福昌寺跡(島津家墓所)(その6)~島津家6代から28代までの墓所 ~鹿児島市の史跡・墓所 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年8月17日の鹿児島市内散策の続き。

 

 

福昌寺跡(島津家墓所)」の続き。

 

 

福昌寺跡(島津家墓所)(その5)のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12598917773.html

 

 

 

横山安武顕彰碑の奥に見えた墓所の入口には門があって、扉は開けられそうもなく…(涙)

 

 

 

なので、門の隙間から中を拝見。

 

 

 

入口正面には、第16代島津義久公の墓石が!

 

 

 

先程の門の先には、背の高い石灯籠が並んでいて…。石塀が続いていて、中が良く見えません…

 

 

 

先程の横山安武顕彰碑の所に戻って、中を拝見。

左側手前から、16代義久公後夫人、15代貴久公夫人、16代義久公夫人、第17代島津義弘公夫人の墓石が並んでいます。

 

 

 

こちらは、先程の第16代島津義久公の墓石。山川石の立派な墓碑ですね!

 

 

 

その隣には、第15代島津貴久公の墓石。

 

 

 

奥には、第17代島津義弘公次男の島津久保の墓石、第8代島津久豊公の墓石、第7代島津元久公の墓石、第17代島津義弘公の墓石と並んでいて…

 

 

 

先程の石塀の先に進むと、右手に石段が見えて来ます。

 

 

 

石段を上ると、左側に石塔が見えて来て…

 

 

 

更に石段が続いています。

 

 

 

また石段を上って行くと、「ザビエル歴史街道 キリシタン墓地」という由緒書きがあって…。

明治に入り新政府はキリシタン弾圧を再開し、長崎浦上のキリシタンを20の藩に分散留置しました。

 

 

明治3年(1870)鹿児島藩には375人が預けられ、廃寺となった旧福昌寺に収容され、明治6年(1873)の帰郷までに53人が他界しましたが、フランシスコ・ザビエルゆかりのこの地では、棄教は勧められたものの最も寛大な対応を受けています。

明治38年(1905)ラゲ神父が散在していた墓をこの地に集めて、立派な記念墓碑を造りました。

この墓地の下にある旧福昌寺は、15世和尚の東堂忍室とキリスト教の宣教師サビエルが宗教上の問答を交わし、交誼を結んだ歴史上特記すべき場所で、忍室和尚の墓もこの境内の歴代僧侶のお墓の中にあります。

 

 

 

その由緒書きの奥には、平たいスペースがあって、テーブルのようなものや石碑がありました。

 

 

 

テーブルのような石碑に近づくと…十字架が見えますので、キリシタンのお墓になるんですね!立派な墓碑ですね~スゴい!

 

 

 

上の面には、大きな十字架が刻まれていて…

 

 

 

こちらは、十字架と「五名合葬之墓」とあります。

 

 

 

キリシタン墓地の奥の方には、礎石のような石が点在している空間があって…。

 

 

 

キリシタン墓」と刻まれた石碑。明治初年、政府に捕えられ鹿児島藩に預けられて死亡した長崎浦上キリスト教徒たちの墓でありますと刻まれていました。

浦上四番崩れ」で捕らえられたキリスト教徒たちが、ここに眠っているんですね…

 

 

 

この礎石のような石も墓碑なのでしょうか…特に何も刻まれていないようですが…

 

 

 

キリシタン墓地」から上って来た石段を下ると、途中、「福昌寺歴代住職墓地」があります。

 

 

 

奥に進むと、「光明蔵」と刻まれたアーチがあって…。

 

 

 

そのアーチをくぐり、正面には「開山石屋眞梁大和尚」の墓石があります。植木で良く見えませんが…(^^;

 

 

 

向かって左に並んでいる墓石。写真中央には、ザビエルと宗教問答を行った15世忍室大和尚の墓石があります(白い案内板がある場所)。

 

 

 

歴史ある寺院ですから、歴代住職の墓石もたくさん並んでいました。

 

 

 

歴代住職墓所から石段を下ると、「福昌寺十二景 竜灯松(跡)」という案内板があって…

 

 

 

福昌寺跡」の島津家墓所のお参りを終えて、そのまま南に路地を歩いて行くと、「福昌寺水源地」があります。「応急給水拠点」にもなっているんですね。

 

 

 

フェンス越しに、中を拝見。

 

 

 

小山の裾に石垣が続いていますが、その一角に、門のような部分が見えます。

 

 

 

その部分をアップにしてみると…立派な門構えに扉が設置されていますね。上部には「玉龍水」とあります。ここが水源地になるようです。

 

 

水源は、やっぱり崖下、山裾になるんですね。

 

 

 

薩摩をずっと治めて来た島津家の菩提寺だった「福昌寺」。

明治の廃仏毀釈で、鹿児島の寺院はことごとく破却されたそうで、ここ「福昌寺」も廃寺となってしまったんですね…藩主の菩提寺だったのに…残念です…(涙)

 

 

 

島津家墓所の「福昌寺跡」をお参りした後は、天文館に戻り、ランチを取りました。

その様子は、また後日。

 

 

 

 

福昌寺跡(島津家墓所)

鹿児島市池之上町24

https://www.kagoshima-kankou.com/guide/10551/(鹿児島県観光連盟HP)

 

 

 

 

 

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