知覧平和公園と、知覧飛行場跡地戦争遺構(その1)と ~鹿児島県南九州市の公園・戦争遺構 | 九州下町おやじの珍道中

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2018年8月16日の鹿児島知覧町散策レポの続き。

 

 

知覧町護国神社」「特攻平和観音堂」をお参りし、「第四〇教育飛行隊 西部第一二三部隊門柱」「「大刀洗陸軍飛行学校 知覧教育隊門柱」を見学した後は、隣接する「知覧平和公園」を散策しました。

 

 

知覧町護国神社・特攻平和観音堂のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12598791331.html

 

 

 

知覧平和公園」を進むと、飛行機が見えて来ます。

 

 

 

この飛行機は、「T-3」。初等練習機として航空自衛隊防府北基地(山口県)で活躍していましたが、平成17年に用途廃止され、知覧町が借り受け、ここに展示したものです。

 

 

全幅10.0m、全長8.04m、全高3.02m、自重1,136kg、最大速度360km/h、上昇限度8,200m、航続距離1,000km。

 

 

 

女性の銅像もあって…

 

 

 

その脇には、「やすらかに」と刻まれたプレートがあります。

 

 

特攻隊の若い命は再び帰らず。

出陣の時間まで求めたであろう母の姿。

この晴れ姿をせめて母上に一目

最後の別れと、お礼を一言。

胸も張り裂けそうな、その心情は

母もまた同じであったろう

今ここに立つ母の姿

とこしえに母と共に安らかに

母の温かいみ胸で

御霊の安らかならんことと

世界・平和を祈念して。

 

 

 

こちらは、特攻隊員像のようです。台座には「とこしえに」とあります。

 

 

 

その像の近くには、『特攻像「とこしえに」の由来』があって…。

 

 

特攻機は、遂に帰って来ませんでした。

国を思い、父母を思い、永遠の平和を願いながら、勇士は征ったにちがいありません。

特攻像「とこしえに」は、全国の心ある人々によって建てられました。

 

み霊のとこしえに安らかならんことを祈りつゝ

りりしい姿を永遠に伝えたい心をこめて

あゝ

開聞の南に消えた勇士よ

 

 

 

大きな石灯籠。

 

 

 

こちらは、「特攻慰霊大燈籠」。

 

 

特攻勇士辞世の歌

遅れじと 散りゆく花ぞ われもまた 大和島根に 香りと止めて  第四十三振武隊 岸誠一大尉

 

野畔の草 召し出されて 桜哉  疾風隊 原田栞

 

 

 

知覧平和公園」には、もう1機、戦闘機が展示されているんですよね。

 

 

 

この機体は、『一式戦闘機「隼」』。「特攻の母」として知られる鳥濱トメさんの視点から若き特攻隊員の無残にも美しい青春を描いた映画「俺は、君の為にこそ死ににいく」で実際の撮影で使用された機体です。

 

 

一式戦闘機「隼」は、大東亜戦争(太平洋戦争)において、陸軍の主力戦闘機として活躍した『一式戦闘機「隼」Ⅲ型甲』をモデルに当時の資料や少飛会の意見を取り入れて忠実に再現されました。

」は、当時知覧の特攻基地から「九七式戦闘機」に次いで多い120機が飛び立っています…

 

 

 

 

 

 

再現された一式戦闘機「隼」を横の方から…

 

 

 

知覧飛行場跡地戦争遺構広域図」を発見!飛行場だけあって、かなり広い範囲に遺構が広がっているんですね。これを参考に、この後、回ってみましょう!

 

 

 

その横には、「知覧特攻平和会館周辺散策図」があって…。この近くにも、いろいろ遺構があるんですね♪

 

 

 

知覧飛行場跡地戦争遺構を探して、歩き始めると、野球場が見えて来て…

 

 

 

野球場に沿って歩き、路地を入ると、「旧知覧飛行場油脂庫」があります。南九州市の文化財(史跡)に指定されています。

 

 

 

油脂庫」の由緒書き。練習機の潤滑油やグリースなどを保管した倉庫で、この場所は「知覧教育隊本部地区」の北側に当たり、周囲には燃料置場や弾薬庫がありました。

 

 

壁面には荒々しい円錐状の窪みが何箇所も刻まれていますが、これは昭和20年3月以降、米軍の空襲を受けた時の傷跡です。

当時からこの場所にあり、レンガ造りで表面はコンクリートで覆われた構造になっています。

 

 

 

油脂庫」に近づいて…

 

 

 

壁には、穴ぼこがたくさん開いていました。米軍による機銃掃射の傷なんですね…

 

 

 

側面の壁にも…

 

 

 

旧知覧飛行場油脂庫」から野球場に戻り、更に進んで行くと、野球場の一角に、古そうなコンクリート構造物が見えて来ます。

 

 

 

こちらは、「旧知覧飛行場弾薬庫」。飛行学校の訓練を行っていた教官たちが実弾による射撃を行っていて、長い吹き流しをロープで引いて飛び、その上方・下方から射撃の練習を高等訓練機である97式戦闘機で行いました。

 

 

飛行学校は、昭和18年夏に知覧教育隊になりますが、その訓練用実弾の倉庫跡になります。

壁面には、米軍に攻撃された弾痕が数多く残っています。

 

 

 

弾薬庫」を横の方から…

 

 

 

入口があるので、内部に入って見上げると、屋根はなく、空が見えていて…

 

 

 

内部の床面。

 

 

 

弾薬庫」の先の路地を左折して進むと、茶畑が広がっていて…。知覧はお茶が名産ですもんね♪

 

 

 

 

 

 

その先に、「知覧飛行場正門跡地」があるというのですが…

 

 

 

この辺りになるようなんですが、案内板もなく、よく分かりませんでした…。

 

 

 

更に進むと、緩やかな下り坂になって突き当たりますので、右折して…。右側が旧知覧飛行場になるのですが、一段高くなっていました。

ちなみに、この道は、戦時中は県道だったそうです。

 

 

 

道路沿いには、里芋が植えられていて…

 

 

 

その2」に続く。

 

 

 

 

 

 

知覧特攻平和会館

鹿児島県南九州市知覧町郡17881

http://www.chiran-tokkou.jp/

 

 

知覧平和公園

鹿児島県南九州市知覧町郡17880

https://www.kagoshima-kankou.com/guide/11573/(鹿児島県観光連盟HP)

 

 

旧知覧飛行場油脂庫

鹿児島県南九州市知覧町郡17956付近

 

 

 

 

 

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