2021年5月1日の木屋瀬宿・直方・桂川散策の続き。
「須賀神社」をお参りし、「船庄屋跡(梅本家)」を見学した後は、長崎街道を更に進んで行きました。
須賀神社・船庄屋跡(梅本家)のレポ
「船庄屋跡(梅本家)」のすぐ隣には、小さな御堂があるんですよね。
こちらは、「愛宕山護国院」。
明応2年(1493)源水が八幡西区香月の聖福寺の末寺として創建。
当時火災が頻発し、悪疫が流行しましたが、源水の祈願で平癒したので、葛西病難に霊験あらたかだとして、参詣者が多かったと言われます。
平成12年(2000)に北九州市指定有名民俗文化財となった「板絵著色木屋瀬宿図絵馬」は、ここに奉納されていました。
堂宇に近づいて…
右手には、石像が並んでいます。
その奥には、レンガ塀♪
「愛宕山 護国院」の中の様子。
長崎街道を長崎方面に向かって左手に進んで行きます。
土蔵造りの町家もあって…
上の写真の向かいにも、昔ながらの建物が!
こちらは、「旧高崎家住宅(伊馬春部生家)」。北九州市指定有形文化財(建造物)
入館無料です。
玄関の暖簾は、凧の絵柄のようですね。
中に入ると、端午の節句飾りが展示してあって…
こちらには、兜飾りに幟旗がありました。
九州では、よく見かける幟旗。男の子の名前が記されているんですよね。
土間を進むと、古そうな屏風も…
奥の座敷。
こちらの座敷には、五月人形が並んでいて…
一番奥にはお庭が…
こちらにも、屏風がありました。これもまた、古そうですね~
箱階段も♪旧家には、必ずと言ってもいいほど、ありますね~
庭に出ると、井戸があって…
庭の一角には、石碑もありました。歌碑のようです。
石碑の前から、建物を…
お庭の一角には、基壇が残っています。こちらは、「蔵跡(くらあと)」。
「木屋瀬宿図絵馬」には、5つの蔵が描かれていますが、そのうちの2棟と思われる蔵の跡が残されています。
建物に戻ると、雨戸が直角部分を渡っている!?
「入隅(いりずみ)」と言って、建物のへこんだ直角部分を指しますが、雨戸を収納するのに、この入隅部分を越えて行くんですね、ビックリです。
逆に、出っ張った直角部分は「出隅(ですみ)」と言います。
鬼瓦もパチリ。
建物の中に戻り、土間を進みます。
土間部分には、展示物が並んでいます。
これらの展示は、「木屋瀬が育んだ放送作家 伊馬春部」。
本名 高橋英雄。明治41年(1908)~昭和59年(1984)。
新宿ムーラン・ルージュ創立期の座付き作者の後、ラジオ、テレビ、舞台などの脚本を手がけました。
戦後のラジオドラマ「向う三軒両隣り」「本日は晴天なり」は、すさんだ世相にさわやかな笑いとペーソスを送り続けたと言われ、放送作家の中で、草分け的存在の一人として知られています。
民族学者折口信夫(歌人 釈迢空[しゃく ちょうくう])に師事し、秘境に伝承された古い民謡をラジオドラマの素材として紹介、後に宮中歌会始の召人に選ばれるなど、めざましく活躍しました。
ここは、伊馬春部生家になるそうです。
ラジオドラマの台本なども展示されていました。
建物の見学を終えて、外に出て、「旧高崎家住宅」を今一度…
「愛宕山 護国院」をお参りし、「旧高崎家住宅・伊馬春部生家」を見学した後は、長崎街道を更に進んで行きました。
その様子は、また後日。
愛宕山 護国院
福岡県北九州市八幡西区木屋瀬4-7-9
旧高崎家住宅・伊馬春部生家
福岡県北九州市八幡西区木屋瀬4-12-5
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