きできなくなっていた。

 

 賈政はまだ叩きたいと思っていたが、とっくに王夫人に板を抱きかかえられていた。賈政が言った。「やめてくれ。今日はこいつがわたしを死ぬほど怒らせたんだから、止める訳にいかないんだ。」王夫人が泣いて言った。「宝玉は叩かないといけないとしても、旦那様もお身体を大切にされるべきです。しかもこの炎暑の天気は、お婆様のお身体にもあまり良くありません。宝玉を死ぬほど叩くのは大したことではありませんが、もしお婆様がそれが原因で具合が悪くなられたら、大事になるでしょう?」賈政は冷ややかに笑って言った。「もうそんな話を持ち出すのはやめよう。わたしはこんな不肖の出来損ないを育て、已に不孝を犯してしまっている。前々からこいつを叱っても、また周りの皆が庇う始末だ。それだったら今日の折檻でこいつのつまらぬ命が途絶えるのに乗じ、将来の災いを断った方がましというものだ。」そう言うと、縄で絞め殺そうとした。王夫人は慌てて賈政に抱きつきながら、泣いて言った。「旦那様は息子をしつけなければなりませんが、夫婦の役割の違いも考えていただかないといけません。わたしはもう五十歳になりますが、こんな出来損ないの息子でも、わたしにとってこの子だけがなんとか頼りにできるのです。わたしも敢えてこれ以上あなたにお諫めはいたしません。今日これ以上叩いてこの子を死なせてしまったら、それはあなたがわたしとの関係を断とうと思っておられるからではありませんか?この子を絞め殺そうと思われているからには、いっそ先にわたしを絞め殺して、それからあの子を殺してください。わたしたち母子は一緒に死んだ方がましだわ。その方があの世でも頼みになりますわ。」そう言うと、宝玉を抱きながら、大声を上げて泣き出した。

 

 賈政はこの話を聞いて、思わず大きくため息をつき、椅子に腰かけると、涙が雨のように流れ出した。王夫人は宝玉を抱きながら、見ると宝玉の顔は血の気が引いて真っ白で、弱い息しかできず、下には一枚の緑色の薄い紗の下着を着ていたが、その上は一面血で染まっていた。思わずタオルを外して見てみると、脚から尻にかけて、腫れて青や紫になり、皮膚が裂けて出血しているところもあり、少しもきれいな状態で保たれているところがなく、思わず声を失い、大声で泣きながら「哀れな運命の息子よ」と叫んだ。泣きながら「哀れな運命」と言うと、また(王夫人の最初の息子で、亡くなった)賈珠のことが思い出され、それで賈珠の名を呼びながら、泣いて言った。「もしおまえが生きてくれていたら、百人の子が死んだって、気にしないわ。」

 

 この時、屋敷の中の人々が王夫人の声を聞きつけて、李紈、鳳姐、及び迎春、探春両姉妹が、皆出て来た。王夫人は泣きながら賈珠の名前を言うと、他人はまだ良かったが、ひとり 李紈だけは(亡き夫の名を呼ばれたので)我慢できなくなって泣きじゃくり出した。賈政はこれを聞いて、涙が真珠の玉のように転がり落ちた。ちょうどこうした悲しみに結末がつかなくなっているところに、ふと小間使いの女が来て言うのが聞こえた。「大奥様が来られました――」その言葉が終わらぬうちに、窓の外から、弱々しくこう言うのが聞こえた。「先ずわたしを叩き殺しなさい。それからあの子を殺せば、それできれいさっぱりするわ。」

 

 賈政は母親が来るのを見て、慌てるわ心は傷むわで、急いで出迎えに出た。すると賈のお婆様は侍女に支えられながら、首を振り荒い息をしながら歩いて来た。賈政は前に出て身体を屈めてお辞儀をし、お追従笑いを浮かべて言った。「酷暑厳しい日に、お婆様におかれては何かお言いつけがございますでしょうか。ご自身で歩いて来られなくとも、この倅(せがれ)めを呼んでいただければ、お言いつけを伺いに参りますのに。」賈のお婆様はそれを聞いて、足を止めハアハア喘ぎ声を出すと、一方で厳しい口調で言った。「あなたは元々わたしに言っておくべきことがあったでしょう!わたしもあなたに言っておくことがあります。わたしは生涯良い息子に恵まれなかったので、わたしはいったい誰と話をすればいいんでしょう?」

 

 賈政はこれを聞いて、いつもと様子が違うので、急いで跪いて目に涙を溜めて言った。「倅のわたしがあの子を管理するのも、先祖代々続くこの一族の繁栄のためです。お母さまの言われたことですが、この倅がどうして当てはまりますでしょうか?」賈のお婆様はそれを聞いて、「チェッ」と唾を吐き捨てると、こう言った。「わたしが一言言えば、あなたは持ち応えられなくなりますよ!あなたのなすったようにひどいやり口で折檻して、まさか宝玉は耐えられるとでも思っていらっしゃるの?あなたは息子を教え諭すのは一族の繁栄のためと言われるけど、曾てあなたの父君はどうやってあなたを教え諭されたんでしょう!」そう言うと、思わず涙が流れ落ちた。賈政はまたお追従笑いを浮かべて言った。「お婆様もそんなに悲観する必要は無いですよ。あなたの倅がたまたま焦ってこのようなことをしてしまいましたが、今後は、もう子供を叩くようなことは二度といたしません。」賈のお婆様は冷ややかに笑って言った。「あなたもわたしに対して意固地にならなくていいのよ。あなたの息子なんだから、もちろんあなたが叩きたいなら叩けばいいわ。思うにあなたはわたしたち女どもにうんざりされているんでしょう。それならわたしたちとっととあなたの元を離れれば、皆がすっきりできるわ。」そう言うと、下の者に命じた。「駕籠を見てきておくれ!――わたしとおまえの奥さん、宝玉は直ちに南京の実家に帰ります!」家の下の者は「はい」と答えるしかなかった。

 

 

 賈のお婆様はまた王夫人を呼んで言った。「あなたも泣く必要はないわ。今は宝玉はまだ小さいから、あなたはあの子がかわいいでしょう。でもあの子が将来大きくなって、官職に就いたら、必ずしもあなたが母親として尽くしてくれたことを憶えてくれていないかもしれない。あなたが今逆にあの子をそんなにかわいがらなければ、今後あまりカッカと腹を立てなくて済むかもしれないわ。」賈政はそれを聞いて、急いで跪いて頭を地面に打ち着けて言った。「お母さまがそんなことをおっしゃると、倅のわたしは立つ瀬がありません。」賈のお婆様は冷ややかに笑って言った。「あなたが明らかにわたしを立つ瀬が無くさせたのだから、あなたが逆にその立場に立たされたのよ。ただわたしたちが南京に帰ったら、あなたの気持ちも清々して、誰かがあなたに叩くのをやめさせてくれると思うわ。」そう言いながら、一方でこう命じた。「早く南京に帰る荷物と車を準備しておくれ。」賈政は身体をピンと伸ばして跪き、頭を地面に着けて謝罪した。

 

 賈のお婆様はそう言いながら、一方で宝玉の様子を見た。今日の懲罰のされ方は、これまでと比べものにならぬくらい酷く、心が疼き、また腹がたち、宝玉を抱きながら涙が止まらなかった。王夫人と 鳳姐らがしばらくなだめて、ようやく次第に泣き止んだ。

 

 早くも小間使いや女房たちが、近寄って来て宝玉を支えようとすると、鳳姐が叱りつけた。「このぼんくら!目をよく見開いて見てご覧。こんな状態で、どうやって身体を支えて歩くんだい?早く中から藤(とう)で編んだ長椅子を担いでおいで!」人々はそれを聞いて、急いで飛び出して行き、果たして長椅子を担いで来ると、宝玉を乗せ、賈のお婆様や王夫人らに従って母屋に入って行き、賈のお婆様の部屋に送り届けた。

 

 この時、賈政は賈のお婆様の怒りがまだ収まっていないのを見て、勝手に振る舞う勇気が無く、一緒に母屋に入った。見たところ、宝玉は果たして酷く叩かれ、また王夫人が「坊や」、「息子」と声をかけては泣きながらこう言った。「おまえは珠兒(賈珠)が早死にした代わりのはずなのに、珠兒が生きてくれていたら、あなたの父親が怒ることもなかったし、わたしもこの半生を無駄に気を使うこともなかった。今回おまえがもし万一亡くなり、わたしひとりが残されたら、わたしは誰を頼って生きればいいの?」そう言って一度なじると、また泣きながら「意気地なしの息子」と言った。賈政はそれを聞いて、自分が酷い折檻をしてこんな状態になるまで叩くべきでなかったと意気消沈した。先に賈のお婆様をなだめようとすると、お婆様は目に涙を浮かべ、こう言った。「わたしの倅が良くない。元々躾けるにしても、こんなになるまで叩いてはいけないわ。あなたは出ていこうとせず、ここに残って何をするの。まさかまだ心残りで、自分の目でこの子が死ぬのを見てようやく満足するんじゃないわね?」賈政はそう聞いて、ようやく「はいはい」と言って退出して行った。

 

 この時、薛おばさん、宝釵、香菱、襲人、湘雲らもここにいた。 襲人は心から悔しく思ったが、ただその気持ちを表に出すことができなかった。見ると人々が宝玉を取り囲み、水を飲ませる者は水を飲ませ、扇であおぐ者は扇であおぎ、襲人は自分が手を出すことができなかったので、思い切って外に出ると、二の門の前に行き、男の子供の召使たちに命じて(宝玉付きの召使の)焙茗を捜して来させ、彼に細かく尋ねた。「先ほど何のいわれもなく、どうして叩かれることになったの?あなたももっと早くこっそり知らせてくれなくちゃ!」焙茗は急いで言った。「あいにく僕は若旦那様のお傍にいなかったのです。棒叩きの折檻が中盤に差し掛かった時、ようやくその知らせを聞いて、急いでその原因を聞いたのですが、意外にも琪官兒と金釧兒姉さんのことのせいであったのです。」襲人が言った。「旦那様はどうしてそれを知ったのかしら?」焙茗が言った。「あの琪官兒のことは、おおかた薛旦那様が日ごろから焼餅を焼いておられたのですが、自分から手を出すことはできませんでした。ひょっとすると外から誰かに唆(そそのか)されたのかもしれません。旦那様の目の前で陰口を叩かれたのです。金釧兒姉さんのことは、おおかた下の若旦那(賈環)が言われたのでしょう。――わたしも旦那様とご一緒された人から聞いた話ですが。」

 

 襲人はこのふたつの件は何れも背景がよく似ていて、心の中でも八九割方間違いないと思った。その後帰って来て見ると、人々は宝玉に代わり治療の手配を終えていた。賈のお婆様はこう命じられた。「ちゃんとあの子の部屋に運んで行ってやりなさい。」人々は一斉に「はい」と回答し、皆が慌ただしく動き回り、急いで宝玉を怡紅院に送り届け、彼を自分のベッドに横にならせ、またしばらくばたばたしていたが、人々は次第に帰って行き、襲人がそこでようやく部屋に入り進み出て、色々気を配ってお世話をし、体調を細かく尋ねた。事の次第が、いったいどうなったかお知りになりたければ、次回に解説いたします。

 この回でのポイントは、宝玉が黛玉に対して、自分の思いのたけを切々と語るところ。宝玉が本当に好きなのは黛玉であることが明らかになります。しかし黛玉の身体は徐々に病に犯され、この先あまり長くないことが語られ、史湘雲は両親を早くに亡くして、家では嫂(あによめ)達に冷遇され、肩身の狭い思いをしていることが明らかにされます。そんな中、王夫人に暇を出された侍女の金釧(きんせん)が、突然井戸に身を投げ、死んだことが告げられます。『紅楼夢』第三十二回の始まりです。

 

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肺腑に訴え心迷う活ける宝玉

耻辱を含み情烈しき死せる金釧

 

 さて、宝玉はその麒麟を見て、心中甚だ喜び、手を伸ばして手に取り、笑って言った。「よくもまあ君が拾っていたとは。君はどうやってこれを拾ったの?」湘雲は笑って言った。「幸い、これが出て来たから良かったけど、明日もし官印まで失くしてしまっていたら、まさか役人を辞めないといけなかったんじゃないわよね?」宝玉が笑って言った。「別に官印を失くしたってどうということはないけど、もしこいつ(麒麟)を失くしていたら、僕死なないといけないところだった。」

 

 襲人が茶を淹れて来て湘雲に飲ませ、一方で笑って言った。「お嬢様、わたし先日お嬢様にお喜び事があったと伺いましたが。」湘雲は顔を赤くし、首をかしげて茶を飲み、一言も応えなかった。襲人は笑って言った。「今回はまた恥ずかしがっておられますね?お嬢様、まだあの頃のことを憶えておられますか、わたしたちは西側の暖閣(大部屋と隣り合って往き来できる部屋で、暖房施設が取り付けられた部屋)で暮らしていて、夜お嬢様とお話をしたことを。あの時は恥ずかしがっておられなかったのに、今回はどうしてまた恥ずかしがられるんですか?」湘雲の顔は益々真っ赤になったが、無理やり笑って言った。「おまえ、まだあの時の話をするの。あの時はわたしたちはあんなに仲が良かったのに、その後うちの母が亡くなり、しばらく実家で暮らしている間に、どうしておまえをあの人に配したのかね。わたしが戻ってきたら、おまえはもうあの時のようにわたしの相手をしてくれなくなった。」

 

 襲人も顔を赤くし、笑って言った。「もういいですわ。以前だったら「お姉様」が長い、「お姉様」が短いとわいわい騒ぎながら、わたしが代わって髪を梳いたり顔を洗ったりしていましたが、今はお嬢様然としてお高く止まっていらっしゃいます。あなたが偉そうにされたら、わたしお傍に行けませんわ。」湘雲が言った。「南無阿弥陀仏。とても悔しいわ。わたしがそんなだったら、すぐ死んでしまうわ。ちょっと見てみて。こんな暑い日に、わたしがここに来たのは、先ずあなたの顔を見るためよ。信じないなら、縷兒に聞いてみて。わたし家ではいつも、一度だってあなたのことを忘れたことがなくってよ。」

