2021年7月下旬の休日。
折角に名古屋にいるので、行ってみたい♪と思っていた場所にお出かけ~♪
天下分け目の大戦・関ヶ原の戦いの史跡巡りに、関ヶ原町に行って来ました♪
JR東海道本線関ヶ原駅に到着。
関ヶ原駅のホームの様子。島式ホーム2面4線あるんですね。
おっ!保線車両♪ついつい撮影しちゃう保線車両♪笑
鉄道唱歌、関ケ原駅の歌詞を刻んだ石碑もあって…
改札口を出て、駅舎。
駅前には、関ケ原の戦いの看板が!徳川家康公と石田光成公が描かれていますね~
関ヶ原駅の駅前には、観光交流館があるのですが、その前には、おすすめルート、モデルコースの看板が並んでいました。
まずは、「徳川家康コース」。「決断・本陣は桃配山から陣場野へ」。
「黒田長政コース」。「竹中と共に歩む才能あふれる軍師」。
「大谷吉継コース」。「我が友、三成のために覚悟の出陣」。
「島津義弘コース」。「迷いなき決断、奇跡の敵中突破」。
「小早川秀秋コース」。「勝敗の鍵は松尾山の山頂にあり」。
「石田三成コース」。「豊臣を守るため、いざ決戦の地へ」。
「福島正則コース」。「我こそ豊臣、我こそ先陣に能う」。
大名に焦点を当てて、見学して回るのも、面白そう♪
観光交流館の中に入ると、関ヶ原の戦いに参陣した大名の名前と家紋がパネルとなって並んでいて…
観光交流館に立ち寄ったのは、レンタサイクルを借り出す為。
この日は、自転車で、関ヶ原の戦いに関する史跡を巡ったんですよね(^^)
借りたレンタサイクルは、こちら。真っ赤なボディがステキ♪笑
関ケ原駅から、一本東の路地を南に、国道21号線方向に進むと、右手に御堂が見えて来ます。こちらは、「毘沙門天王堂」。
「毘沙門天の由来」
古来から関ケ原町は宿場として町の人々は総社八幡神社の境内に町の守護仏として毘沙門仏を崇拝して来ましたが、明治2年の神仏分離令でこの地に移転され、明治13年まで安置されましたが、日常奉仕者がない為、本像を瑞龍寺へ委託され、昭和29年御分身を戴き地域の新校舎が奉仕して現在に至っています。
「毘沙門天王堂」に近づいて…
国道21号線に出て、左折。樽井駅方面に進むと、東公門交差点の角に、昔ながらの建物が見えて来ます。こちらは、「関ヶ原醸造」さん。たまり醤油などを製造している蔵元のようです。
関ケ原町のマンホール蓋。冑と梅、杉がデザイン化されているようですね。
国道21号線を暫く進むと、左手に「法忍寺 参道」という案内石碑を発見。
折角なので、お参りして来ました。参道を進んで「法忍寺」の山門があって…
山門脇の塀の角の鬼瓦。ひまわりの花でしょうか、初めて見る形でした(^^)
山門をくぐり、正面に本堂。
鐘楼。
本堂に近づいて…
「法忍寺」から更に国道21号線を東に進むと、左手に鳥居が見えて来ます。
こちらは、「若宮八幡神社」。
鳥居をくぐり、手水所。
参道を歩いて、社殿。
社殿手前の狛犬。
由緒書き「村社 若宮八幡神社(東町)」。
御祭神は、応神天皇、神功皇后、仁徳天皇。創建は不明ですが、棟札に慶長5年(1600)関ケ原合戦の時に社殿が焼失し、その修復のために、徳川家康公が当村へ御扶持方3,000人分を正月から6月まで与えたことが記されていますので、それ以前に創建されていたと考えられます。
その後も幾度か修復されていますが、現社殿は昭和54年(1979)に改築されたもので、社務所は平成17年(2005)に改築されました。
摂社の愛宕神社は、別の地に祀られていましたが、国道21号線の拡幅工事によって、昭和10年(1935)過ぎに当社内に移築されてものです。
「若宮八幡神社」の本殿。
境内には、小さな御社がありました。こちらが「愛宕神社」のようです。
JR関ヶ原駅からレンタサイクルを借り出し、「毘沙門天王堂」「法忍寺」「若宮八幡神社」とお参りした後は、「徳川家康最初陣跡・桃配山」に向かいました。
その様子は、また後日。
毘沙門天王堂
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原577-5付近
法忍寺
阜県不破郡関ケ原町関ケ原330
若宮八幡神社
岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原310
関ケ原観光ガイド
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