2019年11月25日の愛媛県松山市歴史散策の続き。
「石手寺」をお参りした後は、「伊佐爾波神社」に向かいました。
石手寺(その3)のレポ
「石手寺」から「道後公園」の方に戻ると、途中、ファミリーマートの敷地の一角に、大きな石灯籠があって…「石手寺」の参道の名残でしょうか…
更に進むと、左手に、昔ながらの御宅があって、その前に石碑がありました。
柳原極堂の句碑「柿の木に 鶯鳴くや 石手村」のようです。
この御宅の前には、もう一つ柳原極堂の句碑があって…
「石手寺の 塔が見えをり 野茨道」
先程お参りした「おろくぶさま」と呼ばれる「義安寺」の前を通り過ぎて、振り返って…
「義安寺」の西側の出入口には、お遍路の道標がありました。こちらも古そうです…
義安寺のレポ
更に進んで、祠。
中には、お地蔵さまや弘法大師がいらっしゃって…
「道後公園」の手前の分かれ道には、次に目指す「伊佐爾波神社」「宝厳寺」の案内板がありますので、右手に進みます。
坂道を上って行くと、「伊佐爾波神社」に到着です。
「伊佐爾波神社」の由緒書き。
延喜式内社で、祭神は、仲哀天皇、神功皇后、応神天皇、三柱姫大神で、社伝によると、仲哀天皇、神功皇后が道後温泉に来浴した時の行在所跡に建てられた神社で、湯月八幡とも呼ばれたと言います。
「伊佐爾波(いさにわ)」の社名の起源は諸説あますが、「古事記」「日本書紀」の記述により、神聖、清浄なという意味の「い(斎)」がついたもので、神功皇后に関わる名称ともされます。
河野氏が湯殿城の鎮守として、今の地に移したと言われ、加藤嘉明が松山城の固めとして八社八幡を定めた時、一番社として武運長久の祈願所となったと言います。
現在の社殿は、松山藩松平3代藩主松平定長が将軍から命じられた流鏑馬を成功した御礼として建立したもので、その様式は、大分県の宇佐神宮、京都の石清水八幡宮と並んで日本を代表する八幡造と言われます。
これは立派な社殿なのでしょうね♪楽しみだ♪
長い石段を上って行きます。
石段を上って、社殿。立派な楼門ですね~回廊までついているのか~スゴい!!!
「伊佐爾波神社」の社殿は、重要文化財に指定されているんですね!
宝物の由緒書きもありました。
「太刀 銘国行 一口」「伊佐爾波神社算額」
「太刀 銘国行 一口」
刃長77.7cm、反り2.6cm。鎌倉時代中期の作で、作者は来国行(らいくにゆき)は山城国来派の祖で、寛文5年(1665)松山藩主松平定長が武運長久と一門の繁栄を祈願して奉納したものと伝えられています。
「伊佐爾波神社算額」
算額とは、和算の問題・図・解答、それを導く最終計算式等を記した額で、この神社の山岳は、関孝和が考案した関流数学で、享和3年(1803)を最古に江戸後期から明治時代のものが多いです。愛媛県指定有形民俗文化財。
朱の楼門を見上げて…迫力ありますね~♪
楼門には、随身がいらっしゃいました。
楼門をくぐると、拝殿に繋がっていて…
拝殿の脇には、摂社でしょうか、御社がありました。
回廊が続いていますので、歩いてみましょう!
彫刻もまた見事。大黒様でしょうか。
回廊を進んで、本殿を…
回廊を進むと、「道後八幡 伊佐爾波神社の算額」というパネルがありました。
パネル「大西佐兵衛の算額」
光が反射してしまって、見えづらいですね…汗
「復元奉納」とある算額もありました。
「関流 関家喜多次」が文政6年(1823)に奉納した算額を復元したもののようですね。
由緒書き「関家喜多次の算額」
中国から伝わって来た数学は、江戸時代に花開き、日本独自に発達した和算(数学)として世界の最高レベルにまで高められました。
日本には古来より祈願のために神仏に絵馬を奉納する風習にあり、それに倣い、和算を楽しむ人々は、数学の難問が解けることを祈り、また解けたことを感謝し、後には学力の向上を願い、数学の問題や答を額に描いて神社仏閣に奉納したものが「算額」です。
ここ「伊佐爾波神社」には22面の算額があり、奉納者や内容も豊富で、一つの神社にこれほど数多くの算額が残っているのはここだけで、「算額の宝庫」として全国に知られています。
関家喜多次の算額は現在失われていますが、明治44年(1911)発行の「愛媛教育」に、「伊佐爾波神社」に奉納された算額の写しが掲載されていることが分かりました。
この算額は、和算を楽しむ人々が好んで取り組んだ、複数の円が内接、外接した代表的な問題です。
彼の師、小嶌又兵衛(馭季)が編集したと伝えられている和算書「容術」30冊(愛媛県立図書館蔵)に解法が収録されています。
【問題文】
いま図のように、円弧内に青、黄、赤、白、黒の5円を入れる。青円の直径、赤円の直径、黒円の直径が分かっている時、白円の直径はいくらか。
和算…世界最高レベルになっていたんですね…スゴい…
回廊には、他にも絵馬が奉納されていました。
こちらは「旭日双鶴図」。
これもまた立派な額ですね~
この額には、「敬天愛人」と記されているんですね。岸信介の書。
西郷隆盛が好んでよく使い揮毫した言葉で、「天を敬い、人を愛する」と読むのですが、西郷の自己修養の為の指針(目標)と、彼の信仰心とも言える天命への自覚という考え方が含まれています。
「その2」に続く。
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)
愛媛県松山市桜谷町173
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