先日インディアンフレンドシッププロジェクト義援金を石巻市震災奨学金として寄付してきました
10月8日、宮城県石巻市役所を訪問しまして、石巻教育委員会の境・教育委員長に、6月~ここまでの<インディアン・フレンドシップ・プロジェクト>の義援金を受け渡してきました。
今回も前回同様、震災によって両親を失った児童への震災奨学金<石巻市奨学資金基金>として、子供たちのために役立てていただけたらと思います・・・・
ちなみに、前回6月のブログ・・・
2013-06-16 22:19:45 インディアンフレンドシッププロジェクトとセレモニアル義援金を宮城県石巻の3箇所に受け渡しました
http://ameblo.jp/indianfriendshipproject/entry-11553850031.html
今回は、アメリカのインディアンアーティストや、トレーディングポストのオーナーたちからチャリティーにしてくれと預かってきたチャリティージュエリーを茨城のワイルドウエストで販売した分と、リトルクラウドのチャリティーTシャツ売上げ分の20万円。
それと滋賀県ローグスの<LFC(ロウリー・ファミリー・コレクション)>にて販売した、アメリカ・ニューメキシコ州<ターコイズ・ミュージアム>オーナーのジョー・ダン・ロウリーからのチャリティーターコイズ売上分の40万円。
このチャリティーの主旨に賛同し、買っていただいたお客様のみなさまの熱い思いと祈りとともに届けてきました。
このチャリティージュエリー&ターコイズの売上金は100%全額が義援金となります。インディアンジュエラーもジョー・ダンも、販売店のぼくらも一切受け取っておりません。
ご賛同いただいたお客様のみなさま、どうもありがとうございます!
ちなみに・・・・ジョー・ダンのチャリティーターコイズについてはこちら・・・・
2011-11-20 14:25:48 陸前高田の海岸線でジョー・ダン・ロウリーが・・・・
http://ameblo.jp/indianfriendshipproject/entry-11084047360.html
で、その半年後・・・・
2012-06-03 13:56:34 ターコイズミュージアムのジョー・ダン・ロウリーが、陸前高田の海岸で拾った貝殻をインレイしました!
http://ameblo.jp/indianfriendshipproject/entry-11267874047.html
震災から2年半が経過して、もうすぐ3年になろうとしてますが、チャリティーTシャツも含め、本当にたくさんの方々の賛同と協力があって、こうして被災地とつなげていくことが出来ています。そのみなさまひとりひとりの存在と祈りに感謝します・・・・
前回の6月10日は114、568円、今回は60万円と、教育委員会の方々はこんな短期間でこんなにも・・・・と言っていただき感謝してくれていました。
震災から時間も経って、なかなか支援の話がない中で、こういう申し出は本当に嬉しいと言ってもらえまして・・・・
とは言っても、被災した子供たちが18歳になるまでには、今後もまだまだ支援は必要ですので、是非、余裕のある企業や団体・・・・もちろん個人でもオッケーですので、みなさまどうか頭の片隅にでも・・・・
この石巻の<震災奨学金>は今回の震災での被害が甚大だった、宮城県石巻市で、両親を失った児童たちが18歳になるまでの奨学金(それも返済義務の無い)としての募金です。
教育委員会や学校とか・・・・役人や大人が流用できない、純粋にその名目だけで使われるための募金ということで、間接的にですが子どもたちに直接渡る募金だとぼくは考えます。
震災直後の赤○字などにいち早く募金して、その後の報道でがっかりと失望された方も多かったと思います。ぼくもそうでした・・・・、被災して困ってる誰かのために募金したそのお金が、その団体でプールされ、その運営のために使われて、本当に必要な人に行き渡らない。
