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Infinite Connection

私たちINCONNEは“教育の充実から国の充実へ”をモットーにしている関西最大規模の学生ボランティア団体です。ラオス南部のノンテノイ村に幼稚園と小学校を建設、現在はそれらの教育プログラムの充実と中学校建設、医療支援や道路整備を並行して活動中です。



こんにちは!😌企画部の倉田汐梨です!🌼

今回のブログテーマは『私のオススメ!』です♬
映画だったり、場所だったり、曲だったり、オススメしたいものはいろいろあるのですが、このブログでは、ぜひみなさんに読んでほしいなって思う一冊の本(というよりは小冊子)をオススメします📚

その本が、『ツキを呼ぶ魔法の言葉』です。

いや月なんか呼べるかーい!って思ったそこのあなた😳  もちろんツキと言っても、空に浮かぶ月のことじゃありません。
ツキ=運のことです!

先にこの小冊子について触れておきます。工学博士である五日市剛さん(今年で53歳?)という方は、学生時代に訪れたイスラエルで、不思議なおばあさんに出会います。そこでの体験談を知人に話しているときに録音されたものが、いつしか多くの人に知れ渡り、彼の体験談に強い感銘を受けた一人の男性がテープを文字化し、それを小冊子にしたそうです。

五日市さんがイスラエルのおばあさんから教わったもの、それがまさに『ツキを呼ぶ魔法の言葉』というわけです。いったいどんな言葉なのか、想像できますか?



それは、『ありがとう』と『感謝します』です。


イスラエルのおばあさんいわく、
何か嫌なことがあったら、『ありがとうございます』、
何か良いことがあったら、『感謝します』と言ってみるといいそうです。


私がこの小冊子を初めて読んだのは中学1年生の時でした。当時『嫌なことがあった時に“ありがとう”って思わんくない?』と一人で読みながら疑問に感じていました。普通なら誰かに何かしてもらったときに使う言葉のはずなのに、なんで嫌なことがあったときに、しかも誰に対してでもなく“ありがとう”と言うなんて……不思議ですよね?(笑)


でも人って慣れると案外できちゃうものなんです。父も母もこの小冊子を読んでいたので、家族みんなで、何か嫌なことがあったら“ありがとう”と言うことを習慣づけることができていきました。

例えば、私が部活で嫌なことがあったとき、愚痴愚痴言う私を『“ありがとうございます”やね~』と母がなだめてくれたり、
父が仕事のことでイライラしていれば、
『“ありがとうございます”って言っとき~』と私が父を励ましたり、

そうやって知らない内に、私の家には"ありがとう"が溢れていたなと思います。(笑)


別に言葉に想いが込められてなくてもいいんです。言葉自体にパワーがあるから、その言葉を思うだけで、口に出すだけで、心に余裕ができて、また頑張ろうって思えるんです。


五日市さんは小冊子の終わりにこう語っています。
『イスラエルでおばあさんに会ってから、人間関係や仕事がびっくりするほどうまくいくようになり、毎日が楽しくてたまらなくなりました。』

言葉1つで人生が変わるなんて大げさだと思う反面、言葉がそれだけの影響をもたらすなんて本当に"魔法"みたいだなとも思います。




私たちの団体理念の一番初めに『よりよい社会』という言葉があります。人によって"よりよい社会"の在り方はそれぞれです。だけど1つだけ言えることは、社会は私たち"人"がつくっているということです。1人の人間の心の持ち方次第で、その人の周りの社会はいくらでも良くなります。


嫌なことがあったら『ありがとう』、
良いことがあったら『感謝します』と言ってみてください。

そうすればツキは自然とついてきます☺️

そしてあなたの周りの社会が、常に"よりよい"状態であればいいなって思います。


長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます✨

この本はイスラエルのおばあさんの教えだけではなく、五日市さんのその後の暮らしや出来事も書かれていて、読んだあとはほっこりした気持ちになります。50ページほどの小冊子で読みやすいので、良かったら『ツキを呼ぶ魔法の言葉』、読んでみてください!






