2023年1月8日の桶狭間の戦い関連史跡巡りの続き。
「成海神社創祠の地」である「天神社」と「圓龍寺」をお参りし、「鳴海城跡公園」を見学した後は、「東福院」に向かいました。
天神社 (成海神社創祠の地)・圓龍寺・鳴海城跡公園のレポ
「鳴海城跡公園」の奥の坂道を下って行くと、路地に突き当たるのですが、その右手にお寺があります。
こちらが、「東福院」。
真言宗智山派。古くは鎌倉街道に存在し、寛永年間にこの地へ再建されました。
根古屋城(ねごやじょう)(鳴海城)の廃材を用いた山門が現存します。
本尊は大日如来。山門脇には、絵天井の残る観音堂があります。
この山門は、鳴海城の廃材を用いた山門なんですね!
「私たちの宗団」ということで、真言宗智山派のことが書かれています。
山門をくぐって、御堂。
境内には、池があって、その奥に祠が見えます。
祠に近づいて…
こちらは、弁天堂。池の中にあるから、弁財天なのですね。
弁天堂の中の様子。弁天さまの絵がお祀りされていました。
「東福院」の路地を進むと、黒塀が続いていて…
風情があって、いいですね~
路地を進むと突き当たりますが、その角には、立派なお屋敷が!
先程の黒塀は、こちらのお屋敷のものだったんですね。
その突き当たりを右折して路地を進むと、大通りに出ますが、その三皿交差点の角にお寺があります。こちらは、「長翁寺」。
ちなみに、この路地は旧東海道になります。
山門脇には、格子がはめ込まれた空間があって…
中には、お地蔵さまがいらっしゃいました。
山門をくぐって、本堂。
本堂横にも御堂があって…医王殿と扁額にあります。
三皿交差点から、そのまま路地を、旧東海道を進んで行くと、角に石碑を見つけました。
その石碑には近づいて…「郷社 式内 成海神社」とあります。この先に、成海神社があるんですね。
その石碑のある角を右折、一つ目の路地を左折して緩やかな坂道を上って行くと…
民家の敷地に史跡案内板があります。
その案内板は、「丹下砦跡」。
永禄2年(1559)当時今川方の居城であった鳴海城に対して、織田信長が築いた三砦の一つ(他に善照寺砦、中島砦)。「信長公記」は「たんけと云古屋しき」を砦にしたと記しています。
永禄の頃は、水野帯刀、山口海老之丞、柘植玄蕃允らが守りました。
「尾張志」は砦の規模について、東西四十六間(約84m)、南北四十三間(約78m)と伝えています。
幕末、万延元年(1860)鳴海陣屋(鳴海代官所)は森下よりこの丹下砦跡に移りましたが、明治元年(1868)7月に閉所となりました。
「丹下砦跡」の案内板から路地を上ると、平坦な地盤となって…
少し上の所から、振り返って、登って来た路地を眺めて…
周辺は、すっかり民家になっていて、その名残はありません…
高台にあることくらいでしょうか…
「東福院」「長翁寺」をお参りし、「丹下砦跡」を見学した後は、「千句塚公園」に向かいました。
その様子は、また後日。
東福院
愛知県名古屋市緑区鳴海町花井町3
長翁寺
愛知県名古屋市緑区鳴海町字花井町50
丹下砦跡
愛知県名古屋市緑区鳴海町清水寺40付近
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