本当に必要かどうかわからない誰も使ってない集会所や広場を作ったり、お金だけでなく、モノも・・・・その自治体の人数に足りないから不公平になると、仮置き場に山積されていく食料や衣服・・・・そうなるくらいなら、もう募金はいいや・・・・って方の意見もわかる。
ただ、前回ちゃんとヒザを突き合わせて教育長さんと話をさせてもらって、この募金のことを理解できるように説明してもらったし、ぼくはこの募金は本当に必要なひと・・・・子どもたちにちゃんと渡るであろうと信じています。
もちろん被災地は石巻だけではないですし、これからもぼくはぼくの仕事も全うしながら、気長に支援していくことが大切だと思っています。
今回、石巻日日新聞の記者さんも来ていただいてまして、いろいろお話させていただきました。それと、今回もぼくらをつないでくれた<石巻スコッパーズ>の瀬戸さん・・・・
みんなで石巻市役所前にて・・・・
門脇ハウス
石巻市門脇町にある『門脇ハウス』では、学生や社会人のボランティア、企業研修の宿泊受け入れを行っております。
『ボランティア活動をしたい!』、『石巻の現状を知りたい!』という方々、是非活用下さい。
また、①津波体験の語り部、②石巻市内の町歩きガイドも可能です。各45分~1時間位です。
定員は、1日限定20名までとなります。
お風呂、トイレ、は可能です。駐車スペース確保できます。
老若男女、皆様ご気軽に活用下さい。
興味がある方は、一度お問合せいただけると嬉しいです。
【NPO法人エンジョイントラボ】によるコラボ企画、運営補助
〒986-0834 宮城県石巻市門脇町1-9-17
連絡先:090-5847-7799 0225-94-2176 (FAX兼)
rxkxr860アットyahoo.co.jp(アットを@に直してください)
オーナー千葉孔三
http://kadonowakihouse.blogspot.jp/
あ・・・前回の代官山チームで来た時の写真を発見!
この一帯はほとんど流されてしまって、ほとんど取り壊されてるので、数件と病院くらいしかありませんが、千葉さんのお話や、現在の石巻を肌で感じるにはいい場所だと思います。
この日はぼくらしかいなかったので、大広間を使わせていただきました。
宿泊1500円、プラス600円で朝食とコーヒー付き・・・・
この日はさんまの蒲焼&カニ丼・・・・前回は海鮮丼でしたし、ホント朝からテンション上がります。千葉さん夫妻どうもありがとうございます!
そして、前夜に瀬戸さんと女川の保育園で待ち合わせしたので、一路、女川へ・・・・
待ち合わせまで時間もあったので、ちょっと小さな沿岸部の方にも足を伸ばしてみました・・・・
女川病院前の中心部・・・・忙しくダンプが走り回ってます・・・・
で、東京からボランティアに来てた腹話術の方々と合流することに・・・・
彼女はイギリスから来てました。最初は英語に戸惑ってた子供たちも、いつの間にか夢中になってて、たくさんの笑い声が体育館に響き渡ってました・・・・
震災後、避難所などを回ってる時にスコップ三味線の瀬戸さん達と出会い、その後も定期的に仮設住宅や老人ホーム、保育園などを回ってるそうです。
いろんな形のボランティアというか、支援の形があるんだな~と・・・・
店内では津波のときの映像や語り部もあり、この日は工場見学で高校生がバスで来てて、大賑わいでした・・・・
なんか今週は変な天気で夏みたいな陽気でしたね・・・・
2年前にガレキ片付けにきた石巻の渡波地区・・・・
ガレキの集積所になってた中学校もすっかり取り壊されて更地に・・・・
・・・・で、ちょっと足を伸ばして日本三景の松島へも行ってみました。
五大堂・・・
飯食ったりお土産買ったりと・・・・たまには観光も(笑)
台風で波も高かったので船に乗れなかったのが残念・・・・次回は!
