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INDEADRUM

ぐずらもずら

・ミックスはじめて3週刊。寝不足すぎて眠すぎる。迷っては失敗して調べての繰り返し。自分の耳を頼るほかない。pulltec eq優しい音で好き。7バンドは使いやすい。コンプ、フェアチャイルドは理解できてない、フォーカスライトはキラキラしてる。1176系は、パキッとした音に仕上がる…感じがする。


・おさななじみが頑張ってるのは知っていて、いつかと思っていたら、10年もたってしまった。が、今連絡とれることに意味を感じた。30年近く会ってないが、まさか音楽でつながってるとは思いもしなかった。話したいことがいっぱいある。素直に嬉しい。


・大好きな音楽人の訃報が続く。淋しいが受け継ぎ紡いでいくしかない。終わりの見えかた。

割合で、同じような気持ちを持って生きている人がいることを知り、そして、その人たちが、自分の好き人たちであることに、やっぱり、と、救われたような気持ちになる。

 

頭に浮かんだことは、その3分後には、消えてなくなる。そのとき書きたいことは、1分でも過ぎれば、違うことになる。

 

だから、ここに綴ることも、100%言いたいことや伝えたいことは書けないということだ。

 

何を犠牲にして、歌のように紡がれる言葉達は、自分の子ども達のように、後世まで語り継がれるのだろうか。

 

誰もみないノートに毎日日記を書き続けた日々から、人に見せてみようと始めたブログも、月1回更新すればよいほうになるほど、間があく。

 

だが、その「間」というものが、どうにも大切なことであるはずなのに、倍速で映画を見て、倍速で音楽を聴くという、世にも不可思議な現象が起きている。

 

でも、無理もない。世の中の一部のお偉い様方がマネーゲームに興じておられるので、いくら働いても給料が上がらないのに税金などで奪われるものばかりが増え、気づかないようにしたたかに奴隷のように扱われ疲れきっている浮世のなかで、誰が落ち着いてゆっくりと時間を使うことができるだろうか。

 

抵抗するのもバカらしい。疲れ果てて眠ってを繰り返す日々を、俺は馬鹿にはできない。そんな頑張り屋さんたちが愛おしい。

 

だからこそ、1000人に1人でもいーから、圧倒的少数のマイノリティの自分が、伝えていかなければいけないことがある。

 

でも1000人に1人が各地にいっぱいいて、そんな人たちがおんなじ気持ちでいてくれるから、まだまだやっていける。

 

言いたいことをストレートに伝えれば、ドロドロして誰も聞いてやくれないし、変人扱いされて、伝わるものも伝わらない。

 

人間社会で何かを変えようと、地域で、組織で、動けば動くほど、自分の気持ちと裏腹に、いろんな顔で接しなければいけないことになる。

 

「音楽をやっているときのおまえと、普段のヘラヘラ笑っているお前の、どっちがほんとなの?」といわれたことがある。

 

どっちも本当だろう。人に合わせて性格を変えられるほど器用な人間ではない、俺は。

 

ただ、その場その場で1秒単位で選択を迫られる場面において、いろんな顔を見せなければいけないことがあり、それが矛盾や葛藤やストレスというものに知らず知らずに姿を変え、自分が苦しむ原因にもなる。

 

その状態を解放するのが音楽であり、スノーボードであり、農作業であるのだ。ただ好きに表現して、汗を流して、踊って、喜んで楽しんで。誰からも抑圧されることなく、自分を解放できる術があったからこそ、なんとか生きてこられただけだ。

 

だから、どれも本当の自分の顔であり、隠すつもりもないし、さらけだしているだけ。

 

どこで何を言っても監視され、テレビは相変わらず嘘ばかり。石垣島の自衛隊基地のことや辺野古の話し、ウーマンラッシュアワーの村本がなぜいなくなったのか、そのほかにも山積みの問題を隠して、憲法を無視して、戦争できる国になっていく日本を、齢80オーバーの、おじぃやおばぁはどう見ているのか。

 

90歳越えのおじぃが言っていたよ。「もはや第3次世界大戦だ」と。

 

いつ死んでもおかしくない世の中で、愛を持って尊しと成せ。

 

40歳になったら、幾分、死というものがリアルに感じられるようになった。そして、その分、生の力も今までより感じることになる。

 

まだまだこれから。道半ば。ぶっ倒れる前に飛べ。

ほんとうに、全然、まったく、おもってもみなかった方向からのオファーやお誘い。


昨年末、ドープでアンダーグラウンドなシーンから影響を受け育ってきた俺の、立ち位置を確認できたところで、なにか妙に納得して、肯定も否定もせずに、なすがまま受け入れ、溶け合い、まざっていく環境に身をおいて、なんだりかんだり、ナチュラルに楽しんでいこうと思っていた矢先。


思い返しても、何年か前に止まっていたらきっと、このような状況にはならなかったと実感する。


ずっと楽しめていたわけじゃないし、苦しんで悩んでもがいてあらがって、いろんなことを手離したり別れたり出逢ったりしながら、とにかくただただ続けてた。


事実、5年きざみぐらいで親しい距離感が遠ざかったりくっついたり。


それはケンカ別れとかじゃなくて、道すがら、旅人のようなものだろう。


そのときその場所の人や物や空間は、2度と訪れることはない。


だから、いつでも一生懸命!!!みたいなことじゃなくて、きっとまたこの日も、ありし日の思い出となっていくんだろうと、そのときはなんとも思わなくても、永遠などない輪廻のなかで、映画のフィルムのように、カタカタとまわっていくものを楽しんで喜んで、また明日に向かって、とまったり下向いたり前みて横みて右往左往していくんだろね。


大切にしていることは、何一つ変わっていなかったり、変わっていったり。


お天道様とお月様、八百万の神様には、すべてお見通しなのだ。


どうなるか分かりませんが、また、今年も忙しくなりそーです。


SNSとか、そーゆーのあんまりやんないから、何してるかわかんないだろうけど、それでいい。


今年もたんたんとゆっくりと、自分の気持ちになるべく正直にてくてくいぎます。