大増寺と、亀塚公園・旧華頂宮邸跡と、実相寺(その1)と ~旧東海道 ~東京都の史跡・寺院・街並 | 九州下町おやじの珍道中

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20205月の旧東海道歴史散策の続き。

 

元和キリシタン遺跡」「クウェート国大使館」「亀塚稲荷神社弥陀種子板碑」「済海寺・最初のフランス公使宿館跡」と回った後は、「大増寺」に向かいました。

 

 

元和キリシタン遺跡・クウェート国大使館・亀塚稲荷神社弥陀種子板碑・済海寺・最初のフランス公使宿館跡のレポ

 

 

 

 

 

最初のフランス公使宿館跡」である「済海寺」から、聖坂を南に進むと、右手に下り坂が見えて来ますが、その先に「大増寺」があります。

 

 

 

坂を下り、「大増寺」に到着。

 

 

 

境内に入ると、正面に御堂があって…

 

 

 

御堂の脇には、朝日観音がいらっしゃいます。

 

 

 

古そうな石仏も…こちらは昔の墓石ですね…

 

 

 

吟道之碑」。

 

 

 

これは…一見、河童かと思いましたが、タヌキのようです…しかし、目つき悪いな~(笑)

 

 

 

境内の一角には、昔の墓石が集められている所があって…

 

 

 

整然と並べられていて、無縁仏を今でも供養されていているんですね…

 

 

 

 

大増寺」から聖坂に戻り、更に南に進みます。すると、右手に「亀塚公園」があるんですよね。

 

 

 

公園附近沿革案内」という由緒書きもありました。

この公園付近は、江戸時代、上野沼田藩土岐家の下屋敷で、明治維新後は旧華頂宮邸跡となりました。

 

 

ここは、三田台から高輪、八ツ山に及ぶ一連の丘陵地の東端で、庭内には老木、大樹が茂り、遥かに房総の山々を一望のもとに見晴らす勝地でした。

西側の道路は、古奥州街道に当たり、江戸開府前の主要道路で、この地は、平安時代、菅原孝標の女が著した「更級日記」に紹介された竹芝皇女の物語の遺跡と言われ、亀塚の伝説が残されています。

塚は古墳と見られますが、人工の築山であることの他、その証拠は得られていません。

 

華頂宮が廃家となり、一時、内大臣官邸となりましたが、昭和8年建物は壊され、

昭和20年戦災を受け昔の趣を失いました…

 

昭和27年に、港区立公園として開園しました。

 

 

 

亀塚公園」に入ります。遊具があって…

 

 

 

奥に進んで行くと、樹木が生い茂った小山が見えて来ます。

 

 

 

こちらが「亀塚」。古くから坪井正五郎博士らによって古墳と指摘されていましたが、詳細な学術調査が行われておらず、昭和45・46年に港区教育委員が主体となり、慶応義塾大学が測量・発掘調査を実施した結果、この塚が古墳時代以後に築造されたことが明らかとなりました。

 

 

平成14年、17年、18年に、亀塚と周辺の調査を実施し、構築状況を明らかにしましたが、埋葬施設や周濠の存在は明確ではなく、依然として、古墳と断定することができていませんが、その可能性は高いと考えられます。

 

平安時代に書かれた「更級日記」に見える竹芝寺の伝説地とも伝えられ、文明年間(1469~1487)には太田道灌が斥候(物見)を置いたと伝えられています。

 

江戸時代には、この地を屋敷地としていた沼田城主土岐頼煕(よりおき)公が、これらの旨を記した「亀山碑」を頂上に建て、現在に伝えています。

 

 

 

石段を上り、頂上に到着。結構広いですね。

 

 

 

大きな石碑がありました。こちらが先程の由緒書きにある「亀山碑」。土岐頼煕公が建立したものです。

 

 

 

亀山碑」は、ここ亀塚にある幅2.2m、高さ1.4mの石碑で、上野国沼田城主土岐頼煕公によって寛延3年(1750)に建てられたもので、土岐家は明暦3年(1657)にこの地を下屋敷として拝領しました。

 

 

詩文に秀でた大名と言われた頼煕公は、この地が「更級日記」の竹芝寺の伝説の故地であることや、塚の頂部に酒壷があり、ここに出入りする亀を神と崇めていましたが、一夜の風雨で酒壷の亀が石になったという伝説に興味を持ち、そうした由来を伝えるためにこの碑を建立したと考えられています。

 

 

 

頂部の一角には石組があって、その中心には小さな石碑がありました。

 

 

 

その石碑に近づくと、「亀塚霊神祠跡」と刻まれていて…かつて、ここに祠があったのですね。

 

 

 

 

亀塚公園」から更に聖坂を進むと、周辺の散策マップがありました。

 

 

 

マップの横には、「坂と洋館」という由緒書きも…

三田一帯は、多くの坂に縁どられた高台の上にあり、江戸時代には武家地・寺社地となっていて、見晴らしが良く静かなこの辺りは、江戸市民の行楽地としても知られ、聖坂から伊皿子辺りにかけては「月の岬」と称される月見所として名を馳せました。

 

 

維新後は、武士に代わり皇族や政府高官たちがここに住み、諸外国の公使館や学校が集まり、慶應義塾三田演説館や三井倶楽部、旧蜂須賀邸など、数々の洋館が建てられ、この界隈の特徴となりました。

 

 

 

 

聖坂を進むと、右手に「実相寺」があります。

 

 

 

境内を進みます。

 

 

 

途中、お地蔵様がいらっしゃって…

 

 

 

その横にも、お地蔵様がいらして、「萬霊塔」と刻まれた石碑も…

 

 

 

六地蔵も…

 

 

 

本堂。

 

 

 

本堂に近づいて…

 

 

 

六面でしょうか、それぞれの面にお地蔵様が刻まれた石塔もあって…これはまた見事です(^^)

 

 

 

大増寺」「亀塚公園・旧華頂宮邸跡」と回って、「実相寺 その1」に続きます。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

大増寺

東京都港区三田4-12-6

 

 

 

 

亀塚公園・旧華頂宮邸跡・亀塚・亀山碑

東京都港区三田4-16

 

 

 

 

実相寺

東京都港区三田4-12-15

 

 

 

 

 

 

 

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