 

 襲人と宝玉はそれを聞いて、笑いながらなだめて言った。「冗談を言ったのに、あなたまた真に受けられたわ。こんなに慌てて。」湘雲が言った。「あなたの話は刺激が強いって言われなかったかしら。それにしても性格もせっかちだけど。」そう言いながら、一方でハンカチで包んだ包みを開き、指輪を襲人に手渡した。襲人はどんなに感謝しても足らず、それで笑って言った。「先日あなたのお姉様方が届けて来られ、わたしもういただきました。今日はあなたが自ら持って来られて、わたしのことを忘れておられないのが分かったわ。これであなたがここに来られた誠意が確かめられた。指輪がどれだけの値打ちのものにせよ、あなたの真心が分かったわ。」

 

 史湘雲が言った。「誰があなたに渡したの?」襲人が言った。「宝お嬢様がわたしにくれました。」湘雲はため息をついて言った。「わたし、林姉さんがあなたに渡すとばかり思っていたら、実は宝姉さんがあなたに渡したのね。わたし、毎日家で考えているの。ここにいるお姉様方で、宝姉さんよりいい方はいらっしゃらないのね。でも残念ながらわたしたちは同じ母親の娘ではない。――もし宝姉さんのような実のお姉様がいたら、たとえ両親を亡くしても、ひとりぼっちで誰からも助けてもらえないとは思わないわ。」そう言うと、眼の周りを赤くした。

 

 宝玉が言った。「もうおやめよ。この話題はもうやめよう。」湘雲が言った。「この話を言ったら、どうなるの?わたし、あなたの心の病を知ってるのよ。おそらくあなたの林ちゃんが聞きつけて、またわたしが宝姉さんを褒めたのに腹を立てるんだわ。でもこれって事実よね?」襲人が傍らで「クスッ」と笑い、こう言った。「雲お嬢様、あなたは大きくなられて、益々はっきりものを言うようになられたわね。」宝玉が笑って言った。「僕、君たち何人かとは話しずらいんだ。確かに間違いではないし。」湘雲が言った。「いいお兄様、あなた、わたしが気分が悪くなるようなことは言わなくていいわ。こうして話をしていても、あなたの林ちゃんと会ったら、どうなるかも分からないし。」

 

 襲人が言った。「もう冗談はやめましょう。ちょうどひとつあなたにお願いがあるの。」湘雲が尋ねた。「何なの?」襲人が言った。「靴が一足、底がすり減っちゃったんだけど、わたしこの二日は身体の具合が悪くて、修理ができないの。あなた、わたしの代わりに直す時間があるかしら?」湘雲が言った。「これはまた不思議ね。あなたの家におられる手先の器用な人はどうなの?針仕事がうまい人、裁断がうまい人がおられるのに、どうしてわたしに頼むの?あなたがそのお仕事をお願いしたら、誰が平気で断れるというの?」襲人が笑って言った。「あなた、分かってないわね。あなた、まさかご存じないの?うちの家の針仕事は、ああした針仕事専門の人にお願いしちゃだめなの。」

 

 湘雲はそう聞いて、それが宝玉の靴だと知り、それで笑って言った。「そう言われるんだったら、わたしがあなたに代わってやってあげる。――でもこの一足だけよ。あなたのだからやってあげるけど、他の人のだったらわたし、やれないわ。」襲人が笑って言った。「ほらまた。わたしが何だと言うの、ただあなたに靴の修理をお願いしているだけよ。本当のことを言うと、これはわたしのじゃないの。――あなた、これが誰の靴かは聞かないで。どのみちわたしが頼まれたものなの。」湘雲が言った。「理屈から言って、あなたのものだって、わたしにどれだけ頼んでよいか分からないわ。今日わたしがどうしても針仕事をしない理由は、あなたもきっとご存じのはずよ。」襲人が言った。「わたしには何のことか分からないわ。」湘雲は冷ややかに笑って言った。「先日わたしはこんなことを聞いたわ。わたしが作った扇子入れの袋を持って行って、他人のものと比べてみていたら、癇癪を起こしてまたハサミで切り裂いてしまったって。わたし、とっくに聞いて知っていたのよ、あなたはまだごまかすつもりなの?今回またわたしに作らせたら、わたしはあなたがたの奴隷になってしまうわね。」

 

 宝玉は慌てて笑って言った。「先日のあの件は元々君が作ったものだとは知らなかったんだよ。」襲人も笑って言った。「旦那様は元々あなたが作ったものとは知らなかったの。わたしが旦那様をからかって、こう言ったの。「新しく外から手仕事の上手な小間使いが入って来て、すばらしい花の絵柄の刺繍をするから、あの人たちに扇子入れの袋を持って来てもらうから、良いかどうか試しに見てみてください」って。旦那様はそれを信じて、持って出て、こっちの人に見せたり、あっちの人に見てもらったりしたの。どうしてか分からないけど、さる人(黛玉のこと)の怒りを買うことになって、ハサミでふたつに断ち切られてしまったの。帰って来て、旦那様は急いで間に合わせて作らせるようにと言われたので、わたしはそれでようやく、あれはあなたが作ったものだと申し上げたの。そうしたら、旦那様は何か悔やんでおられたわ。」湘雲が言った。「これは益々奇妙ね。林お嬢様も腹を立てる訳にいかないわね。あの子は裁断ができるんだから、あの子に作らせるべきだわ。」襲人が言った。「林お嬢様は、でもお作りにならないわ。こんなこと(湘雲がせっかく作った扇子の袋をハサミで切ってしまったこと)をしてしまったけれど、大奥様は林お嬢様が(身体が元々弱いので)それでお疲れになるのを心配されているんです。医者の先生も安静にして身体を休めるようにと言われていますしね。それなのに誰がまた林お嬢様に作っていただくことを良しとするんですか。以前は一年も時間をかけて、匂い袋を作られていたんですよ。今年は半年過ぎましたけど、まだ針と糸を手にされているのを見たことがないですわ。」

 

 そんな話をしていると、人が来てこう伝えた。「興隆街の旦那様がお越しになりました。旦那様が若旦那様に出て来てご挨拶するようにとのことです。」宝玉はそう聞いて、賈雨村が来たと知り、心の中ではとても気まずく思った。襲人は急いで服を取りに行った。宝玉は靴で足踏みしながら、憎々し気に言った。「父上とあの方が座っていればそれでいいのに、毎回必ず僕に会いたいって。」湘雲は扇子で扇ぎながら、笑って言った。「もちろんあなたがお客様をお迎えし、接客ができるから、旦那様はあなたに出てくるよう言われたのよ。」宝玉が言った。「どちらの旦那様のことか?いつもあの方自身がわたしに会いたいって言われるんだ。」湘雲が笑って言った。「「ご主人が上品ならお客も来やすい」わ。もちろんあなたにあの方を驚かせるところがあるから、あの方もあなたに会いに来られるのよ。」宝玉が言った。「分かった。もういいよ。僕も俗の中でもまた俗なひとりの俗人に過ぎないが、別にこういった人たちと往き来したいとも思わないよ。」湘雲が笑って言った。「またこんな気性を出して、相変わらずね。もう大人なんだから、科挙の試験を受けて挙人に合格して進士になりたくないんだったら、日常こうした官職に就いておられたりお役所勤めをされている方にお会いして、ああした官職に就く道筋のお話を相談しておけば、将来人と交際する上で都合がいいし、今後本当の友達にもおなりになれてよ。あなたのように年がら年中お屋敷の女たちの部屋をうろうろして、何もしないでいてどうするの?」

 

 宝玉はこれを聞いて、大いに耳障りに思い、それで言った。「お嬢さん、どうか他の部屋に行って座ってくれない。僕のところを君のような世の中を治める術を知った人に細かく汚されたくないんだ。」襲人が急いで間に入って言った。「お嬢様、もうこの人にこんなことを言うのはやめて。前回も宝お嬢様が一度言われたことがあるけど、あの方は人の面子を考えもせずに言われたものだから、旦那様は「ああ」と一声ため息をつかれて、さっさと部屋を出て行ってしまわれたの。宝お嬢様の話も終わらぬうちに、旦那様が出て行ってしまわれたので、お嬢様もしばらくは恥ずかしくて顔を赤くされていたわ。だめと言うか、直接言わないまでも、態度で示すか。――幸い、宝お嬢様で良かったですが、それがもし林お嬢様だったら、またどんなに癇癪を起こされるか、どんなに泣かれるか、分からないわ。こうした状況になっても、宝お嬢様は人を丁重に扱われて、自分はちょっとばつが悪そうにされて、わたしが却って困っていると、あの方も当初は戸惑われても、あにはからんや、しばらくするといつもと変わらぬ表情に戻られて、あの方は本当に修養を積まれていて、心根がお広いの。それに比べ、林お嬢様ときたら、それと正反対ね。あの方は旦那様が腹を立てて聞き分けがなくなると、後でどれだけ償いを負わせられるか分からないわ。」宝玉が言った。「林ちゃんはこれまでこうしたろくでもない話をしたことがあるかな?もしあの子もこういったろくでもないことを言ったことがあったら、僕はとっくにあの子と縁を切っているよ。」襲人と湘雲は、ふたりとも頷いて笑って言った。「このことって、もともとろくでもない話かしら?」

 

 もともと黛玉は湘雲がこちらにいると知っていたが、宝玉がきっとまたこの機に乗じて麒麟の言われを言い出すに違いなく、心の中でいろいろ推察した。最近、宝玉が持ち出す外伝や野史の類は、多くが才子佳人が、精巧で綺麗な玩具や小物で結びつけられ、それは鴛鴦(おしどり)であったり、鳳凰であったり、玉環や金のアクセサリー、或いは薄い絹のハンカチ、鸞鳥の図柄の絹のベルトであったりした。それらは皆単なる小物から遂には一生の願望となった。今ふと宝玉が麒麟のことを言い出すのを見て、このことを契機に隙が生じ、宝玉が湘雲ともああした男女の間のことが起こりやしないかと恐れた。それでこっそり歩いて来て、この機会にどんなことを行っているか見て、ふたりの気持ちがどうか観察した。思いがけず中に入っていくと、ちょうど湘雲が「官職に就いて自立する」ことを話していて、宝玉も「林ちゃんはこんなろくでもないこ話はしない。もしこんな話をしたら、僕もあの子とは縁を切る」と言うのが聞こえた。

 

 黛玉はこの話を聞いて、思わず嬉しくもありびっくりし、また悲しくもあり嘆かわしかった。嬉しかったのは、自分の眼力が間違っていなかったことで、平素から宝玉とは気心が知れていると思っていたが、果たして自分の思った通りだった。びっくりしたのは、宝玉が人前で心から自分のことを称賛してくれ、その情熱が濃密であることで、このことは疑うべくもなかった。嘆かわしいのは、宝玉が自分と気心が通じ合っているなら、当然自分も彼の知己と見做すことができ、ふたりが気心が通じているなら、またどうして「金玉之論」(宝釵が身につける金鎖と宝玉の通霊宝玉で「金玉良縁」になるという考え方)などと言うのか?天意或いは世俗として「金玉配対」の言い方がある以上、宝玉と黛玉の間にも相応するお互いを結びつけるものがないといけないはずなのに、どうして一方的に宝釵という第三者が出て来て、宝玉と黛玉の純粋な知己の関係を打ち壊すのか?悲しむべきは、父母が早逝し、心に深く刻まれ永遠に忘れることのできない言葉があっても、誰も自分のために主張してくれない。ましてや最近は精神が集中できなくなる度、病気が次第にひどくなり、医者はこうも言った。「気が弱り血が不足し、恐らく労咳(結核)で身体が虚弱になっている。」わたしはあなた(宝玉)の知己だが、恐らくこの先長くは生きられない。あなたがわたしの知己になってくれたのに、どうしてわたしは薄命なのだろう。――ここまで考えると、涙が流れるのを禁じ得ない。部屋に入ってお互い顔を合わせるのは、意味が無いように感じ、涙を拭くと、ここを離れ、帰って行った。

 

 ここで宝玉が急いで衣裳を着て出て来ると、ふと黛玉が前をゆっくりと歩いて行くのが見え、あたかも涙を拭いているようだったので、急いで近づくと笑って言った。「お嬢ちゃん、どこへ行くの?どうしてまた泣いているの?また誰かに虐められたの?」黛玉が振り返ると、宝玉であったので、無理に笑って言った。「何でもないわ、わたしがいつ泣いていたと言うの?」宝玉が笑って言った。「ほら、見てご覧、眼の上の涙の粒がまだ乾いていないよ。また嘘をついて!」そう言いながら、一方で我慢できずに手を伸ばし、彼女に代わって涙を拭いてやった。黛玉は慌てて後ろに数歩後退すると、こう言った。「あなた、また死にたいの?またこんないらないことをして。」宝玉が笑って言った。「話をしていて我を忘れてしまっていた、思わず手が動いてしまったんだ。生死を顧みる余裕も無くなってしまっていたんだ。」黛玉が言った。「死んでしまったら何の値打ちも無くなってしまうわ。ただあの「金」(宝釵の金の鎖)だとか、「麒麟」だとかが無くなってくれたら、どんなに良いか!」

 

 

 その一言で、宝玉はまた慌て出し、急いで問い質した。「君はまだこんなことを言って、いったい僕を呪っているの、それとも腹を立てているの?」黛玉は問われたもを見て、ようやく先日のことを思い出し、遂に自らまた軽はずみなことを言ってしまったと後悔し、急いで笑って言った。「あなた、焦らないで。わたし、実は言い間違っていたの、大したことじゃないわ、そんな緊張して慌てて、顔が汗びっしょりよ。」そう言いながら、一方で近寄って手を伸ばし、彼に代わって顔の上の汗を拭いてやった。

