荒木宗太郎墓所と、阿蘭陀通詞 中山家墓所と、~長崎市の史跡・墓所 | 九州下町おやじの珍道中

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20192月15日の長崎散策の続き。

 

シーボルトにゆかりもある「楠本瀧・楠本イネ・二宮敬作顕彰碑」を見学し、「楠本家の墓」をお参りした後もまた、「幣振坂」を上って行きましたが、その両脇にある墓所をお参りして行きました。

 

 

楠本瀧・楠本イネ・二宮敬作顕彰碑・楠本家の墓のレポ

https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12491329919.html

 

 

幣振坂」を更に登って行きます。石積みがスゴか~!

 

 

すると右手に案内板があって…。「荒木宗太郎墓所」とあります。

 

 

矢印の指す方向に進んで行くと、立派な石垣の前に、案内板を発見。

 

 

長崎市指定史跡 荒木宗太郎墓所荒木宗太郎は、名を一清(いっせい)といい、後に通称を惣左衛門と改めました。肥後熊本の武士でしたが、天正16年(1588)長崎に移住し、現在の飽の浦公園の地に壮大な屋敷を構え、朱印船貿易商として活躍しました。

 

 

荒木船の船旗は、連合オランダ東印度会社のVOCのマークを逆さにした図柄。

宗太郎の妻は「王加久戸女(わかくとめ)」と称し、交趾国(こうちこく)(ベトナム)の王族(ぐえん)の娘で、長崎の人達は彼女のことをアニオさんと呼びましたが、その豪華な輿入れの有様は、現在でも長崎くんちの奉納踊りの随所に取り入れられています。

荒木家は、3代荒木伊太郎好信から13代荒木惣八郎春章まで、西築町の乙名を務めています。

 

 

石段を上って、「荒木宗太郎墓所」に…。

 

 

真ん中の墓石が、荒木宗太郎の墓になります。

 

 

墓所の端には「土神」と刻まれた石碑があって…。

 

 

児女」とありますので、幼い女の子の墓石なのでしょうね…。

 

 

 

荒木宗太郎墓所」のお参りを終えて墓地を歩いていると、案内板「長崎市指定 阿蘭陀通詞 中山家墓所」がありました。

 

 

矢印の指す方向、細い通路を歩いて行きます。

 

 

すると右手に、案内板らしきものを発見。

 

 

その案内板は、由緒書き「阿蘭陀通詞(おらんだつうじ) 中山家墓所」。墓所内には、中山氏一族の墓碑25基と、シーボルトの高弟であった美馬順三(みまじゅんぞう)の墓碑1基があります。

 

 

中山家は、始祖中山作左衛門が寛文3年(1663)に稽古通詞(のちに小通詞)に任ぜられて以来、8代にわたって阿蘭陀通詞を務めました。

2代中山喜左衛門政純・3代中山喜左衛門正紀・5代中山作三郎武成・6代中山作三郎武徳大通詞に、8代中山六左衛門武和通弁役頭取に進んでいます。

また、6代中山作三郎武徳御用和蘭字書翻訳認掛として、ヘンドリック・ドゥフの指導で行われた蘭日対訳辞典「ドゥフ・ハルマ」の編纂に従事し、完成させました。

 

 

阿蘭陀通詞 中山家墓所」には、たくさんの墓石が並んでいて…。

 

 

どの墓石がどなたのものか、よく分かりませんが…。

 

 

立派な墓碑は、当主だった方のものなのでしょうね…。

 

 

後ろ側にも墓石が並んでいて…。

 

 

阿蘭陀通詞 中山家墓所」からの眺めもまた、素晴らしい!

 

 

荒木宗太郎墓所」「阿蘭陀通詞 中山家墓所」をお参りした後もまた、「幣振坂」の脇にある墓所をお参りして行きました。

その様子は、また後日。

 

 

 

荒木宗太郎墓所・阿蘭陀通詞 中山家墓所

長崎市鍛冶町10・高平町24付近

 

 

 

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