緒方洪庵旧宅・適塾跡(その1)~大阪府大阪市中央区北浜の史跡・歴史的建造物 | 九州下町おやじの珍道中

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20223月29日の大阪散策の続き。

 

新大阪の「徳願寺」をお参りし、中華料理店「白龍」でランチを食べた後、淀屋橋に移動して「懐徳堂旧阯碑」「銅座の跡」と回った後は、「旧緒方洪庵住宅(適塾)」に向かいました。

 

 

中島惣社鳥居・徳蔵寺・楠木正成首塚・懐徳堂旧阯碑・銅座の跡のレポ

 

 

 

白龍 五目汁そばセットのレポ

 

 

 

 

 

銅座の跡碑がある「大阪市立愛珠幼稚園」の裏手、北側・堂島川側に回ると、昔ながらの建屋が見えて来ます。

 

 

 

 

建物の前には、「史蹟 緒方洪庵旧宅及塾」という石碑が!

こちらが「緒方洪庵旧宅・適塾跡」になります。

 

 

 

 

由緒書き「史跡 緒方洪庵旧宅及び塾

重要文化財 旧緒方洪庵住宅

この建物は、幕末の医師・蘭学者であった緒方洪庵が、弘化2年(1845)に買い受けて、天保9年(1838)に大坂瓦町に開いた私塾・適塾適々斎塾)を移転した場所です。

 

 

 

洪庵は、文久2年(1862)に幕府の奥医師として江戸へ迎えられるまでの約17年間、ここに居住し、諸国から集った門人たちに蘭学を教え、幕末から明治にかけて日本の近代化に貢献した多くの人物を育てました。

 

敷地は間口約12m、奥行約40m、主たる建物は、主に教室に使われた表屋(前方部)と、洪庵と家族の居室に宛てられた主屋(後方部)からなり、南庭に土蔵と納屋があり、表屋は寛政4年(1792)の北浜大火後まもなくの建物と考えられ、もとは町筋に面する商家の形でしたが、洪庵入居の際に若干の改造が行われたとみられます。

 

表屋は二階建ての一階を教室、二階を塾生部屋とし、主屋は一部二階建てで西側に通り庭を持ち、台所・書斎の他、四室があり、台所の二階にはヅーフ部屋と女中部屋があります。

 

洪庵が出府して後、再三の改造があり、大正4年(1915)には前面道路の拡幅によって約1.2mの軒切りが行われ、昭和51年(1976)から昭和55年に行われた解体修復で、軒切り部分を除いて、概ね洪庵住当時の姿に復原。平成25年(2013)から平成26年には耐震改修工事を実施しました。

 

昭和17年(1942)国に寄附されることとなり、洪庵の子息や適塾関係者らによって明治初期に設立された大阪仮病院や大阪医学校を源流とする大阪帝国大学(当時)へ移管されました。現在は大阪大学が所有し、一般公開しており、建物内部では、適塾及び緒方洪庵の事績を伝える資料展示を行っています。

 

 

 

旧緒方洪庵住宅」の入口から建物の中に入ります。

 

 

 

 

由緒書き「緒方洪庵と適塾

緒方洪庵は名を章、字を公裁といい、適々斎または華陰と号します。

文化7年(1810)備中足守藩士・佐伯瀬左衛門惟因キョウの三男として足守城下(現 岡山市足守)に生まれ、武士の子として文武の修業に励むも、病気がちで十分にできず、早くから医の道を志すに至ったと言い、父の大坂蔵屋敷留守居役就任に伴い上坂し、中天游の下で蘭学修業の道に入り、江戸・長崎で研鑽を重ね、天保9年(1838)大坂の瓦町に「適々斎塾(適塾・適々塾)」を開きました。

 

 

 

塾を開いて8年後の弘化2年(1845)過書町(現 中央区北浜3丁目:現在地)に適塾を移転、拡張しました。

この建物は、寛政4年(1792)の周辺一帯の大火以降に建てられたと推定されています。

 

この地で診療活動に励む傍ら、蘭医学を研究し、数々の著訳書を翻訳・出版すると同時に、塾生の教育に当たり、種痘事業やコレラ治療といった当時の社会的な問題にも精力的に取り組みました。

文久2年(1862)幕府奥医師兼西洋医学所頭取として幕府に出仕しましたが、翌文久3年、洪庵は江戸にてこの世を去りました。

 

適塾からは、福沢諭吉長与専斎大村益次郎らを始めとする、近代日本を牽引する多数の人材を輩出しました。

 

 

 

入館料を支払って、建物に上がって…

 

 

 

 

緒方洪庵木像

 

 

 

 

緒方洪庵略年譜

 

 

 

 

中庭の濡れ縁を進みます。

 

 

 

 

座敷に入ります。

 

 

 

 

趣がありますね~♪

 

 

 

 

展示物をじっくりと見学。

 

人身窮理学小解」(複製)緒方洪庵訳、天保3年(1832)(右)

病学通論」(複製本)緒方洪庵、嘉永2年(1849)(左)

 

 

 

 

