IMASEN犬山からくりミュージアム(その1)~愛知県犬山市の博物館 | 九州下町おやじの珍道中

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20214月24日の愛知県犬山市岐阜県各務原市鵜沼宿の歴史散策の続き。

 

高木家住宅」「高札場跡 問屋場跡 火の見櫓跡」「本町車山蔵」「犬山城大手門跡」「敬道館跡」と見学した後は、「MASEN 犬山からくりミュージアム」に向かいました。

 

 

高木家住宅・高札場問屋場火の見櫓跡・本町車山蔵・犬山城大手門跡・敬道館跡のレポ

 

 

 

 

 

敬道館跡」から「犬山城」に向かって更に進むと、左手に和風な建物が見えて来ます。

 

 

 

 

その建物の前は広場のような空間で、一角に、「国宝犬山城築城四百五十年祭記念碑」「公園」と刻まれた石碑がありました。

 

 

 

 

由緒書き。犬山城天守閣を中心とする丸の内一帯が明治12年、稲置公園として整備され、犬山の名所として多くの観光客を集め、犬山町民の憩いの場となっていました。

この石碑「公園」は、稲置公園の掲示表として「針鋼神社針綱神社の誤り?)」の社頭に建てられていたものを、「針鋼神社針綱神社の誤り?)」の境内整備に伴い、丸の内の一角に当たるこの位置に移したものです。

 

 

 

 

この建物の玄関に近づいて…こちらは、「IMASEN犬山からくりミュージアム」。

 

 

 

 

入館料300円を支払って、中に入ると、「からくちがつなげるモノづくりの心、知恵と技」という案内板があって…

 

 

 

 

説明パネル「全国の主なからくり曳山祭り

京都・祇園祭、岐阜県飛騨市・古川祭、滋賀県大津市・大津祭などがそうなんですね~

 

 

 

 

説明パネル「愛知県内の山車からくり分布図

旧尾張藩領の中心である愛知県には約400輛の山車があり、そのうち約3分の1の山車に「からくり」が載せられています。

ここ犬山市・犬山祭、愛知県津島市・尾張津島秋まつり、知立市・知立まつり、半田市・亀崎潮干祭などがあるそうです。

 

 

 

で、ここ「IMASEN犬山からくりミュージアム」は、その「からくり人形」についての博物館。なかなか興味深いものがたくさん展示されています(^^)

 

 

 

 

中央には、舞台のような形で展示されていて…

 

 

 

 

からくり人形には、「鯨ひげ」が使われているんですね~

ヒゲクジラ、特にセミクジラのひげは弾力に富んでいて、ノミやカンナでの細工がしやすく、熱湯でその形状を変えることもできるそうで、ゼンマイの素材としてよく使用されているんですね。

写真右は、膠(にかわ)です。

 

 

 

 

こちらは、「機巧図彙(からくりずい)(写し)」。

寛政8年(1796)土佐藩(南国市)出身の細川半蔵頼直が著した書物で、からくり人形の構造・原理・制作法などが図解によって万人向けに説明されています。

 

 

 

 

その横には、からくり人形の部品が展示されていました。

 

 

 

 

からくり人形を、実際に動かすことができるコーナーもあって…

この日は、新型コロナウイルス感染予防対策として、使用停止中でした…

 

 

 

 

こちらのからくり人形は…

 

 

 

 

日蓮上人星下りの図(乱杭渡り) 魚屋町組 所蔵

日蓮上人が礼拝を終えると、天井の星が割れて中から天女が現れ、唐子の天女が6本の乱杭の上を一段ずつ上がって行き、最後に、梅の木にかかった巻物にぶら下がって、巻物が開かれると、「日月」の文字が現れる…

安永3年(1774)の墨書あり。平成16年(2004)まで使用されていました。

 

 

 

 

こちらのからくり人形は…

 

 

 

 

唐子遊び 本町組 所蔵

三体の唐子のうち二体は糸からくり、一体は離れからくりです。

大唐子が中央の蓮台の上で片手で倒立し、首を振りながら太鼓を打ちます。

名古屋の人形師 竹田藤吉の作。平成10年(1998)まで使用されていました。

 

 

 