・・・・と、そんな感じで仙台~福島・郡山と、ちょっと仕事も絡めて泊まって、昨夜東京に・・・・
今回の旅も、現地で頑張ってる方からいろいろ話を聞かせていただいたりして、とても考えさせられました・・・・
そして、みなさん言われるのですが、「是非遊びにでも見物でもいいから東北に来てくれ」・・・・と。
ぼくはぼくのフィールドで頑張って仕事して、今後も変わらずに気長に支援をしていきたいと思います。
リトルクラウド 新島功
インディアンフレンドシッププロジェクトとセレモニアル義援金を宮城県石巻の3箇所に受け渡しました
先日のブログでも書きました通り、6月9~10日と宮城県石巻市に行ってきました。
今回ぼくたちは<インディアンフレンドシッププロジェクト>のチャリティーTシャツの義援金と、2011年8月にニューメキシコ州ギャラップ<インタートライバル・インディアン・セレモニアル>で、インディアンの仲間たちが祈りの輪の中で日本の被災者のためにと自主的に集まってきてくれて受け渡された彼らのこころのこもったドル札を被災地に直接届けるために行ってきました。
10日は石巻市役所内にある、石巻教育委員会を訪問しまして、
境教育長さんが月曜の午前中という忙しい合間を縫って対応してくれました。
石巻教育委員会の震災孤児奨学金として114,568円を受け渡しました。
震災当時の状況、そして震災孤児の事、学校教育の今の現状とこれから・・・・
ぼくみたいなバカでもわかるように丁寧に説明してくれました。
10万ちょっとの少ない寄付金でしたが、とても喜んでいただけました。
震災直後に行った時はガレキの山でしたが、道路やインフラの整備はだいぶ進んだ印象を受けたけど、子供たちの教育や学校についてはまだまだ課題も山積みで、予算も充分とはいえないみたいで、県外からのこういった申し出は震災直後は多かったけど、最近は少ないそうです。
ちなみに...、ぼくらのインディアンフレンドシップの義援金は、震災により父母を失った児童生徒40人への震災奨学金(としての使途として受け渡しました。こうして使途を限定して受け渡すことが出来るので、もし余裕のある方は是非・・・・
この奨学金は小学生毎月1万円、中学生2万円、高校生3万円を返済無しの奨学金として両親を失った児童に・・・と、石巻市独自の取り組みらしく、この震災で最大の被害にあった同市としては、いろいろな分野に予算は必要で、この先も大変なことは容易に想像できます。
ぼく自身、3歳から母子家庭だったので、市からのいろいろな減免や支援をうけてきたし、高校のときは育英会の奨学金を受け取っていて、成人になってから返しました・・・・たいした金額ではなかったのは覚えていますが、部活動のものを買ったりとか、学業意外で必要なちょっとしたお金で、母親には言いづらい・・・・ってところをサポートしてもらったことはなんとなく覚えていて・・・・両親ではなく親戚に預けられてる彼らも親戚も、少しながらの助けになるのでは・・・・と。
ぼくらのプロジェクトに賛同してくれて、チャリティーTシャツを買っていただいた方、ひとりひとりの1200円の積み重ねで、こうした機会を持つことが出来ました。協力してくれたみなさまに感謝します。
また、アメリカのセレモニアルにて集まったインディアンからのドル札578ドルも子供たちのためにつなぐことが出来ました・・・・
事前の手続きの段階で、ぼくらのプロジェクトは法人ではないので、代表者の名前等を聞かれていまして、すべてぼくの名義になってしまって申し訳ありません。これは<インディアンフレンドシッププロジェクト>の賛同者みなさまひとりひとりへの御礼のことばです・・・・
石巻市市長の亀山紘さんも、タイミングが合えばというお話しでしたが、時間が取れなかったとのことで直々のお礼状を受け取りました。
また、ぼくらみたいな一見ちゃんとしてないルックスにもかかわらず(笑)丁寧に応対してくれた職員の皆様、どうもありがとうございました!