 

 宝玉は黛玉の方をしばらくじっと見ていたが、それからようやくこう言った。「君、安心していいよ。」黛玉はそう聞いて、しばらくポカンとしていたが、こう言った。「わたしにどんな心配事があると言うの?わたし、あなたの言っている意味がよくわからないわ。ねえ言ってみて、どう安心できないと言うの?」宝玉はひとしきりため息をつくと、尋ねて言った。「君、本当にこのことが分からないの?まさか僕がふだん君の身の上にかけてきた心配は皆間違いだったの?君の気持ちも思いやることができないなんて、道理で君が日々僕に腹を立てているはずだよ。」黛玉が言った。「わたし、本当に何が安心できないのかよく分からないわ。」宝玉は頷きため息をついて言った。「良い子ちゃん、僕を騙さないで。君が本当にこのことが分からないなら、僕はふだんいらぬ心配をしていたことになるし、君がふだん僕に接する気持ちまで皆無にすることになるよ。君が何にでも安心できないものだから、体中に病気が出てきてしまうんだ。でも凡そもう少し気楽にしていれば、この病気も日に日に重くなるなんてあり得ないよ。」

 

 黛玉はこの話を聞いて、雷に打たれたようになった。細かく考えてみるに、意外にも自分の心の奥底から取り出したものよりもっと懇ろに感じられ、意外にも万の言葉を使って、心を込めて話をしても、言葉半分も吐き出すことができず、ただただぼんやりと宝玉を見つめていた。この時宝玉の心の中でも、言いたいことが山のようにあったけれども、すぐにはそのどの言葉から言い出せばよいか分からず、彼の方もぼんやりと黛玉を見つめるばかりだった。ふたりはしばらくぼんやりと見つめ合っていたが、黛玉が「ゴホン」と咳払いすると、眼の中で涙が流れ落ちてきて、向こうを向いて出て行こうとした。宝玉は急いで前へ進み出て、黛玉を引っ張って言った。「良い子ちゃん、ちょっとお待ちよ、僕がもう一言言ってからお行きよ。」黛玉は一方で涙を拭きながら、一方で手を振りほどき、こう言った。「まだ何か言うことがあるの?あなたの言いたいことは、わたし皆分かっているわ。」口でそう言いながら、振り返りもせず、遂に行ってしまった。

 

 宝玉はそれを眺めながら、ただ気もそぞろでポカンとしていた。実は先ほど出て来る時はバタバタして、扇子を忘れて来たのだが、襲人が宝玉が暑いといけないと思い、急いで扇子を持って、追いかけて来て彼に手渡そうとしたのだった。彼女がいきなり頭を上げて前を見ると、黛玉と宝玉が立っていて、しばらくして黛玉が歩いて行ってしまったが、宝玉は立ったまま動こうとしなかった。襲人はそれで宝玉に近づいて行って言った。「あなた、扇子を持たずに出られましたよ。幸いわたしが気がついたので、急いで持って参りました。」

 

 宝玉はちょうどぼんやりしていて、襲人が彼に話しかけても、誰が話しているか見ようともせず、ただぼんやりとした表情でこう言った。「良い子ちゃん、僕の気持ちは、これまで話す勇気がなかったけど、今日は思い切って言うことにするよ。たとえ死んでも後悔しない。僕は君のことを思うと心身ともに疲れて、病気になりそうだけど、それを人に言うこともできず、ただこらえているしかないんだ。君の病気が良くなったら、たぶん僕の病気も良くなるに違いない。――寝ても夢の中でも君が忘れられないんだ。」

 

 襲人はそれを聞いて、驚くやら訝(いぶか)るやら、また惧れ、慌て、また恥ずかしくなり、急いで宝玉の身体を推して言った。「それは何のことなの?あなた、どうされたの?早く旦那様のところに行かないといけないんじゃありませんか?」宝玉はしばらくして我に返り、ようやくそれが襲人であったと気づき、恥ずかしくて顔中を真っ赤にし、けれども相変わらずポカンとして、扇子を受け取ると、一言も発せず、遂に自ら歩いて行った。

 

 ここで襲人は宝玉が行くのを見送ってから、彼が先ほど言ったことが、きっと黛玉のことが発端であるに違いないと思い、こうして見ると、ひょっとして将来不名誉なことが起こってしまうんじゃないかと恐れ、おかげでびっくりするやら恐ろしくなった。それにしても、どう対処したら、そんなみっともない過ちを防ぐことができるんだろうか?――そんなことを考えていると、襲人も思わず知らずぼんやりと立ちつくした。

 

 そこへ思いがけず、宝釵がちょうどあちらから歩いて来て、笑って言った。「こんな暑い陽の下で、何をぼんやりされているの?」襲人は尋ねられたので、急いで笑って言った。「わたし、さっき二羽の雀が喧嘩するのを見たんだけど、とっても面白くて、見とれていたの。」宝釵が言った。「宝兄さんはさっき服を着て、急いでどちらへ行かれたの?わたし、呼びかけて尋ねようと思ったのに、兄さんはあたふたと行ってしまわれて、わたしのことなど気にも留められなかったから、尋ねられなかったの。」襲人が言った。「旦那様がお呼びだったんですよ。」宝釵はそう聞いて、急いで言った。「あらまあ!こんな暑い日に、兄さんに何をさせようというのかしら。別段何も思いつかないけど、お腹立ちで、お兄様を呼び出してひとしきりお説教をされるのかしら?」襲人が笑って言った。「違いますよ。おおかたお客様があって、お会いする必要があるんですわ。」宝釵が笑って言った。「このお客様も面白くないでしょう、こんな暑い日に、家で涼むんじゃなくて、走って来てどうされるんでしょう。」襲人が笑って言った。「あなたも言われるわね。」

 

 宝釵はそれで尋ねた。「雲お嬢様(湘雲)はこちらの家で何をされていたの?」襲人が笑って言った。「今しがたまであれこれ無駄話をしていました。またちょっと先日貼り付けた鞋の、足の甲を包む両側の部分( 鞋帮子)を見てもらい、明日また雲お嬢様に作っていただこうと思っていますの。」宝釵はこの話を聞いて、両側を振り返って見て、誰も来ていないと分かると、笑って言った。「あなたのようにものの道理の分かった人が、どうして少しの間でも人を思いやることができないの?わたしは最近雲お嬢様のお顔をお見受けしたのだけれど、風の噂によると、家では少しも自由にさせてもらえないそうよ。あちらのお家では、費用がかかることを嫌がり、ああしたお針子さんさえ雇わず、たいていのものは皆女たちが自分で作られるそうよ。どうして最近何度かあの方が来られて、わたしともお話しして、周りに誰もいない時に、家での暮らしが辛くてたいへんだと打ち明けられたのかしら?わたしがまたあの方にふだんの生活をお尋ねすると、あの方は眼の周りを赤くされて、口ごもられ、言いたそうにされるても結局何もおっしゃらないの。あの方のご様子を見ると、自然と小さい時に父母を亡くされ、ご苦労されている。わたしはあの方も知らず知らずのうちに心に傷を負われていると思うわ。」

 

 襲人はこの話を聞いて、「ポン」と手を叩き、言った。「そうだわ、道理で先月、わたしがあの方に蝶々の形の組みひもを十本作ってほしいとお願いしたら、何日か経ってから、やっと人に頼んで届けて来られ、またこう言われました。「これは粗い出来なので、とりあえず別のところで使ってください。きちんとしたのが要るなら、明日こちらに泊まりに来てから、もう一度作り直します。」今、お嬢様からこの話を聞いて、そうするとわたしたちがお願いすると、あの方は断るのを申し訳なく思われ、ひょっとするとお家では夜中までかかって作られていたのかもしれませんわ!――それにしてもわたしもぼんくらでした、こういうことだと早く知っていたら、わたしもあの方に頼んではいけなかったのに。」宝釵が言った。「この前、あの方はわたしにこうおっしゃったわ。家では針仕事を三更(午後23時から午前1時)までして、もしその中の少しでも他の人に代わってもらおうとすると、あちらのお家の女性たちは、嫌な顔をされるそうなの。」

 

 襲人が言った。「うちのあの頑固な旦那様ときたら、家の中の大小の仕事を、一切お屋敷の中のこうした仕事をする人にやらせてはならないと言われるんですが、わたしもこうした仕事のことはよく分かりませんわ。」宝釵が笑って言った。「あなたがあの方を動かさないと。気兼ねせず人にやらせれば、いいのよ。」襲人が言った。「どうやってあの方をなだめるんですか。やっとおわかりになったばかりなのに。わたしがぼちぼちと辛い目をするしかないんですわ。」宝釵が笑って言った。「あなた慌てなくていいのよ。わたしがあなたの代わりに手伝ってあげるから。」襲人が笑って言った。「本当ですか?それならわたし幸いだわ。夜にわたしが自ら伺いますわ――」

 

 話が終わらぬうちに、ふとひとりのおばあさんが急いでやって来て、こう言った。「これはどこから伝わった話かしら。金釧jīn chuàn(きんせん)お嬢さんが何の前触れもなく井戸に身を投げて亡くなったわ!」襲人はそれを聞いて、びっくり仰天し、急いで尋ねた。「どちらの金釧のことなの?」そのおばあさんが言った。「どこにまだ別の金釧兒がいるものかね?他でもなく奥様のお部屋付きの方ですよ。先日どうしてだか知らないがお暇を出され、家で泣きの涙に暮れておられたけど、誰にも相手にしてもらえず、思いがけず姿が見えなくなったと思ったら、ようやく水汲みの男が、「あちらの東南角の井戸で水を汲んでいたら、死人の首を見つけた」と言ったんです。慌てて人を呼んで引き揚げたら、思いがけずあの子だったんですよ。その人たちはまたひたすらなんとか救おうとしたけど、それがどれだけ効果があるかね?」宝釵が言った。「これも奇遇なことね。」襲人はそう聞いて、頷いてため息をつき、平素同じ境遇にいた者としての気持ちを思い、思わず涙を流した。宝釵はこの話を聞いて、急いで王夫人のところに来た。ここで襲人は自ら戻って行った。

 

 

 宝釵が王夫人の部屋まで来ると、ひっそり静まり返り、ひとり王夫人が奥の部屋の中に座り、涙を流していた。宝釵はそれでこのことを持ち出す訳にもいかず、ただ傍らに座っていた。王夫人がそれで尋ねた。「あなた、どちらに行って来られたの?」宝釵が言った。「大観園に行って来ました。」王夫人が言った。「あなた、大観園に行って来たなら、おそらく宝兄さんに会われたわね?」宝釵が言った。「先ほどあの方にお会いしました。服を着て出て行かれましたが、どちらに行かれたか存じません。」王夫人は頷いてため息をついて言った。「あなた、おそらく例の事件をご存じね?――金釧兒が突然井戸に身を投げて死んだことを。」宝釵はそれを聞いて、言った。「どうして何の前触れもなく井戸に飛び込んだのかしら?奇妙なことですね。」王夫人が言った。「実を言うと、先日あの子がわたしのものを壊してしまったので、わたしが怒って、あの子を数回叩いて、暇を出したの。わたしは腹が立っただけで、何日かしたら、またあの子を呼び戻すつもりだったの。思いがけずあの子がこんなに癇癪持ちで、井戸に身を投げて死んでしまうなんて、これはわたしの過ちじゃないかしら。」宝釵が笑って言った。「叔母様は情け深い方です。固よりそんな風に思われているんでしょうが、わたしが見るところ、あの方は別に腹を立てて井戸に飛び込んだのではなく、おおかた田舎に行って暮らしていて、或いは井戸の傍で遊んでいて、足をすべらせて落ちたのかもしれません。あの方はお屋敷の中で上の方の厳しい躾けに慣れておられたから、ひとたびお屋敷の外に出ると、当然あちこちへ行って遊び歩いたでしょうに、どこにそんなに怒り狂う道理があるでしょう?よしんば怒り狂ったとしても、ぼんくらに過ぎませんから、別に惜しむまでもありませんわ。」王夫人は頷いてため息をつき、言った。「そうだとしても、結局わたし、どうなるか不安なの。」

 

 

 宝釵が笑って言った。「叔母様、心配しなくて大丈夫です。気が済まないなら、あの方に褒美として何両か銀子を送ってあげるだけでも、主人と召使の間の情を尽くすことになりますわ。」王夫人が言った。「先ほどわたしは五十両の銀子の褒美をあの子の母親に与えたわ。それと元々あなた方女兄弟たちの新しい衣裳であの子の死に装束を二着作ってやろうと思っていたのだけれど、ちょうど何も新しく作る衣裳が無かくて、林ちゃんの誕生日用のが二着しかなかったの。わたしは林ちゃんという子は平素から細かいところまで考える性質(たち)で、ましてやあの子もさまざまな災難に遭ってきたから、もうあの子に誕生日の晴れ着を作ると約束したけど、今またその服で他の人の死に装束を作ると言ったら、それは不吉なことにならないかしら。そう思ったから、わたしは今しがたお針子を呼んで、急いで一式を作らせて金釧兒に着させることにするわ。もし他の小間使いだったら、褒美に数両の銀子を与えれば、それで済むわ。金釧兒は小間使いだったけど、平素わたしの前では、わたしの娘みたいなものだったの。」口でそう言いながら、思わず涙を流した。宝釵が急いで言った。「叔母様は今回どうしてお針子を呼んで、急いで間に合わせる必要があるの?わたしが先日二着服を作らせたばかりだから、持って来てあの子にあげるようにすれば、手間が省けるんじゃないかしら。ましてあの子は生きていた時にわたしの古着を着たこともあるから、背丈も同じだから。」王夫人が言った。「そうだとしても、まさかあなたが嫌じゃないの?」宝釵が笑って言った。「叔母様、安心して。わたしはこれまでこんなことを気にしたことはないから。」そう言いながら、立ち上がり、歩いて行った。王夫人は急いでふたりの小間使いを呼んで、宝釵に付いて行かせた。

