2018年8月16日の鹿児島知覧町散策レポの続き。
「知覧亀甲城公園」から「亀甲城跡」を見学し、「豊玉姫陵」をお参りした後は、「豊玉姫神社」に向かいました。
亀甲城跡・知覧亀甲城公園・豊玉姫陵のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12573877313.html
「知覧武家屋敷庭園」の駐車場からレンタカーに乗り、西に進むと、「豊玉姫神社」に到着です。
「豊玉姫神社」の由緒書き。御祭神は、豊玉姫命、彦火々出見命(ひこほほでのみこと)、と豊玉彦命、玉依姫命。
海神綿津見神の二女、姉の豊玉姫は川辺に、妹の玉依姫は知覧に封ぜられることとなり、衣の郡(今の頴娃・開聞の辺り)をご出発になりました。
その経路は、鬢水峠(鬢の毛の乱れを整えられた所)、御化粧水(おごそみず)(この水を使って化粧された)、飯野(昼飯をとられた所)、宮入松(ぐれまつ)(正式に行列を正し休憩された所)を経て、取違(とりちがい)(姉妹の神様が行く手を間違えられた所)にお泊りになりました。
ここで玉依姫は、川辺が水田に富むことをお知りになり、急いで玄米のまま朝食をお炊きになって川辺へ出発され、平常のように白米をお炊きになった豊玉姫は遅れてしまったので、やむなく知覧に向かい、上郡に宮居をお定めになって、知覧を宰領されたと言います。
知覧で民生を撫育された後に崩御されたので、郷民は御遺徳を慕って「城山(後の亀甲城)」の麓に社殿を建立し、鎮守の神として崇敬したのが、この神社の始まりと伝わっています。
後に、父神・夫神・妹神の三柱も合祀されましたが、慶長15年(1610)時の領主島津忠充公が現在地を寄進して、遷宮したと言われています。
古文書によると、永応年間(1394~1428)、元亀元年(1570)、慶長15年(1610)、寛文11年(1671)などの造賛再興の記録があり、本藩島津家の信仰も厚く、境内の夫婦銀杏は15代島津貴久公の御手植えと伝わっています。
当神社に伝わる宝物も多数で、歴代知覧領主直筆の書額、木彫の狛犬、セレベス島特有の武器である火焔型剣、神楽面は慶長・安永・貞享・元禄年間作等、34面にも達します。
このシリーズの前回レポの「豊玉姫陵」は、「亀甲城跡」の近くにありましたね。
それに、豊玉姫命と言えば、先日レポした「鵜戸神宮」の御祭神鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の母君で、岩窟に両乳房を残してきた「お乳岩」がありますね。
鵜戸神宮(その2)のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12583738838.html
手水所。
境内を進みます。
石段の下には、朱の御社があって…。
向かい側にも…。
石段を登り、社殿。
狛犬。
なかなか古そうです。
拝殿に近づいて…。
拝殿の中の様子。
拝殿に向かって右側に進んで、本殿を…。
境内には、古そうな石灯籠がいくつも並んでいて…。
社殿手前の石段下から境内を…。
手水所の横の大木は、注連縄がかけられていました。ご神木になるんですね。
「水からくりやかた」という建屋がありましたので、近づいてみると…。
中には、お人形が!こ、これは、もしかして…西郷さん?
門から人形が出て来る仕掛けになっているようで、からくり人形なんですね。
こちらは「国選択無形文化財 水車からくり人形」。演題は「西郷どん」。からくり保存会で運営されているそうですが、水車の水の力で動くからくり人形か~スゴか~♪
「豊玉姫神社」をお参りした後は、「知覧特攻平和会館」に向かいました。
その様子は、また後日。
豊玉姫神社
鹿児島県南九州市知覧町郡16510
http://toyotamahime-jinja.or.jp/
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