そして、次は社会福祉法人・石巻祥心会さんを訪問しました。
ここでも理事長の宍戸さんはじめ、梶原理事、現場の管理者の鈴木さんと3人で応対してくれました。
石巻祥心会さまあてに100,000円を受け渡しました。
なぜこちらの福祉法人へ義援金を受け渡したかの経緯については・・・・
震災と直接関係無いように見えますが、彼らこそ光の当たらないというか子どもやお年寄りとは違った意味での社会的弱者でもあり・・・
この福祉法人では大人の方の知的障害者の就労や自立支援などをおこなっていまして、先の被災では直接被害にあわれた家庭も多く、直後は体育館などでの避難所生活を送られたそうです・・・そんな中で、パニックになってしまったり大声をあげたりして、まわりに迷惑をかけちゃうこともあったりで、その本人はもとよりそれを支える家族も肩身の狭い思いをされてて、仮設住宅に移る際もそういうことがあるので、この福祉法人ではそういった障害を持つ方で被災された家族用に仮設住宅を作られて、サポートされてるそうです。
確かにこういった内容はニュースにも出ないし、そういった方々がいたことも気がつきませんでした・・・・行政がやってる仮設ではないのでボランティアのひとも来ず、忘れられた存在となってしまってて・・・・ぼくらも今さらですが、ご挨拶させていただきました。
理事の方々ともいろいろ話しましたが、知的障害者の就労や自立支援というのは被災地だけの問題じゃなく、社会全体の問題で、それについてもぼく自身始めて向き合って、その方を支える家族も亡くなり、その方も高齢化し・・・と、これから先も問題は山積みのようです・・・・
こうしてみなさまと面談する機会を作ってもらったわけですが、被災地だけじゃなく、この日本全体の抱える問題にもたくさん直面したし、ぼくらじゃどうすることも出来ない事案ばっかだけど、それを見れたこと、知れたこと・・・・今はどうしていいかわからないけど、何かの機会につなげていけたらいいなと思いました。
そして、この2箇所に義援金受け渡しの機会をセッティングしてくれたのが、先の5月のゴールデンウイークの代官山復興マルシェでお手伝いした縁でつながった<石巻スコッパーズ>の瀬戸 公美子さん(真ん中)
左から・・・・代官山きずな音楽祭など主宰した代官山のふつう?の主婦の丸茂さん。スコッパーズの応援団長。次が、鈴木くん。スコップ三味線世界チャンピオン(笑)、瀬戸さん、ぼく、チーム代官山?の不動産関係の加藤さん。
石巻の駅前、市役所前の仮面ライダーV3と、石巻スコッパーズとリトルクラウドのぼくと井澤です。街中には石ノ森章太郎のオブジェがあちこちに・・・・
丸2日の石巻滞在でしたが、実際に被害に遭われた現地の瀬戸さんの案内で、たくさんの場所、たくさんのひとに会い、いろいろ感じることの多い有意義な機会を持つことが出来ました。
喜びと悲しみ、笑いと涙…それはいつも紙一重で、ふたつでひとつ。自然はいつも二面性を持ってて、ひともそう…
瀬戸さんはホントそんな方で、ぼくは大いに楽しみ笑い倒し、ときに涙し…
震災直後は市の臨時職員として雇われたくさんのご遺体と関わってきて、被災地のあちこち案内してくれた先々で語るそのことばには、多くの悲しみと現実を見てきた方にしかわからない、深い説得力がありました・・・・
また、お友達で渡波地区の仮設住宅で暮らす、元中華料理屋さんの鈴木さん宅を訪ねた時、突然の訪問にも関わらず、ぼくら全員分の焼そばやらサラダやら・・・・いろいろ用意してくれて、瀬戸さんとふたりでマシンガントークを繰り広げてくれて・・・・ぼくたちは普通は入ることの無い仮設住宅でメシまでご馳走になって、シャレにならないような深刻な話も当事者同士で笑いあってる光景に、ちょっと衝撃を受けました(笑)そんな中でもお互い随所で思いやりやひとへの気遣いも感じられ・・・素敵な人間関係も見せていただけたことにも感謝します。
そして自然を・・・海を・・・あの震災をうらんだり憎むことなく受け入れてるその姿は誇り高き東北の女の姿というものを見せていただいました・・・・
そして今でも<石巻スコッパーズ>として、各地の復興イベントや仮設住宅なども回られてて、震災の体験談も交えて、スコップ三味線で賑やかす・・・・という活動も行っていて、そちらの活動費の足しにしていただけたらと、
と、今回の<インディアンフレンドシッププロジェクト>義援金はこの3箇所に受け渡してきました。
ぼくらのプロジェクトに賛同してチャリティーTシャツを買ってくれたみなさまの思い、ちゃんと受け渡してきました!協力ありがとうございます!!!!
