2015年9月下旬の萩・三田尻(防府)歴史散策の続き。
「三田尻御茶屋旧構内 英雲荘」を見学した後もまた、防府散策を続けました。
三田尻御茶屋旧構内 英雲荘(その4)のレポ。
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12334959293.html
三田尻御茶屋旧構内 英雲荘(その5)のレポ。
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12334975366.html
時間的に前後しますが、「三田尻御舟倉跡」から「三田尻御茶屋旧構内 英雲荘」に向かう途中の街角に「幸神」と刻まれた大きな石碑と常夜燈を見かけました。結構古そうでしたよ。
「三田尻御茶屋旧構内 英雲荘」からは、南側の道路を裏手の方に進んで行きました。というのは、その道路は「萩往還」だからです。
途中、「三田尻御茶屋旧構内 英雲荘」の裏手の塀の前に、「萩往還」の説明書きがありました。
「英雲荘」の裏手の鍵型に曲がる道路沿いに進んで行くと、神社を発見。
鳥居が2つありましたので、奥の大きな方の鳥居に進んで…。
石橋を渡って…。
鳥居をくぐり、境内を進みます。
石段を上り、2つ目の鳥居をくぐると、左手に手水所があって…。
あら?井戸の上に「老松神社」という扁額が被せられていました。昔の鳥居にかけられていたものでしょうか…。
参道右手に社があります。
その社に近づいて…。「恵美須社」とありますね。
参道左手には、朱の鳥居がいくつも並んでいて…。
扁額には「一光稲荷大明神」とあります。
鳥居をくぐると、石祠と石碑がありました。こちらが「一光稲荷大明神」の社になるのですね。
参道に戻ります。
山口県の天然記念物に指定されているクスノキなのですね!樹齢は二千有余年と伝えられているそうです。
「老松神社」の由緒書きがありました。飛鳥時代の白雉3年(652)の創建で、当初は須佐神社と称し、娑婆(さば)氏がこれを祀ったと伝えられています。
平安時代の貞観14年(872)社前に松の老樹が繁茂するにより老松神社と改称。
三田尻地区の産土神です。
承安3年(1173)筑後守秀助が菅原道真公他二柱を配祀し、社殿を改築、社田を寄進、とありますので、歴史の深い神社なのですね。
主祭神は、天穂日命(あめのほひのみこと)、大国主命(おおくにぬしのみこと)、素盞鳴命(すさのおのみこと)になります。
「老松神社」の社殿。
拝殿の前の狛犬。
緑青が吹いて、なかなか古そうです。
拝殿に近付いて…。扁額が立派です!
「老松神社」をお参りした後は、今回の目的の一つである「野村望東尼」に関連史跡に向かいました。
その様子は、また後日。
老松神社
山口県防府市お茶屋町9-21
幸神
山口県防府市三田尻2-6
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