 

 しばらくして宝釵が衣服を取って戻って来ると、宝玉が王夫人の傍らに座って涙を垂れているのが見えた。王夫人はちょうど今しがた宝玉に話をしたところだったが、宝釵が来たので、口をつぐみ、もう話をしなかった。宝釵はこの情景を見て、ふたりの顔色をうかがうと、早くも七八割は事態に感づいていた。それで衣服を王夫人にちゃんと手渡すと、王夫人は金釧兒の母親を呼んで、服を持って行かせた。この後どうなったか、次回に解説いたします。

 

 『紅楼夢』の話の筋の展開の中で、登場人物が手にする小物類に大きな意味が持たされています。第三十一回の前半では、宝玉と小間使いの晴雯のやり取りで、晴雯が宝玉の扇子を落として骨を折ってしまい、宝玉が激怒。その後、ふたりは仲直りして最後は宝玉が晴雯に扇子を引き裂かせます。実は第三十回で、宝釵が小間使いの靚兒の扇子を借りたので、扇子に宝釵を託し、宝玉は宝釵との婚姻を望んでいないことを暗に示しています。そして後半は、 史湘雲の麒麟のアクセサリー。湘雲のふくよかな白い首に、湘雲が自分の麒麟と宝玉が落とした金の麒麟のふたつの麒麟を持ったことから、双星、牽牛と織姫のふたつの星を象徴し、湘雲の短く儚(はかな)い婚姻生活を暗に示しています。こんなことを念頭に、『紅楼夢』第三十一回を読んでみましょう。

 

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扇子を(さ)き千金で一笑を作(な)す

麒麟に因り白き首に双(ふた)つの星を伏す

 

 さて襲人は自分が吐いた鮮血が床に着いているのを見て、気持ちが半ばぞっともしたが、昔よく人がこう言うのを聞いたことを思い出した。「少年が血を吐くと、生存できる年月は保証できない。たとえ命は長らえたとしても、終には廃人になるかもしれない。」この言葉を思い出し、思わず普段思っていた将来栄誉を追い求め自分をひけらかしたいという思いが、尽く灰燼に帰した。目から思わず涙がこぼれ落ちた。宝玉は襲人が泣いているのを見て、自分も思わず悲しみが胸にこみ上げ、それで尋ねた。「おまえは心の中でどのように感じているの?」襲人は無理やり笑みを浮かべて言った。「何ともないのに、どうも思っていませんわ。」

 

 宝玉の言った意味は、即刻人を呼んで黄酒を温め、山羊血黎峒丸lí dòng wánを飲ませる必要があると思ったのだ。襲人は宝玉の手を引くと、笑って言った。「あなた、これしきのこと何でもありません。騒いでいろんな人に来てもらうと、却ってわたしが軽薄だと恨まれるわ。物事を判断できる人はご存じなくて、騒いだ者だけ知っているんじゃあ、あなたも良くないし、わたしも困るわ。まともにいけば、あなたが小者を遣って王先生にお願いしてもらい、薬を処方してもらってそれを飲めばいいのよ。こうすれば、誰にも知られず秘密にしておけるけど、どうかしら?」宝玉はそう聞いて道理に思い、そうするしかなかった。机の上に茶を淹れさせ、襲人に口を漱がせた。襲人は宝玉が内心不安に思っているのが分かったが、これから宝玉に世話をさせる訳にもいかないし、彼女も頼らないようにしないといけなかった。その上、それ以外の人を驚かせてもいけないので、やはり宝玉が行った方が良いと思った。このためベッドに寄りかかり、宝玉が世話をした。

 

 その日夜が明けるとすぐ、宝玉は髪の毛を梳いたり顔を洗っている暇もなく、急いで服を着て出て来ると、医者の王済仁を呼びに来て、自らひとつひとつ確認した。王済仁は症状が出た原因を尋ねたが、怪我をしたに過ぎなかったので、丸薬の名前、どのように飲ませるか、どのように塗り薬を付けるか説明した。宝玉はそれを憶えて、大観園に戻り、処方通りに調剤したのだが、そのことは言うまでもない。

 

 この日はちょうど端陽節(端午節)の祝日で、菖蒲とヨモギを門にかざし、虎のお守りを腕に括(くく)りつけ、お昼には王夫人が酒席を催し、薛家の女性たちを招き、節句を過ごした。宝玉は宝釵の態度が冷淡で、彼と話もせず、自ずとこれは昨日のことのせいだと分かった。王夫人は宝玉が打ちしおれて元気がないのを見て、昨日の金釧兒の事件のせいだとばかり思い、自分でも申し訳なく思ったので、いよいよ宝玉のことはほったらかしにした。黛玉は宝玉が元気が無いのを見て、それは宝釵を怒らせてしまったせいだとばかり思い、心中面白くなく、振舞いも物憂げであった。鳳姐は昨晩王夫人が自分と宝玉、金釧兒のことを言ってくれて、王夫人が面白く思っていないことを知ったので、自分からどうして敢えて冗談めかして言えようか。また王夫人の顔色や振舞いを見ても、一層冷ややかに感じられた。迎春姉妹は人々がつまらなそうにしているのを見て、自分たちも面白くなかった。それで、皆はしばらく座っていたが、その後お開きとなった。

 

 かの黛玉は生まれつきひとりでいるのが好きで群れるのを嫌ったが、彼女の考え方も道理があった。彼女はこう言う。「人は集まれば離散があり、集まるときは楽しく、別れの時はどうしてうら寂しくないことがあろうか。寂しければ悲しみが生じるから、だからやはり集まらないのがよい。例えばあの花が咲く時は人に愛されるが、散る時はたくさんの悲しみが増える。だからやはり咲かないのがいい。」このように、人が楽しく思う時、彼女は却って嘆き悲しむ。かの宝玉の性格は人がいつも集まり分かれない、花は常に開いて散らないことだけを願ったが、宴席が終わり花が散るに及び、数え切れぬ悲しみが生じるが、それもどうしようもなかった。このため今日の宴席では、皆が興無く別れ、黛玉はそれでも何とも感じなかったが、宝玉は心の中で悶々として楽しまず、部屋に戻るやしきりにため息をついた。

 

 折悪しく晴雯が近寄って衣裳を着替えさせたのだが、うっかりまた扇子を手から落としてしまい、床に落として、扇子の骨が落ちた拍子に折れてしまった。宝玉はそれでため息をついて言った。「このばか、間抜け!これからどうなるんだ。明日おまえが家の管理を任されたら、まさかこのように前ばかり見て後ろは注意しないんじゃあるまいね?」晴雯は冷ややかに笑って言った。「若旦那様は最近怒りっぽくおなりで、ややもすると面子ばかり考えられてるわ。昨日は襲人まで叩いて、今日はまたわたしにいちゃもんを付けられるのね。蹴ろうが叩こうが、旦那様のお好きになさって。――たとえ扇子を落としたところで、それがどんな大事だと言われるの。この前は何ですかガラスの壺だ、瑪瑙の碗だって、いくつ壊してしまったか分からないのに、そんな怒られることもなかった。今回は一本の扇子でこんなになって。何をそんなにお怒りなの。わたしたちがお嫌だったら、わたしたちを追い出して、また良い子を選んでお使いになったらいいわ。離れ離れになりお別れするのも、また良くなくって?」

 

 宝玉はこうした話を聞いて、腹が立って全身ぶるぶると震えた。それでこう言った。「おまえ、そんなに慌てなくてもいいよ。将来、どのみちお別れする日が来るよ。」襲人はあちらでとっくにこのやり取りが聞こえていて、急いでこちらに駆けつけると、宝玉に言った。「よい子ちゃん、またどうされたの?でもわたし、言いましたよね、「わたしがいない時に限って事故が起きる」って。」晴雯はそれを聞いて、冷ややかに笑って言った。「お姉様、そんなこと言うんだったら、もっと早くお越しになって。そうすればわたしたち、腹を立てずに済みましたのに。これまで、お姉様おひとりがお仕えし、わたしたちは元々お仕えしていませんでした。お姉様がちゃんとお仕えされているんだったら、どうして昨日はみぞおちを蹴られたのよ。わたしたちはお仕えなんてできませんわ、明日またどんな罪を犯すことになるか分かりませんもの。」

 

 襲人はこの話を聞いて、腹立たしくもあり、恥ずかしくもあり、ちょっと意見してやらないといけないと思ったが、宝玉が既に怒りの余り顔から血の気がひいていたので、自分の方がじっと我慢して、こう言うしかなかった。「あなた、いい子だから、ちょっとお散歩でもして来なさいよ。元々わたしたちが間違っていたんだから。」晴雯は襲人が「わたしたち」と言ったので、当然彼女と宝玉のことだと思い、思わず焼餅を焼き、冷ややかに笑って言った。「わたしはでも知らなかったのよ。あなたがたというのはどなたのことなの?わたしにあなたがたの代わりに恥をかかせないで。あなたがたが陰でこそこそ何かしたって、わたしを騙すことなんてできないわよ。――これはわたしが言ったわけじゃなくて、確かに公明正大に言って、襲人お姉様だってまだ偉くなられた訳じゃなく、わたしと変わらないのに、どうして「わたしたち」なんて言えるものかしら。」

 

 襲人は恥ずかしさのあまり、顔を真っ赤にし、思い返せば元々自分が話を言い間違えたせいであった。宝玉は一方でこう言った。「おまえたち、怒って喧嘩しないで。僕が明日なんとか彼女を抜擢するようにしてやるから。」襲人は慌てて宝玉の手を牽いて言った。「あの子は大した人間じゃありませんよ。あなたがあの子の何を弁解してやるの?ましてあなたは平素から寛大にされているのに、今より上げたら、これまでもいろいろしてきたのに、今回はどうされるの?」晴雯は冷ややかに笑って言った。「わたしは元々ぼんくらだけど、どこに差配して話をしていただけるのかしら。わたしはごくつまらない人間に過ぎませんが。」襲人はそれを聞くと、言った。「あなたはいったいわたしと口論しているの、それとも若旦那様と口論されているの?もしわたしに腹を立てているなら、わたしにそうおっしゃいよ。若旦那様と喧嘩するようなことはなさらないで。もし若旦那様に腹を立てているなら、こんなふうに万人に知られるような喧嘩をしちゃだめよ。わたしはさっきもこのことで、間に入ってお諫めしただけよ。皆さんお大事にって。あなたはでもわたしの気持ちを逆撫でしたのよ。わたしを怒らせた訳でもなく、若旦那様を怒らせた訳でもなく、遠回しに言ってるけど、いったい何が言いたいの?――わたしは何も言わないわ。あなたがちゃんと言いなさいよ。」そう言うと、外へ出て行った。

 

 宝玉は晴雯に言った。「おまえも怒る必要はないよ、僕もおまえの心の内は想像できる。僕がお母さまに報告に行くよ。おまえも大人なんだから、おまえに閑を出そうと思うんだが、いいかな?」晴雯はこの話を聞いて、思わず一層気持ちが傷つき、涙を浮かべて言った。「わたしがどうして出て行かないといけないんですか?わたしが嫌いなら、わたしを追い出すのではなく代わりのやり方をする、ということもできないんですか。」宝玉が言った。「僕がこれまでこんなにやかましく叱ったことがあったかい?これもおまえから出たことだ。お母さまに言いつけて、おまえに閑を出した方がいいんだ。」そう言うと、立ち上がって出て行こうとした。

 

 襲人は急いで戻って来ると宝玉を遮り、笑って言った。「どちらに行かれるの?」宝玉が言った。「お母さまに言いつけに行くんだ。」襲人が笑って言った。「なんてつまらないことをされるの。よくお考えになってから報告にお行きなさい。あなたも奥様に恥をかかせたくないでしょう。この子を本当に追い出したいなら、今のお怒りが収まるのを待って、冷静になってから話をして、奥様にご報告しても遅くないですわ。このように慌てて真面目な話をしに行かれたら、奥様も疑いを持たれるに違いないわ。」宝玉が言った。「お母さまが疑われるなんてあり得ないよ。僕がはっきり彼女が面倒を引き起こしたから閑を出すと言うだけのことさ。」晴雯が泣きながら言った。「わたしがいつ面倒を引き起こしたから出て行かないといけないんですか?お怒りになったうえに、そんなわたしを抑圧するようなことまで言われて。――どうあっても奥様に言いつけに行かれるなら、わたし、ひと思いに頭をぶつけて死んでも、ここのお屋敷の門を出ないですからね。」宝玉が言った。「またおかしなことを言うね。おまえは出て行かないし、遠慮せずに面倒を引き起こすし。僕はこんなにぎゃあぎゃあ騒がれるのは耐えられないよ。いっそ出て行ってくれたら、却ってすっきりするよ。」そう言うと、どうあっても王夫人に言いつけに行こうとした。

 

 襲人はもう宝玉を止めきれないと思い、跪(ひざまず)いて控えているしかなかった。碧痕、秋紋、麝月ら小間使いの女たちはひどく言い争うのを見て、皆ひっそり静まり返って外で様子を見ていたが、今度は襲人が跪いて懇願するのを見て、一斉に部屋に入って来て、皆跪いた。宝玉は急いで襲人を引っ張って立ち上がらせ、大きくため息をついて、ベッドの上に座り込み、女たちを出て行かせた。襲人に言った。「僕にどうさせたらいいんだ。僕の心は砕けてしまったよ、誰にも分かってもらえないだろうけど。」そう言いながら、思わず涙が滴り落ちた。襲人は宝玉が涙を流すのを見て、自分も涙が出た。晴雯はその横で泣きながら、ちょうど話をしようとしていると、黛玉が入って来るのを見たので、晴雯は外に出て行った。黛玉は笑って言った。「端午節のお祝いなのに、どうしてみんな揃って泣いているの?まさか粽(ちまき)を食べるのが競争になって、喧嘩になってしまったんじゃないわよね?」宝玉と襲人は揃って「プスッ」と笑った。黛玉が言った。「お兄様、わたしにおっしゃらなかったけど、聞かなくても分かりますよ。」そう言いながら、一方では襲人の肩を叩いて、笑って言った。「お姉様、おっしゃって。きっとあなたがたおふたりが口喧嘩されたのね。わたしにおっしゃって。あなたがたの代わりに仲裁してあげるから。」襲人は黛玉を押して言った。「お嬢様、あなた何を騒いでらっしゃるの。わたしたちは小間使いに過ぎないのに、わたしのことをお姉さんなんておっしゃって。」黛玉は笑って言った。「あなたは自分が小間使いだとおっしゃるけど、わたしはあなたのことをお姉様だと思っているのよ。」

