七所神社 | 事代主のブログ

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神社の伝承と遺跡をめぐり、真実の古代史を編集するのが目的です。

この神社は祭神も由緒も判らないので、妄想になってしまうかもしれません。

 

日田から中津の耶馬渓青の洞門を抜けて宇佐に向かう途中に屋形原という地名の場所があります。

そこには「神橋」という石橋がかかり、目を見張るような神社が存在します。

七所神社

大分県中津市本耶馬渓町東屋形

祭神 不明

由緒 不明

感覚ですが、これだけの神社であるにもかかわらず、祭神 由緒共に不明というのは、非常に珍しいことのように感じます。

通常七所明神というと第十五代天皇、応神(おうじん)天皇の第二皇子(おうじ)のことをいい大山守命(おおやまのみこと)のお身体七ケ所をそれぞれ祀った神社というのが多いようです。

 

これにはこんな話があるそうです。

 

四世紀初頭、大山守命は次期天皇の座を辞退し、東路を目指して旅立ったという。このことを知った悪臣どもが、「大山守命は東国に下って軍勢を整え、都に攻め上るであろう」と言いふらしたため、天皇となった兄(仁徳(にんとく)天皇)の連臣(れんじん)(家臣団)から命を狙われるはめとなった。

東国を目指した大山守命は、転々と逃れたのち、最上川下流にある現在の庄内町で捕らえられ、連臣から斬られたという。

大山守命が今際(いまわ)の際(きわ)に残した言葉は

「わが身を七つに斬って、最上鮭延庄(さけのべのしょう)(新庄界隈)に祀れ!」ということであった。

 

 そしてその体は、七つではなく八つに斬られてしまったそうです。 その分けられた体は、七ヶ所に祀られたそうです。七つの塚はたちまち霊端を現わし、少女の姿で現われ、「私を神として祀りなさい。そうすれば人民を守り、諸々の願いを満たし、飢饉のない豊かな国にしますよ!」と告げた。お告げのごとく、人々は七ケ所に神社を建て、厚く尊びあがめました。これが現在の七所明神のおこりです。

 

見事な石段です。

桜門も立派です。

人間のような狛犬

これは立派な拝殿です。

 

神紋を見てみましょう。

五七の桐です!

 

更に本殿には

兎ですね!

 

普通で考えると桐と兎(宇佐)というと玉垂命(阿部氏)と宇佐氏を連想します。

まさか磐井ということは、ないでしょうね(;^_^A

しかしこの近くには、英彦山と宇佐に纏わる不思議な伝承が伝わっています。

     
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