関西学院大学
倉田汐梨


おじさん達が小学校のすぐ側の大きな木の下で円になって、プラスチックのイスに座っている。
互いに話をしているおじさん。
一点をじっと見ているおじさん。
タバコを吸っているおじさん。
ぼーっとしているおじさん。

その輪に緊張しながら若造が入っていく。
おじさんで成り立っていた空間に若造が入り込んだ瞬間、20本近くの視線を浴びる。

ここはラオス中部のカブーという少数民族が暮らす小さな村。
その小さな村にインコネは教育支援をしている。
目指すは教育環境の向上。
20人ほどの日本の大学生が年に2回、その小さな村を訪れる。
今回が初めてではなく、村の子ども達も自分達と仲良くなって楽しく遊んだりするまでになっている。

が、おじさん達はそう簡単ではない。
もちろん最初の時に比べれば距離は縮まったが、それでも相手は大の大人である。
自分の祖父と近い年齢の大人である。

静まり返る異様な雰囲気。
互いに緊張した様子で相手を伺う。
自分の隣には同じインコネのメンバー、そしてラオス人の通訳さん。

自分が話し出さなければ何も始まらないので「サバイディー」とラオス語で挨拶をする。
決まり文句のようにおじさん達も「サバイディー」と渋い声で返す。

これから話すのはとても大事なこと。
『おじさん達が考える理想の教育』
なんて抽象的で難しいお題なんだろう。
でも、その村に暮らすヒトの考えなくしてインコネが本当に創り上げたいものはできない。
それも村のヒトと一緒に。

『村のヒトと一緒に』
これがインコネで一番大事なこと。
インコネの考えではなく、村のヒトの考えに最大限寄り添う。
これが一番大事。

だから強面のおじさん達ともとことん話す。
村の子どもに将来どうなって欲しいのか。
この村をどんな村にしたいのか。
そのために何が必要なのか。
何をしたいのか。

話していくうちにだんだん熱くなっていくおじさん達。
国のミッションを担う人になってほしい。
人としての礼儀を重んじる人になってほしい。
この村に整った学校が欲しい。

おじさんだけじゃなく、隣の通訳さんも異様なまでに熱くなっていく。
おじさん達の理想を訊いたところで、こちらからのお願いを話す。
だって、その理想の実現のためには村のヒトの努力も必要だから。

そんなにたくさんのことは出なかったけれど、1つひとつがとても重かった。
その村を離れる最後の瞬間までにインコネと村のヒトとの距離はずっと近くなり、
信頼関係はずっと濃くなった。
それほどまでにヒトとヒトとが国籍も言葉も年齢も超えて互いに関わりあったということ。


次に会う時にはもっと深い、いろんな話ができるように頑張る。
そう思った2017年春。



副代表
関西学院大学3年
宇野大志


サバイディー🙏


ラオスは朝、昼、夜全てこの挨拶だそうです🌞🌈🌝



どうも!最近初心に戻って黒髪に染めました関西学院大学3回生の松尾です💆🏻‍♂️




さて、今回のテーマは「スタツア10th」ですね、、、いろいろ思うことがありました、、、書いていきます、、、






まず僕はこのブログを



いつも応援してくださる皆様、なによりも先輩方にぜひ読んでほしいなと思います。






団体が設立されて5年が経とうとしています。




『理念』



『ビジョン』




『支援のモデルケース』




『共に創る』




『関わる人の問題に全力で取り組む』





『教育の充実から国の充実へ』










僕たちは団体を説明するときに上記の言葉を使います。



初代から今の代まで全員がこの言葉に向かい活動しているからです。






初代が最初に支援先に選んだノンテノイ村。





「幼稚園、小学校の校舎はぼろぼろで、雨が降れば授業が中断し、インコネが訪れても警戒していた子どもたち、、、」






僕が初めて訪れた時は、きれいな幼稚園があり、小学校も半分が建ち、子どもたちはたくさん寄ってきてくれました。





そして、、スタツア10th!



きれいな幼稚園にはパソコンがあり、小学校は完全校になり、僕の仲良くなった子どもたちは中学校に通っていました。



幼稚園の前にはきれいな花壇があり、小学校の教室には手洗い、歯磨きのポスター、チェックリストがありました。



子どもたちが一緒に手洗いしようと言ってくれ、お別れの時にはみんなで歯磨きの歌を歌ってくれました。



職員室には、先生たち自身で考えた授業のカリキュラム、村長たちは村の統治やファイナンス、ドラッグの講習のために村を出かけていました。






学生なりに、わからないなりに努力を重ねてきた4年間






『学校が建った』



だけではなく



子どもたち、先生、村長、村人たちの意識も気持ちも変えることができた






先輩たちの誰がここまで予想していたんだろうか…




僕はこの景色を先輩方に、応援してくださっている皆さんに伝えたいなって思いました。




『国際協力に正しい答えはない』




でもみなさんが歩んできた道はそれに近かったんじゃないかなって思います!



僕たち4期も、5年後、誰かにそう思われないなって思います笑







最後まで読んでいただきありがとうございました!


