2019年3月下旬の谷中界隈の続き。
「延命院」をお参りし、「七面坂」を下って、「本授寺」をお参りした後は、「長明寺」に向かいました。
延命院と、七面坂と、本授寺のレポ
「本授寺」から路地を南に進むと、左手に「長明寺」があります。
山門をくぐり境内に入ると、おお~大きな枝垂桜が!満開ですね♪
鐘楼。
鐘楼の手前には、由緒書き「銅鐘」があります。
総高122.9cm、口径75.1cm。銘文によると、天和2年(1682)屋代安次が自らの逆修供養のために寄進しました。逆修とは生前に自分の死後の冥福を祈るために仏事を修することです。
撰文は、下総国飯高(現千葉県八日市場市)の日蓮宗檀林所として著名な飯高寺の僧性孝、書は長明寺4世住職日習。
鋳物師は椎名伊予良寛。椎名家は江戸時代初頭に多くの作例を遺し、椎名伊予吉次を初代とする江戸鋳物師の名家でした。
椎名伊予良寛は、延宝9年(1681)頃から元禄13年(1700)頃にかけて活躍した鋳物師で、およそ26点の作品を残しています。銅鐘19点、銅燈籠2対4点、宝塔・水盤が各1点。
特に宝塔は、上野寛永寺にある将軍家墓所の一つで、4代将軍徳川家綱(厳有院)の墓で、将軍家の墓の鋳造を任されていることからも、椎名良寛が当時実力を伴った著名な鋳物師であったことがわかります。
椎名良寛が造った銅鐘をじっくりと…
鐘楼の前には、題目塔が…
本堂に近づきます。ガラスに枝垂れ桜が写っていますね。
境内にある祠。
祠の中には、お稲荷さんがいらっしゃいました。稲荷社なんですね。
鬼瓦も置かれていて…こちらは、書院鬼。弘化2年(1845)とあります。
その隣には、本堂鬼。これらも弘化2年(1845)。
その横には、玄関鬼。明治25年(1892)。以前の建屋、書院、本堂、玄関の鬼瓦に使用されていたものなんですね。
満開の枝垂桜を見上げて…とってもキレイだったな♪
「長明寺」をお参りした後、ランチを取ろうと、谷中銀座商店街に向かうと…ものすごい人出!この日は2019年3月でしたからね…
ランチを取ろうと、「一寸亭(ちょっとてい)」に行ったのですが、行列していたので、時間をずらすことに…この日は、どのお店も大行列したけど…
この日の一寸亭のレポ
仕方ないので、谷中散策を続けました…
夕やけだんだん。
夕やけだんだんを上って、振り返って…
足元には、種田山頭火の句「ほっと月がある 東京にきてゐる」プレートが…
夕やけだんだんから、「延命院」まで戻り、「経王寺」との間の路地を北に進んで行くと、「啓運寺」があります。
当寺院には「開運 毘沙門天王」が安置されているそうです。
境内を進み、左手には小さな御堂があって…
その堂宇の前には、由緒書き「木造毘沙門天像(啓運寺)」がありました。
「啓運寺」は、法華宗(本門流)の寺院で、法要山と号します。上野にありましたが、慶応4年(1868)の上野戦争で焼失。明治18年(1885)現在地に移転しました。
境内の毘沙門堂には、厨子内に木造毘沙門天像(荒川区登録有形文化財)、厨子の手前に前立仏が安置されています。
毘沙門天は多聞天ともいい、四方を守護する四天王の一つであり、福徳富貴の神としても信仰されています。
この毘沙門天像の台座の裏には、寛政9年(1797)、仏師以東光雲の墨書銘があります。
境内には、延宝8年(1680)銘の庚申塔があり、区内唯一の日蓮宗系の庚申塔です。
この御堂、毘沙門堂の中の様子。
境内には、石碑や石塔がいくつも並んでいて…
「啓運寺」の本堂。
「長明寺」をお参りし、夕やけだんだんを通って、「啓運寺」をお参りした後は、「養福寺」に向かいました。
その様子は、また後日。
長明寺
東京都台東区谷中5-10-10
七面坂
東京都荒川区西日暮里3-14・台東区谷中5丁目の間
啓運寺
東京都荒川区西日暮里3-2-14
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