熱田神社と山谷堀公園 正法寺橋・山谷堀橋・紙洗橋・地方新橋・地方橋と土手通り~東京都台東区の街並 | 九州下町おやじの珍道中

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2020年4月中旬の東京都台東区浅草・今戸・吉原・三ノ輪散策の続き。

 

今戸神社」をお参りし、「山谷堀公園」を「聖天橋」から「吉野橋」と回った後は、更に「山谷堀公園」を進んで行きました。

 

 

今戸神社・山谷堀公園・聖天橋・山谷堀のレポ

 

 

 

 

 

吉野橋」から「山谷堀公園」を進むと、「正法寺橋」が見えて来ます。

 

 

 

 

近くに、由緒書き「山谷堀ヒストリカルツアー 酉の市」があって…

毎年11月の酉の日に、午前零時に打ち鳴らされる「一番太鼓」を合図に、終日執り行われる祭礼で、11月最初の酉の日を「一の酉」と呼び、以下「二の酉」「三の酉」と言います。

 

 

 

各地で開催されていますが、台東区では千束の「鷲神社」と「長国寺」で行われています。

東側に新吉原の遊郭があり、酉の市の日には通常閉ざされている大門以外の門を開いて、遊郭を開放したと言われ、江戸時代から盛況でした。

酉の市は当初、実用的な農具としての熊手を売る市でしたが、熊手は幸運や財産を「かきこむ」ことから、縁起物として商売繁盛開運のお守りとして尊ばれ、その他の縁起物として、人の頭に立つように出世できるようにと「八頭」や金色の小判に似ていることから「黄金餅」と言われた粟餅がありました。

酉の市」は転じて「酉のまち」とも呼ばれていました。

 

 

 

周辺案内マップ。

 

 

 

 

周辺案内マップには、近くの名所も記されていて…

近くに「熱田神社」があるようですので、行ってみましょう!

 

 

 

 

更に進んで、「山谷堀橋」。

 

 

 

 

山谷堀橋」から隅田川に戻るように進み、東浅草1丁目交差点を越えて路地を左に入ると、「熱田神社」があります。

 

 

 

 

由緒書き『熱田神社と大太刀「陰陽丸」

本社は江戸時代初期以来、当地の鎮守で、かつて元鳥越町(現 鳥越2丁目辺り)にありましたが、正保2年(1645)当地に浅草新鳥越町が成立したことに伴い移転し、当地の鎮守となりました。

 

 

 

本社は町の北端に位置していましたが(現 清川1丁目7番・8番付近)、関東大震災後の区画整理の為、昭和2年(1927)現在地に移転しました。

 

本社が所蔵する大太刀「陰陽丸」は全長368.5cmの長大なもので、弘化4年(1847)江戸小石川に住居する刀工・川井久幸が制作し、熱田神社に奉納しました。

安政5年(1858)コレラ流行時には、疫病を祓う為、陰陽丸が町内を巡行しました。

古老は「オンヨウマル」と発音してしていたと言い、平成22年、台東区有形民俗文化財に登録されました。

 

 

 

東日本大震災 熱田神社被災復興」という案内板もありました。

こちらも被災したのですね…

 

 

 

 

鳥居をくぐり境内を進み、手水所。

 

 

 

 

石灯籠には、網がかけられていて…何故ですかね?

 

 

 

 

狛犬。

 

 

 

 

熱田神社」の社殿。

 

 

 

 

拝殿に近づいて…

 

 

 

 

拝殿に向かって右手に進んで…祠と鳥居が見えますね。

 

 

 

 

その鳥居をくぐると、社殿が…

 

 

 

 

社殿手前には、お稲荷さんがいらっしゃいました。

 

 

 

 

社殿に近づいて…扁額には「豊川出世稲荷神社」とあります。

 

 

 

 

豊川出世稲荷神社」の社殿の左手に回ると、朱の鳥居があって…

 

 

 

 

朱の鳥居の先には、石を積み重ねた祠がありました。お稲荷さんがお祀りされているようですね。

 

 

 

 

その祠の前から、「熱田神社」の本殿を…

 

 

 

 

熱田神社」のお参りを終えて、「山谷堀公園」に戻って来て…

 

 

 

 

こちらは、「紙洗橋」。

 

 

 

 

紙洗橋」のすぐ横のマンションの敷地の一角に覆い屋を発見。

 

 

 

 

中には、お地蔵様がいらっしゃいました。

 

 

 

 

山谷堀公園」を更に進んで、「地方新橋」。

 

 

 

 

その先には、「地方橋」があって…

山谷堀」というかつての水路跡だけあって、橋の名残がたくさん残されているんですね。

 

 

 

 

地方橋」から大通りに出ると、「山谷堀ヒストリカルツアー 日本堤」という由緒書きがありました。

新吉原への道の一つとして、浮世絵や歌舞伎の題材にも取り上げられ、江戸の名所として賑わいを見せていました。「日本堤」が築かれたのは、新吉原ができる37年前の元和6年(1620)とされ、湿地帯である浅草・下谷を隅田川の出水による氾濫の被害から防ぐ為でした。

 

 

 

江戸幕府が全国の諸大名に命令して築堤したことから「日本堤」と呼ばれるようになったと言われますが、由来は諸説あり。

浮世絵を見ると、吉原に向かう遊客相手の茶屋などが日本堤沿いに立ち並んでいる様子や、遊郭の中にいる猫が酉の市帰りの客を見下ろしている場面、田圃の中で狸に化かされた人たちのユーモラスな様子などが描かれています。

 

 

 

その大通りは土手通り。かつての「日本堤」なんですよね。三ノ輪まで続いています。

 

 

 

 

熱田神社」をお参りし、「山谷堀公園」を「正法寺橋」「山谷堀橋」「紙洗橋」「地方新橋」「地方橋」と進み、「土手通り」に出た後は、更に「新吉原」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

熱田神社

東京都台東区今戸2-13-6

 

 

 

 

 

 

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