それでは東京からの様子を・・・・ぼくらは8日・土曜日夜の日付が変わる頃、東京を出発しました。ぼくの車が最近調子悪いので、日進レンタカーのプロモーションカーで1日3000円、2日目以降一日分タダということで、火曜日までの4日間で9000円でした。
4人でスイッチしながら東北道を北上・・・・石巻駅に7時集合だったので、途中メシ休憩や松島に寄ったりしながら行きました。
運転手は代官山駅前の不動産屋さん<ホワッツ・グローブ>の小貫さん・・・
7時に丸茂さんと合流して、沿岸部を見渡せる日和山公園へ・・・・
ぼくが震災後のガレキ処理のボランティアで何度も往復したガレキの集積所も、この2年で、もうすっかりと片付いていました。
2011年5月はまだこんな状況でした・・・・
時の早さを感じると共に、あの頃はひとびとがそこに生きてたんだな~という痕跡はあったけど、こうしてすっかり片付いてしまうと、ほんと何もかもが無くなってしまったんだな・・・・と、津波の脅威というものを実感します・・・・
日和山公園にはかつての写真などもポイントごとにあって、あの日この山に登って助かった何人もの方々が、この場所で、自分の住まいや地域が流されていくのを、どんな思いで見ていたのだろうと思うと、ほんとうにこころが痛みます・・・・そして神社があったので、参拝させていただきました。
そして、その後は徒歩で先ほど上から見たエリアを散策しました。
それと・・・・ぼくはみなさんに伝えたいので何枚か写真を撮って歩きましたが、そこも当時は誰かが生きていた場所で、人生の在った場所・・・・もし、不快に思われる方がいましたらブログから削除しますのでコメント下さい。
ウチのスタッフ井澤くんも、小貫さんも、加藤さんも、みんな一枚も撮る気にはなれなかったと言っていましたし、ぼく自身、プロジェクトの報告義務が無いのなら、正直、気の進まない行為でしたので・・・・
数少ない画像ですが、ポイントごとに撮ったものをアップします・・・・
ここは観光バスなども何台も停まって、たくさんの方々が手を合わせてました。
この地区は満潮時に浸水するため宅地としてではなく、事業用や公共施設として使われるそうです・・・・まだ、取り壊しの進んでない施設や家屋もあり、もしこの震災の痕跡の残る状況を見ておきたい方は、今のうちに訪れた方がいいかと思います・・・・
と、午前中はこうして日和山の麓を散策しました・・・・
2011年5月はこんな状況だったので、建物もだいぶ解体されたのがわかります・・・・
ここまでが2011年5月の画像です
この道も走ってみましたが、今は、ガソリンスタンドや大手スーパー、ファミレス、コンビニ、大手レンタル書店・・・・などなど、すっかり元通り?なのかは震災前を知らないのでわかりませんが、普通の地方の主要道路といった感じになっていました。画像は・・・スミマセン(笑)
スコッパーズの瀬戸さんと合流して、当時瀬戸さんが関わった施設をめぐりながら、体験談を聞きながら、駅前から1時間ほど走ってニュースでも取り上げられていた大川小学校へ・・・・
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130305/dst13030523560018-n1.htm
北上川の川べりの道で向かいました・・・・
そして小学校に着いて、みんなで慰霊碑に手を合わせました・・・・
学校の真横は小高い山の斜面だったのに、本当になぜ?と・・・・
たくさんの未来ある子どもたちのことを思うと無念でなりませんでした。
それぞれが色々な思いを抱え、無言の中、車を走らせました・・・
こんなに穏やかで青空で、自然にあふれてるのに・・・・
で、その後は女川町に・・・・
女川港を通り、えぐられた中州の道を上がっていったところに、震災前には何軒もあった旅館の方たちが、もちろん今は廃業しちゃってて、その中の数軒の方が共同で融資を受けて、こうしてスウェーデンからのモービルホームでホテルを開業していました。
