~代理「受難」~

「隠れキリシタン殉教者」に続き、

「原爆被爆者」「水俣病被害者」・・・

愚かな日本民族全員の業を一身に背負い

隠れキリシタン布教地周辺で生じた

二大悲劇(「原爆」&「水俣病」)は

決して偶発的事象ではなく、

イエスが呪われた日本民族に対する

(民族滅亡を目前として)

最後の警告としての

不可逆的&必然的連鎖事象である。

いじめ犠牲&自殺者、冤罪被害者、
(福島第一原発事故を含む)東日本大震災の被災者等もしかり。

 

 

 

 

 

 

受難(Passion)とは神学用語で、

イエス・キリストの裁判と処刑における

精神的および肉体的な苦痛のための言葉である。

キリストの磔刑は

キリスト教の信条にとっての主要な出来事のひとつである。
語源は

ラテン語のpassus(pati, 苦しむ patior- から生じた)であり、

2世紀に現れた。この「受難 Passion」という言葉は

イエスの成業と苦しみ(逮捕後の裁判や処刑)の全体

を表す言葉として適用されている。

これに対して「イエスの苦悶 Agony」という言葉は、

彼が逮捕される直前の

ゲッセマネの園での祈りにおける

彼の精神的な苦悶に限定して適用される。

4つの福音書のうちこれらの出来事を記述した部分は

「受難物語」として知られる。

外典であるペトロによる福音書も

正典ではないがまた受難物語である。

 
/カクレキリシタンが未だカトリックに復帰しない理由〕

    ~影に生きる~

宗教的迫害と原爆の歴史的荒波を乗り越え

キリスト教でもない、仏教でもない、

長年の苦難と歪んだ因襲の中で、

新たな独立宗教として進化した見方も。

典型的なのが

(キリスト教弾圧に対するカモフラージュ的側面を

はるかに超越した)

「マリア観音像」

(聖母マリア[キリスト教]と観世音菩薩[仏教]の完全融合形態)

 

 

 

 

 

 

 

 

~(安易な)「現世利益」を求めるか(過酷な)「菩薩道」を貫くか〕

《(「文明開化」の名のもと)

「唯物」思想に毒された国家の成れの果て》

 

『灰は灰に、塵は塵に』創世記、第3章19節)

 

【「知の巨人たち」第6回】
〔日本人は何をめざしてきたのか〕

 

〔水俣病"真の救済"はあるのか~石牟礼道子が語る~〕