<(いじめ&差別問題含む)

 全体主義(集団主義)下における
      人間(集団)悪の根源>
 
「思考したところで、
行動する力を与えられるわけでもない。」
(マルティン・ハイデッガー)
しかし、
「自分独自の思考を止めた時点で、
人は人でなくなる。」
(ハンナ・アーレント)
(⇒「全体主義」の歴史の渦に
    心身ともに容易に巻きこまれる。
但し、「全体主義」が常に悪側とは限らない。
特に、「理性」が著しく退化し、
「感情」に支配されたものは、
野生動物の「動物的本能」と同趣旨で、
もはや人ではなく、野獣そのものである。
[⇒「民主主義」(多数決原理)の理念(実質)
と乖離する集団論理の恐ろしさ])
 
価値「相対(多元化)主義」/「開放的」
   (異種「受容型」)
*少数派との摩擦&軋轢リスク:×
*多数派との摩擦&軋轢リスク:〇
⇒本物の「調和&友好&共存」ベクトル
⇒各自の「自由意思」に基づく
    
          価値「絶対(一元化)主義」/「閉鎖的」
              (異種「排他型」)
           *少数派との摩擦&軋轢リスク:〇
           *多数派との摩擦&軋轢リスク:×
          ⇒偽物の「調和&友好&共存」ベクトル
         ⇒各自の「自由意思」に基づかない
          (「意思」を暗黙的に強制される
           事実上の多数派支配の
            社会的&慣習的圧力下にある)
  
   
逆に言えば、
「自分独自の思考」を停止する方が
多数派を占めた時点で
「新たな全体主義」の萌芽が
生まれてしまうのである。
(⇒特に、没個性的な特別公務関係者[特に軍隊]に
全体主義の萌芽が生じやすい所以。)
 
参考
 
自分でものを考えることを放棄した人間は
もはや人間ではない
 
「"復讐"の果てにあるものは、
双方が滅亡するまでの
"報復の連鎖"以外のなにものでもない。」
⇒そこには、最低限(相手を)「赦す」という
人道的&倫理的&宗教的内心的規範の存在
も大きい。
「赦す」という行為は、終局的には、
神(「天地の摂理」)が人類に与えた
「共倒れによる滅亡を防ぐための
最後の歯止め」でもあるわけで。
神(「天地の摂理」)は、何時どこでも、
個々人の人間性を試されている。
復讐(動機)そのものを生じさせた
「偶発的・悲劇的事象」が、
神(「天地の摂理」)が与えた"試練"と
捉えるならば、復讐そのものも、終局的には、
神(「天地の摂理」)による超法規的・制裁に
全面的に委ね、
自然の成り行きを鳥瞰的に静観する姿勢も
極めて重要である。

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マルティン・ハイデッガー(1889年9月26日 - 1976年5月26日)は、
ドイツの哲学者。
ハイデガーとも表記される。
フライブルク大学入学当初は
キリスト教神学を研究し、
フランツ・ブレンターノや現象学のフッサールの他、ライプニッツ、カント、
そしてヘーゲルなどのドイツ観念論や
キェルケゴールやニーチェらの実存主義
に強い影響を受け、
アリストテレスやヘラクレイトスなどの古代ギリシア哲学の解釈などを通じて
独自の存在論哲学を展開した。
1927年の主著『存在と時間』で
存在論的解釈学により伝統的な形而上学の解体を試み、
「存在の問い」を
新しく打ち立てる事にその努力が向けられた。
他、ヘルダーリンやトラークルの詩についての研究でも知られる。
20世紀大陸哲学の潮流における最も重要な哲学者の一人とされる。
その多岐に渡る成果は、
ヨーロッパだけでなく、
日本やラテンアメリカなど広範囲にわたって影響力を及ぼした。
また1930年代にナチスへ加担したこともたびたび論争を起こしている。
 
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アドルフ・オットー・アイヒマン(1906年3月19日 - 1962年6月1日)は、
ドイツの親衛隊(SS)の隊員。
最終階級は親衛隊中佐。
ドイツのナチス政権による「ユダヤ人問題の最終的解決」(ホロコースト)に関与し、
数百万の人々を強制収容所へ移送するにあたって指揮的役割を担った。
戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、
1960年にイスラエル諜報特務庁(モサド)によってイスラエルに連行された。
1961年4月より人道に対する罪や戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、
同年12月に有罪・死刑判決が下された結果、
翌年5月に絞首刑に処された。
 
 
〔アイヒマン裁判〕
アイヒマンの裁判は1961年4月11日にイスラエルのエルサレムで始まった。
「人道に対する罪」、「ユダヤ人に対する犯罪」
および「違法組織に所属していた犯罪」
などの15の犯罪で起訴され、
その裁判は国際的センセーションと同様に巨大な国際的な論争も引き起こした。
275時間にわたって予備尋問を行われた。
裁判の中でヒトラーの『我が闘争』は読んだことはないと述べている。

証言にしばしば伴ったドイツ政府による残虐行為の記述は
ホロコーストの現実および、当時ドイツを率いていたナチスの支配の
弊害を直視することを全世界に強いた。
一方で、自分の不利な証言を聞いている人物が小役人的な凡人であったことが、
ふてぶてしい大悪人であると予想していた視聴者を戸惑わせた。
裁判を通じてアイヒマンはドイツ政府によるユダヤ人迫害について
「大変遺憾に思う」と述べたものの、
自身の行為については「命令に従っただけ」だと主張した。

この公判時にアイヒマンは

「一人の死は悲劇だが、
集団の死は統計上の数字に過ぎない」
という言葉を残した。
アイヒマンは死刑の判決を下されてもなお自らを無罪と抗議しており
その模様は記録映像にも残されている。
 