扶氏経験遺訓」(複製)C.W.フーフェラント原著、H.H.ハーヘマンJr.蘭訳、緒方洪庵重訳、安政4年(1857)~文久元年(1861)(右)

虎狼痢治準」(複製本)緒方洪庵、安政5年(1858)(左)

 

 

 

 

緒方洪庵肖像(写真)」

緒方洪庵と言えば、この肖像画ですね(^^)

 

 

 

 

緒方洪庵の学問

洪庵の蘭学修業は、文政9年(1826)大坂の蘭学者・中天游に入門したことに始まり、天保2年(1831)江戸で蘭学塾を開いていた坪井信道に入門、更に信道の師に当たる宇田川玄真榛斎)にも教えを受けました。

 

 

 

洪庵の学問的業績は多岐に渡りますが、病理学の総論である「病学通論」、ドイツの医学者フーフェラントの内科書の翻訳「扶氏経験遺訓」、コレラ治療の指針「虎狼痢治準」「医薬品述語集」「視力乏弱病論」など、多くの著訳書を残しましたが、これらは写本の形で当時の蘭医学界に広まりました。

 

洪庵の翻訳姿勢は、大意をとって意訳し俗文体で翻訳するというもので、門人の一人である福沢諭吉は回想録「福翁自伝」のなかで「そもそも、原書を読めない人のために翻訳するのであって、原書に拘泥して難解な翻訳を行うことは笑うべきだ」という洪庵の考え方を改装しています。

当時、江戸では原書に忠実に翻訳することが主流で、師の坪井信道が「病学通論」の訳稿に対して、漢学者からは文章が通俗的過ぎると非難されるかも知れないと忠告していることからも、当時の一般的な翻訳姿勢とは対照的であった様子が窺えます。

 

 

 

種痘事業

1798年、イギリス人医師ジェンナーが発見した牛痘種痘法によって、安全で効果的な予防が可能となりましたが、日本では嘉永2年(1849)長崎オランダ商館の医師モーニッケがバタビア(ジャカルタ)から取り寄せた牛痘苗によって牛痘種痘法が実際に行われるようになりました。

 

 

 

大坂での種痘普及を目指した洪庵は、日野葛民とともに除痘館開設に奔走。町人・大和屋喜兵衛の協力で古手町に町屋を借り、牛痘苗は京都の医師・日野鼎哉と福井藩医・笠原良策から受け継ぎ、嘉永2年11月、大坂に除痘館が開かれました。

 

しかし、新しい医療技術である種痘に対して一般民衆の理解を得ることは容易ではなく、活動は困難を極めましたが、地道な努力を重ねるうちに種痘を受け入れる人も増え、除痘館は安政5年(1858)幕府の官許を得るに至りました。

 

万延元年(1860)除痘館は古手町から尼崎町へ移転。現在、古手町の跡地には記念碑が建立されていて、尼崎町の除痘館跡に今日建つ緒方ビル内の一般財団法人緒方洪庵記念財団「除痘館記念資料室」には、除痘館の活動を示す資料が展示されています。

 

 

 

客座敷の床の間でしょうか、額が展示されていて…

 

 

 

 

こちらは、「扶氏医戒之略」(緒方家本)(複製)緒方洪庵、安政4年(1857)。

手前には、書かれた文面が記されています。

 

 

 

 

進んで来た緒方洪庵旧宅を振り返って…

 

 

 

 

欄間の飾り、透かし彫りというのかな?素晴らしい!

 

 

 

 

中庭。

 

 

 

 

濡れ縁を歩くと、奥に、手水石がありました。厠がありますからね(^^;

 

 

 

 

奥の部屋に進んで…

 

 

 

 

こちらの肖像画は、「緒方八重肖像(写真)」五姓田義松画、明治34年(1901)。

摂津国有馬郡名塩村の医師億川百記志宇の長女として生まれ、天保9年(1838)大坂で洪庵と結婚。洪庵を支え、七男六女を育てました。

 

 

 

 

洪庵とその家族

洪庵の活躍には、妻八重の献身的な助力によるところが大きかったんですね…

 

 

 

 

足守の父母

洪庵の父佐伯瀬左衛門惟因(快翁)は、備中国足守藩木下家(2万5,000石)に仕え、文政8年(1825)大坂薩摩堀中筋町に置かれた同藩蔵屋敷の留守居役となりました。

 

 

 

母キョウは石原理兵衛の娘で、寛政4年(1792)18歳の時に惟因と結婚しました。

これらの肖像は、天保14年(1843)前年に76歳で退休した惟因とキョウが洪庵宅に数ヶ月滞在した際に、洪庵が人を雇って描かせたものです。

 

 

 

緒方八重書状」(複製)緒方八重、明治2年(1869)8月29日付。

 

 

 

 

大坂出立着府後日記覚書」(複製)緒方八重、文久3年(1863)

 

 

 

 

北浜・今橋両通り屋敷割図」安政3年(1856)

適塾や後の除痘館の位置を記した古地図です。

 

 

 

 

緒方家および億川家 系図

 

 

 

 

「その2」に続く。

 

 

 

 

旧緒方洪庵住宅・適塾

大阪府大阪市中央区北浜3-3-8

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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