関西学院大学
松尾尚樹




このブログを読む前に
Lord HuronのThe Night We Met
を流して欲しい
この音楽を耳にしながら読んで欲しい


2017.3.16.    in Nongtaenoy  ****------
今日またあの日本人が来るらしい
向かいの家の女の子が朝からはしゃいでいた
でも僕は日本人を見たことがない
どんな人なんだろう
青い服を着ていて、大勢で来るって聞いたことがある…
だけど
この村で今日はなにをするんだろう
少し気になる…
でももう僕は小学生じゃないのに
日本人たちが集まる小学校になんて行けない
まぁ、いつものことか…
そう思っていた。


でも、やっと今日
僕は初めて日本人を見たんだ。
2人だけだけど…
本当に青い服を着ていた
大きなカバンを背中に背負っていた

ສະບາຍດີ
(こんにちは)
って僕の目を見て、手を合わせて言ったんだ
僕も同じく手を合わせて言った
やっと会えた。
そして話せた。
嬉しかった
少し恥ずかしかったけど


向かいの家の女の子はあの人と手を繋いで、あの人の荷物を取り合って、きゃっきゃと叫んで、また来た道を戻って行った

ほんの一瞬だった
ほんの一瞬。
でも僕は日本人を見たんだ。
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----2017.3.16. ノンテノイ村最終日
甲南女子大学3回生 企画部 松本芽依---

「ノンテノイ村を訪れるのはこれが最後かもしれない」そんなことを忘れて、ただ目の前に繰り広げられてゆく景色を全身で受け止めていた。





私といつも仲良くしてくれる少女
彼女の名はプーカン
出会ったのは彼女が小学5年生の頃だった
今はもう彼女は中学生になって
みんなが集まる小学校にはいなかった
当たり前の事実を昨日少し寂しく受け止めた


今日が最終日
彼女に会いたい…
小さな希望にかけて小学校の前に停車したバスを降りた

昨日仲良くしてくれたプーカンの妹
プーバンとプービアンが迎えに来てくれた
小さな2人と手をつなぐため
少しかがんで2人の手を取った

その手からは温かみが伝わり
再びノンテノイ村に来たことを感じさせてくれた
その小さな温もりを逃すまいと
しっかりと包むように手を取り
歩き出そうと前を見る

そこには
一瞬夢かと疑う景色が
待ち望んでいた彼女が
1番会いたかった彼女が
立っていた

彼女は目を輝かせ
少し恥ずかしそうに
ສະບາຍດີ(こんにちは)
そう言った

夢みたいだからなのか
私の目が重くなったからなのか
彼女は太陽の光と何かの光によって
白と銀の輝きを放っているようだった
私の心の端が熱くなり
ジーンと痛かった

これが待ち焦がれた相手との
"再会"というものなのだと知った


そんな彼女も妹と同じように
むしろそれよりも強く
私の手を取った

再びノンテノイの地に来た私を
"再び"という言葉の重みを知った私を
彼女たちは家に招待してくれた

村を訪れても、居るのは基本小学校で
村人の家に行き、生の生活を目にすることは
今までになかった
だから、小学校から彼女たちの家までの道のりに広がる景色を全身に焼きつけたかった

私ともう1人メンバーを連れ、
私たちは彼女の家へと向かった

村の中は、となりのトトロでかんたのおばあちゃんの家へ行く時にめいが迷子になる曲がり角のような構成だった
そしてたくさんの家が並んでいた


その家々を通り抜け、高鳴る胸の音を感じながら歩いていた

「着いた!」とでも言っているかのように
彼女たちは最後の角をまがると一気に走り出した

だんだん遠くなって行く彼女を眺めながら
一歩ずつ彼女の家へ近づいていた

さっきと同じスピードで歩いているのに
なぜかスローモーションで
周りの景色も、自分の足も
動いているようだった

彼女の先には
濃い茶色の木でできた二階建ての家が見えた
その周りには4軒ほど同じような家があった
赤ん坊の泣き声が響いている家
にわとりが走り出してきた家
居間で女性が集まり料理をしている家
中学生くらいの男の子がハンモックで寝ている家

それらの家々にいる人に向かって
ສະບາຍດີ(こんにちは)
と挨拶をしながら進んだ

いつもは小学校にいたから
小学生以上の子どもやそれに満たない赤ん坊と会うことが新鮮に感じられた

プーカンの向かいの家でハンモックに揺られている彼はいったい何歳なんだろう
名前は?
学校は?
一緒に遊ばない?
少し話さない?
心で言葉が溢れてきた

聞きたかったけど
聞けなかった

小学校を卒業して、中学校に行っていないのかな…
夢はなんなんだろう…
どうして学校に行ってないんだろう…
知りたくて知りたくて、

彼女の家の前についても
頭の片隅には
一瞬だけ
本の一瞬だけ目があった
彼がいた


彼女の家に着くと
一階は木でできた座ることも寝ることもできる台が真ん中に置かれていて
そこに女性が3〜4人集まっていた
プーカンが私を指差し
その女性に何かを話している
話が終わるとニッコリ笑って
挨拶をしながらハグをしてくれた
きっとプーカンは
私たち日本人のことインコネのことを
説明してくれたのだろう

