割合で、同じような気持ちを持って生きている人がいることを知り、そして、その人たちが、自分の好き人たちであることに、やっぱり、と、救われたような気持ちになる。
頭に浮かんだことは、その3分後には、消えてなくなる。そのとき書きたいことは、1分でも過ぎれば、違うことになる。
だから、ここに綴ることも、100%言いたいことや伝えたいことは書けないということだ。
何を犠牲にして、歌のように紡がれる言葉達は、自分の子ども達のように、後世まで語り継がれるのだろうか。
誰もみないノートに毎日日記を書き続けた日々から、人に見せてみようと始めたブログも、月1回更新すればよいほうになるほど、間があく。
だが、その「間」というものが、どうにも大切なことであるはずなのに、倍速で映画を見て、倍速で音楽を聴くという、世にも不可思議な現象が起きている。
でも、無理もない。世の中の一部のお偉い様方がマネーゲームに興じておられるので、いくら働いても給料が上がらないのに税金などで奪われるものばかりが増え、気づかないようにしたたかに奴隷のように扱われ疲れきっている浮世のなかで、誰が落ち着いてゆっくりと時間を使うことができるだろうか。
抵抗するのもバカらしい。疲れ果てて眠ってを繰り返す日々を、俺は馬鹿にはできない。そんな頑張り屋さんたちが愛おしい。
だからこそ、1000人に1人でもいーから、圧倒的少数のマイノリティの自分が、伝えていかなければいけないことがある。
でも1000人に1人が各地にいっぱいいて、そんな人たちがおんなじ気持ちでいてくれるから、まだまだやっていける。
言いたいことをストレートに伝えれば、ドロドロして誰も聞いてやくれないし、変人扱いされて、伝わるものも伝わらない。
人間社会で何かを変えようと、地域で、組織で、動けば動くほど、自分の気持ちと裏腹に、いろんな顔で接しなければいけないことになる。
「音楽をやっているときのおまえと、普段のヘラヘラ笑っているお前の、どっちがほんとなの?」といわれたことがある。
どっちも本当だろう。人に合わせて性格を変えられるほど器用な人間ではない、俺は。
ただ、その場その場で1秒単位で選択を迫られる場面において、いろんな顔を見せなければいけないことがあり、それが矛盾や葛藤やストレスというものに知らず知らずに姿を変え、自分が苦しむ原因にもなる。
その状態を解放するのが音楽であり、スノーボードであり、農作業であるのだ。ただ好きに表現して、汗を流して、踊って、喜んで楽しんで。誰からも抑圧されることなく、自分を解放できる術があったからこそ、なんとか生きてこられただけだ。
だから、どれも本当の自分の顔であり、隠すつもりもないし、さらけだしているだけ。
どこで何を言っても監視され、テレビは相変わらず嘘ばかり。石垣島の自衛隊基地のことや辺野古の話し、ウーマンラッシュアワーの村本がなぜいなくなったのか、そのほかにも山積みの問題を隠して、憲法を無視して、戦争できる国になっていく日本を、齢80オーバーの、おじぃやおばぁはどう見ているのか。
90歳越えのおじぃが言っていたよ。「もはや第3次世界大戦だ」と。
いつ死んでもおかしくない世の中で、愛を持って尊しと成せ。
40歳になったら、幾分、死というものがリアルに感じられるようになった。そして、その分、生の力も今までより感じることになる。
まだまだこれから。道半ば。ぶっ倒れる前に飛べ。