誤った「背伸び」とあまりに大きすぎる代償
~参考~
〔「手段」と「目的」混同はやめよう。手段の目的化を防ぐには。〕
(2014年10月26日 TET)
(2019年2月12日 FNN)
マクロ的視点から考察すれば、
本来であれば、
科学技術や経済の究極的目的は
「人類の繁栄と幸福」であって、
特に20世紀以降、ある意味において、
人類はその「目的(目標)」の達成化に
「手段(努力)」が大きく貢献してきたと
言えるのかもしれない。
ただ、それに伴う代償があまりにも大きすぎた。
「戦争」「公害」(「自然破壊」含む)
そして、特に企業や教育現場の過度な「目標」設定と
(そこから派生する)
「手段」と「目的」との混同(異常な「手段」の「目的」化)
新自由主義の到来によって、
正常な範疇での「競争原理」が歪曲化&過度化し、
「弱肉強食」的側面がより露骨になり、
伝統的な地方経済(特に中小企業の商店街等)は廃れ、
戦前のよりよき「地域相互扶助社会」「大家族制度」の崩壊、
更には、今日、その先に到来した
「核家族」(精神的絆の「最小単位」)すらも崩壊し、
歪な形での「個人主義」が顕在化。
年々急増する「虐待」「DV」問題。
企業や教育現場でも、相互扶助の精神は崩壊し、
相次ぐ「過労死」「いじめ」「自殺」等々。
更には、老若男女(&肉体的・経済的弱者)問わず、
個人同士が、互いに疑心暗鬼になり、
些細な事でいがみ合う、
あまりにも醜い社会構造に変貌。
(憲法上の本来の人権理念とはあまりにも乖離した社会)
その成れの果てとして、
「孤独死」1000万人超時代が目前に迫っている状況。
歴史的に常識的観点から分析してみても、
個人レベルに限らず社会全体が国家目標を見誤りor見失い
誤った過度な「目標」設定と(そこから派生する)
「手段」と「目的」との混同(異常な「手段」の「目的」化)
による国家間の小競り合い(⇔国際協調主義)。
もしかすると、「自然」の神そのものが、
これ以上の人類の繁栄に対し、
最後の警告を発している段階と言えるのかもしれない。
~参考~
天才物理学者アインシュタインの語る
~参考~
〔 「資本主義の崩壊と民主主義の終焉」
⇒時代が逆行し「後ろ向き」の人が「前向き」になる新時代へ〕
本来、以下のようにあるべきでは?
~参考~
[市民の生活を支える国づくりの基礎としての基本的人権:
世界人権宣言と日本国憲法から考える。]
「(科学技術偏重の)物質文明」の破綻
弱肉強食社会(価値絶対主義)
⇒社会的包摂社会(価値相対主義)
への転換期
【夢ナビTALK】
〔「すべての人が生きやすい社会」をどうやってつくる?〕
~蟻塚昌克氏
(「立正大学」社会福祉学部・社会福祉学科 教授)
(2016年8月10日)
【夢ナビTALK】
〔すべての人のための社会をめざす社会福祉〕
~蟻塚昌克氏
(「立正大学」社会福祉学部・社会福祉学科 教授)
(2016年10月6日)
~参考~
~参考~
〔「自分で考えることを放棄した人間は もはや人間ではない」 (ハンナ・アーレント)〕
<(いじめ&差別問題含む)
「思考したところで、
行動する力を与えられるわけでもない。」
(マルティン・ハイデッガー)
しかし、
「自分独自の思考を止めた時点で、
人は人でなくなる。」
(ハンナ・アーレント)
(⇒「全体主義」の歴史の渦に
心身ともに容易に巻きこまれる。
但し、「全体主義」が常に悪側とは限らない。
特に、「理性」が著しく退化し、
「感情」に支配されたものは、
野生動物の「動物的本能」と同趣旨で、
もはや人ではなく、野獣そのものである。
[⇒「民主主義」(多数決原理)の理念(実質)
と乖離する集団論理の恐ろしさ])
価値「相対(多元化)主義」/「開放的」
(異種「受容型」) *少数派との摩擦&軋轢リスク:× *多数派との摩擦&軋轢リスク:〇 ⇒本物の「調和&友好&共存」ベクトル ⇒各自の「自由意思」に基づく ⇔
価値「絶対(一元化)主義」/「閉鎖的」
(異種「排他型」) *少数派との摩擦&軋轢リスク:〇 *多数派との摩擦&軋轢リスク:× ⇒偽物の「調和&友好&共存」ベクトル ⇒各自の「自由意思」に基づかない (「意思」を暗黙的に強制される 事実上の多数派支配の 社会的&慣習的圧力下にある) 逆に言えば、 「自分独自の思考」を停止する方が 多数派を占めた時点で 「新たな全体主義」の萌芽が 生まれてしまうのである。 (⇒特に、没個性的な特別公務関係者[特に軍隊]に 全体主義の萌芽が生じやすい所以。) |
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