姿形や立場が似ている人に会うと、大概の人間は気になってしまう。
それが、意識的に気付く気付かないは関係なしにだ。
ここでの「気になる」ということは、「対抗心」を含んでいる。
全く自分と違う人物に会ったとき、気にはなるが「対抗心」はそれほど生まれない。
しかし、近しい存在のとき、対抗心はとても生まれやすいものである。
その結果、似ているものは争いを始める。
感情的には「○○だけには負けたくない」と。
祖先が同じ、隣り合う国。
少しの海を挟んだだけの国同士。
宗教が似ているもの同士。
小さな社会上の立場でももちろんそうだ。
根っこが同じで、枝葉が違う。
そんなとき、人は対立を頻繁に起こす。
根っこが同じだから、余計に少しの違いが許せないのだ。
全く異なる者を受け入れることより、少し異なる者は受け入れがたい状況。
この状況で当の本人たちは「全く価値観や考え方が違う!」くらいに相手を拒絶してしまう。
これは非常に難しい問題で、誰もが少しずつ気付いていくしかないのだ。
突っぱねてしまうそうなとき、もう一度「対抗すべきもの」なのかを考えてみる。
「似ているから、対抗したくなる」
これを意識してみることで、無駄な争いはなくなるかもしれないなぁ