 

 宝玉が言った。「君はどうしてわざわざ彼女に代わって叱られるようなことを言うの?こうしておくのを許しても、誰かが要らぬことを言ったら、また君がこんなことを言いに来るのをほっておけるだろうか。」襲人が笑って言った。「お嬢様、あなたにわたしの気持ちはお分かりにならないわ。息が止まって死んだって、それだけのことよ。」黛玉が笑って言った。「あなたが死んだら、他の人はどうか知らないけど、わたしは先ず死ぬほど悲しむわ。」宝玉が笑って言った。「君が死んだら、僕が坊さんになるよ。」襲人が言った。「あなた、ちょっと静かになさって。どうしてわざわざ混ぜっ返すの。」黛玉は二本の指を伸ばして、唇をすぼめて笑って言った。「坊さんがふたりになった。わたしはこれから、あなたが坊さんになるって何回言ったか憶えておくわ。」宝玉はそう聞いて、彼が前日に言ったことだと分かり、自らにやりとしたが、それだけのことだった。

 

 しばらくして黛玉が行ってしまうと、人が来てこう言った。「薛旦那様からお招きでございます。」宝玉は行かざるを得なかったが、実は飲酒の誘いで、辞退することができず、歓楽を尽くしてお開きとなり、夜帰って来た時には、既に酔いが回っていて、千鳥足で自分の屋敷内に戻ると、屋敷中に早くも夏用のベッドや枕が据え付けられ、ベッドでは誰かが眠っていた。宝玉は襲人だとばかり思い、ベッドの縁に座りながら、一方で女の身体を押して、尋ねた。「痛みは良くなったかい?」するとその女は身体の向きを変えて起き上がり、言った。「どうしてわざわざ来てまたわたしに関わり合うの。」

 

 宝玉がその女を一目見ると、実は襲人ではなく、晴雯であったのだ。宝玉は彼女を引っ張ると、自分の横に座らせ、笑って言った。「おまえの性格は益々甘やかされてわがままになっているな。朝起きたら扇子を落とすわ、それで僕が一言二言言ったら、おまえはあんなことを言って。おまえが僕にあれこれ言うのは構わないよ。襲人が好意でおまえを諫めてくれたのに、また彼女を巻き添えにするとは。おまえ、自分でもちょっと考えてみて、あんな風に言うべきかな?」晴雯は言った。「とってもお熱いこと。いちゃいちゃと何をされているの。誰かにどんな様子か見てもらいなさいよ。わたしの身体は元々ここに座るよう差配されていませんから。」宝玉が笑って言った。「おまえがここに配されていないと分かっているなら、どうしてここで寝ているんだ?」

 

 晴雯は何も言わず、「クスッ」とまた笑うと、言った。「あなたが自分から進んでわたしを近づけるつもりがないなら、それでいいわ。あなたが自らわたしに近づいてきても、わたしはそのように配されていませんから。――起き上がってください。わたしが背中を流して差し上げます。襲人も麝月も身体を洗ったから、わたしがあの娘たちを呼んで来ますわ。」宝玉は笑って言った。「僕はさっきお酒をさんざん飲んだばかりなのに、身体を洗わないといけないのかい。おまえがまだ身体を洗っていないなら、水を持っておいで。僕たち一緒に洗おうよ。」晴雯は手を横に振って笑って言った。「もういいです。わたし、旦那様を敢えて怒らすつもりはありません。まだ憶えていらっしゃるかしら、碧痕が遣わされて、あなたが身体を洗うお世話をしたのを。二三時間も時間をかけて、何をされていたのかは存じ上げません。わたしたちも中に入るのは具合が悪かったです。その後身体を洗い終えてから、中に入って見てみたら、地面の水が、ベッドの脚まで水浸しにして、敷物の上まで水が溜まっていました。どんな洗い方をしたのかしら。しばらく笑いが止まりませんでした。――わたしも水を片付ける暇は無いですから、あなたもわたしと一緒に身体を洗わなくていいですよ。今日は涼しいから、わたしも身体を洗いません。わたし、むしろ盥(たらい)に一杯の水を汲んできて顔を洗い、髪の毛を梳きますわ。そうしたら、鴛鴦がいい果物を持って来ますから、皆あの水晶の甕の中で氷水に浸します。あの子たちを遣わして、あなたに食べさせようと思うんだけど、どうかしら。」

 

 宝玉は笑って言った。「そうするんだったら、おまえ身体を洗わなくても、手は洗って、僕に果物を持って来て食べさせてよ。」晴雯は笑って言った。「でもそうすると、わたしという愚か者は、扇子まで落として折ってしまったのに、また果物を食べてもらうお世話係に配されることになるわ。もしひょっとしてまたお皿を割ってしまったら、もっとひどいことになるわね。」宝玉が笑って言った。「おまえが割りたければ、割ればいいよ。これらのものは、元々人から借りて使っているだけで、君がこんなのが好きでも、僕はあんなのが好きで、皆それぞれ性格が違うんだ。例えばあの扇子は、元々あおいで風を起こすものだけど、おまえが引き裂いて遊びたいなら、そうしてもいい。だけど腹が立った時にこれでうっぷんを晴らしちゃだめだ。ちょうどコップや皿が、元々ものを入れるものなのに、ガシャンという音が聞きたくて、わざと割るのも構わない。だけど癇癪(かんしゃく)を起こしている最中にこれを持ち出してうっぷんを晴らすのだめだ。――ものを大事にしないとね。」晴雯はそれを聞くと、笑って言った。「そう言われるのなら、あなた扇子を出してわたしに引き裂かせてください。わたしはものを割く音がいちばん好きなの。」宝玉はそう聞くと、笑いながら扇子を彼女に手渡した。晴雯は果たして扇子を受け取るや、「クスッ」と笑って、真っ二つに割いた。続いてまた「クスッ」、「クスッ」と何回か笑い声が聞こえた。宝玉は横で笑いながら言った。「割くのが上手だ、また割く音を聞かせて。」

 

 

ちょうどそう言っていると、麝月が歩いて来て、驚いて目を見開き、吐き捨てるように言った。「あんまり悪さをしないで!」宝玉はそこへ走り寄ると、麝月が手に持つ扇子まで奪い取って、晴雯に渡した。晴雯はそれを受け取ると、何度か割いてしまい、ふたりは大声で笑った。麝月が言った。「これはどういうことなの?わたしのものを取って、ご機嫌ね。」宝玉が笑って言った。「おまえ扇子の箱を開けて選んで取って来て。どんないいものがあるか。」麝月が言った。「わたし、でもこんな悪さできないわ。この子が手を折ってないなら、この子に自分で運ばせなさいよ。」晴雯は笑いながら、ベッドに寄りかかり、言った。「わたしもくたびれたわ。明日また割きましょう。」宝玉が笑って言った。「昔の人が「千金で一笑を買い難し」と言ったけど、扇子数本で、値はいくらだろう?」そう言いながら、一方で襲人を呼んだ。襲人は今しがた服を着替えたばかりでやって来たが、子供の小間使いの佳蕙がやって来て、壊れた扇子を拾うと、皆が夕涼みをしたのであるが、細かく言うには及ばない。

 

 翌日のお昼に、王夫人、宝釵、黛玉と女兄弟たちが賈のお婆様の部屋の中に座っていると、こう報告する者がいた。「史のお嬢様が来られました。」しばらくして、史湘雲(賈のお婆様の甥の孫娘)が多くの小間使いや女房たちを連れて屋敷に入って来た。宝釵、黛玉らは急いで階(きざはし)の下まで出迎えに行って顔を合わせた。若い女たちは、しばらく会っていなくても、一旦顔を合わせると、自然と親密になった。しばらくして部屋に入ると、お互いに挨拶を済ませた。賈のお婆様が言った。「暑い盛りだから、外出に着てきた服は脱いでしまいなさい。」湘雲は急いで立ち上がって上着を脱いだ。王夫人がそれで笑って言った。「こんなものを着て来るなんて見たことがないわ。」湘雲が笑って言った。「これは皆うちの叔母様が着るように言ったの。誰がこんなもの着たいと思うの。」

 

 宝釵は傍らで笑って言った。「叔母様はご存じないんだわ。この方が着る服は、他の人のものを着るのがもっとお好きなの。確か去年の三、四月だったかしら、この方がここに滞在された時に、宝お兄様の上着を着て、靴も履いて、ベルトも締めて、さっと見ると、宝兄さまにそっくりなの。――ただイヤリングがふたつ多いだけなの。あの方があの椅子の後ろに立っていると、大奥様が間違えてこう言ったの。「宝玉、こっちにおいで。あの上に掛かった灯りの芯から灰が降ってきて、眼がくらまないよう気を付けて」って。あの方は笑うばかりで、ほっておかれた。その後みんなが我慢できなくなって笑うと、大奥様もようやく笑って、またこう言われたの。「子供の格好をしたら、もっと可愛らしかったのに」って。」黛玉が言った。「そんなの大したこと無いわ。ただ去年の正月にあの方が来られた時、二日泊まられたけど、雪が降ってきて、大奥様と叔母様がその日になってご先祖の絵を拝んでいきたいと言われ、大奥様の新調された真っ赤なフェルトのマントをそこに置かれたんだけど、思いがけず、知らぬ間にあの方が羽織ったんだけど、大きいわ長いわで、あの方は手ぬぐいを使って腰のところで結びつけ、小間使いたちと裏庭で追いかけっこをして雪の中に飛び込む遊びをしていたが、うっかり転んでひっくり返ってしまい、体中泥だらけになってしまったの。」そう言いながら、皆がその時のことを思い出し、大笑いになった。

 

  宝釵はニコニコして乳母の周婆やに尋ねて言った。「周の母さん、お宅のお嬢さんは今もあんなにお転婆なの?」周婆やも笑った。迎春は笑って言った。「お転婆でもいいわ、わたしが嫌なのは、あの方がおしゃべりなことなの。どこでもゲラゲラ大声で笑っては、べらべら喋って、寝られやしない。ああした嘘、出鱈目が、どこから来たのかも分からないわ。」王夫人が言った。「今はいいけど、今後はどうなるのか。――先日あるお宅の方とお会いしたのだけれど、実際に自分の目で嫁ぎ先を見ると、やっぱり相変わらずでしょう?」賈のお婆様はそれで尋ねた。「今日は泊まって行かれるの、それともお家に戻られるの?」周婆やは笑って言った。「大奥様は見られてなかったんですね。衣服は皆持って参りました。二日泊まっても大丈夫かしら?」湘雲は宝玉のことを尋ねて、言った。「宝兄さんは家におられないの?」宝釵が笑って言った。「この方は他の人のことは考えずに、宝兄さんのことしか考えていないのね。おふたりは本当に面白い。こうしてみると、お転婆は変わってないようね。」賈のお婆様が言った。「もうおまえたち大きくなったんだから、子供の頃の名前で呼んじゃだめよ。」

 

 ちょうどそんな話をしていると、宝玉がやって来て、笑って言った。「雲ちゃん、来てくれたんだね。どうしてこの間人を遣わして君を迎えに行った時は、来なかったの?」王夫人が言った。「さっきお母さまがお互いの呼び方のことを言ったばかりなのに、また直接名前で呼んだりして。」黛玉が言った。「あなたのお兄様は良いものを準備して、あなたをお待ちしていたのよ。」湘雲が言った。「どんな良いものかしら?」宝玉は笑って言った。「君、本気にしないでよ。――何日か会わないうちに、また背が伸びたね。」湘雲が笑って言った。「襲人姉さんはお元気?」宝玉が言った。「元気にしているよ。気にしてくれて、ありがとう。」湘雲が言った。「わたし、あの人に良いものを持ってきたの。」そう言うと、ハンカチを出してきて、中から塊をひとつ引っ張り出した。宝玉が言った。「これはまた何か良いものなの?でも先日持って来たあのザクロ石の指輪をふたつあげる方がいいよ。」湘雲が笑って言った。「これは何かな?」そう言いながら包みを開き、周りの人々が見てみると、果たして前回持ってきたのと同じザクロ石の指輪で、包みの中に四個入っていた。

 

 黛玉が笑って言った。「あなたがた、この人をちょっと見てみて。先日のように人を遣わしてわたしたちに届けるより、あなたがあの子の分も一緒に持ってくれば、手間が省けるんじゃない?今日はわざわざ自分で持ってきて、――わたしはまた何か新奇なものじゃないかと思ってたのに、やっぱりまたあの指輪か。本当にあなたはぼんくらね。」湘雲が笑って言った。「あなたこそぼんくらよ。わたしがその理由を説明してあげるから、皆さん誰がぼんくらか評価してちょうだい。あなたがたにものを送る時、お遣いに来る人が何も言わなくても、持ってきて一目見れば、当然これがお嬢さんたちに送られたものだと分かります。でもそれぞれの分を持って来てもらうとなると、わたしが来る人に、これはどのお嬢さんの分、あれはどのお嬢さんの分と説明しなければならず、それで来る人が分かればいいけど、ちょっとぼんくらな人だったら、皆さんの名前がたくさんあるから、はっきり憶えられず、こんがらがってしまったら、却って皆さんがたまで混乱させてしまいます。もし女の人にお遣いに来てもらえればまだしも、この間のように小者を遣わしたら、どうやって女の子たちの名前をどう説明すればいいの?やはりわたしが皆さん方のために持ってくれば、間違いが無いですわ。」そう言うと、指輪を下に置いて、説明した。「襲人姉さんにひとつ、鴛鴦姉さんにひとつ、金釧姉さんにひとつ、平兒姉さんにひとつ。これで四人よ。まさか小者たちがこんなにはっきりとは憶えられないでしょう?」

