先日、Amebaのサイトを開いたところ、2018年春のブログが表示されました。

 

 

俳句を始めた頃の記事です(2018年1月から俳句結社「松の花」に参加しました)。

 

これはビギナーズラックというものでしょうか、〈かこたじの真一文字に虎落笛〉という句が、今月の秀句に選出されまして、随分はしゃいでいるブログでございます(苦笑)

 

ここから3年が経ちました。俳句の腕が上がったのかどうか、自分では定かではありませんが、月刊の結社誌への投句、月1回の東京句会への投句を中心に、こつこつ俳句をひねり続けております。お恥ずかしいことに、毎回、〆切ギリギリでの速達郵便(苦笑) 繁忙期にはご無沙汰してしまうこともあるのですが……

 

せっかくですので、ここでも、近詠を少し。2020年の自選十句です。

 

散髪の帰路よく晴れて日記買ふ


託つ母電話に叱る余寒かな
 

春一番鋭き解に大きマル
 

籠り居の読書進まず兼好忌
 

紫陽花の糸雨(しう)鷗外荘閉館す
 

冷索麺(ひやそうめん)良人(おっと)の里の麺の腰
 

梅雨の雷(らい)立石寺にぞ轟ける
 

湧水(ゆうすい)の冷たさ痛し雲の峰
 

星月夜あとからあとから名なき星
 

新宿に空のあるなり鰯雲

 

拙い句ではありますが、もし皆さんがお気に入りの句などあれば、お聞かせくださいませ。

 

さて、2021年は、結社誌に投稿した俳句をnoteのほうにまとめていくことにしました。

 

 

 

 

 

毎月、更新してまいりますので、よろしければフォローなどしてご覧くださいませ。

 

また、結社誌では、主宰からお声がけいただき、隔月掲載を持っております。

 

『古典文学に探る季語の源流』と題しまして、

・俳句で使われる季語がいつ頃から使われるようになったのか

・和歌などの古典文学ではどのような意味合いで使われていたのか

などを紹介・考察するコラムを書いております。

 

この連載もnoteに転載しております(現在5月号の分まで)。

 

 

 

 

 

 

私は、俳句よりも先に、古典和歌に親しんでいたため、古典和歌と近現代の俳句の語彙の違いに驚くことがありました。俳句でしか見ない語、和歌では一年中自由に使われているのに俳句では一つの季節でしか使えない語というのがたくさんあるのです。いかにも歴史と伝統がありそうな季語だけれど、実は、明治時代後半になって初めて使われるようになった、という例も多々あります。

 

本コラムは、そういった驚きをベースとしつつ執筆しております。歳時記の枠を超え、古典和歌・文学まで視野を広げることで、俳人さんにとって新たな発見があれば、と思っております。

 

 

 

さて、いかんせん、俳句に関しては、「下手の横好き」状態ではありますが、少しずつ続けていきたいな、と。というのも、作るようになって気付くことが多々あったからです。

 

和歌と俳句は違うな、とか、江戸時代の俳句と近現代の俳句も違うな、とか。何より、鑑賞・解説するのと、自分が創るのとは、大きな違いです(苦笑)

 

今年は漢詩も作ってみたいと思っておりますが、どうなるやら。実行に移しましたら、またお目汚しをさせていただくかもしれません(笑)

 

5月16日(日)文学フリマ【ソ‐04】にて出店予定

https://c.bunfree.net/c/tokyo32/!/%E3%82%BD/4

「吉田訳 源氏ものがたり」の第1巻桐壺・帚木(既刊)、第2巻空蝉・夕顔(新刊)の頒布予定
ご来場の方には俳句+エッセイのフリーペーパーを無料配布いたします

 

吉田裕子担当の連続講座(カルチャースクール)

単発参加も可能な吉田裕子主宰の講座

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