~参考~
【 ヨブ物語 】(旧約聖書の中の教訓書)
最大の苦難を抱える
ホームレスの方々の心の中に
本物の神が宿り、
あらゆる人間の善意を試されている。
~参考~
〔日本のホームレス、2003年調査開始~初めて5千人下回る
2017-5-19
コンビニに訪れるホームレスの深刻な実態 〕
(2019年3月12日 citrus)
~参考~
〔 「資本主義の崩壊と民主主義の終焉」
⇒時代が逆行し「後ろ向き」の人が「前向き」になる新時代へ〕
本来、以下のようにあるべきでは?
~参考~
[市民の生活を支える国づくりの基礎としての基本的人権:
世界人権宣言と日本国憲法から考える。]
「(科学技術偏重の)物質文明」の破綻
弱肉強食社会(価値絶対主義)
⇒社会的包摂社会(価値相対主義)
への転換期
【夢ナビTALK】
〔「すべての人が生きやすい社会」をどうやってつくる?〕
~蟻塚昌克氏
(「立正大学」社会福祉学部・社会福祉学科 教授)
(2016年8月10日)
【夢ナビTALK】
〔すべての人のための社会をめざす社会福祉〕
~蟻塚昌克氏
(「立正大学」社会福祉学部・社会福祉学科 教授)
(2016年10月6日)
~参考~
~参考~
〔個々の思想的ポリシーが完全欠落した『日和見主義』的日本民族に内在した悪魔の本質〕
~大衆迎合(ポピュリズム)社会の恐ろしさ~
個々の思想的ポリシーが完全欠落した
『日和見主義』的日本民族に内在した悪魔の本質
(陽)調和&全体主義⇔(陰)迫害&差別&いじめ
⇒(多数派に対峙して)少数派にとって不条理社会の温床
「絶対的正義」⇔「相対的正義」
⇒(科学的、択一的思考[=絶対的]と対峙して)
世相的「価値観」[=相対的]というのは、
極めて移ろいやすい性質のもので、
「絶対的正義」を前提とした価値観
など存在しようもないことは明らか。
それにもかかわらず、
「絶対的正義」を前提にした価値観を
一方的に押し付ける行為は、
「迫害主義」を前提にした暴力行為に他ならない。
とりわけ、圧倒的多数派を前提とした少数派弾圧の
「大衆迎合(ポピュリズム)社会」(全体主義社会)も
悪魔思考の側面も兼ね備えていると言える。
これらの最大の要因は
個々の思想的ポリシーが
ほとんど確立されていない(ほぼ完全に欠落している)
ことに起因することは言うまでもない。
更に、究極的には「法治国家」における特に裁判官にしても、
特に時の権力or大衆迎合の「全体主義的」法の運用によっては、
悪魔に加担している側面も否定できないのである。
(アルベール・カミュ原作/ルキノ・ヴィスコンティ監督)
https://www.youtube.com/watch?v=Jc3oQ20ZoOA&t=34s
~参考~
〔「自分で考えることを放棄した人間は もはや人間ではない」 (ハンナ・アーレント)〕
<(いじめ&差別問題含む)
「思考したところで、
行動する力を与えられるわけでもない。」
(マルティン・ハイデッガー)
しかし、
「自分独自の思考を止めた時点で、
人は人でなくなる。」
(ハンナ・アーレント)
(⇒「全体主義」の歴史の渦に
心身ともに容易に巻きこまれる。
但し、「全体主義」が常に悪側とは限らない。
特に、「理性」が著しく退化し、
「感情」に支配されたものは、
野生動物の「動物的本能」と同趣旨で、
もはや人ではなく、野獣そのものである。
[⇒「民主主義」(多数決原理)の理念(実質)
と乖離する集団論理の恐ろしさ])
価値「相対(多元化)主義」/「開放的」
(異種「受容型」) *少数派との摩擦&軋轢リスク:× *多数派との摩擦&軋轢リスク:〇 ⇒本物の「調和&友好&共存」ベクトル ⇒各自の「自由意思」に基づく ⇔
価値「絶対(一元化)主義」/「閉鎖的」
(異種「排他型」) *少数派との摩擦&軋轢リスク:〇 *多数派との摩擦&軋轢リスク:× ⇒偽物の「調和&友好&共存」ベクトル ⇒各自の「自由意思」に基づかない (「意思」を暗黙的に強制される 事実上の多数派支配の 社会的&慣習的圧力下にある) 逆に言えば、 「自分独自の思考」を停止する方が 多数派を占めた時点で 「新たな全体主義」の萌芽が 生まれてしまうのである。 (⇒特に、没個性的な特別公務関係者[特に軍隊]に 全体主義の萌芽が生じやすい所以。) ~参考~
「自分でものを考えることを放棄した人間は
もはや人間ではない」
「"復讐"の果てにあるものは、
双方が滅亡するまでの "報復の連鎖"以外のなにものでもない。」 ⇒そこには、最低限(相手を)「赦す」という
人道的&倫理的&宗教的内心的規範の存在 も大きい。 「赦す」という行為は、終局的には、 神(「天地の摂理」)が人類に与えた 「共倒れによる滅亡を防ぐための 最後の歯止め」でもあるわけで。 神(「天地の摂理」)は、何時どこでも、 個々人の人間性を試されている。 復讐(動機)そのものを生じさせた
「偶発的・悲劇的事象」が、 神(「天地の摂理」)が与えた"試練"と 捉えるならば、復讐そのものも、終局的には、 神(「天地の摂理」)による超法規的・制裁に 全面的に委ね、 自然の成り行きを鳥瞰的に静観する姿勢も 極めて重要である。 ~参考~
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