もうこのエリアに居住することは出来ないのですが、事業使用は出来るそうです。この日も何組かの方が泊まっていました。
正直、トレーラーハウスはかわいいし、真ん中にレストランもあって、ちょっといい感じなのですが、周りを見回すとこの通り、復興工事の詰所や重機しかなく・・・・
ただ、流されてしまったふるさとに帰ってきたくても、どこにも泊まれない方々にとって、こういう施設があることで泊まることも出来るし、こころの拠り所になるんじゃないかと・・・・
もちろん自然もいっぱいなので、もうすこし重機が片付いてあるていど復興したら、多分まわりに電気もない分、星もきれいだろうし、いい雰囲気のホテルになりそうですね・・・・
そして再び港の方へ・・・・
港湾部は未だこんな感じで・・・・
その後、高台にある女川町立病院へ・・・・
16mの高台にあるこの病院の1階部分のこの高さまで津波が押し寄せました・・・
この日は日曜日で休みでしたが、震災後直ぐに立ち上がった女川災害FM・・・・
この高台にはこの他にカフェもあって、当時の震災の資料や本などいろいろ見ることができました。何組か若いカップルや老夫婦とかもいて、神妙な面持ちで海の方を眺めてたりして・・・・ここに来る方それぞれの思いでこの海を見ていました・・・・
ちょうどこの湾の先が今回の震源地・・・・
こんな穏やかな海なのに・・・・
そしてぼくらは石巻市街地に戻りました・・・・
市街地は日曜日ということでお店も休みのところが多く、ひっそりしていましたが、ところどころアートに溢れていて・・・・
こちらの壁画は友達の岩切ショウゴの・・・・
そして、今夜の宿である<門脇ハウス>へ・・・
ドーム状の建物が石ノ森漫画館・・・・
このエリアもさらに護岸工事をして高い防波堤を作るらしく、いずれ建物は立ち退くそうですが、まだ傷跡の残るこの時期に宿泊できて、実際に感じることができて良かったです。
ぼくらが宿泊した<門脇ハウス>
ホームページ・・・・http://kadonowakihouse.blogspot.jp/
石巻でも高速の方に行けばビジネスホテルとかもあるのですが、より身近に震災を感じられることが出来ました。
この門脇ハウスは家主が、2階まで浸水した建物を再建させて、ボランティア用に自宅を改装して開放した場所で、1泊1500円で、朝食は600円で海鮮丼が出ました。
・・・・と、今回の旅のレポートでした。
ぼくらを案内してくれた瀬戸さんが言ったことばで印象に残ってるのがあって・・・・
ぼくら代官山チームは、初めて被災地を目の当たりにしたメンバーもいて、正直、こんな風に野次馬的な感じで来てしまっていいものか・・・・と思ってると・・・
「どんな形であれ、被災地に来て、それぞれ何か感じてほしい・・・
子どもを持つ親もいれば、既婚者も独身者も、若者も年寄りもいろいろいるけど、
それぞれがこの被災地を見て、話を聞いて考えたり、思うことはあるだろう・・・・
そしてそのそれぞれが家に帰って家族や愛するひとと向き合うとき、何かを感じ、その大切さに気づくこと・・・・それだけでも意味のあることだ。」と・・・・
すべて流された被災地を見て、その話を聞いて・・・・ぼくは無性に家族や友人が恋しくなった。
愛する家族と友人たち。みんなが今ここに在ることが、そんなあたりまえのことが、ぼくの幸せ…いつもありがとう。こころの底からそう思えた・・・・
支援する側のぼくらが、何気ない日常の中にある幸せに気づかされた・・・・そんな旅でした。
ここで失われたたくさんのいのちと人生。今も苦しんでる残されたひとたち・・・・
そのすべての方に光が降り注ぐように、ぼくは祈ります。
そして、ぼくはぼくのフィールドで家族や友人たち、お店に来てくれるすべての方たちが今在ることに感謝しながら、己の仕事を全うしていきたいと思います。
今回、ぼくらの旅のきっかけを作ってくれた代官山の丸茂さん、石巻スコッパーズの瀬戸さんと鈴木くん。ほんとうにお世話になりました。ありがとうございます。
長くなりましたが、今回の旅の結果報告とさせていただきます。
リトルクラウド 新島功