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世の中には、子供の生活を、あたかも自分のもののように扱う母親がいる(父親も)。

 



入学・転校・卒業・定期試験・夏休みといった子供のイベントごとに、なぜか母親自身がワクワクドキドキ、自分事として捉えたり、子供のお友達との出会いや別れに一喜一憂したり。



また、子供の学校生活やお友達のことを根掘り葉掘り頻繁に詳しく聞く。

 


これら全部、母親が子供の生活を乗っ取っている状態で。



このタイプこそ「子供の人生乗っ取り型の過干渉な母親」。

 



子供の誕生以来、いつも「わたしは、母親だから」「わたしがなんとかしなければ」と、子供の人生なのに、なぜか母親を主語にストーリーを展開したがる。


子供とはいえ、別人格だから、そこに人格・人生の境界線があって然るべきなのに、境界線を無視した過干渉な子育てという感じ。

 



子供自身は、「良い母親」を常に押し付けられている状態だから、そのマインドコントロールのような状態が解けるまでは、自分のママが「子供の人生乗っ取り型の過干渉な母親」と認識することは難しい。



なんとなく親子関係が重いなとか、窮屈だなとか感じながらも頑張って楽しそうに生きるしかない。



でも、その重みに耐えられなくなった時に、不登校になったり、引きこもりになったり、家出を繰り返すようになったり。

 



では、なぜ「子供の人生乗っ取り型の過干渉な母親」が存在するのか。


それは、その母親自身が自分の人生を生きていないから。自分自身の人生が空虚だから。

 


言葉を変えれば、とても「暇」だということ。







専業主婦で家事や育児に忙しかろうが、仕事をしていて業務に忙しかろうが、そういう時間的忙しさではなくて、「心が暇」だということ。

 


自分自身の中身が空っぽ()だから、時間的忙しさを追い求めて、"お友達"との約束を必死に取り付けて、毎日ランチやカフェ活動で忙しくしようとしてみたり。



でも、いくら時間的に忙しくなっても、「心の暇」は解消されない。さりとて、自分自身の人生では心の暇は解消できない。


だから、子供の人生を乗っ取って生きることで、その心の暇を埋めようとする。

 



本当は自分自身の人生を充実させて、自分自身の人生を生きることをしないといけないのに、子供の人生に夢中になってしまうという悪循環



なぜ自分の人生に向かわず、子供の人生に向かっていってしまうのか。それは、今更、自分自身の人生を充実させるのは大変な一方、母親の立場を利用して、子育てと称して子供の人生を乗っ取る方が容易いから。



そうなると、ますます自分自身の人生を生きることがおろそかになってくる。



子供の生活や人生をあたかも自分の生活や人生であるかのごとくとらえて、子供に対して、手出し・口出しし、ワクワクドキドキ、あれこれ悩んだり心配したりすることで、子供の人生を使って、あたかも「自分の人生を生きてる」という偽の実感を得る。


大部分の人は、自身の人生や子供の人生へのサポートに忙しく、子供の人生を乗っ取る余裕なんて全然ないはずなんだけど。

 


過干渉な母親に人生を乗っ取られて育つ子供は、自身で考えたり、決断したり、その考えや決断に基づいて行動を実行に移す機会が乏しくなってしまうから、自立心が育みにくくなる。


その結果、主体性に乏しく、自己主張が苦手で社会性に欠ける、母親同様の「心が暇」な人間が出来上がってしまう。



これって、代々続く負の連鎖なのかもしれない。この子供の母親も、その母親に同じように人生を乗っ取られながら育てられた可能性がある

 


だから、母親にとって大事なことは、子供に過干渉になる前に、まず妻とか母親とかの家庭内の役割とは別に、一人の独立した個人としての自分自身の人生を充実させ、自分自身の人生を歩むこと。そうすれば過干渉になる時間的・心的余裕なんてなくなるはず。



駐在帯同期間中なんて、特に気を付けないといけない。日本と比べて、社会とのつながりが薄くなる分、「心の暇」になりやすく、子供の人生に注目が行きがちだから。


※上記は母親を例に出したけど、性別関係なくもちろん父親にも当てはまる。