 

 周りの人々はそれを聞いて、皆笑って言った。「なるほど、よく分かりました。」宝玉が笑って言った。「やっぱりこんなにうまく説明できるんだったら、他の人に任せられないな。」黛玉はそう聞いて、冷ややかに笑って言った。「この方が口が上手いんじゃなくて、「金の麒麟」を身に付けているおかげよ(第29回で清虚観の張道士の弟子たちが宝玉の通霊玉を見せてもらったお礼にくれたアクセサリーの中の麒麟のアクセサリーに似たものを、湘雲が身に着けていたと宝釵が言ったことから)。」そう言うと、立ち上がって行ってしまった。幸い、他の人々はそれが聞こえなかったが、ただ宝釵は口をすぼめて笑った。宝玉は黛玉の言うのが聞こえたので、却って後悔し、要らぬことを言ったと思った。ふと宝釵が笑うのが見えたので、思わず自分も笑った。宝釵は宝玉が笑うのを見て、急いで立ち上がって出て行き、黛玉を捜し、よもやま話をした。

 

 賈のお婆様はそれで湘雲に言った。「お茶を飲んで、ちょっと休憩してから、あなたの姉さんたちに会いにお行き。大観園の中は涼しいから、お姉さま方とお散歩するといい。」湘雲は「はい」と答え、それで三つの指輪を包んで、ちょっと休むと、立ち上がって鳳姐らに会いに行った。乳母や侍女たちが付き従い、鳳姐の屋敷に着くと、いろいろよもやま話をした。出て来て、大観園の方に来ると、李紈に会い、しばらく座ると、怡紅院に行って襲人を捜した。それでお付きの乳母や侍女たちに向け振り返って言った。「おまえたち、付いて来なくていいよ。おまえたちの親戚に会いにお行き。縷兒(翠縷のこと)が残って世話をしてくれればいいから。」お付きの乳母や侍女たちは「はい」と答え、それぞれ兄弟の奥さんや夫の兄弟に会いに行き、湘雲と翠縷のふたりだけが残った。

 

 翠縷が言った。「このハスの花はどうしてまだ咲かないのですか?」湘雲が言った。「まだ花が咲く時期じゃないのよ。」翠縷が言った。「ここもうちの家の庭の池のハスと同じで、楼子花(ハスの一種で、花びらが何重にも重なる品種)ですよ。」湘雲が言った。「こちらの花は、うちの庭のに及ばないわ。」翠縷が言った。「こちらではあそこに石榴の木がありますが、四五枝連なっていて、本当に楼子の上に楼子が咲いて(ハスの花の上に石榴が何重にもつぼみを付け)、なかなかこうは育たないですわ。」湘雲が言った。「草花も人と一緒よ。気脈が充実していると、よく育つのよ。」翠縷は顔を顰めて、言った。「わたしはそんな話信じません。もし人と同じと言われるなら、わたし、どうして頭の上にもうひとつ頭の出た人を見たことがないのかしら?」

 

 湘雲はそう聞いて、思わず苦笑いをして、言った。「おまえ、無駄話はおやめ、本当におじゃべりなんだから。このことはどう言われているか?天地の間には陰陽ふたつの気が生じるようになっていて、正でなければ邪、奇でなければ怪、千変万化して、皆陰と陽が順行するか逆行するかなの。つまり一生で見ると、人々にとって珍しいことでも、結局道理はやはり同じことなのよ。」翠縷が言った。「そのように言われるなら、昔から今まで、天地開闢以来、なんでも陰と陽なのですか?」湘雲が笑って言った。「おばかさんね。話せば話すほど屁のツッパリみたいね。何が「なんでも陰と陽」ですか。ましてや「陰」と「陽」の二文字は、実はひとつの字なの。陽が尽きれば、陰となり、陰が尽きれば、陽になるの。陰が尽きたら新たに陽が生まれ、陽が尽きたら新たに陰が生まれる訳ではないの。」

 

 翠縷が言った。「これはわたし訳が分からず死んでしまいそうです。何が陰で何が陽か、陰も形も無いのですか?わたし、お嬢様にこれだけ聞きたいのですが、この陰陽というのはどんなものなのですか?」湘雲が言った。「この陰陽というのは気に過ぎないのよ。器物になれば、そこでようやく形や質が作られるの。例えば天は陽で、地は陰。水は陰で、火は陽。日は陽で、月は陰ね。」翠縷はそれを聞いて、笑って言った。「そうです、そうです。わたし、今分かりました。道理で人はお日様を「太陽」と呼び、占い師は月を「太陰星」と呼びますが、つまりこの理屈なのですね。」湘雲は笑って言った。「南無阿弥陀仏。やっと分かったのね。」

 

 翠縷が言った。「これらのものが陰と陽なのはいいとして、まさかあれら蚊、蚤、ヌカ蚊、花、草、瓦、レンガにも陰陽があるのはだめですかね?」湘雲が言った。「どうしてそうじゃないの。例えばあの一枚の木の葉でも、陰と陽に分かれるわ。上を向く朝日は陽、背の陰、覆い隠した方は陰よ。」翠縷はそう聞いて、頷いて笑って言った。「実はそうだったのですね。わたし、分かりました。――ただわたしたちが手に持つ扇子は、どうしたら陰で、どうしたら陽なのですか?」湘雲が言った。「こちらの正面が陽で、あちらの裏面が陰よ。」

 

 翠縷はまた頷いて笑った。まだいくつかものを持ってきて聞こうと思ったが、何がいいか思い浮かばず、ぐっと頭を下げたところ、湘雲が腰に巻いた宮縚gōng tāo(シルクの糸で編んだベルト)の上の金の麒麟が見えたので、これを取り上げ、笑って言った。「お嬢様、これはいったい陰ですか、陽ですか?」湘雲が言った。「走る獣、飛ぶ鳥は、オスが陽、メスが陰よ。牝pìnが陰、牡が陽よ。無いはずがないわ。」翠縷が言った。「これはオスなの、それともメスなの?」湘雲が吐き捨てるように言った。「何がオスかメスかよ。またでたらめ言って。」翠縷が言った。「そういうことにしておきましょう。――どうして物には皆陰陽があるのに、わたしたち人には陰陽が無いのですか?」湘雲は表情を暗くして言った。「卑しい身分の者は、しっかりしないとね。尋ねれば尋ねるほど賢くなるわ。」翠縷が言った。「何かわたしに言われていないことがありますか?わたしも知っていれば、わたしも困らされることがないわ。」湘雲は「クスッ」と笑って言った。「あなたが何を知っているの?」翠縷が言った。「お嬢様が陽で、わたしが陰です。」湘雲はハンカチを取って口を覆い、ケタケタ笑い出した。翠縷が言った。「言ったことが正しいから、こんなふうに笑われたんですか?」湘雲が言った。「その通りよ。」翠縷が言った。「人様はご主人が陽で、召使が陰だと言われますが、わたしはこんな大原則も理解していないのでしょうか?」湘雲が笑って言った。「あなたはたいへんよく理解しているわ。」

 

 ちょうどそう話していると、薔薇の棚の下に金色にきらめくものがひとつ見えたので、湘雲がそれを指さして尋ねた。「おまえ、あれは何だと思う?」翠縷はそう聞いて、急いで薔薇の棚の方に行って拾って来ると、それを見て笑って言った。「陰と陽に分けられるものが来ました。」そう言うと、先に湘雲の麒麟を手に取って見た。湘雲は選び取ったものを見てみたが、翠縷は気にせず手を離さず、笑って言った。「このお宝は、お嬢様は見ることが許されないものです。これはどこから来たんだろう?本当に不思議だ。わたしはこれまで、ここで誰もこれを持っているのを見たことがないです。」湘雲が言った。「持って来て、わたしにちょっと見せておくれ。」翠縷は手を下げると、笑って言った。「お嬢さん、ご覧ください。」

 

 湘雲が目を上げて一目見ると、それは果たして華やかな色彩が光り輝く金の麒麟であり、自分が身に着けているものより大きく、またより華やかな色彩だった。湘雲は手を伸ばし、掌(たなごころ)の上でそれを持ち上げていたが、心の中がどのように動いたか分からなかったが、感じるところがあったようであった。ふと見ると宝玉があちらからやって来て、笑って言った。「君はこの日差しの下で何をしていたの?どうして襲人を捜しに行かないの?」湘雲は急いであの金の麒麟を懐に隠し、言った。「ちょうど行こうとしていたのよ。わたしたち、一緒に行きましょう。」そう言うと、皆は怡紅院に入って来た。

 

 

 襲人はちょうど階(きざはし)の下で欄干にもたれて風を受けて涼んでいたが、ふと湘雲が来るのが見えたので、急いで迎えに出て、手を携え、にこやかに笑いながら前回別れて以来の友情を温め、一方で部屋に入ると席を勧めた。宝玉はそれで尋ねて言った。「君、もっと早く来るべきだったね。僕、いいものをひとつ手に入れたので、君が来るのをずっと待っていたんだ。」そう言うと、一方で懐をしばらくまさぐっていたが、「おや、まあ」と声を発し、襲人に尋ねた。「おまえ、あれをどこかに仕舞わなかったかい?」襲人が言った。「何のことですか?」宝玉が言った。「先日手に入れた麒麟だよ。」襲人が言った。「あなたがいつも体に身に着けているのに、どうしてわたしに尋ねるの?」宝玉はそう聞いて、「パン」と手を叩き、言った。「こりゃあ落としたのかもしれない。どこに捜しに行けばいいんだろう?」立ち上がって、自ら捜しに行こうとした。

 

 湘雲はそれを聞いて、ようやく宝玉が落としたものだと分かり、それで笑って尋ねて言った。「あなたは何時麒麟を手に入れたの?」宝玉が言った。「先日やっとのことで手に入れたんだ。いつ失くしたのか、分からない、――僕もぼんくらだった。」湘雲が笑って言った。「幸運にこんなおもちゃを手に入れたのに、失くして慌てることになってしまったのね。」そう言って、手を取り除き、笑って言った。「あなた、見てみて、これじゃなくって?」宝玉が一目見ると、思わず喜ぶことひとかたならなかったのですが、さてこの後のことが知りたければ、次回に解説いたします。

 宝玉と黛玉はなんとか仲直りをすることができましたが、今度は宝釵がふたりに焼餅を焼き、しかも宝玉が宝釵のことを、体つきのふくよかな楊貴妃に譬えたものだから、宝釵は癇癪を起こし、ちょうど失くした扇子を捜しに来た小間使いの靚兒にきつく当たってしまいます。季節は旧暦五月の端午節の暑い盛り。栄国府に買われてきて芝居を学ぶ十二人の少女のひとりが、薔薇の棚の下で、一心に「薔」の字を地面に画くのを見ていた宝玉。そこへ急に大雨が降り出し、あわてて怡紅院に戻りますが、あいにく襲人らが気づかず、なかなか門を開けてくれません。やっと気づいて襲人らが門を開けますが、怒った宝玉は、たまたま門のところにいた襲人を、相手が誰か確かめもせず、足でひどく蹴ってしまいます。さて蹴られた襲人はどうなったか。『紅楼夢』第三十回の始まりです。 

 

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宝釵は扇を借りるその机(き)に双(ふた)つの敲(敲打。当てこすり)を帯びる

椿齢は薔(の字)を画き痴は局外に及ぶ

 

 さて林黛玉は自ら宝玉と喧嘩をした後、また後悔の念にかられたけれども、彼女の方から謝りに行くこともしなかった。このため日夜悶々とし、あたかも大事なものを失ったような気がした。紫鵑も八九割方事情を理解し、諫めて言った。「この間のことを言えば、結局お嬢様があまりにお気持ちがふらついておられました。他の皆さんは宝玉様のご気性をご存じ無いのに、まさかわたしたちも知らないなんてことはございますまい?あの玉のことだって、おふたりの喧嘩は一度二度のことではないでしょう?」黛玉は吐き捨てるように言った。「ふん、それならあなたが代わりにわたしの間違いを謝って来てよ。わたしがどうして気持ちがふらついていたの?」紫鵑が笑って言った。「何でも無いのでしたら、どうしてあの玉の房を切られたんですか?宝玉様は三分の間違いしかなく、お嬢様がむしろ七分の間違いがあったからでしょう?わたしが思いますに、あの方は平素お嬢様にとてもお優しいのに、皆お嬢様の癇癪(かんしゃく)のせいで、いつもあの方を責められて、挙句の果てにこうなったんですよ。」

 

 黛玉が答えようとしていると、ちょうど屋敷の外で来意を告げる声がし、紫鵑が聞いてみると、笑って言った。「これは宝玉様の声ですわ。きっと自分の過ちを謝りに来られたんですわ。」黛玉はそう聞くと、言った。「開けちゃダメ。」紫鵑が言った。「お嬢様、またそんなことを言って。こんなに暑い天気で、強いお日さまの日の下で、あの方を日照りで病気にしてしまったら、どうするんですか。」口でそう言いながら、出て行って門を開けると、果たして宝玉であった。一方で彼を家の中に入れ、一方で笑いながら言った。「わたしは宝若旦那様が二度とうちの門を潜られることは無いと思っていたのですが、思いがけず今回また来られるなんて。」宝玉が笑って言った。「あなたがたは極めて小さなことを、大げさに言うんだね。何でもないのに、どうして来ないものか。僕が死んだら、魂だって毎日百回来るよ。林ちゃんはでも、身体の具合はいいの?」紫鵑が言った。「身体の病気は良くなりました。でも心の癇癪はまだあまり良くなっていないわ。」宝玉が笑って言った。「分かったよ。何か気に食わぬことがあるんだ。」そう言いながら、部屋の中に入って来た。すると黛玉がまたベッドで泣いていた。

