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INDEADRUM

ぐずらもずら

自分の日記くらい

自分で書きたいこと書け

このバカものよ

というわけで、オブラートに包もうが包むまいが、巨大資本が手を変え品を変え名前まで変えて、過疎地にやってくる。

太陽光も風力も、巨大ビジネスに変わった瞬間、原子力村と同じ構図になっちまう。

なぜ、ここに?
もっともらしくたち振る舞うが、怪しい笑顔の裏に込められた、ほんとの想いは何処へ。

人を疑いたくなどない。

だけど、コロナを理由に外資に資本を売り飛ばす売国国家とベッタリの大企業の計画は、とうてい信じられるものではない。

金が地元におりりゃいーだろう、教育にすり替えりゃいーだろう、そんな魂胆見え隠れ。

中には一生懸命な人もいる。

自分がやってることが正しいと信じて疑わない人が。

そんな人がいるから、こちらも心が痛むんだ。

一部のグローバル資本家が国まで動かすようになったマネーゲーム。

それと同時に、温泉とアンビエントという可能性。

集まることすら険しい風潮のなかで、実験を繰り返すミュージックラバーと、また出会えたよ。

見てる景色は違うけど、合い通ずるものがある。

そこにこそ、これからのヒントがあるんだろう。

HEY boy&girl ためておけ。

10代、20代。テレビに興味がない、孤独感をもってる君たちはきっと間違っていない。

君たちの感性を解き放ってくれ。

40近いおんつぁんの感受性に響かせてほしい。

響き合っていこう。

ぜったい死んじゃいけない。

このまま終わるわけにはいかない。

地方の生き方。

考えていこう
毎日通っていた道の横で、家から出てきた小学生。でかすぎるランドセルを背負ってセッセコせっせこ学校に向かっていた。

はたまた。

国道沿いで幼稚園バスに乗り込んでいた幼子。
お母さんの手をしっかり握って先生のもとへとよちよち歩いていった。

いつしかその道も毎日通らなくなり、ふと、そのルートをたどったときに、14年前のあの光景がよみがえる。

5歳、8歳あたりだとしても、もはや成人手前か社会人か大学生。

なんで、そんな、なんでもない他愛もないできごとが、脳裏にしっかりと焼き付いているのか。

きっとそれは、単なる景色の一部に過ぎなかったのだけれど、自分が思ってる以上に、心に残しておきたいものだったんだろう。

そのときは分からないことが、何年も後に分かる事がある。

そんな彼や彼女らと、いつかどこかで巡りあうことなど、ほぼないだろう。

でも、頭のなかで生き続ける。

不思議なもんだ、世の中は。
2020年、最後に聞きたくなったのが、細野晴臣のハライソでした。

こりゃまたすげーな。