姿形や立場が似ている人に会うと、大概の人間は気になってしまう。



それが、意識的に気付く気付かないは関係なしにだ。



ここでの「気になる」ということは、「対抗心」を含んでいる。



全く自分と違う人物に会ったとき、気にはなるが「対抗心」はそれほど生まれない。



しかし、近しい存在のとき、対抗心はとても生まれやすいものである。



その結果、似ているものは争いを始める。



感情的には「○○だけには負けたくない」と。



祖先が同じ、隣り合う国。



少しの海を挟んだだけの国同士。



宗教が似ているもの同士。



小さな社会上の立場でももちろんそうだ。



根っこが同じで、枝葉が違う。



そんなとき、人は対立を頻繁に起こす。



根っこが同じだから、余計に少しの違いが許せないのだ。



全く異なる者を受け入れることより、少し異なる者は受け入れがたい状況。



この状況で当の本人たちは「全く価値観や考え方が違う!」くらいに相手を拒絶してしまう。



これは非常に難しい問題で、誰もが少しずつ気付いていくしかないのだ。



突っぱねてしまうそうなとき、もう一度「対抗すべきもの」なのかを考えてみる。



「似ているから、対抗したくなる」



これを意識してみることで、無駄な争いはなくなるかもしれないなぁネコ

さて、今日はアイデアレベルのもの肉球



随時、社内で誰かが知識やノウハウを開発しているだろう。


サービスにかかわること


社内制度にかかわること


営業方法にかかわること


など


それらが会社が良くなる方向に行くものであれば、開発(発案)者の名前をつけてみればどうだろうかしゃきんっ



社外向けの名前にまでしてしまうと、ややこしくなるが社内向けは可能だ。


○○方式


○○の法則


もし、自分らの名前がついたものが残れば、社内で誰もが目につくため、開発済みのものもより良いものに昇華させようとするはず。


さらには、仕事に対する意識も変わるだろう。



後は、会社が報酬を出すかどうかだ。



うまい仕組みを考えねば、意味を成さない制度と化す。


目に見える利益分から報酬を出すのか。


社内コンテストによる投票制での上位者に出すのか。


社長の独断で出すのか。


それらが不平等や不明確なものであれば、発案者は今後出てこないだろう。



そうであれば、報酬は出さない方が良い。



何にしても、よく考えられたシステムでないかぎり、長く続かない駄作で終わる(=´;ω;`=)



難しいところであるネコ


「あなたの夢はなんですか?」



保育園や幼稚園生の頃から聞かれ始める質問である。



この回答は、



「わからないn?*


「決まっていないううぅ・・・



で発言してしまうと、途端に悪者とされる。



「夢は持った方が良いにゃぽっ♪


「夢は持たないと駄目だしゃきんっ



そう言われる。



夢は自分で見つけるから叶えたいと強く思えるのであって、誰かに無理やり探させられるものであってはならない。



私は元々、一般的に言われているような「夢」という言葉は好きではない。



「夢」よりも「使命」が好きだ(。・`Д´・)しゃきん



言語イメージのあるが、夢は「願望を叶えること」であり、使命は「果たさねばならないこと」だと思っている。



リアリストではないが、使命の方が私の人生観にしっくりくる。


大きく分けて人間は、


願望で動くタイプ



使命感で動くタイプ


の2つの動くタイプがあり、割合も様々である。


私は「願望0:使命10」の割合。


夢は行動のエネルギーになっていない現状。


それにしてもこう考えるとホントに夢がない人間だなぁ(苦笑)


ここまでくると良いんだか悪いんだかわからないネコ