2020年4月10日の三重県津市散策の続き。
伊賀上野の居酒屋「酔芙蓉」で、夕食を食べた後は、ホテルに戻って就寝。
翌日は、朝から伊賀上野の城下町を散策しました。
酔芙蓉のレポ
宿泊したホテルから町中に繰り出すと、いきなり町家が見えて来ます。
この建物は、「伊賀上野まちかど観光案内所」として利用されているそうで、トイレも利用できますよ。
こちらにも、昔ながらの御宅が…
こちらにも町家があって…あら?右手前の建物の柱に抱き着いている方がいますが…?に、忍者!?
正面に回ってみると…やっぱり忍者 笑
こういう遊び心、いいですね~♪
駐車場のフェンスに、顔出しパネルが♪笑 忍者と…左のは…松尾芭蕉のようですね~ここ伊賀上野は、松尾芭蕉が生まれた場所ですからね~
こちらの町家は、お茶屋さん。老舗のようですね~こちらの軒先にも、忍者がいましたよ♪
伊賀上野の城下町を更に進みます。この道路は、街道筋のような雰囲気があるな~
上の写真の右側の建物には、「赤井家住宅のご案内」という案内板があって…
この日は、新型コロナウイルスの影響により休館中でした…残念…涙
「赤井家住宅」の由緒書き。
主屋・長屋門・土蔵・土塀・茶室が国の有形文化財に指定されています。
赤井家はかつて丹波国黒井(兵庫県丹波市)の城主でしたが、落魄し京都で蟄居していた処、藤堂高虎に召し抱えられ伊賀に来住、千石の禄高で足軽大将に任ぜられました。
建物の年代は長屋門が最も古く、江戸時代末期の建築とみられ、他の建物は明治以降、茶室は昭和前期の建築です。
「赤井家住宅」の長屋門を別角度から…
「忍びの里 甲賀 伊賀」という案内板がありました。
「伊賀者が住んでいた町 忍町(しのびちょう)」
この区域は、江戸時代の初期に「忍びの衆」と呼ばれていた伊賀者の屋敷があったことから「忍町」と呼ばれるようになりました。伊賀者は普段は周辺の農村に住み、職務に応じてこの城下町や江戸に詰めていました。
こんな看板も…「忍び問答」。問題・クイズがあるんですね~答えは…?
城下町を更に歩きます。
本当に町家がたくさんありますね~スゴい!
脇の路地にも町家が…
この路地の左側に「一乃湯」という銭湯があります。レトロな雰囲気ですね~
右手の建物も古そうな感じで…
丸ポストもあって…
このポストは展示品の為、使用できませんが、昭和24年から全国各地で設置されたタイプで、レトロ感があっていいですね~♪
門の所から、建物を眺めて…
門に向かって左側の建物には、座頭市の映画ポスターもありました。昭和の雰囲気がプンプンしていて、いいもんですね~笑
昔の建物が建ち並ぶ路地を歩いて…
伊賀市のマンホール蓋は、忍者のデザインなんですね~かわいらしい♪
こちらはまた、古い塀ですね~
こちらの建物は、「蓑虫庵(みのむしあん・さちゅうあん)」。
伊賀の芭蕉翁五庵のうち現存する唯一の草庵。土芳が致仕後、元禄元年(1688)城下町の外れに結んだもので、「些中庵(さちゅうあん)」と名付けました。
入庵後まもなく来訪した芭蕉より、「蓑虫の 音を聞きに来よ 草の庵」の自画賛を贈られ、蓑虫が些中に同音相通じることから、「蓑虫庵」とも呼ばれました、
土芳は、享保15年(1730)74歳で没するまでこの庵に隠棲しました。
ここ「蓑虫庵」は、松尾芭蕉ゆかりの建物なんですね♪
「蓑虫庵」も、新型コロナウイルスの影響により休館でした…涙
門の脇には、「俳聖芭蕉翁遺蹟」と刻まれた石碑があって…
こんな案内板も…「伊賀歴史メディテーションスポットづくり案内図」。
「赤井家住宅」や松尾芭蕉ゆかりの「蓑虫庵」をはじめとする、伊賀上野の城下町を散策した後は、「愛宕神社」に向かいました。
その様子は、また後日。
赤井家住宅
三重県伊賀市上野忍町2491-1
一乃湯
三重県伊賀市上野西日南町1762
蓑虫庵
三重県伊賀市上野西日南町1820
にほんブログ村 福岡(市)・博多情報
https://localkyushu.blogmura.com/fukuoka_town/ranking.html?p_cid=10197823
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
人気ブログランキング
https://blog.with2.net/in.php?819555
↑ランキング参加中!クリックして戴けますと、嬉しいです!
Trip-Partner [トリップパートナー]
ぷらたび