社会の病をなおす道
翁のことばに、からだで一箇所悩むところがあれば、全身がそのために悩むのは、だれでも知っていることだ。脳でも胃でも肺でもみんなそうで、はなはだしいときは死んでしまう。これは、からだが一体だからだ。国でも家でも同じことで、一家に借財があれば家ぢゅうそのために悩むし、一国が凶作なら国ぢゅうがそのために悩むことも、だれでも知っていることだ。そこで、一身でも一家でも一国でも、悩むところがないようにしようとするのを、衛生といい勤倹といい、また泰平を祈るという。
ところで、一家に借財が多ければ、家人の身に及んで、神経を悩ますようになるが、これまた、だれでも知っていることだ。当今の世の中は騎奢(きょうしゃ)の風が盛んなため、この悩みが多い。・・・・・自業自得は家長ひとりのことで、老幼婦女はその相伴をするのだ。いたましいことではないか。そこでこれを救う道を考えてみると、私の立てた報徳金貸付の道が第一だ。どうしてかといえば、この報徳金の貸付は、太陽の神徳と同様に、功徳の広大なものだ。それというのも私が数年心を尽くして考え、数年みずから取リ扱って経験した方法で、天地が万物を生育したもうて恵まぬ所とてない、その天地の徳に範をとったものだからだ。
私の感想 今日の一話は今現代社会においても当てはまります。みんなが平安でいたいことを願うのは初詣をみてもわかります、また日本人は本当に信心ぶかい良い国民だと思います。
その願いをするように、人が人生を送る時には山坂があります。分っているんだが遊んでしまう、他のことに気が行ってしまいできないということが、上手く行っているときこそ間違ったことをしているのに気がつかないということがあります。
そのような人生を元気に送るには、お話の救う道、立てなおしの道に、太陽の神徳そった仕法が良いと思います。
今朝読んでた小雑誌にも中国の一番の貧困な村といわれる村の援助の仕方が出ていました。ただお金や技術、教育を援助するのではうまくいかないそうです。
自立・自律だそうです。何も無い山村の村の方々を最高のコシヒカリのつくれる村にされたのです。
この事からもきょうの一話は救う道、本道だと私は思います。
ウスイツカサ