久喜藩陣屋跡(御陣山児童遊園)と、甘棠院・足利政氏館跡及び墓と ~埼玉県久喜市の史跡 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年3月下旬に、仕事で、埼玉県久喜市に出かける用事があったので、仕事の前に、いつもの歴史散策をして来ました!

 

 

JR久喜駅に到着後、西口を出て、真っ直ぐに延びる大通りを北西に進み、市役所通りの一本手前の右手の路地を入ると、「御陣山児童遊園」があるのですが、公園内の一角に、古墳のような高まりがあるんですよね。

 

 

 

こちらは、「久喜藩陣屋跡」になるそうです…公園名が「御陣山」と言いますから、その名残なのでしょう。

 

 

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久喜藩(くきはん)は、武蔵国埼玉郡久喜本町(現在の埼玉県久喜市久喜中央および本町、久喜本。古くには久喜本村とも)に存在した藩。藩庁は久喜陣屋(字荒鎌)。

藩史

譜代大名の米津政武は武蔵をはじめ、下総国・河内国・摂津国・上総国などに1万2000石の所領を領していた。だが、貞享元年(1684年)に武蔵埼玉郡・多摩郡・下総国印旛郡をはじめとする領地替えを行なわれて、久喜に陣屋を置いたことから、久喜藩が立藩された。

(中略)

第5代藩主・米津通政の代である寛政10年(1798年)7月6日、武蔵国内の所領6400石を出羽国村山郡内に移されたとき、久喜陣屋も廃して長瀞陣屋を置いたため、以後、米津家は長瀞藩主として存続した。(後略)(ウィキペディア「久喜藩」)

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米津」は「よねきつ」と読むそうです…

 

 

 

その古墳のような小山に近づいて…

 

 

 

 

古山の上には、御社がありました。

 

 

 

 

中には、石祠が3基安置されていて…

 

 

 

 

小山の周りを一回り。

 

 

 

 

御社の後ろ側の小山の下には、石祠と石碑がありました。

石碑には、この周辺一帯を「御陣山」と称し、往時、首塚の跡であったことを、霊覚者角沢栄一先生が発見された、と刻まれています。

 

 

 

 

久喜市のマンホール蓋。イチョウがデザインされています。

 

 

 

 

久喜地区消防組合の消火栓の蓋も…火消しが持つ纏が図案化されていました。

 

 

 

 

 

御陣山児童遊園」から、路地を更に進んで行くと、お寺が見えて来ます。

 

 

 

こちらは、「甘棠院」。

臨済宗円覚寺派に属するお寺で、山号は「永安山」、ご本尊は釈迦如来です。

古河公方足利成氏の子政氏が永正16年(1519)当所に移り住み館を寺にしたもので、開山は政氏の子(一説には弟)貞巌和尚です。

 

 

 

天文17年(1548)火災の為、堂宇は焼失しましたが、翌18年再建され、天正19年(1591)徳川家康より寺領100石の朱印地を賜っていて、現在の寺域はおよそ7,500㎡、空堀が巡らされ土塁も一部残っています。

 

境内には足利政氏の墓があり、高さ113cmの五輪塔には、享禄4年(1531)の銘と、「甘棠院殿吉山道長大禅定門」と刻まれていて、館跡とともに、埼玉県指定史跡になっています。

 

国指定重要文化財「紙本着色伝貞巌和尚像」も所蔵。この画像には「月庵作源直朝」の落款があり、作者は戦国時代の幸手城主で、歌人でもあった一色直朝です。

歴代住職の頂相(ちんぞう)や絹本着色足利政氏像、国認定重要美術品の十三仏版木九曜菊散双雀鏡など貴重な文化財が所蔵されています。

 

 

へぇ~古河公方足利政氏の館跡なんですね!

 

 

 

山門脇には、「足利政氏公墓同館趾」と刻まれた石碑もあって…

 

 

 

 

門をくぐって、参道を進んで…

 

 

 

 

参道の脇を覗くと…おお!?凹みが!?先程の由緒書きにある空堀か~!

 

 

 

 

反対側にも…古河公方の館だった地…防御機能を持つため、掘られたんでしょうね。

 

 

 

 

参道の左手には、石碑が並んでいて…馬頭観音とあります。庚申信仰ですね。

 

 

 

 

その隣には…風化していて、文字は判然とせず…

 

 

 

 

その隣には、「庚申」と刻まれていて…

 

 

 

 

その隣には、石祠…

 

 

 

 

その横には、「八幡大菩薩」。」

 

 

 

 

参道脇には、菖蒲も咲いていました(^^)

 

 

 

 

山門。

 

 

 

 

無縁仏の墓石をまとめ供養塔。

 

 

 

 

山門の正面には、古そうな門と、こんもりとした木々があって…

 

 

 

 

由緒書き「足利政氏館跡及び墓

永安山甘棠院の総門を入ると、中門前面から寺院の西側及び北側に空堀が巡らされ、北側には土塁も築かれていて、ここは、享徳の乱終息(文明14年 1482)以後、古河公方になった足利政氏の館跡と伝えられています。

 

 

 

足利政氏の父足利成氏は、文安4年(1447)信濃より帰り、鎌倉公方となった関東管領山内上杉氏と抗争の後、古河に移って古河公方と称し、伊豆の堀越公方山内上杉氏扇谷上杉氏との勢力争いを続けました(享徳の乱)。

 

足利政氏は、その後、子足利高基足利義明と不和となり、永正9年(1512)小山に移り、同15年頃、ここ甘棠院に隠居したと伝えられています。

 

 

 

門が閉まっていたので、隙間から失礼して…

 

 

 

 

塀の上から、墓石を…こちらが、住職の墓石のようです。

 

 

 

 

五輪塔も…こちらが、「足利政氏の墓」のようですね。

 

 

 

 

鐘楼。

 

 

 

 

梵鐘。

 

 

 

 

久喜藩陣屋跡」である[御陣山児童遊園」から、「足利政氏館跡」である「甘棠院」と回った後は、「光明寺」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

久喜藩陣屋跡・御陣山児童遊園

埼玉県久喜市久喜中央4-7

 

 

甘棠院・足利政氏館跡・足利政氏墓

埼玉県久喜市本町7-2-18

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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