先日5月上旬、GWの終わりの休日に、プライベートで岩本町方面に出かけて、「北出食堂(きたでしょくどう)」で、アジフライサンドを頂いたレポをアップしましたが、その後、地下鉄小伝馬町駅界隈を散策して来ましたので、シリーズでアップして行きますね。
北出食堂のアジフライサンドのレポ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42084136.html
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12383019991.html
地下鉄日比谷線の小伝馬町駅の近くに、一風変わった感じの大きな建物があります。
上の写真の右手に進んで行くと、おお~♪建物の角が曲線になっていて、面白い造りをしているな~♪それに、古そうな感じだし…。
こちらは「十思スクエア」。東京都中央区の施設なのですね!
建物の壁に由緒書きがありました。「十思スクエア(旧中央区立十思小学校)」
昭和8年(1928)に完成した建物になるんですね!
旧十思小学校は明治11年に開校し、現在使用されている建物は関東大震災を機に耐震・耐火性の高い鉄筋コンクリート造の校舎として建て替えられたものです。
カーブさせた隅部、アーチ窓、半円形の円柱等、意匠に特徴のある建物で、平成2年3月に廃校となり改修工事を経て、平成13年から区の複合施設「十思スクエア」として利用されています。
関東大震災後に建てられた鉄筋コンクリート造の小学校なのか~。
「十思スクエア」の隣には「十思スクエア別館」があって、「十思湯」や小ホール、ケアサポートセンターになっています。こちらは、新しく建てられたようです。
「十思スクエア別館」の壁には『十思小学校「十思之疏(じゅっしのそ)」の由来』が掲げられていて…。
旧十思小学校の前身となる「第一大区第一中学区第十六番小学十思小学校」は、明治10年(1877)に大伝馬塩町の地で創立されました。
明治初年の行政区画(大区・小区制度)では「第十四小区」の学校として開校し、明治末年に大伝馬上町22番地(旧十思小学校の敷地)に移転。
平成2年(1994)に閉校するまで、多くの卒業生を輩出して来ました。
開校以来の校名として用いられてきた「十思」の名は、中国・北宋時代の歴史書「資治通鑑(しじつがん)」(1084年完成、司馬光著)に記されている「十思之疏」(天子がわきまえるべき10カ条の戒め<同百九十四巻>)の「十思」と、開校時の所在区画の「十四」が同音好字であることにちなんで名づけられたと言われています。
由緒書きの下の方には、「十思之疏」の原文・釈文が書かれていました。
見可欲則思知足(欲すべきを見れば則ち足るを知ると思う)
将興繕則思知止(将に興繕せんとすれば則ち止まるを知ると思う)
処高危則思謙降(高危に処れば則ち謙降を思う)
臨満盈則思挹損(満盈に臨めば則ち挹損を思う)
遇逸楽則思撙節(逸楽に遇えば則ち撙節を思う)
在宴安則思後患(宴安に在れば則ち後患を思う)
防壅蔽則思延納(壅蔽を防ぐには則ち延納を思う)
疾讒邪則思正己(讒邪を疾むには則ち己を正すを思う)
行爵賞則思因喜而僣(爵賞を行うには則ち喜に因りて僣するを思う)
施刑罰則思因怒而濫(刑罰を施すには則ち怒に因りて濫するを思う)
意訳
欲しいものがあっても、多くを望まないことを思う。
物事を行うときには、度をこさないようにすることを思う。
立場や地位が高くても、控えめな態度をとることを思う。
十分満足な時には、むしろ減らすようにすることを思う。
楽しみを味わうときには、程よく控えめにすることを思う。
遊び暮らしていると、身を滅ぼしてしまうことを思う。
正確な情報を得るには、周囲の意見を良く聞くことを思う。
悪口を憎むより、自分の言動を正しくすることを思う。
優れた功績をあげても、必要以上に褒めないことを思う。
過ちを罰する時には、感情的にとがめないことを思う。
素晴らしい言葉です!
「十思スクエア(旧中央区立十思小学校)」を見学した後は、向かいにある「身延別院」に向かいました。
その様子は、また後日。
十思スクエア(旧中央区立十思小学校)
東京都中央区日本橋小伝馬町5−1
下町おやじのYahoo!ブログ
https://blogs.yahoo.co.jp/hsnm3373/42105565.html