2016年7月中旬の旧唐津街道 姪浜宿散策の続き。
「万正寺」をお参りした後は、「探題塚」に向かいました。
万正寺のレポ
https://ameblo.jp/indyaki12/entry-12302893570.html
「万正寺」からは、南の方、明治通り方向に進み、一つ手前の路地を左折。その後、一つ目の分かれ道を左の路地に進むと、石段が見えて来ます。
その石段を上ると、「探題塚」に到着です。
石段を上ると、手水所と社が見えて来て…。
「探題塚の由来について」。ここ姪浜は、元寇の折に鎌倉幕府が元軍の来襲に備えて「探題」を置いた場所で、鷲尾城(今の愛宕山)や防塁を築造したのですね。
初代探題は北条時定で、弘安5年(1282)より姪浜浦山館でその任に当たり、その後は、足利一族が探題となり、最後の九州探題・渋川尭顕(たかあき)は、ここ光運寺山城(万正寺山)で戦死。その渋川尭顕を葬ったのが「探題塚」となるのですね。
その由緒書きの後ろには、古そうな石塔があって…。
「探題塚」の社。
近づいて…。扁額には「探題将軍」とあります。
足元には「埴安神社」と刻まれた扁額があって…。鳥居にかけられていたもののようですね。
社の中にも由緒書きがありました。前回レポの「万正寺」の住職が寄贈したもののようです。この地は万正寺の開基道益師の住持した「寂照坊」の跡で墓所でもある、と書かれています。
「探題将軍」の額も奉納されていて…。
内部の祭殿の扉には、源氏・足利氏の家紋が!
「探題塚」の社の隣にも、社があって…。
中には、石祠がありました。
脇には石仏が…。
あら?こちらの仏様は、痛々しい感じで…(笑)。
反対側にも石仏がありました。
辺りは、大木に覆われていて、神秘的な雰囲気でした。
「探題塚」「埴安神社」と刻まれた石碑もあって…。
「探題塚」のすぐ隣には、石段と鳥居があるんですよね。
鳥居に近づいて…。扁額には「埴安神社」とあります。
鳥居をくぐって進んでみましたが、社殿らしきは何もなくて…。荒廃してしまったようでした…(^^;
「探題塚」を見学・お参りした後は、旧唐津街道姪浜宿に戻り、少し散策してから、帰路に着きました。
これで、姪浜散策レポは終了となります。このシリーズも1年越しとなってしまいまして…。お付き合い、ありがとうございました(^^)
探題塚・埴安神社
福岡市西区姪の浜2-15-49
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