 

 かの黛玉は元々泣いてはいなかったのだが、宝玉が入って来ると聞いたので、つい思わず悲しくなり、涙が転がり落ちた。宝玉が笑いながらベッドに近寄って来て言った。「林ちゃん、身体は良くなったの?」黛玉はただ涙を拭くことに気がとられ、答えようともしなかった。宝玉はそれでベッドの縁に近寄って腰を下ろすと、一方で笑って言った。「僕は君が僕に腹を立てているんじゃないとは分かっているけど、ただ僕が来なかったら、傍の人が見ると、まるで僕たちがまた喧嘩をしているように見えるんだ。あの人たちが僕らに諫めに来るのを待っていたら、その時には、僕たちは却ってお互いの気持ちが疎遠になっていると感じるんじゃないかな?それだったらこの機会に、君が僕を罵ったり叩いたりしたいなら、君の思う通りにすればいいけど、決して僕を無視しないで。」そう言うや、また「好妹妹」(良い子ちゃん)と何十回も叫んだ。

 

 黛玉は心の中では元々もう宝玉のことを相手にしないつもりだったが、今回宝玉が「他人に僕たちが喧嘩して、気持ちが離れていっていると分からせないようにしよう」という言葉を言うのを聞いて、また他の人たちより元々親密であることが分かり、それでまた気持ちが押さえきれなくなり、泣きながら言った。「あなたもわたしの機嫌を取りになんて来ないで。今日からは、わたしも敢えて若旦那様と仲良くしないし、とりあえず出て行くわ。」宝玉はそう聞いて笑って言った。「君、どこに行くの?」黛玉が言った。「わたし、家に帰るわ。」宝玉が笑って言った。「僕が一緒に行くよ。」黛玉が言った。「わたしが死んでしまったら?」宝玉が言った。「君が死んだら、僕が坊さんになるよ。」黛玉はこの言葉を聞くや、すぐさま顔を上げ、尋ねた。「あんたなんか死んでしまえばいいのよ。何をいいかげんなことを言うの?あなたの家には何人も実の姉さんや妹がいるけど、明日みんな亡くなったら、あなたはいったい何人分の身体で坊さんになると言うの?後でわたし、このことを他の人に言って判断してもらうわ。」

 

 宝玉は自ずと言ったことが軽はずみだったと知り、後悔したがもう遅く、すぐさま顔を真っ赤に腫らして、首を垂れ、声を出す勇気も無かった。幸いにも部屋には他に誰もいなかった。黛玉は両目をまっすぐ見開き、宝玉をしばらく見つめ、怒って「ああ」と声を上げたが、言葉が出て来なかった。宝玉を見ると、今度は興奮して顔を紫に腫らしていた。それで歯ぎしりしながら、指先で思い切り宝玉の額を突っつくと、「フン」と声を上げて言った。「あなたのこの――」そう言うと、またため息をつき、ハンカチを手に涙を拭いた。

 

 宝玉は心の中で元々数えきれないほどの心配事があり、また間違ったことも言ってしまったので、ちょうど自分でも後悔していた。また黛玉が宝玉を突っつくのを見て、言おうにも言葉が出てこず、自らため息をつき、涙を流した。このため自分でも感じるところがあり、思わず涙がこぼれ落ちた。ハンカチで涙を拭こうと思ったのだが、図らずもまた持ってくるのを忘れたので、シャツの袖で涙を拭(ぬぐ)った。

 

 黛玉は泣いていたが、宝玉を見ると真新しい少し赤みを帯びた薄紫色(藕荷色)の紗のシャツを着ていたが、こともあろうに袖で涙を拭ったので、一方では自分も涙を拭い、後ろを振り向いて、枕に懸かっている一枚の薄手の絹の布を取り上げ、宝玉の胸めがけて投げつけると、一言も発せず、相変わらず顔を覆って泣き続けた。宝玉は黛玉が布を投げつけてきたので、急いでそれを掴むと涙を拭き、また少し前に近寄ると、手を伸ばして彼女の片手を引っ張り、笑って言った。「僕の五臓は皆ずたずたにされたのに、君はまだ泣いている。――行こう、僕たち、お婆様のところに行こうよ。」黛玉は手を叩きつけて言った。「あなたったらまたこうして纏わりついて。毎日毎日こんなに厚顔無恥で、ものの道理も知らないんだから――」

 

 そう話し終わらぬうち、大声でこう言うのが聞こえた。「もういいわ。」宝玉、黛玉のふたりは無防備だったので、びっくり仰天し、振り返って見ると、鳳姐が走って入って来て、笑って言った。「お婆様があちらで天を恨まれ、地を恨まれ、わたしにおまえたちが仲直りしたかどうか見てくるように言われたの。わたしはこう言ったわ。「見に行くまでもなく、三日もしないうちに、あの子たちは自分で仲直りしますわ」と。お婆様はわたしを罵り、わたしが「怠け者」だと言うので、わたしがここへ来たの。でも果たして、わたしの言った通りになっているわ。――あなた方ふたりに会ったわけでもないのに。どんな口論のネタがあるのか知らないけど、三日順調だと思ったら、二日は喧嘩して、大きくなればなるほど子供みたいになるんだから。今日は手を引っ張って泣いているけど、昨日はどうして「仇同士」みたいになったのかしら。やはりわたしと一緒にお婆様の前にいかないと、お年寄りに多少でも安心していただけないわ。」そう言うと、黛玉を引っ張って行こうとした。

 

 黛玉は振り返って侍女たちを呼んだが、ひとりも居なかった。鳳姐が言った。「あの子たちを呼んで、どうするつもり?わたしがお世話してるのに。」そう言いながら、一方では黛玉を引っ張って行こうとした。 宝玉はその後ろに付いて行き、大観園の門を出て、賈のお婆様の前に着くと、鳳姐が笑って言った。「わたし、この子たちのことは心配しなくても大丈夫で、自分たちで仲直りできると申し上げましたでしょう。ご長老様が信用されず、必ずわたしに行って仲直りさせるよう言われました。わたしが急いであちらで仲直りさせていると、思いがけずふたりが一緒に間違いの償いをしていたのです。むしろ「鷹がハイタカの脚を掴む」、――ふたりは「ボタンをかけた」ように離れ難くなって。どこに他人が口をはさむ必要があるんでしょう?」そう言うと、部屋中から笑い声が湧き起こった。

 

 この時宝釵はちょうどここにいて、かの黛玉は一言も言葉を発せず、賈のお婆様とくっついて座っていた。宝玉は何も言わず、宝釵に対して笑って言った。「お兄様(薛蟠)は誕生日を楽しく過ごされたけど、僕だけは(病気で)楽しくなかったよ。特に何もお祝いを送らなかったし、ご挨拶もしていない。お兄様は僕が病気だとご存じなく、むしろ僕がわざと来ないんだと思われたんじゃないかな。もし明日お姉様がお暇なら、僕に代わってちょっと言い訳をしておいてよ。」宝釵は笑って言った。「それも余計なことよ。あなたが来られるんだったら、騒ぎを起こさないようにすべきだけど、ましてや身体の具合が良くないのではね。兄弟がいつも一緒にいると、往々にして仲違いが生じるものよ。」宝玉がまた笑って言った。「お姉様、分かっているなら僕を許してよ。」また言った。「姉さんはどうして芝居を見に行かなかったの?」宝釵が言った。「わたし、暑いの苦手なの。芝居を二幕見たら、暑くてたまらず、出て行こうと思ったけど、お客様まだ帰られないし。それで身体の具合が良くないことを理由に、身を隠したの。」

 

 宝玉はそう聞いて、思わず顔につまらなそうな表情を見せたが、バツが悪くなって笑って言った。「道理であの人たちはお姉様のことを楊貴妃に喩えたんだ。元々体つきがふくよかだし。」宝釵はそう聞いて、すぐさま顔を真っ赤にし、癇癪(かんしゃく)を起こしそうになったが、それも好ましくないので、もう一度よく考えてみたが、怒りの気持ちが収まらないので、冷ややかに「ホホ、ホホ」と二声笑うと、言った。「わたしが楊貴妃のようだとしても、楊国忠になれるような良い兄も兄弟もいないわ。」

 

 そう話していると、ちょうど子供の小間使いの靚兒jìng érが扇子が見当たらないので、宝釵に笑って言った。「きっと宝お嬢様がわたしのを隠されたんですね。お嬢様、どうかわたしにお戻しください。」宝釵は靚兒を指さして厳しい声で言った。「おまえ、よくお探し。いったい誰に向かって冗談を言っているんだい。おまえと平素ふざけてにやにや笑っているあの娘たちに向かって聞きなさいよ。」言われた靚兒は逃げ出してしまった。宝玉はまた自分の言葉が軽率だったことを思い知った。周りの多くの人々を前にして、先ほど黛玉の前で言った時より更に申し訳ない事態となり、急いで振り返ると、また他の人に向けお愛想を言って取り繕った。

 

 黛玉は宝玉が宝釵にからかわれているのを見て、心中たいへん得意になり、ちょうど受け答えしようと思い、またその場で勢いで冗談を言おうと思ったのだが、思いがけず靚兒が扇子を捜していて、宝釵がまたそれに対して答えたので、黛玉は改めて言った。「宝お姉様、あなたは二幕、どの芝居を見られたの?」宝釵は黛玉の表情に得意げな色が出ていたので、きっと宝玉が先ほどからかわれた言葉を聞いて、彼女の意にかなったに違いないと思った。ふとまた黛玉がこんなことを聞いて来たので、笑って言った。「わたしが見たのは、李逵lǐ kuí(りき)が宋江を罵り、後にまた過ちを詫びる話よ。」宝玉はそれで笑って言った。「お姉様は現在のことから古代のことまで、様々なことをご存じだけど、どういう訳かこの芝居の名前もご存じないから、こんなことを言われたんですね。この芝居は「負荊請罪」fù jīng qǐng zuì(自ら罪人を鞭打つ荊(いばら)の杖を負って罪を請う。過ちを認めて深く詫びること)というんですよ。」宝釵は笑って言った。「ああなるほど、これは「負荊請罪」という名前なのね。あなたがたは今に通じ古きことにも博識だから、「負荊請罪」をご存じだけど、わたしは何が「負荊請罪」(過ちを認めて深く詫びる)ということなのか分からないわ。」

 

 そう言い終わらないうちに、宝玉と黛玉のふたりは心にわだかまりが生じ、この話を聞くと、早くも顔を恥ずかしさで真っ赤にした。鳳姐はこうした話を聞いてもチンプンカンプンだったが、彼ら三人の様子を見て、どういうことか察し、笑って尋ねた。「こんな暑い日に、生姜まで食べてどうするの?」周りの人々はその意味が分からず、それで言った。「生姜なんて食べていないですよ。」鳳姐はわざと手で頬をさすり、不思議そうに言った。「誰も生姜を食べていないのに、どうしてこんなにカッカとするんでしょう?」宝玉と黛玉のふたりはこの話を聞いて、益々申し訳なく思った。宝釵はまだ何か言いたげであったが、見ると宝玉がたいへん恥ずかしそうにしていたので、形勢が変わり、もうこれ以上言うのも申し訳なく思い、ただ一笑して収めざるを得なかった。他の人々は彼ら四人の話を別に理解もしていなかったので、このため一笑に付した。

 

 しばらくして宝釵と鳳姐が出て行ったので、黛玉が宝玉に言った。「あなたもわたしより厳しい人に試してみたでしょ。みんなわたしのように頭の働きが鈍くて口下手(くちべた)だから、人に言われたままに信じてしまうのよ。」宝玉はちょうど宝釵が気を回し過ぎたので、自分でも気まずくなり、また黛玉まで自分を問い正したので、心中益々面白くなくなってしまった。ちょっと待ってもう一言二言言いたかったが、また黛玉があれこれ気を回すのを恐れたので、口に出してはいけないと思い、じっと怒りをこらえ、しょんぼりと、出て行ってしまった。

 

 思いがけなく、現在は夏の暑い盛りで、また朝ごはんの時間も過ぎ、お屋敷の方々では主人と召使たちの大半が、夏バテでぐったりとなり、宝玉は手をこまねいていたが、行くところ先々、ひっそりと静まり返っていた。賈のお婆様のところを出て、西へ行き穿堂(通り抜けのできる部屋)を抜けると、そこは鳳姐の屋敷であった。彼女の屋敷の門の前まで来て見ると、家の門は閉ざされ、鳳姐の普段の習わしでは、毎日日が昇り暑い時間になると、午後は二時間休息を取られるので、入って行くのは具合が悪く、それで角門を入って、王夫人の母屋にやって来た。すると、何人かの小間使いの女たちが、手に針や糸を持ちながら、居眠りをしていた。王夫人は中の茣蓙(ゴザ)を敷いたベッドで寝ていて、金釧兒‌jīn chuàn érは傍らに座り、足を叩きながら、寝ぼけ目でぼんやりとしていた。

 

