2019年8月12日の山口県周南市・徳山の歴史散策の続き。
「杉屋敷跡」「D51蒸気機関車」「本城三儒屋敷跡」と回った後は、「児玉源太郎生誕の地」に向かいました。
杉屋敷跡・D51蒸気機関車・本城三儒屋敷跡のレポ
「本城三儒屋敷跡」から、JR徳山駅方向に歩いて行くと、左側に広場のような空間が見えて来ます。こちらが、「児玉源太郎生誕の地」。
由緒書き「児玉家屋敷跡・児玉大将産湯之井戸」。
陸軍大将・児玉源太郎は嘉永5年(1852)2月25日、この地にあった児玉家の屋敷で生まれ、当時使用していた井戸が保存されています。
児玉家は、源太郎の父半九郎の死後、安政5年(1858)浅見栄三郎の次男、厳之丞(後の次郎彦)を源太郎の姉久子に迎えて家を継がせました。
児玉次郎彦は藩の大目付等を務めましたが、「正義派」として活動したため、元治元年(1864)「俗論派」によってこの屋敷の玄関で非業の最期を遂げました。
次郎彦の死後、児玉家は藩の命令で家名断絶、屋敷は没収されましたが、「正義派」が政権をとると、慶応元年(1865)源太郎が家名を相続、現在「児玉神社」がある場所に新しい屋敷が与えられました。
この屋敷跡は、明治になって源太郎が買い戻し、当時の屋敷の一部を残して大部分は近代的な「児玉文庫」としましたが、昭和20年(1945)太平洋戦争中の徳山空襲で焼失しました。
敷地の入口部分には、「兒玉家屋敷跡」という石碑があって…
「藤園忌特選句」。俳句の優秀作品が掲示されていました。
「児玉源太郎生誕の地」の敷地内に入ると、塀がレンガ積みのようで、結構古そうでした。
敷地の奥に進みます。
由緒書き「児玉源太郎」
敷地の奥には、モニュメントがあって…
モニュメントには、「児玉文庫開設百周年記念」というプレートがありました。
モニュメントには、昔のこの地の写真でしょうか、風景のプレートもはめ込まれていて…
モニュメントの横には、井戸があります。
この井戸が、「兒玉大将産湯之井戸」なんですね♪
明治41年に、東宮殿下(大正天皇)が山口県に行啓されたことの記念碑も…
児玉大将に、従四位が贈られたことの記念碑もあって…
「皇太子殿下侍従御差遣記念樹」の石碑もありました。
「児玉大将産湯の井戸」に近づいて…
「児玉源太郎生誕の地」を、敷地奥から眺めて…
「児玉源太郎生誕の地」から更に徳山駅方面に進むと、左側に山口銀行徳山支店があります。
そのビルの植え込みの中に、「奈古屋蔵人屋敷跡」と刻まれた石碑と、由緒書きがあるんですよね。
「奈古屋蔵人屋敷跡」の由緒書き。
奈古屋蔵人(なごやくらんど)は徳山藩の家老で、宝暦8年(1758)16歳の時、父の跡を受け継ぎ、30年余に渡り、6代毛利広寛(ひろとも)、7代毛利就馴(なりよし)の2人の藩主に仕え、その間、江戸の藩邸に務めること8度、宗家である萩藩にも度々出向き藩の発展に尽くしました。
学問を好み、徳山藩校「鳴鳳館」の創設に尽力。
その遺徳をたたえ、文化4年(1807)に八正寺に追慕の碑が建立されましたが、現在は大迫田に移設されています。
「奈古屋蔵人屋敷跡」から宿泊するホテルに戻り、夕食を取るために、徳山の街中を歩いていると、玉垣に囲われているスペースを発見。
石段を上り、右手の御社。
御社の中には、お地蔵様がいらっしゃって…
正面には、石祠がありました。台石には、「竃神社」とあります。
「児玉源太郎生誕の地」「奈古屋蔵人屋敷跡」と回り、「竃神社」をお参りした後は、夕食を取りに向かいました。
その様子は、また後日。
児玉源太郎生誕の地
山口県周南市岐山通3-7付近
奈古屋蔵人屋敷跡
山口県周南市桜馬場通1-1付近
竃神社
山口県周南市橋本町1-46-1付近
にほんブログ村 福岡(市)・博多情報
https://localkyushu.blogmura.com/fukuoka_town/ranking.html?p_cid=10197823
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
人気ブログランキング
https://blog.with2.net/in.php?819555
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
Trip-Partner [トリップパートナー]
ぷらたび