杉屋敷跡と、D51蒸気機関車と、本城三儒屋敷跡と ~山口県周南市徳山の史跡・神社・SL | 九州下町おやじの珍道中

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20198月12日の山口県周南市・徳山の歴史散策の続き。

 

祐綏神社」をお参りした後は、「徳山動物園」に向かいました。

 

 

祐綏神社のレポ

 

 

 

 

 

祐綏神社」のすぐ隣に、「徳山動物園」はあります。

 

 

 

 

この日は、動物園には入らず…(^^;

その駐車場の一角に、蒸気機関車があるので、見学したんですよね。

 

 

 

 

おお~D51が展示されている~♪

 

 

 

 

動輪をじっくりと…

 

 

 

 

運転台。錆が結構回っていますね…

 

 

 

 

後ろに回って…

 

 

 

 

D51の周りを一回り。

 

 

 

 

傷みも激しい…涙

 

 

 

 

D51蒸気機関車。いいですね~♪色と傷みが何とも言えませんが…(^^;

 

 

 

 

D51蒸気機関車」の由緒書き。

昭和11年から造られた最も代表的な機関車で、1,100トンの貨車を引いて、時速75kmで走る力持ち。昭和20年までに1,115両も造られ「デゴイチ」の愛称で呼ばれています。

 

 

 

この機関車は昭和15年に誕生。仙台、厚狭、広島などの機関区で約118万kmを走り、岩徳線でも活躍。徳島市では、この由緒ある機関車を日本国有鉄道から譲り受け、ここに展示しました。

 

 

 

信号機も展示されていて…

 

 

 

 

D51の近くの緑地には、種田山頭火の句碑があって…

新しい 法衣いいぱいの陽か あたたかい

 

 

 

 

こちらの石碑にも、文字が刻まれていますが…

 

 

 

 

この石碑の由緒書き。「久保白船句碑」。

(うづくま)ればふきのたう 白船」と彫ってあります。

白船は、本名を周一といい明治17年(1884)熊毛郡平生町佐合島に生まれ、山口中学在学中から俳句を作り始め、後に萩原井泉水の新傾向俳句誌「層雲」の仲間として活躍されました。

 

 

 

大正5年、子女の教育のため徳山に移住、佐渡町(現本町)に文房具と書籍の店を開業し、「雑草の会」を主宰。昭和16年58歳で死亡されましたが、遺された書き物に「ふきのたう」があります。

 

 

 

岩井勝次郎翁頌徳碑

 

 

 

 

近くに由緒書きがありました。

岩井勝次郎は、文久3年(1863)京都に生まれ、海外貿易の振興と国内産業の育成に貢献した我が国実業界の先駆者で、同氏が創業した岩井商店は、現在の総合商社・双日(旧日商岩井)の源流の一つです。

 

 

 

当地では、日本曹達工業(現在のトクヤマ)や、現在の日新製鋼を創業するなど、事業を通じて徳山、周南市の発展に寄与されました。

この頌徳碑は、昭和12年(1937)に建立されたものです。

 

 

 

徳山動物園の駐車場の一角には、由緒書き「杉家屋敷跡」があります。

中世の徳山野上庄と言われ、陶氏がこの地方を治めていましたが、14世紀になると、陶弘政の有力な家人である野上氏が配置され、陶氏の重臣として活躍していたと言います。

 

 

 

弘治元年(1555)10月、陶晴賢厳島での敗死に端を発し、陶氏が滅ぶと野上氏も運命を共にし、野上氏が滅ぶと、杉元相が野上を支配。

杉元相は金剛山下の見晴らしのいいこの地に居館を構え、大内氏に仕え勘解由判官と称し、興元寺に建立。

その子・杉元宣は天正17年(1589)3月、野上庄沖で横死し、杉氏は20数年で断絶しました。

興元寺には、杉元相・元宣父子の墓所があります。

 

 

 

杉家屋敷跡」の由緒書きがある場所は、こんな所です。写真右手は、駐車場になります。

 

 

 

 

徳山動物園」と「祐綏神社」を、今一度…

 

 

 

 

徳山動物園」から周南バイパスを進み、「周南市美術博物館」の前を通って…

 

 

 

 

山口県立徳山高等学校

 

 

 

 

徳山高校のすぐ近くの交差点の中央分離帯の緑地に、石碑と史跡案内板を発見。

 

 

 

 

その石碑には、「本城三儒屋敷跡」と刻まれていて…

 

 

 

 

本城三儒屋敷跡」の由緒書き。

本城三儒」とは、代々徳山藩士である本城家紫巌太華素堂の三代に渡って儒学者が続いた為ついた呼称で、その本城家の屋敷跡がこの辺りにありました。

 

 

 

紫巌は、長州藩の儒者である山根華陽滝鶴台に学び、天明5年(1785)鳴鳳館が創立されると、初代学頭として発展に尽力。

太華は、紫巌の子で、九州の高本紫溟亀井南冥に学び、帰藩してからは鳴鳳館の助教となり、世子毛利広篤(後の9代藩主毛利元蕃)の字読となりました。

素堂は、通称・清と呼ばれ、徳山藩士の江村氏の出で、本城家を嗣ぎ、藩主元蕃の近侍となった他、後に興譲館の教授となり、更に世子毛利元功の近侍となりました。

 

 

 

本城三儒屋敷跡」は、道路になっていて、名残は見当たらず…

 

 

 

 

杉屋敷跡」「D51蒸気機関車」「本城三儒屋敷跡」と回った後は、「児玉源太郎生誕の地」に向かいました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

杉家屋敷跡

山口県周南市徳山5843-4付近

 

 

周南市美術博物館

山口県周南市花畠町10-16

 

 

 

 

本城三儒屋敷跡

山口県周南市岐山通3丁目

 

 

 

 

 

 

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