 宝玉がそっとその前まで歩いて行き、金釧兒の耳に掛かったイヤリングをちょっと掴むと、彼女ははっと目を見開き、宝玉を見た。宝玉はそれで声を立てずににっこり笑って言った。「眠くて船を漕いでたでしょ?」金釧兒は口をすぼめて笑うと、手を振って彼を出て行かせようとし、相変わらず目をつむった。宝玉は彼女を見て、恋々としてここを離れるに忍びず、そっと頭を前に突き出して王夫人がまだ目を閉じ眠っているのを確認し、自分の身体の脇の荷包(ポシェット)から持って来た香雪潤津丹(暑気中りを防ぐ漢方薬)を一錠取り出すと、金釧兒の口に放り込むと、彼女は目をつむったまま、構わず口に含んだ。宝玉は近づくと、手を牽きながら、そっと笑って言った。「僕、母さんからおまえを僕にもらえば、僕たち一緒に居れるじゃない?」金釧兒はそれに答えなかった。宝玉がまた言った。「母さんが起きたら、僕が言うよ。」金釧兒は目を見開くと、宝玉をちょっと推して、笑って言った。「あなた、何をそう焦っているの?「金の簪を井戸の中に落としてしまった、――(すぐに手元に戻らなくても)あなたのものはあくまであなたのもの」なのよ。こんな俗語もまさかお分かりにならないんじゃないでしょ?わたしがあなたにいい方法をお教えするわ。東側のお家の環兄さんと彩雲を見てご覧なさい。」宝玉は笑って言った。「やつらのことなんか知るもんか。僕たちは僕たちのことだけ相談しよう。」

 

 

 すると王夫人が身体の向きを変えて起き上がり、金釧兒の顔を目掛けて頬を叩くと、彼女を指さし罵って言った。「恥知らずの売女(ばいた)め!旦那様方が甘やかすから、おまえたちをつけあがらせてしまったわね。」宝玉は王夫人が起き上がったのを見ると、瞬く間に逃げ出した。ここで金釧兒は頬が叩かれて痛いし、恥ずかしくて真っ赤になり、カッカと火照り、一言も言葉を発することができなかった。するとすぐさま小間使いの女たちが王夫人が目覚めたのを聞き付け、皆バタバタと部屋に入って来た。王夫人はそれで言った。「玉釧兒(金釧兒の妹)、あなたの母さんを呼んで来て。あなたの姉さん(金釧兒)を連れて行かせるから。」金釧兒はそれを聞いて、急いで跪くと、泣きながら言った。「わたし、もうしませんから。奥様、叩かれようが罵られようが構わずしてください。でもわたしを追い出さないでくださいまし。神様の思し召しをくださいませ。わたしは奥様に十年来お仕えし、今回追い出されてしまったら、わたし、人に会わす顔がございません。」

 

 王夫人は固より寛大で慈愛深い人であるので、未だ曾て侍女たちを少しでも叩いたことがなく、今日もたまたま金釧兒がこのような恥知らずなことをするのを見たので、これは普段でも最も恨めしいことであったので、怒りが収まらず、少し叩き、二言三言罵ったのであった。金釧兒が切実に許しを請うたが、それでも気持ちが収まらなかった。結局、金釧兒の母親の白老媳婦に金釧兒を連れて帰らせた。かの金釧兒は恥を忍んで出て行ったのであるが、そのことは言うまでもない。

 

 さて宝玉は王夫人が目覚めたのを見て、自分は興ざめし、急いで大観園に戻って来た。夏の炎天下、木陰が地面を覆い、耳にはセミの鳴き声が響き、人の話声は全く聞こえなかった。ちょうどバラの棚に着いた時、人が喉を詰まらせたような声が聞こえてきたので、宝玉は心の中で怪訝に思い、それで立ち止まってあたりを伺うと、果たして棚の下に人がいた。この時はちょうど五月で、かのバラの花や葉が盛んに生い茂る時期であり、宝玉がそっと芍薬の垣根を隔てて見ると、ひとりの女の子が花の下でしゃがみ、手に先がくるりと曲がった簪を持って、地面に字を刻み、一方ではそっと涙を流した。

 

 

 宝玉は心の中で思った。「よもやこの子も気の振れた女の子で、また顰兒(黛玉のこと)のように花を埋葬しないといけないんじゃないだろうな。」そのため、また自ら笑って言った。「もし本当に花を埋葬しないといけないなら、「顰(ひそみ)に倣う」(東施效顰)ということだね。別に新奇でもなんでもないだけでなく、うんざりするよ。」そう思って、その女の子に呼びかけ、こう言おうとした。「君、林ちゃんの真似をするに及ばないよ。」この言葉が口から出ぬうちに、幸いもう一度見ると、この女の子は面識が無く、女の召使ではなく、どうもかの十二人の芝居を学んでいる女の子の内のひとりであるようだったが、この娘が生、旦、浄、丑(男役、女役、敵役、道化)のどの役柄なのか区別できなかった。

 

 宝玉は伸ばした舌を口の中に塞ぐと、自ら思った。「幸い、早まらなくて良かった。前の二回は、どちらも早まって言ってしまったので、顰兒も怒ったし、宝兒(宝釵)も気をまわし過ぎたんだ。今また彼女たちを怒らせようものなら、益々面白くなくなってしまう。」そう考えながら、一方ではまたこの少女が誰か、思い浮かばなかった。また注意してよく見ると、この少女は春の山のようになだらかな眉の先をひそめ、秋の湖のように深く清らかな眼は悲しみを浮かべ、顔はほっそりとし、腰はすらりとし、なよなよとして、まるで黛玉のようなしぐさをした。宝玉は早くも彼女のことをほってこの場を去るにしのびず、ひたすらぼんやり眺めていたが、彼女が金の簪で地面に線を引いているのは、土を掘って花を埋めているのではなく、意外にも土の上に文字を書いていたのであった。

 

 宝玉は視線を簪の上下するのに沿って、ずっと最後まで、一画、一点、一段落と見ていって、数えてみると、十八画あり、自分でも手のひらに指で彼女の筆を下したやり方の通りに書いて見て、何の字か推察してみた。書き終わって考えてみると、実は薔薇の花の「薔」の字であった。宝玉は思った。「きっとあの娘も詩を作って、言葉を埋めているんだ。今回はこの花を見て、感じるところがあったのか、それともたまたまふたつ句ができて、一時興味が湧いて、忘れてしまうのを恐れ、地面に書いて推敲していたのかもしれない。あの娘が次になんて書くか見てみよう。」そう思いながら、また見ていると、その少女はまたそこで線を画いた。書いていったが、それもやはり「薔」の字であった。――また見たが、やはり「薔」の字であった。

 

 少女はとっくにこのことに夢中になり、「薔」をひとつ画くと、また「薔」を画き、既に数十個も画いていた。外から見ると、気がふれたように見えたが、両方の眼でひたすら簪の動きを追っていて、心の中ではこう思った。「この少女はきっと何か口に出して言えない悩みがあって、こんなことをしているんだろう。外から見てこんな様子であるからには、心の中ではどんなに痛めつけられていることだろう。彼女の有り様を見ていると、こんなにか弱いのに、心の中はまだふつふつと痛めつけられたままでほっておかれて――残念ながら僕はこの娘に代わって痛みを負担してあげることはできない。」

 

 さて夏の天気は曇と晴が絶えず変化し、ちょっとした雲でも雨を降らせることがあり、突然涼しい風が吹いてきたと思うと、ザーッと一陣の雨が降ってきた。宝玉はかの少女の頭に雨水が滴り落ち、衣裳が見る間に濡れるのが見えた。宝玉は思った。「雨が降ってきてしまった。この娘の身体を、どうやったらにわか雨の水しぶきに耐えられるだろうか。」それで我慢できずにこう言った。「もう書くのはお止め、ご覧、身体がびしょ濡れだよ。」

 

 その少女はそれを聞いて、びっくりし、頭を上げて一目見ると、薔薇棚の外から誰かが「書くのをやめなさい」と叫んでいるのが見えた。ひとつには宝玉の顔の容貌がきれいで、ふたつには花や葉が生い茂っていて、上下が共に枝や葉で覆い隠されていて、やっと顔半分が見えていた。かの少女は言っているのが女の子だと思い、宝玉だとは思わなかったので、笑って言った。「ありがとう、お姉さん注意してくれて。――でもお姉さんは外でどうやって雨を遮るの?」

 

 その一言が宝玉を気づかせ、「おやまあ」と一声上げると、ようやく体中冷たく濡れているのに気が付いた。下を向いて自分の身体を見ると、体中びしょ濡れだった。「こりゃまずい」と言うと、ひと息に怡紅院に走って帰ったが、心の中ではまだあの少女が雨を避ける場所がないことを気にしていた。

 

 元々明日は端陽節(端午節と同じだが、特に屈原の死を記念してこう言う)で、かの文官ら十二人の(芝居を学ぶ)少女たちは練習が休みになり、大観園に入って来て各処で遊んでいたのだが、ちょうど小生(芝居で若い男、二枚目役)の宝官、正旦(女形。娘役)の玉官のふたりの少女が、ちょうど怡紅院で襲人とふざけて、雨水を閉じ込め、皆で水路を塞ぐと、水を屋敷の中に溜め、何羽か緑の首の鴨、花鸂鶒(オシドリの一種)、色とりどりの鴛鴦(オシドリ)を連れて来て、捕まえるものは捕まえ、追いかけるものは追いかけ、翅(はね)を縫い合わせ、屋敷の中に放って遊び、屋敷の門を閉ざした。襲人らは回廊でクスクス笑っていた。

 

 宝玉は門が閉まっていたので、手で門を叩いたが、屋敷の中では人々の笑い声しか聞こえず、それはどこから聞こえてくるのだろうか。しばらく門を開けるよう叫んでいると、パンと門が大きな音を立て、中の方ではようやくそれが聞こえた。おそらく宝玉が今日はもう帰ってこないと思っていたので、襲人が笑って言った。「誰が今呼ばわっているの?誰も門を開けに来ていないわ。」宝玉が言った。「僕だよ。」麝月が言った。「宝釵お嬢様の声だわ。」晴雯が言った。「でたらめ言って。宝釵お嬢様が今何しに来られたと言うの?」襲人が言った。「わたしが門の隙間から覗いてみるから、ちょっと待って。開けて良いなら開けましょう。この方を濡れたまま帰っていただけないわ。」そう言いながら、回廊に沿って門の前に来て外を覗くと、宝玉が「雨に打たれた鶏」のようにびしょ濡れになっているのが見えた。襲人はこれを見て、慌てて、またニコニコ笑って、急いで門を開け、笑いながら、腰を曲げて手を打ち、言った。「旦那様が帰って来られるなんて思いもしなかったわ。あなた、どうして大雨の中を走って来られたの?」

 

 宝玉は腹の底からついておらず、心の底から門を開けと地団太を踏んでいたが、ようやく門が開いたので、ちゃんと相手が誰かとも確認せず、あの女の子供の小間使いたちだとばかり思い、足を上げて相手の胸のあたりを蹴った。襲人が「あらまあ」と声を上げた。宝玉はまた罵って言った。「卑しい奴らめ、僕が平素おまえたちをいい気にさせてやっているから、少しも恐れず、益々僕をだしに物笑いの種にしているな。」口でそう言いながら、下を見ると襲人が泣いていて、そこでようやく蹴る相手を間違えたことを知った。それで慌てて笑って言った。「おやまあ、お前が来てくれたのか。どこを蹴ったのかな?」

 

 

 襲人は未だ曾てこんなに罵られたことは無く、今突然宝玉が怒って彼女を蹴りつけたので、多くの人たちの前でもあり、恥ずかしいやら、腹立たしいやら、また痛くて、本当にしばらく身の置き場が無かった。この後どうなるにせよ、おそらく宝玉は必ずしも自分を蹴りたくて蹴ったのではないと思い、気持ちを押さえてこう言わざるを得なかった。「蹴られていませんよ。早く服を着替えられないと。」

 

 宝玉は部屋に入って服を脱ぐと、一方で笑って言った。「僕はこんなに大きくなって、初めて怒って人を叩いてしまった。まさかおまえがいるとは思いもしなかったよ。」襲人は痛みを堪えながら服を着替えさせながら、一方で笑って言った。「わたしが先陣を切らないといけないから、大事であれ小事であれ、良いことも悪いことも、当然わたしから始めないといけません。けれども、わたしを叩いたとは言ってはだめよ。明日は手あたり次第、誰を叩いても構わないわ。」宝玉が言った。「僕はさっきはわざとやったんじゃないんだ。」襲人が言った。「誰がわざとなんかやるものですか。普段は門の開け閉めは、子供の小間使いたちの仕事です。あの子たちはいたずらに慣れていて、とっくに恨みに思う人は歯ぎしりをしているのに、あの子たちはそれを恐れてもいない。あの子たちだったら、蹴っ飛ばして、ちょっと脅してやってもいいわ。さっきはわたしがいたずら心で、門を開けさせなかったの。」

 

 そう言っているうちに、あの雨も止んだので、宝官、玉官もとっくに帰って行った。襲人はただ胸の下が痛くて、気持ちが動揺し、夕飯も食べられなかった。夜になって服を脱ぐと、胸の上にお碗大の青痣がひとつできていて、自分でもびっくりしたが、また声に出すこともできなかった。しばらくして眠りに着いたが、夢の中で痛みを感じ、思わず「ああっ」と声を上げ、眠りながらうめき声を上げた。

 

 宝玉はわざとじゃないと言ったが、襲人がしんどそうにしているのを見て、心の中で不安に思っていた。夜中に襲人が「ああっ」と叫ぶのを聞いて、ひどく蹴ってしまったと知り、自らベッドから出ると、そっと灯りを持って照らした。ちょうどベッドの前まで来ると、襲人が二度咳をするのが聞こえ、痰を一度吐き出すと、「ああっ」と声を上げ、目を開けると宝玉が立っているのが見え、思わずびっくりして言った。「何をなさっているの?」宝玉が言った。「君が夢で「ああっ」と叫んだので、きっとひどく蹴ってしまったと思ったんだ。ちょっと見せてみて。」襲人が言った。「わたし、頭がぼおっとして、喉の中が生臭かったり甘かったりして。ちょっと床を照らしてみてください。」宝玉はそう聞いたので、果たして手に持った灯りで床を照らしてみると、鮮血が一口床に着いているのが見えた。宝玉は慌てて、言った。「たいへんだ。」襲人はこれを見て、気持ちが半ばぞっとした。さてその結果はどうなりましたでしょうか。次回に解説いたします。