2019年11月27日の高知県高知市・徳島県三好市阿波池田の歴史散策の続き。
「高知城」の続き。
高知城(その2)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12594768700.html
「高知城懐徳館入口」を入り、「詰門」の上階の「橋廊下」を進みます。
すると、「平侍溜間」と、「御筒床」があって…。シャチホコが置かれていますね。
「中老溜間」「家老溜間」と続いています。
「橋廊下」を出ると、目の前には石垣があって…。
振り返って、「橋廊下」を…。
石段を上ると、また別の建屋があって…。
こちらは「西多聞」。一重櫓で、江戸時代中期の建物。本丸を囲む櫓の一つで、西側の守りを両側に延びる矢狭間塀とともに担っていて、内部は二部屋に分かれています。
外壁は分厚い漆喰で塗籠られていて、火災から守るのと同時に風雨にも備えたもオンとなっています。
「西多聞」の前で振り返ると…おお!天守閣が!
「西多聞」の隣の建屋。
大きな門が見えて来て…
こちらは「鉄黒門」。櫓門、入母屋造りで、享保15年(1730)の建築。
本丸南側を固める門で、守りを堅固にするため、扉の外側には黒漆で塗られた鉄板が打ち付けられていますので、そう名付けられたと考えられています。
2階部分は武者が隠れることができるようになっていて、門の外側に石落としが設けられるなど、防御性の高い門となっています。
天守の中に入ります。
玄関。
「高知城全体図」。6階建てになるんですね!
「本丸御殿(懐徳館)」という由緒書きがありました。
「高知城」は、明治6年(1873)明治政府から公園とすることが許可され、天守は「咸臨館」、本丸御殿は、「懐徳館」と名付けられ、一般に公開されました。
本丸御殿は、公式の会見で使用される書院造の正殿が設けられ、最も格式の高い場所で、「高知城」と「川越城」にのみ残されています。
「懐徳館」には、明治12年(1879)から明治29年(1896)まで県立図書館の前身である「高知書籍館」が設置され、図書が一般に公開されていました。
県内外の有志から歴史的な美術工芸品など多数の資料が寄せられ、見学することができました。これらの資料は、現在、高知県立高知城歴史博物館、高知県立歴史民俗資料館などに移管されています。
大河ドラマ「功名が辻」のお人形も展示してあって…
「功名が辻」のドラマで、千代役の仲間由紀恵さんが着用した着物もありましたよ!
「懐徳館」を進みます。欄間が格子になっていて…
こちらの欄間も格子状ですが、見事な欄間です♪
こちらの部屋は、奥に地袋・天袋がある小部屋がありますが…
この部屋は「御茶室」。茶をたてる座敷で、炉が切られ茶湯棚が設けられています。対面所である主室とは離れて設けられていて、ここで茶を立てられて座敷に運ばれました。
このお部屋の欄間は、変わったデザインですね~
この欄間は「うちわけ波の欄間(波の透彫欄間)」。下段の間と次の間の間に設けられた欄間で、作者は「土佐の左甚五郎」と称される名工武市高朋(通称 甚七)と伝えられています。
こちらは、大木を輪切りにしたものですが…
「スギ円盤標本」。高知城杉の段に生育していた杉朽被害木を、平成26年に安全の為、伐採撤去した樹幹の一部で、樹齢は約348年と推定できました。
2代藩主山内忠義公の隠居に伴い、3代山内忠豊公が就任した10年後の1666年頃、種子から誕生・生育したものと推測できます。
樹齢348年って…す、すごい!
縁側を進みます。
こちらの座敷は、奥が一段高くなっていますが…。藩主が座る場所になるようです。
「書院造」の由緒書き。寝殿造を母体とし発展したもので、室町時代にその形式が生まれ近世に武家の住宅様式として完成しました。大・小両書院を中心に玄関や台所などを配した一連の建物群で、個々の建物(書院)は、畳敷きのいくつかの部屋の集合によって構成されます。
この由緒書きにある間取図によると、先程の一段高い部分は「上段ノ間」、その手前には「二ノ間」になります。
濡れ縁の角の部分。
縁側の内側には、畳敷きの廊下のような空間があって、「東入側」と言います。
に続く。
高知城
高知市丸ノ内1-2-1
https://kochipark.jp/kochijyo/
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