たとえその説明が
たまに来て、遊んでくれる人
それだけでもいい

彼女にとって心に残る存在なら …
そう心から思った

彼女は4人姉妹で
未だ私があったことがない末っ子の妹を連れて来てくれた
その子の名はプーボン
シャイでぬいぐるみをぎゅーっと握りしめ
プーカンの後ろに隠れていた
そして私がみんなで写真を撮りたいと頼むと快く引き受けてくれた


彼女の家に行き
家族に会い
4人姉妹と記念撮影をした






それだけ
ただそれだけのことだけど
身体の中が
心が 目が
熱くなった

以前より少しずつ
この村を
そこに広がっている世界を
そこにいる人々を
大好きな彼女を
知れた気がした

彼女にも彼女の向かいの家の彼にも
もう一度会いたい
会って、あの時私に感じさせてくれた
素敵な気持ちを 感謝を
伝えたい
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これは私が一瞬だけ目があった彼のことを
忘れられず書いたものです。
上の彼目線や日記は、彼にもそう思っていてほしいという思いで書きました😊
最後まで読んでいただき、
ありがとうございました‼︎





"クメール・ルージュの兵士は、殆どが13歳くらいの少年だった。"

"彼らによって、総人口800万足らずのカンボジアの、300万人近くが虐殺された。"

"何も反逆を起こさずとも、知識のある者だと見なされれば、殺された。眼鏡をかけていれば殺された。"


ミーティング内の勉強会で、支援先ラオスの周辺国、カンボジアの歴史を調べた。


クメール・ルージュ_____ポル・ポト政権派によるこの大虐殺により、
カンボジア国内のクメール族の人口は急激に減少し、民族消滅の可能性もあったという。


日本には、民族という感覚はあまりないかもしれない。しかし、世界には、数えきれないほどの「民族」が、国の大半を占めるような多数派から、認識されないような少数派まで存在する。

そして、民族に限ったことではないけれど、少数派はたいてい、言語や文化、宗教などの面で、社会的に不利な立場になる。

差別があるかないかは国にもよるが、何かを決める時、彼らの声が届きにくくなることは確かだ。



民族はどうしてここまで分かれたのだろう。。。



そこに歴史的理由があるのかもしれない。
そこに地理的理由があるのかもしれない。
あるいは、何も理由はないかもしれない。


知りたいと思って、まず支援先ラオスの民族について1度調べようと思ったのが、今回のスタディツアー10th in Japanでした。



こんにちは!
同志社女子大学 3回生、広報部の上嶋湖雪です!
今日は、ラオスの民族について少しお話したいと思います。


私たちが現在支援している、
ノンテノイ村はラオス人の半数以上を占める主要民族であるラオ族、
カブー村は少数民族であるマコン族です。

マコン族はモン・クメール語族に属するのですが、そうして調べていくうちに、ラオスの語族の名前の多くが他のタイ、ベトナム、カンボジア、ミャンマーなどの周辺国と一致することに気づきました。


それもそのはず。ラオスの民族のもとを辿れば、東南アジアの民族になるのです。

1つの民族が周辺国に散らばったり、散らばった場所でどんどん少数派になっていったり、先に住んでいたのにいつの間にか山間部に追いやられたり、、、


長い時間の中で、民族構成が変わり、変わり、今のラオスがあるのです。


そして、私たちの支援するカブー村に住む、マコン族。






マコン族については、彼らの文化「ラプッ」についての文献を見つけました。

ラプッは、簡単に言えば、マコン族を中心とした民族が祖霊に対し水牛を生け贄として捧げる儀式のことです。

現在は、ラプッを行わない村も多くなってきているが、行う村と行わない村で対立も生じていると。


カブー村がラプッを行っているかどうかは分かりません。


ただ、民族の文化を継承することと、消滅させていくこと。

何が正解なんてきっと無いけれど、継承していく人にも、しない人にも、何かしらの大事な、譲れない信念があるということ。


少数派であればあるほど、

もしかしたら将来変わっていくかもしれないもののことを

仮に消えてしまうとしても、そんな文化があること、そこにこうしていきたいという想いがあることを、伝えていきたいと思いました。



そして、支援先ノンテノイ村と、カブー村。

ラオ族と、マコン族。


でも、同じマコン族でも、ラプッを行う村と行わない村があるように、

民族の違いなんてものじゃ計れないその村の人たちがいるから、


民族じゃなくて、ノンテノイの人たち、カブー村の人たちと向き合っていくことも大事なのかもしれないと思いました。





読んでいただきありがとうございました。



同志社女子大学
上嶋 湖雪