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ハンナ・アーレント(1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、
ドイツ出身の哲学者、思想家である。
ユダヤ人であり、ナチズムが台頭したドイツから、アメリカ合衆国に亡命した。
主に政治哲学の分野で活躍し、全体主義を生みだす大衆社会の分析で知られる。
小惑星100027「Hannaharendt」は彼女に敬意を表して命名された。
 

 

 
 
 
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(シネマラウンジ 2013年11月29日)
アイヒマン裁判のレポートを通じて、
共にある、という喜びを
分かち合う友人を失うことすら恐れずに、
自らの思考の働きに忠実であろうとした
アーレントに、
危機の時代に
必要な人間の営みとはなにか
を、現代のわたしたちは問い返されているのだ。
 
(BLOGOS  2014年1月6日)
ハンナはこの論文を書いたことですさまじいバッシングを受けます。
人々は受け入れ難かったのです。
しかし、全体主義がなぜ起きるのか、
そのことを指摘しようとしたハンナの真摯さは、
この映画の中で一番光っていることです。
思考する哲学者ハンナの真摯さと、
思考停止をしてはならない、
人間は考え続けるべきだという姿勢は、
この映画の中で私たちをほんとうに励ましてくれます。
全体主義は、
人々が思考しなくなることによって起きる、
そのことを今日本でこそ
いちばん受け止めるべきではないでしょうか。
*
客観的に見て
ハンナ・アーレントの指摘は正しいのだ、そう思います。
私たちは
実はいろんなところで思考停止になってしまっているし、
思考停止になってしまうかもしれない、
人は実は何も考えずに
そして様々なことに加担してしまうかもしれない、
その危険性を彼女はとても言っている、そう思います。
 

〔映画『ハンナ・アーレント』に見る

~感情の回復と問題の本質的解決をいかに両立するか 〕

(videonewscom 2014年1月11日)

 

 

映画『ハンナ・アーレント』が、
この手の真面目な映画にしては異例ともいうべき
連日大入りの大人気ぶりだ。
この映画で描かれているハンナ・アーレントによる
ユダヤ人批判に対するバッシングの嵐にも、そんな側面が見て取れる。
この映画は、
600万人とも言われるユダヤ人を強制収容所に送った際の
輸送責任者だったルドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴した
ユダヤ人哲学者アーレントが、
雑誌『ニューヨーカー』に寄稿した記事が原作。
アイヒマンを
「凡庸の悪」に過ぎなかったと評価する一方で、
ナチスに協力したユダヤ人指導者たちにも
責任の一端があったと指摘したことで、
アーレントはユダヤ人社会から裏切り者扱いされ、
激しい批判に晒された様子が描かれている。
映画では
そうした迫害にも負けずに自説を曲げない
アーレントの逞しさが強調されているが、
率先してナチスに協力したユダヤ人が実際に大勢いたことは、
強制収容所での生活の実態を綴った
ビクトール・フランクルの「夜と霧」にも克明に描かれている。
自らの民族の迫害に手を貸してしまうことを可能にするほどの
人間性の崩壊がなぜ起きるのか
を問い続けたアーレントの指摘には重い意味があるだろう。
しかし、
少なくとも当時のユダヤ人コミュニティは
これを受け入れることができなかった。
アーレントのナチスに協力したユダヤ人指導者たちに対する批判は、
あまりにも酷い目にあった被害者を鞭打つ行為として激しく断罪された。
アーレントは
大学から辞職を求められた上に、多くの友人も失ったという。
確かに、
民族性だけを理由に強制収容所に入れられ、
600万人もの同胞を虐殺されたユダヤ人にとって、
その移送の責任者だったアイヒマンこそが究極の悪であり、
それを「凡庸」と表現した上に、
返す刀でユダヤ人のナチス協力者を断罪するような主張が、
ホロコーストからそれほど年月が経っていない
1960年代前半の時点で
ユダヤ人社会にとって到底受け入れ難いものだったことは理解できる。
しかし、
アーレントの主張は
決して究極の被害者であるユダヤ人に鞭打つことではなかった。
自身が収容所を経験しているアーレントは、
「起こってはならないことが起こってしまった」ことを前提に、
「なぜ人間に
あのような行為が可能であったのか」
「それを繰り返さないためにどうすればいいか」
を深く思索する中での彼女なりの問題提起だった。
靖国問題にしてもしかり。
大震災報道にしてもしかり。
あるいは
日常的に起きる事故や事件でもしかり。
何か問題が起きた時、
仮に被害者や犠牲者の側に
一定の非があったとしても、
彼らの心情を考えると、
それを批判する行為は当事者のみならず、
社会一般が
これを受け入れるのが難しい場合は多い。
その結果、
問題の真の原因が十分に検証されないまま
終わってしまったり、
本来批判される筋合いの無い人が
意味不明のバッシングを受けてしまうような
場合も少なくない。
人間である以上感情の回復は必要だ。
しかし、それを優先するあまり、
長い時間が経ってしまえば、
問題は風化し、
再発を防ぐための正当な手立てが
取りにくくなるのも事実だ。
われわれは
感情の回復問題をどう克服すればいいのか
どうすれば感情の回復を図った上で、
問題の再発を防ぐ手立てをとることができるのか
 
参考
 
たった一人であっても、孤独に打ち勝ち、
人間らしさを失ってはならない
 

スベトラーナ・アレクシエービッチ氏

ベラルーシのノーベル文学賞作家&ジャーナリスト

 

参考

 

 

【 逆説の十か条  】

 

 

(ケント・M・キースand マザーテレサ)