 

 

こちらは、また面白そうなからくり人形で…

 

 

 

 

こちらは、「梅梢戯 外町組 所蔵」。

大小の唐子人形が梅の梢で遊び、倒立して太鼓を叩く離れからくり。

外町は城下町の南に新しく発展した商業地で、新進のからくり氏だった三代玉屋庄兵衛に人形の制作を依頼、衣装は伊藤呉服店(現 松坂屋)。

文政10年(1827)の作で、昭和51年(1976)七代玉屋庄兵衛が修理に当たりました。

 

 

 

差金

離れた場所からでも遠隔操作で人形を動かすことのできる長細い棒のことで、外町の梅梢戯を動かす際、胴用差金は人形の胴の中へ下から差し込み、蓮台から木の上への移動に用い、左手を木の留め金に差し込み、倒立、首振り、太鼓打ちを操作します。

 

 

 

こちらは、人形の仕組みを示していまして…

 

 

 

 

こちらは、「采振り人形(ざいふりにんぎょう) 余坂町組 所蔵」。

犬山祭の余坂町の車山(やま)に載せられる前人形で、采を持ち、指揮や合図をするように動かされます。別称「ベロ出し人形」。

 

 

 

 

こちらのお人形は…

 

 

 

 

二福神 余坂町組 所蔵」。

大黒が長い旅の末に見つけた「宝袋」に福槌を振り下ろすと、仲から宝船に乗った恵比寿が現れ、二福神は互いに喜びを表現して左右に動き、やがて神前に礼をして下がって行き…最後にいかに早く「福袋」を元の状態に戻すかが操り手の腕の見せ所です。平成7年(1995)まで使用されていました。

 

 

 

 

こちらは、何やら、箱のようなものに乗っていますが…

 

 

 

 

楽田横町(犬山市)古人形

楽田横町の車山は、明治10年(1877)に枝町から譲り受けたもので、昭和33年(1958)まで氏神「牛頭天王」の祭礼で使用されました。

 

 

 

 

こちらは…昔の時計のようです。

 

 

 

 

説明書き「和時計とからくり人形

からくり人形には、戦国時代に日本に初めて持ち込まれた和時計の技術が応用されていて。時計の針が動く速度を一定に保つために、天符を用いた冠形脱進機という機会が、からくり人形に使用されています・

 

 

 

 

こちらも和時計ですね♪「津田助左衛門和時計

初代津田助左衛門は、徳川家康所蔵のスペイン製の時計の修理とともに複製品を制作し、日本初の御時計師・鍛冶職頭として尾張藩に仕えました。

 

 

 

日本では明治6年まで、日の出から日の入りまでを昼、日の入りから日の出までをよるとして、昼夜をそれぞれ6等分する不定時制を採用しており、和時計はそういった日本の風土に合わせて時刻を刻むように作られています。

 

この時計には、機械部を囲む四面の側板すべての両面に美しい彫金細工が施されていて、桔梗の図案は津田助左衛門の特徴です。

 

 

 

 

こちらも時計ですね。「万年時計」。

江戸時代の発明家で東芝の創始者でもある田中久重が1851年に製作したもので、そのレプリカです。

 

 

 

江戸時代の時計技術における最高の達成で、田中久重の金属細工とからくりの才が遺憾なく発揮された傑作と言われます。

六面に渡ってそれぞれ異なる時間を表示しており、このレプリカでは第二面の不定時制の時計を再現。

上部の天球儀は、日本地図の上を太陽と月が旋回し、時刻に応じた太陽と月の位置を指し示しています。

 

 

 

自動割駒式和時計の仕組み」。

田中久重作の万年時計の第二面は自動割駒式文字盤であり、この機構を次世代に明快な形で伝える目的で製作された装置で、季節に応じて文字盤の配置が自動的に変化して、不定時制の時刻表示を可能にしたものです。

 

 

 

 

からくり人形の仕組って、和時計に応用されていったんですね♪

日本人の技術って、本当にスゴい!!!

 

 

 

その2」に続く。

 

 

 

 

IMASEN犬山からくりミュージアム

愛知県犬山市大字犬山字北古券8

 

 

 

 

 

 

 

 

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